はてなキーワード: 新社会人とは
これだけ覚えて帰りましょうね。
労働基準法で雇用の時に労働条件を通知する文書の発出は義務付けられています。アルバイトだと割と見る機会がないかもしれませんね。
新卒採用ならだいたいの会社は出していると思いますが、出していない会社もまああります。出してこない場合はルーズな会社か黒目の会社です。
もしもらった文書とあまりにも働く内容が違うなら、速攻で辞めるのはアリです。上京したなら帰るまでの金ももらえたりすることもあります。
即辞めたほうがいい! というケースが多い訳ではないと思いますので、ちょっとヤバいかな? と思ったら相談してみるといいでしょう。
相談先はだいたいこのあたりでしょうか。
https://www.check-roudou.mhlw.go.jp/lp/hotline/
面白みはありませんが、まあ初手はここでいいでしょう。場合によってはあなたの会社を所轄する監督所にグレードアップしてみてください。
https://www.zenroren.gr.jp/jp/soudan/
https://www.jtuc-rengo.or.jp/soudan/
労働組合については、政治的なこだわりがないのであればお好みで。大きいところをとりあえずお伝えします。具体的な話をしたいなら地元の外部労働組合(ユニオン)を探すといいのかもしれないですが、あんまり勧めません。理由は言いません。
https://www.npoposse.jp/roudousoudan
NPO法人はいくつかありますが、貧困に取り組む団体の中でもネットでもよく見るところを一つ。
春は死にてえ。電車に乗ってると新社会人や学生が無限に沸いてくる。少しの我慢と思っても、苛立ちに任せて身投げしたい気持ちが細くたなびきたる。
夏は死にてえ。月も濁るほど空の汚い都会で、毎日毎日ド深夜に闇の中を帰る。帰ったら風呂入って気絶するように寝て、気がついたら翌朝会社にいる。朝なんてほぼ意識ないのに雨が降る予報があればちゃんと傘持ってきている。怖い。
秋は死にてえ。夕日なんてしばらく見てねえ。上司の禿頭で揺れるさもしい毛が三つ四つ、二つ三つと抜けていく様は実にあはれなり。たまの休日、寝溜めしている時、外で鳴いてた虫がうるさすぎてベランダ開けて草むらに石を投げたらシィンとなった。その時もなんか死にたくなった。
冬は死にてえ。最も死にてえ。雪とかマジで無理。雪で脆弱な交通網が止まっても出社しなくちゃなんねえ。寒くて何もやる気起きないし、ガチごちの頬の筋肉を頑張って動かして笑うと本当に俺は気持ち悪い顔になるんだ。なんで俺は生きてるんだ。ワロタ。
自分が新社会人だったときに事前に教えてほしかったことなので書く
まぁタイトルでほぼ終わっているんだがこんなクソみたいなことを
言ってくるやつは上司だろうが家族だろうが一切聞かなくていいです
君が思ってる以上に社会人にはクソみたいな人間が普通にいますし
そういったときに辞めることを怖いとかもったいないと思う必要はないです
自分の経験になりますが出社1日目でゴミな会社だとわかりましたが
親に申し訳ないだとかもう一度就活をしたくないなんて考えばかりで
結局は1年ほどそこで働きましたがそれだけで普通に精神と体をおかしくしました
このとき辞める相談をしたときに親が言ってきたのが 3年我慢したら でした
はっきり言ってこんなクソみたいなアドバイスとも言えないようなことを言ってくるのなら
特に新社会人は親へ金銭的に頼ることが多いかとは思いますが無理してうつ病になって
ニートになるのの百倍マシだと説得してください
入った会社をすぐやめるのには勇気がいりますがどう考えてもその会社や
職場環境がひどいのならすっぱり辞めて再出発したほうがその後の人生はうまくいきます
無理しない範囲でがんばれ
これはオチがあって最後はスッキリするような記事ではないのでご留意願いたい。本当にただの愚痴である。
私と彼女は大学3年生の秋に付き合い始めた。しかし付き合って間もなく彼女は外国に1年ほど留学した。現在付き合い始めてからは2年半になるが、自由に会うことが出来た期間は1年半ということになる。
そして彼女は今春から新社会人となる(留学したので1年留年している)。そして彼女は新社会人にありがちであろう、研修?で意味のわからないくらい遠方に飛ばされるアレの被害者となった。2人とも現在は関東在住だが、彼女は春から京都で働くことになった。
私が自由の身であるなら迷わず京都に飛んで行きたいところだが、そんな都合のいい立場であるはずもない。おそらく2.3年はまた遠距離恋愛でやっていくことになるだろう。
国を跨いだ遠距離恋愛を経験しているのでそれ自体にはあまり不安はないのだが、いくら何でも前途多難な恋愛をしてしまっていると思う。付き合い始めて2ヶ月ほどで1年海外に行ってしまい、今度は2.3年も京都に行ってしまう。同棲の計画もしていた最中であっただけに余計に堪える。しかし一番堪えるのは恋愛を最高に楽しめるであろう(と勝手に思っている)20代前半の期間の半分がほぼ空白になろうとしている事実である。
20代の間の恋人との時間は、ヒトの人生に於いてかなり上位の幸福な時間であると私は信じている。私はそのかけがえのない時間を今から薄く過ごそうとしているのだ。本当に堪える。私の隣に彼女がいる未来がいかに幸福で、いかに容易く想像出来て、いかに今の私の原動力であったか。
無論、数年経てば遂に私達は1つ屋根の下に生活出来るようになるはずで(こんなことがあった以上無論でもないか)、その後にやりたいことを好きなだけやればいいじゃないかと思うかもしれない。しかし、私は20代の1年と60代の1年違うことを知っている。時間の感じ方やら体力やら暇な時間やら時代やら何もかもが違う。20代と30代でも違うだろう。彼女の今の美しさも衰えていくだろう。そんな貴重で有限な20代を彼女との思い出作りに費やしたいと思うのは私には必然だ。私はこの恋愛の為に今の人生を生きている自負がある(重すぎてメンヘラと言われたことはあるが、女だったらもっと言われていただろう)。
今一度、私が不自由な人間であり、彼女も社会に抗えない程度に不自由な人間であることを嘆かずにはいられない。しかし私達ならこの不自由を乗り越えられるだろうという確信と、この愚痴を最後まで見てくださっている方がいることが僅かながらの救いである。
小康時代、ランドセルを背負ってコンサートで歌っていた場所は、喜劇劇場。ケープタウンのすぐ裏。古い町並みの中を走る国道沿いの大通りで、5時間に1本のペースでフェスを開催する。町中から中へ国道160号線に向かってその小ささなく大きな通り沿いの町のわけを、40分くらい歩く。市内から県道に乗るので、道路沿いも歩く道幅も23くらいある。
さて、初めはいかにもHIPHOPバンド。とは言え、重厚感はない。当時、二十代だった私は、若いながらも、威圧感のない、個性のあるバンドが好きだった。して、そんなバンドが、50代になり、また今年、60代になった。
実は思うに、21歳くらいの時からロックフェスに足を運んでいる。
今や、「美」をテーマにしたフェスという基本の中の言葉を飾ってのフェスである。そもそもフェスに行く時には、「美」というテーマを取るバンドがここだったのだが、ノスタルジックで美しいフェスというゲームが存在する限り、何を1曲として伝えるのか、異端として映るフェスはない。
そんなときには、先月、60代を迎えたばかりの界隈の若手バンドと、30回目のさかえとで見比べてみる。ロック好きの目から見ると、他のフェスと比べて、ロックの熱は薄いように思う。
もちろん、他にはロックフェスにも、パンクやパンクロックやヘヴィロックやパンク色の濃いフェスがある。では、60代のロックフェスには、どんな意味合いがあるのだろうか。間違いなくそれが分かる。もしも、70から80年代前半、80年代のアイドル、80年代のクラシックを、ロックで解説してみたい。HIPHOPは一時代を通して、1980年頃から80年代にかけて爆発的に拡大した。その変遷は、令和の時代になってからも変わらない。毎年、夏、そして9月のどこかに出かけた時に、その熱はまだまだ冷めないのが目に見えた。
だが、今年、ノスタルジックになって、なおかつ、熱気に溢れんばかりの方が、画的にも、参加しているバンドも、ロックフェス育ちのオヤジたちは、新社会人になって、そして、新天地でロックフェスを楽しんでいる。今年が半世紀もの時を経て、フェスでお会い出来るというのだ。
最新作の数々、みじんも予想していなかった60年代のロックフェスが、60代の初夏になり、令和2年、令和2年になる。さらに、30年、60年という節目を記念するイベントも多数開催予定で、その一つになると言っても過言ではないと思う。ロックの民族楽器の演奏で、ぶっつけ本番で、ロックフェスを楽しむのが海辺のまちなのだ。
なお、今年のフェスでは、ビーチにバーベキュー、バーベキューや外遊びをする以外にも、パーティーフェスというユニークな形で開催が予定されている。(本稿は今年のフェスで話したいと思う)さて、今年のフェスに、一本だけでも、何本かある。まだ1本も見たことが無い方々は、ぜひ、観てきて欲しいと思う。とはいえ、40周年、60周年、このタイミングに合わせ、バンドやバンド同士の交流は、今の倍以上になりそうな気がする。まだ出たばかりなので、今年のフェスにも足を運ぶ予定があるのは、それからなのだ。
バンドはいつも、誰もが自由な解釈や曲、サウンドを奏で、そして、唄い、演奏しながら、声を張るという音楽の世界を行っている。それは、30周年を迎えたバンドにとっては、非常に大きなことだ。音楽性も、そして、時代によって雰囲気もどんどん変わってきている。いま、時代と共に周りの環境も大きく変わってきているが、それでも、時代に取り残されている音楽というのが、ロックフェスの特徴なのだ。60年以上も前からロックフェスの世界にいて、私たちの世代の憧れのバンド。どこかで見たような、ラテンっぽい、レトロな、EDM風なサウンド。独特のサウンド。そんなロック自慢の音楽が、20年、30年も、世界に多くのオーディエンスを誘って、地球の裏側で、フェスを行うことになる。
そして、令和2年も、今年で60周年。20年を超えるのに、すでにロックフェスで、しかも、60年を超える必要がある。70、80年のミックスアップ、98年のドック、96年の超結婚。そして、その超絶必勝の方程式。
ドラッグストアで買い物をしていると、お風呂用のボディタオルがへたってきていることを思い出した。ずいぶん前から使っていて、もう何本も糸がほつれているのだ。僕はボディソープ売り場の横に、ボディタオルが置かれているのを見つけた。男女兼用のものもあったが、だいたい中段より上が男性用、下が女性用になっているようだ。そして、僕は中段より上に、"それ"を発見した。
パッケージにはそう書かれていた。僕はこの商品をみて、違和感を感じた。商品名や黒とシルバーの地味な配色から、男性向けの商品であることは明確だった。しかし、僕はどうしてもその商品、ひいてはマーケティングが僕に向けられたものではないような気がした。
特に、僕がどうしようもない違和感を感じるのは、"彼氏の"の部分である。
男性が自分のことを"彼氏"であると、普段から認識しているだろうか。たとえば僕は、これまでも誰かの"彼氏"であったし、現在も誰かの"彼氏"である。しかし、自分を表す代名詞として"彼氏"を持ち出されると変な感じがする。"彼氏"は僕の"彼女"が使う代名詞であって、僕や、どこの馬の骨かわからない企業が僕のことを"彼氏"とするのは間違っている。これは一般的な感覚だろう。これらから、この"彼氏の"は男性ではなく、女性、つまり"彼女"に向けて書かれた言葉であることがわかる。
この一文節には、さらに重要な情報が含まれている。"旦那"ではなく"彼氏"と書かれていることだ。ここから彼女は未婚であり、現在同棲中か、あるいは半同棲中であることがわかる。
これは僕の想像だが、半同棲中という方が近いだろう。二人で家を借りて本格的に同棲をするというのであれば、ボディタオルのような基本的な日用品は、すでに買っているはずだ。そして、それは買い換えられることが少ない。一般的なボディタオルは、一般的な男女の関係よりも丈夫にできている。
彼女は、彼氏のボディタオルを買い替えに来たのではなく、ないから買いに来たのだろう。ボディタオルがない、ということは、彼らはお互いに別の住まいを持っている。つまり、彼女の家にボディタオルが必要なほどの頻度で男が出入りしている可能性が高い。
"彼女は健気にも、半同棲中の彼氏のためにボディタオルを買いに来た"というわけだ。
これも想像だが、彼女は彼氏に主導権を握られているはずだ。僕のような気弱な男は「ボディタオルがほしいなぁ」と思ったら、自分で用意する。仕事がめちゃくちゃ上手くいった日に、血迷って「ボディタオル買ってきて」と頼んだとしても、主導権が彼女にあるなら「自分で買ってきなさいよ」と言われてしまうだろう。彼女にボディタオルを買わせることができるのは、主導権を持った男だけだ。
そして、これは商品名が"旦那"ではなく"彼氏"であることにもつながる。旦那に「ボディタオルを買ってきて」と言われて買いに行く嫁は、ごく少数ということだ。
"彼女は健気にも、半同棲中の主導権を持った彼氏のためにボディタオルを買いに来ている"ということになる。
黒とシルバーの地味だと思っていた配色が、どこか攻撃的に見えてきた。
さらに想像を深めていこう。「ボディタオル買ってきて」というセリフを例示している通り、彼女は自発的に、ボディタオルを買いに来たのではないかもしれない。いくら気の回る人でも、人は他人のボディタオルにまで、気はまわらない。
彼女が彼氏のために、食器を用意したり、シャツにアイロンをかけてあげることはあるかもしれない。しかし彼氏が、風呂という限定的なシチュエーションにおいて、身体を洗いにくいかもしれないと想像して、ボディタオルを用意する彼女はさすがに出来すぎである。
"彼女は健気にも、半同棲中の主導権を持った彼氏に「ボディタオル買ってきて」と言われ、ボディタオルを買いに来ている" かもしれない。
そして、ボディソープ売り場でようやく目にしたのが、「彼氏の♂あわシャリボディタオル」。
ここまでくれば、あとは適当な情報を付加すれば、ペルソナが見えてくる。 <h3>o- *</h3>
彼女は今年の四月から新社会人になった。新しい人間関係、初めての仕事、そして、初めてのひとり暮らし。期待に胸を踊らせたのは、もう数ヶ月前だ。いざ入社してみると、雑用のような仕事や接待に追われる日々が続く。自分が大学生の頃に描いた、キラキラした社会人像との差に、ため息が漏れる。
そんな彼女にも、三ヶ月前に彼氏ができた。少し年上で、あまり自分を曲げないが、優しい一面もある男だ。彼女はこれまでも、恋人ができたことはあった。それは所詮、学生同士の付き合い。彼女の家は厳しかったので、ずっと一緒にいられたわけでもないし、深いつながりを感じたことはない。
しかし、今回は違った。彼女と彼氏が望む限りは、何時間だって一緒にいることができた。彼女は、彼氏と過ごす中で、深い心のつながりを感じるようになった。彼女は、彼氏に夢中になった。やがて週に三日は、彼氏が泊まりに来るようになった。彼氏との生活は、本番のおままごとみたいに、楽しいものだった。
最近、そんな幸せな関係に陰りが見えはじめた。彼が泊まりに来る頻度が減ってきたのだ。彼氏の態度も少し冷たくなったと感じる。初めは料理を作ってあげると、嬉しそうにしてくれた彼氏だったが、今では、食べ終わるとだまってスマホをさわり始める。私はあなたの奴隷じゃないのよ。そんなことは言えるはずもなく、緩やかな怒りと悲しみを感じた。彼女は、彼氏ともう一度、あの頃のような関係にもどりたいと思っていた。
「うん、わかった。今度買ってくるね」彼女は明るく取り繕ったように言った。
彼女は考えた。誰しも、他人の家というのは、自分の家ほど居心地が良くない。彼氏は、風呂に自分のボディタオルがなくて、不自由に感じていたのだろう。私は、そんなことも気がつけなかったのか。彼氏の居心地がよくなるよう気を使えれば、もっと一緒にいてくれるだろうか。
彼女はドラッグストアで買い物をしている最中に、そのことを思い出した。
「ボディタオル、買わないと。」
彼女はボディソープ売り場の横に、ボディタオルが置かれているのを見つけた。男女兼用のものもあったが、だいたい中段より上が男性用、下が女性用になっているようだ。そして、彼女は中段より上に、"それ"を発見した。
いよいよ皆さんYouTubeやらサロンでのお金稼ぎに躍起になって、
なりふり構わなくなったというか、今まで耳障りの良い言葉や何かやってる感で見えづらくしていた
本性がどんどん出てきてしまっている気がする。
より分かりやすい形で彼らが何をやっているのか、どのような内情なのかが明らかになり、
それが各種まとめやTwitterなどで拡散されることになる。
(まぁブログやTwitterを積極的に使えって言うのは本来サロンとかの宣伝目的で教祖様が言ってるんだろうけど)
「自分たちの勝ちを理解できない負け組がやっている」として延焼を抑えることはできるだろう。
でもそれができるのは今既にメンバーになっている人までだ。
ギリギリであと数年はその辺の情報に疎い新大学生とか新社会人なんかは囲い込みできるかもしれない。
でも、ネットワークビジネスに近づくなとか、異業種交流会に言ったら悪名高いボードゲームが始まった、
「例に挙げたような人のサロンに入っている、というのは周囲から距離を置かれるものだ」
という合意形成はあと数年で成されると思う。
お金がやりがいや成長という名目の搾取に吸われている構造がずっと続くはずがない。
もちろん既に大金をせしめているだろうし、本人が違法なことをしているわけでもない、
廃れたら次のプラットフォームでまた情弱貧困層から金を巻き上げる方法を考えるのだろう。
(彼らは本当にこの方法を考えて実行する悪才に長けていると思う)
祖母はまだピンピン生きてるから年金暮らしだよ。これと私とおばさんが家に入れる月数万で暮らしてる。
こないだ新社会人の私より貯蓄額が少ないっておばさんに言われたから(今はわからんけど)
将来アテにされるかもしれないし早いとこ家を出て出会いを見つけたい。
父親からは一人暮らしする金なんてないんだから実家で暮らして25になったら結婚相談所行って結婚しろって言われてる。
言うほどひどい状況ではないよ。
進学のお金出してくれてたし、大学も仕送りくれたし、習い事もさせてくれたし。
ここは父方の祖父母の家で、父親は頻繁に家来てご飯食べて帰るから、私と関わる時間はあるよ。
(自炊せずいまだに祖母(母)のご飯食いにくるってそれもそれでどうなのって話だけど。)
父はモラハラだから私には基本甘いけど母親は冷遇って感じで、父方の祖父母もおばさんもみんな母のことは嫌ってる。
夫婦の問題だから子供が何言ってももうダメだって気づいてからは無視してる。
あとは3歳くらいから(精神病発症して)何も母親らしいことしてくれない母親に、
今更「育てられなかった時間をやりなおしたいから昔みたいにまた3人で暮らそう」って母親面で束縛されかけてるのが苦痛ってだけかな。
書いてて気づいたけど両親がいる本当の実家にも祖母とおばさんがいる仮の実家にも私の居場所ってないかもしれん。
父親からは「新社会人で年収足りてないんだから一人暮らしするな 25になったら結婚しろ おばさんみたいになるな」って言われてる。
もう年越しの時期かー。はやいなー
こないだ友達と正月迎えたばっかりだったのに。その友達とは今年1年かけて疎遠になった。
4月新社会人になって、なんか仕事に追われてたら秒で毎月過ぎてた×9ヶ月って感じ。
何も味気ないな。
数ヶ月に一度ぱーーっとやりたくなるが、どこにも行けんし。
飲みに出れるほどお酒強くないし、友達いないし、どこにも行けんし。
一人暮らしできるだけの年収もなくて毎日実家で祖母・叔父(独身)・たまに飯だけ食いにくる父親と過ごしては
ジェネレーションギャップを感じたり、田舎特有の陰湿な発言に内心イライラしたりして。
絶対一人暮らししてやる!って思うけど、個人事業主なのもあって、年金保険料その他税金あれこれ払える年収になるのはずいぶん先になりそう。
今が一番若い毎日をこんな感じで過ごして、激務で友達減って、ツイッターでは仲良かった人にネット恋愛持ちかけられてクソ疲弊して。
きっと大学入ったら恋人見つけて付き合って社会人3〜5年目くらいまで付き合って結婚してなんかイイ感じに生きてくんだ、みたいな
個人事業主。自分で決めた道だし仕事はありがたいことにあるけど始めたてだから薄利多売みたいな状況。
職場仲間もいないから変な人間関係や飲み会に付き合わなくていいのは最高だけど、孤独すぎて大学時代恋人見つけなかったのが悔やまれる。
(そもそも自分が恋人見つけられるほどのスペックじゃないのだが)
最初は絶望してたけど、今はもうなるようになれとしか思わない。親からは一人っ子なんだし婚活してくれとか言われてるけどそんなの知らない。
運悪ければ増田家はここで途絶える。それだけ。すまんな。
つーかまだ仕事終わってない。これ書き終えたらちまちま始める。
この一年、自分の先延ばしグセがひどいこともわかったな。先延ばししないで済ませると後がラクって体に教え込んで来年は改善したい。
あと深夜も起きることが増えて夜食で太った。ジム通うべきか?遠いんだよなー。
それと貯金。一応給料用と生活用で口座分けてるけど、貯蓄用にもう一つ作るべきだから年明けたら作りにいかないとな。
あー ひとりだとこうやって1年が過ぎるんだなー。
いや大学の時も余裕でひとりだったけど、一人暮らししてたし知らん土地で毎日刺激あったな。当分一人暮らしなんてムリだけど。
仕事めんどくせ〜〜!でもやんなきゃな。眠くなるまでは一応やらんとな。
なんかもうただただこのままゆるやかに、毎年こうやって同じことを思いながら、同じ状況のまま、老いていつか死ぬんやろな。
インスタとか見てると恋人とのツーショ、匂わせ自慢、充実投稿色々あって「けっ」とは思うけど最近は「楽しそうでいいね〜」という感情のがでかい。
かれこれ20年ほど前、某ディーラーでコンパクトカーを買った。
当時の私は新社会人。会社も住まいも実家から離れ、車必須な地域だったので、就職してすぐの4月に大急ぎで契約した。
ディーラーの担当は、会社の先輩社員の知り合いらしく、手厚くもてなしてくれた。
新しい担当はやっつけ感がヒドい人だった。
実家に帰ることにした。
県をまたいでの就職だったので、車の登録情報を変えようと思った。
ディーラーの担当はなんだか信用できないのと、体調が悪いとは言え時間は余っていたので、自分で陸運局で住所変更した。
そこで判明したことがある。
車の所有者はディーラーだった。
ローンを組んだ場合、払い終わるまでは所有権がディーラーにあると聞いていた。
でも、全額現金で支払い終えている。
なので、言い分を聞くと
「慣例でこういうものなんです」
そうですか、現金一括で買った私は、あなたの会社から貸してもらってるの知らなかったんですね。
ここで、問題。正解はどっち?
1.最初の担当が「どうせ3月まで学生だったんだしローンだろ」と高を括って所有者がディーラーだった。そして、訂正するのを忘れてた。
2.本当にそういう慣例だった。私が世間知らずだった。謝罪の言葉を聞けてないあたり、間違ってるのは私。
どっちなんでしょうね。
私が所有権にこだわりすぎなんでしょうか。
技術がすごくても、そういうことやっちゃえって会社だったのかな(笑)
あの時の車を見る度に思い出します。
私が間違ってたのかなあ、、、
10年前の夏の夜、東京のどこかの雑居ビルのエレベーターのなかで、ボタン操作をしていた30歳くらいのサラリーマンの方へ。
同じエレベーターのなかで、迫りくる大口取引先の40代男性から、もはや泣きそうになりながら、引きつった笑顔で逃れていた私です。
あの時あなたは、なんとなくを装って、酔ったセクハラ取引先のおじさんと私の間に背中を割り込ませてくれましたね。
貴方がセクハラおじさんを軽蔑の眼差しで一瞥したあと、私に助け舟を出しくださったこと、私は気付きました。あなたの行動と正義感、助け舟に今も深く感謝しております。その節は本当に本当にありがとうございました。
私は23歳の新社会人で、本配属されたばかりで、あの日は人生で初めての接待でした。
私達は直前まで、接待の二次会として、上階のカラオケ屋にいました。上司と取引先のおじさんと私の三人だけの宴席で、私はそこからすでにセクハラを受けており、肩を撫でさすられたり、肘で胸の横をつついたりされていました。
「失礼のないようにね!」と送り出されたその場所で、大口大手取引先の担当者ということもあり、私はどんなことがあってもニコニコしないといけないと思い込んでいました。
同席していた上司の課長は盛り上げに徹しており、助けてくれず、取引先おじさんのセクハラはどんどん熱が篭っていくようで私はもう泣きそうに引いており、しかし何と言って良いのかも分からず「いやいやそんな笑」「えぇ〜笑」などと冗談まじりに口に出してみて、接待の対面を保ちながら、なんとか抵抗しようとするのが精一杯でした。けれど40代おじさん取引先は上機嫌になるばかりで、ついには握られた手の甲を舐められるほど、私は舐められておりました。
男性が怖い、大人が怖い、社会が、仕事が怖い…おじさんがキモい…上司もだれも助けてくれない…
そんな絶望感でいっぱいになりながら、雑居ビルにあるカラオケ屋をでたエレベーターの中、酔っ払いセクハラおじさんは私の髪の匂いを嗅ごうとこちらに体を傾けてきました。
エレベーターのなかは、私とセクハラおじさんと助けてくれない上司と、あなたでしたね。
私は見知らぬ他人の前でもこんな風にセクハラされるのかと、恥ずかしさと惨めさと絶望感でいっぱいだったそのとき。
助けてくれて、本当にありがとうございました。
あのエレベーターから降りてなんとか接待から脱兎し、帰路につき最寄駅についたときには、駅前のベンチに座り込みボロボロと泣くくらいショックな出来事でした(なお同時にセクハラ担当者からは「付き合ってほしい」とメールが入ってきていました)
男性が嫌悪する対象になりそうでしたが、セクハラ野郎を軽蔑の眼差しで一瞥し、助け舟をだしてくれたのもまた見知らぬ男性だったことも、ずっと覚えていようと思い、思い直しました。
あなたにとっては大したことではなかったし、気持ち悪いからなんとなくとった行動だったかもしれませんが、あの時、絶望感でいっぱいだったとき、本当に救われた気持ちになったのです。
最近とある動画をみて、改めて感謝の気持ちを覚えたけれど、お礼を伝える術がないのでここに書き記します。あの時の親切、一生覚えていると思います。本当にありがとうございました。
3日間めちゃくちゃ移動しまくって遊びまくった。
友達たちと一緒に過ごしていて感じた事がある。
・めちゃくちゃ動く
シンプルにあっち行ったりこっち行ったり、ついて行くだけで大変で足が痛くてヤバかった
車での移動は自分だけ疲れてうたた寝してしまうのに、みんなマジでノンストップで話すしずっと運転してくれている
・寝るのが早い
自分はみんなより体力ないし、遠いから1人早起きしたんだけどそれでもみんな早く寝る
・よく食べる
今回基本的にバイキングだったけどマジで嵐のようにすぐに食べ物が消える
他にもみんな細かいたくさんのことを記憶していてすぐにそれを引き出せるし、笑えるユーモアがあって、仕事も既に戦力としてやっていけている
同じ状況で共に過ごしていて実感する、人として生きていく為の才能の違いのようなものを感じた