はてなキーワード: 不可能とは
敵キャラを何にすればいいかわからないので穴やトゲのような障害物を使う
マリオUSAで性能の違うマリオやルイージなどを使い分けられるように、ポケモンも何種類かの中から選んで使える。ステージごとに選べるポケモンが違って、
など
欲を言えばかわいいドット絵ポケモンが動き回る2Dアクションをぜひ見たい
マリオサンシャインみたいにポケモンの島民が住む島を人間主人公が訪れて探検するのもアリ(ただし冤罪はNG)
シンプルに格ゲ
主人公や登場人物をポケモントレーナーとするかポケモンとするかで迷うところ
ポケモンが言葉を話して文明社会を営むポケモンだけの世界はポケダンという前例があるので不可能ではない
マインクラフトのサバイバル部分とモンハンのキャンプ部分を合体させたようなもの
良い映画だった
この作品世界に行ってみたいと熱望したポケモンファンは多いと思う
これをゲームに落とし込むことができるならパルワールドの素晴らしい対抗になるだろう
他なんかある?
・松本人志が行った行為が事実か事実でないか → 事実でないなら復活すべきだし、誤報道した側、責めた側が責任をとるべき。事実ならまずは社会的な責任は果たす必要がある。
仮に事実として、
・テレビ局やスポンサーの立場から、松本人志のやったことからテレビに映すことはコンプラ上不可能かどうか → 判断するのはテレビ局やスポンサー、一般人ではない
仮にテレビに出られなくなったとして、
・松本人志自身がもう引退すると決めるか、ネットなどでまだ活動したいと思うか → 松本人志自身とその関係者が決めればいいこと
・ネットで活動する松本人志を見たいか見たくないか → 見たい人は見ればいいし、見たくない人は見なければいい
結局
話の流れで見解を聞かれた時に、限られた経験上と断りながら批判的なことを言う人は正常。
誰にも聞かれてないのに自発的にケチを書き込んでくる人間は、基本的にまともな思考回路をしていない。建設的な意見交換は不可能。
触ったのが序盤だけであれ、すべて網羅している風であれ、この手の人はそもそも楽しむためにコンテンツに触れようという姿勢になってない(多くは批評家としての自意識を満たすための消費)か、自分がターゲット層でないものを流行りだか口コミだか何かに後押しされて引きずられながら消費している人。
X(Twitter)で、「性的同意を同意をカッチリ取るのは不可能である」って書かれたポストが燃えていて、「同意を取るのが不可能なら女の一存で犯罪者にされてしまうの?」みたいなリプがついたりしている。
小生の体感としても、「性的同意をカッチリ取るのは不可能」というのはかなり納得感がある意見であると思う。性的同意のあり方が男に有利/女に有利とかそういうことではなく、双方の認識合わせとして。
というのも、仮に「ホテルに行って裸になって性器を結合すること」に対しては双方合意していても、詳しい内容まで擦り合わせするのが難しいと思うので。
そして、性行為中って、暴力や強要が起きやすい状況だと思われる。普通に2人で食事していて、突然暴言を吐いたり暴力を振るったりする人はあまりいないと思うが、性行為中だとよくある。あと、食事中に暴力を振るわれた場合は「何こいつ…」てその場を離れたり、周りに助けを求めたりしやすいが、密室での性行為中は難しい。結果として、「本当は嫌だったけど応じてしまった」ということが起こり得る。
なぜパルはポケモンに似ているのか
「ポケモンではないがポケモン的なるものを表現したもの」を「ポ○モン」と呼ぶとするならば
「まるでポケモンを狩ったり解体したり使役する体験」を表現する手段としてパルというポ○モンが必要となった
ここで例えば全くポケモンを知らない人がパルワールドをプレイした場合はカワイイARKという感想になるだろう
オリジナルの世界でオリジナルの野生動物を狩ったり解体したり使役するゲームとしてのカワイイARKも十分にゲームとしては成立する
しかしカワイイARKではマーケティング上のインパクトが弱いため「あのポ○モンを狩ったり解体したり使役するゲーム」という表現が必要になった
ゲームの世界では特に「従来からの逸脱」というのは大きな意味を持ってプレイヤーに訴えかけるものである
本家ではブランドイメージから不可能なレベルの「逸脱」をポ○モンを使って(ポケモン世界を借りて)表現することが可能になっている
そしておそらくそこがポケモンプレイヤーからの反発を招いている部分でもある
ちなみに似ているのではなく似せてデザインしているとしたのは
・見た目だけでなく複合タイプや技タイプなどシステム面でのデザインにも類似点がある
よし、順を追って話そう。冒頭のタイトルを見てこの記事が目に止まったのであれば、あなたはズボラ人だ。そうだろう?安心してほしい、私もズボラ人だ。
ズボラ人が一人暮らしをすると、部屋が片付かない。のみならず、いつの間にかゴミが溜まり、それを片付けるのがまた億劫なのでゴミが積まれていく。以降、この無限ループはとどまるところを知らない。こうなってしまっては、引っ越しなど大きく必要に駆られないともとに戻すことは不可能になるし、あるいはその必要なときにすべき作業の量が爆発して脳も吹っ飛んでしまう。
もうおわかりだろうが、ゴミ箱を買えばこれらが解消する。
デザインとかはお好みでいいが、45L程度の容量のゴミ袋がセット可能なものを、その地域のゴミ分別をこなせる数買うのだ。例えば「燃やすゴミ」「燃やさないゴミ」「カン」「ビン」「ペットボトル」なら5つだ。一応、真にめったに出ないゴミ分類がある場合は流石に無視しても良い。缶飲料は絶対に買わない、とかの場合な。ただし、そうは思っていてもそのうちその手のゴミはきっと出るので、その場合はこの後の記事を読んで意図を理解した上で最適な量のゴミ箱を買ったほうがいいだろう。
そして、これらのゴミ箱を、自分の手が届く場所に全部置け。一人暮らしのズボラ人は、どうせ普段座っている場所で殆どの作業ができるようになってるだろう。その近くに置くのだ。そして、出たゴミはさっさと分類に従ったゴミ箱に入れる。自分の直ぐ側にあるのだから簡単だな?
この方法は、ゴミを捨てに行く回数を大幅に減らせることがメリットとなる。要はバッファを大きく取るのだ。ズボラ人は、やることなすこと面倒くさいくせに、「わざわざゴミ箱などなくても、コンビニで買ったレジ袋にゴミになった弁当箱を入れて次のゴミの日に捨てればいいや」などと考えてしまいがちだ。だが、ゴミの日のたびにこまめにそれらを捨てるなんてできないだろう。そもそも、そのようなゴミが1日2回とか発生したら、週に2回ゴミ回収があったとしてもそこそこの量が溜まってしまうんだぞ?小さい袋が複数だと持ち出すのも困難だ。
ゴミ箱を大きめに取ったのは、仮にこのゴミ箱がいっぱいになってしまい、そのタイミングでゴミを捨てそこねたとしても、とりあえずは「次回捨てる袋は1個」に抑えることができるからだ。袋を入れ替え、次にゴミ箱がいっぱいになるまでは時間稼ぎができる。また、デカい袋にゴミがまとまっていれば、最悪2袋まではいっぺんに出すことができる。小さいゴミが散らばらないから、床が埋もれることもない。このサイクルに自分を乗せることができれば、少なくとも部屋全体がゴミで足の踏み場もない、といった事態は避けることができる。
薄々お感じの方もおられると思うが、これは私が実際にした失敗が元であり、またそれを抜け出すのに成功した方法でもある。ここにたどり着くのに俺は7年かかったが、諸君らがそんな無駄な時間を使う必要はないだろう。参考にしてもらえたら幸いだ。
なお、大げさなこと書いてるな、と思った人もきっといるだろうが、それはあなたが私より優れているからなので気にしないでほしい。まあ真にズボラ人でも万人に向いた方法かはわからんが…
そうそう、この方法の欠点は「そこそこの床面積が予約されてしまう」ことと「見栄えが良くない」こと。後者は気にしなければそれでいいが、前者は部屋の広さが枷になるので、これから一人暮らしの部屋を探す人はゴミ箱スペースを考慮に入れておくとよいだろう。
さあ、ゴミ箱を買うのだ。
思ったよりコメント付いたな。当然自分にとっての最大効率を求めた作戦であり、その人ごとの正解があるはずで、もちろんそれでいいのだよ。単に俺はこれが良かったと言うだけのことだ。
小さい袋たくさん用意する作戦は俺には無理だった(理由は上記の通りで、それをゴミの日に部屋中回って回収するのがもう無理。これは精神的なものであって、全く理解できない人もいるだろう)。
ゴミ袋直接置くパターンだとゴミの投入口が開いた状態にならないので、ノータイムでゴミを捨てることが叶わないのだ。そう考えると、ゴミの排出回数を最小にするという作戦であると同時に、家の中でのゴミの投入効率を最大化する作戦でもあったということなのだな(気づき
数十人くらいは無職の高等遊民のような連中と会ったことあるんだが、外れ値はいるものの大体同じようなパターンで早期リタイアを達成しているっぽいのでまとめる。
人生を賭けたチャレンジが失敗することなど別に珍しいことではない。
単に生存バイアスで生き残ったのが彼ら。ただ、一番公約数的で再現性が高いとは思われる。
低収入の人はメチャクチャ節約して、高収入の人は貯金を使って全額投資する。
投資はオルカンのような買って忘れる系ではなく、自分で選択して分散させる。
これはやってる人とやってない人がいた。やってる人はほぼ漏れなく売れば儲かる状態。
つまり実質家賃タダ。信用力のあるサラリーマンが使えるチート制度だ。
入金力が年間100万なら、10年かけて達成する。別に不可能な数字ではない。
レバレッジ運用をやっている人はいなかった。つまり生き残れなかったのだろう。
投資経験が長くなると、「これはもしかして絶好の機会なのでは…?」というタイミングが年に何回か訪れる。
で、その中に本物が隠れていることがある。
去年のNVIDIA(5倍)、2020年のビットコイン(10倍)などがそれ。
ここでは分散投資をやめて、集中投資に切り替えて大きく増やす。失敗したら終わり。
「4」は別に投資家の目利き力が優れていたのではなく、単に運が良かっただけである。
つまり再現性はない。そのことを知っているひとだけが生き残り、自分は天才なのだと勘違いした人はさらにリスクを積んで自滅する。
生き残った人は、幸運を掴んだその段階で低リスク戦略に切り替えている。
低PERや配当重視の分散投資に戻る人や、運用不動産買ってその不動産を担保に更に運用したりする。
ADHDって人によって発達の度合いが違うんだろ?
そんなアドリブみたいに変化するルールに合わせるのは不可能なんだよ
「合わせられない」でも「合わせない」でもなくて、「不可能」なんだよ
俺も素人好きおじだから分かるけど、素人じゃないと満たされないそれの正体って非常におぞましくて浅ましいそれでしかないんだよなぁ
発達障害かどうかってのは多分関係ない。いわゆる健常者だってそういう言動をすることはよくある。自分の欠点を、自分の意志の欠如の結果ではなく、単なる現象として説明する言説を手に入れると、人はどうしてもそれを使ってしまう。なにせ責任を取る必要がないわけだから。
意志と責任はセットの概念で、自分の意志で行ったのだからこそその責任を取らなければならない、というのがこの社会のルールになっている。でもまあそんなのフィクションなわけだ。人間はただの物理現象で、原子分子がエネルギーポテンシャルの坂道を転がった結果でしかない。とはいえ、人間は意志というフィクションを共有することで互いに関係することができている、というのも事実である。もちろん、人間は皆ただの物理現象であって自由意志なんてない、ということを合意することで回る社会というのもありうると思うが、少なくとも現状そうなっていない。個人が意志を持って行動し、その結果を何らかの形で引き受ける、そういう形で人間社会は回っている。
しかし、能力不足だったり人格の形が社会の多数派からズレていることによって、相当頑張らないとそのフィクションに乗れない人、あるいはそもそも不可能な人、というのが一定数出てくる。つまり意志と責任の物語にうまく参加できない人だ。でそういう人に対する一つの救済の道が、宿命論、つまり君は仕方なくそうなったのであって君に責任はないとする言説である。一番よく行われるのが医学化で、要するに「それは病気だ」とすることだ。これによって「患者」とされた者は責任自由ゲームから少しだけ降りることができ、心の平穏を得ることができたり、そういう形で社会に受け入れられることによってうまく生きていけるようなったりするわけだ。
問題はこのゲームからどの程度降りるのかということだ。本来はちょうど良い塩梅に降りるべきである。例えば自分の不注意に関してはADHDのせいだとしてしょうがないものとする。その一方で、自分の能力の範囲内では、意志と責任を引き受けた方が良い。というのは、ゲームに真面目に参加している他の人間と齟齬が生まれるからだ。この増田が良い例である。増田の彼女はゲームを降りすぎており、その問題に気付いていない。彼女は自分のことを「単なる自然現象だと見てくれ」と言っているのだ。自然現象と人間はうまく関係できるわけがない。だからいまの増田は自然現象をうまく操縦する人という役割になってしまっている。これが「理解のある彼くん」の正体だ。様々な理由によって、相手をただの現象だと思い、何が起こっても「雨に降られたようなものだ、仕方がない」と考えてしまう人のことをそう呼ぶのである。
だからこれから増田がしなければならないことは、彼女を人間に戻すこと、つまり可能な範囲でゲームに参加させること、ということになる。私は自由な意志によってあなたと関係したいと思っている、だからあなたも意志によってそうしてほしいと理解してもらうことである。それができないうちに彼女と結婚したのだとすれば、増田は雨の降る部屋で孤独に人生を送ることになるだろう。
追伸(2024/02/09):ふと思い至って書いた文章が想像以上に反響を呼んでいてびっくりしました。勢いで書いてしまったので重要な論点が一つ抜け落ちていて、それが一部の人を怒らせてしまったようです。お詫びします。というのは、「増田が自然現象になる」という道ももちろんあるからです。2人とも雨になったっていい。虹だって作れるかもしれない。わたしは別に「人間」が偉いとは特に思っていません。お互いにゲームから降りることによって成立する関係も存在すると思います(それはそれで困難があるでしょうが)。しかしこれを書いていたときは、「彼女と互いに人間として恋愛したい増田」の視点に立っていたので、この観点を書きそびれてしまいました。
増田を書くとき、大抵「なぜこの文章がこの世に存在する運びになったか」という言い訳から書き始める。
今回もやはり例に漏れない。アノニマスでのダイアリーでご丁寧に言い訳。難儀な性格だと我ながら思う。
うつとは付き合い始めてもう五年近くになるが、未だに自分のうつについては何も分からないままでいる。
私の場合は、気候に加えて何種類かの不安や悲しみが同時期に積み重なり、トリガーとなるパターンが多い。
不安や悲しみは自らの努力で解消可能なものから、不可能なものまでさまざまだ。
今回もそうだし、五年前もそうだった。
うつについては、それ以外理解できていることはない。ないのだが、最近うつに関して感じたことを書き留めておこうと思い、増田を書くことにした。
未来の自分の道標になるかもしれないし、ならないかもしれない。これは、私のための文章だ。
盛りに盛って自己肯定感は低下の一途を辿り、何を言っても、何を考えても面白みに欠ける。独創性もない。何か行動を起こそうにも、冷えて硬くなった脳が軽やかな動きを阻害する。
そうして、「自分はつまらない人間である」という意識から自己肯定感が更に低下する。典型的なうつによる負のスパイラルに陥っている。
おまけに寒い。毎日毎日、体の芯から凍りつくような寒さに文字通り震えている。都心で大雪など降るなアホたれ。
うつ症状が軽い時期は、アイデアがするすると湧き出てくるものだ。
例えるなら柔軟性のある、水をたっぷり含んだスポンジに近い。脳に少しの力を加えてやれば、まとまりのある言葉が簡単にアウトプットされる。情報もサッと染み込み、インプットも楽勝だ。
出てきた言葉やアイデアには、自信が持てる。整然とした美しさや、鮮やかさに自信が持てる。
力が要らず、アウトプットに不満もない。健康的な思考の活動だ。
対して、うつ症状が重い時期の脳は、「凝り固まっている」という表現が適切に思える。
アイデアや言葉は頭の中に堆積しているが、脳がガチガチに硬い。硬い脳を叩こうが押そうが、うんともすんとも言わない。
目から入ってくる絵や文字の情報もろくに整理できず、ドロドロとしていて頭の芯まで染み込まない。
うんと力を込めて、ようやく絞り出された雀の涙ほどのアウトプットは、濁っていて美しくない。
強い力を要し、アウトプットに全く満足できない。これ程不健康で悲しいことはない。
だが、私はこうして文字を書けている。
そして重要なのは、今書いている文章に別段美しさも、鮮やかさも感じないのだが、なぜか心が安らいでいる。
この現象に気がついたのは、ここ数日のことだ。
冒頭からつらつらと書き続けて分かったが、やはり私は難儀な性格だ。
匿名で書く日記ですら書く言い訳が必要だと思っているし、「面白みに欠ける」ことが嫌いだ。たぶん発言に「独創性」も欲しいのだろう。
なぜこのような性格なのか。おそらくそれは私の言葉やアイデアが、基本的に「自分とセットで社会から評価されるもの」という前提にあるからだろう。
仕事でも、趣味で文章を書くときでも、限られた友人同士でしかやり取りしないSNSでも、「自分と、自分の発言がどう見られているか」で常に頭がいっぱいだ。そういうシーンでは自分と、自分が発信する表現は地続きのものなのだ。
別に私が面白くなくても、独創性がなくても、美しくなくても、実は誰も怒ったり責めたりはしないのだが……そのような自分の醜態を、おそらく私自身が一番許していないのだろう。
だからこそ、この苦しみはなかなか解けにくいのだ。
だが、気がついた。
「自分とセットで社会から評価されるもの」ではない文章は、脳からアウトプットするのがあまり苦ではない。例えば、この増田のような文章だ。
匿名で宙に放り投げる文章は、社会で活動している自分からはぷっつりと切り離された存在だ。しがらみや他人の目に囚われない文章をアウトプットする行為は自由で、とても快適だ。
私の場合は、おそらくこの思考の活動がリハビリになるのではないか、と感じている。
この活動を起点として、自分が「面白みに欠ける」ことや、自分のアウトプットに「独創性」がないことを許す。
自分の発言やアイデアは、本来もっと自由で快適だったことを、体と頭に思い出させる。そうすれば、次第に脳は元の柔軟なスポンジに戻るだろう。
希望的観測を含むうつ真っ盛りの時期の所感だ。少し楽観的すぎたか。
しかし、言葉が自由で快適なことを思い出すリハビリなのだから、能天気なくらいでちょうどいいはずだ。楽観的に表現できる、ということが重要にも思える。
正直「育てる自信がないから」「子どもが好きではないから」「自由な時間がなくなる」そんな簡単で単純な言葉で片付く問題ではなく、日本の少子化には根深い問題がある
小学生の頃から今の社会で子供を産み育てるに疑問を抱き、女性視点でのメリットが何ひとつないと結論が出ているため理由を書き出してみた
子供を産むことは起業するよりもギャンブル性が高く後戻りができない
子育てが自分に合わなくても、子供を育てるお金が無くなっても、離婚しても、元の子供の居ない人生には二度と戻れない
会社のように廃業、倒産そういったことが何もできない。自分で意思決定できない。放棄すれば犯罪者になる
妊娠期間中、身体と精神に負担が大きく10か月間ほどの自由や人権がなく、その後も高確率でキャリアが途絶え20年間ほど自由を失う
産んだ後は社会的な立場や自分の時間を全て失う、軌道修正は困難、社会制度がクソ
代替わりするので、自由な時間がなくなるどころか、自分の人生の主役ではなくなる
人生の主役の座から降りることになり、自分が子供の人生のインフラ。しかも、体作り頭作りメンタル作り体験作り等も策定するコンサル兼インフラ
両親の自己肯定感が高くないと難しい。このことを理解せずに子供を作ると毒親になってしまう
子供は競走馬ではないと思う
男性はリスクを一切負わないから不平等、そのため軋轢も起きやすい
女性は1年近く身体不自由で麻酔もかけずに時間と自分の人生を失い命がけで子供を産むのに対し、
一切痛みを伴わず一瞬の快楽だけで自分の子供が作れる男性側は楽しいし、家族を養わなければならない場合基本的に世話も出来ない
男性のように子供を産んでも楽しさや自由があるわけではなく、女性は自分の人生をすべて失うことと引き換えになる
知的障がいや発達障がい、身体障がいを持ってしまった場合育てる時間や労力がない。健常者で大学に行かせても将来ひきこもりや病気になる可能性がある
医療現場で勤務経験のある自分は現実が見えて周りにそういう状況で苦労している親御さんばかりで、何も明るいイメージが出来ない
老後の世話をしてくれるとは限らない
仲の良い家族でも世話はしない。障害を持っていると世話はしてもらえないし、たとえ自分の言うことを聞く健常者が生まれても独立するとホームに入れて会いに来ないし、海外移住もある
ヤングケアラーや奴隷にさせることになる。昔のように子供が親と一緒に住んで下の世話までさせるのは虐待だと思う
「外見至上主義」や「能力による階層化」が進んだ今、「普通の人間」という水準が爆上がりして子供に求められる能力が高すぎる
ママ友付き合い、受験戦争、近所付き合い、親戚付き合い「子供を産んだ」ということだけが接点の人間との付き合いはリスクが多すぎるし苦痛
親戚やママ友からの、顔面比較、能力比較、セクハラなど、犯罪まがいの暴言や差別が子供と母親を傷つける
国が求めるような消費と納税が出来る子供を3人産んで大卒にするには財力も体力が必要
20代までに結婚、20代前半で第一子出産、35までに産み終えるなんて高校卒業してすぐ結婚するような女になるしかない
国から老後に2000万円貯金しろとも言われている時代に、さらに子供を1人の養育費と教育費総額約2,000万~4,000万円も用意できない
さらに住宅ローンもある場合、1億という金をどうやって稼ぐのか正直イメージできない。もっと安くできるという意見もあるだろうが
子供が労働力になった時代じゃあるまいし、学費をケチって子供に可哀想な思いをさせてまで産みたいと思えない
正直国の理想では10〜20代で子供を産むのがベストだが、高卒で結婚して金のない状態ですぐ産むなんて多くの現代女性には不可能
大学や働きながらの妊娠出産でヤリマン呼ばわり。職場や学校でマタハラを受けることもある。キャリアを維持するために産んでも育休が取れない。キャリア形成の出来てくる30代で産むのは厳しくリミットが訪れる
とにかく変化の激しい世の中で10代で計画的に80年以上も生きる人間を自分の意志で作ること自体が無理ゲー
前提
ゼタ→ゼタに耐えられる魔法防御を確保すると重殺で落ちるようになり回復役が落ちたら建て直しは困難。
ゼタフレアは後半、割り込み不可能の弱体化からゼタがあり、無効化や属性軽減ができない。
そのため、地力で耐えつつ重殺を対策する必要があるが、ランダム回数なため必要な物理防御の確保も難しい。
ランパート役を置いてみたが、一人では長期戦のいつかにくる重殺→重殺が対処できずいいところまではいくが後半に全滅を2回経験して挫折。二人置けばいけそうだがアタッカー一人は流石に時間がかかりすぎる。
決めた作戦
魔法と物理の両受けが難しいため、「相手に重殺を使わせない」ことにした。
ボスはBPが1あると確定で弱体化→ゼタフレアを行うので、毎ターン開始時にボスにBP1を維持させれば魔法攻撃だけに固定できる。
そこで、ワールドヘイストを覚え全員BPが増加した状態にすることにした。これにより、物理防御を無視し毎ターンの弱体化→ゼタフレアを耐えられる魔法防御力と毎ターン体力満タンでターンを開始できる回復力の問題にできる。
装備
魔法防御を重視する。アタッカーはフレイムタンで一応弱点をついた。
パーティ編成と行動
ジョブは全員魔法剣士。アンチマジックの魔法防御150%で一応の安全をとる。なので以下のジョブ名はサブジョブ。
また、「魔法防御特化」は全員の固定枠。なので省略している。
1.時魔道士
ワールドヘイスト担当。ワールドヘイストが枠を喰うのでサポート役。
自由枠
祝福の盾装備。
後攻回復を安定させるために「相手にヘイスト」をかけ、回復量が不安なので祝福の盾でケアルラを全体に。
エアリーは素でかなり早いためこちらがほぼ後攻になるが、BDは素早さ乱数が大きいため相手にヘイストして先攻をアシストしてやる。恐らく回復役にスロウより変動量が多いだろう。
2.白魔道士
両手盾(自由枠)
祝福の盾装備。
後攻回復で全快が目標。ケアルダと祝福の盾のケアルラを使う。徐々にMP回復の30ではケアルダの27でいっぱいいっぱいなので祝福の盾を使っている。時魔道士と合わせてこれで全回復できた。自由枠を魔法クリティカルなどに変えれば一人で全回復できるかも。
34.海賊
一応、脳天落としで魔法攻撃力を下げて生存率を高める役目がある。2行動目は甲羅割りなどで防御力を削りわずかに加速を狙う。
念のため二人にしたが、パターンに入れば安定なのでもう一人はもっとディーラーな構成でいい。
以上により相手が行動速度150%、魔法攻撃力75%、こちらが魔法防御200%+後攻全回復になり、MP収支も黒。以降オートで安定する。
ただ1ターン目が運で、重殺がくれば全滅するため祈りつつ全員生き残って全回復して2ターン目を迎える必要がある。
1ターン目ゼタフレアでアンチマジック発動しつつ後攻回復と魔法攻撃力低下を入れられればベストだろう。
最凶の布陣の4人編成よりも単純に両属性の火力の暴力で苦戦した。まあオミノスたちも確定行動があってそこを突いた感じだが。
wikiで先んじてワールドヘイストの存在をネタバレしてなかったらオート攻略は諦めたかもしれない。戦法を思いついてから時魔道士を育てたので。
さすがにウロボロス戦は不可避行動不能技があるので回復役が止まったらケアしてたけど、似たような感じで魔法防御で耐えるようにして勝った。
聖騎士+魔法防御特化+ボルテージ。相手のバフ解除が間に合わないのでこっちのバフで相殺する感じで150%UP維持と基礎ステ重視に。エアリーより考えるのは楽だったが最終形態まで行って試行するのが面倒面倒。
でもほぼオートで勝てたので満足。