「うーん、頭が物凄く痛い……」
そう書き残して以降、ぱったりと書き込まなくなった相互フォロワーがいた。
自分は直接その人と仲が良かったというよりは、同じクラスタの中の所属しつつ友達の友達みたいな空気感だったが、全く会話を交わさない訳でもなかった。
例えるなら小学校のクラスメートではあるが、同じグループに属しているわけではないみたいな距離感。
ある時ふと、最近そういえばあの人見かけないなと思ってホームに飛んでみたところ、2年前の冒頭のツイートが最後の書き込みだったことを知った。
それまで廃人並みに毎日呟いていた人が頭痛を訴えるツイートを最後に書き込みが途絶えている。
お大事にしてください><とリプライがついていたが、それの返信もなければ既読代わりのふぁぼ(当時はまだふぁぼであった)すらついていなかった。
私は青ざめた。
その人とはリアルに会った事もなければ、連絡先も知らなかった。そして焦って連絡先を探すような間柄でもない。
共通のフォロワーにこれを伝えて大ごとにする気もなかった。というか2年も経っていたのに今更だ。そもそも確信は持てないただの推測だし。
ただやるせない寂しさを抱えながらホームを閉じる事しかできなかったのであった。
ネット界隈も老人化が進んだのか、Twitterやってる人が死亡するという話も昨今ではあまり珍しくはなくなってしまった。
そんな話を小耳にはさんでいたある日、ふと、あの人の事を思い出した。
更新があるはずもないと分かっていながら、私はあの人のホームに飛んだ。
「おはよう~」
半年前の呟きだった。頭痛を訴えて以降失踪してから実に5年近くが経過していた。
生きていた。
とにかく彼女の命があったことが嬉しかった。生きていてよかった。そう喜びに包まれた私は、次のツイートを見た。
「そうだよね、私の事なんてみんなどうでもいいよね……」
とメンヘラじみた呟きが続いていた。呟きはここで途絶えていた。
良く見ると前述の5年ぶりのおはようにはリプライなし、いいねなし、当然RTもなし、つまり全くの無反応だった。
5年という歳月を経て、アカウントを消したり変えたりした人、アカウントこそ継続しているが興味の対象や主軸にしているつながりが変化している人が殆どだ。
なんならTwitterの現在の仕様的に、非時系列順のホームに設定している場合は、久々に呟いた人が上の方に出づらいのもある。
加えて彼女自身は中心人物的なキャラクターの人ではなかったし特別フォロワーが多いわけでもないので、多分誰にも気づかれなかったのだろう。
彼女は生きていたが、それでももうこのアカウントに帰ってくることは多分なくなってしまった。ただやるせない寂しさを抱えながらホームを閉じる事しかできなかったのであった。
百合スキー「なんやなーそこで怒涛のようにツイート攻撃しまくって旧交を暖める流れちゃうんかいッ!」