出産って、内臓と骨の位置はずれるわ大量に出血するわ肉は裂けるわが起きるイベントじゃないか。
予期せぬ妊娠ではなく「そろそろ子どもが欲しい」と思って妊娠出産した場合なんだけど、出産がそういうイベントであることそのものをどう捉えていた?
人体が損傷することって現代の価値観ではかなり重いもののはずなんだよな。
子どもを得うるという条件の前で、出産までまだ遠い時に、「人体が損傷する」という事実そのものの重みが脳内でどのように処理されたかを聞いてみたい。
「当然」とか「仕方なく」とか「医学的管理下だから」「ある程度回復する人が大多数だから」「そもそも具体的に想像できなかった」とか色々だと思うんだが、良ければもう少し踏み込んで聞いてみたい。
このレベルの肉体の損傷は人生において織り込み済みの人が多いんだろうか。このレベルの肉体の損傷を他の人が受けることも織り込み済みなんだろうか。
結局、肉体の痛みって一時的なものだし、記憶からは薄れやすい。 私は2回出産したけど、1回目は難産で8時間くらいかかってマジで死ぬと思って こんな思いするくらいなら次は死ぬって...
人間って人工的に作ることはできないし、その方法でしか生殖できないんだから仕方ないと受け入れてる部分があるのでは。安全な人口子宮ができたらそっちで産みたい人も多いと思う...