大槻ケンヂの名を聞くと、必ず思い出す話がある。
SADSの清春が黒夢を名乗り、まだばりばりのビジュアル系でデビューもしていないころの話だ。音楽雑誌のリレー企画で、対談相手を指名する機会を得た清春は、かつてから大ファンだったという大槻ケンヂを指名する。当時のアーティストとしての格は大槻の方がはるかに上。デビュー前の黒夢とは雲泥の差があった。大槻には、得体の知れないインディーズバンドからの指名を断る自由があっただろう。それでもなお快く指名に応じた理由を、大槻は対談記事冒頭で述べている。
その理由はざっくりまとめると、「アルバムタイトルを聞いて、こんな類い希なるギャグセンスを持っている人に会いたくなった」だったと思う。
それは黒夢がインディーズでリリースした「中絶」「生きていた中絶児」「亡骸を…」3部作のことなのだが、この大槻の発言の後、つまり挨拶直後の冒頭から清春の言葉が重くなり、テンションが目に見えてダダ下がりしていくのである。
そう、清春はこれらのタイトルを至極大真面目につけていたのだ。当時の清春は「歌詞は全て体験談」と常日頃から言っており、3部作のタイトルも別れた恋人に「あなたには本当なら×歳になる子供がいたはず」と報告されたことに端を発すると公言していた。そんな若さも手伝って耽美まっただ中であった清春にとって、尊敬する大槻からギャグ扱いされたショックは察するに余りある。記事からにじみ出る清春の狼狽ぶりに、私たち読者は「天然の人って怖いなあ」という恐怖にうち震えたものだ。
それ以来、大槻ケンヂを見かけるたびに、問答無用で清春とのこの哀しい思い出を蘇えらせてしまう。おそらく私の脳内で、最もどうでもいい記憶のうちのひとつなのだろうと思うが、ここまで覚えているということはきっと一生忘れないだろう。清春ごめん。