はてなキーワード: 生殖器とは
少女的な見た目と、人ならざるものの体型に好奇心を掻き立てられる
実に勿体無い
さて、
ラミアの生殖器とはどうなっているのか?
個人的に股間部に人間と同じ性器がついていると言う解釈はイマイチピンとこない
あえて足を蛇のままにしているのであればそこに意味があるのだから、そこに人間らしさを入れる必要性を感じないから
足は進化した末に出来上がるべきであって、人間の性器の形は足が二股に分かた事であの形になっている
蛇腹の中に排泄口も兼ねた穴があり、蛇の雌はクリトリスが2個ついている
蛇の雄はペニスが2個ついているのだから当たり前ではあるが、それを知ってさらに想像力が掻き立てられる
つまり腹の蛇腹がデフォルメされているが、蛇腹を捲ると性器が現れる事になる
つまりラミアの感度2倍と言う事になる
また蛇のペニスは棘がついている
性器が存在するなら、恥じらいという人間的な思考が生まれるだろう
恥じらいが生まれる可能性があれば、それはエロスへと昇華できてしまう
これで眠れそうだ
お休み…
こういうのさぁ、生殖器を失った事を後悔し、子供を産みたいと願う「男性」って一体何?
それってただの女性なんじゃないの?一体何を根拠に自分は男だと思っているの?
ぺニス付き「トランス女性」ばかりが話題になりがちだけど、自称「トランス男性」も含めて、
その性器と生殖に対する異様なまでの執着が、そこらの一般人よりもよっぽど男らしいor女らしいよって思うんだけど
https://note.com/plmakoto/n/n85a1074a95af
浅沼智也
私自身、戸籍を変えれば性別を変えればバラ色になると思っていました。
しかし、健康被害で悩まされています。23歳という若さで生殖器を永続的に欠く状態になりました。ということは、ホルモンが分泌されない状況がずっと続いています。ホルモン療法でホルモンを補給しなければいけない。しかし、ホルモン療法は未だに自費診療なんです。ホルモン療法があまり体に合わないのか、肝機能障害で年に1回入院しています。そして更年期障害にも悩まされているんです。正直言いますと、子どもが産みたいと思っています。しかし、今もう生殖器はなくした状況ですから、子どもが産めない現状です。
特に、出張や帰省で長時間電車にのるときは極力大股開きで座るようにしています。
加えて、飛行機、新幹線、バス、タクシーでも必ず大股開きで座ります。
玉袋が大きいので、太ももの間隔を狭めて座っていると、乗り物の振動がダイレクトに伝わってきます。
結果、吐き気に襲われて途中下車するはめになったことがあります。
それを予防するためになるべく大股開きで座っているのです。
女性にはイメージしづらいことかもしれませんが、男性の生殖器はデリケートで、衝撃に弱くなっています。
遊び半分で蹴られてショック死したという事例が、ネットには沢山載っています。
また、僕は高校生の頃は内気な性格だったので通学では我慢して行儀よく座っていたのですが、
途中で気分が悪くなって床に倒れてしまったり途中下車してホームのベンチで回復を待たなくてはいけなかったりといったことが何度かあります。
さらに、大人になってからも、出張でタクシーの後部座席に男性3人で1時間ほど座ることになったとき、
行儀よく座っていると吐き気がしてきて、途中で車を停めてもらったこともあります。
(流石に股間が振動して気持ち悪い、とは言えなかったので、トイレ休憩ということで停めてもらいましたが)
こうした経験が積み重なってくると、電車で普通に座るのが怖くなってしまいました。
自分の玉袋が大きいことには、子供時代から気がついていました。
なので学生時代の部活の合宿等で浴場へ行ったときには、ひとの玉袋をチェックすることにしていました。
これまで30人以上の玉袋をチェックしてきましたが、僕ほどの大きさの人は一人も見たことがありません。
また、海水浴場へ行ったとき僕はトランクスタイプの水着を着ていたのですが、
さらに、ユニクロで股上が浅めのジーンズがあると思うのですが、あれが入りません。
正確には、物理的には入るのですが、入れた瞬間から常に股間がぐいぐい圧迫されて痛いので、履くことができません。
以上のことから、僕の玉袋は普通の人よりも大きいのだと判断しています。
僕は身長170cm、体重60kgでどちらかといえば小柄な方ですし、童顔でナメられやすいせいか、
大股開きで座っていると「邪魔だ」というような目つきで顔をジロジロとみられることが多々あります。
また、年配の人に行儀よく座りなさいと指摘されてしまい恥ずかしい思いをしたこともあります。
僕がもう少しいかつい外見ならもうちょっと楽になると思うのですが……。
さらに僕が理不尽に感じているのは、太った人への接し方との違いです。
明らかに体重100kgを越えているような巨デブは行儀よく座っていても僕以上のスペースを取っているはずです。
それなのに、巨デブには「痩せろ」と言わないのに、僕に「行儀よく座りなさい」と言ってくるのはおかしくないでしょうか。
理由が理由なので大股開きで座る理由をひとに説明して弁明することができないので、
結局、居住まいを正して最終的に体調が悪くなることが多いです。
なんかGIDの戸籍変更に際して手術要件が撤廃されるされないという話が浮上しているようで、
手術しようかなぁと思い始めたところなので渡りに舟という気分になっている。
どのみち手術を受けるとしても、金銭や海外渡航のハードルがすぐにはクリアできないから可能なら先に変更だけしたいってケースもある。私みたいに。
案の定「男の体のまま『戸籍は女だ』と女湯に入ろうとする輩」を心配する声が多々上がっているが、
正直、「職場その他では男として認識され生活していてプライベートで女装している」ような人であれば、いきなり申し立てをして変更許可が出る可能性はほぼゼロである。
(もちろん女→男でも同じ)
性同一性障害の診断書を、簡単な問診で即日出してくれるクリニックもある、と診断そのものに不審を抱く人もいるが、
仮にその診断書を携えて行ったところでそれだけではまぁまず無理だろう。
よっぽど「理解のある」裁判官に当たればどうか知らないけど、裁判官は医者よりは不親切で差別主義者です。
運転免許証の住所を引っ越しで書き換えてもらうぐらいの気軽さで変えれると思って反対してるんじゃねーかなという人結構いるのよね。
今のところ生殖器の手術が必須だけど、手術したら絶対100%認められるという保証はないんですよ、実は。
実質ほぼ100%ではあるけど、「手術したので変更してください」って届けを出せば受理されるみたいなもんではなくて、
家庭裁判所で裁判官との面談があって、裁判官がOKを出して初めて変更できる。
戸籍や身体と異なるジェンダーで生活するにはまず名前が結構なハードルなんですよ。
会社に勤めたり保険証を使う場面があるかぎり、戸籍名からは逃れられない。
ので、会社の理解を得て通称名を使ったりして、「通称名の使用実績」を数年単位で積み上げて、「その名前で認知され生活していること、改名しても社会的に混乱を引き起こさないこと」を
家庭裁判所の裁判官が認めてくれないと戸籍改名はできない(かなり裁判官の個人的な価値観や先入観が介入する)
何ならGIDを理由にした場合、「君は男/女に見えないからダメ」とかまぁまぁヤベェことを言うクソ裁判官もいる。出生時に親が女児に太郎と名付けるのは法的には問題ないのにね!
改名ですらそこそこハードルなので、例えば「田中大輔」みたいに日本文化がわかれば100人中100人が男だと思う戸籍名で、
「男として認識されるのがつらい、私は女だ」と主張しながら女性名で生活している実態を確認できない人は、
悪用しようとしている場合はもちろん、心底本当に悩んでいたとしても、
手術無しの診断書1枚で性別変更を認められる可能性は、今の日本ではまぁほぼないでしょう。
仮に認められたとして、「女装して女湯入って騒がれたけど警察沙汰は回避できたので会社にはバレてない」みたいにはいかないんすよ、戸籍は。
戸籍って普段全然意識させられないくせに背後で地味に効いてるんで、会社員なら健康診断受けるときとかにまず会社にバレます。
会社や健保に連絡しなければ保険証は変更前の性別のまま知られずに済むだろうけど、女性スペースに入る「印籠」として変更しようと思う人の場合、じゃあ何のために変更したんだって話なので。
てわけで手術要件が撤廃されたからといって悪用のために未手術で戸籍変更しようとしても、現実的には大分無理です、日本では。
でも非当事者が
「戸籍なんて日常では意識しないんだから変えなくても良くない?」
と言うのは結構ムカつく。
戸籍の情報がどういうところで見られて使われてるか意識しなくて済んでるから言えるんだそれは。
めちゃくちゃ金持ちで高級レストランしか行かない人に、「サイゼリヤあるからいいじゃん」って言われるみたいな。違うか。サイゼはおいしいけど。
戸籍名・戸籍の性別は就職・転職のときには確実に会社に知られるし、
部屋借りたり住宅ローン組むときも実は性別情報って見られてるんですよ。
せっかく普通に男だと思われてたのに、急に「元女」情報が相手にインストールされるの本当にだるい。
ちなみに「身体的」な性別は変わらないのに書類上の性別を変えたら医療現場が迷惑するみたいな話は、
患者の故意の虚偽の申告によって過誤が起こっても医師は免責されるみたいな念書はあってもいいと思いますが。
トランスに限らずそういうのはあるでしょ。
とはいえ、ちょっと不思議なのが、性別変更に際して前科(特に性犯罪)を問う項目あるっけ?ってとこで。
そして、この行き詰まりを乗り越えるために、私たちは私たちの種の歴史から何を学ぶことができるのか?
このような問いは、歴史を通じて真剣な思想家や活動家たちを駆り立ててきた。そして今、地球温暖化に直面している私たちは、緊急に説得力のある答えを必要としている。これらはグレーバーとウェングローも問いかけていることであり、本書が人々の注目を集めた理由であることは間違いない。しかし、私たちの多くが抱く3つ目の疑問がある:
意外なことに、グレーバーとウェングローはこの問いに関心がない。第1章のタイトルは「人類の幼年期よ、さらば」である:あるいは、なぜこれは不平等の起源についての本ではないのか」と。
この本の中心的な主張のひとつは、不平等、ヒエラルキー、暴力は、あらゆる人間社会を組織する方法として常にあり得たということだ。不平等以前の時代などなかったのだ、と彼らは言う。そして、「平等」や「平等主義」という言葉を多用するが、平等は空虚な関心事であり、おとぎ話であり、「平等主義社会」について語ることは何も語らないことだと主張する。
これには奇妙な解釈がある。グレーバーとウェングローは、霊長類の祖先や初期の人類が平等であることによって見出した適応、つまり生態学的ニッチについて説明する新しい注目すべき学問を無視している。つまり、かつて人類は平等であったのだから、再びそうなる可能性があるという古典的な無政府主義者やマルクス主義者の見解も無視しているのだ。
保守派の主張は、農耕や都市生活、経済の複雑化の結果として不平等が現れてしまえば、世界を変える希望はないというものだ。グレーバーとウェングローは、農業に関するこの議論に抵抗し、明らかに変化が可能であることを望んでいる。そして明らかになるのは、彼らの敵は不平等ではなく、国家だということだ。
彼らが問うのは、権威主義的、官僚主義的、中央集権的な国家に支配されるようになったのはなぜか、ということだ。そして、植民地主義、奴隷制、階級差別、人種差別、性差別といった不平等が本書の随所に出てくるが、これらは彼らの中心的な関心事ではない。
グレーバーとウェングローが主張する政治的論点は、太古の昔から、人は常に支配と自由のどちらかを選ぶことができたということだ。彼らにとって、人々は彼らが国家支配の「小規模な」行き詰まりから逃れ、「自由な人々」になることを選ぶことができる。
彼らが否定するのは、環境的・技術的な限界によって人々が選択できること、そして選択できることである。要するに、人々は自ら選択した状況で歴史を作るのである。
この立場の見返りは、政治的な意志さえあれば、革命を起こし、コンセンサスを通じて働く民衆の集まりによって社会を運営することができると主張できることだ。どれも素晴らしく、解放的に聞こえるが、その根拠には問題がある。
グレーバーとウェングローはこの本の冒頭で、善であれ悪であれ、「元来の」人間社会が存在したという考えを否定することを目的としている。そのために彼らは、ルソーとホッブズの間で長年続いてきた議論を復活させる。
さらに重要なのは、19世紀の社会ダーウィニズムや、より最近のスターリン主義的な「歴史の段階」理論に対する、彼らの完璧なまでの嫌悪が冒頭に示されていることだ。そしてここでもまた、ジャレド・ダイアモンド、ナポレオン・シャグノン、スティーブン・ピンカーのような進化心理学の現代ホッブズ主義者に対する深い軽蔑を表明している。歴史の段階説も進化心理学も、深刻かつ重要な対象であり、私たちはその両方を共有している。
社会ダーウィニズムと歴史の段階説。ハーバート・スペンサーとルイス・ヘンリー・モーガンの19世紀の社会ダーウィニズムと、それ以降のバージョンでは、最初の人類は原始人であり、次に未開人、野蛮な園芸民と牧畜民が続き、その後に農耕の出現、古代文明の発展、中世を経て近代資本主義社会の夜明けまで続く。それぞれの段階は、道徳的・知的進歩のシグナルであると理解されている。
しかし、社会ダーウィニズムはいたるところに潜んでおり、ほとんどの主流政治思想の醜い礎石であり続けている。そしてそれは、現代の人種差別主義や新植民地主義を支え続けている。
左派を含む多くの人々にとって、グレーバーとウェングローによる段階的な歴史理論の解体は目新しいものであり、啓示と安堵の両方として体験されるだろう。そして、その理由は容易に理解できる。
そして、グレーバーとウェングローの攻撃には、さらなる特効薬がある。彼らはこの本の中で、マルクスとエンゲルスの仕事についてはほとんど何も語っていないが、歴史の段階説を否定することで、伝統的なマルクス主義者の進化論的説明も暗黙のうちに否定しているのだ。
これはフリードリヒ・エンゲルスの著書『家族の起源 私有財産と国家』において最も顕著である。エンゲルスはそこで、人間は平等の中で進化してきたが、農耕の発明によってあらゆる形態の不平等が生まれたと主張した。ここまではいい。
しかし、エンゲルスはその枠組みを、白人差別主義に彩られたスペンサーとモルガンから直接学んだのである。例えば、エンゲルスがなぜ動物の群れを持つ牧畜民が他の未開の民族よりも人種的に優位に立つと考えたのか考えてみよう。
「アーリア人とセム系民族の発達が優れているのは、牛乳と肉が豊富に供給され、特にこれらの食物が子供の成長に有益な影響を与えるからであろう。ニューメキシコのプエブロ・インディアンは、ほぼ完全な菜食主義者であるが、肉や魚を多く食べる野蛮の下層にあるインディアンよりも脳が小さいという事実がある」[1]。
エンゲルスの著書にはそのような箇所がたくさんあり、このように書いているのは決して彼だけではない。
フランツ・ボアスグレバーとウェングローが、このような反感を買うような議論を破壊したいと思うのはまったく正しい。しかし、彼らはあたかも自分たちがそうする最初の一人であるかのように自らを装っているが、これは明らかに違う。フランツ・ボアスは、太平洋北西海岸のクワキウトル族に関する初期の民族誌で、グレーバーとウェングローはこれを大いに参考にしている。
フランツ・ボースは、ユダヤ人フェミニストで、1848年にヴェストファーレンのミンデンという町で起きたドイツ革命の指導者の一人であったソフィー・メイヤーの息子である。1851年までに、彼女の読書グループはマルクスとエンゲルスの『共産党宣言』を読んでいた。
ボースは人類学者になった。カナダではバフィン島のイヌイット族やバンクーバー島のクワキウトル族を現地調査し、最終的にはニューヨークのコロンビア大学の教授となった[2]。
1913年、彼は段階説の人種差別主義を打ち破り、近代人類学の基礎を築いた。ボースは『原始人の心』の中で、「原始人」は誰よりも賢く、賢く、創造的であると主張した。1913年当時、ボースは母親の政治を否定していたわけではなく、ユダヤ人として、またアメリカ先住民の党派として、人種差別を憎んでいた。
ボースは生涯社会主義者だった。母親の影響は、ルース・ベネディクト、マーガレット・ミード、ゾラ・ニール・ハーストンなど、多くの女性人類学者の世代を育てたことにも表れている。ボアスと彼の教え子たちは、人種差別的な段階という問題を、人類の文化の進化について話すのをやめるという単純な決定によって解決した。
しかし、私たちはもはや1913年の時代ではない。1982年、エリック・ウルフの皮肉なタイトルの『ヨーロッパと歴史なき人々』は、反帝国主義、反人種主義、そして歴史を真摯に受け止める人類学の波を起こした。
人類学者は長い間、単純と複雑、野蛮と文明、後進と先進、先進と後退、先進と未開発、高位と低位、世俗と宗教、伝統と現代といった二項対立から滴り落ちる人種差別に敏感に反応してきた。しかし悲劇的なことに、こうした二項対立は、アメリカ先住民の大量虐殺、アフリカの奴隷貿易、白人帝国による植民地支配、そして今日の対イスラム戦争を正当化するために展開され続けている。
人類学者や考古学者たちは、現在、人類の不平等の起源について、まったく妥当な説明を構築している。ケント・フラナリー、ジョイス・マーカス、ジェームズ・C・スコットがその中心人物である。
残念なことに、グレーバーとウェングローは、人類の進化に関する膨大な数の新しい学問に取り組んでいない。これらの新しい研究を無視することで、グレーバーとウェングローは、霊長類の比較進化とヒトの適応に関する、注意深く、そして現在では極めて十分に文書化された議論に逆らうことになる。彼らの問題は、この資料が「オリジナルの」人類社会は存在しないという彼らの主張を覆し、選択についての彼らの議論をむしろ愚かにしてしまうことである。
グレーバーとウェングローは、かつて人類が狩猟採集によって生活していたことを否定はしない。しかし、彼らは環境や人間存在の物質的基盤には深い関心がない。そして、これらの社会が必然的に平等であったことを否定している。
彼らの主張の第一歩は、人類の進化はすべて過去のことであり、当時何が起こったかを知ることはできない、というものだ。すべては推測にすぎない。しかし、これは単純に真実ではない。
過去40年間、科学革命は目覚ましく、人類進化の分野では膨大な研究が花開いた。今では、人間以外の霊長類や霊長類の行動に関する驚くべき新しい研究、初期人類に関する新しい考古学、近現代の狩猟採集民に関する新しい民族誌が数多くある。
化学的微量分析、DNAサンプリング、放射性炭素年代測定、質素な家庭での忍耐強い考古学のおかげで、私たちは先階級社会、そして初期階級社会に住んでいた人々について多くのことを学んだ。私たちのヒーローの中には、読み応えのあるクリストファー・ボーム、フランズ・デ・ワール、R・ブライアン・ファーガソン、サラ・フルディ、マーティン・ジョーンズ、ローラ・ライヴァルの広範な出版物がある。
このような研究は、人類の進化と人類史の研究を一変させつつある。その出発点は意外なものだった。私たちは平等になることで人間になったのだ。これは驚くべき貴重な洞察である。しかし、それはグレバーとウェングローの説明の根幹を突く洞察である。
現在、さまざまな類人猿やサルを対象とした何十回もの長期野外調査プロジェクトによって、それぞれの種について、特定の複雑な適応が、特定の環境で生き残ることを可能にしていることが明らかになっている。その適応には、主食、悪い時の代替食、脳、手、足、胃、歯、生殖器、うなり声、歌、支配関係、共有関係、子育て、攻撃性、愛情、毛づくろい、群れの構造がどのように組み合わされているかが詳細に含まれている。[これが基本であり、人類の進化を理解するための私たちの方法でもある。
時を経て、新しい適応のいくつかの部分が組み合わさって、現代人が誕生した。要するに、初期の人類はちっぽけな霊長類だったということだ。生き延びるためには、肉や野菜を共有し、育児を共有し、性的な喜びを共有することを学ばなければならなかった。そのためには、いじめっ子を懲らしめ、霊長類の祖先が持っていた支配階層を超越しなければならなかった。そして少なくとも20万年もの間、彼らは男女も平等である平等主義的な社会で生きてきた。
人間って人工的に作ることはできないし、その方法でしか生殖できないんだから仕方ないと受け入れてる部分があるのでは。安全な人工子宮ができたらそっちで産みたい人も多いと思う。
自分の場合、子供を産まずに損傷を避ければ健康でむちゃくちゃ長生きできるという保証もなく、いずれは何も残さずに老化や病気、あるいは事故とかで損傷して死ぬんだし、そっちのほうがなんか嫌だなって思った。どうせ体は消耗品と思っているところがある。
生殖器由来の毎月の大量出血自体、それが起こらない人からするとちょっと引く現象だと思うんだけど、それに伴うあれやこれや面倒と付き合ってるのに、メイン機能である人間製造に使わないのってちょっと割に合わないなと思うところもあった。祭の練習はしてるのに、祭の本番はなし、みたいな。
あと、正直、純粋に「自分の体がすごいことになる」ことへの好奇心もちょっとあったかも。
たとえば、なんか人体にマイクロチップ埋め込むとスマホなしでなんでもできてむちゃくちゃ便利になります、とか、目を人口義眼に換装すると老眼にもならないしいろいろ便利機能も使えます、とか、そういう話があったときに、乗る人と乗らない人がいると思ってて、自分は乗る側だと思う。
現実に、単に見た目を良くするためにお金をかけてすごいリスクのある整形手術する人だっているわけで、損傷を受けても許容できるレベルの安全性が確保されてて、それによるメリットがすごく大きいならやる人はそこそこいると思う。
総合的に考えて「仕方ないし面白そうだし割に合うと思ったので産んだ」という感じ。
でも「割に合わないんで生殖やめぴ」ってなると人類滅びるから、子育て支援とかはやんないといけないでしょ。できる限り割に合うようにしないと。
ジャーニーさんの性被害が当時は犯罪でないとしてもだな、異常なまでの「未成年男性少年たちが芸能界のドンのリビドーを向けられ、彼らは不快に思っているが、出世を対価に不本意な男性生殖器に対する侵害を受けていた」のであって、これを異常として追求できなかったマスコミはジャニーズ北川氏と同列に罪深いのではないのではなかろうか。少なくとも、コンプライアンスで民間企業は広告にジャニーズを使えなくなるはず。マスコミの社会の責務を果たしていないから続いた事態なのであるからして、報道しない自由が性犯罪を引き起こしたのだから、マスコミはジャニーズ事務所との関係を公開すべきである。
女性の股間を隠す浮島が亀のように見える。「ヤシの木一本実が二つ」の含意は小学生にもわかる。それが「亀の頭」(直球)の部分を形成している。グラスを飾る「花」は植物の生殖器官そのもの。これだけ露骨にコード化されたエロティシズムと戯れているのに、そのイメージを否定される方が気の毒。 twitter.com/i/web/status/1… pic.twitter.com/LWLp5CqEnP
2023-07-16 18:38:19
普通の絵を勘違いでエロ扱いするツイッターあるあるhttps://togetter.com/li/1376667 にまじになっちゃってどうするの
「これはいけない表現だ」というのならツイートせずに直接企業や団体なりにクレーム出せよ。SNSに書いてお気持ち表明とか「いけない表現」を世間に広めているだけで本人も加害者になってるの分かってないんだな
poko_pen 2023/07/18 15:06
いけない表現…?
エロいですね、って言ったら いけないですね、って言ったのと同じ意味になるの?
お前の頭の中で エロい=いけない なのはどうでもいいけど他人に押し付けるのやめてくれる?
「ミニスカートで太腿露わにしてるのは男を誘ってるんだから痴漢されたがってるんだ!けしからん!!ムフー」って言う奴と大体似たような脳みその作りだなと思いました。
triggerhappysundaymorning 2023/07/18 16:02
絵じゃん
現実のミニスカの人の心情を認知歪んだゲスパーしたらアカンけど これ絵じゃん
痴漢されたがっててもいいじゃん
あたおか案件
hiroujinhiroujin 2023/07/18 15:36
お前みたいなのが純潔教育に走るんだろうな
怒りに震えて涙止まらないとかいってる人はさすがに受診された方がいいと思うが・・
trade_heaven 2023/07/18 15:37
casm 2023/07/18 15:29
それな
おおかた「エロい 規制しろ」を恐れて吹き上がってるんだろうけど
数年前に腫瘍と一緒に生殖器官の一部を摘出したので、生物としての性の役割が全うできないことが確定した。
元々あんまり『らしく』なかったから、生殖器官がなくなったことによりやや開放感を感じてたりする。
で、
昨今の流れで『自認』って書かれてて、
……自認、なぁ。
自認って、どうなんだろう?
自分の性嗜好に因って決めるんだろうか?
男性が好きなら『女』
女性が好きなら『男』
みたいな。
でも恋愛にもセックスにも子を得ることにも興味がないから、そしたら別に性自認なんかどっちでもいいんじゃないかって気がしてきてる。
思考においても『らしさ』がないというか、男脳女脳テストでは真ん中よりちょっと異性寄りだった。だからあんまり自分で自分の性を言いたくない感じはある。性別として違和感がある訳でなく、枠として一歩はみ出てる自覚があるから。
まぁ生殖器官なくなったとはいえ、肉体による性の違いはそのままなんでトイレも風呂も更衣室もちゃんと肉体性に合わせるけども。