はてなキーワード: 地区とは
アフリカはフィーバー中だから今回は除外、その他の地区も対象外。
・
彼らを日本で受け入れることは可能だろうか。
・
食糧事情だけを考えるなら、日本中に分散すれば10万人単位で受け入れは可能だと思う。
正直に言えば、現代日本人が耐えがたいほどのサバイバルライフを送る彼らは、そうとうなあばら屋でもやっていけると思う。
・
百人単位で保護し、一ヶ月の日本語教育が終了したら、送り出し、次の百人への教育を繰り返すことは必要だ。
それでも、十分に言葉が通じないストレスは半端ないので、数十人単位で分散して共同生活を送って貰わなければならない。
あまり多いと、貧民街を形成して一気に治安を悪化させるか、最悪の場合は犯罪組織化してしまう。
単純に売春に絞って話すが、困窮した彼らをうまく言いくるめ、あるいは暴力で脅迫して売春に従事させれば犯罪組織は利益を得ることが出来る。
適度に田舎であれば利用客が少ないので、利益を出しにくい。外国人が少ないので自治体や警察も管理しやすいと言った利点もある。また、住居も地代が安い方がいいだろう。
・
自治体の人口から1パーセントを上限として、受け入れに対する『補償費』を国が支出すればまあ。
また、どうせ生産人口には数えられないのだから、後継者不足の農家か職人に指導させて無聊を紛らわすのも良いだろう。
・
学生時代、詐欺師かなにかその辺りのうさんくさい生き方をして、我が身と口だけを頼りに立ち回り、最後はどうしようもなくなってボロクズのようにのたれ死ぬ事に憧れていた。
ところが、現実はどうだ。
生まれ故郷の田舎で就職し、そこそこ美人の嫁さんと結婚をし、複数人の子を設け、年収は350万円程度で貧しいながらも笑いの絶えない家庭を運営している。
それだけではなく、近所に住む親戚内でも立ち回って雑務をこなし、地区では役員を務めているし、消防団にも所属している。地区の行事には当然の様に頭数に入れられており、草刈りから宴会まで、いろいろとやることがある。
もちろん、PTAもいろいろあるし、友人付き合いもいろいろ。
・
こんな筈ではなかった。
様々な縁と、それを振り切れない優柔不断と、臆病さ、それに妙な器用さが僕の足を縛り付ける。
・
誰か人生を代わってくれないだろうか。
・
ちなみに、不健康な肥満体で見た目は悪いですが、年に三人ほどは嫁さん以外に手を出しているので、女を口説く手管は人並みだと思います。
人生変わってくれる人は、現状と見た目を教えてください。
「男は男を、女は女を好きになるのがふつう」
男と女の関係なんて信じられない。世界を「逆転」させた映画が全米で話題 http://www.excite.co.jp/News/reviewmov/20140730/E1406650835497.html
現在、日本語字幕付き版が8/1までスターチャンネルのwebサイトで限定公開されている。以下あらすじ、及び結末に触れるため、未見の方は取り急ぎ見てみてほしい。
この作品では「全世界の標準が同性愛者である」「異性愛者は異端として迫害される」といった世界を描き出し、
つまり既存の価値観をただ単純に逆転することによって同性愛者へ進行形で行われている差別の残酷さを浮き彫りにしている。
同じつくりをした作品としては最近ではアバター然り、第9地区然り。
主にSF映画にありがちな、最初から”価値観の逆転”を前提とした舞台設定のもとに広げられる、
異端である『異性愛者(=ブリーダー)』の少女・アシュリーは作中で、周りと異なり異性を愛してしまう自分に気が付く。
ふとした一言からそれが周囲に知られることになり、彼女はクラスメイトにとって侮蔑の対象と変わる。友を失い、得かけていたパートナーから拒絶され、
親族の理解も得られない。周囲すべてが自分を認めないことに耐え切れず自死を選ぶ。
作中にむごたらしく描かれる差別・暴力行為。迫害といっていいそれらは、すべて現実の同性愛者自身の体験を元にしたものだという。
作品の大半を占めるそれらは具体的に、執拗に描かれる。からかいと嘲笑。止まない蹴り。メール、ネットを利用した侮辱、名誉の棄損。
そのすべてがアシュリーの視点に切り取られ、悪と偏見に満ちた不快なものとして視聴者に与えられる。
彼女は誰からも理解されることなくその命を散らす。「異性愛者は地獄に落ちる」と神に明言されながら。
昨晩妹とこれを見て、浮かんだ疑問はふたり共通していた。
それは「ここまで惨たらしく暴力を描くのならば、そもそも同性愛者・異性愛者を逆転する意味がどこにもない」というものだ。
たとえば作中世界が異性愛者が大多数というこの世界と地続きのものであり、アシュリーが異端としての同性愛者であったとしても、
リアリティが付加された暴力に基づく「差別はいけない」という強烈なメッセージを与えられるところまで、
更にいえば、余分な設定がなくなることでプラスになる効果も当然生まれる。
たとえば映画中、男女が言葉を交わすシーンが幾つか登場する。当然彼らはアシュリーを異端視する側、つまり同性愛者である。
観賞中、彼らの会話が発生するたび「こいつらはどういう関係なんだ?」「それはタブーなんじゃないのか?」と幾度も首をひねってしまった。
アシュリーが異性と手を繋いでいたことがもとで差別を行っていたある女のキャラクターが、アシュリーを捕まえるべく共に駆けだすシーンなども同様だ。
ではなぜ、わざわざこのような設定を使ってまで世界を置き換える必要があったのか。
話題性か? それもあるだろう。突飛な設定は当然大きな観賞動機に成りうる。この設定の上でどのような物語を展開するのだろうか?と。
だが「同性愛者が当然の世界で、異性愛者となった少女」という設定を聞けば、「ああ、同性愛者への差別を見せたいんだな」とすぐに気付いてしまうはずだ。
ゆえにそれは強い動機とは成り得ない。
では何のための世界かといえば、何のことはない。攻撃のためだ。
作品中、暴力は極めて陰惨に、かつ念入りに描かれる。ほぼすべてのシーンがアシュリーへの迫害であるのだから、それは当然のことだ。
ここまであからさまに不条理な痛みを伝え、かつ死をもって閉じることで物語を「年若き美少女の悲劇」として完成することで生まれるメッセージ性とは何かといえば、
「お前たちはこれだけひどいことをしている」
「お前たちの不理解がわたしたちを苦しめる」
いまここにある現実に対する、問いを投げかけることのない一方的な罵倒。
映画の中、それによって苦しめられていたのはほかでもないアシュリーではないか?
確かにこの映画は、「STOP!同性愛者差別!」といった、何の実情も伴わない、くだらないフレーズの印刷された、
男同士、女同士が手を繋ぎ抱き合うポスターよりも数万倍も意義のある作品だ。
だがこうした喚起映像が「ただしい」のだとすれば、その最終的なかたちは、
視聴者の顔をモデリングした俳優が理由もない暴力に絶え間なく晒され続ける映像を見せ続けるものになるはずだ。
確かにおぞましいインパクトを残すことだろう。見た者の考えも変わるかもしれない。が、そこに相互理解が生まれることは決してないはずだ。
それは互いの喉元に刃物を押しつけ合うことと何の違いがあるんだ?
http://www.yomiuri.co.jp/local/shizuoka/news/20140715-OYTNT50181.html
県警は今月から、スピード違反取り締まりの方法や考え方をまとめた「速度管理指針」の運用を始めた。住宅街を通る生活道路では、通勤・通学時間帯の取り締まりに力を入れるほか、高速道路では重大事故が多発しやすい区間を指定し、取り締まり頻度を増やす。今後は、各警察署も地域の実情に即した同様の指針を策定するという。
指針は警察庁の有識者懇談会が昨年12月、違反取り締まりが、事故多発場所より、取り締まりやすい場所で行われていると指摘したことを受け、策定した。
指針では、速度違反の車が起こした事故が、制限速度を守った状態で起きた事故に比べ、致死率が8倍になると指摘。これを踏まえ、今後行うべき具体的な事故防止策として、幹線道路の渋滞の抜け道に利用されやすい道路の制限速度を時速30キロに指定する「ゾーン30」などを挙げている。
県警交通企画課の南條保・交通管理調査官は「事故多発場所で重点的な取り締まりを行う意義を理解してほしい」と話している。
指針は、県警のホームページ(http://www.pref.shizuoka.jp/police/anzen/sokudosisin/index.html)で公開している。
nnnnnhisakunさん「白バイ増もネズミ捕りもオービス等も、自治会を動かして地元合意をとらないとまず無理。問題提起して地区の総会で賛同が集まってようやくスタートライン。議員を巻き込めたらちょっと楽かも。」とありますが、個人の声でもひとつあるだけでも全然ちがうもんだと聞きますよ。
もちろん、団体等を通して警察に要請するのが一番ですが、個人個人が思い思いに役所や議員、警察に市民の声として伝えることも大事ですし、それは決して無駄にはなりません。その声の内容が同じような内容で複数あれば、それは立派な『市民達の声』なのですから。
議員にも声として届けたり、その実現のための協力を要請するのも手ですね。
また、上のニュース記事にもあるように、昔とは警察の姿勢もだいぶん変化が見られてきました。これらはすべて市民らが議員や警察に、地域の安全のために自動車への規制取り締まり強化、更なる厳罰化を望み続け、声を届け続け、結果、それが警察の姿勢に反映されたものなのですから。
もはや地域の安全を向上させるためには、自動車の通行そのものを厳しく制限し実効性のある取り締まり以外に道がないということはこれまでの歴史で証明されつづけてきたわけですから、市民らは地域の安全を自動車から勝ち取るための活動に、なんらの遠慮も要らないわけです。
ただ、今回の書き込みで思うに、ママ友層が特殊なのかなーとか思った
うちは超待機児童地区&人気保育所らしく、毎年よそからの応募ですごい倍率なんだけれど、
面接の時期にはほとんどの入所者が決まってる(もちろん地元民優先、口利き横行しまくり)
超高層分譲マンソンも数年で一気に増えたが、なぜか子持ち世帯が入居してないみたいだし
地価が高くて、空き地パーキングは多いが、一戸建ては昔からの地元民が世代交代してる感じ
賃貸住宅は元が取れないのか少ない
そんな中でもわざわざ賃貸に引越しして通学させる家族もいるが、
なぜだか、個人情報はすぐに入ってくるんだよね
都市過ぎて逆に閉鎖的なのかも
普段こういったことを噤んで生活をしていく中で、
誰かに聞いて欲しかったんだろうと思う。
*
今年の冬に死のう、と決めたのはちょうど一年前にあたる昨年の初冬のことです。その日は父の命日でした。
叔父は僕が中学生の頃に飛び降り自殺をし、結果的に未遂に終わり、半身不全になりました。
僕の曽祖父はすい臓がんの痛みに耐え切れず電車に突っ込んで自殺をしました。きっとその遺伝子が僕にも流れているのだと思います。
*
父は僕が高校生の時に突然亡くなりました。
母が話したがらなかったので、正確な死因は聞かされていませんが、脳梗塞かそれに似た病気だったと思います。突然死でした。
僕はその地区では一番の進学校に入学したにも関わらず、勉学への意欲を失っていました。もともと中学ではいじめから逃げるため、まるであてつけか腹いせのように勉強をしていたようなものだったので、環境が変わったことにより勉強する理由を見失ってしまったのでした。学校でも居場所を失い、借りてきた本を読んだり、漫画を読んだり、ラジオを聞いたり、夜はいつもだらだらと過ごしていました。
その日、日付をまたごうかとしていた時刻です。ようやく物理の問題集を開きかけたところ、隣の寝室から母のくぐもった叫び声が聞こえました。母は僕を呼びつけ父を見ているようにと言って、一階へばたばたと階段を駆け下りました。父は目を開けたまま空中を見つめて固まっていました。ぼんやりと口を大きく開け、橙色の明かりが照らしているはずなのに、その瞳が灰色のように見えたのが印象的でした。
僕は、救急車の音を聞きながら、弟の手を握って、多分おとうさんは死ぬから、これからは二人で母をささえていかなくてはいけない、といったことを弟に言いました。こたつぶとんの銀杏の柄を今でも覚えています。(その弟とは数年後に金のいざこざで法事であっても目を合わさないような仲になるのですが。)
どこにでもあるような、ありふれた死です。
中学生の時には友人を何人か自殺で亡くしました。そのうちの一人とはとても仲がよかった。僕は高校受験の合格の知らせとともに、その電話をうけました。成績も優秀で人柄も温厚だった彼の葬式には、たくさんの友人が足を運びました。彼は病気で死んだと聞かされていましたが、数年後あれは自殺だったのだと母から言われました。彼が最後どのような姿だったのかは知るべくもありませんが、僕は彼がきっと暗い森で首を釣ったのだろうな、と画を浮かべました。
どこにでもあるような、ありふれた死です。
僕は彼とそこまで交流があったわけではありませんでした。
どこにでもあるようなありふれた死です。
その後も肉親のありふれた死を沢山通り過ぎましたし、災害や事件が起こるたびに、そしてウェブの手記やブログといったひとの人生が語られるたびに誰かの死を知りました。思えば、中学生のあの自殺を経験した時から「死」というものについて毎日考えるようになっていました。それは而立と呼ばれる年齢を超えた、今でも、毎日です。
人というのは本当にあっけない。人の人生を美しく錯覚させているのもまた人なんだなあ、と僕は祖父の焼かれた骨を拾いながらとても空虚な気持ちになっていました。
*
僕は幼い頃からとても潔癖で、世の中では避けて通れない、多くのひとなら何も感じないような些細な傷にもいちいち血を流すようなとても弱い、誤解を避ける言い方をすれば、感受性の強い人間でした。そうやって振舞っていると当然のように不幸を呼びこむもので、学生時代も就職してからも、ひとに脅されたり漬け込まれたり、悲しみや苦しみを自ら引き寄せたりすることがとても多かったように思います。自分に自信がないせいで、異性を好きになることもできません。
しかし、悲しいことばかりでもなく、大学では友人に恵まれましたので、そういったふるまいがいけないのだということを少しずつ学びました。そして、悲しさやいらだちをすべて筆に載せることで自分を保つようになりました。自分自身を神のように錯覚する、一種の宗教のようなものです。筆を握ることさえできれば、どんなに辛いことがあってもまあなんとかなる、それを糧にしていけば、次の作品の材料にしていけばいい、そして、それでもだめならいざとなれば死ねばいい。そうやって自分をごまかすことができていました。ここ数年は。
*
昨年の初冬から筆が握れなくなりました。その頃は仕事で一日の時間の大半を奪われており、常に締め切りに追われ、朝方に眠り、ぼんやりとしたまま起き、仕事をし、眠っていたから、いつのまにか、なにかを美しいとおもったり、なにか美しいものをつくろうと思う気持ちがすっかりなくなってしまったのでした。ただ人を裏切ることが恐ろしい。人にがっかりされることが恐ろしくて仕方がありませんでした。あのころと一緒です。自ら悲しみや苦しみを引き寄せるようになっていました。
僕はスケジュールをきちんと管理できなかった自分を、仕事がこなせない自身の力不足を糾弾しました。ある日道を歩きながら、パソコンに向かいながら、電車に乗りながらわけもなくぼろぼろと涙が溢れてきて、「これははてなのコメントでよくみんなが言っていた鬱というものだなあ」と思い、病院へ言って安定剤をもらいました。
薬を飲むと涙が流れるのはすこし和らぎましたが、強烈な眠気とだるさに見まわれ美しいと感じる心はますます萎びていきました。何を見てもときめかないし、輝かない。美しい作品を作って、褒められたいという情熱は、作品をつくってそれが美しいものでなかったらどうしようという恐怖に変わっていきました。もうひとりの自分が糾弾します。筆を取れない自分に価値はない。いや、もともと価値などなかった。もっといえば人間に価値などない。人を美しく思わせているものは人なのだから、その気持をうしなってしまったらなにも意味が無い。
僕がこうやって萎びている間も周りの人間はどんどん前へ進んでいきます。そういった輝かしい人々を指さして、僕をもう一人の僕がぺしゃんこに糾弾します。毎日平静を装って仕事をしながら、己を否定する言葉が泉のように湧き出てきてそれが朝から眠るまで続きます。インターネットで見かける言葉がすべて僕を責め立てるように見えてきて、恐ろしくなります。汚い言葉がこちらに向かって刺さってきます。けれどそれをやっているのは自分自身です。それをわかっているから、ますます自分を糾弾します。こんなことで萎びてしまう弱い自分がすべて悪いのです。けれども僕は何食わぬ顔をして普通に仕事をして、ごはんをくちに運び、風呂に入って、眠ることができます。糾弾して、仕事をして、ごはんを口に運んで、風呂に入って、眠ることができます。おそらく死ぬまで。ずっとこれを続けることができます。でもできるのとしたいのは別のことです。
*
思えば物心ついた時から常になにかに怯えていました。人の顔色をうかがい、人の評価にあわせることでしか自身を保つことができませんでした。筆を握ることは、ただ楽しいと思えていたのに、それも虚栄心を満たすだけのものに成り果てました。いまでは作品を作ることすら恐ろしいし、過去の作品を見ると動機が激しくなって、吐き気のようなものがこみ上げます。
毎日暮らしていくことはできます。恋人や伴侶や子供もいないので一人で暮らしていくには給料は十分です。でももう、立ち上がるだけのエネルギーがのこっていない。
いざとなったら死ねばいい、これまでも幾度と無く思ってきたことですが、そのいざとなったらが、今ではないかと思いました。僕は去年の初冬に決めました。あと一年この気持が変わらなかったらビルの20階から飛ぼう。高いところがとても好きで、バンジージャンプの経験はあるし、幼いころの夢は鳥になることでした。首吊りや凍死、薬物やガスも考えましたが、インターネットは便利です。いろいろ調べて、死ねなかったことを考えるとこれが一番いいような気がしています。
今年に入って身の周りのものも処分をはじめました。できるだけ周囲に迷惑をかけないように(それが無理なのはもちろんわかっていますが)、手配したいし、遺書も用意してあります。ここ数カ月間は、仕事関係以外の人間、肉親との接触もできるだけ断つようにしてきました。準備を淡々と進めています。僕は初冬に多分、多分死ぬのだろうと思います。悲しいというよりは空虚な気持ちです。死んでいった彼等もこんな気持だったのでしょうか。
どうすればよかったのか?なんて思うけれどもそんな救済ははじめからなかったような気がします。思えばむかしから弱くて、弱くて、ここ数年がただ運良く、うまくごまかせていた、それだけだったのだと。この世は弱肉強食ですから、弱いものは去らなくてはいけない。もう一度美しいと錯覚できたら、そうしたらまた以前のように自分をごまかすことができるのだろうか。ごまかすことができたら、この先の命を続けていくことができたのだろうか、それはもうわかりません。今の私には、屋上から逆さまに落ちてトマトのようにぐしゃりとなる自分の姿しか思い描けないのです。
先日も書いたけど 再編集
匿名じやなきや やばすぎる!
私は、有る村の部落の区長、自治会長 30代後半なのだが 田舎で
おじいちゃん、おばあちゃんの部落なので仕方なく、仕事は、集金、回覧配り、草刈り要員
平和に過ごしていたのだが 村が誘致企業をいきなり作ると、何をするのか書くとばれるので企業ね、
地元の方々が 誘致で 雇用がと、沸いている。運送系15人、工場運転15人 300日24時間操業
のだが調べるだけで環境もよくならないような感じで 近隣の市で誘致した他企業はネットで調べると
有用な情報がわかるのだが、ここはなにもかも隠して、他地区の企業は、事故もあったの隠しているし
家の区に住宅にも近く、自分でもこんな近くに無いなあと、思っていたらあれよあれよで
土地の取得まで これが企業がきてやればいいものの、 地元の方aとbが担当して、
aは、こわもて顔 売りたく無いと言う地主には、かなりきつい事をして、
この時代錯誤の この地区は、いくらでも不正がまかり通ると、 bも そんなに言うな
というぐらい酷いと、毎日、家に来たり、電話で 役所に苦情を言ってもとりあわず
しまいには、村の課長、課長もbの息のかかった人で 課長も同行、村の長の要請で動いたと
言いながら圧力かけて、、家業のことも、お前のとこも うるさいじゃないか
メール写し
今回の立地における土地取得に関しては、基本的には村からの誘致事業と言う形でのスタートであります。まずは、会社として直接、地権者の皆様へ事業の説明、第三者機関による不動産評価に基ずく金額をご提示の上、ご了解を頂いたのちに契約書の取交しをさせて頂くような手順で進めさせております。ご質問の件ですが、一部計画地交渉に関しては地域の調整を含む場所の為、部外者である弊社が調整を行う事は難しく、当初より町、地区のとりまとめの皆様と協議の上、調整をお願いしております。弊社がご質問にある罵倒、脅しての交渉などをお願いする訳もなく、交渉における内容も一切関知しておりません。交渉に行かれたメンバー、人数も把握しておりません。
弊社としては、地権者の皆様へは、事業のご理解、ご賛同を頂いた上での契約の取交しで進める事で今後も対処させて頂ければと考えております。
今回の常会開催の問い合わせは、公民館で開催された第2回地元説明会の折に、私さん自身から年配者が説明会に出ることができないため、新道区でも事業の説明会を開催してもらいたいとの要望を受け、事業者側からは地元であるからしっかり説明していきたいとの質疑応答を踏まえたものです。
・今回反対ということになりましたとのメールを5/1にいただきましたが、事業を実施する方からの説明を聞かないうちに地区の意見がまとまったのでしょうか?意見をまとめるうえではお互いの意見を聞いてから判断していただけたらと思います。区長名での意見書は町にとっては重みのあるものです。
・新道地区内では建設に賛成しているという方もおられるとの話も伺っています。より慎重な対応をお願いします。
結局、この方は、土地を売ったそうで、、、結局は、この地区は、お金が動かないと動かないらしい
メールや何かしても、ご自身で確かめて、確かめてみたけどどうすりゃいいの
黙って我慢しか無いのか!
県の方にうっつたえても、管轄外
bは役場出なの村の長ともなあ、なあ、、bの方がちょつとまとも?
村の長もグル aは、選挙の幹部をしていたと、 aは、事業に失敗して トラブルメーカー
他人の家に上がり込み、警察沙汰になった方
誰もがトラブルあいたくないので、適当にあしらってる 賛否なしに
喧嘩するのは損と高見の見物、、どうせaのやること失敗する。
村の長に質問の機会があり、
喜んで 賛成しようと、、人間の優しさすら無い 首長なら優秀なアホ
また、、aがうちの区を工場の賛成の署名ととっていて、反対に賛成連中も書いたらしい!
可決は無かった、私も引きずり落とす作戦のようで、、そのほうが楽でいいのですが 笑
環境影響調査出て 村は動くと言っているのだが
それからが勝負でしょう、、工場が建つにしても 条件で うるさかったら 操業停止とか
東京マガジン、これくらいやらないと、わからんのかなぁ。。出たらよろしく
嫌なとこ見たので、、、気苦労多そうなんで これから先 ここには、、、
死ぬまで 住みたくないm、
匿名じやなきや
私は、有る村の部落の区長、自治会長 30代後半なのだが 田舎で
おじいちゃん、おばあちゃんの部落なので仕方なく、仕事は、集金、回覧配り、草刈り要員
平和に過ごしていたのだが 村が誘致企業をいきなり作ると、何をするのか書くとばれるので企業ね、
地元の方々が 誘致で 雇用がと、沸いているのだが調べるだけで環境もよくならないような感じで
家の区に住宅にも近く、自分でもこんな近くに無いなあと、思っていたらあれよあれよで
土地の取得まで これが企業がきてやればいいものの、 地元の方aとbが担当して、
aは、こわもて顔 売りたく無いと言う地主には、かなりきつい事をして、
この時代錯誤の この地区は、いくらでも不正がまかり通ると、 bも そんなに言うな
というぐらい酷いと、毎日、家に来たり、電話で 役所に苦情を言ってもとりあわず
黙って我慢しか無いのか!
県の方にうっつたえても、管轄外
村の長もグル aは、選挙の幹部をしていたと、 aは、事業に失敗でトラブルメーカー
喧嘩するのは損と
喜んで 賛成しようと、、アホ
東京マガジン、これくらいやらないと、わからんのかなぁ。。出たらよろしく
嫌なとこ見たので、、、気苦労多そうなんで これから先 ここには、、、
死ぬまで 住みたくないm、
村八分を連発している男は
当時居た20人ぐらいの20-35ぐらいの男のうち1/3ぐらいが村八分になり脱村、
自分の育った地区であるがこういう嫌な経緯から存在をすっかり忘れていた。
思い出したのは、親から仲の良かった知人が脱村したと聞いたことだった。
どうやら近くの町で一人暮らしを始めたらしい。直後にSkypeで直接理由を聞いたが教えてくれなかった。
知人は性格はあまり悪くないのだが(良くもないが)、自分以上のチキンでおそらく女に告白した事も無く。
30超えても魔法使いだった。40・50代の未婚の悲惨な先輩を数人知っていたから、お節介だと思ったがナンパ方法学習サイトを複数教えてあげた。
約2年前の話である。1年前からskypeの不具合で連絡が取れなくなっていたのだが久しぶりに昨日連絡をとれた。
どうやら飲み屋でねーちゃんを口説いて付き合っているらしい、のろけ話を聞かされた。
今回の中国というか、いつもの中国にそこまでの思惑はあるだろうか。
基本姿勢として、アジア一帯は本来、華人の物くらいの傲慢さで、目の前の利権に手を伸ばしているだけではないか。
でも、だからこそ元増田が言うとおり全面戦争の危険はあると思う。
・
あくまで限定戦争でしかないエリアの奪い合いが、さて、華人にはどう写るだろうか。
彼らは天誅くらいのつもりで過剰な攻撃をする。
限定的なエリアの防衛のために敵の軍事基地及びその支持基盤(都市部)に攻撃を加えることもあり得る。
・
元増田が、いうとおり、見渡せば中国を軍事的に牽制できそうなアメリカは不景気からの軍縮であえいでいる。
もしかしたらまずい状況かもしれない。
※ネタバレ注意
http://www.lovelive-anime.jp/prologue.html
地区予選を見事突破したμ's。ライバルのA-RISEも同じく地区予選を突破したと知り、ますます気合いが入る。
そんななか、なぜかにこが練習に参加せず帰宅してしまう。怪しく思った穂乃果たちはにこを尾行し、スーパーで買い物をしているところを目撃する。
追いかけるものの、振り切られてしまうメンバー。釈然としない一同だったが、そんな彼女たちの前を、にこによく似た少女が通りかかった。
両親が出張し、妹の面倒を見るために練習を休んでいた
にこの家では、にこがスーパーアイドルで、他メンバーは"バックダンサー"と刷り込まれている
にこは一年の時からアイドル活動をしており、一度挫折。穂乃果達の計らいによりミューズメンバーとなった。
絵里が1年生の頃を思い出す。
穂乃果の提案により、妹達に向けてソロライブを開くことに。
これからはここにいるミューズのメンバーとアイドルをやっていくの。
この9人でいられる時が一番輝けるの。
都会だとだれでも入れる大学が山ほどあるし、大学行かないのはF欄すら"行けない"クズばかりだからホントの馬鹿、底辺、クズ。
だけど、田舎だと大学に行く文化その物が無いし高卒で働くのが当たり前だからよっぽど優秀(その地区の一番の学校へ行くなど)で無い限り高卒で働いても当たり前。
福島産不買層と福島ヘイト層を混同する向きが一部にあるようだけど、不買層はそんなマイノリティじゃないよ、という話。
タイトルのとおりだけど、城南・城西の高級住宅地区にあるスーパーと、周辺の城東地区や厚木方面のスーパーの品揃えを比較すると、前者には九州産・四国産を筆頭に中部以西および北海道産の食材が明らかに多いことに気付く。
考えてみれば、この地区の住民は震災以前から「国産」や「オーガニック」といった付加価値に金を出してきたプチセレブたちだ。
これまで、(水際のサンプル検査で安全が確認されている)中国産や米国産の食材よりも国産品を選択してきた購買層が、「サンプル検査で安全が確認されているから」という理由で福島産を購入したとしたらそれこそダブルスタンダードである。
つまるところ、単に金に余裕があるから「多少値が張ってもイメージの良いものを買う」という社会の上層の価値基準から漏れただけの話で、プチ富裕層相手の小売店はそのニーズに乗ってうまく儲けているし、福島の行政が大したイメージ戦略もなく「風評」を唱えている現状、市場の回復は望めないだろう。
余談。そういえば、ちょっと前に「高学歴の知識層の方が福島産を避けている(だから安全というのは無知につけこんだデタラメだ)」という話を見かけたけど、これはもちろん単に「高学歴なら高収入の可能性が高く、収入に余裕があれば買う物を選択できる」というだけのこと。
余談。うまくやったのがオーガニック食材宅配の「大地を守る会」で、震災直後に「子供のための安心」を謳う関西野菜セットプランと「東北応援」を謳う東北野菜セットプランを同時にスタートした。はてな的基準では「福島産の特別視を助長するようなマネはけしからん」のかもしれないけど、オーガニック(=付加価値)親和層に対し「応援」という別の付加価値を「安心」の対立軸として提示してみせたという点で特筆すべき戦略と思う。