はてなキーワード: 侮蔑とは
この世代の人は学歴社会と実社会が不幸にもミスマッチしたせいなのか学歴に対する自尊心とその裏返しの低学歴への侮蔑感が強い。
という二点から心底軽蔑されたことがあり、あれは思い出すだに腹立たしい体験だった。
なんかああいう冷血な態度をとられると正直「あなたが新卒で希望の企業に採用されなかったのはその性格の問題なのでは?」と言い返したくなる。まあ言えないんだけど。
はてなブックマークにも氷河期世代のブックマーカーが複数いて、上述の経験に基づく個人的な執心から日頃彼らのブックマークコメントに着目しているのだけど、やはりと言うかなんと言うか学歴に対する拘りや、頭の悪い(と彼らが感じた)人に対する冷血な態度がちらほらと垣間見える。
個人的にはとても納得感があった。
もちろん自分の世代にも学歴差別する人はいるし、未だ日本は学歴社会なんだけど、大学進学率が高まって「大体みんな大卒」という普遍的感覚が共有されてるみたいで、自分の世代では高学歴よりもその人固有の稀有なスキルを持った人が称賛されてる感覚がある。
YouTuberなんか正にそれで、コンテンツ力?とでも言ったらいいのだろうか、そういう固有のスキルが高い人ほど羨望の眼差しを向けられ尊敬されてるイメージ。
だから当然同世代にとって高卒の自分など尊敬の対象ではあり得ないんだけど、逆に特段軽蔑もされないというか、割合的にむしろ無視されてる感じ。
高卒?ふーんみたいな感じ。
自分でも高卒にコンプレックスがないわけではないので、通信教育で学士を取得しようかな、と思ってはいるけど、それで周囲の扱いが高卒とそれほど変わるわけでもないんだろうな。
お気持ち表現規制派を殴るついでに社会構築主義殴られても困るんだよねぇ,正直.
私は人文系で別にジェンダーの問題には関心ないけど,構築主義的な考え方は別にフェミニズムに限られた概念でもないし,社会学だけじゃなく人類学や歴史学でも受け入れられてる.
「民族」が構築されたもので云々みたいな話はさんざんされてきていているわけで.きちんと実証的にやろうとすればするほど構築主義の考え方を取らねばならない局面って多いんだよね.
社会構築主義への批判もあるにはあるけど部分的修正を促すものだし(たとえば「老人」というカテゴリの特殊性から社会構築主義の大前提を疑った論文もあり,これはかなり面白い),本質主義に戻れるかといえば戻れないので,まあ構築主義を受け入れた上でどうやって実証に活かすかという話になるわけだけど,そもそも社会構築主義はおかしいって言われると「ええ……」ってなるよな.
社会構築主義批判が悪いわけではなく,きちんとした論を立てて批判してくれるなら全然大歓迎なわけだけど,一部のアンチフェミな方々の議論は耳を傾けるべき水準に達していないので.
正直もう本当にうんざりなんだけど,お気持ちフェミニストを殴りたかったらお気持ちフェミニストをピンポイントで殴ってほしい.社会学批判とか始めるならネット上の断片的な社会学についての解説だけじゃなくてちゃんと社会学の本やら論文やらをちゃんと読み込んでほしい.当たり前のこと言ってるはずなんだけどなぜか通じない.いやキズナアイを叩くなら彼女の配信をちゃんと見ろとか宇崎ちゃんポスター批判するなら漫画を読めよとかと同じことを言っているはずなんだが? という.
表現規制を求めるお気持ちフェミニスト批判ならオタクとして賛成するけど,雑きわまりない構築主義批判を始めるならそれは文系の学問に喧嘩を売っているに等しいわけで,こちらも文系アカデミシャンとして「は? お前何言ってんの?」というモードに入らざるを得なくなるんだよな.
だからまあ私の感想は,去年キズナアイが叩かれてたときに書いたの(anond:20181011062902)と同じになるわけだけれど.
とにかく私は両側にもうウンザリ.ろくに事実関係を調べもせずVTuberについて基本的なことを知りもせずキズナアイを叩く連中にも,ろくに文系について知りもせずどんな研究をしているか理解もしないできないのにクソバイスを垂れ流す連中にもウンザリです.オタク叩きも文系叩きもクソくらえ.どっちも私の敵.
仕事仲間から趣味を貶められ趣味仲間から仕事を侮蔑されるのそろそろ勘弁してほしいわけですが,まあこの流れは収まらないんですかねと諦めモード.どっちの陣営にも話通じない人がいて辟易.
まあせめて自分が誰に喧嘩を売っているのかはちゃんと把握してくださいね.表現規制派を批判するためにフェミニスト全体を殴ると性の解放を唱えるフェミニストに流れ弾が当たるし,社会構築主義にまで戦線を広げるならフェミニズムや社会学だけじゃなく人類学とか歴史学にまで喧嘩を売っていることになるわけだけどそこはちゃんと自覚してます? 自覚がないなら攻撃対象はもうちょっと限定しようね.もしそれらの分野に喧嘩を売るなら各分野の基本書はちゃんと読んで勉強してねという話になるけど,その覚悟はありますか?
(もちろんこれは男性向けジャンルの潮流とか文化とかについて碌に知らずお気持ちで批判してくる一部のフェミニストや社会学者にも当てはまることだけどね.よりにもよってそのジャンルでデータベース消費論に基づいた雑分析をやりますか? ほんと勘弁してくれ.男性向けだからどうせ女体目当てのポルノだろうみたいなその偏見をどうにかしろ.オタク,というよりも男のセクシュアリティを単純化するな.参与観察なり文献調査なり統計なりの実証手法を使いこなせ.表象分析やるならちゃんと作品に向き合え)
ところで献血行って冴えカノのクリアファイルもらってきたんだけど,今期アニメで白衣着て献血のポスターに採用されてほしいキャラって誰? 僕は,クリーブランドちゃん! アズレン未プレイなんだけどアニメは見てます.出来いいよね.さすが艦これより先にアニメ化されるだけはある.ユニオンとロイヤルと鉄血と重桜でそれぞれ1種類ずつナース服のクリアファイルとか作って献血ルームで配布してほしい.あ,『放課後さいころ倶楽部』も捨てがたい.翠ちゃんいいよね……仮にコラボやるならやっぱり京都府内限定とかになるのかな……(やると決まったわけじゃないだろ起きろ)(もう一回『ヤマノススメ』とコラボしてほしいよぉ……)(いま気づいたんだけどアズレンの鉄血って「血」って字が入ってるから献血にちょうどいいんじゃないか? プリンツ・オイゲンが上から目線で献血を要求してくるポスターとか,どうすか)
似たような話題を似たような面子で似たようなコメントで殴り合うの見てるのは正直言って苦行なので、色々な所に飛び火するのは割とありがたい
勘弁してください.俺は楽しくオタ活や研究して気分よく献血したいだけなんです.献血ポスターを燃やされ趣味を踏み躙られた挙げ句に仕事にケチつけられるとかただただ迷惑でしかないんです……一部のフェミが放火してまわって一部のオタクが焦土作戦しかけてきてるのは巻き込まれた村人Aとしては消耗するだけなんだ……
これはっきり言っておくけど,去年のキズナアイバッシングに付随しての文系バッシングのときにも,私が書いた増田を読んで「こういうのが読めたのはよかった」と言ってる人大勢いたけど,私まだ根に持ってるからね.なんもよくねーよ.水が言葉を記憶しないことについてやたら解説が充実していたり数多の歴史的事件のなかで南京大虐殺にだけやたら詳細なFAQがあったりするのはちっとも良いことじゃねーよ.文系バッシングはこれっぽっちもありがたくないです.一部のフェミに好きな作品を燃やされてもちっとも嬉しくないのと一緒.宇崎ちゃんの売上は上がったらしいけどそれを素直に喜べるかといったら喜べないでしょ.宇崎ちゃんバッシングなんてない方が遥かに良かったわけで(もちろん表現の自由というものがあり,作品への批判をするなとは言わないのだが,しかしその批判をどう思うかというのはまた別の話で……).
社会学部に運動家が集中しすぎている。法学部や経済学部や文学部とは比較にならないほどに集中して存在する。社会学と社会学部全体がうさんくさいものとして見られるようになった。
社会学部なんて設置してる大学は少数派なんですが本当に印象論でしか語ってないんですねというのがよくわかる.偏見を正当化したいだけのノイズ.
この世界は全て物理法則に従って動いている、というのが本質主義なら実際それは多分正しいんだよなぁ…そこに戻れないのは単に人間の知性が追い付かないから「仕方がない」だけなので/クリーブランドはロリだから叩
学問的良心からはたかだか門外漢との対話なんぞのために本質主義を採用するなんてできませんわ.
社会学部を設置してる大学は少数派でたいていの大学に社会学部なんてものはないわけですが本当に印象に基づいたお気持ちで社会学を叩いているんですね(それとも,ひょっとして社会学部がある大学の卒業生なのかな?).
人によります.普通の句読点使う人とかカンママル好きとかコンマピリオド派とか.出版社だと東京大学出版会は横書きの本は基本コンマピリオドですね.岩波もそうだっけ?
「お気持フェミが自分のお気持の裏付けとして使用していますがそもそも関係ありませんし用法も間違っています」というならわかる。フェミニズムと深い関連があるなら批判に耐えるだけの論拠が欲しい
耐える以前の問題で批判側が雑すぎてマトモに相手してやる価値もないというだけの話なんですが.社会構築主義を批判するなとはもちろん言わないけど,批判の質が悪ければ歯牙にもかけないよ.当たり前でしょ.
というかそもそも,社会構築主義の是非と一部のお気持ちフェミの表現規制要求の是非って無関係だし.勝手にその2つを結びつけたのはアンチフェミの側.一部のお気持ちフェミには自由主義とか哲学とかのツールを使って対抗すればいい話で,社会構築主義を疑う必然性はどこにもないし,疑うっていうなら俺の立場は表現規制反対派のオタクから文系研究者に変わりますよというだけの話.文系研究者としては雑なアンチフェミの議論なんて支持できるわけないでしょ.一介の市民としてなら喜んで性的解放とか表現の自由とかを叫ぶけどさ.
本来ならそこは互いに削り合ってこそ信頼性が担保されるはずなのにおフェミさん達は互いにお手々つないで仲良しするからこうなの。社会構築主義の信頼性を担保したかったらおフェミがそれを乱用するのをたしなめろよ
マジで社会構築主義がフェミニズムのあいだでしか通用しない概念だと思ってんの? 馬鹿じゃないの? もう何度でも言うけど本当に馬鹿じゃないの?
文系の学問について無知なのは別に悪いことじゃないけど無知なのにこんな勘違いしたままでドヤ顔で物申すのは馬鹿で恥知らずだと思う.勉強しろよ.
社会構築主義はポスター批判側から確かにあんまり出てなかったけどいなかったかといえば居たような…。「表象」とかゆってた人はソレとは違うの?教えてください!
表象の話は『世界』5月号に載ってた小宮さんのやつかな? あれは社会構築主義とはあんまり関係なくない? いやもちろん関係ないということはないんだけど,小宮さんが言ってるのは表象と女性差別の問題だよね.
実のところ社会構築主義ってマジで社会について分析する上でのベースとなる考え方だから社会構築主義が滲み出てくるのはある程度仕方ないところはあるんだけど,anond:20191104014500でも書いたように社会構築主義の是非以前の問題だなと思うことはあるんだよね.ジェンダーは(というかセックスも)社会的構築物だけど,それは議論の前提であって,じゃあその上でどの程度の女性表象を許容すべきかみたいなそういう話は倫理とか哲学とか思想とかの領分じゃないですか.そこに社会構築主義はどうなんだみたいな話を持ってくるの不毛すぎない? ロールズとかの話しません?
ちなみに私は小宮さんの主張には反対するんだけど『世界』掲載論文の注10(236ページ)には同意する.みんなもっと本質的な話しよ.「そもそも男性だって公共空間で性的消費されてるんだから架空の女性が多少公共空間で性的消費されてたって別にいいじゃないですか」「性的自由の拡大が目指されるべきであって表象を制約しようとするのはおかしいでしょ」「医療のための広告には高い倫理性が求められるのだとしても,人気マンガの多少えっちなイラストを使った広告すら問題とされるのはおかしい.それは医療のための広告に求められる倫理の範疇に収まるはずだ」みたいな話しよ.
……この規制反対増田を多数の「お気持ち棍棒」で殴り倒して口封じし「パワフル表現規制」した方が、学問で論破するより遙かに低コストって事は確実そう。だから規制派は扇動するのか。なるほど、俺でもそうするな。
それは過大評価ですよ.私はフェミニズムに学問的反論を加えているのではなく,フェミニストの一般社会に対する主張の一部に対して一人の市民として反対しているだけだもの.私は知の体系としてのフェミニズムにはちっとも触れていないので学者としてフェミニストに勝つことはできません.それはジェンダー研究の偉い先生が私の専門分野で私に勝てないのと同じ.
気持ちはわかる。が、賛成批判両側ともに多数の人間がいる以上、雑でなんも考えてない意見は出るだろうし、そういう意見は大体過激でツッコミ所が多いから目立つんだよねえ。正直、どうしようもない気がする。
フェミニストのお気持ちで趣味を殴られるのもオタクのお気持ちで仕事を殴られるのも正直疲れ果てたというお気持ちがあるけど,でも流石に今回は献血ポスターが叩かれたということで全血献血15回以上行ってるワイもちょっとプチッと来たよね.これまでは割とフェミの言い分もわからなくもないという感じだったけどキズナアイバッシングと献血ポスターバッシングで「こいつらの主張は基本聞く必要ないな」くらいにまで変わった.メチャクチャすぎるものこの2件.でもこの2件でオタク界隈に吹き荒れた文系バッシングの嵐も忘れてないからね.キズナアイバッシングや献血ポスターバッシングを主導したフェミと社会学叩きや文系バッシングを煽ったオタクはどちらも僕の中では絶許という扱いです.あとpixiv論文事件での学問叩きのことも忘れてないぞ……(しつこい)
まあフェミのことなんて無視して表現の自由を満喫してオタクのことなんて気にせず学問の自由を謳歌すべきなんだろーけども,オタクであることも学者であることも私の重要な一部なので,そう簡単に忘れることはできないんだよなー.
あー、キズナアイの時と同じ人か。私の感想としては当時のこちら(https://anond.hatelabo.jp/20181010204115)の増田とほぼ同じです。ていうか、学問の重要さを訴えたいなら匿名じゃない場所でやったほうが効果的でしょうに。
ネット上の有象無象が学問をdisってるときになんで納税者様への説明責任みたいな話になるのか理解できんわ.科研費の報告書とかはちゃんと出してますし論文も書いてます.納税者様への責任はそれで果たしてるはず.はてブ民とか棘の米欄住人とかに丁寧に説明して差し上げる義理はどこにもないよね.
というかそういうこと言うなら同じ口で二度と民主党政権の事業仕分けを批判しないでほしいんだが……
匿名じゃない場所でやれ? 嫌です.自分の専門分野を誠実にさらけ出して物申した先生方がいたけど,どうなったかといえば物知らずの連中が学問分野ごと燃やしに来ただけでしょ.私は私の専門分野に無知と思い込みでケチをつけてくる連中を招き入れるつもりはありません.
あのさ,それは何一つ否定してないじゃん? 法学部や文学部と並んで社会学部って書くのはおかしいよねって話じゃん? 誰も社会学専攻は置いてないなんて言ってないじゃん? 学部の名前と学問分野の名称は往々にして乖離するもので,そんな肌感覚もなしに批判してるのかよって話じゃん?
ただ関西の方だと有名な私大には社会学部を設置しているところが多いので,関西の有名私大を出た人だと社会学部があるのは当たり前って思っちゃうかもしれない.関東の大学でも,例のキズナアイバッシングの急先鋒だったセンセの勤務先は社会学部だしね.けど繰り返すように全国的には社会学部を設置してる大学は少数派です.
「社会学部」と「社会学専攻」を混ぜて論じてよいと思っている人につける薬はありません.文学と文学部,法学と法学部を区別できないってことでしょ?
歴史学者や政治学者や文学研究者もヒウィッヒヒーには生息して色々発言しているわけだけど,社会学者への偏見があるから社会学者が目立っているように見えるだけでは???
オタクが「巨乳が悪いのか」を論点にしているのは乳袋をエロいと思ってないから。
それに対してフェミが「乳袋はエロいはずだ、エロいに決まってる、とぼけてるんだろ、エロいと言ってくれ」とすがりついている。
昭和天皇は私の親戚である。その昭和天皇を侮蔑し名誉を毀損する展示に対して私は深く傷ついた。皇族方の多くも同じように傷ついたに違いない。一般人なら間違いなく遺族が訴訟する。皇室が起訴しないことを良いことにあの展示をしたのだろう。津田大介氏は卑怯の極み。彼は加害者である。— 竹田恒泰 (@takenoma) October 10, 2019
※ミサンドリー(男性蔑視的)な話なので男性が読むと不快になると思います。
私は若くて綺麗な同性同士が仲良くしてる所を見るのが好きだ。
どちらも同性愛だけど、でも同性愛というテーマが好きなわけではない。
コンテンツに何を求め、どんな快を得ているかを突き詰めると自分の精神構造がよくわかった。
まず「同性同士であれば男も女も同じように」というわけではなく、
やっぱり男か女かで萌え方は違う。
BLのエロは楽しい。エロは精神と身体を手っ取り早く収奪する行為だから。
でも百合は二人の心の結び付きが大事で、精神と身体を収奪するようなエロはいらない。
ちなみにBLはセックスシーンがなくても良いのだが、その場合もセックス以外の方法で性的な心身の搾取はしているからこれもエロと定義している。
結論としては、私のBL好きも百合好きも、現実のホモソーシャルへの憎しみという同根から来ているようだ。
現実では男が悉く女を侵害してきて苦しいから、男を憎んでいるから、侮蔑したくて、BLでは搾取していじめている。
「男は排除して女だけで楽しく利益を独占し、男はコンテンツとして消費したり、従属させて都合よく使いたい」
この見方に気づいたとき、自分の心の解釈が一気に分かりやすくなった気がする。
とはいえ現実のホモソーシャルの男と女の位置をそのまま裏返したいわけではない。
私の理想とする女の同性連帯は、ホモソーシャルとは違って、女性間でのヒエラルキーも同性愛フォビアもない。
女でさえあれば多様性が認められ、コミュニティに参加するための贄や儀式も必要ない、マイルドで優しい世界だ。
その上で男には冷たいのは、今までやられた侮蔑と収奪を取り返すだけはしたい。
という感じだ。
十分取り返せて気がすんだら、男も多様性の仲間に入れてあげる。
ところで「若くて綺麗な同性同士が仲良くしてる所を見るのが好き」の「若くて綺麗な」という限定条件にはルッキズムとエイジズムがあるようだが、
若くて綺麗な子が好きといっても、
百合に関しては対象が年とってても美形じゃなくても萌えられる。
単に若くて綺麗な子同士だと視覚的な華という楽しみが増えるってだけ。
一方BLは若い美形以外、私が性的に消費できる対象じゃないからまったく興味ないです。
この辺もホモソーシャルの裏返しっぽいな。
慰安婦像や昭和天皇を燃やしている表現の是非に対して、だんまりを決め込んでいる卑怯なサヨクへの侮蔑・糾弾としての文脈の「どうしてる?」だよ。
ラノベ表紙や碧志摩メグなどで「表現の自由など無い!」とイキっていたサヨクが、同じ口で表現の自由を擁護するのはバカ丸出しだからね。
やりたくもない仕事で生徒に指示を出さなきゃいけない場面があった。
焦って誤ったことを言ってしまい、女生徒に「ハァ゛゛?!」と言われ怒りと侮蔑に満ちた醜悪な表情を見せつけられた。
なんかそれまで普通に接していたのに突然豹変したものを見せつけられてショックだった。
彼女を責めるつもりはないし人間としては自然な反応なんじゃないかな。でも、良くわからないけれど受け入れられなかった。
それ以来、かわいいアイドルや女性とか見てもあの醜悪な顔が脳裏に浮かんで、「どうせこの子もあんな表情をする」という気持ちで一杯になってしまい。女性を見てもかわいいとかきれいとか思わなくなってしまった。
普段あまり気にしないようにしているけれど、仕事が立て込んで心が弱ってくると女性を見るたびに嫌な気持ちになる。こういうどうしようもない反応って治るのかな?
お笑いというのが人の失敗や苦境、容姿の差異についてそれを有益と認める方向の価値観ではないということを話題として伝播させる様式であることが多いのが問題
問題性としてはその方向性が多いため育成されるものがおおよそそういった表現方法しか知らない状態のまま収益活動に活用されること
収益活動に利用されて問題なのは、主たる目的の収益があがらなくなるということ
もとより他人の失敗を笑うと言うのは価値観を付与した情報の作成方法としてある
笑い話というのは伝聞を伝聞から作成するにあたって要所を個人が抑えやすく再編するにあたって再現性が低くとも主体が残されやすい
文脈と結果をセットにしているためでそのどちらかだけ再現しても笑いにはならない
オチを解説しなくてはならない状況になった時その笑い話は笑うという行動起因を欠いていることにならないためお笑いという形式に固めた情報伝達を行動によって得られる快感で伝播させやすくする
情報伝達媒体として人間関係を築くというのは相対的な人間の成り立ちという根本であるため伝達することやされることは栄養を摂取するに近い快楽を得られる
これを他人の苦しみや災難を笑うことで伝播するという形は発生事象を広め多角的に回避策を考察するためにまず拡散をするということにある
喫緊に解決が必要な状況や関係性でないため遅延して伝聞を拡散するという状況において笑うという感情を利用する
これがお笑いも役立つ教訓になりえ、さすがといわれる落語や関心される漫談になりえる
この伝達を目的とした情報の形成とその受動について作用する「笑い」のみ笑うことのみについてを目的とすると
これは差別的に特に特徴のない事象や小さな差異を大規模的に解決の方法を公募する形で伝達させることですら内容に含む場合がでてくる
差別や侮蔑というのは極小単位での差異を価値観にしたもので規模を広げれば希釈ができる
大阪ナオミが自宅に漂白剤をもっていないわけがない またなくとも自宅に洗剤があるのはとくに特異なことではないしなかったとしても解決方法を要する問題ではない
しかし文脈においてと分節単体においてその指摘する内容は「大阪ナオミに漂白剤を浴びせる」ということ目的としてる
これは笑えるわけがない 面白い要素がない いじめのドラマで中学生がこんなシーンを演じる台本があったとしても笑えるシーンにはならない
もちろんそういった行為が発現するという可能性がゼロではないためその情報を好んだり伝播単位にすることを行う人間も少数は存在するしそれをなくしては防護対策はできない
その特殊な思考の偏りについて発言するのは趣旨にそれるため面白くないという意見が情報を接種した人間すべてではないということに留めるが
「日焼けしすぎやろ」「外で運動しすぎやからな」「服の汚れとか汗がきになるやろ」「漂白剤がいるな」程度には範囲で希釈すれば漂白剤発言は問題にならかったかもしれない
そこまで観測対象を広げるとなにが異常でなにが問題点でそれを解決する知恵をかりたい 知恵が必要な問題点を見抜く視点をもっている有能さ として笑いを起動できるか
となるとその視野と思考の範囲では材料に対して「自分たちが会話をしている流れだけで楽しいこと」であることに気づかず自分たちが笑えた事実のみを基盤に
これは元増田が見た通り「出来るお笑い」を作れるコンビだったかもしれない その才能はあったかもしれない
しかし組み上げる方法や手段を持っていなかったりかのコンビが取得できるところにそういう伝播の情報形成における基礎的な情報がなかったのではないか
師事することやその見解について最低限ここに書いた事を受け継いだ人間に触れることで取るべき手段と選択すべき素材とをもっとよい結果につなげられたかもしれない
これは才能があるとするとその個性や特徴における評価について低いものではないとすると おかれている環境があまりに程度の低いものではないか
他にも連続して発生している「お笑い芸人」の不適切な発言問題をみると彼らを育成する土壌というのが根本的に肥料が少なすぎで粗悪な環境ではないのだろうか
またそのような環境を経てもテレビに出さえすれば収入を平均より大きくもらえるのではないかという自己の社会適応性と可能性を天秤にかけた結果
「お笑い芸人」を選ぶという好機を目指した選択について「人を笑わせる」がどういった引き金を用いてその才能だと思っていたのか研鑽したり
訓練する機会が急激に減っているのではないだろうか
自分が馬鹿なことをして笑いものになることで笑いを取ることができ、笑ってもらうのが好きなのでお笑い芸人になるというのであれば
解決すべき問題というのは自分自身で自分自身を社会的に抹殺してもらったり迫害してもらうために自分で情報を発信しているということなる
自虐ネタということでそれを作り上げる人間もいるわけでそれらを素人がいくつか見るだけでもお笑いとはどこで笑うべきかなにを笑うべきではないのかを充分に知りえるはずで
ネタを考えているときにコンビ二人がその常識から逸脱してしまったことに気が付けない知識の少なさ経験の少なさ
価値観の平均を知ることができなかった社会適合性とやはり経験 これを管理する側としては業界は解消すべき直近の問題ではないだろうか
このまま複数件同様の問題が続くようであれば これはもう芸人の個別問題ではないむしろお笑い芸人は笑われて捨てられる被害者なのではないかと考える
現在問題を機に排斥されたお笑い芸人たちがそれらに気づき反省し再度かえってくることがあれば充分にお笑いをたのしめるのではないだろうか