当選しなきゃ無職、しかも立候補して活動するにはその間通常業務ができなくてサラリーマンには無理。
だから資産に余裕のある人(芸能人)や、仕事をしなくても成り立つ人(主婦)なんかが立候補しやすい。
文句があるなら立候補しろってことになっちゃってわりとどうしようもない。
しかも大抵の愚民は知っている人(芸能人とか顔が売れている人)に投票するから政治的な能力があっても勝てない。
その辺のシステムは変えるべきだと思っているが正直なところ代案が思いつかなくて訴えることもできない。
自分にとっての質の良い文章を求めるのならば、自分の基準で判断すればいい。
では、不特定多数の人に対して、文章の中から質の良い文章を提供することを考える。
例えば、誰もが等しく文章の質の良し悪しを判断できるのであれば、どこかの誰かが判断すれば、
それは全ての人にとっての質の良い文章になる。
まあ、それはありえないだろう。根拠はこの辺にしとく。私だって判断できない。
http://anond.hatelabo.jp/20100509122508
理由その二。人間は相手の頭が良すぎるとその人の頭の良さを理解できないから。
だとすると、質が良いと感じる文章は個々人に差があることを意味する。
また、文章の中から正確に質の良い文章を選りだす機械があったとして、
フェルマーの最終定理やら何やら難しい論文でも質の良い文章と判断するだろうこの機械は、
不特定多数の中の人の一人と等しいと考えられる。個々人に差があるためである。
人を全て集めて文章の質を求めさせ、全員が質の良い文章と判断すれば、
それは誰にとっても質の良い文章となるが、現実的に不可能だし、全く文章が残らない可能性もある。
妥協して、300人ぐらいの人に求めさせれば、1万人程度の人にとっては、おおよそ質の良い文章となるかもしれない。
しかしその文章の質が良いと、自分が判断するかどうかは別問題。
そこは靴下と床がこすれるタイミングやコツがあるんでしょうね。
あの足音はかわいい存在以外が発すると不気味になってしまうので
芸風によって向き不向きもあると思います。
担任にしろ校長にしろ、何かを言いに行くときには冷静で相手に分かりやすくを心がけるようにな。
少なくとも元増田の文章は、「水からの伝言」憎しのあまり、誤解を招きかねないものとなってる。
問題なのは、「うざい、だるい」という言葉を使ってはいけない理由が「自分に返ってくるから」になること。この時、私と母は「じゃあ、ありがとうって言葉を使うと、ありがとうが帰ってくるということかな?」と対応しました。偏った価値観を持ってほしくないという思いからのものです。「ありがとうって言ったらそれも自分に返ってくる、だからありがとうをみんな言おうねって先生が言っていた」と弟が返答してくれるかと期待しましたが「う、うん…」と言葉に詰まってしまうのでした。
最初に見たとき、元増田と母親が「自分にしてほしくないことは、相手にもしない」という基本的な道徳を、「偏った価値観」と言っているように見える。相手に誤解されて「モンペがネチネチと細かいこと言ってきたよ」とか思われたら損でしょ?
怒るべきは民衆の無知さだよ。
何か才能があると、完全無欠の超人のように見えてしまう。
有名人なら名言吐くに違いない、頭がいいに違いない。そういうのが全てをダメにする。
しかし、有名人立候補禁止みたいなことは絶対に出来ないだろうから、これからは普通の人にもタレント性が求められていくんだろうね。
ポピュリズムの弊害?いや、そんなもの昔からあるし今更騒いでもしょうがないか
足の動かし方がポイントなんですか。
右足が沈む前に左足を出して、左足が沈む前に右足を出せば
水面の上を歩けるという技術に通じるものを感じました。
水からの伝言というのをご存知でしょうか
水にありがとうなどの良い言葉をかけるときれいな結晶ができ、反対にばかやろうといった悪い言葉をかけると汚い結晶ができるという、そういった類のものです
この水からの伝言を、道徳の授業で扱う先生がいるという問題は、少し前にネットで盛り上がったかと思います。実際にはそんな先生の話を聞いたことがなかったのですが、最近小学生中学年の弟がこんな話を私と母の前でしてくれました。
「うざいとか、だるいという言葉を使うとそれは自分に返ってくるんだって」
いきなりこんな話を弟にされ、非常に困惑しました。なんと一方的な思考をしてるんだろうと。聞くと、担任の先生から言われたことだそうな。
問題なのは、「うざい、だるい」という言葉を使ってはいけない理由が「自分に返ってくるから」になること。この時、私と母は「じゃあ、ありがとうって言葉を使うと、ありがとうが帰ってくるということかな?」と対応しました。偏った価値観を持ってほしくないという思いからのものです。「ありがとうって言ったらそれも自分に返ってくる、だからありがとうをみんな言おうねって先生が言っていた」と弟が返答してくれるかと期待しましたが「う、うん…」と言葉に詰まってしまうのでした。
そしてその話の後に「水からの伝言」が弟から話されるのでした。私はつい熱くなってしまい「そんなこと嘘に決まってるだろう、科学的にありえないことなんだよ」といった悪態をついてしまいました。今はとても反省しています。そんな言い方をしても小学生の弟に分かるはずがないのです。今は冷静になり、ネットで水からの伝言の資料を探して読んでいます。
非常に憤りを感じてしまいました。
弟に「誰がそれを確かめたの?本当にそうなの?」と聞くと弟は「だって見たもん、学校で見せてもらったもん」と言います。子供にとって先生は正しい存在なんですよ。だから、その先生が話したことは正しいことになるんです。
母も私同様の思いを持ってくれています。直接その先生に言っても変わらないだろう、校長先生など上の方に言わないと、と母は考えて行動してくれようとしているので一先ずは安心しています。
久しぶりに好きな人ができた。久しぶりに胸が痛い。
でも明日が来るのが待ち遠しい。会いたいから。
仕事も俄然やる気が出ている。
だから、いいのだ。
だから、片思いでもいいのだ。
その人には好きな人がいる。なんで知っているかというと、そんな話をしたからだ。
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応援していれば、ずっと友達でいられる。
同僚じゃなくて、同僚より仲のいい友達だ。
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その人と話をしたい。どんな内容でもいい。好きな人の話でもいい。
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その変わり、もう少しだけそばにいさせてください。
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見返りを求めてごめんなさい神様。
アニメってけっこう難しいよな。
作画がいいっていうのは、ドラマで言うと俳優がイケメン、美女みたいなことなんだと思う。
ストーリー、作画、演技力、音楽、テンポ、そんなものが渾然一体となってひとつの作品を作るわけで、
その作品が総合的に良ければ売れるんだろう。
売れているものの中で作画が良くないアニメって僕は知らないから、
作画だけ良くても売れないけど、作画が良くないと売れないと思う。
だから
がんばれ、ちょうがんばれ