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はてなキーワード: 耽美とは

2014-06-20

耽美という言葉が嫌いだ

「お耽美」という言語にことさら意味を込める用法があるのも知っているし、そういう意味世界があることを否定するわけではない。

でもそういう要素・感覚に対して「お耽美」という用語を用いることが大嫌いだ。

そういう感覚に対しお耽美なんて用いるのは言葉センスのかけらもねえと思う。

多くの場合耽美」が何かも充分に把握もしていないのにそれに「お」をつけてそれっぽくしている。

「お耽美」という、「耽美」に担保されうべき用語を用いているのにもかかわらず「耽美」が何にもわかってねえ。

2×13があるとして、13が何かわかってねえのに「2×13って26っすよね~~~マジお耽美っす、13とかよく知りませんけど」とか言っちゃうのと同じだ。

耽美」を知るには美学を知らなければならない。ある程度リテラシー必要だ。

「お耽美」を感ずるということは美学という学問世界に挑戦することに他ならない。

それを擲ってしまっては「お耽美」は本来語りえぬものなのではないだろうか。

耽美」は奥深い。そしてきっと「お耽美」の世界も「耽美」の因数を持つ以上奥深いはずだ。

だがどうだ「お耽美」が安っぽく語られていないか。自分のそれっぽい感覚だけで「お耽美」と断じてやいないか。そこにリテラシーはあるか?

「お」をつけて荘厳しているのに、じつは安っぽい表現に貶めてしまってやいないか?

自らで内面化したことにやすやすと「お」なんて付けるな!

2014-06-18

少女漫画が嫌いな人にこそ読んでほしい女性作家作品

http://anond.hatelabo.jp/20140616005514

偏見で女性作家作品を読まない人がいるのはもったいないなと思ったので

少女漫画アレルギー」でも楽しめる漫画を集めてみます。すでにやっている人がいたらすみません


魅力的な世界観


漆原友紀   蟲師

この世はヒト知れぬ生命に溢れている――。動物でも植物でもない、生命の原生体――“蟲”。それらが招く不可思議な現象に触れたとき、ヒトは初めてその幽玄なる存在を知る。蟲とヒトとをつなぐ存在――それが“蟲師”たる者。

深遠なる世界観

蟲と人との関わりを描く。基本的に一話完結。

語られる物語はどこか懐かしく、優しく切ない。

今市子   百鬼夜行抄

普通の人間には見えない不可思議なモノたちが見えてしまう飯嶋律。彼とそのファミリーがさまざまな妖魔との出会いの中で紡ぎ出す不思議絵巻。

現代を舞台に妖達が「リアルに」描かれる。基本的に一話完結。

語られる妖達はどこかで見たことがある気がしてくる。昔話の中で。民話の中で。

これこそが妖の本来の姿だ。「本当は恐ろしい日本昔話」

耽美な表紙を見て敬遠していた。もっと早く買えばよかった。

熱血


田村由美   BASARA

20世紀末、高度な文明は滅び、人々は暴君の支配する国で圧政に苦しんでいた。300年の時が過ぎ、山陽地方白虎の村に双子の兄妹が生まれ、兄の方はタタラ、そして妹は更紗(さらさ)と名付けられた。兄のタタラ暴君の圧政から人民を救う「運命の子」と予言されるが…。愛と冒険ジパング伝説!!

ファンタジー大河ドラマ

とにかく熱い。読んでいると天下統一したくなる。

主人公がゾクゾクする程かっこ良い。だが女だ。

個人的には黒船襲来あたりから読むのが止まらなくなった。

美内すずえ   ガラスの仮面

演劇の道にすべての情熱を賭けて生きる少女北島マヤ。幻の名作「紅天女(くれないてんにょ)」をめぐって、さまざまな人物とその思惑が交錯する演劇大河ロマン!!

貧しい母子家庭に育つ北島マヤは才能を見いだされ、逆境の中演劇の道を志す。

演劇の道に人生の全てをかけた2人の少女天才北島マヤ努力天才姫川亜弓

2人の才能のぶつかり合いが熱く描かれる。古典的名作。完結するのだろうか・・

一条ゆかり  プライド

今は亡き有名なオペラ歌手を母に持ち、同じ道を目指す資産家の娘、麻見史緒。バイトをしながらオペラ歌手を夢見る緑川萌と出会い…!? 

ガラスの仮面オペラ版。主人公亜弓さんサイドである

怒濤の展開に目が離せない。

ガラスの仮面」が絵柄が古すぎて抵抗あるという人はこちらだけでも読んでみてほしい。

人間ドラマ



羽海野チカ  三月のライオン

その少年は、幼い頃すべてを失った。夢も家族も居場所も──。この物語は、そんな少年がすべてを取り戻すストーリー。その少年職業は──やさしさ溢れるラブストーリー

棋士達の生き様を描く。

場所のない少年棋士能力だけで自分の居場所を作ろうとした。

生き方を見失った彼は3人の姉妹出会い、人との関わりを回復させて行く。

深谷かほる  ハガネの女

次々と担任が辞めていく問題クラス、4年さくら組の新担任になった芳賀稲子通称“ハガネ”。ひと筋縄ではいかない、クセモノぞろいの子供&その親たちを相手に、ハガネの真剣勝負が今、始まる―!!

いじめ虐待ネグレクト・・・扱う題材は極めて重いが読後感は悪くない。

この漫画では決して「ご都合主義」な解決をしない。

いじめられっ子はいじめられたまま。虐待児は虐待されたままだ。

しかしながら子供の成長を予感させるラストで読者に希望を感じさせる。

良く取材をしていると思う。

山下和美  天才柳沢教授の生活

ゴルゴ13より目が細いこの人は世界一ヒューマン大学教授である道路は右端を歩き、横断歩道以外で道を渡らない。安くてうまいさんま”のためなら、足を棒にしても歩きつづける。本書は、Y大経済学部教授柳沢良則の克明で愉快な記録である。 

ヒューマンドラマ基本的に一話完結。

暖かかったり、ほろっとしたり。泣いたり笑ったり。

勉強っていいな。学ぶ事はすばらしい。

はじめの方の巻はちょっと毛色が違うのであえて途中の巻にリンクしています

少年漫画

王道少年漫画

女の書く物語に面白い物がない

増田にも満足できるのではないかと。

加藤和恵   青の祓魔師

悪魔の血を継ぐ少年奥村燐の前に、突如父を名乗る魔神が現れ、悪魔が棲む虚無界へと連れ去ろうとする。高名な祓魔師である養父は、命を懸けて燐を守り死んでしまう…。燐は己の無力さを悔やみ、祓魔師になって魔神と闘うことを強く決意するッ!! 



田辺イエロウ  結界師

その昔、霊感の強い烏森家の殿様が妖しげなものを呼びよせてしまったために、それを退治する結界師が生まれた。かつての城跡に建つ私立・烏森学園を舞台に、400年後の現在跋扈(ばっこ)し続ける妖怪に立ち向かう墨村家と雪村家の若き後継者良守時音の活躍を描く妖結界バトルストーリー!!



荒川弘   鋼の錬金術師

兄・エドワード・エルリック、弟・アルフォンス。2人の若き天才錬金術師は、幼いころ、病気で失った母を甦らせるため禁断の人体錬成を試みる。しかしその代償はあまりにも高すぎた…。錬成は失敗、エドワードはみずからの左足と、ただ一人の肉親・アルフォンスを失ってしまう。かけがえのない弟をこの世に呼び戻すため、エドワードは自身の右腕を代価とすることで、弟の魂を錬成し、鎧に定着させることに成功。そして兄弟は、すべてを取り戻すための長い旅に出る…。



ギャグ漫画

まとめは力尽きました。たくさんいますよね・・

中村光聖☆お兄さん) ヤマザキエリ(テルマエ・ロマエ)  岡田あーみん 新井理恵(ペケ) 柴田亜美

かいろいろ。不条理ギャグ系は古いと通じないかなぁ。ススメにくい。

載せるか迷ったもの

狂気を孕んだ耽美さに「少女漫画アレルギー」な人は耐えられないかも

名作だけど少女漫画っぽいかな・・?

ブコメから

コメントどうもありがとうございます

今日ちょっと時間がなくなってしまって途中までです。

ブコメも全部読めていません。すみませんすみません。日曜までには・・

佐々木倫子  動物のお医者さん

今日獣医学部ユニークな仲間とかわいい動物たちは大騒ぎ。思わずニヤリのおもしろさで、国民的人気大爆発のドクトル・コメディ



吉田 秋生  BANANA FISH

ストリートキッズボスアッシュは、胸を射たれて瀕死の男から薬物サンプルを受け取った。男は「バナナフィッシュに会え…」と言い遺して息を引き取る。ベトナム戦争で、麻薬にやられて、正気を失ったままの兄が時々つぶやくバナナフィッシュ」と同じことばを聞き、興味を抱いた。謎の言葉バナナフィッシュ』を追うアッシュに、暗黒街の黒影が迫る…! 大人気ハードロマン!!



末次由紀  ちはやふる

まだ“情熱”って言葉さえ知らない、小学校6年生の千早(ちはや)。そんな彼女出会ったのは、福井からやってきた転校生・新(あらた)。おとなしくて無口な新だったが、彼には意外な特技があった。それは、小倉百人一首競技かるた千早は、誰よりも速く誰よりも夢中に札を払う新の姿に衝撃を受ける。しかし、そんな新を釘付けにしたのは千早のずば抜けた「才能」だった……。まぶしいほどに一途な思いが交差する青春ストーリー、いよいよ開幕!!



よしながふみ  大奥

男女逆転大奥。 将軍は女、大奥には美男3000人。 よしながふみのSF大河ロマン



あしべゆうほ  クリスタル☆ドラゴン

緑の原の一族(グリアナンクラーク)の中で唯一、黒髪で生まれたアリアンロッド魔法使いのもとで修業を積むアリアンは、炎の中で一族を滅ぼした“邪眼のバラー”を目撃。運良く生き残ったアリアンは助け手を求めて旅に出る…。神話と伝説の古代ヨーロッパ舞台に、遠大な構想で描かれた大河ファンタジーロマンの決定版!!

2014-03-26

喪服の死神という非モテ化身。あるいは汚い顔と罵られた人間の末路

「黒子のバスケ」脅迫事件の被告人意見陳述全文公開1

「黒子のバスケ」脅迫事件の被告人意見陳述全文公開2

徹底した自己開示と執拗自己解釈による独演を社会提示した喪服の死神

幼少の個人的出来事からネット右翼アベノミクスまで論じ上げた喪服の被告人意見陳述は、他者による分析を拒む防壁として構築されたが、ひとつだけ、さらりと流されて違和感を放つ、セクシャリティカムアウト。

陳述で同性愛告白し、ボーイスラブ二次創作での人気に執心したことを事件の発端とするも、彼はセクシャリティに関してだけは、言及を拒む。

自分が「手に入れたくて手に入れられなかったもの」について列挙しておきますと、上智大学学歴バスケマンガでの成功ボーイズラブ二次創作での人気の3つになります

31年前に同性愛に目覚め、同じ年に母親から「お前は汚い顔だ」と言われ、26前に「聖闘士星矢」のテレビアニメを見たいとお願いして父親に殴り飛ばされ、24年前にバスケユニフォームに対して異常なフェチシズムを抱くようになり、22年前にボーイズラブ系の二次創作同人誌を知ったという積年の経緯があります

自分に対して理不尽な罰を科した「何か」に復讐を遂げて、その後に自分人生を終わらせたいと無意識に考えていたのです。ただ「何か」の正体が見当もつかず、仕方なく自殺だけをしようと考えていた時に、その「何か」の代わりになるものが見つかってしまったのです。それが「黒子のバスケ」の作者の藤巻氏だったのです。ですから厳密には「自分が欲しかったもの」云々の話は、藤巻氏を標的として定めるきっかけにはなりましたが、動機の全てかと言われると違うのです。

「手に入れたくて手に入れられなかったもの」「何か」「自分が欲しかったもの」。

執拗自己解釈を行う喪服が、ひたすらに言及を拒む「何か」は、すなわち、セクシャリティの肯定である

喪服のまとめサイト的な自己ツッコミは、非モテ自意識には向けられて、彼は饒舌ウェブ上に氾濫する非モテキモオタ類型コピーを演じて見せるが、一方で、自らのセクシャリティたる同性愛については、まるで《安価》が付けられていない。

本来なら最も語られるはずの内心、セクシャリティが鎮座する位置は、自らを汚物とみる自意識代替されている。

動機について申し上げます。一連の事件を起こす以前から自分人生は汚くて醜くて無惨であると感じていました。それは挽回の可能性が全くないとも認識していました。

汚くて醜くて無惨、自らを汚物と信じた喪服。

もし彼が自身と違う肉体を持つ他者に性欲を向けること、例えば空想の中でオークに成り代わり女騎士を犯すことで充足できるセクシャリティなら、あるいは始めから性的な身体をもつと社会的に扱われている性別なら、自らの身体性が「汚くて醜くて無惨である」と信じながらも、少なくともはじめの一歩を踏み出すことはできただろう。

ヘテロセクシズムに覆われた社会において、セクシャルマイノリティは「自分セクシャル存在である」と現実世界に足を踏み出せない限り、または誰かが手をさしのべてくれない限り、それがマイノリティとして否定された経験だったとしても、はじめの一歩を得られなければ“セクシャリティあるもの”として存立できない。

彼の「本当のセクシャリティ」は否定すらされなかったかもしれない。喪服は何の理由もなく、つまりホモオカマと罵られたのではなく、身体的なものをあるがままに、母親に汚い顔だと罵られた過去を呪った。それは純粋な身体性の否定であってホモフォビアとの遭遇ですらない。

ホモフォビアとの遭遇は、「ホモと笑われるのが辛かった」と、その苦しみを語ることで、自らを疎外されたマイノリティとして位置づける。

しかし、喪服は否定なき同性愛者。

喪服の空想におけるセクシャリティは、思春期ボーイズラブによって徹底的に肯定された一方で、彼の現実セクシャリティ、喪服が“手に入れたくて手に入れられなかった”身体性の肯定は、同性愛の自認と同時期に行われた“汚い顔”と身体的否定によって抑圧される。

自らを汚物と信じた喪服は、現実セクシャリティ、それによって他者と繋がる身体性を否定して、汚物は誰かを愛することもできないと、性愛を禁じてすらいる。

自分愛する人を失ったのではなく、愛する人が初めからいないのです。ここ15年くらい殺人事件交通事故被害者遺族が、自分たちの苦しみや悲しみや怒りをメディア上で訴えているのをよく見かけますが、自分に言わせれば、その遺族たちは自分よりずっと幸せです。遺族たちは不幸にも愛する人を失ってしまいましたが、失う前には愛する人存在したではありませんか。自分には愛する人を失うことすらできません。

LGBT当事者書籍として頻繁に持ち出される「ボクの彼氏はどこにいる? - 石川大我」と比較すれば、タイトルに違いが現れている。

今ではオープンリーゲイ公言する政治家である石川大我が、自分は人を愛するに足る存在であると信じることができた一方で、喪服の語る言葉は「愛する人が初めからいないのです」である

愛する人がはじめから喪われている、すなわち、自らの性愛が喪に服しているからこその喪服の死神であり、一文字で暗喩された「喪」とは非モテを示す。

2000年代2ちゃんねるはてななど、ウェブ上で隆盛した「非モテ」とは、自らの身体性あるいは性価値に対する自己否定キモいと罵られた汚物のような人間は誰かを愛するにも不足するという絶望を、自らに対して自己否定レッテルを貼り付けることで自己肯定転嫁する、クィアにも似た試みであるが、やがて、彼らにはじめから内包されていた自己否定によって自壊した。

あくまで非モテと呼ばれたことで、モテるか否か、恋愛関係にあるか否かという状態や能力について論じられてしまった非モテだが、彼ら非モテ、あるいは非リアといった類似物も含めて、彼らは「そうであること」に価値を見いだすのでは無く「そうでないこと」によって存立し、非モテを成り立たせていた人々は状態や能力を求める人間ではなく、藁にもすがる思いで自己否定レッテルに飛びついた人々である

自分がどれだけ汚物か、気持ち悪いか、失敗しているか、誰かの指摘に先んじて自己開示をし、誰に言われる前に自らを否定する、終わりなき自己否定スパイラルは、非モテの名の下に集った人々に、わずかばかりの肯定を与えた。

自己否定レッテルにより肯定される彼らの自意識の中核にあるものは、唯一、自らをキモいと思い込まざるを得なかった幼少期の経験に由来している。

しかし「生まれたときから罰を受けている」という感覚はとてもよく分かるのです。自分としてはその罰として誰かを愛することも、努力することも、好きなものを好きになることも、自由に生きることも、自立して生きることも許されなかったという感覚なのです。

冗談はさておき、明け透けに申し上げますと「こんなキモい奴は死刑でいいじゃないですか!」という気持ちです。

幼少期、まだ子供の非モテたちに向けられたキモいという言葉は、思春期セクシャリティが開花する時期を真っ黒に塗り潰す。

汚物に等しい人間は誰かを愛するにも不足するという絶望は、彼らのセクシャリティ現実を生きる他者に伝えることを禁じて、彼らの性愛は空想へと向けられていく。

従って、彼らは漫画記号を愛でる者、オタクになった。

本来ならば健全セクシャリティが鎮座する位置は、自らを汚物とする自意識に取って代わられ、歪な自意識は癒やされること無く成長と共に発展し、ウェブ上で隆盛したモテない男に由来する数々のミームに乗っ取られた怨執甚だしい精神構造を完成させた一方で、耽美世界を描いたボーイズラブ二次創作を愛した喪服の死神

現実では“自分のような汚い顔のキモブサメン”と自嘲して、空想では女性世界性愛に耽溺している。

喪服のチグハグセクシャリティの表出には、彼の現実と空想、性の繋がりを感じさせない。

「何か」が欠落してしまっていた。

ウェブ上での自己開示および匿名対話からの反応を慰撫とする行為は、今や誰もが行っており、本来なら十分にウェブの中で機能して、現実世界で怨執を露呈する必要はない。

だが、喪服の自意識歯車は、ウェブの言論歯車と噛み合わなかった。

喪服の自己対話精緻であって、他者解釈に先回りして応答し、全体としては分析をさせる余地を与えないほど堅牢であるも、彼の脳内インストールされたウェブ言論と、彼自身の対話においては、歯車の噛み合わないチグハグさが漏れ出している。

このチグハグさは、喪服が扱ったネット用語に明瞭に現れている。

さら自分は生まれてから一度も恋人がいたことがありません。その道のプロお金を払うという手段を含めても性交すらしたことがありません。恋人いない歴=童貞歴=年齢です。自分ネットスラングで言うところの「魔法使い」です。

喪服が自らの性について語る言葉は徹底してウェブ上の異性愛社会で用いられる言葉であって、セクシャルマイノリティの為に用いられる言葉は現れない。

ゲイ社会で用いられる言葉も、LGBTを構成する言葉も無い。

自らを異性愛者の視点から同性愛者」と規定し、異性愛者の非モテが用いた造語で「キモメン童貞魔法使いw」と自嘲し、「ボーイズラブ系の二次創作」と腐女子言葉で性指向を空想している。

喪服の自己対話には、セクシャルマイノリティが自らをセクシャルマイノリティとして規定する言葉が、どこにもない。

というより、喪服がウェブ本心を語ろうとも、それに噛み合う言論の歯車はあっただろうか。

ローカルルール同性愛者の投稿が禁じられたモテない男性板。

非モテから同性愛者を斥けてミソジニーホモソーシャル産物断罪するセクシャリティ論。

女性たちのホモソーシャルであるボーイズラブ二次創作世界

最後だけは、本当に、ひとつだけ、自己否定トンネルのなか視野狭窄した彼が自らのセクシャリティ本心を発露して、肯定されうる場を見たならば、思春期から愛し続けたボーイズラブ二次創作を介した他者による肯定だったのかもしれない。

しかし、喪服が創作するには、表現原動力たる空想の世界耽美であるも、空想と同一の肉体を持つ彼の身体性は汚物であって、空想と現実を繋ぐ彼の言語空間ウェブ上で構成された非モテミームに乗っ取られており、格差は恨みを募らせていく。

何より、彼には努力をする気概が無かった。

喪服が、セクシャリティの肯定を得るために行わなければならなかった努力

本当なら、とても近しい接触によってなされるセクシャリティの肯定は、喪服においては、女性たちが作る社会における創作表現に対する賞賛という、とても遠い彼方からの肯定の可能性が、ただひとつ自己否定トンネルに差す光として見えるのみ。

もしも努力の果てに肯定が得られたとしても、彼に与えられるのは二次元ベールを通した、空疎であたたかみの無い接触である

喪服は、呪っただろう。

喪服が手に入れたくて手に入れられなかったセクシャリティの肯定を、可能性として見いだしたボーイズラブ二次創作賞賛を得る者を。

空想における愛情は、現実における怨執へと置き換わり、耽美世界肥大化した自我は、現実世界自己表現を求めて、自走する。

喪服が見た光の絶望的な遠さは、彼が呪いを向ける対象への距離に変わった。

ボーイズラブ二次創作

喪服に残された肯定的表現手段は、呪いを振りまく脅迫状の郵送に変わった。

喪服が望んだ「何か」、口にすることすら拒んだ人の暖かみによるセクシャリティの肯定は、自己否定の結末として、無機質な統治権力による罰として具現化する。

「『何か』に罰され続けて来た自分がとうとう統治権力によって罰されることになったのか」

恐らく重度のネット依存だった喪服の実生活、喪服が生きた思い出の中にも、彼のセクシャリティを、わずかにも肯定した「何か」は存在しなかったはずだ。

喪服は、斑目晴信オタク濃度を感じたように、キモオタ秋葉原に得るしっくりと来るさまを感じ取ることが出来ただろうか。

喪服は、ボーイスラブ二次創作を手に取るとき、美しい男を愛する女性の為に作られた空間に踏み入れた、汚物に等しい男を見る目に、何を感じ取っただろうか。

喪服は、セクシャリティに、疎外を感じてはなかったか

喪服は、自覚することはなかっただろう。

喪服は、徹底して、自らのセクシャリティを、完膚なき自己対話によって、自己疎外した。

執拗に繰り替えされる自己解釈は、彼が求めた「何か」の中核を、自らに気付かせないための自己防壁として機能する。

自己疎外された人々が、自らに自己否定レッテルを貼り付けることで、健全精神ギリギリのところで保った非モテ論理

2000年代に爆発的に流行し、2010年代の始まりと共に終わった非モテは、童貞を中心とするヘテロセクシズムであり、同性愛者の喪服を救わなかった。

喪服が愛したボーイズラブは、あくまで女性ホモソーシャル世界であって、男の喪服を救わなかった。

セクシャリティを否定された者たちが、自らを疎外されたマイノリティと位置付けて語るLGBTは、セクシャリティはじめの一歩を踏みだせた者たちのための論理であって、非モテの喪服を救わなかった。

身長×体重×年齢》と、身体性をコード化して他者と繋がる様式を持つゲイ社会は、身体性を否定された喪服を救わなかった。

身体性を否定された喪服がセクシャリティ育むべき思春期に愛したものは、空想における同性愛であり、彼を耽美世界に誘い込み、彼の自我肥大させて、現実を呪った。

非モテにすらなれなかった「非・非モテ」の喪服の死神、怪人801面相こそが、性愛社会を呪う非モテ化身である

2014-02-25

イカスミパスタはなぜうまいのか

イカスミパスタは旨い。

旨さとともに特徴的なのがあの黒さである。艶やかな漆黒は力強く耽美的ともいえる。

あの旨さの原因はなんなのか。

単純に考えるとすぐ思いつくのが黒さ=旨み という仮説である


小学5年生の時に初めてイカスミを食べて感激した俺は翌日の真っ黒に染まった大便をみて、これはもしかしたら旨いのではないかと予想した。

ただ自分で食べるのは怖かったため、当時飼っていた犬にイカスミ入りウンコを食べさせることにした。

アイススプーンの先にウンコを付け、眠っていた犬に恐る恐る近付けたところ彼は起きあがった。

彼は1口舐め2口舐め、ついには食べきってしまった。


そのとき俺は、黒さ=旨み ということを証明したのである

2013-09-13

久美沙織の書いたMOTHER3小説が読みたかった

http://anond.hatelabo.jp/20130912120735

なんかMOTHER3の話が増田に上がってて、ふと「なんで3のパーティキャラって俺女とか義足のオッサンとか犬とかへんに奇をてらったキャラばかりにしたんだろう、1や2と同じように、最初の3人は赤い帽子少年と金髪の女の子眼鏡がよかったのに」なんてMOTHER3の不満だった点を思い返していたところで、「そういえば小説版ジェフって後天的事故が原因で義足なんだったな、3のパーティ3人目のダスターと同じじゃん」と今初めて気がついた。

思えば2のジェフの「生き別れ同然の科学者のお父さんがいて、父と微妙確執があるちょっと育ちのいい感じの少年」という設定も、1のノベライズおい久美沙織が造形した「小説版ロイド」の設定がそのまんまだった。

ゲーム版ロイドの父は息子同様にゴミ箱に入った状態で話し掛けて来る職業不明の気さくな人物である一方、小説版ロイドの父は「ギーグに捕らえられて敵のロボット兵器の開発をさせられていた気難しいマッドサイエンティスト」で、ジェフの父親であるアンドーナッツ博士に非常にキャラが近い。2のノベライズあとがきによると、あまりにもゲームジェフの設定が1の小説版ロイドそっくりだったので「同じ子じゃ書くのつまんない」と思ったがゆえに、久美氏はジェフにとんでもないオリジナル設定(※両足の義足とその原因となった事故トラウマ)を追加してしまったのだという)

1の小説版からゲームの2に、2の小説版からゲームの3にリンクする「3人目の仲間の共通点」を糸井氏の意図的ものと見るのはあまりに突飛すぎるかもしれないが、意図的にせよ偶然にせよ、7年ぶりに思わぬ発見を得て少しいい気分だ。元増田に深く感謝したい。


Amazonで売られている久美沙織MOTHERノベライズは「作者はキャラヒイキし過ぎ、女の子アナポーラ)がビッチ過ぎ、オリジナル要素入れ過ぎ」とそりゃもうボロクソに言われつつも随分なプレミアがついている。

彼女はもともと凄まじく悪ノリ&長文&脇道癖のある作家であり、かつて小説版ドラクエの4〜6(特に4)を執筆した折などは想定読者年齢層を全力でブッチした筆の冴えを見せつけたことで(主に悪い意味で)その筋では有名であるゲームでは「なんか魔族の王」程度しか設定されていなかったデスピサロの魔界での鬼畜イケメンぶりとロザリーに対するロリコンぶりを描写するために、実に第1巻の約3割を費した耽美と難解を極めるオリキャラだらけの序章を筆頭に「ドラクエ小説版」という単純な単語に惹かれた全国の無垢な少年少女を疑問の渦と睡魔の淵に叩き落としたものだ。

あれに比べたら小説版MOTHER脱線ぶりなど屁のようなものであるが、それでも1の地底湖における妙に淫靡な13歳同士のラブシーン、著者本人も認める2のタイトル詐欺MOTHERではなくBROTHERになってしまった)などは、精霊ルビス伝説を初めて読んだ小学生の頃から意味などろくすっぽ訳も分から彼女の文章を刷り込まれて育った増田のような重度の奴隷信者には溜め息のひとつで済ませられても、彼女作風を知らずまっとうなノベライズを期待して本を開いた方々には怒髪天ものであっただろう。


前述のような久美沙織ノベライズ奴隷信者たる増田が、開発中だった64版MOTHER3サブタイトル(豚王の最期)を聞いて思ったことは想像に難くないだろう。勿論「次の小説版どうすんだろ」の一択だ。

ネタバレをすると、小説版の2のポーキーゲームと違っていずこかへ逃亡しない。2の小説は一冊で完全に独立完結している。

ゲームよりかなり陰惨な設定を付け加えられ、死んだ方がマシじゃねえかと言う酷い目に遭わせられはしたものの、色々あって小説版の彼は救われ、オネットのはずれの家で弟達と仲良く幸せ暮らしている。

1では原作通りの「ジョージマリアに育てられた宇宙人の子供」だったギーグを、2では設定を完全無視して「多次元宇宙からやって来た、人間寄生して成長する凶悪宇宙怪獣」というわけのわからんものに平気で変えてしまった久美沙織の事であるから、恐らく3のノベライズ一筋縄では行かないだろう、どのような味付けをするつもりなのだろうか、とゲームも発売しないうちから想像してわくわくしたものだ。


だがいかんせんゲーム原作である3の発売まであまりにも間が開き過ぎ、残念ながらその間に久美氏の小説家としての執筆活動はほとんど行われなくなってしまった。

ゲームのものの出来が賛否両論で関連グッズ制作予算が割かれる可能性も少なかったろうから、どのみち彼女が現役だったとしてもノベライズの発売はなかったかもしれないが、今でも久美沙織によるMOTHER3小説はどんなものだったのだろうと思いを巡らし、赤い背表紙文庫本が3冊並んで棚に並ぶ事を願わないことはない。

多分ダスターは作者の好みの傾向から言って超かっこいい男になるだろう。ウェスは「ふしゃしゃしゃしゃ!」などと変な笑い声を上げるようなゲーム以上のしゃかりきジジイとして描かれ、一般プレイヤーなら名前すらウロ覚えであろうタツマイリ村の一住民の視点でまるまる一章が描かれることになるだろう。サルが主役の章なんかすごくそうなりそうだ。コーバのヨシダさんやマジプシー、ヨクバあたりのキャラそのままで彼女の筆にとてもよく似合うから、きっと笑ってしまうほど魅力的に描かれるに違いない。

そういうどうでもいい細部の事は想像できるのに、MOTHER3という物語彼女がどう完結させるのか、ポーキーというラスボスにどのような結末を用意するのか、自分程度の貧弱な頭ではとても想像できない事が悔やまれる。


増田MOTHER2小説の中では、ハッピーハッピー村の教祖であるカーペインターについて書かれた下記の文章が一番好きだ。(ちなみにゲームに登場するカーペインター氏は、別段このような性格設定や過去があるわけではない普通の中ボスである

少年の頃、彼は、痩せっぽっちで病弱で、ひどく不器用でした。学校はいいところを見せるチャンスがありません。おまけに常用していた薬の副作用で顔がゾンビみたいに青かった。気味悪がられて、いつもひとりぼっちでした。こころを通わせることのできる友達が欲しくて堪らなかった。でも、どうすれば、ひとに好かれるような人間になれるのか、ちっとも分からなかったのです。

せつない気持ちをぶつけるために、教祖は絵かきになりました。さまざまな青の濃淡で描かれた彼の絵に、希望共感を見出すひとたちが現れます。寂しいのは、彼だけじゃなかったのです。悩んでいるひと、困っているひと。ひと見知りで、ともだちを作るのが苦手なひとたちと、助け合って暮らしたい。そう思ったので、一生懸命働いて、この、人里離れた谷間の土地を買いました。誰でも、来たいと思うひとを歓迎する場所、みんなが他人を脅かさずに静かに過ごすことのできる場所として、ハッピーハッピー村を作りました。狭い画布ではなく、大地そのもの空間のものを、青いっぱいで埋めるのが、彼の夢でした。


平素の地の文では「今週のハッピーハッピー信仰大賞佳作受賞者は、ご近所一帯に青大将三百匹を放したヌリ村のジョン作さんです!」などというクソみてえな悪ノリを平気で書くくせに、彼女はこうやって時折、心に突き刺さっていつまでも離れない文章を書く。忘れられない文章がいくつもある。

から未だに彼女の書くMOTHER3物語をずっと諦められずにいる。


久美沙織が大昔に書いたゲームノベライズのことなんて知っているマニアック年寄りは、いかネット広しといえどもきっとあまり沢山はいないだろう。「翠の髪のボウシャルマン/王宮付きの軽業師」なんて小説版ドラクエの作中詩の一節をググったところで出てきやしない世知辛いご時世だ。

それでもこうして長文を形にしておけば、そのうちこれを見つけた同じ気持ちの誰かと思いを分かち合えるんじゃないかと思い書き残しておく。

2012-07-22

BLの話が出てて思い出した:腐男子

オタクの知人に、どういうわけかいわゆる「腐男子」が多い。

彼らは別に同性愛者ではなくて(まあそういうケースもあったはあった)、

妻帯してるのにBLを好んで読む、なんて人もいる。

自分は基本的にBL801ダメなんだけど、ネット上の付き合いだと

……ちなみに、どういうわけか、腐女子の知人は殆どいない。友人、のレベルになると中学時代からの友人に一人だけ。

かくいう自分は、もともと表現無法地帯としての男性向けポルノメディアへの興味が強くて、

一方で最近ハーレクインやら乙女向けやら、所謂女性向けポルノをちらほらと読むようになった。

いわゆる「乙女向け」(男女の恋愛による)ポルノと、BLと両方扱ってる作家さんの作品に惹かれることが多かったんで、

これは一体どういうことなのだろう?と思って、しばらく、気がおかしくならない程度に両方読んでみた。

少し分析してみた結論として、BLという媒体には、欲望のフックとしての複数の要素がある。

それは幻想としての男性性、性別が単一であるから生じるジェンダー的な曖昧さ(極端さと、中性性の両方を含む)、

そして、曖昧から強調された、二者(あるいは三者)の関係性が喚起するエロス

これらの要素が、ひとつの作品の中でも「片方に振れることなく」、曖昧に顔を出す。

特に後者ふたつは男性向けポルノメディアだと期待しづらい部分で、「こういう特徴を持った人物が、この人物のこういう所に惹かれて」、あるいは、

「こういう人物がこういうシチュエーションに投げ込まれて」、ここの扱いが上手い人は、異性愛だろうが同性愛だろうが、それなりに面白い話を

書けるのだろうな、というような感想を持った。この手の分析をした人は山程いたと思うんだけど、まあ、自分が納得したかったので……

要素として並べてみたとき、そこに惹かれる男性が居るのはまあ、何となく理解できる気がする。

それと、女性少女性に抱く幻想に近い、男性少年への幻想みたいなものが噛み合ったとき

ある種のBL作品を嗜好する男性というのが出てくるのだろうな……という推測。

自分は基本的に、「女のリビドーてんこ盛りの男性像」がちょっとダメで、

異性と話すのは平気だけど、ジャニーズステージなんかも正視するのが辛いくらいなので、大半のBLは味が濃すぎて厳しい。

通常の恋愛小説比較したとき、なんてったって色男分二倍。女性に限って言えば、

異性への嫌悪より、現実女性男性に、一切の幻想を「見ない」(これ重要)という性質が、BLを愛好するために必要素養になってくる気がする。

はいえ、男がBL嗜むには、第一に、男根に対する意識の、ある種のジェンダー的な束縛というか(うまく説明できない、

ホモソーシャル的な精神だったり、あるいは、ネットホモが極端に忌避されるような)そういうのから自由になってる必要がある気がするのだけれど、

耽美趣味の延長なのかなあ。自分は男じゃないしBLも基本的には得意じゃないので、やっぱりよくわからない。

ただ、性というのはどこまでも非対象なのだな、という感慨はある。

2012-06-09

ホモじゃないけど、女×女より男×男が美しいと思う

古典小説での愛の形は、不倫同性愛が多い気がする。

やはり、結ばれない恋だからなんだろう。

どんなに純な愛にみえても、結婚は政略やビジネスの要素を排除出来ない。

ケースによって100パーセントか、10パーセントか、1パーセントかの違いこそあれ、ゼロには出来ない。

から結婚につながらない愛の形は美しい、のだと思った。

ところで、男×男はよくあるが、女同士はまったくと言っていいほどしらない。

エロスは感じる。

それは認める。

ノルウェイの森少女レイプされるピアノ教師の描写はエロかった。

しかし、あれをメインに物語に出来るとは思えない。

やっぱり、話として美しいのは男×男だ。

悩める女に、別の女がしゃしゃってきても、傷の舐め合いか悪口かエロだけで、耽美性がない。

2012-05-31

http://anond.hatelabo.jp/20120531114646

そして、あなたがふだん聞いているJ-POP。それは何年か前にクラブシーンで生まれた実験的な試みが、回りまわってわかりやすい形で聴きやすくなって流通されるようになった結果かもしれない。

その結果がAKB? ならそんなもんはいらねーよ。

まず「芳醇な音楽」みたいな鬱陶しい耽美語やナルシシズムまみれの体言止めをやめろ。法律という形で社会に訴えたいなら,自己愛だけではなく共通価値を語れ。風営法が改正されようと維持されようと俺の生活には直接影響ないが、改正派の言葉かいにはゾッとする。

2012-05-05

http://anond.hatelabo.jp/20120427102104

ジュネと聞いたら少年愛しか思いつかなかった。

(参考:http://ja.wikipedia.org/wiki/JUNE

美しい妻と恵まれた社会的地位を持ち過不足のない人生を送っていた男が中年期に差し掛かり、ふと心の空隙を見出す。

そんな男の前に現れたのがジュネだった。

いま、危険な愛に目覚めて…(小説JUNEキャッチコピー

みたいな往年の耽美小説的展開かと思ったらただのコピペ改変だった。

2011-09-01

バンドメンバー募集昨今

too young to rock'n roll,


当方Vo./Gu. 全パート募集。完全プロ指向。ここから伝説生まれる。

耽美と倒錯/エロスタナトス/赤く染まる世界

X・COLORZI:KILLROUAGECRAZEAIONBY SEXUAL 等好む

募集パート募集人数募集条件など 
Gu. 2 聖しい翼を持つ二人よ…我が下へ集え (初心者・冷やかし不可) 当方Gu.はまだ初心者なので正しくサポート出来る人限定
Ba. 1 剣の重さに耐えられるか…?力無き者は去れ! (初心者・冷やかし不可)
Dr. 1初心者・冷やかし不可
メイク2世界をしっかりと理解出来る人限定。面接テストあり
マネージャー1 遊びじゃない事をわきまえてしっかりとバンドサポート出来る人。面接あり
ローディ 1初心者・冷やかし不可

 何か一言:  無個性お断り。初心者・冷やかし不可。力無き者は去れ!

too old to die.


ども!吉祥寺で酒屋やってるShunって言います!昼は一升瓶・夜はギターと一升瓶持ってます!(笑)

Doors・村八なんかの音カッコいいっすよね!まあバンドは基本なんでもOKです!(笑)

とにかく、皆でワイワイ楽しいしましょう! リクエストがあればパンテラAKBまで何でも弾いちゃうよ!(笑)

募集パート募集人数募集条件など 
ボーカル1お酒飲める人がいいっすねぇ。性別・経験なんでもあり!いっちょ歌ってやるかって(笑)、お気軽に!
ベース1 ブリッブリした太~いグルービィなの大好きです!いや、初心者も大歓迎!楽器は何本かあるので貸し出しもOK!
ドラム1 16叩ける人がいいな…とか言ってホントは俺が一番分かってない!(笑) あ、家近い人だと何かと楽ですよね!(笑)
ピエール1 (※またはジェームス小野田) ブッキングだけは数組めちゃうんで・・・ステージ出来る人いればなって・・・

 何か一言:  やっぱ家近いといいっすよね~。美味い酒卸してる所紹介します!



時間の流れは凄いです

2010-07-01

白泉男子非オタ彼女00年代花ゆめ世界を軽く紹介するための10本

http://anond.hatelabo.jp/20080721222220より。

http://anond.hatelabo.jp/20080726023345を受けて。

まあ、どのくらいの数の白泉男子がそういう彼女をゲットできるかは別にして、

「オタではまったくないんだが、しかし自分のオタ趣味を肯定的に黙認してくれて、

 その上で全く知らない花ゆめコミックス世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」

ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、2000~2009年花とゆめコミックスのことを紹介するために

見せるべき10本を選んでみたいのだけれど。

(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女に花ゆめを布教するのではなく

 相互のコミュニケーションの入口として)

あくまで「入口」なので、時間的に過大な負担を伴う20巻、30巻越えの漫画は避けたい。

できれば巻数1桁、長くても既刊10巻にとどめたい。

あと、いくら花ゆめ的に基礎といっても時期がずれすぎるものは避けたい。

テニス好きが『しゃにむにGO』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。(連載開始が98年だから)

そういう感じ。

彼女の設定は

花ゆめ知識はいわゆる「花ゆめ黄金期」的なものを除けば、ドラマ版「ガラスの仮面」程度は見ている

サブカル度も低いが、頭はけっこう良い

という条件で。

まずは俺的に。出した順番は実質的には意味がない。

オトメン乙男)(菅野文

まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「オトメン以前」を濃縮しきっていて、「オトメン以後」を決定づけるだろうという点では

外せないんだよなあ。長さも既刊10巻だし。

ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。

このトキメキ過多な作品について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報彼女

伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」試験としてはいいタスクだろうと思う。

神様はじめました鈴木ジュリエッタ)、セーラー服にお願い!田中メカ

アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうな花ゆめコミックス(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのもの

という意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには

一番よさそうな素材なんじゃないのかな。

「白泉男子としてはこの二つは“神漫画”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。

ちょっと江戸まで津田雅美

ある種の歴史漫画オタが持ってる江戸への憧憬と、ゆるゆるのオタ的な架空歴史へのこだわりを

彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにも津田雅美

耽美的なかわカッコよさ」を体現するソウビ

耽美的に好みな女」を体現するミッシェル

の二人をはじめとして、オタ好きのするキャラ世界にちりばめているのが、紹介してみたい理由。

ガートルードのレシピ草川為

たぶんこれを見た彼女は「どろろだよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。

この系譜の作品がその後も続いていること、これが単行本では収録順大変更になったこと、

少年漫画なら能力バトルになって、頭脳戦が展開されてもおかしくはなさそうなのに、

少女漫画でそういうのがつくられないこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。

金魚奏(ふじつか雪)

「やっぱり恋愛は障害を乗り越えるものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「赤髪の白雪姫

でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この作品にかけるふじつか雪の思いが好きだから。

断腸の思いで伸ばしに伸ばしてそれでも全2巻、っていう尺が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、

その「続ける」ということへの諦めきれなさがいかにもオタ的だなあと思えてしまうから。

金魚奏の短さを俺自身は短絡とは思わないし、もう伸ばせないだろうとは思うけれど、一方でこれが

美内すずえ魔夜峰央だったらきっちり未完の大長編にしてしまうだろうとも思う。

なのに、各所に頭下げて迷惑かけて2巻に収めてしまう、というあたり、どうしても

自分物語を形作ってきたもの膨らませきれないオタク」としては、たとえふじつか雪がそういうキャラでなかったとしても、

親近感を禁じ得ない。作品自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。

蛍火の杜へ(緑川ゆき

今の若年層で蛍火見たことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。

夏目友人帳よりも前の段階で、緑川ゆき哲学とか漫画技法とかはこの作品で頂点に達していたとも言えて、

こういうクオリティの作品がLaLaDXでこの時代に掲載していたんだよ、というのは、

別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなく白泉社好きとしては不思議に誇らしいし、

いわゆる夕方再放送アニメでしか夏目を知らない彼女には見せてあげたいなと思う。

キラメキ☆銀河町商店街ふじもとゆうき

ふじもとゆうきの「目」あるいは「絵づくり」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。

「終わらない群像劇を毎日生きる」的な感覚がオタには共通してあるのかなということを感じていて、

だからこそアニメ版学園アリス』最終話は「俺たちの学園生活はこれからだ」以外ではあり得なかったとも思う。

「祝祭化した日常を生きる」というオタの感覚今日さらに強まっているとするなら、その「オタクの気分」の

加速剤はキラメキにあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、

単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。

白磁モリエサトシ

これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。

こういうフェティシズム風味の愛欲をこういうかたちで漫画化して、それが非オタに受け入れられるか

気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。

桜蘭高校ホスト部葉鳥ビスコ

9本まではあっさり決まったんだけど10本目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的にハルヒを選んだ。

オトメンから始まってハルヒで終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、アニメ化から始まるハルヒブームの先駆けと

なった作品でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい作品がありそうな気もする。

というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10本目はこんなのどうよ、というのがあったら

教えてください。

「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。

こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。

2010-06-08

http://anond.hatelabo.jp/20100608144638

料理本の近くに代替療法スピリチュアル自己啓発の本がある。

手芸本のそばに結婚出産子育ての本がある。

購入層のマーケティングの結果です。

画集の隣に18禁コーナーがある。

サイズ&陳列方法の問題です。

画集のサイズが大きい限り壁際ですし、18禁である限り壁際です。

欲しい漫画の並びに耽美ものや BL コミックがある。

こちらも購入層のマーケティングの結果です。

否定したいかもしれませんが、漫画なんぞ読んでれば同類です。

残念でした。

ちなみに、極端なコンプレックス経験さえなければ

いちいち気にしないのが普通ですけどね。

元増田さんが多感な中学生以下の方とかなら別ですが…

ここがヒステリックアグネス的な女になるかの瀬戸際ですよ。

書店レイアウトもやもやし、諦めること

料理本の近くに代替療法スピリチュアル自己啓発の本がある。

手芸本のそばに結婚出産子育ての本がある。

画集の隣に18禁コーナーがある。

欲しい漫画の並びに耽美ものや BL コミックがある。


いやいやいや、違うんですよ。「幸せになる○○の法則」とかが欲しいんじゃないんですよ。

この年でできちゃったから慌てて出産準備雑誌を探しているんじゃないんですよ。

エロ本が見たいけど周りの目が気になるからって日本美術史を抱えているわけじゃないんですよ。

や、確かに購買層とかレイアウト考えるとそーなるのも分かるんですけれど。

誰が何を買ってるなんて誰も気にしてないのも分かってますけど。


きっと他の趣味を持つ人も、同じもやもやを味わっているのだろう。

外から見たら一緒くただろうし。

どうしようもないんだよな、と諦めつつ本屋をさまよう夏の夕。

2010-05-10

戦争を美しいと感じてしまうことへの罪悪感

が、ふつりと沸いてきた。浮かんできたわけなのです。

まあ、戦争といっても、戦争を写し取った画像なり映画なり小説なりに対してなんですけれども。

リアリティに溢れまくった擬似的戦争耽美な儚さだとか主義主張の清廉な愚直さを見て、なんだか感動してしまうのです。

つまりは、消費文化として、戦争を見てしまっている。悲劇を楽しんでいる。

オデュッセアだったっけ? 戯曲でも昔から悲劇が描かれ、それを消費しているのが人間なのだから今更な考えなのかもしれないけれど。

消費する生き物としての在りようが、なんだか歯がゆい

2010-03-22

神学校にて聖職者少年性的虐待

聖職者少年性的虐待 ローマ法王が謝罪

http://www.asahi.com/international/update/0322/TKY201003210280.html

ローマ法王ベネディクト16世は20日、アイルランド聖職者が長年にわたって神学校男子のみ)の生徒や男子信者らを性的虐待していたことについて、「被害者が受けた苦痛を本当に申し訳なく思う」と謝罪する書簡を発表した。

もう一回読んでください。(男子のみ)です。

少年!教師!神学校

ストライクじゃないすかこれ。

少年先生…こんなこと…もうやめてください…」先生「いけない子だなぁ。まだお仕置きが必要なようだね」

どこぞの三文耽美小説にありそうな話が現実に!!

2010-03-10

The Pogues - Fairytale of New York

BSベストヒットUSA見てたらポーグスかかっていたので季節はずれだけど

「Fairytale of New York」が聴きたくなって聴いてる。

ちょうど雪だし、これはこれでいいのか。

探すために検索したら、あのきれいで耽美人形会社が出てきた。

間違えてボークスって入れたのか?

今ポーグスで検索したらバンドが出てくるし。

とりあえず名曲。

2010-01-19

大槻ケンヂ清春の哀しい思い出

大槻ケンヂの名を聞くと、必ず思い出す話がある。

SADS清春黒夢を名乗り、まだばりばりのビジュアル系デビューもしていないころの話だ。音楽雑誌リレー企画で、対談相手を指名する機会を得た清春は、かつてから大ファンだったという大槻ケンヂを指名する。当時のアーティストとしての格は大槻の方がはるかに上。デビュー前の黒夢とは雲泥の差があった。大槻には、得体の知れないインディーズバンドからの指名を断る自由があっただろう。それでもなお快く指名に応じた理由を、大槻は対談記事冒頭で述べている。

その理由はざっくりまとめると、「アルバムタイトルを聞いて、こんな類い希なるギャグセンスを持っている人に会いたくなった」だったと思う。

それは黒夢インディーズリリースした「中絶」「生きていた中絶児」「亡骸を…」3部作のことなのだが、この大槻の発言の後、つまり挨拶直後の冒頭から清春言葉が重くなり、テンションが目に見えてダダ下がりしていくのである。

そう、清春はこれらのタイトルを至極大真面目につけていたのだ。当時の清春は「歌詞は全て体験談」と常日頃から言っており、3部作タイトルも別れた恋人に「あなたには本当なら×歳になる子供がいたはず」と報告されたことに端を発すると公言していた。そんな若さも手伝って耽美まっただ中であった清春にとって、尊敬する大槻からギャグ扱いされたショックは察するに余りある。記事からにじみ出る清春の狼狽ぶりに、私たち読者は「天然の人って怖いなあ」という恐怖にうち震えたものだ。

それ以来、大槻ケンヂを見かけるたびに、問答無用清春とのこの哀しい思い出を蘇えらせてしまう。おそらく私の脳内で、最もどうでもいい記憶のうちのひとつなのだろうと思うが、ここまで覚えているということはきっと一生忘れないだろう。清春ごめん。

2009-11-09

肩書きが欲しい

肩書きというか「ラベル」「アイデンティティー」「ポジション

表現が難しいがそういう物が欲しくなった。

というのは、今までに何度かオフ会、または同人誌即売会後の打ち上げなどに参加してきた。

特に後者なのだが、基本知り合いのサークルの手伝いで行って、その打ち上げに参加するという形が多い。

その時の打ち上げに参加する人は、ほぼサークル参加者だ。

だから大抵「○○というサークルで活動してます××です」といい、

自分の本や名刺などを他の人に見せたりする。

この時点で、この人は「○○というサークルの人」「こんな絵を描く人」として

他の人には認識される。(失礼な言い方だが)その絵が上手いか下手かは関係なく。

ところが私には何もない。

ブログをやっているわけでも絵を描いているわけでも楽器演奏できるわけでもない。

平凡とありがちいうのを絵に描いたような人間、モブキャラだ。

(いや昨今のモブキャラでももうちょっと個性がある)

だから、自己紹介も特に言うべきことがないのだ。

まあ、それなりにアニメを見たり漫画を読んだりはする。

しかし、オタクの集まりの打ち上げでそんなことがいったい何の自己紹介になるのか。

「私は人間で、呼吸をしています」

というのと大差ないんじゃないかと。

ちなみに、ブログ(日記)は昔ちょっとやったが数週間でやめた。

絵や楽器も挑戦しようとして飽きてやめた(この体験自体も所謂「ありがち」なこと)

胸を張って誇れるモンが 自分にどんだけあるのかって?

名前誕生日と キュートな指紋ぐらいあれば充分だろう

そいつを さぁ 精一杯の大口耽美(たんび)に語ればいい

     BUMP OF CHICKENグロリアスレボリューション」


大口をたたけるような自信すら、私には、ない。



余談だが上記の文章を増田に書こうとしてログインすると

ちょうど2年程前ニュアンスさえ違えど、似たような悩みを増田に書いていた。

どんだけ成長無いんだ私。

2009-03-18

腐女子をめぐる状況

最近はてブとかの流れからまとめてみた。

ぶっちゃけあまり腐業界に詳しくないので、ツッコミどころ多いと思う。

A.腐女子自意識(なるべくひっそりやりたい)

  1. 性や欲望に関わる自意識からの羞恥
  2. 耽美系文化から続く、背徳と「乙女秘密」の美学(理解されたくない派?)
  3. 二次創作・ナマモノの場合、元ネタに対する後ろめたさ(身勝手な消費の自覚。腐ってる私達ゴメンナサイ!でもやめられない禁断の蜜!)

B2接続

B.非腐女子からの抑圧の内面

  1. オタク一部含む、非腐女子からの蔑視
  2. 腐女子自虐と反発(A→「腐」意識確立

B2同性愛嫌悪(「キモイ同性愛妄想してる私達腐ってる!やめられない禁断の蜜!)

→「腐女子とは叩かれるもの」「一般人は腐をキモイと思うのが当然」「不快にさせないようこちらが気遣うのがマナー」→内面化完成 

C.腐界内の葛藤(B2を少しだけ突っ込んでまとめた)

  1. B1への自衛反応(どうせ叩かれるならおとなしくするのが利口)
  2. 内部対立による分断化(対立や相互不干渉で「腐」の共通意識薄れるor元から共通意識ない?)

→外部からの「腐女子」というレッテルに対する「連帯責任意識

 「空気読めない奴は腐全体にとって害悪

 やおいBLを嗜好するという共通点しかなく内部はバラバラだが、外から見れば同じ。

 助け合うことができず、責任のなすり付け合い(あのジャンルは厨ばっかり、今はあの界隈が目立ってていい迷惑、みたいなやつ)や「お前ら、分かってんだろーな」という牽制が強まる

(おそらく非腐である女オタク腐女子を嫌っている?のは同じような流れか)

D.更に分断される「腐」意識(今多分このへん)

  1. 「隠れない」腐女子及び腐男子台頭など
    • よく知らない。ネット世代?or隠れない人は昔から一定数いた?
    • 腐男子ってわりと堂々としている気がする(イメージ。根拠無し)
  2. 「語る」腐女子、「語るべからず」規範との衝突
  3. 「隠れ」腐女子腐女子ブームに抑圧を深める

→更に深く潜る層と、オープンな層に分かれていく?



脚注記法ダメなんだね…

女性が欲望の主体になるのをキモがる件。

ニコ動アニメ動画に、本編の1シーンを加工して男性キャラの「頬を染めた」ものがあった。

そこに「キモいサムネイル見せんな!検索にかからないようにするか無難サムネイルにするくらいの配慮をしろ!」という批判(というか…もう少し乱暴な感じだったが)を多数見かけたことがある。

内容は特別萌え動画でもないネタ動画だったようだけど、BLでもないものにそこまでの反応をするっていうのは「男性に向けられる欲望そのものが気持ち悪い」のかと思ったんだが、よくわからない。

2009-01-21

http://anond.hatelabo.jp/20090121101155

一次創作やおい耽美とかJUNEとかBLとか色々呼称があるけど)が好きな人も居るけど

所謂「おたく」界隈では昔は目立たなかったしね。

やおいと言えば二次創作が主だったし、二次ならその元となる作品アニメ漫画ゲーム・芸能etc…)が別にあるわけで

昔は創作物をやおいと呼ばなかったから、変な感じがする。

創作物>JUNE/BLジャンル

二次物>やおい

今では、創作物、二次物、ごっちゃまぜに「やおい」「BL」って呼ぶようになったが

昔はやおいは二次が云々…ってのはおかしい。そもそも二次しかなかったんだから。

ちなみに自分同人入った時代は土地柄もあるだろうがオールジャンル

一次創作物:二次の退避は3:7

一次健全:男向け:BLの比率は5:0:5

二次物健全:男向け:やおいの比率は6:2:2

だった。

むしろ、一次創作耽美JUNE系がどーんと構えてて、

二次やおい系はこそーっと活動してた。

やおい系「だけ」で活動してるサークルは、委託大手くらい。

古過ぎる話だって事は分かってる…

http://anond.hatelabo.jp/20090121092141

腐女子って言葉はそんなに歴史はないんじゃないかなぁ。

BLについては「お耽美モノ」というのがはるか昔からある。

2009-01-09

http://anond.hatelabo.jp/20090109093118

これだと、自分は「年末年始だろうが生活苦しいなら働くだろう」側なんだろうな。

もし、年末年始仕事があったとして、そこで働きたくても、

#そういう仕事を見つけられる能力があるか

#そういった環境ネットとか)があるか

ということも関係してくるね。

そういった問題を解決しなければならないのは政治の責任だし、政治に出来ていないことを補完することも派遣村をやったNPOがしてもいいんじゃないかとも思った。

だから、できれば年末年始限定の仕事を紹介するような場所を、行政が用意すれば今回のように派遣村叩きや派遣村叩き叩きもなかったんじゃないかな。いや、そもそも派遣村自体なかったかもしれない。

けど、「年末年始くらい休むのが常識・働く仕事は選ばせろ!」という人たちがいるとするならば、例え年末年始ハローワークがあったとしても派遣村はあっただろう。

そして、そういう人たちは残念ながら性根が腐ってるとか努力が足りないとか甘いとか言われてもしょうがないと思う。

大抵、そういった社会人に成りきれてない人は、そのへんの簡単な例えば飲食店アルバイトですらすぐ逃げ出すんじゃないかな。

もしくは、他の同僚から「なんであの人あんなに仕事しないのに同じ給料なんだ!」って周りからの雰囲気や圧力で辞めさせられることになるとか。

例え能力の大して要らない仕事でも、そういう性根の部分で辞めさせられる、仕事が長続きしないってのは結構多いんじゃないかと思う。

そういった人が本当に居るならば、最低限の生活ができるセーフティネット以上の待遇が与えられるのは、一般の社会人からすると納得できないだろう。

そして、さらに「派遣切りとか、自分が落ちぶれたことは社会のせいだ、政治のせいだ」だなんてデモされたら、さらに納得できないだろうね。

あくまでも努力できない人の場合だけども。そもそも、努力できる社会人な元派遣労働者ならば、そういう責任をすべて政治のせいにはせず、年末までになんらかの準備をしていたんだろうし派遣村にいなかったとも思う。

外的要因で落ちぶれてしまったけど働きたい、生活のために働きたいって人も、とりあえず仕事ができれば多少給料低くても、多少辛くても働きたいってなら、人手が足りてない業界でいくらでも就職できると思う。

だから、そういう本当に人手が足りてない業界と働きたい人を結びつける仕組みがまず大事だろう。

人手が足りてない業界がある→そういう業界ブラック企業だからそういう企業で働け、というのはどうか。という論調は、実際に今そういう企業で働いている人たちへの侮辱のようにも思える。もちろん、ブラックを擁護する気は毛頭無い。前述した飲食業なんかの名ばかり管理職なんかはあり得ない。

そういった所で働く能力がないのならば、そういった能力を教える仕組みが必要だ。

しかし、性根の部分とかで社会人に成りきれていない人には、そういうシステムじゃなくて、「働く」ということはどういうことかを教える仕組みが必要だ。

ただ、若い人ならまだしも、40、50超えた人を矯正するのは困難だ。金も時間もかかる。高いコストがかかる。

結局、社会人に成りきれていない大人たちを矯正するのは難しい。むしろ、無理なんじゃないか。人間って40、50歳超えてもそういう性根って変わるもんなの?(心理学とかわかるひと教えてください。)

こういう言い方すると差別だとか、弱者いじめだ、とか言われそうだけど、ある意味そういう性根が腐っているというのは、精神病だったり障害と同じようなもんだと思う。仕事とかの生産性も同じくらいじゃないかしら。(障害者差別をしているわけでも、したいわけでもないです。そこはわかってください。)

で、生まれもって障害を持つ人や途中で発症した人を保護する政策は誰も文句言わないし、むしろそういう社会を作りたいと思っているんだと思う。

だけど、30年40年50年という人生において、そういった性根になった人たちにに、多くの税金を投入してもいいか、と言われると多くの人はイヤだと言う、と。


と、こんなこと書いてきたけど、すべて「努力する気がないって人がいて、そういう人が派遣村に(一部だとしても)いた」という仮定の話が前提にあります。

で、そういう仮定だった場合の状況を想像している話です。

努力する気がない人なんていない」っていう耽美的な事言われたらそれまでのエントリ

個人的には、そういう人は結構居るんだと思う。

そして、そういう人が生まれてしまったのは=「社会が悪い」という責任転嫁じゃなく、その人自身の責任も半分くらいはあるんじゃないかなーと思う。

まあ結局何が言いたいのかよくわからんエントリになってしまったな。

2009-01-05

SM歴10年だが、声高に言いたい。本当のSMは世間一般で認知されているよりも耽美的なものだ。

現在世間で「ドM」「ドS」といった単語でチャラけてもてはやされているものは、

単に、「暴力を与える側」と「暴力を受けながら黙認する側」の双方が互いに自己正当化しあってるに過ぎない。

言うなれば、暴力正当化するための道具としてSMが使われてしまっている。

2008-12-24

http://anond.hatelabo.jp/20081224182336

でもBL出してるぞ?コバルトなんて大々的に「BLフェア」とかやってる。

これで除外したら、「BL以外も出してるからって巨大出版社を排除するな!」とか言うんじゃないのかww

http://anond.hatelabo.jp/20081224182701

そこで男性向けに合わせられると難しいな。

それぞれ戦略も文化も違うわけだから。

コバルトもX文庫もパレットも、比較的少ないとはいえ、エロありBLを出してるし、

コバルトなんて上記のとおりBLフェアとかやってる。

男性向けはレーベルが比較的綺麗に別れてるけど、女性向けは綺麗には分けられないんだよ。

売り方の違いとでもいうか、歴史の違いとでもいうか、BLと非BLがかなり混じってる。

少なくとも部数として無視できるレベルじゃない冊数出してるのは確か。

個人的には、レーベルもあるけど「BL作家の書いた、男性同士の恋愛小説エロもあるでよ)」がBLかな、と思っている。

再帰定義になってるけどww 

BLレーベル以外でも、BL作家男性同士の恋愛メインに書いてたらBL、ってことね。

あくまで個人的定義だけど。

ちなみに、件の図書館コバルト文庫とか女性向けラノベレーベルの、男性同士の恋愛がまるで入ってない本だの、

栗本薫耽美小説だのも「BL」認定して書庫に入れてる。

図書館の「5500冊」について争うなら、これらを除外するのは逆におかしいことになるね。

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