はてなキーワード: 怠惰とは
このお話について、個人的な意見を述べたいと思う。こうしてブログに書くのは初めてなので、文章ぐちゃぐちゃだったら申し訳ないです。
このお話は、確かに犯罪を肯定してしまうような面は無くはないけど、それは犯罪をテーマに扱う物語では多少あっても仕方ないのかな、とは思う。名作と言われる物語にそれが無いとは言えないし。キモチワルイと思う人も居るだろうし、好きな人もいるだろう。それは個人の好みの問題だと思う。
私はこの話を読んで、
「これ、専業主婦願望の話じゃない?」
と思った。
もちろん、専業主婦が家庭内で監禁されている云々といいたいのではない。
この話を肯定する若い女の子たちのなかには、「専業主婦願望」が潜んでいるのではないかな、と思ったのだ。
ざっくり説明すると、以下のようになる。
①ストーカーされるくらい愛される
愛や結婚というものが絶対的でなくなってしまった今、女の子たちは「自分を盲目的に愛している存在」を「ストーカーして、攫ってくれる兄さん」に重ねているのではないだろうか。
②今の状況への不安、そしてここから抜け出したいといううっすらとした願望。これは所謂「シンデレラストーリー」と似たようなものだ。ずっと不遇な状況下でいる「私」に「魔法使い」が現れ王子様と結婚する、成り上がりの物語だ。
本当のシンデレラストーリーと少し違うのは、「自分では何も努力しないで」というところだろうか。
「誘拐」に努力は必要ない。「ここから救い出して」「攫って」くれる「王子様」の物語をこの作品に見ているのではないだろうか。
主人公の女の子は虐待され、さらに誘拐されるという絶対的な被害者である。この「被害者であること」はとても強い。被害者は加害者を組み敷くことが可能である。どんなに相手を責めようとも、言葉で罵倒しようとも、(ある程度までは)物理的に傷つけようとも「被害を受けた」ことには変わりがない。その上、相手は「罪の意識」が存在するため、半永久的に上に立てる。
ドラマなどで加害者が土下座する中被害者やその遺族が相手を罵倒したり殴ったりする「当たり前の」シーンを見たことがあるだろう。
④専業主婦になりたいけどなれない
今の日本社会、共働きが当たり前専業主婦なぞ夢の夢というのは若い子にも痛いほどわかっている。働きたくない、ごろごろして生きていきたい。という願望は男女問わず誰しも持っているものだと思う。
しかし、それを口にすることは許されない。「働きたくない」と言おうものなら様々な方面から正論で殴られることは必至である。たとえそれが本心でなく、願望であれ、だ。
これらの①〜④が結びついたのが「幸色のワンルーム」ではないかと思う。
自分は何一つ努力しないまま、攫ってくれる「誰か」が現れて盲目的に愛してくれる。相手は加害者であるので、(言動に出るかはさて置いて、気持ちの問題として)こちらが圧倒的に優位である。そして、監禁されるというシュチュエーションにより、外に出ることができない(=働かなくていい)。
言い方は悪いが、「現実的な」なろうにある異世界モノのようだと私は思う。
異世界に行き、「無双する」ことで現実世界では叶えられないチート願望を叶える。
その「なろう」の構造をそのまま現実世界に持ち込むことはできないので、「犯罪」を持ち込み男女間の立場の不均衡という現実味を加えることで「働かない」願望を成立させる。
この物語を愛好する人たちの一部の意識にこの構造が潜んでいるのではないだろうか?と私は思った。
彼らはこんな「誘拐され」「監禁され」、自分がただただ被害者になるような状況でしか「専業主婦」である願望を叶えることができない、と考えているとしたならば。
犯罪者」と「被害者」の不均衡の上にしか成り立たない関係に「真実の愛」と「自分の願望が叶うこと」を見ているとするならば、これほど悲しいことはあるだろうか?
彼らは社会に失望し、人間に絶望していると言えないだろうか。そうだとしたら、とてもつらいと思う。
最後に。
もちろんこの考察はふと思い至って書き付けただけの与太である。この考え方が真だとは露ほども思わないし、『幸色のワンルーム』をいいな、と思う人たちはこんな怠惰な人間だ!と非難するつもりもない。(というか、誰にでもある願望だと思う)
ただ、ほんの少しでも「この話を持て囃す人たちの意味がわからない」と思う人たちへの助けになればな、程度の書き散らしである。
幸い優しい社長、上司に恵まれてクビは免れているが、事あるごとに厳重注意。
3度目はもう呆れられていた。
「なぜ同じミスを繰り返すんだ」
「どうして間違ったの?確認すればいいだけじゃん、前も言ったけどさ」
これからもっともっと給料上げて、昇進して、子供を大学いかせたいし不自由なく暮らしていきたい。家の購入も段取りが付いてきている。
自覚はあるつもりなのに、いつもこうだ。
ネットにある診断テストや傾向を見ると、見事に自分が当てはまっていた。
落ち着きが無い、集中が続かない。片づけられない、サボる、幼少期の通知表に「落ち着きが無い」と書かれている…などなど。
…もしかして、ADHDに効く薬を飲めば…自分はミスしない人間になれるんじゃないか?怠惰で阿呆な自分が、真人間に変身できるんじゃないか?
そう考えた。
うん、その通りだと思った。精神病や発達障害の診断がされたら最後、保険加入は絶望的。会社にバレたらさらに立場は無くなるだろう(もうすでに無いけど)
なので、こっそり輸入の薬を買うことにした。
今年(2018)から、ADHDに効く薬は輸入が禁止されたそうで、輸入販売サイトの在庫が無くなれば医者に行くしか手に入る方法が無くなるそうだ。いまはギリギリ在庫が残っていたので、あわてて購入した。
薬が届くのがとても楽しみだ。
副作用があるとか、医師の意見なしで服用するのは危険とか、いろいろ意見はあるけど、そんなのどうでもいい。
ぶっちゃけ副作用で死んでもいいのだ。だって、こんなクソ人間のまま過ごしても、家族を幸せには出来ない。死んで保険金を残し、第二のパートナーを見つけてもらう方がよっぽど幸せになれるだろう。
B4のとき、ボスが力を入れているテーマを与えられて、めちゃくちゃ面倒を見てもらっている。
進捗ない。申し訳ない。いや、実際にはそれほど申し訳ないと思ってないクズ。
毎日何もしないで生きていて、申し訳ないと思わないこともないけど、動けない。動きたくない。怠惰。
今まで受け身の人生だったけど、これからもずっと受け身なんだろうな。
昨日までの記憶が無くなれば、少しはマシな人間になれるのかな。とか、起こり得ないこと考えて、無意味なこと考えて生きている。
病院に行けば鬱だと言われるんだろうか。本質を見抜かれて怠惰なだけと言われるんだろうか。
実際怠惰なだけなのだが、直すのも億劫。直す方法ないかな〜、って毎日ググってる。
ひたすらやりたくないことはやりたくない。死んでしまいたい。
でもやりたいこともない。死にたい。
ロープ買うところまではいった。でも一生使うことはないだろう、形だけ。
言えたら少し楽になるのかもしれない。でも楽になるのは自分だけで、言われた相手は辛くなる。
周りがどうやって生きているのか分からない。
なんともない振りして生きられるのすごい。偉い。
死にたい思考から抜けられなくて辛い。いや、実際はやるべきことから逃げているだけ。
何が言いたいのかも分からない。
一生何もしなくてもいいだけのお金が欲しい。
努力しないで何かを得たい。
何もしないで得られる訳ないだろ死んで。
なぜこの社会はこんなにも生きづらいのか?
我々がこのように言うとき、圧倒的多数の「普通」の者たちは言う。
それは自己責任だと。
悪い労働環境はお前が技能、知識、経験を得ようとしなかった結果だと。
勝者である彼らも努力しただろう。しかし彼らは知らない。恵まれた環境になければそれらを得る努力すらできないことを。
また彼らは知らない。彼らが己を磨いている間、我々は目の前にある脅威に対処するのに必死だったことを。
人は持って生まれたものの価値を知るすべはない。したがって恵まれた環境で生まれ、もしくは育った彼らに我々の声は届かないのだ。
我々は怠惰ではない。重い頭と体に鞭を打ち、その時できる最大限の努力をしてきた。
にもかかわらず勝者たちと同じ階級で戦わされ、自己責任の名のもとに搾取される。
こんな理不尽があっていいのか?
少しでも変えたいと思わないか?
我々が心から嘆くとき、彼らは異分子として我々を笑いものにし、茶化し、排除した。危ない奴だ、変な奴だ、と。
しかし今、我々に必要なのは社会に響き渡る声である。そしてそれを作るのは多くの仲間だ。
少しでも気持ちがあれば、次なる声を捕えられるよう、自分なりにアンテナを張り巡らせておいてほしい。
正確にはやめてないし止めるつもりもないんだけども
色々あって推しジャンルの展開に悲しみに暮れた結果、心の拠り所がオタク活動、ジャンルしかなかった
と気付いてこのままじゃ自分やべーぞ・・・と気付いて依存からの脱却・・・というよりは
依存先の分散を出来るようがんばろうと思ったのが前回のあらすじ
いや、全く変わってないことはない。
推しジャンルについて、時間経過のおかげか前よりは直視できるようになった
まあ結局勇気がでなくてまだ見れてないし、もう少し心の安定ができてからジャンルに復帰したいと
思っているんだけど。何も変わってないまま復帰できても根本的に解決になってないしな・・・
オタ以外or推しジャンル以外の好きなものをみつけようと活動するも
毎日活動してたわけでも考えていたわけでもないし、気力が湧かなかったりもあって怠惰に過ごしていた日も結構あったのもある・・・
料理してみたり婚活サイトに登録してみたり、積極的に別ジャンル見てみたりしていたけど
まだ決め付けるには早すぎる段階だからこの活動に見切りをつけたりはしないけど
でも最終的にほかに好きなものは見つかりませんでしたってなったらどうしよう・・・
と不安は抱く
正直にいうと、勿論しんどかったこともあったけどオタしかない、依存していた時期の方が楽しかった
今も毎日つまらないことはないけど、虚無感を感じることが度々増えた
Twitterとかでも皆はジャンルについて盛り上がっているからたまに苦しくなるし
だからオタク自体やめたり、ジャンルから完全撤退はあまりしたくない。そのほうがすっきりするのかも
しれないけど・・・
でも”それしかない”のも悲しいと思う
今ジャンルに戻って展開も受け入れれば楽しく過ごせる毎日が戻ってくるかもしれない
もうこれでいいたと割り切っちゃっていいのかもしれない。
でも短期的な快楽だけを求めているようで長期的にみたらどうなんだろう
やっぱりアレが一番だった!とせっかく依存治療していたのに一時の快楽に負けるあれ・・・
結局依存から抜け出せないまま戻って、また自分が受け付けない展開になったらどうするつもりなんだろう・・・
健全な楽しみ方をできていない気がする
オタクならみんなこんな感じなのかな?いや・・・少数派な気がする
実際はどうだかわからないけど皆仕事やら私生活やら他の趣味やら色々あって、そこまで趣味に
執着するほど不健全じゃない気がする
要するに
複数のジャンルを楽しむ、オタク以外にも自分の居場所、楽しいと思えるものがあったうえで、
今のジャンルに全振りするんじゃなく、色々割り振りたい。
その上で、現ジャンルに戻ってまた普通に楽しむことがしたいんだ
でもその土台がまだmだできていないせいで辛い・・・って愚痴を吐き出したかった。
もう自分で決めた期間内でどうしても変われなかったら、せめてオタクという範囲内で依存分散の
努力しつつ、現ジャンルに戻る努力に努力を振ろうかな・・・・・・
でもせめて5月中はまだがんばろう・・・
、
「漫画村の情報提供をねとらぼに行うまでの思い」(https://anond.hatelabo.jp/20180427180812)を公開し、多くのコメントを頂けた事、とても感謝してます。
ありがとう皆さん。
その中に「家族と友人がいい人でよかった」というコメントを見かけた。
どちらかが欠けても自分は動くことが出来なかっただろう。
面と向かって伝えることは恥ずかしくて出来ないが、この場を借りて家族と友人に感謝を伝えたい。
みんなありがとう。
今回情報提供した事でクソ真面目なイメージを持たれたかもしれないが、自分は全くの正反対で怠惰な性格である。
「明日でいいか」といつまでも先延ばしにする性格で、夏休みの宿題はいつも学校が始まってから慌てて片付ける。
惰眠を好み、やる事(やれる事)や関心が持てる事がなければすぐベッドに潜るぐらいのダメ人間だ。
ダメ人間だから褒められることには慣れていなくて、コメント欄を見た時には「もっと早く言えばよかった」と申し訳無さしかなかった。
「お前はバカ正直で素直で、大人になっても子どものような純粋さを持っている」
「その純粋さを覚えていて欲しいが、社会に出たことでスレる必要もある」
「世の中で悪い大人に利用されて泣くことになるのは、悪い人とお前のようなバカ正直者だ」
家族と友人から度々こういったニュアンスの言葉を投げかけられる。
これは幼少の頃からの悪い所だ。
大人から「危ないからやめなさい」注意を受けても、何がどう危ないのかを説明されないとやめなかった。バカだからだ。
そしてたくさん擦り傷切り傷をつくり、骨折をしたこともあった。
それでも自分は「なるほど、だから危ないのか」と痛みと引き換えに答えがわかったのでヘラヘラしていた。
それは面接の時にも言った、バカ正直な自分は事前に言うべき自己PRは頭にいれない。
「どうして弊社に来たのですか?」
「インターネットが生活と切り離せなくなった昨今、目につく広告が多く、そういう広告を配信している会社は何を思ってそれを生業としているのか、どういう仕組みなのか、全ては興味本位です」
バカは言葉を飾る必要なんてない、飾った所でバレてしまうのだからバカはバカらしく正直に言えばいい。
生活する上でお金は大切だ。お金とは別にこの問題はもう一つ大切なものがある。
文化。
この国の名前を背負って世界中の人々に見てもらう、そして日本の文化に触れてもらう。
クリエイティブな活動をする彼らは知らず知らずのうちに大きなものを背負っているのだ。
作品に触発され、日本人の我々よりも行動的な海外の彼らは実際にこの国へ足を運ぶだろう。
世界を巻き込みながらお金が回る、これは経済としてあるべき姿ではないだろうか。
(このあたりは専門家ではないので薄っぺらい事しか言えない、申し訳ない)
アニメやTV番組、映画などの映像をアップロードしたサイトは悪と言われているのに同じ映像のアダルト作品に関しては目を瞑られている所。
これはどうしてだろうか、常々疑問である。
夢がないと言われそうだが、自分は映画もアダルト作品も同じクリエイティブなものだと思っている。
娯楽として見る映画と性的欲求を満たすアダルト、何が違うのだろうか。
女優、俳優、監督、スタイリスト、カメラマン、それぞれが集い一つの作品を作っている。
世に出るまでの工程はさほど変わらないのに、なぜアダルト作品は違法サイトで取り扱われても問題視されないのか。
これは恐らく、日本人の性に対する考え方だと思う。
現状の性教育レベルと性に関する抵抗がある限り、アダルト作品は"作品として"扱われることはないだろう。
性に対して閉鎖的かつ抵抗がある限り、潜在意識下で「アダルト作品は極力見てはいけない」というセーブが働いてしまうから。
海外では家族がそういう事に関する疑問や不安に答えるとも聞いた。
もう少しだけ、この国もオープンになるべきではないだろうか。
そうすれば自然とアダルト作品を違法アップロードしているサイトも問題視されるはずだ。
(誤って消してしまったので再掲)
デザインのダサさに文句言う前にちょっと考えてみぃ。二百円やぞ。200円。
しかもモノ代やなくて送料。
前のデザインに夢を見たのはわかる。俺も見た。しかし夢を見させたのはデザインだけにおいてではなかったはずだ。
俺はテクノロジーに夢を見たのだ。
正確には巻尺使ってセルフであちこちいちいち測らなくても良くなるという怠惰な未来をだ。
俺はデブだ。どう頑張ってもBMIが24を切れない。しかし切りたい。もはや見た目とかそういう問題ではなく健康上の理由から痩せなくてはならない。
そういうときに、どうせなら格好良く痩せたいではないか。筋トレしたらその効果が出てるかどうか、どれくらいの負荷でどれくらいの期間でどの程度筋肉が肥大し脂肪がしぼむのかを調べるセルフ人体実験の結果を数値で把握し続けたいではないか。しかしデブは同意してくれると思うが自分の身体の各所を測るのってけっこう大変でめんどくさいのだ。屈むのつらいし。
それがスマホでパパッとできるってんだぞ。デザインがダサいくらいで諦められるか?どうせ外出着どころか寝巻きにもしないブツだ。
そもそもどんな神デザインだってデブが着たら柄がのびのびになってシルエットはボンレスハムのモノマネみたいになるのだ。
正直最初からクソダサい方がダサさにダメージを転嫁できるとさえ思う。俺はこんなもんじゃないって思える気がするんだ。
俺は諦めねえぞ。畜生、俺は諦めねえ。
https://togetter.com/li/1126989
https://togetter.com/li/824984
ここ辺りの話についての私感です。
おそらくこの話の本質的な要素として、
・人は歳を取ると普通はキモくなる(凡例はあなたの親、ないし祖父母、ないし親戚、etc…)
・議論者の親やその周りの大人は世間一般的に語られる意味でキモい(セクハラ、男尊女卑など)
・そういった大人は家庭を持てているのに、その性質を受け継いだキモい人は結婚できていない
上記の流れがあるとは思う。(注;ちなみに、キモくないおっさんは80歳超えて100メートル走できるジジババ並みにレアなので、決して勘違いしないように。)
自由恋愛はもう既に広まりきった概念であり、これを崩すのは難しいと思う。
理由は至極全うで、普通は親というものは怠惰で、不細工で、慧眼もなく智慧も乏しい。
その性質を持った親に生まれ育ったのだ。その身の上で自己練磨など、不世出でもない限り無理だ。
むごいことに、これは男だけでなく女にも当てはまる。
つまり、みんなそんなに上等な評価を下されるべき人物ではない。上等ではない癖に、自由経済の如き自由恋愛を希求するのだ。
相応に賢い女性が、社会に出ずに専業主婦として生きていける旦那を選ぶ、というのは書いていて納得したところだ。
優良な旦那を伴侶とし、衆愚と交わることなく自身と近い性質を持つ高品質な女性と交流する方が、子供にとっても負担にならないだろう。
男も女も、お見合いおばさんが縁談を持ち掛けてきたり、家の都合で結婚できているうちはまだ良かった。適当に結婚できてしまう内は良かった。
今の時代では、世間体など関係なく、個々の感情的な価値観だけでも伴侶を決められる。
誰もが父、ないし母、ないし親戚か身近の不良のような異性だけは嫌だ、と避け続ける。
無能も醜容も当たり前であり、同居しているのはつい頭から抜け落ちてしまうのだろうか。
後世に伝えるべきは、相手が無能でも気にしないいい加減さと、相手が自身の無能を気にしないかフィーリングするテクニックを身に着けるべきだろう。
子供ほしくない派だけど、その話になるとほぼ100%「なんで!?」って言われて一方的な尋問が始まり、はては「わかんねーかわいそー」みたいな顔されるのがなんか不公平だなーと思い始めた。
ほしくない人には説明責任があるらしいのに、欲しい人は当たり前のことだから説明は省略、みたいな思考停止はよくなくない?こちらに理由を尋ねるなら、そちらも同程度には言語化して提示して欲しい。あとわかんねーと思ってるのはこっちも同じだ。
・赤ん坊がぜんぜん可愛くない
・夫が激務なので育児の協力に限界がある、でもワンオペ育児とか絶対嫌
・育休復帰ママの働き方見てると辛そう、同じことやる自信ない
・将来に渡って子供の人生にそれなりの責任を感じなきゃいけないのに耐えられない
・この辛い世の中に生まれてくるとか私なら嫌なので、自分が嫌なことは人(子供)にもしない
・子供とかいたら好きな時に離婚したり死んだりできなくなりそうで嫌
スラックティビズム(英: slacktivism)は、「怠け者(slacker)」と「社会運動(activism)」とを掛け合わせた合成語である。労力や負担を負わずに、社会運動めいたことをする行為を指す。
この用語は、社会に意味のある影響を与えていないのに、社会にとって良い活動をしたつもりになる自己満足的行為について、軽蔑を込めて使われている。こうしたスラックティビスト(スラックティビズムにあたる行為をする人)たちの行為は、多くの場合、個人の労力や負担を必要としない。
この用語は、社会に意味のある影響を与えていないのに、社会にとって良い活動をしたつもりになる自己満足的行為について、軽蔑を込めて使われている。
2002年に、この用語は怠惰であることを基準に再定義され、広く使われるようになった。「スラックティビスト」は、直接的に社会運動を行うことを避け、余計ともいえるような、やってもやらなくてもよいことをやっている人々を指すようになった。
アニメーターやイラストレーターに当たる方々の苦痛に満ちた生活についての書き込みは、ネットでよく見られる。
ただ、彼ら絵描きがしんどい日々を送るのは人間性、生活スタイルなどを考慮すると致し方ない部分が見られるのも事実だ。
自営業者の端くれとして、そんな彼らにアドバイスをしておきたい。
・コミュニケーションを円滑にする
著名人の逸話を例とすると、ピカソの話は人口に膾炙するものだろう。
「ピカソさん、私あなたの大ファンなんです。この紙に一つ絵を描いてくれませんか?」
ピカソは紙とペンを受け取ると30秒ほどで絵を描き、手渡しながらこう言ったそうです。
「1万ドルだ」
「この絵を描くのにたった'30秒'しかかかってないのですよ?高すぎます!」
「30秒ではない。40年と30秒だ」”
有名な話なので細かく解説はしないものの、この話を鵜呑みにする方は危なっかしい。
この発言が許されるのは、見知らぬご婦人からピカソに絵を描いてほしい、と頼まれるほどの画家だったからである。
勲章を賜るほどの評価をなされていない凡百の絵師がこんな発言をしたらどうなるか、考えるまでもない。
これはピカソだから許される考え方だ。サルバドール・ダリにも似通った逸話がある。
少なくとも、彼らは1万ドル払ってでも落書きや髭が欲しい、と思われているのだ。
また、ピカソの逸話らしいのだが(真偽不明)、ピカソは普段の支払いは小切手で済ましていたそうだ。
受け取った人はみんなあのピカソの名前が入った小切手だから、取っておけば価値がつくかもしれない、と思い引き落とさなかったそうだ。(生前ですらそう思われているのがピカソらしい)
奇天烈人ピカソは、こうも処世に長けていた。詰まる所、ピカソほど凄くもない絵描きが、ピカソレベルの処世術を身に着けているのだろうか。
人付き合いが不得手であっても、ご用命があればいつでもどうぞ、ぐらいのことはして欲しい。
アドバイスとして、あなたもおそらくそうであるように、人間はサービスは割安を好む。
絵が上手いだけでなく、納期変更に順応してくれる、だったり、酒の席での一発芸が上手い、ということでも付加価値となる。
・モノを知らない
微分積分はわかるだろうか。共産主義の成り立ちはわかるだろうか。海外に行ったことはあるだろうか。年金の手続きはわかるだろうか。恋はどんな味かご存知だろうか・・・。
全部修める必要はまあないだろう。しかし、もし一つもなんとなくすらわからないようであれば、社会情勢が不安定な往来で、そのアンテナの低さは致命的だ。
絵描き同士で「あの雇い主は金払いがいい」とか「あっこは仕様変更が多すぎる」とかの情報共有は積極的だろうか?
創作の参考になる経験を嬉々として語らいあったことはあるだろうか?
内省してみてほしい。
大事な一例として紹介しておく。がっちりマンデーという番組のコーナーの一つに、ニトリの社長の飲み会はどんなものか、という特集があった。
そこでは、小泉元首相のようなビッグネームが当たり前のように出席しており、商談の取り付けすら決まっていた。
このように世の中にはビジネスチャンスが広がっている。モノを知らないということは、それにすらアクセスできないことになってしまう。
(余談だが、財政緊縮を目的として郵政民営化を成し遂げた小泉元首相が、その席の中で金は使ってナンボ、という旨の発言をしていた。筆者に郵政民営化の真なる失敗を予感させることになった。)
値切られないようにするのは実はとても簡単で、引く手あまたになればいい。
逆に、あなたを引く手が少ないのは、あなたの怠惰に原因がある。(親が大体の家庭では勤め人であることにも遠因はあるだろうが)
2、新規で手に入れた顧客が、定期の顧客にするための営業活動はどれぐらいしているのか
3、見込み客はどう作っているのか、どう探しているのか
おおよそ上記の三点に尽きる。
自営業は勤め人とは違い、このような泥臭いことでも自力でやらなければならない。(勿論、経理や年金も)
これらの要素において楽をしたいなら、アンテナの広さやコミュニケーションが大事になってくる。
割りの良い外注先を常に知っておくべきだ。
とりあえず、今回はこれにて筆を置く。(基本的な話ばかりで申し訳ない・・・)
なお、雇われのアニメーターなどについては別の話なので、触れないでおく。
追記;
私のダイアリーにしてはご意見をいくつかいただけたので、返信しておきたい。
>>イラストレーターも要は自営業なんだよなあ 資本主義社会で生きていく以上は絵の能力だけってわけにはいかない
おっしゃる通りです。資本主義においては、絵の能力は換金手段の高々一要素でしかない、というのを念頭において行動するところからがスタートだと思います。
少々お頭が残念で世間知らずだが人柄は純粋な(普通に就活してもブラック企業を引き当てそうなタイプ)底辺で二極化してる感じ
後者のような、世間知らずに分類され悪用されやすい人こそこれらの事実を知るべきですし、もしそうなら今からでも公務員にでもなるべきなのです。
自身の身の丈すらわからない者は、悪辣な輩からひどい目に遭わされるのは仕方のないことなのです。
それでも専業の絵描きとして生きたい、という方に向けての初歩的な手引きなのです。
>>おおかた親から店を受け継いだだけのボンボンがビジネス書読んで適当フカしてるだけだろうと思う。
層があることも知らないんじゃね…
あくまでも端くれですので、ご容赦ください。
私の身の上の都合上、俗に下層と称されるべき方々とも面識があるつもりです。
そういう人々が周りにいる限り、成功するのは困難であろうことも実感済みです。(勿論、当人の人格にも言えます。)
それでも、誰かの成功のほんのきっかけになれば、という所存です。
>>この増田みたいにショボい自己啓発本の抜粋みたいなものでも ただで読めて少しの間でもみんなでコメントしあえれば たしかに割安の娯楽にはなるよな
あなたに申し上げるなら、ここに書いていることは商売における原則論です。
言ってしまえば、算数では足し算より掛け算を先に、だとか、水は100度で沸騰する、というようなことしか述べていないのです。
それを自己啓発と同等のもの、と感じてしまうのは大変危険です。
ピエロになること自体はやぶさかでないので、ご自由に取り扱ってやってください。
>>拙者ITドカタでござるが知り合いが登壇するというからクリエイター系のイベントに参加したところ名刺交換激しくその知り合いもクライアント候補に名刺凸しててOh~と思ったでござるね。。。
無能こそ公務員や自衛隊に所属すべき、というライフハックが広まっていないのは残念な話です・・・。(あまつさえそれを民衆自身が削減していること自体が無念極まりないです・・・。)
無理にとは言いませんが、あなたはそのご知り合いからだけでいいので、貢献できることがあれば引き受けてみてください。
>>言ってることはよく分かる
本来は自営業者であるのにネットでよく見る愚痴はサラリーマン労働者臭がする
自己責任とまでなじる気はありませんが、周りも自分のクソさを我慢している、という視点が欠落しているようでなりません。