はてなキーワード: 有効とは
DMMから退会した。1020円分のポイントがあったので1002円でアダルトグッズをふたつ買って、今日商品が届いたから早速退会した。8円分のポイントは気にしないことにする。
アダルトグッズ、まあ、つまりオナホールを買った。こいつをどのように料理しようかと思って、アダルトサイトを物色することにした。エロいイラストを見ておちんちんをこってりソース和えにしたかったのだ。ローションは粉で準備していた。風呂を二回ローションで埋められる量の粉だ。後は手を動かせばとんでもない快楽の報酬が与えられる。私はさながら数ある罠をくぐり抜けて聖杯を前にしたインディ・ジョーンズだった。そして正確に描写すると、誘惑にことごとく引っかかった間抜けな大学生だった。
エロいイラストを見る前に、私はSafariを有効にしなければならなかった。「インターネットなんて馬鹿馬鹿しい記事しかないごみ溜めだから、見る必要はない」と30分前にiPhoneからWebブラウザを一掃していたのだ。まずは道を整備しなければならなかった。もちろん、私と魅惑の肌色を結ぶ道だ。設定項目からSafariを検索すると、2件のヒットがあった。
よく考えずに私はどちらも有効にした。どちらかが正しいのだから、どちらも実行すればいいのだ。
期待通り、Safariが戻ってきた。だが、Safariを開くと見慣れないブックマークが展開された。
などなど。なんだろうと考える間もなく気づいた。
それは3年前にバックアップを取ったブックマークだった。多くのサイトをブックマークしていた私は、今日のようにインターネットの世界が急に嫌になってWebブラウザを非表示にしていたのだ。その決意は3日も持たなかったが、ブラウザを消す前に不安になってブックマークをiCloudへ保存していた。完全に忘れていたが、特徴的なフォルダの名付けを見て思い出した。
69番野手がエロいやつだった。シックスナインという体位がとっても淫靡な行為だと思っていたので、69。なんで野手を付けたのかは分からない。別に野球にはまっていたわけでもないから、謎のネーミングだ。もしかすると、野手ではなくて69番の手と読むのかもしれない。そうそう、シックスナインというものを互いにオーラルセックスし合う体位としか知らなかった私は、そのとき手をどこに置くのか興味があった。足、腰、お尻、どこだろう。どこであれ、寝ながらシックスナインするのなら片方の手もしくは片方の人は相手の体の下に手を回さなければいけないと考えていた。現在はもう少しシックスナインに対する知識を深められている。まあ、そんなことはどうでもいいだろう。
69番野手を開いて、当時見ていたサイトにアクセスした。昔のまんまだ。運営への報告、好きな作品について、雑談しよう!、なに食べた? ああ懐かしい。まずは雑談板で「へいよー。古巣のみんな、元気―?」そう書き込もうとして、おかしなことに気づいた。何も変わっていない。それどころか私の書き込んだ跡さえ相変わらず残っている。んん? なんだこれ。
おかしいと思って、運営報告板を見た。2014年10月で運営からの報告が途切れている。ああ、ここは終わっていたんだと思った。もう運営が去って投稿者もいなくて知らない間にゴーストタウンと化していた。なんだか心に隙間風が通った気がして、ハッピーにエロいイラストを見ることができなくなった。仕方がないからダウナー系を探し、丁度よい雰囲気のイラストを見つけたので当初の目的を果たすことにした。
あ、うっ、おおー。くるぅ。
みたいな感じで私は達した。実を言うと我慢できなくてイラストを探している最中からオナホールへローションを垂らしておちんちんへ装着済みだった。ゆったり動かしているうちにローションが乾いてきたので唾を足していた。どのくらいの量か興味ある人がいるかもしれないが、自分のカウパー氏腺液の量はプライベートな情報だから教えられない。
ここで私のオナホ―ルの基準を書いておこう。よいオナホールは絶対におちんちんに屈しない。よいローションがその役割を果たす。むしろよいオナホールはおちんちんを通して私たちに確かな存在を示す。おちんちんはオナホールに包囲され、隔離され、もはや抵抗の余地なしと知ると白旗を挙げて降伏する。というようなことを現実で言うとドン引きされるからここで書いている。
まあ別に何があったわけでもない。くだらないことが昔あって、今もくだらないことをやっているということ。
ウヨ動画通報祭りでなんJを絶賛している左翼リベラル派もいるが
なんJ民を含む2ちゃんねらー(5ちゃんねらー)の動機は基本的に
無思想な面白主義と世間で指示される物に対する逆張り志向という点な
まあ、なんJ民の中にも純粋な正義感で行動してる奴、さらには自分自身が深刻な差別の当事者となっている在に韓国人もいるんだろうが、全体数では少数派だろう
なんJ民の大多数はノリとか場の勢いとかで、ウヨ動画通報祭りを「楽しんで」やってる
そら楽しいわなあ
ヘイト動画狩りの大義名分として他ならぬ安倍晋三がヘイトスピーチ批判したお言葉を掲げてる奴もいる、堂々とGoogleにyoutubeという「国際的大企業」の威を借りられる
今回の件は「権威」が味方にできている
そら楽しいわけだ
↑
というような、ネット民の快楽意識に訴える戦略をできなかったのが、既存の反差別左翼の致命的な失敗点!!
考えてみろ
差別的なネトウヨ動画が蔓延するのは、視聴者に「俺は日本人というだけでエラい」「ネットで真実を知った俺すごい」ってな優越感の快楽をもたらすからだろ
そら負けるわけだ
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今回の件の5年ばかり前、淫夢厨が起こした「李田所事件」ってあったよな
あれは間違いなく、阿呆な左翼のネトウヨ批判より100倍ぐらい有効だったと思う
正面から真面目にネトウヨを批判しても読んでくれるのは元からの左派だけ
しかし
「ネトウヨが淫夢ネタに引っかかった! あいつらやっぱりバカだwww」
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在特会とかネトウヨとか自衛隊暴言とかああいうのも単独では効果が薄くても一定勢力が凶暴なことをすれば
車が普及する以前は最速の移動手段だった馬が居ない世界。果たしてどういう歴史をたどったのだろうか?
まず馬が存在しない戦場はどうだろう。歩兵による集団戦術がずっと有効だったのだろうか?あの世界にモンゴル帝国は存在したのか?あったとしてもこちらの世界とはだいぶ違う歴史をたどっていそう。
偵察や連絡はウマ娘でも可能だろうが、女性しか居ないウマ娘に奇襲は可能だろうか。
人間の移動手段は何が使われていたんだろう。荷物の運搬なんてとてもムーーーリーーーだろうし。馬は居ないけどロバは居たりして?
農業にも影響があっただろう。機械化前の農業を支えた馬という労働力が無かったら?牛で全て代用できたのだろうか。
そもそも「馬」の語源自体が騎馬民族から世界中に広がったらしいが、その騎馬民族の存在すら危ういあの世界でどこから「ウマ娘」という言葉はどこから生まれたんだろうか。
馬が存在しなかった世界について考えてみたが、すでに同じ考えをしている人が居た。
“もしも馬がいなかったら”という実験はできませんが、それを裏付ける根拠のようなものがアメリカ大陸の歴史からわかるそうです。アメリカ大陸にも馬はいたのですが、すべて食べてしまって1万年ほど前にいなくなってしまいました。ヨーロッパがアメリカ大陸に進出したのは今から500年ほど前。それまでのアメリカ大陸の文化は、馬に乗っていたヨーロッパに比べると、とても遅れていたそうです。「僕は馬がいなかったことが大きな影響じゃないかなと思います」と語った本村さん。人類の歴史にそんなに大きな馬の影響があったとは、おもしろいですね!
馬が居ない世界の西部開拓はどうだったんしょうね~気になりますね~。
その他気になる疑問
ダラ奥がそんなに大量発生してるか?いないわそんなもん。
逆に聞くが、何人見てきたの?
どれくらい「ちゃんと」見てきたの?
あと、お前男?男だったら納得。
なにが納得なの?
基礎資料
https://cdn.mainichi.jp/item/jp/pdf/20180523moritomo.pdf
会計検査院:学校法人森友学園に対する国有地の売却等に関する会計検査の結果についての報告書(要旨)
http://www.jbaudit.go.jp/pr/kensa/result/29/pdf/291122_youshi_1.pdf
https://www.mof.go.jp/national_property/topics/arikata/index.htm
https://www.mof.go.jp/about_mof/act/kokuji_tsuutatsu/tsuutatsu/TU-20010330-1308-14.pdf
例の900ページ以上の資料を私も読んだ。
以下メモ。
会計検査院の報告書では「24年度から28年度までの間に3財務局及び6財務事務所等が公共随契により売払いを行った契約118件についてみたところ、売払い前提の定期借地とする特例処理を行った事例は本件以外に見受けられなかった。」とあり、一見あり得ない特別な処理のように感じるけれども、定期借地権契約も財務省の普通財産貸付事務処理要領の中に想定されており、条件はあるものの財務局長へ申請上げれば可能なスキームであった。
昔は公開入札・売却のみだったが、民主党政権時代の「新成長戦略」を受け、貸付等もできるように制度が整備された模様。
もちろん、より公的利用が望ましいので、まずは地方公共団体(豊中市)が買った(平成22年3月)ものの売れ残りが生じ、その後私立大阪音大が申し入れをしたが価格折り合わずドロップ(平成24年8月)。近畿財務局はホームページで要望受付をし(平成25年6月)、学校法人森友学園がこれに応じた。早い段階から森友学園は8年での賃貸を要望し、近畿財務局側も各種問い合わせをして「小学校のような公的な施設なら10年定借でいける」という考えで交渉スタート。以降、一貫してその点は変わっていない。
・ターニングポイント:最初に軟弱地盤だとなったとき想定を変えて鑑定依頼
平成27年4月、最初に軟弱地盤だとなったときに、近畿財務局の担当者はこれまでの10年定借から50年定借を想定した鑑定を依頼した。軟弱地盤ゆえ杭を深く打つ、そのためにはより重たく長持ちする建物を乗せる想定にしないと整合性が取れないことから。気を回しての行動だと思うが、後に籠池理事長から突っ込まれる原因になる。
公有地は不動産鑑定価格をベースにすることになっているのでそれ自体は問題ではないが、近畿財務局の担当者は一人の不動産鑑定士にしか鑑定依頼していない。これを森友側に二人以上とも取られるような説明をしてしまい、これに対する平成27年7月の籠池理事長からの突っ込みに有効打を打てていない。この局面では籠池理事長に情報公開で得た資料も上手く使われている。
・ターニングポイント:工事・設定業者との「報告したのか/報告していない」問答と籠池夫妻の上京
それまで近畿財務局の担当者は工事・施工業者とゴミ撤去の見積もりについて詳細な照会・打ち合わせをしていたが、「工事・設計業者がゴミ撤去費用の詳細について籠池理事長に逐次報告していない。近財側も徹底していなかった。」ことに平成28年3月に担当者が気付く。
相前後して籠池夫妻が上京し、国有財産審査室室長らと面談。本件が関西ローカルから理財局全体のトラブル案件となる。
直後、「工事業者・設計業者との打ち合わせ結果が森友学園側に正確に伝わっていなかった」旨を近畿財務局がお詫び。交渉通じて近財側がお詫びしたのはこれ一回のみ。
平成28年3月末近くに、籠池理事長側弁護士が「国の貸手責任」をもとに損害賠償請求を匂わす。近畿財務局側は完全に腰砕けになった模様で、この後、ゴミ撤去費用に関する交渉は籠池理事長側が主導するようになる。
鴻池祥肇、北川イッセイ、平沼赳夫、鳩山邦夫、柳本卓治、総理夫人付(安倍昭恵)、木村真の各氏。多くは秘書等を通じて問い合わせ、木村氏は情報公開請求。皆、近畿財務局の説明に納得して引っ込んでいる。
近畿財務局側には効いてなかったとは思われるんだけど、ボディーブローのように気持ちが蝕まれていたのかもしれない。
交渉録がおおむね正しいことを前提とすると、やっぱり上記ターニングポイントで挙げた点かなと私は考える。
担当者の細かなコミュニケーションミスが重なった後に損害賠償請求を匂わされて、それに対する有効な反論が出来ていない。それまでは10億円前後の価格を想定し、かつ籠池理事長側にはそれを明言しないかたちで強気に丁寧に対応できていたのに、それ以後は明らかに対応が雑になってしまっている。
おれも毎日死ぬことばかり考えているけど、昨日から気分がいいんだ。時間を有効に使いたい!とか思うんだ。それで高校物理の勉強した。高校でとらなかったのが気になっているんだね。
夜中にコンビニに行けたんだ。雨はやんでいた。コーラ買って、飲んだりもした。うどんも食べた。風呂も沸かして入った。こんな人間的な生活をしたのはいつぶりかなあ。
きっと眠って目を覚ましたらまた戻ってしまうんだろうけど、そろそろ起きていられなくなってきた。われながら体力ねえなあ。
でなにが言いたいかっていうと、時々はいいこともあるかもよってことさ。まあおれみたいなぬるま湯に言われてもしょうがないかな。でもいいことあるといいね。どうかお元気で。
タイトルには悪くないとは書いたが、
これは、「監督と選手との認識の違い」という件に関して考察したいものであり、
自分自身が教育者としてかつて行ってしまった、誤りを改めて見直す事を目的としたものだ。決して本件が悪くないとは思っていない。
問題なのは、対人に対して成果を求められる、あるいは成果を求める教育者がこういった状況に陥りやすい事について是非知ってもらいたいからである。
仮に監督・コーチが「ぶっちゃけていうと」どうなったのかを教育者としての経験とそこで起こった状況から、考えたいと思ったからだ。
したがって、私自身がどういう愚かな言い訳をするのか、客観的に見てみたいのだ。
この問題を考えずして、情熱をもって指導をすることを辞めてしまいそうになることが、どうも納得がいかないからである。
もう一度言うが、本件は明らかに指導者が悪い。恐ろしい事だと、そう断言する。
私はサッカーを少々やっていたことがあるが、サッカーというスポーツはとてもえげつない側面を持っている
(もちろん、この件をしっかり考えて、事実に基づき、その正当性について考える必要はあるが、ここでは「えげつない」という簡単な言葉を使ってしまう事にする)
イエローカード程度に調整された意図的なファール、移動が困難になり、転倒寸前まで引っ張られるユニフォーム、
次のファールを軽くしてもらえる、あるいはファールを取ってもらいやすくする審判への講義
これは、ファールを取ってもらう為に痛がるパフォーマンス、絶妙な位置で転ぶ等に対して、審判がファールを取らない事から、
その行為自体が存在している事をが広く認知されている事を証明しているだろう。
よく、ユニフォームを掴んでしまうことに対して「とっさに掴んでしまう、ゲームに熱中していたからだ」という言葉を聞くが
何千男百との試合を経験している中で、こういった行為を抑制する事など出来ないはずは無い。
これが行われるという事は、試合の中で審判の判断の範囲内で裁かれないグレーゾーンを上手に渡り歩いているからだ。
この問題にはゲームの進行を止めてしまうとゲームのスピード感を損なってしまうし、ロスタイムの増加に繋がるといった、
観戦者やスポンサー等に対するショービジネス的な要素も関わっているはずだ。
ともかく、どんなスポーツも「紳士的に行う事」が大前提とする中で、こういったグレーゾーンを戦術的に行う事は、だれしも考える事だろうと思われる。
そこで、今回の件を思い出したい。
「選手を潰してこい」といった、事がどのように行われるべきだったかという事だ
アメフトについて、無知である私がこのゲームについてどこまで許されるものかを書いて良いものではないが
すくなくとも、アメフトではボールキャリアに対してとびかかる様なタックルを行って良いものだと多くの人は認識していると思う。
前記したサッカーのグレーゾーンについて考えると、監督が指示したのは「全身全霊をかけた、相手を破壊する事を厭わないような危険なタックルを行え」という指示だという事になる。
試合中にこの様なタックルをしたとして、審判や相手チームは選手に対して警告を行ったとしても、今回の様な事態にはならなかったであろう。
それでは、なぜこの様な事が起こったのか、ここでもう一つの「監督と選手の認識の違い」について考えたい、この件が今回私が考えたい本題なのだ。
選手の記者会見で本人は「試合に対するやる気が見えない」と指摘されているまた、この件に対して選手自身に「その自覚が無い」と言っている。
ここからは私自身の勝手な推察であるが、もしかすると監督やコーチには、選手が以前からこう映っていたのではないだろうか?
「選手に対するタックルに躊躇いが感じられる、有効な一撃を逃している」
といった、選手が考えてもいなかった側面、特にメンタル的な要素が起因した問題を何とか排除すべきだったのではないか?
これは、学生に対する教育者が特に悩む問題で、大きな肉体的、あるいはセンス・テクニックを持った学生がメンタル的な要素で、その才能の邪魔をしてしまっている場合だ。
それを証拠に、試合後、選手に「やさしいから」等といった言葉をかけている事から、メンタル的な要素に何か起因する問題があったのではないかと推察される。
こういった時、二次的に集団的にどういった事が起こるかというと、指導者の意図を察知した仲間が、悩む仲間に対して助け舟を出すのだ。
特に誰もが認める優秀な人物に対しては、熱心にそれをする場合が多い、自分の夢をアドバイスにして託す事は親にも指導者にもある、もちろん同じ夢を志す同士であればなおさらだ、
問題なのはその仲間が本人に対して適切なアドバイスをしない事があるからだ。
今の私と同じように、ありもしないことを勝手に想像し、相手に対して最善だと思う事を自分の中で構築するのだ。まるで親友の恋愛話を親身に答えるように。
どうなったかというと「相手の選手が潰れれば試合が楽になる」というアドバイスになった。
これは、チームメイトとして、この問題について解決すれば、大きな成長になることを信じて、一歩踏み出せない相手の背中を押す行為だったのではないだろうか?
もちろんこの時、アドバイスを与えたチームメイトは、まさか、試合中断中にタックルをするとは考えていない。あるいは、この様な大事になるとは考えていない。
そして、最後に念押しして指示される「やらないではすまされない」といった指導
この時、いよいよ思考は停止する。
この選手は、20歳の学生だ、学生の中には指導者の指導は絶対である、大人は正しい、先生は何でも知っている、そういった考えを持つ物がいる。
選手の記者会見で再三「理不尽だと思う事もあるが、指導者に対して言う立場にない」等といった発言が出るのは、こういった側面があるからだと考えられる。
自分が未熟だから、考えも及ばない所で指導が行われている、そう考える学生がいるのだ。
一方で指導者はどうか、ほとんどが恵まれているのに、あと一つの所で伸び悩んでいる、何度も場数を経験させた、そんな選手をどう思うかだ。
こうした者に対して考えてしまう事は、自分の才能が認められたという事に対する慢心だ、その慢心から、向上心を失っているという事だ。
もう一つは、先に挙げたような、メンタル的な要素だ。
この問題に対してやりがちな事は、対象を悔しがらせる事だ、まだ未熟だ、やる気を取り戻すまで、練習をするな等と、相手を奮い立たせるような挑発をする。
実際に、練習に参加させないといった、理不尽と思われる事を行っている。
これは、現実は思っているより厳しい、大人はもっとえげつない、社会は間違っている、世界には間違っていることもある、そういった事を伝えたいというものだ。
とても紳士的で優しい人物であれば特に、この厳しい現実を伝えたくなるのだ、そんな時、自分の分野を引き合いに出すのだ。
厳しい勝負の世界にどれほど立ち向かう覚悟があるのか、と考えた末に「殺れ」という言葉が口から出るのだ。
もし、荒くれ物の選手だったら、真逆の事を言っていたのかもしれない。
こうして、自分自身はおかしいと思う行為の決行を判断する事になる。
本人は、この問題を理解していないのだ、練習も頑張った、代表にもなった、指導のおかげだ、ほかに何が足りないのか
なぜ、自分をないがしろにするのか?なぜ、急に指導が厳しくなるのか?なぜ、特別な指示が出されるのか?
指導の通り頑張った。タックルの踏み込みが浅いと指導されているので、きちんと踏み込みには気を付けている。
そんな時に、「確実に潰せ」という簡単な課題を出されたときに、その問題を解決できると信じてしまうのだ。
多くの人が同じことを言えば、決して紳士的ではないグレーゾーンの問題と同じように、問題ない行為に思えてくるのだ。
事実、幾人かの学生と向き合ったときに、もとい、人と本気で向き合ったときに、自分の意図とは全く違う行動をする者がいる。
これは、自分の意図という秤が自分を基準にしている事が問題である事が分かった、自分だったらこうするだろう、こう伝えたら分かるだろう
といった、自分の秤は、どんなに水準を一般化させて展開させたとしても、学力や能力の同等な人間を集めたとしても一致しないという事だ。
特に教育者は、複数の人間を相手にしなければいけない、問題は彼だけではないのだ。
多くの問題を抱えていて、すべて平等に行われなければならない。
簡単かつ誰でもわかりやすい単純な物が良い、ただし、簡単であるが上に矛盾が生じる、一人だけ変更すれば他の物が混乱する、その為に強引に行うのだ。
時には、問題因子を排除する事も厭わない。個別に指導するよりよっぽど管理しやすいからだ。
次に、指導者を増やすことだ、自分の代理を複数立てる事だ、しかし、代理は自分自身ではない、
どんなに忠実な代理だとしても、伝言ゲームの様に指導内容が違って受け取られてしまう。
それならば、同党の指導者を置けば、本来想定したものと違う指導内容になってしまうことになる。
そうなると、自分の手柄を作って信頼を得なければならなくなる。
その為には、多くの学生を指導して、信頼を勝ち得なければならない。という悪循環が起こる。
正直自分にはこのスパイラルをどう解消するべきなのか分からない
今は、教育は平等でなければならないという考えを変え、学生の自発的な活動を見守り、問題は早期に発見して対処するといった事をしている。
しかし、熱心に、あるいは強制的に行う教育の効果には遠く及ばない。問題はなくなるが、才能の開花を促進させる手伝いはできない。
適材適所、バランスよく相手に合わせて状況判断して実施するという事が望ましいに決まっているが。
自分以外の人間をどこまで知りえる事ができるだろうか?それも複数人も。
何もしないで見守れば、育つ物も当然いる、同じように、愛情を注がなければ開花しないものもいるのだ。
そもそも、学生に何らかのきっかけを与えるのが教育者なのではないだろうか?
https://togetter.com/li/1229446
この手のまとめ見てて思うのは、相手側(今回で言えば男性)の行為がよろしくないのは当然オブ当然なんだけど、じゃあ向こうが悪いって言えば何か改善すんの?ってことなんですよ。
ツイッターなんて独り言を好きに言う場所で解決なんか求めてねぇんだから愚痴らせろ、共感だけ寄越せってのもひとつの使い方だろうけど、こうしてまとめられた内容を元に議論(?)してる人たちは「クソはクソとして、配偶者がクソであるという事実を元に今後どうすれば女性側の環境を改善できるか」ってなったら、マクロ視点で社会的に相互理解を深める機会を増やしていくんでなければ、個人間で女性側が男性側に働きかけるか逃げるかしかないじゃないですか。
男性側が突然改心したらハッピーエンドかもしれないけどそんなの「なるほど完璧な作戦っスねーーっ 不可能だという点に目をつぶればよぉ~~」でしかないじゃない。
まとめの漫画では女性側の苦労、しんどさが男性側に伝わってないので真剣に対応して貰えてないので、それならどうやってしんどいのだと分かって貰うかって言われたらそんなの女性側からもっとしっかり伝えるしかなく、放っておいて向こうが勝手に気が付いてくれるはずもなく、女性側が働きかけないと女性側は楽にならない。
「それって女性側が不公平!」「なんで女ばかり努力しないといけないのか!男が気が付くべき!」とか聞こえてきそうですが、そうですね不公平です。でもその不公平をまず一旦飲み込んで働きかけなければ改善はできません。
そこまで頑張ってまで改善する価値がないと言うなら、もう離婚しかないんじゃないですか?離婚が悪いとか逃げとかは思わないしむしろ解放されるための手段として有効活用して下さい、頑張れ、という話にしかならないです。
という該当のケースに関する対処案をあげたらなぜか男性側の擁護として取られるのはどういうことなんだろうと。
改善しようとするならもうそのくらいしか手段残されてなくね?他にどんな手段を用いたらこの家庭の改善ができるの?現実的な対処法で。謎の改心とかなしで。
空き巣が流行っているから戸締りをきちんとしましょうって言ったら空き巣を擁護してることになるんですか?なりませんよね?
相手がいかにダメだろうと、むしろダメだからこそそれをどうにかしようとしたら問題を分かっている側が問題提起せずしてどうやって改善できるんですかっていう。
あ、女性側にそんな問題提起できるような体力なんて残ってないから無理、というのには一理あるかとは思います。その場合はミクロでの対処が困難なレベルに達しているのならマクロで働きかけていくしかないかもね、という方向に行くんじゃないかと。
それでそこまで考えてて思ったのが、この手の対立煽りまとめ(のつもりがなくてもコメント欄がいつものそんな感じになってるっぽいので)なんかでよく「ハッとして」るじゃないですか。
その「ハッとして」る中に、効率的な仕事の仕方だとかで「犯人探しをしない」とか「相手を責めない」とかあるじゃないですか。
育児という仕事をするために、今回の問題の原因究明と改善案の提出は必要だとは思いますけど、悪いのは男性だと「犯人を捜し」てこの男はクズだと「責め立て」て改善なんてできるんです?
そこでなるほどと「ハッとした」なら男性側にあれこれ言うのは随分なダブスタだなーなどと。
まあ、別にハッとなんてしてない人たちが文句を言ってるなら別にダブスタではないのでそういうこと言う人が全部ダブスタだとか思ってるわけじゃないです。
ただ、不要な犯人探しをやめるだとかそういう仕事の在り方に納得してる人ならこの件について、問題点に気が付いている側が議題に上げるべきとなるのはごく当然な流れだし、それは男性を擁護したわけじゃなくて単なるなるべく効率的に問題を解決しようとした結果でしかないんじゃないかと。
改善とか考えてなくてとりあえず似たような状況なので愚痴りたいだけとかとりあえずクズにクズと言いたいだけな人はそれで構わないと思います。改善するには○○するよりないのではないか、という意見に対して具体的な反論や別の解決方法の提示ではなくて男性が改心すべきという実現の可能性が見えない夢物語を押し付けてくるタイプの方々を見てなんでやねんと思っただけです。
(一億円を築くのは難しくないのだと知る)
一億円を貯めるのに困難が生じるのは自身がそれだけの額を貯めるということに現実味を持てないこと、最初から無理だと感じていることが大きい。そのように思っていれば、できることもできなくなる。
通常の意識の上でわかっているつもりであっても、意識の深いところで思い込みを変えられずにいると現実化できない。意識の深いところにどうはたらきかけていくか。
潜在意識と異なり顕在意識は論理的な思考をベースとするものであるから論理的に納得させるのが良いやり方といえる。論理的に自分自身は一億円貯められるのだ、しかもそれは難しくはないのだということを自身の意識の深いところに納得させる。そのひとつのやり方として表計算ソフトのエクセルを用いるやり方がある。誰に教わったものでもないのだが、私自身には有効だったのでここに書いておく。
具体的にシミュレーションするのである。今いくら手元にあるのかから始まって、どの程度の利回りで運用していくのか、毎月いくらの元本を追加していくのか、どれだけの期間投資し続けられるのか。複利で運用していった場合の自分の資産状態を、将来数十年後までエクセルファイルの上で表現してみる。
複利の力というものを直感で捉えると見誤る。複利の力は人の直感をやすやすと上回る。
エクセルが苦手でというのであれば手書きでも良い。少々手間がかかるかもしれないけれども電卓と紙、鉛筆があれば十分である。
実際にやってみれば自身が一億円の元本を築くのはそんなに難しいことではないということに気づく。ここでほっとした感覚をおぼえられれば、意識の深いところに落とし込めたといっていい。あとは心配無用、目の前のやるべきことをこなしていくだけである。
https://anond.hatelabo.jp/20180522231714