はてなキーワード: 小学校とは
デカ女という自虐は他の高身長女性を悪く言うことに繋がってしまうからしない。
私は小さい頃から背が高かった。
幸い小学校までは同級生で馬鹿にしてくる人はいなかった。同級生に限った話で、保護者や先生たちからは背が高いだけで他より大人扱いされて手を抜かれたりしてた気がするし、幼稚園年少の演芸会のときに保護者の女たちから
「一人だけ年長さん混じってるんだけどwww」
同い年の女が変わっていったのは中学からだった。聞いてもないのに低身長アピール
「おっきくなりた〜い!」
「ちっちゃい言うな〜!」
とギャーギャー騒ぎ、周りがそれを真に受けて
「女は小さい方が良くね?」
などというと小さい女たちはニチャニチャ喜んだ顔で「そっかな〜?」と言うのだ。それが姫気質の小さい女たちの承認欲求を満たす定番の流れである。
それを何度も目の前でやられた私はだんだん、
自分は間違った普通じゃない気持ち悪い存在なんじゃないかと思うようになった。
それだけならまだいいのだ。まだ。いい。
でも、ほかにも沢山ひどいことを言われた。身長170超えてるなんて男じゃんとか、可愛くないとか、うわって思うとか。私デカ女じゃなくてよかった。とか。電車の中にいる高身長女性を盗撮してライングループに晒してる人も居た。
やってるのは全部女。
最近はニュースで男のセクハラばっか取り上げられるけど、女たちのクソ無神経で最悪なセクハラはいつ取り上げられるんだろう。
唯一女の中でいじめてもいい存在として高身長女性は扱われている。
男性たちのほうがよっぽど気を遣ってくれて優しいよ。中にはクソ男もいるけどさ。
子供をもし産んで背が高い女の子に生まれたらどうしようって思う。私がいくら愛してもこの汚い日本に蔓延る誰かを馬鹿にしないと気がすまない心の汚い女たちにボロボロにされてしまうんじゃないだろうか。
ひねくれた人間の言うこと
今回のメンタリ…な人のもそうだけど、YouTubeだとか、趣味で描いた漫画とかで自分の考えを言ってみたり、ネタとして描いてみたりというのを他人がわざわざ世間に晒して
こんなこと言ってる奴がいましたよ皆さん!間違えていることはきちんとわからせてあげないと、この人の為に!!
と考える傲慢な人が人が多いなと感じる。
次から気を付ければよいのだと何故か上から目線のコメント。懐の深い自分は立派な人間だと快感を得てよりエスカレート、という印象。
自分も生粋の日本人だけど結局意見の多い方が正しい、長いものに巻かれる精神が育っていると思う。自分も社会ではそうだ。余計なことは言わないし、少数派な考えは口にしないよう気を付ける。
けどYouTubeは見たい人だけ見るものだし、ネタ漫画だって架空物。表現の自由って奴ではないのか。見てしまった自分を責めなよ。ネタにマジレスもうんざり。しかもなぜ他人を煽動するのか。嫌だなと思って放っておけば表舞台に上がることもなく流れるのに。
あなたがその人を好きじゃないと思うなら勝手に嫌えばいい。仲間を増やそうと言う精神が嫌だ。そう思ってる人が多いってことは自分は正しいんだ!と思いたいのか。多数派になって安心したいの?
結局メンタリ…の人の騒動は燃えて、煽られて、結果ホームレス関係の寄付金が増えて、謝罪されて溜飲を下げる。
メンタリの人は前から過激な発言をしていたようだし、もとからのファンはついてくる。何を言おうがついてくる人はいる。面倒臭いのに絡まれたな~くらいで実際ここ2日間名前が出まくって注目が集まった。
批判した人は煽られて寄付金を出した。良いことしましたね!この件がなかったらしなかったものね。騒動のお陰で考えさせられましたね。
踊らされてんな~って感じ。
人の優しさとか、弱いものに手をさしのべろとかそんな道徳的な話は標準装備されてるべきなんだよ。小学校行ってるでしょ?その前提での厳しい意見を持つ人とか逆にキリストのような奉仕の精神を持つ人がいて当たり前。自分は偽善者なのでどっちにも寄れませんな。
議論に至る前に、こんなこと言う奴は人の心がない!まともじゃない!話にならん!となる人が多い。人の意見を聞くまでは出来ても理解する努力を怠っていないか。どうしてそう思ったか頭を使わないと、人の気持ちに感情的か論理的かはあっても、どっちが正で誤かなんてのはないのではないかな。多数決は最終手段だよ。数に流されて考えるのを怠ったら何もない人間になってしまうよ。
結局何が言いたいのかよくわからない感じになったけど近頃のモヤモヤをはきだしました!
おわり
とふと思った
幼少期に工作が好きで早く風呂に入れと怒られながら何かつくってて
小学校になったら学校でもらった豆電球やらモーターやらの教材で何かつくってて
多分頭いい親だったらそんな俺に更に追究できるような何かを与えたりするんだろうけど
俺の親は馬鹿だから「更に追究できるような何か」ってのを思い付く頭が無くて
俺を見てただ褒めて神童扱いして
「将来は〇〇だ」とか言って喜んでるだけだった
それでも俺なんかよりもっと強い好奇心と運を持ってる奴は親の頭なんか関係なく才能みたいのを伸ばしていくんだろうけど
めちゃくちゃハンデあるよな
まぁ話し尽くされた話題の一つだけど
歳取って多少なり世の中見えてくると
親ガチャっていうかさ
やっぱそういう影響デカイなと時々ふと思うよな
世の中金と家柄って現実に悲しくなってもどうにもならんのよな
デルタ株のアウトブレイクで東京を中心として医療が崩壊している。だが,この惨禍にも唯一幸運だったことがある。それは学校が夏休みの期間だったことだ。それにより子供達の間での感染拡大がある程度おさえられている。しかし,それもあと半月少々で終わる。
口では先手先手と言いながら事が起こるまで何もしない現政権は,9月からの学校の感染対策を何もしていない。このまま無策のまま二学期に突入しようとしている。それぞれの学校では,今までと同様の感染対策が取られるだろう。だが,デルタ株の感染力はそれらの努力を上回る。特に給食をみなで食べている小学校は絶望的だろう。小学生は誰もワクチンを打っていないのだ。
たしかに新型コロナは子供が重症化する可能性は少ない。が,米国の惨状から判るように,デルタ株の場合,子供でも一定の割合は重症化して命を落とすのだ。このままだと何十人,へたすると何百人もの子供達が命を落とすことになる。
それを心配する声を,みなで上げてほしい。「二学期をどうするんだ?」と。おもいっきり騒いで欲しい。対策をしないとやばい,という雰囲気を世の中に作って欲しい。
当時クラスに3人の人気者の男の子がいたんたけどその内の一人でさ
ある朝セッキーが登校してきたらセッキーの目がめちゃくちゃ腫れてたから聞いたんだよ
そしたら
「俺カニアレルギーで、今朝ニュースでカニの映像がテレビに映ってたの見ちゃったんだよ」
って言ってて
俺も小学生だったし当時なんて今よりアレルギーの認知度低かったから
ふーんそういうもんなのか大変だなと思ってさ
この事とあと、セッキーがいつも一人でゼルダの伝説について熱く話してた事だけはよく覚えてる
元気にしてるといいな
1動画の収入数万円のために今後50年の仕事を干されることになるだろうね
思想じたいがNG。歴史的にとか科学的にとかどうでもいい。人間としてNG。
優秀クラスとフツークラス、さいごに知恵おくれっぽい扱いされるクラスがあった。小学校のときに。いまはしらんけど。
知恵おくれっぽい扱いされたクラスで、図工や体育がめっちゃ得意な子がおった。
彼らは小学校ではバカにされてたけど、中学高校で芸術やスポーツ系にいって専門分野でそこそこ成功したよ。
中には経営者になって何人も人を雇ってるのもおる。
もしローマ人だけに特権をゆるしていたらとっくにほろんでいたろう。
俺は怒っている。大根みたいな名前のカスみたいなYoutuberが「生活保護とホームレスは社会にいない方が良い」とかいうカスみたいな発言をした例の件についてだ。大根カスがこの文章を読むことなんて絶対にないだろうが、俺はそいつに向けて話しかけるつもりでこの文章を書く。まず確認だが、「社会に居ない方がいい」というのは、つまり「この世にいない方が良い」「死ぬべき」って意味だよな? 社会以外に人間が生きていく場所なんてこの世界にないんだから、俺のこの理解は間違ってないよな?それからこれも確認させてくれ。特定の属性の人間集団に対して「死ぬべきだ」と言い放つことって、他のあらゆる誹謗中傷を凌駕する、対象者への最大限の侮辱だよな?侮辱であり、差別であり、人として最低の邪悪な発言だよな?そうだよな?この大根みたいな名前のカスの言ってることは植松聖の思想と同じだ。社会的弱者は生きるだけで他人の時間とお金を奪う価値のない存在だから行政機関なり何なりが殺処分するか、または自らこの世から退場すべきだと言っているわけだ。馬鹿か?頭大丈夫?人権とか知ってる?多分知ってるだけで理解はしてないんだろうな。論文読む前に小学校の道徳の教科書読むところからやり直せ?あのな、お前が経済的に成功できたのってなんで?ラッキーだったからだろ?たまたま人よりちょっとだけ良いおつむとちょっとだけ良い容姿を持って生まれることができたからだろ?もしそれらの要素を持たずに生まれてきていたら、今と同じだけの年収稼げたと思う?無理だよな?できると思うなら今からでも良いから毎日シンナー吸って自分の大脳破壊してみろよ。歯がボロボロになっても今と同じだけ稼ぐことができたら可能だと認めてやるよ。生活保護やホームレスみたいな社会的弱者だって同じなんだよ。アンラッキーだっただけ。「努力ができない」とか「自制が効かない」とかも単なる生まれ持った特性のひとつなんだ。たまたま社会に適合しづらい要素を持って生まれてきただけなんだ。お前がいくら努力しても新垣結衣と結婚できなかったのと同じように、一定数の人間は本人の努力に関係なくどうしようもなく社会に適合できないんだ。社会に適合できなかった人達が、結果として経済的に成功できないのは仕方がないよ。なぜならば基本的人権には「経済的に成功する権利」なんて含まれていないからだ。しかし、生存権はそうではないだろ?基本的人権であり、普遍的人権だよな?本人に責任がないのに生きる権利が奪われるなんてことがあってはならないだろ?これは倫理の話だからな?倫理ってわかる?ネットのお前らの雰囲気も異常だよ。「こんなふうにみんな口には出さないけど正論だよね」じゃねえよ。流されてるんじゃねェ。このカスを認めるってことは基本的人権の否定だからな?人類の歴史への挑戦だよ?市民革命前の時代からやり直す?お前たちは動物じゃないだろ。知性ある人間だろ?しっかりしろよ。目を覚ませ。邪悪な発言をする人間は即ち邪悪だ。邪悪は道義的観点から徹底的に批難するべきであり、批難されるべきだ。お前らはそうしろよ。俺はそうする。
男性です。
https://blog.tinect.jp/?p=72112
これ読んで、イラッとしたので、ちょっと反論してみる。多分、苛ついたのは個人的事情によるところが大きいが、一般論で反論できる部分もあると思う。
まず、全体の話として、夫婦ともに300万づつ稼いでも600万の年収の生活はできないという部分は同意できる。これは単純に、妊娠、出産という期間に稼ぎが減るのでそれに対する金銭的なバッファを作っておかないと、生活が破綻するよね。ということと理解している。
でさー、女性の収入はあくまでリスクヘッジとして、それに該当する理由を色々と書いてる。現状で社会が男女平等になっていないのは確かにその通りなんだけど、外資系、公務員、大企業、自営業と"女性であること"が不利にならない、というか場合によっては女性枠があるような場所もあるわけで、"共働き"を選ぶのであれば、そういった場所に入れる努力ぐらいしろよと思うわけです。
女性が本気で"共働き"を選ぶのであれば、男性側もそれなりの覚悟がいるわけです。保育所からの呼び出しに対応できるように社内での自分の立ち位置の調整だったり、それなりに仕事を減らしたり、持ち帰ってできるような仕事を増やしたりと。
結局「どの程度、本気で共働きに取り組むつもりであるか?」という確認を夫婦間で行っていないと、うまくいくはずも無く、
男性 「だって、子供は母親がみるものだって会社が言っているし」
ってやってりゃ「稼ぎも家事も5割づつの公平な共働きなんてできるわけないよね」と思うわけです。
私は結婚前に妻に聞いた。「どうしたい?」と。妻は自営業を始めたところで、ぶっちゃけたいした稼ぎもない。仕事をやめて専業主婦になっても良いし、本気で自営業に取り組んでも良い。主体を家事育児において、自営業をパート感覚で行っても良い。(妻はある程度、仕事量を調整できるような自営業でした)
私も自営業をしている。収入は年によって増減があるがおおよそ900万程度。高額所得者とは言えないレベルだけれど、私一人の稼ぎで暮らしていけないわけではない。
妻は「自営業者としてやっていきたい」と言った。なので、家事育児は完全折半という覚悟をした。幸か不幸か父子家庭で育ったため、元から家事は一通りできる。金土日は私の晩飯当番。選択も普通にする。当たり前だけど洗濯機を回して終わりでなく、シワを取って広げて干して、取り込むところまでが洗濯だ。掃除は休みの日にまとめてだけど普通にする。というか妻が片付けられない人間で、掃除をする前の片付けの方が負担が大きい。ゴミは各部屋のゴミ箱を空にして1つにまとめ、曜日ごとに指定のゴミ捨て場まで持っていくまでがゴミ捨てだ。
朝飯はお互いに適当に作ってやってたけど、そのうち妻は菓子パンを買ってくるだけになった。私が何かを作ったら、妻も子供それを食べる。食器を洗い、テーブルを拭いて、朝のごみ捨てをやってる間に、妻は化粧をしている。あのさ~、女性としての身だしなみなのは理解できるが、それ家事じゃないよね。私から見ると、それは妻の仕事の一部なわけで、「化粧で忙しい」というので家事負担を私に押し付けてくるのは納得行かないわけです。
この「化粧で忙しい」というので、曜日ごとの当番制でやっていた保育所への送迎も朝の送りが私で、夕方の迎えが妻になった。やったことがある人ならわかると思うけど、小さい子を保育所に送っていっておいてくるのは大変です。子供からすれば置き去り父親、迎えに来てくれる母親。どっちになつくかって言うまでもないよね。
で、この迎えの当番も義父に任せて行かなくなった。保育所の個人懇談なんかも私が行ってたら、保育士に文句言われるわけです。「なんでお母さんが来ないんですか?」と
「うっせー、家庭内の役割分担に口出すな」というのをオブラートにぐるぐるに包んで伝えて、「女性がメインで育児するのが当たり前」みたいな雰囲気にも立ち向かってたわけです。
で、こんだけやって、妻の稼ぎは年収100万程度。いやね、自営業って難しいの知ってるよ。どれだけ本気で取り組んだってうまく行かない事もある。だからって家事メインでやって、仕事の時間減らしたら、いつまで経ってもそのままだろうから、10年ぐらいずっと上記の生活続けたよ。4歳差の2人の子供を10年同じ保育園に送り続けたよ。小学校の参観、懇談、PTA役員もやって、自治会役員も何年かと基本的に体外的な事はすべて私の役目。
その間、妻が何やってたかというと、仕事の稼ぎはいつまで経ってもそのまま。家の中での家事は半分はやってたけど、子供の習い事とかまったく興味なしで、送迎は私がやっていた。
で、子供が大きくなって手がかからなくってきて空いた時間にボランティアのような事始めやがった。空き時間があれば、家でパソコン作業。それ違うんじゃね?やってることに社会的な意義があったとしても、それ配偶者の許可取ってやることじゃね?
自分より稼いで家に金入れてるとか、家事育児全部やってるとか自分のやるべき役割を果たした上で、何かするのは好きにすれば良いと思う。でもさ、稼ぎは夫任せ、家事も折半って状態で何やってるんだと。
で、そんな話し合いをしているうちに、妻の不倫が判明。もう、ほんとに死んで欲しい。
本当に家事育児は何でもした。してないのは生物学的にできない"出産"と"母乳を出すこと"だけのつもりだ。
私が本気で"共働き"を目指した結果がこれです。
自分の最大の失敗だったと思うのは、妻にコミットをさせなかったこと。
私自身は「稼ぎは多少減るかもしれないが、家事育児を半分やる」ことをコミットし、実行した。
稼ぎは波はあったけど、収入は維持している。
「うーん、頭が物凄く痛い……」
そう書き残して以降、ぱったりと書き込まなくなった相互フォロワーがいた。
自分は直接その人と仲が良かったというよりは、同じクラスタの中の所属しつつ友達の友達みたいな空気感だったが、全く会話を交わさない訳でもなかった。
例えるなら小学校のクラスメートではあるが、同じグループに属しているわけではないみたいな距離感。
ある時ふと、最近そういえばあの人見かけないなと思ってホームに飛んでみたところ、2年前の冒頭のツイートが最後の書き込みだったことを知った。
それまで廃人並みに毎日呟いていた人が頭痛を訴えるツイートを最後に書き込みが途絶えている。
お大事にしてください><とリプライがついていたが、それの返信もなければ既読代わりのふぁぼ(当時はまだふぁぼであった)すらついていなかった。
私は青ざめた。
その人とはリアルに会った事もなければ、連絡先も知らなかった。そして焦って連絡先を探すような間柄でもない。
共通のフォロワーにこれを伝えて大ごとにする気もなかった。というか2年も経っていたのに今更だ。そもそも確信は持てないただの推測だし。
ただやるせない寂しさを抱えながらホームを閉じる事しかできなかったのであった。
ネット界隈も老人化が進んだのか、Twitterやってる人が死亡するという話も昨今ではあまり珍しくはなくなってしまった。
そんな話を小耳にはさんでいたある日、ふと、あの人の事を思い出した。
更新があるはずもないと分かっていながら、私はあの人のホームに飛んだ。
「おはよう~」
半年前の呟きだった。頭痛を訴えて以降失踪してから実に5年近くが経過していた。
生きていた。
とにかく彼女の命があったことが嬉しかった。生きていてよかった。そう喜びに包まれた私は、次のツイートを見た。
「そうだよね、私の事なんてみんなどうでもいいよね……」
とメンヘラじみた呟きが続いていた。呟きはここで途絶えていた。
良く見ると前述の5年ぶりのおはようにはリプライなし、いいねなし、当然RTもなし、つまり全くの無反応だった。
5年という歳月を経て、アカウントを消したり変えたりした人、アカウントこそ継続しているが興味の対象や主軸にしているつながりが変化している人が殆どだ。
なんならTwitterの現在の仕様的に、非時系列順のホームに設定している場合は、久々に呟いた人が上の方に出づらいのもある。
加えて彼女自身は中心人物的なキャラクターの人ではなかったし特別フォロワーが多いわけでもないので、多分誰にも気づかれなかったのだろう。
彼女は生きていたが、それでももうこのアカウントに帰ってくることは多分なくなってしまった。ただやるせない寂しさを抱えながらホームを閉じる事しかできなかったのであった。
そのレベルだと小学校の時男児に散々ブスブス言われんか? 親の方を信じたということ?
自分で言うほど酷くないのに男児にブスブスからかわれたことを根に持って
人のフォローにも耳を貸さず
ミサンドリーになる奴もおるし
人それぞれだな…
あ夏だけだから1マソですむか
プールの水を止め忘れる 教師ミス 下水道料金が290万円...
7月、業者から、「下水道の使用料が異常に多い」と、1本の連絡が入った。
高知市教育委員会によると、7月14日に水泳の授業に備えて、担当教師がプールの給水を開始。
担当教師は、「放課後に別の教師が止めてくれる」と思い込み、確認しなかったという。
給水開始から7日後、別の教師が水が出たままになっていることに気がつき、ようやく止めたという。
およそ1週間ずっと出続けていた水。
例年の同じ時期の下水道料金は1カ月で18万円余りだというが、なんと、実に290万円。
パン屋ではなく、麺屋だったけど。
当時、時給が他より50~100円ぐらい良かったのに惹かれて応募して即採用された。
夏休みの2週間ほど。
ラインに配属された。
その時にラインを仕切ってたおばさまは今思えばちゃんと色々考えて配置とか考えてくれる人だったと今なら思う。
が、配置されたのはざるそばの端っこに漬物を置くみたいな単純作業(よくよく考えたら単純作業しかない)
4時間働いて昼休憩して4時間働く、ただそれだけで心が折れた。(実際はちょくちょく小休止はあったはずだが)
翌々日ぐらい、責任感で嫌々出勤したところ、小学校時代の同級生2人に会った。
そいつらは、
「ここは、数分おきに流れてくるケースを積んで運ぶだけ。めっちゃ楽」
とか言ってる。待遇の差に心がポキった。
「ここにおってもばれへんのちゃうか?」
そのことばに流されてしまった。2~3日後に、たまたま見回りにきた偉いおっさんに、「なんでここにこんなにおるねん!」
[同級生一人は、庇ってくれようとしたがまったく意味なかった。その気持ちは未だに有難い。{H河くん、もう20年ぐらい会ってないけど、小3の時に給食食べながら校内放送にツッコミ入れてたHくんのことば(センス)に衝撃を受けて、お笑いに興味を持って、その道には進まなかったし食べていくこととかには繋がらなかったけど、賞を取ったりロコドルの運営に関わったりとその後の人生に影響が出たよ}]
結局、もとのラインに戻されて、その日ごとに当たり外れのポジションはあったけど、同級生2人が居たところと比べると地獄。
メンタルが持たなくなって、無断欠勤するようになってしまった。
{ただそれは工場からしてもあるあるだったみたいで、出勤した分の給料(ラインさぼって同級生のところに居た分も含めて)は出た。当時は振込とかなくて、給料日にたまたま近くに寄ったから恐る恐る見に言ったら箱に給料袋が入ってた}
最近、いろんな話題を見てふと思い出したこと。気持ちのまま書いてるので誤字脱字があると思うけど、多めに見てほしい。
みなさんはバトルエンピツというのをご存じだろうが。
93年にスクウェア・エニックスから発売されたドラゴンクエストのモンスターやキャラクターを使った、えんぴつの形をしたホビーである。略してバトエンとして楽しまれた。
六角形の鉛筆の側面にキャラクターとその行動が書いてあり、転がして出た目を使って戦うというシンプルなゲームである。
バトルエンピルが優れている部分はいろいろあると思うのだが、当時小学生だった私たちにとって一番優れた部分は”えんぴつ”であったことだ。
ホビーでありながら文房具であるバトルエンピツは、基本的に玩具やゲームの持ち込みが禁止されている学校に、”文房具”であるから持っていけるという最大の利点があったのだ。
当時の私たちは休み時間になると筆箱からバトルエンピツを取り出し、互いにバトルした。
学校に来ているのに流行りのホビーで遊べる、ということかも(もちろん、シンプルながら乱数による奥の深いゲーム性も)あって、私の学校でバトルエンピツは大きく流行った。
なにがなんでも学校で遊ばせないようにと動き出した。
ここで、『学校内でのバトルエンピツの使用は禁止』と言えればよかったのだが、私の小学校は少し回りくどい方法を取った。
『鉛筆を転がすと中の芯が折れてしまい、使い物にならなくなるので止めましょう』
これでもかというほどオブラートに包んだ表現で注意喚起したのである。
鉛筆を大事にしましょうという善意に訴えた方法であったのだが、当然のことながら我々、子供たちはバトルエンピツを鉛筆として使おうなんで微塵も思っていないので、ガン無視である。
子供の善意を信じたいという小学校側の想いは大変すばらしかったのだが、実際の子供はそんなに可愛げのある性格ではなかった。
まったくもって収まらないバトルエンピツブームに頭を抱えた小学校側は新しいルールを規定する。
上記したように、元々バトルエンピツを文房具として使う気のなかった私たちは、削ることもなくそのまま持ち込んでいたのである。
そこに目を付けた小学校は間接的に削っていない鉛筆の持ち込みを禁止することで規制しようとしたのだ。
実際、バトルエンピツは鉛筆の側面を使って遊びなので削ってしまうとマス目が見えなくなり、機能しなくなってしまうという弱点もあった。
これは実際にバトルエンピツを検索して実物を見てもらうとわかるのだが、バトルエンピツはマス目と先端に余裕が設けてあり、3分の1くらいまでは削っても問題がないのである。
なので特に頓着しない私たちは、普通にバトルエンピツを削って学校に持ち込み遊んだ。
ただ、効果が全くなかった、というと正しくはなく、一部のコレクター精神を持ってる者たちは削ることを嫌がり、持ってこなくなる子もいた。お気に入りの鉛筆に傷をつけるのを嫌がった子もいた。
しかし、そんな子供は稀有なほうで、ほとんどの子は削って持ってきて遊び続けた。
さて、これまでバトルエンピツを規制したい小学校と遊びたい子供たちの攻防であったが、ここにもう一つの勢力が加わることになる。
冒頭で説明した通り、バトルエンピツはドラゴンクエストのキャラクターを使っており、バトル要素もあって遊ぶのは圧倒的に男子が多かった(私の学校での話なので、他の場所ではどうだったかはわからない。
また、子供の頃は男児よりも女児の方が精神的な成長が早い傾向があり、そういった男女差もあって女子側はどちらかというとバトルエンピツには冷ややかな対応だった。
そのため、女子生徒たちはバトルエンピツを規制したい学校側に味方することになる。
それで何が起こったのか?
先程も行ったように削っていない鉛筆の持ち込みが禁止されたことで、女子は男子の鉛筆をみて削ってないものがあればそれがバトルエンピツが否かに関わらずに教師に報告し始めたのだ。
いま思うとめちゃくちゃ馬鹿馬鹿しいやり取りなのだが、規制を強めたい学校側の意向にも合致し、教師も褒めるために自治活動は一気に拡大することとなる。
それが男子と女子の対立にもつながり、教師(学校)側の後ろ盾もある女子のほうがやや強き、といった感じになっていく。
閑話休題。
さて、間接的に規制を強めたものの、まだ抜け道があるためにバトルエンピツブームを抑えきれない小学校側は、ついに最後のカードを切った。
規制の方向性が明後日に向いている気がするのだが、小学校側は大真面目である。
表向きは鉛筆を転がす音が勉学を邪魔するから、というものであったが、どう見てもバトルエンピツのブームを止めたい気持ちがスケスケだ。
流石に転がして遊ぶホビーであるバトルエンピツにとっては致命的な規制であり、このルールの前には私たちも抜け穴を見つけられず、学校で遊ぶことは出来なくなってしまう。
とはいえ、小学生の流行の流行り廃りにも波があり、すでにバトルエンピツのブームは過ぎ去りつつあり、私たちも特に反発することなくそれを受け入れた。
バトルエンピツ自体はこの後もなんやかんやで20年ほど商品を出し続けたようだが、私たちのブームは1年も続かずに終わったのである。
……しかし、ここで話は終わらない。
先程にも上げた自治厨と化した女子と一部の男子の暴走が始まる。
バトルエンピツのブームを止めたい小学校側にとっても都合がよかったので、放置された彼ら彼女らはブームが終わった後も積極的に活動していた。
当たり前の話なのだが、故意じゃなくても鉛筆は転がるものである。
たまたま置いた鉛筆が転がっただけで、彼女たちは鬼の首を取ったかのように「〇〇君が鉛筆を転がしました!」と教師に言うのだ。
バトルエンピツを規制したいがために最初は好意的に捉えていた教師たちも、次第にそれを鬱陶しがるようになる。
何せ、授業の間に何回もそうやって通報しては授業を止めてしまうために、思うように授業が進まなくなったからだ。
しかし、当事者の自治厨と化した生徒たちは”自分たちが正しい”と思い込んでいるために暴走は止まらない。
ヘタに意図を隠したのも悪手だった。
「鉛筆が転がる音なんて誰も気にしない」という意見に彼女たちは「私は気になる!」と反論して収集が付かなくなったのだ。
学校が決めたことなので、教師たちの積極的な介入もできないまま、鉛筆が転がっただけで授業が停止するという悪夢のような状況はしばらく続くことになる。
最終的にいつ収まったのかはわからないのだが、自治厨と化した生徒たちも教師が疎ましく思っているのを徐々に感じ始め、ゆっくりと沈静化していった。
そして私たちがかったバトルエンピツはブーム終焉とともに普通の鉛筆として使われることになる。
というか、いまだに実家で使われてることがある。結局、転がしたところで中の芯が折れることはなかったようだ。
さて、この事例をもって私があーだこーだ言う気はなくて、ただ思い出したので何となく書いただけです。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございます。
あんまり意識してこなかったが、よく考えたら立派に登校拒否かまして自殺未遂かまして同窓会ガン無視して仕事放り出して立派に無敵の人やってた
やってることはやってるが今更うまく説明するのが面倒ないびつな職歴を面接に通すためのタテマエを構築する熱意もなく
もう30代といういい大人であることを期待される年齢の男が夢も目標も伴わないフリーターをやってる
そうか、その頃までは、まだ正常な時を刻んでいたのだったっけ
孤独を舐めていたのだろうか
もっと甲斐性のある男であったなら、まともな経歴で、まともな収入を得て、まともな交友を保って、誰かが隣にいたのだろうか
自分のみならず、こんな自分の隣にいたはずであろう人の人生をも棄損しているのではないか
いや、周りには代わりがいるのだろう
「サンタクロースはいない、親がやってるよね〜」に対して、「フィンランドのサンタクロースに手紙だせるよ」、という話をしたら、「え、まだ信じてるの!?」みたいな扱いをされて、TVでそういう特集もやってたのを思い出して「TVでもやってたけど」という話をしたら余計こじれたのは良い思い出。
※ 当時の友人たちはきっと「うっすら言いたいことが分かるが、信じているという文脈のほうが会話が面白い」としていたのだと思う。それはそれで納得できんけどw
自分の親も含めて、サンタクロースという役割をこなす大人が国内外にいるということを、自分の子どもにも伝えて行きたい次第。
https://www.post.japanpost.jp/int/ems/greeting/special/santaletter.html
赤緑当時小学校低学年〜中学年くらいの女児だったけど、ピカチュウもアニメ化されるまでそんな可愛くはなかったのでは…
公式イラストはなんかちょっとヌボーっとしてて意思疎通できないモンスターみがあった。クビがなくて微妙に垂れ目で、微笑っぽく見える無表情って感じで。青版の頃のイラストだとまんまるさがハムスターみたいな感じで可愛げ出てきたけど。
ロコンとか当時から露骨に可愛くて好きだった。ニドランもオスメス両方可愛い。
あと普通にプリン激推しでした。推しという言葉は当時はなかったけど。
思えばプリンもちょっとヌボーっとしてて、言葉通じなさそうな感じだったな。ヤドン的な雰囲気があったというか。進化後もあんなでっかいお目目の焦点が微妙に合ってない感があって、そういうとこも好きだった。わざマシンで覚えられるわざが多彩で体力あったからパーティで活躍してたし、大好きだったな。だったというか未だに好き。