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はてなキーワード: ボカロ曲とは

2023-08-03

anond:20230803125832

おじさんばかりの増田最近ボカロ曲ネタをしても気づいてもらえんぞ

2023-08-01

YOASOBIのアイドル、店で流れてるのを聞いたけど、やっぱりK-POPラップ歌唱メロディボカロ曲だよな

K-POPの美点って洋楽ナイズされて洗練された結果、少ない音数を効果的に使う印象があるけど、アイドルの音はJ-POPボカロ曲の過剰な詰め込みを踏襲してるから密度が高過ぎて個人的にはマイナス

2023-07-05

ボカロ曲ってMVとセットでこそだよね

いや曲単体で聞いてもしっくりする奴も多いけど

でも曲単体だと変な曲だなって思っても変な動画と組み合わさって

この変な動画のためにある曲だったんだなって思う曲も結構ある

でもそもそも変な動画は楽しく見れるのに変な曲単体だとしっくりこないこの感覚自体おかしいかもしれない

とにかくMVと切り離してボカロ曲を幾つも歌ってみたりする配信動画とか見ると

上記感覚のせいでどうも違和感が出てしま

2023-07-04

anond:20230704093349

ラップJ-POPに馴染み始めたのはいくつか理由がある

一つはK-POPラップパート文化

もう一つはボカロにおける早口パート文化

そしてそれら2つの文脈をおさえた若手クリエイターの台頭

所謂ボカロPと呼ばれるクリエイターのうちでも

若手の子達はかなりK-POPフレイバー摂取してるし、それをアウトプットにも反映してる

アイドル」に限らず「神っぽいな」とかもそうだし、ラップパートが入るボカロ曲は最近多い

もちろんそれ以前にもしゃべりに近いパートを組み込んだボカロ曲は多かった

ただその流れと、若手クリエイターが感化されたK-POP文脈が合流してマージされた結果が今のJ-POP(というかボカロクリエイター)のラップパートということだと思ってる

anond:20230703220445

そんなayaseの2年ぶりのボカロ新曲HERO』(初音ミクライブマジカルミライ2023」テーマ曲)の歌詞がこれ

かにボカロ曲にしてはちょいクドめの歌詞かも(もっと初音ミク16歳の誕生日という明確なテーマがあるからかもしれない)

姿を見せた凶悪なエネミー 行き場無くした心に湧いてくる

流れ出す憂鬱は餌に このままじゃ呑み込まれ

もう四六時中さいつでもkick off 囲まれてんだどうしたら良いの

逃げ場を無くした部屋の隅っこ エンドロールが迫る

H.E.R.O

where is the HERO!

H.E.R.O

where is the HERO!

そんな時目の前にひらりと舞い降りた 君は僕にとってのヒーロー

突然現れた光 堪え切れず零れてたSOS

(HERO!)

キャッチしたみたいに

(HERO!)

駆け付けた途端 飛び出したパンチに目が覚めたそんな夜に

夢中で書き出した物語かに残っていた祈り

久しぶりに明日も生きたいと思えた

(HERO!)

救われたんだよ

(HERO!)

君の声に

さあこの先は 僕もその手を引くよ

サンキューここからは僕たちの番だ にわか雨じゃ全然足りないのさ

一面に広がってきた緑に水を撒けここは愛の惑星

めきめき育った新芽にまたがり秘密基地を抜けて進め進め

救われてばかりじゃいられない 君も知らない場所見つけに行くよ

H.E.R.O

You’re the HERO!

H.E.R.O

You’re the HERO!

それでも今日も誰かのため歌う君は紛れもない本物のヒーロー

共に歩んできたこの日々が僕たちで紡いできた物語

いつか君の未来もっと沢山の拍手に繋がっていきますように

君は僕にとってのヒーロー 突然現れた未来

生きる意味をもう一度与えてくれた

(HERO!)

どんな時だって

(HERO!)

隣を見れば共に闘ってくれた君が居たからなんとかここまで来れたんだよ

この先は僕にも任せてよ 君が望む未来を教えてよ

どんな

(HERO!)

景色を見ようか

(HERO!)

夢を見ようか

さあ改めてどうぞよろしく

ハッピーバースデー 親愛なるヒーロー

2023-07-03

ボカロ曲人間じゃ歌えねえんだろうなって思ってから幾星霜

普通に歌える時代になったか人間進歩というか限界というのは突破されるものである

2023-06-23

anond:20230623164712

技術的な種別では「モーショングラフィックス」と言って、アニメでは背景動画などに利用され、Flash黄金期に発展、ニコ厨ボカロ曲などに応用、そして今に至る

まりアニメの影響がFlash動画クリエイターに及ぼし、それを観て育ったニコ厨自分たち文化に取り込み、それを観て育ったのがAdoやYOASOBIってわけだよ

2023-06-03

居酒屋ボカロっぽい曲が流れてるな〜と思っていたら「これがあれだよ、YOASOBIのアイドル」と教えられた。

ほぇ〜と思いながらちょっと注意して聴いた感じ、Aメロ韓国ポップ由来のメロディの揺らぎとリズム感を取り入れつつも、やっぱりこれボカロ曲だな、と思った。曲のテンポ感や音の密度の高さ、テンション

これが広く受け入れられるのか?という隔世の感と疑問。

おそらく音楽スタイルとして受け入れられるというよりは、アニメに関連した楽曲としての一発ヒット感が強いのかな。

2023-06-01

anond:20230601154415

YOASOBIのアイドルなんて普通歌えないと思うんだよなぁ、盛り上がるとは思うけどさ

ボカロ曲の酔いどれ知らずは簡単だとは思うけど

シンデレラボーイなんて女しか歌えんだろ

anond:20230601152133

難しい歌が増えた理由は、

ボカロ曲人間が歌うようになった

SNSの普及で歌が上手い人が世に出やすくなった

・高音で複雑なメロディでも歌える発声法が広まった

タイパの時代なので、1曲に文字を詰め込む歌が流行るようになった

かな

2023-05-23

anond:20230522003705

昨日書いたこれ読み返してて思い出したのが、2008年って相対性理論ブレイクした年なんですよね…。

鮮やかなオレンジ色の西日を浴びながらお姉さんと勉強してたときも、泣きっぱなしだったコミケ帰りの車内のラジオでもLOVEずっきゅんが流れてたし、冬休みオフ会カラオケで私が歌ったのも地獄先生だったし。

聴けばすぐに各々の思春期の頃に呼び戻してくれるようなあの甘ったるいメロディと、私のちょっと歪んだ甘々な青春が同時代クロスしていたと考えるとやっぱりエモいなあ…。

2008年のあの頃、ラジオ普通にボカロが流れてて曲が流れるたびにDJの皆さんが一生懸命ボカロとはなにかを解説してて、雑誌やら友達経由で色々知識を得ていた私は「ほうほう、大人のくせになかなかわかってるじゃないか、すげー浅いけどw」みたいなノリで聞いてたのを思い出して耳がカッと熱くなるような思いですが、翌年末頃にけいおんが密かに流行りだして、私が高校進学したときに二期が始まって、その頃にはうちの学校にもけいおん部作ろ!って声が全国とは言わないけどかなりの広範囲で広がって、うちの高校軽音楽器部っていうのが出来て。

自惚れた私は澪ちゃんに似てるからって自分で言って、まあ髪型とタッパだけ似てるかなって他の子にも言われましたけど、うちに結構いいベースあるからってアリアプロSB-R60ブラックフィニッシュを持ち出してベース担当になったのは思い出したら懐かしくてウルッときましたけど、あのベース音量がやたら小さくて現代ロック音楽には不向きだとだけ言っときます。あと卒アルライブ写真で集中しすぎて変顔してる私の写真クラス中どころか実家でも笑いのネタになって今でも思い出すと耳が熱くなる思いなんですけどあのとき軽音部は本当に楽しかったな…。DTMとかQY-100で曲作ってくれるピアノ得意な後輩も入ってきてバックトラックに合わせながら演奏合わせられるようになって、卒業とき芸祭はお姉さんに教えてもらったギタリストバケットヘッドさんのbinge and grabとかnight of the slunk、sooth sayerとか部員の皆に聴かせて私こんなんやりたんやけど!って言ったら歌無いのやばくね?って拒否されて、結局私の第二候補のtommy heavenlyのim your davilとそれのパクリみたいなオリ曲になったり。まあどっちも名曲ですけどね!!!

ボカロ曲も考えたけど誰もあんなん歌えないし諦めましたよ、もう!

私が一番好きなクローバークラブなら自分でもベース弾けて歌えた(当時)けどあの曲マイナーやし!

あと1/6の夢旅人候補に上がったけど兵庫県民は基本水曜どうでしょう知らんねんて!

ただロシアリアルミクちゃんがこないだローリンガール完璧に歌っててまじビビったし、あの子高校の頃に軽音部組みたかった…。wowakaさんの曲全部すき…。

高校の頃はあんまり絵描かなくてこんなことばっかしてたけど音楽スキル身につけられて有意義じゃんと思ったけどさっきベース引っ張り出してちょっと弾いてみたらもう全然指動かなくて笑っちゃった!!スラップとかぜったい無理!

やっぱり何事も毎日練習♪ですね。

んでベース弦死んでるから変えようかなって検索して買おうとしたらとんでもなく値上がりしてて倒れそうになりましたよ。4弦で3500円ってどゆこと???

2023-05-21

MV(ミュージックビデオ)と音楽は別物の創作物じゃなイカ?

つい最近TwitterボカロP的な人が「曲を聴いてもらいたいだけなのにイラストやら動画やらでお金がかかって大変だよ😭」というようなツイートをしていた.

それを見て次の2つのことを思った

1. 良い曲を投稿していればイラスト動画お金をかけなくても(ある程度は)聴いてもらえるのでは?

2. ツイ主の本心としては"曲を聴いてもらいたい"というより"自分の曲を使ったMVがバズってほしい"なのでは?

以下で,上記1, 2についてもうちょっと詳しく書く.

そして最後に『3. MV音楽は別物の創作物である』という個人的な主張について書く.

1. 良い曲を投稿していればイラスト動画に金をかけなくても(ある程度)聴いてもらえるのでは? について

まず前提として,各種の動画投稿サイト上で"曲自体に魅力はないがMVが良いから高い評価を得ている音楽"ってあるだろうか?

全く存在しないことはないだろうが,少なくとも私は知らない.

一方で,"MV自体が高い評価を得ていなくても曲は高い評価を得ている音楽"なら比較的たくさんあると思う.

なんならMVと言いながらもイラスト画像を載せているだけだったり,曲に合わせて音の波形のようなものがうねうね動くだけの動画でも良い曲というのはごまんとある.

こういった事情考慮すると,自分が作った曲をたくさんの人に聴いてもらおうと思った時にMVが優れている必要はなく,ただ良い曲を作ることだけに注力した方がよくない?と言いたくなる.

もちろん,優れた曲を作った上で優れたMVが用意できれば,話題性が出てより多くの人に聴いてもらえるといったことはあるだろうが,それはMVが特段優れたものではなくても(もしくは,そもそもMVなんかなくても),ある程度の人に聴いてもらえるようなクオリティの曲を作れるようになってからでも遅くはないように思う.

しろ,明らかに素人感丸出しの曲なのに,お金の力を借りてMVだけクオリティの高いものを用意しても,動画視聴者はなんか違うな...となってしまうだけではないだろうか.

MVが曲の評価を高めるという側面はあれど,それはあくまでも曲そのものが魅力的である場合に限られると思う.

2. ツイ主の本心としては"曲を聴いてもらいたい"というより"自分の曲を使ったMVがバズってほしい"なのでは? について

最近ボカロ音楽は,音楽動画のセットで話題になるという傾向が顕著である,というよりむしろMVがないけど話題になるような曲の方が少数派なのではないだろうか.

それゆえ,特に最近ボカロリスナーであればあるほど曲にはMVが付随しているのが当たり前であるという認識一般的になっているように思われる.

そしてそれに伴って,ボカロ曲の作り手たるボカロP創作欲求の源泉として,"作った曲を聴いてもらいたい"よりも"作った曲のMVを観てほしい"というものの占める割合が増えてきているのではないだろうか.

もちろん,純粋ボカロで曲を作ってそれを聴いてもらえることが第一であり,別にMVなんか必要ないという作り手も大勢いるだろうことは承知している.

しかし,仮にツイ主がそういった考えであれば,そもそもお金を払ってまでMV制作を依頼することにそこまで固執することはなかったのではないだろうか?

3. MV音楽は別物の創作物である について

まず,前提として私は音楽をよく聴くが,MVを観ることはあまりない.

その理由を端的に言うと,私は音楽を聴きたいのであり,動画を観たいわけではないからというのに尽きる.

個人的な話だが,つい先日私の好きなバンドが数年ぶりのアルバムを発売するにあたり,YouTubeでそのアルバム内の1曲についてMVを公開した.

公開時にはアルバムはまだ発売されておらず,私は早くその曲を聴いてみたかったのでMV動画再生した.だが,あくまMVを観てはいない.

その時はPCブラウザYouTubeを開いていたのだが,動画再生ボタンを押した瞬間にブラウザから別のウィンドウに切り替えることで,あくまMVは観ずに音楽を聴いただけであった.

こんなことをしていると,なぜそこまでしてMVを毛嫌いしているのかと言われそうだが,私はMVが嫌いなわけではない.

優れたMVを観て良いなぁと思うことも感動することもある.ただ,それは純粋音楽を聴いて良いなぁと思ったり感動したりするのとは,情動の発生要因に違いがある.

具体的に言うと,MVを観ながら聴いた音楽には,その音楽についての印象に視覚情報が関わってくる.一方で,MVがなければ,音楽を聴いた時に及ぼすのは純粋にその音楽聴くことで得られる聴覚情報のみである.(厳密に言えば音楽を聴いている時に目を開けていれば視覚情報シャットアウトできないがそれは無視する)

それゆえ,私はMVを観ることによって,音楽を聴いたときイメージ視覚情報が含まれしまうことが嫌でMVを観なかったのだ.一般的人間にとって視覚情報聴覚情報よりも強い影響を及ぼすため,MVを観ながら音楽を聴けば,次に同じ音楽を聴いたとき,その音楽イメージには少なからMV視覚情報から得られた印象が含まれているはずだ.私にとってはこれが好ましくないのだ.

音楽を聴いた時に音楽の全体的な印象として,または特定音色に関してそこに色彩感覚を知覚する"共感覚"というものがあるらしい.例えば「この音は薄い紫色」だとか「この音楽は白っぽい感じがする」だとか.

私はこの共感覚を持っているとは言えないが,でも曲の中にはなんとなく,本当になんとなくだが色彩感覚であったり,風景(薄い緑色草原の中を風が吹き抜けている様子だったり,石畳歩道教会のある中世の街並みをセピア色のフィルターを通して見た景色だったり)を連想したりするものがある.

これは本当にボンヤリとしたものであって真に共感覚を持っている人の感じ方とは全く異なるものだと考えている.しかし,ボンヤリとした形であれ,音楽という聴覚情報から視覚情報が想起されるという人は自分以外にも少なから存在するものだと思っている.(具体的な根拠はないですが...)

このような,音楽を聴いた時に何らかの視覚情報が想起されるというのが私が音楽聴くことが好きな要因の一つであり,また私の好きな音楽というのは,聴いた時に頭の中にイメージ風景が浮かぶものが多い.こういった感性を持っている人がいたら多分共感してもらえると思うが,MVを観て音楽を聴いてしまえば,その音楽の色やイメージのようなものは間違いなくMVで使われていた色やイメージにひきづられてしまう.

まりMVを観ることによって,MVを観ることによって得られる視覚情報からの楽しさが得られる代わりと言っては何だが,今後そのMVの曲を聴いたときイメージ視覚情報から得られたイメージに大きく影響を受けるという代償を負っているとも言える.少し大袈裟な言い方な気もするが,事実である

よって,私にとってMVというのは視覚聴覚の両方を同時に刺激する存在であり,音楽というよりはアニメ映画といったものに近い創作物であるという印象がある.

例えば,映画音楽という創作物について考えてみると,音楽映画構成する一部分ではあるが,これら2つの創作物を同じ土俵評価議論したりするのは違和感があるだろう.

それと同様に,MV音楽という創作物そもそも別種のものと捉え,区別するのがより自然見方ではないかと考える.

にも関わらず,現状では多くの人がMV音楽というものをあまり区別することなく,「音楽の良し悪しや評価 = そのMVの良し悪しや評価」と考える人が多いように思えて違和感を感じている.

2023-05-17

俺が「推しの子」を第一話で見るのをやめた理由と、「アイドル」で露呈したikuraの限界、あるいは「アイドル」という誰にも歌えない歌について

昨日投稿した記事がとてもありがたいことに伸びたので、調子に乗って別の話をしようと思う。軽い気持ちで書いてたらクソ長くなった。

これを読む前に注意してほしいのは

・これはアニメ推しの子」を見た感想だということ(漫画ではない)
ネタバレが含まれること
・全部俺の主観的意見にすぎないこと

だ。

え、「アイドル神曲やん

YOASOBIの「アイドル」を聞いて、これはすごいと思って推しの子を見た。

そして第一話でアイが殺されて「??????」となった。あまりにも納得がいかなかった。それは以下のような理由による。

第一話、そして主題歌アイドル」で提示されたこ作品テーマ性について

偶像としてのIdolを死守する(「嘘が愛」とかアイっていう名前からも推察できるように)というのが最序盤のテーマだったわけで、そこに子供がいるっていう嘘を死守するっていう物語があって、さらにIdolとしてファンを愛してるっていう嘘(本当は誰のことも愛したことがないから)もあるから、その嘘が本当のこと(ファンとほかの人々を心の底から愛することができるようになる)になる、っていうのが大筋のストーリーになるべきだったわけだ。

その重要過程(アイが少しずつ成長していく)が完全にすっ飛ばされたので肩透かしを食らったという感、殺されるところでいきなり愛してるって言っていて、正直第一話だけだとアイに対して人間としての共感が全くできない。

この物語評価されている大きな要因としては、まず推しの子自分がなるっていう第一話のインパクトコメディ性、次にアイが死んでしまうっていうさらに劇的な展開。

これ自体別に悪くないと思うが、やはりアイが本当の愛を知る過程スキップしているので作品としての完成度が低下している。

たぶんその理由として乳幼児だと行動の幅が狭すぎるっていうのがあるのかなーと。簡単に動かせないから話を作りづらいっていうのがあったんだと思う。それをどうにかするのが脚本家仕事ではあるんだけど。でも子役ルートがあるならそういう問題もなくないか

また、アクアルビー父親に関する伏線第一話だけっていうのもつらいポイントではある。

どうしてもそこからストーリー展開が難しくなる。第二話以降の話は割と自由に進めることができるはず(ルビーアイドルを目指すとか、主人公父親を捜すとか)で、その辺の先の読めない感じは面白い

クール目の最後でアイが殺されたりしてたらもっとよかったんじゃないかなーとか思った。

何よりOPが完全にアイの歌なので納得のいかなさがすごかった。

「え!? この感じなのにこの1クールを全部このOPでやるの!?!?!?!?

となってショックのあまりここで見るのをやめてしまった。

次に、YOASOBI「アイドル」について(こっちのほうが喋りたい)

初めてこの曲を聞いた時とんでもない衝撃を受けた。

それは初めてYOASOBIの「夜に駆ける」を聞いた時に感じた衝撃と同じものだった。

まず、「夜に駆ける」が空前絶後のヒットを叩き出した最大の理由について述べようと思う。

もちろんこれは俺の意見であって、完全に正しいということを主張したいわけじゃない。別の意見があればコメント等に書いてほしい。

”この曲が大ヒットしたのは既存音楽流行りを踏襲しつつ、独自の要素を絶妙塩梅ミックスし、絶妙な斬新さを表現することに成功たからだ”と俺は思う。

これがどういう意味もっと分かりやすく言うと

今までの曲と同じようでちょっと違う、なんか斬新な感じがする曲がヒットする

ということだ。「白日」とかがわかりやすいかな?

音楽というのはほぼすべてが感覚で成り立っているので、それを正確に記述することは本当に難しい。

「夜に駆ける」が大ヒットした要素

「夜に駆ける」を語るにはまずコンポーザーのAyaseについて紹介する必要がある。

Ayaseはもともとボーカルとしてバンド活動を行った後、解散したのちいわゆるボカロPになったミュージシャンだ。

ボカロP:Ayaseを象徴する代表曲は「幽霊東京」や「ラストリゾート」が挙げられる。

初めてこの曲を聞いた時の俺の感想は、”よくあるボカロ曲だなあ”というものだった。

正直これらの曲はボカロ曲としては古典的な印象を与えるものだと思う。DTM感が強い、打ち込みで構成されたボカロ曲……という感じだ。

しかしここで重要なのは、実はこれらの曲でAyaseのパーカッションリズムに関する凄まじいセンスが光っており、それが当時のネット音楽トレンドにぴったりとマッチしてある程度の人気を博していたということだ。

Ayaseのリズム感に関する才能には目を見張るものがある、というのは上記の二曲を聞けばたぶんわかってもらえると思う。もちろんこの曲が発表されてから時間が経っているので、当時は真新しくとも今では多少風化しているように感じるかもしれないけど。

「夜に駆ける」においてもそのリズム感が遺憾なく発揮されている。ただ、この曲がそれまでのAyaseの曲と大きく違うのは

・繰り返される転調

ボーカリストikuraの存在

だ。

この二つの要素が、「夜に駆ける」が大ヒットした要因だ。


一つ目の繰り返される転調に関しては「夜に駆ける」を聞けばわかる。最後Cメロのところとか二回くらい転調してる。で、たぶんなんか普通の転調とは違う感じがする。音楽知識がないのでその辺はわからないけど。まずそこの斬新さがある。異論は認める

ボーカリストikuraについて

「夜に駆ける」がヒットした最大の要因だと思う。


個人的に、歌手ikuraの卓越した点は二つ。

ikuraが持つ優れたリズム
自我の顕れない説得力のある歌声


まずikuraが持つリズム感についてはもうとりあえず「夜に駆ける」聞いてみてほしい。歌詞の子音がバスドラとクラップ気持ちよくハマっている。

この文章を書くにあたって今一度「夜に駆ける」を聞いていたら、そのikuraのリズム感の素晴らしさについてちゃんと語りたくなったので細かく述べる。興味ない人は飛ばしてください。

イントロの”沈むように「溶けて」いくように”の「溶けて」のリズム感が良い

・”二人だけの空が広がる夜に”ここのリズム感は全部いい

・その次の打ち込み感のあるピアノめっちゃいい

・”さよなら「だけだった」”の「だけだった」のリズム感が良い

・”その一言で「すべ『て』がわかった」”の『て』が良い

・”日が沈みだした空と君のすが「た」”の「た」のリズムの取り方がマジですごい

Bメロの”いつだってチックタックと「鳴る世界で」”の「鳴る世界で」のリズムの取り方がすごい。

Bメロの”触れることな言葉うるさい声に涙が”ここのリズムは全部すごい

・サビの”騒がしい「日々に」笑えない「きみに」”の「日々に」と「きみに」のリズムの取り方がすごい。

・二番のBメロは正直全部リズムの取り方すごい。”信じてたいのに信じれないことそんなのどうしたってきっと これからだっていくつもあってそのたんび怒って泣いてくの”ここがすごくいい

・その後のピアノソロめっちゃいい。

Cメロの”もういや「だって疲れただって」”の「だって疲れただって」のリズムがすごい。

ここにリズムの優れた曲を作るAyaseとのシナジーがある。偶然にしては出来すぎたユニットである

これが「夜に駆ける」がハマった一つの理由

次の”ikuraが持つ自我の顕れない説得力のある歌声”について

これは説明がとても難しい。

歌手には二種類のタイプがいると俺は思う。それは、

自分のことを歌う歌手

・なんでも歌える歌手

の二種類だ。一見後者の方がなんでも歌えて優れているように思えるかもしれないけど、事態はそんなに単純じゃない。

まず前者について具体例をいくつか挙げようと思う。

自分のことを歌う歌手について

とりあえず例を列挙する。

りりあ「浮気されたけどまだ好きって曲」

米津玄師「アイネクライネ」というか米津玄師はほぼ全部自分の話をしている感じがする。

back number高値花子さん

実はほとんどのバンドマンは自分の話しかしていない。ヨルシカが「八月、某、月明かり」の歌詞で叫んでいるように「心を売り出し」ているのだ。

ちなみにヨルシカは「詩書きとコーヒー」でも「寿命を売るなら残り二年」とか歌っていたりして、そういう自分のことしか歌えないナブナ自身をどこか皮肉めいて表現していたりする。

りりあの「浮気されたけどまだ好きって曲」を聞いてほしい。これ絶対自分の話だろと思って調べてみたけど明言してないっぽい。なら自分の話と考えていいのかな?

この曲は浮気された女の子の心情を歌うにしてはリアリティが高すぎる。

汚れた君は嫌いだ

君を汚したあいつも嫌いだ

この歌詞の下のほう、「君を汚したあいつも嫌いだ」ってそっちにヘイトが向く心情を表現できるのすごくないか? 普通浮気された曲って恋人に対する恨みつらみで話が終わると思っていただけにびっくりした。

こんな風に自分のことを歌う曲は”その人の人生の重み”が自然と声に乗っかるので、ものすごい破壊力がある。

でも、こういう歌手がほかの人の作った歌を歌うと、どことなくちぐはぐな感じになる。なんか違うな~とか、ぐっとこないな~みたいな気持ちになる。

あとこのタイプ歌手一発屋で終わる傾向が多い。劇的な経験がないと歌えないならそうなるのも必然、という感じはする。

なんでも歌える歌手について

ikuraやAdoはこのカテゴリーに分類される。

こういう歌手ボカロ文化の発展で増えたと思われる。

歌い手文化はいろんな人の曲を歌うっていう前提があるわけで、そこでさっき挙げたような自分の歌を歌うタイプ歌手歌い手文化にそぐわない。

自分共感できる曲だけを歌うことでその問題解決してる人もいるっぽいけれど。

なんでも歌える歌手の例を挙げる。

・ikura

Ado

Aimer

・yama

・suis

とかなんか今流行りのアーティストばっかりになった。

ヨルシカはナブナ個人的な、本来だったら本人にしか歌えないような歌をsuisが上手く歌っている感がある。

これらの歌手限界まで自分の色を出さない。でも無個性とは違う。ただひたすらに歌詞にひたむきに向き合って、そこから読み取れる感情をまっすぐに表現している。だから聞く人の心にダイレクトに届いているように思う。

「夜に駆ける」とikuraの関係

YOAOBIのコンセプトは”小説音楽にする”だ。このコンセプトとikuraのどんな曲も歌うことができるという特性は実に親和性が高い。

「夜に駆ける」の元となった小説は「タナトスの誘惑」というものだ。

あらすじをめっちゃざっくりと言うと、死にたがりの彼女を助けた主人公だったが実は彼女死神で、最終的に一緒による闇に飛び降りるという、中二病要素をこれでもかと言うほど詰め合わせたような物語だ。大学生が書いたらしい、笑った。

さて、どれほどこの物語がチープであろうとしても、この歌を実体験として生々しく歌うことができる人はなかなかいない。テーマが重すぎるし、全体的に闇が深いものからだ。

ただ、ikuraは「夜に駆ける」を独自解釈することに成功している。

この作品自体をどことな俯瞰的に見下ろして歌うことによってそれはかなった。過度に主人公ヒロイン感情移入するのではなく、どこか客観的視点から物語淡々と紡ぐように歌う感じ。無機質な――機械的な、ある種ボカロっぽい歌声と、どことな人間の闇を感じさせるPV(このPVもあの原作小説から作ったとは思えないほどクオリティが高い)が悪魔的に融合した。

これが「夜に駆ける」がヒットした二つ目の要因だと思う。

もう一回PV見てるけどやっぱりいいな。

本題のYOASOBI「アイドル」のすごさについて

制限が新たな芸術を生む”的な言論があったりする。「アイドル」が素晴らしい曲であるのにはここに要因がある。

今回の場合

・Ayaseが持つ独自リズム感とベースライン

・最新の曲調(Adoが歌う「踊」に似てるとか指摘されてるね)

・”推しの子”のOP要求される、アイドルソングライクな(コール差しまれるなどの)要素

この三つが程よくミックスされた結果、既存の物にはない斬新さを持った曲としての大ヒット……だと思う。

YOASOBI「アイドル」とボーカルikuraの限界

この話をするにあたって、YOASOBI「アイドル」の歌詞について軽く説明する必要がある。

アイドル」の歌詞原作推しの子」とそのスピンオフ小説の「45510」をもとにしたものだ。

まず「推しの子」のあらすじを一瞬で説明すると

医者主人公のところに推しアイドル(アイ)が妊娠出産のために入院してくる→出産日に主人公が殺される→気づいたらアイの子供に生まれ変わってた→アイドルなので子持ちはまずい→なので必死に嘘で隠す

というものだ。

そしてスピンオフ小説「45510」の主人公は、アイとかつて同じアイドルグループ所属していた女性だ。

アイドル」の歌詞の中での主人公は歌の途中で変わっている。二回目のサビまではスピンオフ小説の「45510」の主人公がこの歌の主人公で、その後はアイ自身の歌に変わる。

1サビまでの歌詞は「45510」の主人公の、アイに対する憧憬を描いたものと思われる。同じグループの中でも抜きんでて人気のあるアイに対する羨望を表現している。

ここの歌詞をikuraは上手く歌えている。

問題はその後だ。

アイドル」の二番の歌詞についての見解

この話をするためには歌詞掲載しないといけない。

はいはいの子特別です

我々はハナからおまけです

お星様の引き立て役Bです

全てがあの子のお陰なわけない

洒落臭い

妬み嫉妬なんてないわけがない

これはネタじゃない

からこそ許せない

完璧じゃない君じゃ許せない

自分を許せない

誰よりも強い君以外は認めない

これはアイが所属するアイドルグループ「B小町」の別のメンバー:「45510」の主人公の心情を描写したものだ。正直、この歌詞を書いたAyaseは天才だと思う。

一見最初はアイに対する強烈な嫉妬心を表現しているように見えて、最後には

完璧じゃない君じゃ許せない

自分を許せない

誰よりも強い君以外は認めない

とアイに対する信仰とでも言うべき強い感情の発露を描いている。この一見相反するようでいて、しかし同一の感情を詳細に表現したセンスマジですごい。

ikuraはこの二番を歌いこなせていない

Vtuber歌ってみたとかを聞いた時に「お、この曲はこの子マッチしてるからいい感じだな」とか思ったことがないだろうか? 俺はその現象を”人格一致ボーナス”と呼んでいる。

ikuraの人格と「アイドル」の二番はあまりにも相性が悪いと言える


たぶんikuraはまっすぐに、幸せに育ってきたタイプ女の子なんだと思う。だから、こうした嫉妬などのどす黒い感情にそれほど縁がないのではないだろうか? なので、それを歌おうとしても、どうしてもうわべだけのものになってしまう。

先ほどの話に戻る。世の中には

自分の歌を歌う歌手

・どんな歌も歌うことができる歌手

の二種類が存在する、と言った。

しかしそれを逆に考えてみてほしい。つまり世の中には

とある人間しか歌えない曲

・ある程度どんな人間にも歌いやすい曲

の二つがあるのだ。

そして「アイドル」という曲は”とある人間しか歌えない曲”に属する。それはこの曲が極めて個人的体験(この場合だと、45510の主人公とアイ自身体験)をベースに紡がれているからだ。

ikuraのスター性と「アイドル」の明るい部分は極めて親和性が高い。特に一番のサビなんかは完璧に歌えている。しかし、45510の主人公のアイに対する嫉妬などのダークな部分は歌えない。聞けばわかると思うが、なんだか上っ面で歌っているような印象を受ける。

かに愛されたことも

かのこと愛したこともない

そんな私の嘘がいつか本当になること

信じてる

まれないアイの家庭環境を背景とした暗いCメロ歌詞だ。やっぱりここでも、ikuraの歌はどことな空虚な感じがする。ikura自身にこんな経験がなく、想像することさえも難しいからだ……と思う。

あるいは、

【ikura】今回は、レコーディングする前にたくさん話し合って…。どういうイメージで、どういう声色で、ニュアンスでやっていこうかっていうのを考えながらレコーディングしました。

【Ayase】そしてたどり着いたのが…「最強のかわいい!」です。僕はikuraがレコーディングブースに入って一生懸命歌っている中、勇気づけるようにディレクションブースからもっと自分のことかわいいと思って!」って伝えていました。https://news.yahoo.co.jp/articles/32691ffa10659b427d43550c4eda76ad09a1ea74から引用

とあるように、レコーディング環境が足を引っ張ってしまった可能性もある。

アイドル」の歌ってみたをいくつか聞いてみると、この二番を上手に表現する歌い手を何人か発見した。やはり、こうした現代的な嫉妬経験がある歌い手のほうが歌声説得力が増す。

しかしこうした歌い手は同時に、サビの部分で顕著に表れるアイが持つ底抜けの明るさ、可愛さを表現することが難しい。

アイドル」を完璧に歌える人間存在しないかもしれない、とか思った

あと原作読んでる人に聞きたいねんけどこの「45510」の主人公って作中で出てくるん?

というかここまで細かく考察してると逆に「推しの子」の続きが気になってしまった

2023-05-09

ボカロ曲を知るきっかけがからない

Spotifyでも上位に来ないし、YouTubeでもそんなに上位に来ない気がする

ニコニコとか見ないと分からないもんなのかな

カラオケ行ったら、当店ランキング1位が「酔いどれ知らず」が1位になってたけど、全く知らなかった

YouTube検索して初めて聴いた

良い曲だけど、どの界隈でバズってるのか、全く分からない

シャルルもフォニイも神っぽいなも、カラオケランキングにあったから初めて知った

自分の知らない世界でバズってるのって、不思議感覚

2023-04-25

anond:20230425124048

おっ、れるりり氏の名曲を知っているのか!

…あのサムネ画像で皆ドン引くけど、詳細に書いてあるようなファンク?ではないような気がするけど、オールタイム一般人に聴かせられるボカロ曲ベスト50には必ず入るよな!

2023-03-19

anond:20230319171722

プロセカの人気ってそういうことなのか

ニコニコ動画ボカロ曲公開してた連中に憧れた世代プロセカプレイヤーなのか

なんかすごく系譜を感じるな

anond:20230319135025

CGIゲーム罪と罰++ 二律背反ホスティングをしていた

Flash動画黄金時代BUMP OF CHICKEN天体観測やKのような動画を作りたいという想いが強くあったことを今でも懐かしく思う。

PSPコンポジット端子AVケーブルカラオケ店のディスプレイモニタAVアンプへ出力して歌ったのだ(後にJOYSOUNDがこの学生文化に気づいてアニソンボカロ曲積極的配信DAMがそれに追従する)。これらの学生文化からニコニコ生放送でもカラオケ配信をするようになり、そこから歌ってみた文化興隆する。

懐かしい!マジで何者なんだ

今の40代オタクがボクの師匠プログラムCGDTM師匠のおかげ その2

https://anond.hatelabo.jp/20230319133934 の続き

2000年代後半

そもそも前述のオーディションの告知すらDTM magazine以外で見たことがなく(実際はもう少し色んなところで告知していたのだろうけれど観測範囲ではDTM magazineだけだった)、ネット上で注目されるのはロイツマガールからニコニコ動画投稿される初音ミクのIevan Polkkaを待つ必要がある。
実は初音ミクのIevan Polkka以前に初音ミク自体は注目されていたのだが、それは深夜アニメブーム文脈藤田咲ファングッズという需要であり決して初音ミクの可愛さやら革新性がDTM文脈評価されたっものではなかった。
実際に当時のKAITOMEIKO立ち絵更新されたのは初音ミクブーム以降であって初音ミク登場時点でもまだ扱いは非常に小さい。

この時期に触れて置かなければならないのはニコニコ動画誕生だろう。実際のところ2000年代半ばの項で触れなければならないのだけれど、現在ニコニコ動画として成立するのは2000年代後半からなのでココにする。
御存知の通り当初のニコニコ動画違法動画アップロードサイトであり、何なら当時話題であったYoutubeから動画を引っ張ってきて字幕を流すという方式であったため、Youtube側に違法動画が溢れ、負荷も高まりすぎたためBANされるという全くもって褒められない頭のおかし犯罪サイトだった。ドワンゴもそれを自覚していて運営ドワンゴだって黙っていた。

VIPPERニコニコ動画移住が促進されるのは前述したパートスレ問題2ちゃんねるまとめサイト問題による嫌儲勢の興隆によってニュー速VIPスレ執拗に荒らされるという事態が起き、YoutubeBANからMAD動画ブームが萌芽し始めて面白いコンテンツニコニコ動画へ増えてきたからであった。
その初期では違法動画アップロードのノリで無編集動画がアップされていたが次第に編集の手が加わるようになりMAD動画へと変化していった。代表格はアイドルマスターの「tUNAK M@ster (THE iDOLM@STER アイドルマスター インド版)」や「るろうに剣心英語版(フタエノキワミ、アッー!)」など。

ほぼ同時期にはMikuMikuDanceが登場、次第に増えていくボカロ曲(カバー曲)へMikuMikuDanceによるダンス動画を付けるなどの動きが発生。それらがボカロ曲絵師によるカバーの依頼、次第にモーショングラフィックス化が促進され今日のようなボカロMVが生まれるようになった。
その当時を振り返れば、Flash動画黄金時代BUMP OF CHICKEN天体観測やKのような動画を作りたいという想いが強くあったことを今でも懐かしく思う。あなた師匠がボクたち世代にそうさせたんだ。

livedoorねとらじ勢はニコニコ生放送登場とともに移住する。
livedoorねとらじ時代からカラオケ配信などの動きがあったものニコニコ生放送登場直前くらいか版権曲へ対して勝手字幕をつけて(当時は違法に)アップロードするニコカラという動きが発生し、この動画ニコニコ動画から(当時は違法に)ダウンロード携帯動画変換君(FFmpeg)によってPSP向け動画へ変換し、実際のカラオケ店で歌うという学生文化が生まれた。
当時のカラオケにはアニソンはもとよりボカロ曲なんて配信されていなかったので、PSPコンポジット端子AVケーブルカラオケ店のディスプレイモニタAVアンプへ出力して歌ったのだ(後にJOYSOUNDがこの学生文化に気づいてアニソンボカロ曲積極的配信DAMがそれに追従する)。これらの学生文化からニコニコ生放送でもカラオケ配信をするようになり、そこから歌ってみた文化興隆する。
歌ってみたニコニコ生放送の影響は計り知れないが負の側面もあり、livedoorねとらじでもあったような過激化が一部で促進され、配信しちゃいけない女の子の柔らかい2つの丘を見せちゃったりしてBANされるのも跡を絶たなかった。
結局、人気取りのために手っ取り早く女の子という要素を売りに全面へ出すと女の子要素を強く訴えることでしか評価を貰えないため次第に過激化していくのだ。livedoorねとらじ時代(約20年前)から何にも反省してないヤツは結構居たし、今のYoutube LiveやTikTokでも居るのでそういうのやめておきなと言いたい。10年前と20年前の失敗を繰り返すな。エロであれ悪ノリであれ何であれ犯罪を伴う過激化はダメだ。合法的過激しろ

歌ってみたキーアイテムであったPSP、実はMikuMikuDanceとも関係があり、MikuMikuDanceでのボカロダンス動画ダウンロードし、同様に携帯動画変換君によってPSP向け動画へ変換し、ダンスコピーして踊るということへ活用された。小型であり物理ボタン再生停止逆再生スキップなどが可能であったためダンス練習に丁度良かった。そうつまりこれの流れが踊ってみた文化の萌芽であり、PSP踊ってみたでもキーアイテムであったのだ。
当時のPSP、実は学生に対して物凄く影響を持ったガジェットで、当時の学生文化に疎い世代には信じられないかも知れないがPSP本体を所有しているのにPSPゲームソフトを所有していない女子学生が居たくらい学生の間では物凄く評価が高かったのだ。その影響度合いは当時のiPod以上と言って過言じゃなく往年のAppleファンには信じて貰えないだろう。

このあたりに来ると当時学生であった自分からしてもオタクへの風当たりは非常に改善されていた。
未だに自分の姉などはオタクへ対して少々嫌悪感があるようだけれど、学生時代から部屋に引きこもって続けていたことが仕事になっている現状を見て「アンタあのままじゃ犯罪者か何かになると思ってたけど今はそれが仕事だもんねぇ世の中わからないわ」などと諦めた感じでたまに言っている。
そんなの当たり前の話なのだ。ボクは師匠たちに憧れて今のような大人になった。師匠たちがどんなに迫害されても面白いモノを作り続けてくれたからこそボクたちは師匠のようになりたいと思った。モノを作る人が何かを変化させ、何も生まれない世界は何も変わらないんだ。ボクは師匠たちの手によって変化させられモノ作りをするようになった。

かにボクたちの世代オタク迫害ほとんど無くなった無くした、でも迫害されてきた師匠たちがモノ作りを辞めなかったからこそ今のボクたちはあるんだ。
今でも覚えてるよ!粗いのに精緻ドット絵面白いテキストサイト発音制限の中で奏でられるFMサウンド、低処理性能で実現する疑似3Dブラウザゲームあめぞうスレッディングシステム夢小説ツクール吉里吉里HSPアナタ達が作ってくれたモノなんていくらでも挙げられる!
憧れさせてくれた師匠たちへありがとうございます!と深々と頭を下げたい。


そしてボクたち世代を見て憧れてモノ作りをしたいという新しい世代の子が現れているのなら作り手としてこれほど嬉しいことは無い。


P.S.まりにも書きすぎて3/4削った。つまりこのエントリは1/4まで圧縮してるので何かのきっかけがあれば補足するかも知れない。

2023-03-16

千本桜/Adoに怒ってるオタク、一旦落ち着いてほしい

「こんな表記をするなんて逆に炎上を狙っているのでは?」という意見を見かけたが、それだけはないと思う。

自分小学生の頃からからボカロが好きで、今はボカロ曲を投稿している知名度ゼロのP。本職はテレビ業界の下っ端である題名の件について「せめて黒うさP初音ミク表記だったら許せた」という気持ちは、めちゃくちゃわかる。でも一旦落ち着いてほしい。

最初に一番言いたいことを書くと、自分が憂いているのは、「ボカロ曲は表記がめんどくさくてオタクが煩くてすぐ炎上するからテレビで使わないほうがいい」という風潮が生まれることである

これより下は「オタクが面倒くさいんじゃなくてテレビ表記を怠っているんだろ、いいかげんにしろ」と思っている方にわかってもらいたくて書いた文章なので、暇だったら読んで

番組で流れていたのはAdoさん歌唱カバーで、「Adoカバーした千本桜にのせて演奏しているよ!という意図だと思う」ということを元ツイの方がツリーで言っている。自分同意である

「せめて原曲歌唱初音ミクであることを書いてほしいが?」という気持ちは、わかる(小学生の頃の自分も同じこと言うと思う)。でも業界に入った今、テロップでは最低限の情報しか出したくないという制作側の気持ちもわかる。

VOCALOIDへのリスペクトがないのでは?」と思う人もいるかもしれない。しかし、テレビ番組Whiteberry夏祭りを流すときにJITTERIN'JINNのカバーであるという注釈を出すか考えてみてほしい。例えが下手くそかもしれないけど、番組としてはその画面に最低限の情報以外を増やすことは避けたいのだ。

そもそも原曲を流せよ」

その気持ちも、わかる。しかテレビというのは沢山の大人の事情が積み重なってできている。出演者さんが使いたい音源指定したのかもしれないし、原曲権利関係で使えなかったのかもかもしれない。もしかしたら誰が歌っている千本桜でも良くて、偶然これになったのかもしれない。どういった事情原曲を使わなかったのかは憶測で語ることしかできない。でも、「機械音苦手な人もいるし…」とか「Adoさんのほうが有名だから…」とか思った人は、偏屈に捉えなくて大丈夫やで 制作の人たぶんそこまで考えてないよ

自分小学生の頃よりもVOCALOID初音ミクは随分有名になった。自分毎日聴いているし、今はボカコレに出す曲の進捗がヤバいのにこんな駄文を書いてる場合か?ということで頭がいっぱいだ。でも忘れてはいけないのは、初音ミクを見たことも聞いたこともない人や、なんとなく絵は見たことがあるけどどういうものかは知らない、もしくはアニメだと思っている、という人が沢山(もしかしたら初音ミクを正しく知っている人よりもずっと多く)いることだ。

この件に怒っている人がVOCALOID文化を愛していることはわかる(乗っかって燃やしたいだけの人やバズりたいだけの人も混じっているかもしれないが)。

テレビボカロ曲が流れるというのは、今までボカロを知らなかった人に「この曲いいかもしれない、孫に知ってるか聞いてみよう」とか「こういうのがあるのか、調べてみよう」というきっかけを与えてくれるかもしれない、大きなチャンスなのだ。平日昼間の番組なら尚更だ。自分はこんなことでその機会が奪われては勿体ないと思い、これを書いた。まとまりのない文章だが、伝わってほしい層に少しでも届けば幸いである。

正直、最初にこの件を目にしたときボカロ好きの自分は「えぇ…間違ってはないけど寂しいものがあるな…」と思ったし、社畜自分は「大人の事情があるってちょっと想像すりゃわかるのに燃える!?幼稚かよ…」と思った。ボカロPの自分は「ちゃん許可とって著作権料払ってるならそれでいいんじゃない?」と思う。おわり。

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