はてなキーワード: 役者とは
各所絶賛ばかりなので、日和って増田にて感想を書かせていただきます。
2.5の経験がほとんどないので、今まで見たことのある普通のお芝居と比べちゃうんですけど、どれもこんなもんなんですか?
とにかく見せたいシーン・必要なシーンの切り取りが続いていくだけなので、感情移入がしにくいです。
黒と黄色を基調としたスタイリッシュな世界観を貫いているのはよくわかったのですが、いくらなんでも無味乾燥としすぎてるやろ...。
感染症対策で公演時間を圧縮しなければならない都合もわかってます。
にしても、あまりにもシーンとシーンの間に間がなさすぎて、感情を落とし込む時間がないです。
皆さんよくご存知ですよね?脳内で補完してね?っていう。客の事前知識に頼りすぎじゃないか?っていう。
それは演劇としてはどうなんでしょうかね。
照明で工夫するか、持ち道具かセリフでわかりやすくすることできるはず。
まーでも説明的なセリフ入れたくないんですよね?わかりますけども。スタイリッシュにしたいですもんね。
スキップがアッシュにとって大事な存在であるという表現が全くないので、悲しくならないしどうしてそこまで怒るのかも伝わってこない。
ショーターも同じく...。
終始そんな感じが続きますので、そんなつもりで観に行ってください...
自分から前のめりに乗っかっていく感じで観てください。原作から感情を補完しながら観てください。そしたらいけると思う。
ていうか、役作り、アニメに寄せすぎじゃないですか?
みなさん頑張ってるのがよくよく伝わってくると同時に、技術が拙いかたの拙さがこれまたよーく伝わってきちゃって辛い。
早乙女友貴さん、新感線の舞台でお見かけするときはアクションもできて演技も良くて...なのですごく期待してたんです。
今作は滑舌もよくないですし、ちょっと一本調子でよくないです。演出家が違うとこうも差が出るのかと。
劇団☆新感線とチケット代同じですもん。(新感線のが安い場合ある)これじゃあいけないですよ。
2.5って顔なんでしょ?イケメンにお布施しにいくんでしょ?って言われちゃいますよ。
いや、本当に私、ものすっごく楽しみにしてたんですよ。
深みのある芝居を、生と死の手触りを感じる芝居を2.5に期待した自分がおかしかったんですかね。
イケメンを見てきゃーっていう、推しメンが3次元に降臨したことだけを喜ぶもんなんすかね。
弾着(銃で撃たれたほうの人の火薬が爆発する表現のこと)もなかったし、流血もなかったし、なんかずっとみんな綺麗なまま終わった。
最後の対決でアッシュのTシャツが徐々に赤く染まってくくらいの表現ないと死にそうなの全然伝わってこなかったです。
アッシュのTシャツ、マジでずっと真っ白だったよね???最後まで白すぎてびっくりした。
こういうの作ってる側の人の目に入ると落ち込むのわかってますけど、こちらもお金を払わせていただいたので絶賛する自由も批判する自由もあるよねということで書かせていただきました。
なんか女優が体型修正を拒否したらしいですね(某ポリコレサイトの記事だからきちんとみてないけど)
確かに一人の人間であってデブでもシワが多くてもどうでもいいんだけど
役を演じる、という面ではその人らしさを全面に出したらキャラクターAじゃなくて女優Aにしかならないしそれって舞台として成立するのか?っていう
自分を見てほしい!っていって役者になるのはわかるけど自分を見てほしい!ありのままを見て!っていうのは役者ではないよな、まだの女でしかないし(インタビューでそういう面を出すのは好き)
ブーブーいう人間よりただの線だけのキャラクターなら舞台装置として完璧では?
アニメ映画の覇権を奪い合う時代になり、世界的にアニメ映画が増える
ヤッター
そしてハリウッドアニメーター賞みたいな無知だからそんなんあるのか知らんが
とんでもない作画、とんでもない演出、とんでもない背景、とんでもないキャラデザが流行る
ヤッター
いい大人になった今更なんだけど、最近アニメの二次創作からBLの界隈を覗くようになった。
BLの存在自体は知ってたし、別に良いとも悪いとも思ってなかったんだけど、これまであんまり興味がなかったので。
そこで、ここにきて当然のようにBがLしてる世界の熱気(というか、その世界を熱心に愛しているファンの熱気?)に衝撃を受けた。
そして、ズルッとハマった。
ハマるきっかけになったアニメの二次創作BLは片っ端から読んだ。
エロいのも愛が凄いのも重いのも。
そのジャンルの二次創作は読み尽くして他のジャンルや一次創作も見た。
作品読んで、これはもうプロなのでは?って人がSNSで普通の会社員やってたりしてビビった。
凄いね、世の中にはすごい技術を持った「普通の人」(作家とかデザイナーとかでない人)がたくさん居るんだね。
で、次に思った。
これ、二次創作でこんなに凄いなら商業BLとやらはもっと凄いのでは?
二次創作とかネット小説とかって玉石混交で、その玉と石を選り分けるのが面倒になってきてたから、これ商業なら勝ち確なのでは?って。
書きそびれたけど、ここまで小説の話です。
と言うわけで、雑誌が見たくて電子書籍のサブスクに入ったから、まあこの機会に嗜んでみっかな、ってBL小説を読んでみたんだけど、なんか…技術は保証されてる感あるんだけど、凄い気になる事がある…
いま6作読んで、そのうちメインの登場人物(つまり攻か受)が小説家だった作品が4作。
なんで…?
作家や役者は経験した事しか表現できない論で何年かごとに炎上してるの見かけるけど、結局そういう感じ?
教えて詳しい人。
テレビとかマスコミが声優のことを話題性だけで考えてそうなのが嫌だ。
ニュースとかでも声優のドラマ出演の話題よく見るけど、あれってアニメでドラマ俳優やタレントを声優に起用するやつの逆パターンだよね。
声優もドラマの俳優も同じ役者だから、活躍の場が広がるのはいいことだと思う。だけどこうも客寄せパンダみたいに扱われてるのは嫌だな。
結論から言うと、今回の件で私は大阪なおみにはあまり肯定的ではない。
じゃあ批判派なのって言われると、まだ彼女が言い分が掴みかねて、はっきりとしたことは言えないのだが。
記者会見のどんな状況が耐え難いストレスで、アスリートへの尊厳を損なうのか、まだ具体的な例は彼女の口からは出ていないはずだ。
しかし、このニュースの一報を聞いたとき、彼女の勇気と行動力を称えるブコメ群とは異なり私は「え~…」とやや保守的な反応をしてしまった。
彼の長い選手生活のうちに、私は学生から社会人へと人生のステップを踏んでいき、今でこそ忙しい社畜生活の中で無理のない程度に楽しんでいるが
(何分、テニスツアーは世界各地で行われるので、ライブ観戦の時差と社畜生活の相性はすこぶる悪い)
一時期は頭のいかれた信者ともいうべきような熱を持って彼を応援していた。わりと痛い信者をやっていた。いや、今もその魔法は解けてないのかもしれない。そんな奴だと分かった上でこの戯言を聞いて欲しい。
私はフェデラーファンゆえに、選手の記者会見というものに多少なりとも思い入れがある。
というのも、彼が多言語話者であるからだ。今もそうかは知らないが、少なくとも一時期、彼は母語であるドイツ語、その後フランス語、英語と記者会見に応じていた。
それは言語が違うだけで、基本的には同じ内容の繰り返しである。ドイツ語・フランス語・英語と3回繰り返す。(錦織も英語・日本語と質疑応答してますね)
同じ内容なら母語のドイツ語か、あるいは世界共通語の英語でやればいいのでは?というのが合理的だが、そうではないらしい。
泣く子も黙った”全盛期”とよばれる時期に、当然ながら記者の人数もすこぶる多かっただろうに、そうした務めをフェデラーは果たしていた。
痛いファンである私は当然ながら、その彼のサービス精神を大変誇りに思っていた。
興行とは注目がなければやっていけない。世間からの注目・知名度はその人の収入や社会的地位に直結する。
テニスとは別にとあるマイナーな舞台エンタメを愛好していた私は、ニッチな業界ゆえに演者たちの懐事情を慮ったりした経験がある。テレビタレントと違って舞台役者はカツカツだ。
それゆえ、まるで規模の違う巨大なマネーが動くテニスという世界的興行においてもメディア対応を怠らない彼を一層好ましく思ったのかもしれない。
熱の濃いファンにとって、試合後の記者会見はたまらない一次ソースだ。なんせ、ついさっきの試合を選手が自身の言葉で述べてくれるのだから。
プレーを見ているだけでは見えてこなかった生々しい選手のキャラクターが見えてくる。
嫌な負け試合でコート上でもラケット叩いたり、審判と口論になったりした後は、記者会見でもその嫌なムードをひきずっていたり、
ご機嫌で終わった試合のあとは記者との間で冗談がとびかったり。
アドバンテージを握られてピンチに陥った時の感情はどうだったか?
ファンにとって、記者会見という場はアスリートをもっと深く知るための橋渡しであると思う。
アスリートは試合後はシャワー浴びてマッサージ受けて早く寝たいのかもしれないから、これはファンのエゴかもしれないが、記者会見はありがたい存在だ。
テニスの場合、大会の公式HPで記者会見の質疑応答が文章で公開されてたりする。その記者会見のスクリプトと日本語記事を見比べては
「ここのニュアンスが違う」だの「文脈をはぶくな」だの玄人ぶってぶつくさ文句を言うのもテニスオタクのある種の楽しみだ。
といった具合に、私は比較的、テニス界における記者会見というものを好意的に思っている側の人間だが、
それでも皆が言うように記者会見が、選手をいじめるような場ではあってほしくないと思う。
人種差別的な質問はもちろんダメだし、プレーと関係ない「恋人はいるの?」的なデリカシーのない会話があるのであればやめた方がいいだろう。
でも皆の言う「失礼な質問」ってどう定義できるんだろう?とは思う。
40手前になっても現役を続けている今となってはある意味笑い話だが、フェデラーは20代後半には既に「いつ引退するの?」と繰り返し質問されてきた。
年下選手にナダルや、ジョコビッチ・マレーといった輝かしい才能がいたし、当時は30歳前後で引退が普通だったしね。
私は、その光景を見る度に「なんて失礼な!」と腹を立てていた。だってほとんどの試合には勝ってるのに、そんなのってある?
これは私がフェデラーファンだから「なんて失礼な質問だ」ってプリプリと怒る訳で、
じゃあ、引退に関する質問はシャットアウトすべきかと言われたら、答えはノーだ。
私はやや頭のいかれたフェデラーファンではあるが、「引退するつもりはないんですか?」という質問が、
あくまで「ファンというフェーズ」において不躾な質問でしかないと認めざるをえない。
例えば私はゴルフはからっきし興味がないのだが、タイガー・ウッズぐらいの名前はもちろん知っていて、
「タイガー・ウッズ、引退は?」なんて記事が目に入れば多分クリックする程度には興味はそそられる(ウッズはフェデラーとも交流あったしね)。
そこには悪意はこれっぽちもないし、なんなら「まだ引退してないなんてすごい選手だよなぁ、どうやったらそんなに情熱が続くんだろう」なんて
平凡でちっぽけな自分と照らし合わせて、感慨深げに記事を読んでたりする。試合なんて全く見たことないのにね。
ほんの数十秒、数分、読んでは次々とニュースを消費していく。
プロスポーツや演劇と同列にオリンピックを語ろうとする人がいるけど、それは違うと思う。
プロスポーツや演劇の選手、役者、スタッフは、そのスポーツや演劇を生業としていて興行ができないことになったら一気に失業者になってしまう。
一方オリンピックはどうなのか。
スタッフはボランティアだし、選手も手当は出るかもしれないが基本無給だ。(働いていたり、実業団に入っていたり、プロだったりで彼らの生業は別にある)
オリンピックには、オリンピックを生業として生きている人はいない。
スポンサーだって、協賛金は払っていてもそれは実業務で得る収入以外の+αを求めるものであり、
それがペイされないと会社が傾くなんてことは基本無いだろう。
傾くならそれは経営陣が間違っている。
マスコミだって、オリンピックがあれば更に儲けることはできるだろうけど、なくても会社は潰れないだろう。
オリンピックとプロスポーツの比較は仕事で仕方なく電車を使っている人と遊びに行く為に電車を使う人、それを同列に扱っていいのか?という話だと思っている。
オリンピックは遊びに行く為に電車を使うほうに属すると思っている。
そういう意味ではオリンピックはプロスポーツよりもコミケ寄りのイベントだと思っている。
オリンピックはコミケと同じくアマチュアリズム(の中に一部プロが紛れている)、ほっとくと客がめちゃんこ来るという点で一致している。
タイトルやってみたかっただけ。あと他人の話題にかこつけて自分の好きなものの話がしたいだけ。
あとトラバ、演劇関係が自意識過剰? 新感線が30年前? バーカ! 一生そこで半可知識でしたり顔しながらネチネチやってろ!
さて、劇団☆新感線のことを初めて聞いた人が「2.5次元みたいなことですか?」というのは、当たらずとも遠からずではないかなと思う。
というか2.5次元舞台の多くは新感線の影響下にあるのではないか(数が多すぎるのですべてを把握してはいないが)。
あと、新感線は2.5ブームが来るはるか前に犬夜叉を舞台化していたりするし、距離としてはそこそこ近いと思う。
共通点としては、宮村氏の言う通り、漫画やアニメの世界観を舞台の上でやろうとしてること。
これは話の筋立てや演出もそうだが、往年の漫画の熱気みたいなものを再現する美学みたいなものが共通していると思う。
新感線の舞台は往々にしてかなり過剰にSEを使うのだが、漫画の描き文字の再現と思うと納得がいく。
漫画やアニメの世界観、いいところ、を舞台でやろうとしていることは共通しているが、
舞台のために漫画の良いところを抽出して作り上げるのではやはり出来上がるものが違う。
あとはまあ2.5次元は企画ありきで役者を集める形式が多いのに対し、
劇団☆新感線は「所属劇団員」がいる。ほとんどの主役級は客演の有名役者がやるが、脇を固める劇団員の安心感というのはある。
大きく分けて以下の3つ。
いのうえひでのり演出で上演される時代物。戦国時代モチーフや神話モチーフが多い。
ストーリーは人間の業的なものを中心に据えたものが多く、人がバンバン死にがち。
「髑髏城の七人」、「アテルイ」、「阿修羅城の瞳」、「蛮幽鬼」、「蒼の乱」、「偽義経冥界歌」など。
「Rシリーズ」が正式名称っぽい、ロックミュージカル色の強いもの。
ストーリー内容は割と多岐にわたる。
「五右衛門ロック」シリーズ、「SIROH」、「メタルマクベス」、「Vamp Bamboo Burn」など。
パロディネタが多い。3系統の中では劇団員の占める割合が多い(他シリーズは客演が多い)。
「轟天」シリーズ、「花の紅天狗」、「レッツゴー!忍法帖」、「月影花之丞大逆転」など。
ただどれもギャグシーンは多いし、歌の多い「いのうえ歌舞伎」もあるし時代物の「音もの」「ネタもの」もある。
演劇は高いだとか都市部でなければ見れないだとかと当たり前のように言う人もトラバに散見されるが、
劇団☆新感線に関して言えばゲキ×シネという全国映画館での上映を2004年から続けている。
実際の舞台の撮影ではあるが、何台も仕掛けたカメラによるカット割りがされており映画として見やすくなっている。
(知ってて当然という話ではないが、彼らの不断の努力を、「演劇」全般へのルサンチマン発露のために勝手に無に帰すのはあまりに勝手だなと思う)
なお、今は動画配信でかなり安価で観られるので下記に一部紹介しておく。
戦国時代の終わりかけ、死んだはずの信長の異名「第六天魔王」を名乗る男が現れたことによるあれこれ。
人情噺もつらい過去も凄惨な戦いも少年漫画的な展開もしょうもね~ギャグも、全部乗っけ盛りの濃厚さ。
脚本は座付き作家の中島かずきで、「グレンラガン」「キルラキル」「プロメア」なんかの脚本の人と思えばなんとなく近い。
1990年の初演以来7年ごとに再演し、役者や演出を大きく変えている。
初期は主人公の「捨之介」と悪役の「天魔王」の一人二役の演じ分けがみどころだったが、2011年の上演版以降はその二人を別人が演じることも増えた。
その代わり、「無界屋蘭兵衛」というキャラクターの注目度が高まっていて、
そのきっかけを作ったのはおそらく11年に蘭兵衛を演じた早乙女太一のあまりにも華麗な剣捌きだと思う。
配信で観れるのは2011年「ワカドクロ」と17~18年に連続上演した「花」「鳥」「風」「月」「極」。
個人的に好きなのは「鳥」で、森山未來と早乙女太一の身体能力オバケ二人による殺陣は鬼気迫るものがあるが、全体の流れから言うとキワモノなので2本目にお勧め。
いのうえ歌舞伎。「モンテ・クリスト伯」を翻案し、架空のアジア風世界を舞台にした復讐譚。
上川隆也演じる主人公が自分を落とし入れ親友を殺した相手に復讐する話で、ずっと怒りに目を見開いており怖い。
堺雅人は「ニコニコ顔の最強の暗殺者」という完全に漫画のキャラ立てなのだが、息をつかせぬストーリーの展開によりいつの間にか受け入れてしまう。
このころの中島かずきはこういうどうしようもない人の業により悲劇が加速するような話をやたらめったら書いているのだが、
その、己の業によりずたぼろになっていく人の描き方に容赦がない。
個人的に新感線にはまるきっかけとなった作品なので思い入れが深い。
あと、この作品により稲森いずみが大好きになった。舞台初出演とのことで慣れてはいなかったのだろうがあの細い体で舞台を圧する瞬間に目を奪われた。
音モノ。「五右衛門ロック」「薔薇とサムライ~五右衛門ロックⅡ」「ZIPANG PUNK~五右衛門ロックⅢ」の三部作。
古田新太演じる石川五右衛門が、どっかの島の危機を救ったり、スペインぽい国の危機を救ったり、帰ってきて宝探しをしたりする。
いのうえ歌舞伎的な陰惨さはある程度影を潜めているが、話は冷静に考えると割とヘビー。
ただ、どんなに悲惨な展開で善玉がひどい目に遭って悪者が高笑いしていても、最後に五右衛門かっこよく登場して何もかも解決するので最後はスカっとして終る。
「新感線の看板役者・古田新太」というイメージの具現化みたいな作品だと思っている。決して二枚目ではなく飄々としていて最後に決める。