2021-08-11

ライン工場勤務の思い出

パン屋ではなく、麺屋だったけど。

当時、時給が他より50~100円ぐらい良かったのに惹かれて応募して即採用された。

夏休みの2週間ほど。

初日ちゃんと集合時間集合場所に行って、指示を仰いだ。

ラインに配属された。


その時にラインを仕切ってたおばさまは今思えばちゃんと色々考えて配置とか考えてくれる人だったと今なら思う。

が、配置されたのはざるそばの端っこに漬物を置くみたいな単純作業(よくよく考えたら単純作業しかない)

時間働いて昼休憩して4時間働く、ただそれだけで心が折れた。(実際はちょくちょく小休止はあったはずだが)


翌々日ぐらい、責任感で嫌々出勤したところ、小学校時代同級生2人に会った。

そいつらは、

「ここは、数分おきに流れてくるケースを積んで運ぶだけ。めっちゃ楽」

とか言ってる。待遇の差に心がポキった。

「ここにおってもばれへんのちゃうか?」

ライン毎日多少余裕を見た人間でその時で配置を決めてる)

そのことばに流されてしまった。2~3日後に、たまたま見回りにきた偉いおっさんに、「なんでここにこんなにおるねん!」

ってなって、さすがに同級生申し訳なかったので、白状した。

同級生一人は、庇ってくれようとしたがまったく意味なかった。その気持ちは未だに有難い。{H河くん、もう20年ぐらい会ってないけど、小3の時に給食食べながら校内放送ツッコミ入れてたHくんのことば(センス)に衝撃を受けて、お笑いに興味を持って、その道には進まなかったし食べていくこととかには繋がらなかったけど、賞を取ったりロコドル運営に関わったりとその後の人生に影響が出たよ}]

結局、もとのラインに戻されて、その日ごとに当たり外れのポジションはあったけど、同級生2人が居たところと比べると地獄

メンタルが持たなくなって、無断欠勤するようになってしまった。

{ただそれは工場からしてもあるあるだったみたいで、出勤した分の給料ラインさぼって同級生のところに居た分も含めて)は出た。当時は振込とかなくて、給料日にたまたま近くに寄ったから恐る恐る見に言ったら箱に給料袋が入ってた}

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