2014-07-31

ある映画の救いがたい気持ち悪さ

「男は男を、女は女を好きになるのがふつう

男と女関係なんて信じられない。地獄に落ちる」

こんな「逆転」した世界を描いた19分の短編映画がある。

男と女関係なんて信じられない。世界を「逆転」させた映画が全米で話題 http://www.excite.co.jp/News/reviewmov/20140730/E1406650835497.html

現在日本語字幕付き版が8/1までスターチャンネルのwebサイトで限定公開されている。以下あらすじ、及び結末に触れるため、未見の方は取り急ぎ見てみてほしい。


 この作品では「全世界の標準が同性愛である」「異性愛者は異端として迫害される」といった世界を描き出し、

まり既存価値観をただ単純に逆転することによって同性愛者へ進行形で行われている差別残酷さを浮き彫りにしている。

同じつくりをした作品としては最近ではアバター然り、第9地区然り。

主にSF映画ありがちな最初から価値観の逆転”を前提とした舞台設定のもとに広げられる、

映像的には何ら真新しさのない、思考実験型の短編映画だ。


 異端である異性愛者(=ブリーダー)』の少女・アシュリーは作中で、周りと異なり異性を愛してしま自分に気が付く。

ふとした一言からそれが周囲に知られることになり、彼女クラスメイトにとって侮蔑対象と変わる。友を失い、得かけていたパートナーから拒絶され、

親族理解も得られない。周囲すべてが自分を認めないことに耐え切れず自死を選ぶ。

作中にむごたらしく描かれる差別暴力行為迫害といっていいそれらは、すべて現実同性愛自身の体験を元にしたものだという。

作品の大半を占めるそれらは具体的に、執拗に描かれる。からかい嘲笑。止まない蹴り。メールネットを利用した侮辱名誉の棄損。

そのすべてがアシュリーの視点に切り取られ、悪と偏見に満ちた不快ものとして視聴者に与えられる。

彼女は誰から理解されることなくその命を散らす。「異性愛者は地獄に落ちる」と神に明言されながら。


 昨晩妹とこれを見て、浮かんだ疑問はふたり共通していた。

それは「ここまで惨たらしく暴力を描くのならば、そもそも同性愛者・異性愛者を逆転する意味がどこにもない」というものだ。

たとえば作中世界が異性愛者が大多数というこの世界と地続きのものであり、アシュリーが異端としての同性愛者であったとしても、

リアリティが付加された暴力に基づく「差別はいけない」という強烈なメッセージを与えられるところまで、

この作品は完成されていたことだろう。

更にいえば、余分な設定がなくなることでプラスになる効果も当然生まれる。

たとえば映画中、男女が言葉を交わすシーンが幾つか登場する。当然彼らはアシュリーを異端視する側、つまり同性愛である

観賞中、彼らの会話が発生するたび「こいつらはどういう関係なんだ?」「それはタブーなんじゃないのか?」と幾度も首をひねってしまった。

シュリーが異性と手を繋いでいたことがもとで差別を行っていたある女のキャラクターが、アシュリーを捕まえるべく共に駆けだすシーンなども同様だ。

ではなぜ、わざわざこのような設定を使ってまで世界を置き換える必要があったのか。

話題性か? それもあるだろう。突飛な設定は当然大きな観賞動機に成りうる。この設定の上でどのような物語を展開するのだろうか?と。

だが「同性愛者が当然の世界で、異性愛者となった少女」という設定を聞けば、「ああ、同性愛者への差別を見せたいんだな」とすぐに気付いてしまうはずだ。

ゆえにそれは強い動機とは成り得ない。

では何のための世界かといえば、何のことはない。攻撃のためだ。


 作品中、暴力は極めて陰惨に、かつ念入りに描かれる。ほぼすべてのシーンがアシュリーへの迫害であるのだから、それは当然のことだ。

ここまであからさまに不条理な痛みを伝え、かつ死をもって閉じることで物語を「年若き美少女悲劇」として完成することで生まれるメッセージ性とは何かといえば、

「お前たちはこれだけひどいことをしている」

「お前たちの不理解がわたしたちを苦しめる」

「お前たちは醜く、害悪に満ちた存在である

以上であるしか考えられない。

いまここにある現実に対する、問いを投げかけることのない一方的罵倒

映画の中、それによって苦しめられていたのはほかでもないアシュリーではないか?


 確かにこの映画は、「STOP!同性愛差別!」といった、何の実情も伴わない、くだらないフレーズ印刷された、

男同士、女同士が手を繋ぎ抱き合うポスターよりも数万倍も意義のある作品だ。

だがこうした喚起映像が「ただしい」のだとすれば、その最終的なかたちは、

視聴者の顔をモデリングした俳優が理由もない暴力に絶え間なく晒され続ける映像を見せ続けるものになるはずだ。

確かにおぞましいインパクトを残すことだろう。見た者の考えも変わるかもしれない。が、そこに相互理解が生まれることは決してないはずだ。

それは互いの喉元に刃物を押しつけ合うことと何の違いがあるんだ?

  • http://anond.hatelabo.jp/20140731124055

    これのせいでここから下のエントリのスタイルがグチャグチャになっとる

  • http://anond.hatelabo.jp/20140731124055

    この映画見てないけど。 いまここにある現実に対する、問いを投げかけることのない一方的な罵倒。 そういうのが好きでしょうがない人がいるんだよ。 この映画を「同性愛者への差...

  • http://anond.hatelabo.jp/20140731124055

    同性愛者をはじめとした性的少数者の権利が声高に主張され、自由恋愛のすばらしさが賛美されるに従って、 美醜という尺度の絶対性もまた高まっていき、醜い人間は男でも女でも性的...

  • http://anond.hatelabo.jp/20140731124055

    逆転させたのは、「相手の身になれ」という意味だろう。 ただし、逆転させると全く違う問題になる事があるので注意が必要。 例えば、人間とクジラの立場を逆転させた映画とか作って...

  • http://anond.hatelabo.jp/20140731124055

    たとえば映画中、男女が言葉を交わすシーンが幾つか登場する。当然彼らはアシュリーを異端視する側、つまり同性愛者である。 観賞中、彼らの会話が発生するたび「こいつらはどう...

  • http://anond.hatelabo.jp/20140731124055

    なんで同性愛者に固執するの。 あるのは差別する側とされる側だけでしょ。 という話では。

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