はてなキーワード: 偏屈とは
「……“本当の10話”? ちょっと何言ってるか分からねーな」
慌ててシューゴさんは取り繕って見せるが、とぼけているのは明白だった。
「“本当の10話”じゃなくて“幻の10話”です、シューゴさん」
「あっ……と、間違えた」
まともに取り繕える余裕がないほどの事柄、ということなのだろう。
内実を知らない新人たちも、その雰囲気から異様さを感じとった。
「あれリリースするのは、やめといた方がいいと思うけどな~」
「どうしてもって言うなら構わんが……」
「どうしても!……これでいいですか、シューゴさん」
「いや~そういうことじゃねーじゃん?」
「どういうことですか」
偏屈でもアニメを作るのだけはやめなかったシューゴさんが、今はそれを露骨に拒否しようとしている。
彼がそれだけ“幻の10話”を良く思っていない、ということだけは新人たちでも分かった。
「寝ているだけでは子供は育ちませんよ。三年寝太郎だって何もしていなかったわけじゃない」
「おいおい、寓話を論拠にするのはやめろって~」
グダグダな押し問答が繰り返され、場の空気は昼食と共に冷え切っていく。
会議は踊る、されど進まず。
「“幻の10話”とは何なのでしょうか……?」
「あ?……ああ、そっか、第3シーズンから入った奴もいるのか」
新人たちの狼狽ぶりを見て、シューゴさんたちは冷静さを取り戻した。
「ふむ、そうですね……この企画を進めるにしろ、まずは前提を共有してからにしましょう」
「オレは嫌だけどな」
「まあ、とにかく、資料をまとめてきますので、後日また会議ということで」
「そうだな、今あーだこーだ言うより、実際に見てもらったほうがいい」
こうして会議の初日は、昼食を不味くするという結果を残して終わった。
僕は、彼女いない歴 = 年齢 - 2週間の非モテで、20代後半の童貞(文脈が文脈なので敢えて書く、ちなみにプロ相手でも同様)だ。もちろん現在彼女はいないし、彼女ができる兆候もない。幸いなことに、コロナ関係ではあまり影響がない職種なので、在宅中心になったが生活への不安は希薄である。
ラジオは、深夜に限らずよく聞く、現在は、4月に始まった新番組があるので毎週10番組聞いている。岡村隆史のANNは、スペシャルウィークに聞くくらいだった。
岡村のANNを聞いた。6年前にラジオを離脱した矢部が登場し、笑いゼロで説教する回。
岡村は、周囲の人間に対して不遜であり、25年続けた圧倒的ホームであるラジオというぬるま湯に甘やかされ続けている。ADの女の子がコーヒーを持ってきてくれても、「ありがとう」の一言も言えない。鬱で休業した際も、相方に迷惑かけて申し訳ないの一言もなかった。お誘いを断わる際にマネージャーを使う、逃げ癖がある(逃げた経験は僕もゼロではないから、心に刺さったなあ)。そういう部分を見るのが嫌で、コンビの仕事は現在減らしている。こうした根っこの部分の不遜さが、非モテから来るミソジニーになっている。反省して、結婚などして環境から自分を変えるべきだ、とお笑い番組なのに笑いゼロで完全に説教されていた。
ヨルシカ「花に亡霊」、ブルーノマーズ「just the way you are」、Maroon 5「Memories」といった選曲が、妙がアクセントになっていたと思う。
僕は、文脈が存在するこの深夜のラジオ番組的には、本来は、強めにツッコまれて笑って流せる発言であると思っている。それが、書き起こしによってオーバーグラウンドに晒されてしまったから、問題になったのだと思う。つまり、深夜ラジオという時間内では、別にこれほど目くじら立てるような話ではないと思うのだ。これがアウトなら、深夜ラジオ自体が成り立たないし、地方局の昼ワイド番組では性関係の結構ドギツイ発言などあると思うけど。僕はあまり熱心な落語ファンとは言えないけど、艶笑噺を探せば今回の岡村発言に類するものはいくらでもあると思う。
矢部の発言は、個人的には非モテ童貞の僕には承服しかねるが、この騒動を収めるという視点に立てば、適切に作用するものと思う。
深夜ラジオという、冴えなくて、偏屈で、変わり者と思われたいようなリスナーとパーソナリティの集う場所での常識が、白昼の常識と解離してしまったことが問題なのである。それを責め、諭し、真っ当な大人(礼儀正しい、逃げない、恋愛している、彼女がいる、結婚している、子供もいる)になるべきという世間の風を、矢部が代わりに岡村に浴びせたのだ。鎮火のために出てきた(呼ばれたのか自発的に行ったのかは不明)彼がやるべき仕事だったと思う。
しかし、岡村の「経済的に困窮した上玉を抱きたい」という欲望と同様に、ある種グロテクスな説教になってしまったことも事実である。
岡村は、いろいろな経験があって女性不信だと言う(それは矢部も言及していた)。その彼にとって、風俗という世界はアジールだったはずだ。モテなくても性欲はあるからね。そういう人間に、50歳で彼女もいないのはおかしい、誰か付き合っている人がいるなら結婚しろ、嫁・彼女は気付きを与えてくれる、子供にきついことを言われるのは人間的に成長させてくれる、といった「オーバーグラウンド」の価値観を強要するのは、岡村が「コロナで貧困に陥ったら身体を売って金を稼げ」とネジクレ曲がった欲望を口にするのと、パラレルな関係にあると思う。
1月末から始まったこのコロナ騒動によって、自分の心と体が緩み切っていた。
とうとう今日、その緩みが自分自身に災厄として降りかかってきたのだ。
もちろん最終的にその全責任はこの自分にあり、誰も責めることはできない。
しかし、自分自身の戒めととしてここに簡単に顛末を記しておきたい。
私自身のことを少し話しておこう。
普段であれば、月の1週間、長くなると2週間ほどは海外に出張しているのだが、
このコロナ騒動以後出張ができなくなり、ずっと日本にとどまっている。
そして3月の初めからはテレワークとなり、ずっと自宅で仕事している。
それでも、毎日始業時間になるとPCに向かい、急減速を始めた取引にうっすらと不安を感じながら、
なお仕事をひねり出し、特にさぼるわけでもなく、やるべき業務をこなしていく。
仕事を終えると、きちんと自分で夕食を作り、1時間ほど近くの公園をランニングする。
ランニングから帰ってくると、家で語学の勉強をこなし、寝る前に缶ビール1本飲んで眠りにつくという毎日だ。
そうこうしているうちに、GWが始まった。
今年のGWは14連休といつもよりだいぶ長いのだが、実家に帰ることもできず、かといって旅行に行くこともできず、
狭い1Kの自宅にこもり、予定のない日々を過ごしていいる。
予定もなく、かといって連絡を取り合うような友人もおらず、家でこもっているのはなかなかにこたえるものだ。
自分自身のこれまでの行いの結果とは言え、自分がいかに今まで人と心を重ねることができず、
孤独で、偏屈で耐えがたい存在であるということをかみしめている。
日々積もるこの寂寥は自分自身を確実に摩耗し、そしてこのまままではさらに薄っぺらい人間へと堕ちてしまうのではないか、そんな恐怖感に身をやつされている。
そして今日買い出しのためランニング以外で久しぶりに外に出た。
いつも夜走っているので、明るくとてもいい天気で、久しぶりに太陽の下に出た感覚がとても新鮮で気持ちのいいものだった。
なんだか心がすっと軽くなり、久しぶりにラーメンを食べようと思った。
私は健康を気にし久しく行っていなかったのだが、家系ラーメンにすりおろしニンニクをたっぷりと入れて、のりとライスを追加して食べるのが、
とても好きなのだ。なにせこのコロナ禍の中、人に会う予定もなくちょうどいい。
ラーメンを食べ終え、買い出し中のスーパーのレジでクレジットで会計を済まそうとしているときに異変が起こった。
急激な便意だ。
どんだけ頑張って肛門をきつく締めようと、押しとどめられないほど込みあがってくるものがあるのだ。
こんな時に限ってレジはおじいちゃんで自分がクレジットを出したもんだから、トロトロ時間がかかり、
何とか会計を済ませ、強烈な便意の波を抱えながら家路を急いだ。
正直言おう。増田でうんこ漏らす報告をする奴らは心が弱いのだと思っていた。
自分はこれまで、たとえ便意があったとしても精神力で乗り切ってきたというプライドもあった。
本当にすんでんのところだったのだ。
だが、間に合わなかった。
これまで経験したことのない便意は自分のアナルとともに、これまでの実績と自負を押し流していった。
仕方がない、このコロナ騒動によって半ば長い夏休みに突入し、自分自身知らないうちにだらけ切ってしまっていたのだと思う。
これで自分はこれまで軽蔑していたうんこたれ増田の一員となってしまったのだ。
「心の緩みは、アナルの緩み」ということわざがあるが、今日身をもってそれを学ばされた。
もちろん、すべてはこのコロナ騒動によって引き起こされたことではあるが、
それでもなおここに自戒を込めてそして、増田諸氏への忠告も込めてここに記したい。
ファン歴はそんなに長くはないが、水樹奈々さんのことが大好きである。楽曲は昔から好きでCD等も他のアーティストと併せて買っていた。
私は、とある出来事がきっかけで引きこもり状態になっていたことがある。その時に出会ったのが、水樹奈々のライブであった。
最初はファンクラブにも入っていなかったし、近所だしまあ行ってみようかなという軽い気持ちで行ったライブだった。
それが始まりである。ステージに立つ彼女はとてもキラキラしていて。そして新たなことに取り組む姿勢。
引きこもりから脱したと同時に、彼女のおかげで新しいことにチャレンジするようにもなり、引きこもり状態とは真反対の生活を過ごしている。
そんな私だが、最近の楽曲には少し疑問というか、複雑な気持ちを抱くことがある。
水樹奈々さんのやることは応援したいという気持ちがあるが、とてもこの楽曲、いや、この作曲者・作詞者が苦手なのである。
もうコテンパンに叩く気しかないので、あえて名前は挙げないが、楽曲と共に嫌いな理由を挙げていこうと思う。
耳にも全く残らないし、まあシンドロームシンドローム言ってるんだなということは分かるのだが、曲調が微妙だし、これは後から出てくる他の曲を聴いて思ったことだが、歌詞が全く刺さらない。
NANA MIZUKI LIVE ADVENTURE 2015に参加された人にはわかると思うのだが、この歌を歌うときの水樹奈々さんはノリノリだったりする。正直、とても複雑な気持ちであった。
この曲に関して、私と同じ意見の人はいるのではないだろうか。というより、水樹奈々楽曲の中で一番嫌いな曲は何?と聞かれたら、真っ先に答えるのがこの曲である。
よく皮肉で、「この歌好きな人って、結局相手がいない人でしょ~w」みたいなことを言われることが多いが、彼氏がとうにいる私でもこんな歌を彼氏に歌われたら確実に別れる。
ここまで文章並べて、自分のことしか考えてないって相当ナルシストですよね。なりたいなりたいばっかりで、「かっこよくなるとは言ってない」みたいな風にも捉えてしまう。これに関しては私が偏屈すぎるのだろうか。
なりたいなら目指してほしい。
えっと、無理です。人と人が一緒に暮らして、共に生活をする以上、必ず仲違いは発生する。ましてや家庭環境だって違う、そして男と女という人間が毎日過ごすのである。
そして、大したものは買わねえって予防線張っているところがもうダメ。別にそんなこといちいち口にしなくていいし、いつか子供が産まれて子供を優先せざるを得ない状況が発生する以上、大したものを奥さんに買えなくなることなんていくらでもあるだろう。
毎日笑わせなくてもいいから、とりあえず夜中に食べたご飯の皿は最悪疲れていたら洗わなくてもいいから水につけておいてほしい。そっちのほうが私は笑顔になる。
いやもう、なれよ。(言う気も失せてくる)なりたいけど、君のそばにいたいらしい。
正直もう、こっちの心が痛い。ネガティブな意味で。総括すると、「かっこよくなりた~い^^wwずっとそばにいるし、離さないよぉ~www愛してる愛してる愛してる!wやさしくなりた~~~いwww幸せにするおーwww」みたいな歌詞に聞こえる。すっごい無責任というか、頭が悪そう。
水樹奈々さん本人がこんなことを言われてプロポーズをされたいと言っていた時はがっかりしてしまった。ただ、彼女のラブソング自体はあまり好きな曲は多くないのだが。
そして結構いろんなアーティストとこの歌を歌っていたりする。それだけ、彼女にとって思い入れのある曲なのであろう。それがまた厄介なのだ。
歌詞ばかり叩いているが、曲調も嫌い。売れてないバンドが頑張って結婚式ソング書きました、みたいなメロディーにしか聞こえないのは、私が結婚に対してネガティブな印象を抱きすぎだからだろうか。それは分からない。
この曲に関しては、作詞者と作曲者は異なる。この記事を読んで理解した方にはわかると思うが、この曲では作詞者に言及する。
この曲は、自分はダメダメ。あいつは得をしている。あいつみたいになりたいけど自分は努力していない。みたいな歌である。(多分。)
私はがっかりしてしまった。記事の最初で言及しているが、水樹奈々さんの何事にも前を向いて取り組む、そんなアーティストとしての姿勢が大好きで、憧れていたからである。そして引きこもり状態からも脱している。
それから、「自分は自分で、他人は他人。自分にできることから、一歩ずつ少しずつ、頑張ろう」という気持ちが芽生えてきていた。それが、引きこもりで勉強とゲームぐらいしか取り柄がなかった私に、化粧や洋服、そして(遠征による)旅行の楽しさ、様々な新しい楽しいことを覚えていった。中学生からなりたかった将来の夢も叶えている。
それなのに、"他人と比べる"ことを彷彿とさせる歌詞や、「楽してばかりの人生」という単語が出てきたときは、あれ、これ水樹奈々さんのアルバムだっけ・・・となってしまったぐらい。完全に私のエゴだが、そんな言葉を聞きたくなかった。
チラシの裏だが、愛媛公演が中止になってさらに悲しくなってしまったので書いた。飽きてしまったので書いてないが、この前FNSで放送された、STAND UP!も嫌いで、SIT DOWN!してしまった。そして曲調がもう本当に嫌い。嫌いすぎる。水樹奈々さん本人が、彼の楽曲を推しているのが本当に気に食わない。でも、水樹奈々さんは大好きなのである。恋愛などにおけるアンビバレンスな状態ってイメージがし辛かったが、きっとこういうことなのだろう。
友人は不治の病である。
体はとても元気そうだが、助かるようには思えない。
もはや誰も彼女を治す事などできないと思う。私はもう見ていられなくなった。
だから、彼女は不治の病だと思うことにする。彼女は私の中で、死んだ。
私は彼女の持つ、曖昧な受容性みたいなものが大好きだった。テキトーだけど、意思がある。芯があるけれど人を受け入れている。けれど、時たま驚くぐらい大胆だったりもする。そのアンバランスさが面白かった。派手な人物じゃないけれど、周りにたくさん人がいる人間だった。古い関係も多い。本人はそれを時たま嫌だというようなことも言っていたけれど、それもそれで私にとっては魅力的に映った。私は嫌な人間とは綺麗さっぱり終わってしまうたちだ。
大学で出会って、何となく仲良くなって、そしたらいつの間にか同じ趣味を持つようになった。
初めて行ったコンサートは彼女が当ててくれた某4人グループのコンサートだった。当時就活で死にかけていた私を救ったのは、間違いなく彼女と某4人グループだ。アイドルも美味しいものも好きだった。少なくとも彼女とは趣味が合ってたなと思う。
大学生の大したことない収入で精一杯美味しいものを食べて飲んで、美しいものを見て夜更かしして、いろんなことを話した。
大学を卒業して住んでいる県が離れても、コンサートや舞台を観に行くために会ってその度に色々な話をしながら美味しいものを食べたよね。
その度に、あなたが職場の上司のことを楽しそうに話すのが羨ましかった。
大好きな上司の下で、活きいきと仕事している様子が伝わってくるあなたの話、好きだったよ。心底楽しそうな顔してたもん。本当に羨ましかった。でも一方でそれってなんかヘンじゃない?って思ってた。妻子ある中年の男性が、新卒の女の子と週に何度も2人っきりで夜ご飯行ったりするの?コミュニケーションが良好なお勤め先では普通のことですか?冗談で「不倫に発展したら教えてね」って言うのが別れ際の定番みたいになっていた。
そしたら、本当の不倫に発展しちゃった。
SNSの動画にはどっからどう見ても同年代じゃない男の手が映っているし、動画の中で楽しそうにはしゃぐあなたの声に答えるのは知らない歳を取った男の声だ。
「物理的な不倫に発展したよ」ってあなたの口から聞くよりずっと前に知ってたよ。私めちゃくちゃTwitterもインスタも見てるもん。忘れた?あなたの鍵アカウントの数少ないフォロワーだよ私。あなたが嬉々として不倫の証拠残してるアカウント、見てるよ、いつも。
ねぇ、鍵アカウント見てる他の人達どう思ってるの?私、正直めちゃくちゃ怖いし気持ち悪いよ。
表の垢で、その話について通話で盛り上がったみたいなリプ飛ばしあってるの見て、びっくりしちゃったよ。
この子の言う"好きな人"が、中年の、妻子ある職場の直属の上司なの、みんな知ってる?知ってて「応援してる」なんて言ってる?そうだとしたら意味分かんないよ。お前らもみんな狂ってる。
学生の頃から毎年一緒に通った大好きなアイドルのドーム公演。2公演入るために泊まって豪遊するのがお決まりだった。
自担は誰が何と言おうと、誰と見ようと最高のアイドルだった。ステージのあまりの眩しさと、隣に立つヲタクに自分が抱いている後ろ暗い気持ちとのコントラストがキツすぎて、2曲目で泣いた。
私は知っている。
一緒に泊まるホテルで彼女が延泊料金を払っていること。2日間有休で、遠征先を満喫するのだと言った彼女が、私には濁す「用事」というのが、不倫相手との待ち合わせだということ。このコンサートが終わって、私が新幹線に乗って居住地へ帰れば、彼女もまた下らない世界に帰ってしまうこと。
翌日、2公演目に入る前に、去年と一緒に行ったお店に偶然2人で立ち寄った。ちょっと名の知れたパティスリーだ。学生の頃は気軽に買えなかったであろうチョコレートを私たちは楽しそうに選んだ。大人になったね。
そのチョコを家で食べながら、今私は泣いている。
彼女はそのあと、やはり"好きな人"と会ったのだそうだ。ピアスホールを開けてもらったと喜ぶ投稿がInstagramに上がっていた。去年までは私と自担と過ごしていた特別な日に、不倫相手と泊まって体に穴開けちゃったかぁ。
なんなんだろう。
私の気持ちはなんなんだろう。
数少ない友人を取られたことに対して?
私が職場の男性を憎みながら生きている同じ瞬間にも、彼女は上司と愛を囁き合っていることに対して?
私は友達が少ない。
偏屈で、すぐに人との間に壁を作る。
大学を出てからもこんなに会っている友人は本当に片手で数えるくらいだ。長く続けたいと思ってたよ。
彼女はそんな言葉求めてなかっただろうけど、コンサートに入る前、お花が乗ったびっくりするくらい可愛いケーキを一緒に食べながら、私言ったよね。
「うーん、まぁそうだよね。でもバレるってある?万一ヤバくなったら私が転職しようかな」
ダメだこりゃ。そう思ったよ。
ご臨終です。ご愁傷様でした。何もできませんで。
長年仲の良かった(と少なくとも私は思っている)人間に、こんなにがっかりするなんて思わなかった。
今となっては、これまで彼女と過ごしてきた思い出もどうしていいか分からない。私程度の人間には、もうなす術がないのだ。
だから、もう死んだと思うことにする。
私をアイドルに出会わせてくれてありがとう。一緒に飲んだお酒も、背伸びして食べた料理も全部美味しかったよ。
このチョコもすごく美味しい。あなたが探してくれたお店だよね。「来年もまた来たいな〜」なんて言ってたけど、もう来ないよ。あなた、私の中で死んだから。
チョコを食べ終わった。
綺麗な箱をゴミ箱に放り込んで、もうこの思い出は捨てることにする。箱代だけで200円くらいしてそうだな。
さよなら。
気持ちの悪い素敵な夢の中でずっと眠ればいい。
大好きだった友人へ。
どうか安らかに。
言葉が「死ぬ」というのは、何よりその言葉を使う人がいなくなることだ。たとえばラテン語のように。
ラテン語は、「正しさ」が完全に定義され、変化が許容されず固定化された結果、窮屈過ぎて誰も使わなくなり、そして「死んだ」。もはやラテン語で新たな詩を書く人はいないし、ラテン語を母語とする人も生まれない。それに対して、ラテン語をブロークンにした言語であったところのドイツ語、フランス語、英語……等々は、今日も日々新たに話者を生み出し、獲得して、世界中に広がっている。自由に、楽しく、柔軟な用法を許容され、変化を恐れないこれらの言語は今日も新しい言葉や用法を生み出し続け、つまり「生きて」いる。
このように、言語を生かすとは「変化」を許容することだ。変化を認めないことが、言語を殺す。つまり、「日本語を殺す」ものがあるとしたら、どちらかと言えばそれは変化を許容しないこの人のような考え方だ。
……とはいえ、こういう偏屈な人がいくら声を張り上げたとしても、所詮それは日本語の歴史の中の変化の一つに過ぎず(たとえば「ある時代には懐古的な日本語を流行らそうとした人もいた」程度)、この程度の意見は誤差の範囲内である。そして、大きなレベルで言うなら、少なくとも今ある日本語はまだまだ変化し続けていくだろうし、それは誰が何をしようと止まらない。だからまあ、この程度の意見は適当に聞き流してよいのだ。各論を許容することは、変化を許容することと同じなのだから。
会社が全額負担してくれると口にしたとき、その中に含まれないものがあることを知っておいた方が良い。
たとえば九州から北海道に転勤になって、暖房器具が必要になり、それを購入するのは自腹となる。
捨てるのも自腹である。
自家用車の長距離移動オプションを引っ越し屋に頼むと、そこは経費が降りないかもしれない。
去年のヤマトのように大手がポカをして値段の吊り上げが起きたとき、「普段ならこれぐらいで済む」と考えられている分しか出ないかもしれない。
日取りが合わずに一度荷物を実家に避難してもう一度引っ越しをするなら、その2回ともが業務都合の引っ越しと認められずに1円も出ないかもしれない。
覚悟しておいたほうがいい。
ああいったものはしょっちゅう人が一杯になったり取り壊したりする。
もう一つの引っ越し代として敷金と礼金が飛んでいき、それに一切の補助がつかないのは覚悟したほうがいい。
新居を探す必要があったり、脱出前のゴミ出しパズルをしたり、もちろん部屋の整理整頓や棚卸しも絶対必要になる。
新しい地区に来たら来たでその地区の暮らしに慣れるまでは、生活の効率は間違いなく落ちる。
どこにどの店があって、ゴミ出しはいつどうやるのか、近所付き合いのコツや町内会のあしらい方……そういった地域のカラーを覚えるまでにいくらでも可処分時間は浪費されていく。
引き継ぎ作業は大抵の企業で極めて軽んじられているが、時限爆弾の発掘や理解不能なメモの整理まで考えれば、ときにはまるまる一ヶ月二ヶ月分の業務量とすらなっていく。
つまり、評価されない業務が増え、その分仕事が終わらなくなるということだ。
残業代がちゃんと付く会社であったとしても、ボーナスの査定には響きうるだろう。
先程百害あって一利なしと書いたが、一部の偏屈な人間からすればこれが引っ越しの唯一無二のメリットともされているのがコレだ。
だが、まともな人間関係を築いてきた社会人にとっては、いちいち他人の顔を覚え直したり、人の癖を見抜き直すことによって業務上特に意味のない負荷が増えるだけだ。
しかもこの人間関係には時として、自分の家族や友人すらも含まれるのだからな……。
マジで転勤は辛いぞ……
気軽にオッケーするのはやめておけ。
年収が30%アップしてようやく承諾するかどうかを迷い始めてもいいぐらいのものだと思って欲しい。
基本的には、突っぱねる方向が正解だ。
「婚活アプリ」と「街コン」に触れて、気がついたことをここに述べたい。
①婚活をするということ
女性はアプリの登録費用が安い。無料プランでメッセージのやりとりもできるようだ。男性の場合は月3000円程度の有料プランに加入しないとメッセージの開封もできない。
来るメッセージの数も男女で違う。同時期に始めた女性の話を聞くと、大量に来るメッセージを読むのが大変らしい。自分には来て2日に1通程度だ。わざわざ自分から探してアプローチする女性は少ないだろう。
居酒屋などで開催している街コンに行っても、金額の違いはかなりある(女500円、男3500円など)。男女比は主催者が調整しており、同じ程度(どうしても数人はあぶれる)になっている。
街コンは、面接のように1on1で話せる会もあれば、テーブル毎に2対2の形式でお酒を飲む会もある。居酒屋での会では、初対面の女性同士であっても自衛のために私たち友達ですと言う事が多い。
男性は積極性が求められ、女性は距離の取り方が試されていると感じた。
多くのアプリがそうであるが、居住エリアは都道府県単位で区切られる。そのため北海道は北海道としてまとめられる。
例えば函館に住む人が登録すると、旭川や帯広に住む人も候補に上がる。札幌ならまだいい方だが、それでも特急で4時間の距離だ。
今挙げたような都市部に住んでいるのならまだいいが、網走だとか留萌だとか稚内だとかに住んでいる人はさらに厳しい環境に置かれている。
距離の都合上、残念ながら、田舎に住む人は婚活アプリや街コンを十分に活用できない。付き合う前から遠距離恋愛になってしまう。婚活が盛んになるにつれて、この地域格差は広がっていくだろう。
これは自分にとって一番ショックだった事だが、相手の学歴が低い。街コンに行くと高卒、専門卒ばかりで、大学を出ている女性がいない。男性側も高卒が少なく無いようだ。
日頃会う人は自分と同じ環境にいるのだから、当然大学を出ている(何なら同じ研究室にいる)。会社も学部卒や院卒ばかりだ。
婚活アプリでも半数くらいは高卒や専門卒のようだ。記載なしも多い。
似たバックボーンを持つ人と結婚したいと思うなら、高学歴な偏屈男は街コンに行っても無駄足だろう。
【まとめ】
ここ1年の婚活を通して、いかに自分の世界が狭かったのかを痛感した。友達の半分以上は修士で、東大生がその辺をウロウロする街に住み、TOEICで600点程度の自分を恥ずかしく思う人間はごく一握りに過ぎない。
宮沢賢治の美しい文章について楽しく話したり、5G通信の可能性について語り合ったりするには、身近にいる人を捕まえるのが最も手っ取り早い方法だろう。
いよいよ詰んできた。
もう嫌だ
中学生くらいから人との接し方がわからなくなって、色々とやらかした。そのせいか、地元の人にめっちゃ嫌われてるし、ニートだから近所の人にも気持ち悪がられてる。
今就活してるけど喋り方も一方的で、自分中心だから面接で「気持ち悪いからうちでは雇えないしどこも雇ってくれないと思うよw死ぬしかないんじゃない?w」とか言われて絶望
偏屈、プライド高い、自己中、オタクで低学歴チビな俺はしぬしかないのか
28なら若いから何とかなるって言われるけど、離職してからニート期間空きすぎてもう無理だわ
誰かたすけて(´;ω;`)
30を目前にして1人でいることが多くなった。
恋人もいなければ、それほど友達もいない。そればかりか知り合いさえ少ない。
仲の良かった友達とも転職や転勤であまり会うこともなくなった。
会うことが少ないといざ会う理由もなく、なんだか疎遠になってしまった。
働いていると新たな出会いもない。
職場では会話する人もいるが、あまりプライベートな話をするのも面倒ごとが増えるのでしない。
そうなると人として興味を持ちにくく、結果として親しくなることもない。
でもこれらの理由は言い訳で本当の理由じゃないことはわかってる。
ただその程度なのだ。
例えば僕側からしたら、いつも当たり障りのない会話しかしないので相手のことがよくわからないのだ。
話し合う必要もなし、むしろそれで大変になるかもしれないのだ。
すると次第に当たり障りのない会話すら少なくなり、僕の周りには人がいなくなる。
そうするともうダメだ。きっかけも何もないからもう関係が切れてしまう。
逆に相手からはどうだろうか。僕との会話は面白くないのだろう。
当たり障りのない会話を心がけているからか、相手も僕の反応が薄いし、僕から積極的に興味をもって反応することもない。
そんな会話のどこが楽しいのだろうか。
そんなこんなで僕は今、周りから人が離れていき、また近く人もいない。
なんでこんなことになってしまったのだろうか。
僕も人と分かり合ったり何かを一緒に共有したいと思う気持ちはある。
だけど、それは簡単じゃない。
自分から関係を作っていくってことは相手を受け入れて、相手にも受け入れてもらう必要がある。
それができない。
偏屈だからだろう誰かを受け入れられないかもしれない。それが他人だったらまだいいのかもしれない。
でも僕は周りの人にある程度の好意はあるからそんなに不義理な態度は取れない。
そんなこんなで今の状況がある。
今までは数少ない同級生やらがいて、たまたま仲良くなっただけだったのかもしれない。
でもこの先はなさそうだ。
だとすると僕はこのまま1人で生きていくのだろう。
なんだかひどく寂しい。
1人でやっていくことを覚えよう。
一年前くらいに引っ越してきた高級分譲マンションには備え付けの食洗機がある。
高い家賃を払ってるのだから元を取らねばと思い5回位使ってみた。
最初の数回やってみて思ったのが、いまいちうまく汚れが取れねぇってこと。
特に背の高いタンブラーなんかは奥がいまいち洗えてないことがしばしばで洗い直すこと至極面倒。
水の噴射口に対して汚れの面が垂直になるようにしておかなければいけないとわかってるが、うまくいかない…
はてなで買ってよかったものリストに食洗機があがってることがあるが、みんなどうやってうまく使ってるの???
色々調べてみたんだけど、謳い文句がステマなんじゃねえかってくらいそっくりでびっくり。
曰く
などなど。
めっちゃくちゃガバガバな試算をした上に、ビールの泡立ちってwwwこれってパナソニックのステマじゃね??
↓例えばこれとかね
https://kaden.watch.impress.co.jp/docs/column/fujilabo/1063270.html
と、そのくらい自分の中で食洗機に対する評価が低いんだけどうまく使うための工夫を教えてくれ。
こういうこと書くと新しい家電を受け入れられない偏屈なおっさん扱いされるかもしれないから言っておくが、引っ越しと同時に買ったルンバはかなり重宝している。
ちなみに、食器を画一的なものに揃えるのは難しいかな…。食器はバラエティに富んだものにして楽しみたいので。
ってなわけでよろしゅうおまーんこくさいくうこう。
ニートをやっていたから社会とか世間が血で血を洗う地獄みたいなのを想像してたんだけど、いざ社会復帰して働きはじめたら同僚も上司ものきなみ良い人ばっかで困惑したわ。
基本的に礼儀正しいし、怒鳴ることもなく普通に接してくれるし、ちょっと偏屈かな?みたいなひととか厳しいひともいるけど、全然パワハラされている感ないし。気さくに話しかけてくれるコミュ力高い系のひとがいるおかげでなんか職場で会話もできるし(これ驚いた、まさか自分が休憩時間に仲間と雑談できると思わなかった)、上司は懇切丁寧にいろんなこと説明してくれて、あと働き始めてすぐに職場で体調を崩してヤバくなったとき、みんな超優しかったのも印象に残った(すごいどきどきしながらすみません体調悪くて吐きそうですって言ったら、むしろ帰って休めって言ってくれた)
もちろん合わない人ととか、誰かの嫌な面にもよく当たるんだけど、「職場では常に針のむしろ」ぐらいに考えてた身としては、社会とか世間って思いのほか優しいんだなっておもいました。