はてなキーワード: 不可能とは
もう本当にColaboの会計問題については擁護することが不可能になってしまった
pic.twitter.com/ltchEABGQL— 暇空茜 (@himasoraakane) December 29, 2022
Colaboの不正会計疑惑について行った住民監査請求の結果全文です
ざっくりまとめ
2月28日までに
・遡って調べろ、不正があったら返金とかさせろ
・区分守らせろ
・こんなクソ報告書で通すな
・按分しろ
・他に流用すんな
・宿泊、給食費に上限つけろ
・ちゃんと指導しろ pic.twitter.com/lNW80SbO2G— 暇空茜 (@himasoraakane) December 29, 2022
リーガルハラスメントでなく報復でもない、本件請求には理由があると正当に認められてしまったので会計問題についてはどうにもならない
Colaboはおそらく名誉毀損裁判で一定の成果を得るだろうけれど、暇空茜への反社認定中傷などもあり完全勝訴は非常にかなり、相当と重ねて強調できるくらいに難しくなってしまった
もうどうにもならない
12月29日の深夜1時。僕は彼と電話しながら家の前を流れる川沿いを歩いていた。低い声で大好きだって言われた。でも、もうバイバイだとも言われた。分かっちゃいるけど寂しくて、月並みな表現だけど胸に巨大な空洞ができてしまったみたいだ。
あぁ、寒い。
僕は20歳の春に彼と出会った。僕はあまりにも女性にモテなかったから、ムカついて男同士の出会い系アプリに登録していた。姉の影響でBLを読み漁っていたし、なんなら夜は男同士のビデオを使ったりしていたから、きっと男も問題なく好きになれると思っていた。でもアプリの中の人たちは揃いも揃って性に奔放そうだったから、物凄く嫌だった。僕は半年ほど誰と会うことも無かったが、そんな中で初めて会ったのが彼だった。
彼は一個下で芸術系の大学に通っていた。僕自身も絵を描いたり曲を作ったりするから、芸術的な能力が高い人はすごく好きだ。それに加えて、彼の外観は僕のどタイプだった。身長は僕より13cmも高くて、体格もぽっちゃり気味。まん丸な輪郭に穏やかな瞳。すごく可愛かった。たぶん彼以上にタイプな人は、後にも先にも男でも女でも現れないという確信があった。それほど好きな見た目だった。
最初のデートではカラオケに行った。どんな曲を歌ったかはあまり覚えていないが、ユーミンのひこうき雲やルージュの伝言を歌ったのは確かだ。
「不安な気持ちを抱えたまま 街はDingDong遠ざかっていくの」
彼はちょっと古い曲が好きだった。ちょうど僕の親世代が好むような曲だ。そういうセンスも、なんだか芸術家っぽくてかっこいいなと思った。
カラオケルームの小さな個室の中で、隣り合って座ったり立ったりしながら歌っていた。小さい個室といっても別にそんなに接近する必要もないのに、膝や腕が触れ合ったりしてドキドキした。僕は思わず彼の大きな膝に頭を載せてみた。柔らかいお肉が僕の頭部を包み込む。すごく、すごく幸福だった。
カラオケ屋の近くに公園があったから、しばらくそこで座って話していた。うっすら寒い春の夜、公園には僕たち二人だけ。膝枕だけじゃ物足りなくなってしまって、僕は手を繋ごうとした。でも断られてしまった。なんで。好きになっちゃうから。いいじゃん。だーめ。そんなやりとりをした記憶がある。ちょっと脚色してるかも。でも別にいいか。だって、思い出はきらきらしている方が良い。
初デートが終わっても僕の興奮は冷めなかった。全く冷めなくて、毎日彼のことを考えていた。ゲイの友達軍団に彼のことを自慢して、きゃーきゃー騒いだりもしてた。僕はいつの間にかモテない男子大学生から、初恋のJKみたいになっていた。好き好き大好き、早く会いたい。脳みそは彼一色。
二回目のデートでは、僕の実家に彼を呼んだ。別に親に紹介するとかそういう話ではなく、ただお泊りがしたかっただけだ。大学の後輩です、とか適当に言っておけば女の子を呼ぶよりもずっと簡単だ。同じ布団に入ったら、「男二人なのに、そんな狭い布団で大丈夫?」と母親に言われた。大丈夫というよりもむしろ、なんて僕は胸の内でにやにやしていた。
ハグをして初めて、彼は僕よりずっと大きいことを身体で理解した。肉厚な腕やお腹は熱を帯びていて、僕は食べられてしまうんじゃないかと思った。事実として、食べられそうになるくらいに責められた。あんなに熱い夜は初めてだった。
この日から彼の対応はおかしくなった。明らかに僕に冷たくなったし、大事な話をしようとしてもあしらわれる。会いたくてたまらないのに予定を合わせてくれない。何故なのか全く理解できなかった。だって、あんなに可愛いって言ってくれたじゃないか。付き合うんじゃなかったのか。
僕は泣いたりブチギレたり、とにかく感情が不安定になった。それを全部彼にぶつけた。でも適当にあしらわれる。たまに僕の話に乗ってくれることもあって、その日は落ち着きこそすれど数日すればすぐに不安に苛まれた。この時期は辛くて苦しくてたまらなかったし、あらゆる友達に「そいつはクズだ」「早く忘れろ」「許せない」と彼のことを非難された。でも、きっと彼は僕のことが好きなんだという謎の自信があったから、友達のアドバイスには従わなかった。彼のことを信じたかったんだ。
彼が中高生の頃に付き合った彼女の話をされたことがある。彼女には「何を考えているか分からない」と言われたことがあるらしい。僕も、彼が何を考えているのか全く分からなかった。彼は僕と違って男性しか愛せない人だったから、彼女のことを気持ち悪く思ってしまうこともあったようだ。僕は、僕だけはそんな彼を理解してみたかったんだ。僕にならできるって信じていた。
そして、三回目のデートをすることになった。場所はソラマチ。日付はどのメモにも残っていなかったから分からない。最高だ、めちゃくちゃデートっぽい。実際、デートは最高だった。ソラマチに立ち並ぶ店はどれもおしゃれで、彼の隣で眺めているだけで楽しい。スカイツリーのてっぺんから見る夜景はすごく綺麗で、心なしか彼もかっこよく見えた。
でもね。
これで会うのは最後だよって。
訳が分からなかった。何度も聞いた、なんで?って。でも彼が提示する理由は僕には理解できなかった。確か、今は付き合わない方が良いとか言ってた気がした。それって全く回答になってない。納得できないし、意味不明。それでも彼を引き留める方法なんて無かったから、僕は彼を見送りながら半蔵門線で呆然としていた。最後にささやかなプレゼントを渡そうと思って買ったハンカチは、ついぞ渡すことはできなかった。
僕の彼への愛情はキレイに逆転して、深くどす黒い憎しみになった。
僕は彼のことを忘れようと必死に努力した。ありとあらゆる友達に相談し、恋愛映画を観て、新しい男と会ったりした。この頃に上映していた「愛がなんだ」という映画にはバリ共感MAX100%だった。
でもね、一年経っても二年経っても忘れられなかったし、ずっと好きだった。なぜかというと、彼はたびたび僕に連絡を寄越してきたからだ。元気?とか、やほ、とか、特に理由なく突如メッセ―ジが送られてくる。もう本当に意味わからない。このせいで僕は彼を忘れることができなかった。この辺りで僕は、「きっと彼は寂しい人で、僕を使ってインスタントに自分の欲求を満たしているんだ」ということに気付き始めた。でも、別にそれでもいいから彼と話していたかったんだよ。
僕はいつの間にか男遊びが好きになっていた。だって、特にデメリットなく人と会えるし、気持ちいい。たまに虚しい気持ちにもなるけれど、でも別にそんなの大した問題ではなかった。たまに変な人と出くわすこともあるけれど、でもそれは笑い話のネタに使えるからむしろ一種の楽しみになっていた。ただ、好きだと思う人は一人もいなかった。上手い、とか可愛い、とかでもう一度会いたい人はいたけれど、好きになる人は一人もいなかった。
その後、ひょんなことから僕には彼女ができた。なかなか可愛くて絵が上手な子だった。この子とのストーリーも非常に濃厚なのだが、それは割愛するとして。僕に初めて恋人ができたおかげで、僕の中に巣食う恋愛コンプレックスは綺麗さっぱり消滅した。自分でもびっくりするくらいには、今までの自己嫌悪がどうでもよくなった。それと一緒に彼への憎しみも浄化されて、後に残ったのは彼のことを好きだったというきらきらした思い出だけだった。自分の心変わりは自分でも衝撃的で、物凄い感動に包まれた。
彼女とはあまりうまくいかなくて、数か月で別れてしまった。でも、自分の考えが大きく変わる非常に大事な経験だったと思う。一個目の大きな変化は、自分に自信が持てたこと。巨大なコンプレックスが無くなった影響は計り知れない。二個目は、過去の自分への嫌悪だ。昔の僕は、自分の中の好きという気持ちに任せて相手のことなんてこれっぽっちも考えていなかった。だからモテなかったのだ。好きな相手がいたら、好いてもらうために相応の行動が必要に決まってる。それにやっと気付かせてくれたのは、最初の彼女だった。
未だに彼からちょくちょく連絡が来ることがあったから、一連の出来事を彼に報告した。そして僕は、もう彼への憎しみは無くて前向きな気持ちで好きでいられるようになったことも伝えた。僕は彼のことを忘れることが不可能だと体で理解したから、好きだという気持ちを素直に自分で認めてあげて、それとうまく付き合って生きていくことに決めたのだ。
ちょっと補足すると、僕は彼女と付き合っている間だろうと、彼が好きだという気持ちは薄れなかった。でも、このことは彼女に報告した上で大丈夫だという判をもらっているし、人を好きな気持ちはどう努力しても理性で支配できることではないと思っている。大事なのはパートナーを不安にさせないことだと思っていて、それ以外の人間に好きだ抱きたい抱かれたいと思ってしまう気持ちを責めるのはお門違いではないだろうか。
さて本題に戻ると、彼は僕に彼女ができたことを祝福してくれた。彼の方にも彼氏ができたようだったが、あまり充実している様子ではなかった。恋人ができたら嬉しくてたまらないものだと僕は思うのだが、彼の方は何か裏がありそうな様子だった。僕は彼と久々に会っても依然として好きだなー、なんて思っていた。ただし、初めの1年間のような執着心は綺麗さっぱり消えていた。
もう、僕の心はすっかり平和だった。
後から知ったことだが、彼の方は全くそんなこと無かったようだ。
僕に二人目の彼女ができた。中学時代からのTwitterのフォロワーで、実は同じ大学に通っていたことが判明してから仲良くなった子だ。この子のことは本当に大好きだ。早く同棲したいし結婚したいし死ぬまで一緒にいたい。でも、まだ付き合って数か月しか経っていないから、そういう話はゆるやかにしかしていない。とはいえ、僕と彼女はベストパートナーなのではないだろうか、と自惚れてしまうくらいには相性が良いし大好きだ。
しばらくしてから、僕の頭に彼の顔が浮かんだ。結婚したいほど大好きな彼女ができたこと、報告するべきかな。いやでも、別に連絡するほどでもないか。いやいや、きっと僕の話を聞きたがっているんじゃないか。いやでもでも…
そう思っていた、昨晩。
彼から連絡が来た。
文面はこうだ。
「やほ」
二文字。二文字である。彼はこういうやつなのだ。案の定彼は僕に会いたがっていて、六本木まで来いと言われた。このとき、深夜の22時半だ。彼はこういうヤツだし、僕は僕でこう言われても大喜びで会いに行くようなヤツだった。でも、今の僕には非常に大事なお嫁さん候補がいる。不倫はダメだ。だから僕は断った。
正直、気持ちは揺らいだ。だから、彼女に報告をして、軽く𠮟ってもらった。こんなことをしている僕はダメなヤツだが、黙って不倫して後から大騒動になる人々に比べたらよっぽどマシだと思う。僕に自分の欲望を正しくセーブできる自信なんて無いから、情けないけど全てをあけっぴろげにすることでしか対策ができない。
この晩、僕は彼に未だかつてない態度を取った。先述したように、少し前の僕は深夜だろうと彼に呼び出されたら喜んで向かうような人だった。でも昨晩の僕は、彼の誘いを素直に飲まなかった。六本木までは行けないが、実家に来るのならいいという条件を出した。それくらいならただの男友達でもする範囲だろう。このレベルなら特に問題ない、という合意も彼女と取れているつもりだ。
でも、彼は遠いからと言ってぐずりだした。確かに僕の家は六本木から遠い。そう思うなら今晩会うことはできないから、会いたいならまた別日に会おうという提案をした。でも、今晩じゃなきゃダメらしい。何が言いたいのかよく分からなかった。会いたいという気持ちは一致しているはずなのに、根本的な何かがすれ違っているみたいだった。僕に請い願う彼の姿は初めて見た。なんだかみっともないとすら思ってしまった。
結局彼は自分の家に帰っていった。そして、駅を降りてから電話をした。ただ、彼曰くこれは最後の電話らしい。別に最後になんてしなくていいのに、なんて僕は思っていたけれど。彼は不器用だから、そうでもしないとうまくできないのだろう。
最後の電話が始まった。スマホ越しに何度か車が通過するブゥーンという音が聞こえてきた。僕も感傷に浸りたい気分だったから、いそいそとコートとマフラーを着て外を歩きながら電話することにした。それはもう寒くてたまらなかったけど、これからする話にはこれくらいの寒さが丁度いいだろうという謎の予感があった。
その最後の電話で、僕は気になっていたことのほとんどを聞くことができた。
やはり、彼は今の彼氏と順風満帆とは言い難いらしい。彼の彼氏は将来女の子と結婚したいようで、最近親戚からの圧力が苦しいのだそうだ。子どもや結婚といった話題で躓くのはゲイカップルのあるあるだ。その話題で話し合いを進めるうちに、彼はどうして自分はこんな人に優しく接しなきゃいけないんだろう、と思ってしまったのだそうだ。そして人を愛することの意味や理由について考えた挙句、ひたすら真っ直ぐに自分のことを愛してくれた唯一の男、つまり僕のことを思い出してしまったのだそうだ。
それを聞いて、僕は笑った。笑いながら嬉しいよと応えた。少し前の僕なら、照れていた。でも僕は笑っていた。僕が彼に向ける感情は、もはや彼の言うような真っ直ぐな愛情とは違う何かになっていたんだろう。
そういえば、この一か月くらい前に「愛がなんだ」をもう一度観た。あのころ共感できたはずの主人公には全く共感できなくなっていて、鬱陶しい敵だと思っていた女の方を魅力的に感じてしまった。僕の感情構造は、いつの間にか様変わりしていた。
僕のことが気になるなら、あと何か月か早く言ってくれればよかったのに。僕はもう売り切れちゃったんだから。なんて、ひどく調子に乗ったことも口にした。すると、彼も彼でびっくりするようなことを言った。
最初に会ったときからすごく可愛いと思っていたし、大好きだった。
でも。
信じられなかった。
自分が肯定されて愛されることが、自分の中ではあり得ないことだった。
だから、大好きだったけどわざと酷い態度を取ったり、そっけなく接した。
僕は大爆笑した。
だって、おかしいじゃない。好きなのにそれを伝えないなんて。両想いなことが分かってるんだから、それを隠す理由なんて一つも無いじゃん。付き合えば良かったじゃん。全部言えば良かったじゃん。そうしていれば、二人が苦しんでいた時間はずっと充実したものになってたのにさ。
馬鹿すぎて、大爆笑した。あいつは馬鹿野郎だと常々思っていたけど、予想よりずっとアホだった。バーカ。あと1年早く言えよ。臆病者。小心者。メンヘラ野郎のホモ野郎。ずっとカッコつけてた癖に気が小さい。図体ばっかりでかい。バカ。バカ。バカ。
僕は近所の川の前で大爆笑した。誰もいないあぜ道に僕の笑い声ひとつ。アーハハハハハッハッハ!冬の冷え切った空気が僕の吐息で温まる。今夜はなんて良い夜なんだろうと、僕はご機嫌だった。
彼は話し続けた。自分の人生の中では人に愛されることなんて異常事態だったと。顔も中身も全部好きだと言われても、全く信じられなかったと。それに早く気付けば良かったと。何度も何度も傷つけて苦しい思いをさせて、申し訳なかったと。
こういう話をされたら、もっと僕も悲しんだり怒ったりするのが相場だと思うけど、僕はひたすら笑っていた。ずーっと意地っ張りだった彼がこんなに素直に喋っているのが、余りにもおかしくてたまらなかったのだ。または、僕が彼を好きな気持ちがすっかり整理されてしまったせいで、もう何を言われてもときめいたり苦しんだりすることが無くなってしまったのかもしれない。
確かに僕は未だにずっと彼のことを好きなのだが、でもこれはたっぷりと諦めを含んだ"好き"なのだ。どうせ彼は僕のことなんて好きじゃない。どうせ僕は彼と付き合えない。どうせ彼は寂しがり屋で、それを埋めるためにしか僕と合わない。でもそんなことは全部了承した上で、好き。恋をしたときのドキドキとは程遠い何かなんだ。
この"好き"は一体何に例えるべきなんだろう。MOTHER2のネスがポーキーに向けていそうな感情に近しいかもしれない。こんなヤツでも許してあげなきゃいけないよな、みたいな感じ。
さて、衝撃の真実。彼は結局のところ最初から最後までずっと僕のことが好きだったのだ。でも、今の僕には彼女がいる。なんなら彼は奪ってやりたいとすら思っているらしい。でも僕のことを傷付ける羽目になるのは本意ではないから、これで完全に別れてしまいたい、ということらしいのだ。
僕はなんだか納得いかなかった。仲が良い人と関係を切るなんて意味不明だ。僕は彼女を大好きでいながら、彼とも普通の友達としてやっていけそうだった。でも、彼はそうではなかったんだ。僕と会ったらハグやキスじゃ物足りない、絶対に抱いてしまうのだそうだ。僕としてはハグまでならまぁセーフかな、と思うがそれ以降は断固拒否だ。その気持ちの激しさの差が、最後の電話の理由だった。
結婚式をするときは呼んでね。いやでも、二人っきりになったら襲っちゃうかもしれない。なんて大馬鹿発言をされてから、電話を切るときがやってきた。僕は最後までこの顛末に納得はできなかった。理屈は分かるが、素直に飲み込むことなんてできなかった。複雑な顔をする僕のことなんていざ知らず、彼は一言呟いて電話を切った。
大好きだったよ。バイバイ。
おっせーよ。クソ。
山本直樹のインタビューを読んで、いつの時代の話だと思ったのだが、はてブでは賞賛する人が多いようで意外だった。
僕らはこっちの棚でやってるから、カーテンを開けなければいいだけ。けど、表現の自由戦士は「カーテンをぶち破れ!」っていうし、もう一方は「カーテンの向こうを潰せ!」って。
既にゲームもアニメもカーテンの中には納まらない経済規模になってるってことを山本直樹も表現規制派も分かっていない。
一般人はオタクを馬鹿にすることが多かったので、オタクはカーテンの中で楽しんでいた。
音楽番組のランキングにアニソンが出てくるとと失笑されるあの空気とか覚えている。
原神やウマ娘といった昔ならオタクゲームとみなされただろうコンテンツが数百億数千億を売り上げている。
abemaがW杯を無料で中継できたのもウマ娘の金があったからと言われている。
東京オリンピックの開会式でもアニメやゲームが前面に出されていた。
映画ではオタクな作風の新海誠が100億越えの興行収入を連発している。
かつてカーテンの中にいたオタクがメインカルチャーになってしまったのだ。
今さらカーテンの中に帰れと言われても不可能な話なのである。。
山本直樹の認識は2000年代初頭までのオタクが馬鹿にされていた時代で止まっている。
そして表現規制派はオタクが馬鹿にされていた2000年代初頭以前に押し戻そうとしているのだ。
ただ自分はアラフォ―のオタクなのだが、正直言うとJR大阪駅の広告が批判されるのはわかる。
艦これとかウマ娘とか女体化して愛でるのって、カーテンの中でやるものだよねという意識が自分にも残っているので、ウマ娘の広告がドーンとあったりすると「あ、大丈夫かな」と反射的に思ったりする。
むしろ若い世代にオタク的なものが広範に受け入れられている状況に戸惑う。
でも、そういう時代なんだよね。
「オタクはカーテンの中に帰れ」というのは「女は専業主婦で家にいろ」と同じように聞こえるんだよね。自分には。
いや、いまさらそれはムリでしょ、そこには戻れないでしょ。
それがある論文を読んでないと理解できない論文だとしたら、ある論文に対して一足飛びに読もうとしてるような状況になっちゃうんだよな。
特に生物は知識同士の依存関係がそこまでなさそうだから、大学で専攻してさえいれば最先端の論文も読めるようになってるのかな、数学のように博士取得後も知識を積み重ね続けていかなければ理解できるようにならない論文というのは無いのかなとかいろいろ考える。
馬鹿にするわけじゃないが、心理学は下手したら大学行ってなくても読めそうだよな。
ようするに言いたいのは、大学で何を教えるかは日々最先端の知見が出てくる中でどうやって決めてるのかなって思う。数学は大学だけで全部が理解できるようになる知識を教えることは不可能なのは分かり切ってるから適当な(本当に適当なのか?)ところでここまで教えるという境界線引いてるんだろうけど
昨日、免許の併記に免許センターまで行ってきた。大きめの教室に120分程押し込められたが、俺は何故か学生時代の息苦しさを強烈に思い出して、頭が働かなくなってしまった。教壇で喋ってる人の説明が何一つ頭に入らないのだ。心臓だけがバクバクしていて、不安な気持ちだけが湧いてきた。今すぐに逃げ出したい衝動に駆られた。
ふと思い返すと、何度も同じような事があった。狭い教室に30人ほど押し込められてやる新人研修精神的な不安感と頭の浮遊感を覚え、そのまま仕事を飛んでしまった事。満員電車で本を読めないのは手が自由に使えないのが理由だと思ってKindleを買ったが、片手で操作できても満員電車では文章が頭に入らない事。職場で頼まれて代理で受講した講習に参加するも、頭に何も入らなかった事。
俺は人混みやパーソナルスペースに人がいると不安を感じてきた。
当初は気持ちが弱ってるだけだと思い込んでいたが、昨日の一件で確信した。
俺は人混みが苦手だ。
俺みたいなタイプの人ってどう改善していった?在宅ワークしたいけど今の仕事は現場の点検業務が多いから不可能だし、転職してえな……。でも高卒三十路じゃ在宅できるITとかも遅いし、なんだか気落ちしてしまった。
俺自身は勉強ずっとしてるけど、普通の人は就職して特に家庭を持ってからは勉強なんて能力的にも気力的にも時間的にも不可能だと思うんだよな。でも勉強してないと失職したとき再就職できないんだとすると、そんな社会は持続可能でない気がするよね。
2年前好きな娘が同じ職場にいてご飯食べたり遊びに行ったりしてたんだけど、自分が告白する直前にそこそこのクズ男に告白され付き合って結婚した
悪い子じゃないんだけど話や常識が少し通じなくて理解できなく、同僚達と話した結果少し受動型のASDが入ってるんだろうねって結論になった
同僚達に聞いても、いや旦那氏ほんと顔も頭も性格も悪くて無理だし怒鳴り付けたい、子供出来たらモンペになりそう、負のkz世代スパイラルになりそうっていう評判だったし自分も同感だった
そんで、そうは見えても何かkzにもいいところがあるのかな(DQNにもいいところがあるのかなみたいな)がどうしても知りたくて1年間旦那氏の真似をしてみた
毎晩酒を気絶するまで飲み続けてろくでもない食事を続けた
煙草をアホ程吸い続けた
休みの日は対戦ゲームで相手を心の中で罵りながら勝つために嫌な戦い方をし続けた
空いた時間はずっとスマホに張り付いてソシャゲとネットで時間を潰した
職場では自分より強いものにはへつらい、弱いものには罵声を浴びせようとしたけど、それは無理だった
そんで1年続けて結論は出た
・受動型ASDでなんでもよかった・関心が無い・断れなかった・どうでもよかった・同類だったのどれか、或いは全部なんだろう
Colabo の思想としては、どんなに無知蒙昧な少女であっても、ただしく適切な教育が行き届けば、
自ら政治活動に目覚めて、沖縄の問題も理解できるはず。というものなので、
イクイノックス強かったですね
そして出遅れたジェラルディーナがまともにポジション取ってたら着順どうなったかな、とも思いましたが、ボルドグフーシュもあそこしかないという仕掛けどころで動いた好騎乗もありましたし、結局は変わらなかったかもしれません
ボルドグフーシュは吉田隼人騎手が見事な騎乗で神戸新聞杯と菊花賞でいい競馬をしたので、名手福永先生とはいえ乗り変わりはマイナスなのかな、と正直思ってましたけど、いやいや全くそんなことなかったどころか変わってよかったまでありました
個人的に馬券の方は、イクイノックスとジェラルディーナ重視で、イクイノックス-ジェラルディーナ-ボルドグフーシュの3連単は勝ってましたが、2、3着が逆だったので不適中でした
しかし3連単が外れた時用にイクイノックスとジェラルディーナのワイドを2000円買っていたので、数百円のプラスにはなりました
ネットを見ると、凱旋門賞の見えない疲れが、という話しかないけど、そんなはずはない
レース前は元気過ぎて帰厩時期を早めたほど、と言われていたし、栗田先生も和生騎手の表情も明るかった
事前に不安点があればそうはなってないはず
土曜の11Rのグレイトフルステークス(有馬記念と同じ中山2500m)は3着こそ終始3番手を走ったホウオウリアリティが3着に残しているけど、1、2着は差し馬の外からの追い込みで決まっている
日曜の有馬記念の2走前、9RグッドラックHC(これも有馬記念と同じ中山2500m)はもっと顕著で、1-6着までは全て中団以降に位置取りした馬が入っている
前を引いた馬は14着15着に終わった
直線の短い中山はそこまで差しが届かない先入観はあるけど、冬枯れして開催が進んでタフになった中山の馬場はかなり癖がある
ただでさえ適性ゲームの中山で、今は逃げ先行馬にデバフがかかる特殊ステージだった
しかも土曜のグレイトフルSは1000mを1分1秒、前壊滅だった日曜9RグッドラックHCは1000m1分3秒2だ
土曜はともかく、グッドラックHCのスローペースなら逃げ先行馬も消耗がなく、差し届かない展開になりやすそうなペースなのに、それにも関わらず前が残れない
時計には現れないようなタフさが馬場にあって、かなりの消耗を強いるコースだったのだと思う
今回のコース、何回やり直したって逃げ切り勝ちは不可能だったと思う
これじゃあアスクビクターモアが仮に出てくれていたとしても、彼の脚質ならディープボンドやジャスティンパレスと同じ7,8着、めちゃくちゃ状態整っていてもエフフォーリアの5着の位置にいけたら上出来ってところだっただろう
出なくて正解だったかもしれない
個人的にはイクイノックスが強いのもあり、前が残れない馬場もあり、力はあるけどタイトルホルダーは3着前後と予想していた
頭はおそらくなくて、2着ならあり得て、馬券外4着もあるだろう、という想定
問題はここなのよね
4着や5着の、ただの馬券外なら、気にもならない
まあそういう馬場だったもんな、で終わり
スタートもいつもより出足が鈍くて、かなり押さないとハナにいけなかったし、道中もあまり差を開けなかった
ここに何があるのか?だと思う
レース前の様子はあまりよくなかったという声もそこそこ聞かれているので、調整ミスが少しささやかれている
しかしこれは外部のただの素人のファンが判断できるものでもない
ただ、トラックバイアスのマイナス、調整ミスのマイナス、凱旋門賞のメンタルダメージなど、全てが少しずつ重なり合った結果の9着となれば、まあそうなのかなと思う
正直言うとクリティカルな原因はないと思っている
この要因ひとつのせいで一気に飛んだ、みたいな話じゃなさそうかな
ただ、タイトルホルダーが3000m超で強いのは知っているけど、2000-2500m付近で好走したのは弥生賞と宝塚記念だけなんだよな
まあ2着の皐月賞も強くはあったけど
宝塚記念は間違いなく強かった
でもそこにはクロノジェネシスもコントレイルもいないし、エフフォーリアやデアリングタクトは輝きを失っていた
仮にあそこに全盛期のエフフォーリアが出ていればタイトルホルダーは勝てたのだろうか、というのはずっと気になっている
タイトルホルダーはエフフォーリアには、皐月賞で負けて、ダービーで先着されて、有馬記念で負けて、宝塚記念では勝ったけど、今回の有馬記念ではまた先着された
そして今年はイクイノックスという化け物が出てきてしまったし、年度代表馬はイクイノックスが取るだろう
タイトルホルダーは本当に、そこまで強い馬だったのだろうか?
これは夏からずっと考えていること
まず、大前提としてあなたが知らない、意識していないことを伝えておこう。
自我とは、自分を世界から独立した自分として客観視することができるようになる能力のことだ。自分の思考や行動自体を思考対象にできること、メタ思考とも言う。自我がない人間の特徴として、自分の思考を言語化できない、というものがある。よく母親に「なんでこんなことしたの!?」と叱られて泣いている子がいる。あれは,自分の行動の理由を説明させるという、不可能なことを要求される理不尽さに泣いているのだ。
この自我が発現する時期には大きな開きがある。早い子は2〜3歳頃には発現しているが、ほとんどの子は小学校高学年まで発現しない。遅い子は中学や高校までかかったりする(まれに大人でも発現していないのではないかという人もいるが)。小学校の国語では、やたら感想文を書かせたり、登場人物の気持ちを答えさせたりするが、あれは自我の発達を即す効果があるからやってるのだ。
さて、ここまで読んだらあなたは判るだろうけど、「恥」というのは自我が存在していてはじめて持つ感覚だ。普通の乳幼児にそんなモノはない。泣く子供は、自分が泣くことによる効果に期待して泣いているわけではなく、ただ自分の思い通りになる部分とならない部分の境界の理不尽さに泣いているだけだ。
結局のところオタクいじめを続けたい40代以上の連中は自分たちの理解できないコンテンツがエンターテイメント化し、それがポピュラーになっていく様が気に食わないんだろ?
現在のオタクとは趣味者であり伝道者でありエンターテイナーだ
インターネットの普及により文字媒体・映像媒体への送受信が非常に容易となり、コンテンツを制作したり面白おかしく紹介できたりする人はオタクとして認知されがちだ
「サカオタ」という言葉がある、サッカーオタクの略称だ
40代以上のサッカーサポーターへ質問しよう、そして素直に答えて頂きたい
「あなた達の学生時代にサッカーが好きな人へ向けてサッカーオタクと呼んだら蔑称扱いではなかったですか?」
サカオタなんて言葉は当時インターネットの特定のコミュニティでしか使われない言葉であって、現在のようにサカオタと気軽に自称するなんてことはありえない状況だった
でも今は違う、サッカーに詳しい人はサカオタであり、例えばワールドカップの解説などではサカオタは畏敬の念を向けられる存在だ
Jリーグ発足をその目で見て、当時のイケてるスポーツだったサッカーとそのサポーターが現在ではサカオタと呼ばれ、そして自称することを受け入れられていないのは、当時からずっとオタクをいじめ続けている40代の一部の連中だけなんだよ、今では詳しい人はオタク扱いなんだよ
当時からずっとオタクをいじめ続けている40代の一部の連中には信じられないだろうが「化粧品オタク(コスメオタ)」なんていう言葉すら現代には存在するんだぞ
お前らがオタクという存在を排除しようとしても、様々なコンテンツを愛して布教しようとする多くの人々はオタクを自称し、お前らの周りは既にオタクだらけなんだよ、オタクを排除しようとすること自体が不可能であり時代遅れなんだよ
お前らの青春時代の面白かった思い出、楽しんだコンテンツ、それらを今でも語り続ける者は現代ではオタク扱いだ
お前らの青春は既にオタク側へ取り込まれている、お前らが今好きなものを作っているのもオタクだ
SF読みのFPSファンとしては、ワールドトリガーを推したい、オススメしたい欲求がある。
ワールドトリガーは可愛い絵柄で、ウンザリしないキャラクターが活躍して子どもたちの成長や内面が分かりやすく描かれる。
戦闘にはFPSゲームの楽しさがあるのに、実際のゲームプレイでは絶対に実現不可能な一瞬の攻防が、創意工夫が豊かでバリエーションが実質無限の、ワクワクするアクションの駆け引きがある。
ワールドトリガーを、オススメしたい! 大人だけじゃなくて少女にも、両手を上げて勧めたい!!
なのに何で、一体どうしてなんだよ…
私は未だに、実はシンプルに情報が伝わってなかっただけって可能性を信じてる。
誰も遠慮してアンケートに書いてないとか。あの増田も一瞬で記事を削除させられてしまったし。
女性たちの置かれてる状況とか、エンタメの第一線で芸術活動にすべてを費やすトッププロに、何かの間違いで情報が行ってない可能性。
悪意なんてそもそもなくて、それどころか別にこだわりとかも特になくて、あの増田のような女性の感想が届いていなかった可能性を。
わからない。取りあえずまだ今は、顔の見える相手や記名SNSではワールドトリガーが好きって言ってないし言わないと思ってる。私と似た感性を持ってるなと思った相手には、ワールドトリガーの代わりに『エンダーのゲーム』を勧めることにしてる。この方針で持ち堪えて未来を待つつもり。(個人の感想です
歯車の自覚をしつつ、自分の責任と権限を見極めて、それなりにこなすことにしよう
がんばりすぎない
背負い込みすぎない
勝手に気負わない
私にできるのは歯車としての役割のみであり、制御機能もなければ意思を持つ権利すらないのだ
できることをできる程度にやる
優先順位を間違えないように
この仕事は趣味ではなく天命でもなく生きるための役割分担をこなしているに過ぎない
歯車やネジが交換不可能なくらいに癒着したらシステムを総取替すべき不安定なシロモノになる
そのことを全うしよう
Amazonで買った荷物が二分割されてヤマト配送になったんだけど
ヤマトのアプリから確認したら届いた方は配達完了になってるんだけど
もう片方が「配達日・時間帯指定(保管中)」のステータスのまま変わらない
見逃して忘れたんだろうなぁと思うんだけど、この状態で問い合わせる術が無い
自動チャットで進んでいくと「指定時間までお待ちください」になるし
Amazonみたいにイレギュラーな対応を人が対応するようなチャットになってない
ずっと待っていればそのうち繋がるようなシステムになってなくて1回コールしてダメなら切られるシステム
ヤマトは基本的に電話対応を無くした、って書いてあって、その方針には賛同するんだけど
こういうイレギュラーは絶対に起きるんだから全てを自動化っていうのは不可能だと思うなぁ
レス見てて気付いたけど、今日ってクリスマスイブなんだなwww
マジで気付いてなかった
そりゃ電話繋がらんわ
普段なら繋がるんだろう多分
ちなみに時間帯指定なんてしたつもりはなくてAmazonでポチポチしてたら勝手になってた
Amazon側から苦情入れたら持ってきてくれそうな気はするけど
配達員が気の毒だし寝て待つことにする
結局無能でも生きていけるようにする以外に少子化を解決する方法なんて無いと思うんだよな。
「政府が支援して生かす」ことを「生きていける」と定義するのなら、それはベージックインカムのシステムを確立するということを意味する。