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はてなキーワード: 自由市場とは

2024-04-19

「全ての大学私立大学しろ。」と言っているのと同じでは?

文部科学省で開かれた或る会にて、慶応義塾大学伊藤公平学長(または塾長)が、国公立大学学費を年150万円程度に引き上げることを提案し、そのことがXなどで物議をかもしている件。

伊藤学長の「大学全体の教育の質を上げるために、公平な競争環境を整えたい。」という理屈は確かに一理あるのだが、その方法として「国公立大学授業料を150万円程度に値上げする」というのは、すこし変だなと思う。

だったらまず素直に国や地方公共団体から国公立大学に配られる運営費交付金をなくすのが先だろう。授業料を同程度にそろえても、国公立大学だけに運営費交付金があるなら公平にはならない。運営費交付金を無くすことで収入ベースをフェアにして、そのあとで国公立大学各自授業料を調整すればいい。

公平な競争環境にしたいというのは、自由市場競争したいということだ。つまり国公立大学廃止して、全ての大学私立大学にしたい。」と言っているのとほとんど同じだ。伊藤学長は、変にごまかさず、「日本大学を全て私立大学しろ。」とはっきり言えばいいのだ。

あと「国公立授業料を150万円程度に上げることで、一部の私立大学は国公立より低水準の学納金設定で公平な競争に参加できる。」と言っているが、なぜ国公立大学が一部の私立大学より高水準で競争しなければなければならないのか?公平な競争環境なのであれば、低水準で参加しなければならないような私立大学はさっさと淘汰されるべきではないのか?

2024-04-14

anond:20240413195843

何がいいって利害が対立している親がそれぞれ親権を持っているのがいい

確信的に虐待を続けるケースでも共同親権なら防げる可能性が増える

唯一の権力である政府が全て差配するよりも、自由市場に任せる方がマシっていう発想に通じるように思う

共産党けが反対したのも宜なるかな

2024-04-10

欧州の電力市場で何が起きているか

考えをまとめるために書いているので長くなってしまった。

なので最初にChat GPT要約をおいとく。

要約

再エネ以外に投資が来ない。

投資マネーが再エネに集まり既存電源に行かない状況が続いている模様。

再生可能エネルギーは、施設製造建設・設置、さら運営ノウハウが溜まってきて再エネが安定した投資先と見做されてきており、潤沢な資金供給が続いている。

例えば、利回りなども、再エネ設備耐用年数を従来は20年などで計算していた。これは公的補助が20年だったと言う前提だが、次々と公的補助が終了した結果、耐用年数を30年以上で計算するところが増えていて、それらをミックスした投資商品が登場、安定した資金調達に繋がっているようだ。


一方で、相対的既存電源に対する投資が減っている。欧州でもエネルギー安全保障観点からイギリスフランスなどで原発新規計画が出てる。

今時、国の金だけでやると言う計画イギリスが建てるはずも無く、資金募集しているのだが、全然投資が集まらなくてかなり苦戦している。

これとは別の話として、エネルギー安全保障観点だと言っているのに、当初目論みの建設費で手を上げたのが中国企業中国"系"ですらない、中国国営企業しかないと言う状況で、これだとまずいと言う事で、新規設置の原発が生み出す電力の買取保証価格をつり上げたところ、なんと再生可能エネルギーの2倍から3倍の価格になってしまって問題化している。

エネルギーの安定供給安全保障観点という点では色々な電源をミックスするのは当然で、そういう点では単価の高い電力が混ざっても仕方が無い。

が、その国のエネルギー価格は、その国の国際競争力に直結する。製造業はもちろんのこと、ITデータセンターの立地、研究施設の立地など情報系にも影響してくる。

国策である程度電力価格コントロールできるからと言って、上げれば今度は国際投資が逃げていくということで、苦しい状況が続いている。

既存電源の採算割れ

欧州と言うより主にフランスでの問題なのだが、フランス原子力発電所で発電した電力を他の国に売ると言うビジネスを行っていた。

ところが、再生可能エネルギー市場を荒らすようになってしまったため、もくろみが崩れてしまって採算性が悪化している。


既存電源と再生可能エネルギーの違いは何かと言うと、限界費用が全く違う。再生可能エネルギーは、燃料費がないと言うところが大きくて、0円以上で売却できれば利益になる。というか、勝手に発電されるので止める意味が無い。

そのため、他の電源では燃料費が上回って赤字になるケースでも電力を市場に流す事ができる。そんなもの価格競争しても意味が無いので、例えば火力発電所は再エネの供給が大きくなったら発電を止めて、採算より高くなったら稼働すると言う事を行っている。

特にLNGガスタービンは即応性が高いため、再生可能エネルギー追従して運転をするのに適している様だ。


一方、そんな器用なことができない電源がある。

それが原発

原発は燃料を燃やしているにもかかわらず、再生可能エネルギーと似たような性質を持っている。発電を始めたら勝手に発電されるので止められない、出力調整が難しい、燃料費に比べて設備費・初期投資割合が大きいといったことだ。

そのため思いっき市場を食い合っている。再エネがピークで安い時は下手するとマイナス金額(つまり、売買に関わる諸経費を発電側が持つというようなもの)で売却される電力に対して経済面追従を迫られる。

それでも、再エネが担う割合が低いころは、それ以外の時間帯で収益を出すことが可能だった。しかし、段々と再エネだけで賄える時間帯が増えてしまい採算性が悪化しているのである


また、原子力発電所など大規模電源は30年以上の耐用年数を見込んで採算が取れるように投資商品にするのが一般的で、原発場合は40年以上も当たり前だ。その間当然リスクを見込んでるんだけど、変化が急激すぎてそのリスク範囲を超えてしまっていている模様。

これは時限爆弾みたいなもので、実はちょっとヤバいと思われる。

電源関係投資ってかなり安定的投資と見做されてる影響で、年金など公共性の高い投資商品に基礎的なものとして組み込まれていることが多く、吹っ飛んだら電力関係だけじゃ済まないと思われる。

そしてここが不安定なので、従来型の大規模電源開発投資が集まらない状況が続いている。

環境 テロリスト 団体はESG投資の結果だとか宣伝するし、それに呼応するように原発 村の盲信者 関係者が陰謀論じみたことを言ってるけど、実際には経済的リスクが大きい一方で、利益が少ないことが要因だと思われる。

今後の見通し

もはや後戻りができないぐらい進んでしまっている。この流れは止まらないだろう。

ただ、各種のデータを見ると本当にこれで電力の安定性大丈夫なの?と心配になるんだが、進んでいる源が経済という祟り神なので止めらんない。すると安定化する方法はそれに対応する電源開発なり大規模蓄電なり水素アンモニア製造するなりしかないと思われる。

実は、原子力発電所も、負荷変動に柔軟に対応するようなもの設計可能らしく、そういったものが出てくる可能性はある。が、投資基準再生可能エネルギーに対してになるので、それより優位なものが作れるかはわからない。

翻って日本

日本は電力の自由市場の中にはいないので、急激な変革に巻き込まれはいない。

また電力価格の決定が統括原価方式なので、例えば発電所を30年使うと設定して投資した場合原則的建設費などの初動費は30年間固定されて電力価格転嫁することが認められている。

ある意味再生可能エネルギーの固定価格買取制度によく似ているが、そちらとの違いは、稼働していない発電所の維持費も電力価格転嫁できる仕組みであるということ。

例えば原子力発電所で再稼働出来てない発電所は多くあるが、発電して無くてもそれらの費用は電力価格に乗ってきているし、原発が稼働してない分だけ維持している旧式の火力の維持費なども当然ここに乗っかってくる。

これによって電力価格の上昇を抑え、安定化すると言う効果があるのだが、ここ15年ぐらいの急激な環境変化に対応できなくなってきているのも否めない。

ただ、制度を続けていけば、急激な市場の変化は発生しないと思われる


と、国内だけを見てればいいのだが。

既に書いたが、その国のエネルギーコストは、その国の競争力に直結する。国際競争に晒されている今、エネルギーコストが高いと企業立地などを逃すことになるので投資が集まらなくなる。

直近の動きでは原発を再稼働させようという取り組みが継続して行われている。

原発燃料費よりも建設費・維持費がかかる。それらは再稼働しなくても電力料金に乗っかってる一方で、それに加えて燃料費割合の大きい旧式火力を回さなければならない。これが電力料金を上げる要因になっているのは確かだ。

から短期的には原発を再稼働させるということはあっているのだけれど、長期的に見ると、ライバルになり得る欧州再生可能エネルギーという安いエネルギー源を苦しみながらも獲得しつつあると言う事には追従出来ていない。

さらに、欧州環境対応大義名分に、自分たちの有利な点を伸ばすような、再エネを使った製品では無いと追加の関税を課して保護政策を実行してくるのも間違い無い。自由貿易どこいったって思うが仕方が無い。


日本でも再生可能エネルギーは最も安い電源になりつつある。

環境問題への対応はもちろんしていく必要があるが、今一度、エネルギーコストをどうやって下げていくのかと言う基本に立ち戻って電源の選択を考える時に来ていると思う。


その点では、洋上風力発電を巡る汚職が痛かった。かなり安い入札が行われていたのに、なんだかんだと理由を付けて不可とした。

その結果、国内商社と組んでいた海外電源開発会社投資を引き上げちゃったんだよな。

せめてそういうことは二度と無いようにしたい。

2024-04-08

合理的社会では、社会の存続のために配偶者は宛行われるanond:20240408214534

自由市場下にある恋愛結婚そこから築かれる家庭ならびに人生は非合理である

競争比較劣位にある弱者人生も非合理である

2024-04-02

世の中のチー牛男性モテない理由は顔ではない

電車などでパッとしない、非モテっぽい男を観察すると、顔のパーツ自体は悪くない男が多いのである。実際、垢抜けたらイケメンなんだろうな、という男は結構いる。

そもそも、彼らの問題は単純である

変な半袖のパーカーだとかのウイグル自治区で作られたヨレヨレの服を着たり、QBハウスで「前髪は眉毛にかからいくらい、サイドは耳にかからいくらいで、適当に梳いてください」などと定型的なチーチーカットを注文したりして、自ら「チー牛ファッション」に望んでなっているのだろう。

こういうとルッキズムだとかなんだとか言われるが、女性は昔から化粧をすることを求められ、垢抜けることを散々求められてきた。

ただ単純な問題だ。男性も、まともな服を買ったり、美容室に行ったり、スキンケアをしたり、ひげ脱毛をしたりと、美容お金をかければよい。

女性にだけ清潔感を求めるのは明らかに平等だろう。お前たちも美容に金をかけろ。それが男女平等だ。恋愛市場自由市場になったのだから仕方ないだろう。

彼らがモテず、自分弱者男性規定し、被害者意識を募らせるのは明らかに自己責任である

そもそも、そのような「外見」に対する努力を欠いているにも関わらず被害者意識を募らせ、フェミを叩いたところで、チー牛を救う者は現れないのだ。

顔に絶望する前に、それ以外の部分をまず磨けるだけ磨いてみろ。

まずはそこからだ。女は空から降ってこないのだから

2024-01-15

anond:20240114205253

恋愛自由市場の隆盛と男女平等関係あるなら、言う通りだが

 

たぶん実際には関係ないんじゃないかな。

恋愛自由市場でやっていかざるを得なくなったのは、男女の平等じゃなくて、人権が盛り上がったから。

イエとかの都合で個人を従わせることができないからだ。

男女平等とは、似ているようで別のことと捉えるべきだろう。

2023-12-28

anond:20231228152249

今後再発防止しようと思ったらこれどうすればいいんだろうなあ

自由市場が正常に機能しているなら、クリスマスケーキ価格は数倍に跳ね上がる

欲望制御できる者はクリスマスケーキを食べなくなり、そうでない者で時間のある低中所得者はケーキ自作するようになり、小金持ち(時間に追われ金の余裕も無いとネット上で主張する自称被害者)はブーブー言いながら大枚をはたくようになる

2023-12-18

就活市場恋愛市場を比べてみる

比較するのは「就活サービス市場化」と「恋愛サービス市場化」

 

似てるところ

自分スペック提示し、大量の相手マッチングしようとする

・最終的に1人・1社を選ぶ

リボンビジネス

サービス化により比較やすくなり、その功罪がある

アプローチのしやすさは上がった

・沢山出会う割に最終的に選ぶ相手は1であるため、1出会いあたりの成功率は下がり、結果沢山会う必要が生じる

ラッキーや偶然の出会いは減った

エントリーシートプロフィール自己PRみたいなことを書く必要が出てきた

相手側をスペックで見ることが増える

・お試し期間も割りと似てる(3ヶ月くらい?)

20代が最も利用する

サービス利用料は似てる

・一部の強者が掻っ攫う

・◯活疲れするとサービスを恨み始める、相手陣営も恨み始める

自尊心を失う

 

似てないところ

恋愛市場就活市場より降りても良い空気がある

恋愛市場自由市場も未だに健在である特に学生恋愛就活市場に例えるなら、研究室へのオファーみたいな感じ?今少ないよね)

恋愛市場の男ー女は、雇用主ー労働者よりは対等

・見られるスペックが違う

会社集団だが、異性は個人である

恋愛市場には浮気、◯股が存在する

恋愛市場にはヤリモクがいる

就活市場にくらべて恋愛市場は期間が長い(転職市場も含めれば似てるけど)

恋愛市場は同年代就活市場結構離れている

 

似てるのかどうか保留

・「付き合ったことのある人数」と「経験社数」は似てる?

 

自分マッチングアプリが大嫌いな理由今わかった

エントリーシート書きたくないからだwww

自信もないし、相手から品定めされる勇気もない

令和の20代可愛そうだな、就活終わったと思ったら恋愛

そりゃ諦める奴ら増えるわ

 

一応最新のペアーズの調査だけど

マッチングアプリから結婚

2021年 19%

2023年 22.7%

だそうだ

まじで2020年代にガラッと変わると思ってる、4割は行くんじゃないかね?

https://news.mynavi.jp/article/20231116-2819171/

 

https://anond.hatelabo.jp/20231218013448

2023-12-07

anond:20231207183648

ワイ:

友達からDSディープステート)が裏にいるアメリカおよび西欧と、それに対抗する中国およびロシアという構図を理解するところから始めよ」と言われました。

DSが裏にいるアメリカおよび西欧と、それに対抗する中国およびロシアという構図」について説明してください。

ChatGPT:

ディープステートDS)」という用語は、しばしば政治的陰謀論に関連して使われます。この用語は、政府や軍、情報機関などの公的機関内に存在するとされる秘密ネットワークを指し、彼らが国の正式政策や決定プロセスを裏から操っているという考えを表します。しかし、この概念は広く否定されており、科学的根拠に基づく証拠ほとんどありません。

あなた友達言及している「DSが裏にいるアメリカおよび西欧と、それに対抗する中国およびロシア」という構図は、国際政治の中での大国間の対立を描いているようです。現実国際関係では、アメリカ西欧諸国はしばしば民主主義自由市場経済人権保護といった価値を共有していると見なされ、中国ロシアは異なる政治体制価値観を持つ国として位置づけられます。これらの国々間の対立は、経済政策軍事的な影響力、地政学的な戦略など様々な面で現れています

しかし、「ディープステート」がこれらの国々の背後で操作しているという考えは、陰謀論的な観点から来ているもので、実際の国際政治の複雑さや多様性単純化し過ぎていると考えられます国際関係は多くの要因によって影響を受け、一つの秘密組織や集団によって制御されているわけではありません。

真実を教えてくれない。

おそらく既に奴らの手に落ちているのだろう。

anond:20231206142855

あと、楽しく倹約するのが好きな女にメリットを感じる人と出会って結婚したい。どこにいけばいるんだろうか。

にとっては、有難くて、新鮮な存在だと思う。

しか節約生活では接点ないな。

結婚紹介所で会えると思うけど、そこに金出す気ないっしょ、その生活では。

次点

にとっても有難い存在だと思う。増田結婚すれば収入が1.5倍の価値に化ける。

収入ほど有難い存在

*

なお、自由市場無料に近いマッチングサービスアプリ)で倹約節約アピールすると

が寄ってくるので、自由市場ではあまり言わない方がよい。

2023-09-18

anond:20230917225638

せやで

せやけど恋愛自由市場にしてしもうたんで人類もう終わりやで

強制的結婚させられた方がマシなのかも

2023-09-05

Web3ヤーたちはどう生きるか

Not Financial Advice。個人的メモ、現状の文字起こしと雑な未来予想。自分Web3ヤーとして整理したかった。

ビットコイナーが望まない形でBTCがATHを迎えるシナリオ

根源的にビットコインは規制禁止することはできないので、できるところから規制されるトレンドは今後も続くだろう。目下、短期ナラティブETF承認であるAML/CFT観点ビットコイ現物流通はなるべく制限したい規制当局側と、ビットコインのエクスポージャーが欲しいだけの大多数の投資家の思惑の両方が、現物ETF承認という形で結実するのである。その後、ビットコイETFが高い流動性を持つようになれば、既存金融機関ビットコイETF担保にした金融サービス派生金融商品を展開できるようになる。

また、大手マイニングプールと、(すでにマイニングプール株主となっている)ETF取扱金融機関提携する未来もありえるだろう。例えばマイニング収益プール参加者ウォレットアドレスに引き出されることはなくなり、プール参加者証券口座ETF残高として入金されるようになる。これはプール参加者規制当局どちらにも利点がある。プール参加者にとっては、ブロックチェーン手数料秘密鍵保管といったブロックチェーン特有リスクを負わなくて済むし、ビットコイETFを通して既存金融多種多様流動性へ容易にアクセスできるようになることも喜ばしい。規制当局にとっても、本質的規制できないマイナーとBTC現物が切り離されることは喜ばしく、win-winなのだ。すでに大手マイニングプールマイナーにKYCを求めているので、マイナー分散思想よりも規制された安定を選んでいる。マイナー投資家保護環境の整ったETFに乗り換えるのは合理的選択なのだ

ビットコイナーの思想とは相反するものの、市場原理とは相反しない力が優勢となって働くことで、ビットコインはATHを迎えるのである

少数マイナーの寡占は問題か?

先日Twitter話題になっていたので急遽追加する。

マイニングプールが結託して51%攻撃を起こすことは、マイニングプールにとっても合理的ではないので、少数マイナーの寡占状態が直接的にビットコインを破壊に導くとは考えにくい。しかし、大きな金額を動かさないといけない巨大プール既存金融保護されざるを得ず、規制圧力に対しては脆い。同じ51%でも1 ✕ 51よりも25+26の方がCensorship ResistanceやOpennessといったブロックチェーンの本源的な価値は損なわれやすい。なのでマイナーに寡占が起こることを問題視しないのも間違いである。

ツイートの人の反論もあるので一応参考程度に

https://x.com/nook_ethereum/status/1696476655475171759

仮の話だが、完全に当局規制を受けてコーポレートが牛耳る、本源的な価値を失ったビットコインが、too big to failな状態ゾンビ化した時どう振る舞うのだろうか?そのタイミング古参クジラ離脱して一時的に売り圧が発生する気もするが、そのままトリクルダウンとなるほどのトリガーかというと分からない。これはビットコインに使われる暗号の危殆化などのリスクと一緒で、起こるまで想像ができない。そのフェーズP2P電子決済システムビットコインという壮大な社会実験重要ハイライトになるに違いない。

Drivechain

ビットコインのブロックスペースを使って、レイヤー2上で好きなブロックチェーンを誰でも立てられるようにする新機能。まだ提案段階の機能だが、賛否両論を招き、界隈を真っ二つにしている。

https://www.drivechain.info/

ちょっと前に流行ったStacksの仕組みと異なり、BTCを子チェーンにオプトインするような仕組みも備える。もちろんオプトアウトもできる。

ただし、Drivechainが認められると、ビットコインのスケーラビティを向上させるソリューションとしてのLightningネットワークの意義がかなり失われる。Lightningは”P2Pで”高速決済したい人が使うための機能という、かなり思想が強い人向けの錆びついた技術になり得る。

Drivechainの提案自体は昔からあったが、最近になって流行り出したのは単なるナラティブ作りであろう。ordinalsやStacksもそうだが、新しい技術はそれだけで盛り上がりやすい。ordinalsの場合だと、昔から追っていた人は、自分が優位でいられる情報非対称的な時期に、短期で出口流動性イナゴ養分)をたくさん集めて、たんまり儲けて売り抜けることができた。

ちょうどBitcoin, not Cryptoな時期で、Drivechainのような特大アップデートがあればナラティブとしては強力だ。しかし、だからこそ、どうしてもDrivechain利権存在を勘繰ってしまう。Lightning利権とも対立しそうだ。

Lightningはビットコインにマルチシグだけあればできる機能だが、Drivechainはソフトフォークとは言え、これだけのために新規のオプコードメッセージの追加など、開発リソースをかなり費やす大幅なアップデートなので非常に図々しい。ソフトフォークをexcuseにすればなんでもありだと言うわけではない。

今更dAppsが走るサイドチェーンを作っても、Ethereumで起きているようなゴタゴタをビットコインに持ち込むだけで、Bitcoin, not Crypto神話を汚すだけになるだろう。

DeFiはDaFi(Dark Finance闇金融)へ

実質管理者のいるDeFi規制煽りを受けて存続は難しくなっていくだろう。ハッキングインサイダー、スキャム(詐欺)、ラグプル(持ち逃げ)から投資家保護できないファイナンスは、たとえゲイリーゲンスラーSEC長官を退任したとしても長期的には必ず規制対象になる。また、そうはならなくとも投資家の方から勝手離脱していく。

しかしながら、オフショア規制の及ばないチェーンを舞台に、リスクを恐れない投機家の間でDaFi(Dark Finance闇金融)に転じたDeFiがしぶとく生き残るのはどうしようもない。

ただ、そのようなDeFiはもう社会生活金融インフラになることはないだろう。結果的に今のDeFiはDaFiかCeFiに分岐していく。

CeFiの意義

CeFiという語彙は以下のツイートから使わせてもらった。ブロックチェーンを使っているが、規制もされている金融サービスくらいの意味だ。

https://x.com/kimurayu45z/status/1695988782871498898?s=46

ブロックチェーン上の金融サービス規制をかける場合、どのようなものになるだろう。まずCeFi事業者に対する当局による管轄投資家のKYCは必須になる。そうなってくるとブロックチェーンでやる必要はあるのかいよいよ分からなくなってくる。かの有名なWhy Blockchain?の声がまた聞こえてくるのだ。

少なくとも、トークンガバナンスするような機能プロトコルに組み込む必然性はなくなり、ガバナンストークンは株や証券に近いものになっていく。また、仮にアプリケーションどころかL1チェーン自体規制されれば、PoSなどのトークンベースコンセンサスアルゴリズムはもはや茶番になる。

ユーザー目線でも、KYC済みのアドレススマートコントラクト登録してまで、入札や取引したい投資家がどれくらいいるのか今のところ分からない。

もしもかつてのDeFiバブル違法事業者非合法的な取引で盛り上がっていただけの幻想だった場合、KYC後のクリーンなCeFiにどのような実需があるのだろうか。

MEVは重い問題

MEVというのは、ブロック生成者が承認前のブロック内の取引を盗み見れることをいいことに、他人取引を先取りしたり、順序を利己的に入れ替えることが可能である性質から生じる、ブロック生成者が独占できる収益源泉のことである

筆者は以下の記事勉強させてもらった。

https://keccak255.substack.com/p/mev

https://mirror.xyz/0x95d7660ceb04b402fdBAf112a8278980335616d4/aDB1Zh4ybztR3DJsY1pgoK8h63wH05PlOMOEj0zvL3U

MEVがあるせいで、ブロック成行為が中央集権化しやすくなったり、ユーザーサービス体験が低下したりするため、dAppsが動くブロックチェーンにおいては重要課題だ。

もちろん技術的に解決するSuaveのようなソリューション提案されているのだが、分散化にメドがたっているわけではない。また、問題が外部化するだけで本質的解決にはなっていないのではと思う。

Suaveについて参考までに

https://writings.flashbots.net/mevm-suave-centauri-and-beyond

また、MEV利権がすでに巨大化している政治的事情もあり、問題はかなり複雑化している。このように込み入った問題を、さまざまなステークホルダーの思惑が入り混じる、非効率的分散ガバナンス解決するのは前途多難と言わざるを得ない。

チェーンのTVLが巨大化し、RWA(real world assets)などのMEVファクターがチェーンのエコシステムの隅々まで組み込まれれば、MEVがもたらすマイナス・サムの影響はユーザーにも感じ取れるくらい甚大なものとなるだろう。さらに、可視化できないリスクを嫌う大手投資家の参入を阻むことにもつながる。

そうなったときパブリックブロックチェーンの夢は雲散霧消するか、中央集権正当化された世界でregulatedなブロックチェーンが生き残っていくかのどちらかになる。

DeFi社会限界

一旦DaFiやCeFi、MEVのことは忘れて、全てが解決して、DeFiがそのままメインストリームになった社会を想定してみる。そこで注目したいのは、チェーンに閉じたDeFiでは信用創造ができず、分散型ステーブルコインなどの場合は常にover-collateralized(過剰担保)させなければならない点だ。つまりロックされた資本以上の価値市場に再投資されない。原資本は再投資のたびに指数関数的に薄まっていく構造になってしまうのだ。

そのような先細りの金融インフラの上に展開される資本主義及び自由市場経済社会が、規制された金融に基づいた現状の社会よりも、高い資本効率経済成長率を達成できるのかは甚だ疑問である

一昨年のDeFiバブルの正体が、USDTなどの法定通貨担保型のステーブルコインがチェーン外から流入することで起こったに過ぎなかったのだとすれば、DeFi世界はCe要素なしには拡大できないということになる。実際、USDT、USDCなどの法定通貨担保型のステーブルコインの時価総額無視できないほどに巨大だ。そういった規制アセット流入なしにはリターンが期待できない構造的欠陥がある限り、DeFi規制を拒んで信用収縮の道を選ぶか、信用創造のために規制を受け入れてCeFi化していくしかない。

ブロックチェーンイノベーションなのか?

分散自己主権といったブロックチェーン思想を全く気にしない大多数のユーザー目線で見ても、国際送金や金融取引が瞬時に透明性高く行えるブロックチェーンが便利なのは間違いない。しかし、それは既存金融サービス規制というかなり重いハンデを付けられた状態で戦ってくれているからそう見えるだけで、ブロックチェーンという技術自体イノベーションからではないのではないか?つまり、仮に規制の側が妥協して、金融業界リバタリアン並みの自由化を勝ち取った時、ブロックチェーンは、例えばApple銀行のような大規模なWebインフラを使った金融サービス技術として勝てるのだろうか?

もしも、ポンジスキームやスキャムであることが明らかなミームトークン、発行主体を名指しできるXRPや、ガバナンストークン全般が、規制されない(もしくは証券ではない)と判決された場合Apple銀行プログラマブルトークン発行プラットフォームを立ち上げればブロックチェーン競争に負けてしまうのではないか?秒間取引処理数が少なくて、手数料も高く、ウォレットも使いにくいブロックチェーンの優位性はどこにあるのだろう?

とはいえ実際に既存金融が完全自由化することはありえない。あり得るのは、既存金融業界ブロックチェーン業界が融合していく中で、その両極からの声を取り入れながら、長期的には両者の境界線が最も曖昧となるような規制環境が整備されていくシナリオだ。それはトークン証券化かもしれないし、証券という概念が古くなるような全く違う新しい法概念規制フレームワーク誕生かもしれない。そうなったとき果たしてブロックチェーン技術市場競争力を持つのかは、改めて問われなければならない。使いやすさより分散思想を優先するユーザーなんて殆どいないはずだ。

日本海外Web3コミュニティ

日本Web3界隈は、昔から霞ヶ関巡回する界隈と海外組の界隈に二分されていたが、最近海外からの出戻り組が増えてきたように思える。かつてJapan色がなかったAstarが最近Japanを押し出すことが増えてきたので、これも出戻り組と言えるだろう。京都で開催されたIVS Cryptoでは、かつての海外組が、今後は日本にもコミットしていくしたたか姿勢も見せていた。

Astarが政府機関やJTCと手を取り合って、提携関係や共同研究関係を結び始めたときは、何をしているんだと正直思っていた。しかし、当時から規制側に歩み寄らなければブロックチェーンは存続できないと読んでいたのか、単なる嘘から出た誠なのか、こうなった今では一定妥当性が理解できる。

とはいえ規制と近づきすぎるとパブリックブロックチェーン特性邪魔するはずなので、その擦り合わせは茨の道だろう。Why Blockchainの最前線で闘う姿勢評価したい。

渡辺氏も、もしAstarがダメになっても、日本は偉い人と仲良くしておけば何とかなる国なので、かつてのホリエモンのような毒を出さなければ、どこかしらの利権に入れてくれるだろう。そこら辺を踏んでいるのか、彼のポジショニングは上手いなと思う一方で、FTXのサムが破滅直前まで政府蜜月関係を結ぶのに奔走していたことを思い出させるから少々怖くもある。当局に近づくと不透明性が増すので、個人的にはまだASTRに買いを入れる勇気が持てない。

さて、クリプトコミュニティ一般の話だが、これも昔よりは成熟してきたと思う。悪しき通貨自然淘汰される市場原理が働いたというのもあるが、個人の中にも、かつては歯に衣着せぬ物言いオピニオンリーダーになったインフルエンサーが、今ではバランスの良いコメンテーターになったりと、心境の変化なのかポジショントークなのか、変化を感じざるを得ない。日本人垢にも外国人垢にもそんな人は多い。

例えばVitalik氏は、かつては大衆向けに過激なことを吐いていたが、最近難解な理論提示にとどまり過激な使い道を見つけるかどうかは受け手自由ですよ、という我関せずな態度に改まった。

しろ危ないのは、陰謀論界隈や極右派をバックにした米国会議員をはじめとするすでに過激コミュニティが、ビットコインやWeb3に活路を見出そうとしていることだろう。余計なポリコレリスクを抱えると面倒である

Web3ヤーたちはどう生きるか?

このタイトルは煽っているように聞こえるかもしれないが、流行りに乗っただけで煽ること自体は本意ではない。ジブリのあの映画を見た頃、こんなこと考えてたんだなぁと後でエモくなるための筆者なりのギミックなのだ。もし不快な思いをしたクリプトに携わる人や投資家の方がいれば、そこは大目に見ていただきたい。

また、ビットコイナーは Permalink | 記事への反応(0) | 21:52

2023-06-10

チョムスキーによるポストモダン評(1995年

 提唱された「脱構築」については (この当論でも話題になりましたが)、コメントのしようがありません。なぜなら、そのほとんどは、わたしには、ちんぷんかんぷんみえからです。しかしもし、これもまた深遠さを認識する能力わたしに欠如していることを示す表れのひとつに過ぎないのだとしたら、次の指針ははっきりします: その結果をわたしにも理解できるふつう言葉表現し直してください。そして、それがなぜ他の人々が以前から長らくやってきてし続けていることと異なっているのか、より良いのかを示してください。三音節用語や、支離滅裂文章や、誇張したレトリックなんかは(少なくともわたしにとっては)大部分無意味なのですから。そうしたら、わたしの欠陥も治ることでしょう──もっとも、それが治るものならば。

 世の中には、わたし理解していないことも、たくさんあります──たとえば、ニュートリノには質量があるか否かという最新の議論だとか、フェルマーの最終定理最近 (おそらく) 正しいと証明された方法だとか。しかし、この五十年間のゲームからわたしは二つのことを学びました: (1)その分野で仕事をしている友人に訊いて、わたし理解できるレベル説明してもらうことができる。そして彼らも、それほどの困難もなくそれができる。(2)もし自分に興味があるなら、もっと学習を進めて、理解できるようになることができる。さて、デリダラカン、リオタール、クリステヴァら──フーコーでさえ。彼のことは知っているし好きで、他の人々とはちょっと違ったけれど──は、わたしにも理解できないことを書きますしかし、(1)も(2) もできなかったのです。自分理解しているという誰ひとりとしてわたし説明することができず、分からなかったところを克服して勉強を続ける糸口もつかめませんでした。

 とにかくデリダを取り上げましょう、大御所のひとりです。わたしは、少なくとも彼の『グラマトロジー』を理解できるはずだと考えました、そして、読んでみました。少しは分かりました。たとえば、わたし自身よく知っていて何年も前にそれについて書いたことのある古典的文献の批判分析なんかは。哀れな誤読に基づいた、酷い学識だと判りました。そして彼の議論は、以前と変わらず、わたし子どもだった頃から慣れ親しんできたような水準にも及ばないままでした。そうですね、わたしが何かを見落としているのかも知れません: あり得ることです、しかし疑いは残ります。既に書いたように。繰り返しになりますが、証拠抜きのコメント申し訳ありません。でも問われたので、応えているのです。

 この手のカルト(わたしにはそう見えます)の人々のなかには、会ったことのある人もいます: たとえばフーコー (数時間議論もして、出版されています。多くの時間は楽しく対話しました。現実の諸問題について、きちんと理解可能言葉で──彼はフランス語で、わたし英語で)、ラカン(彼には何度か会って、おどけて完全に自覚的ペテン師だと思いました。カルト以前の初期の仕事意味のあるもので、それについては出版したものの中で論じたことがあります)、クリステヴァ(彼女が熱烈な毛沢東主義者だった頃に、少しだけ会ったことがありました)、などです。会ったことのない人もたくさんいます。なぜなら、そういったサークルからとても疎遠なところにいますから。選ぶとしたら、まったく異なる、幅広いところを好みますから──そういったところで、講演に行ったり、インタビューを受けたり、活動に参加したり、毎週のように十通以上長文の手紙を書いたりしていますわたしは、好奇心から、彼らの著作を手に取りました。しかし既に述べた理由から、それほど深入りしませんでした: 大仰に虚勢をはりながら、検証してみれば、大部分は単に無知なだけだと判りました。わたしのよく知っている(なかには、わたしが論じたこともある)文献を異様な誤読して、議論はいつも初歩的な自己反省の欠落したひどいもので、主張の多くは(複雑な饒舌で装飾されていても)当り前か間違っているもので、かなりの部分はまったくちんぷんかんぷんものでした。他の分野で自分理解できなかったところでするように続けると、上に挙げた(1)と(2)に係わるような問題にぶつかります。ですからデリダわたしの言う人々のひとりで、これが深入りしない理由です。

 フーコーの具体的な例のいくつかは (たとえば、18世紀刑罰手法など) は興味深く思います、そして、その正確さを調査するだけの価値がありますしかし、その「理論」というのは、他の多くの人々が何か深遠なものが絡むと装ったりせずシンプル表現したことを、異様に複雑にして膨張させたものしかありません。

 そして事実、どれも分かりきったことばかりです。こういった自明なことが興味深いのは、透けて見えるその原理ではなく、人々にとって重要な具体的な事例でそれ自体がどのように機能するかを示すことです: 介入や攻撃搾取テロ、「自由市場」の詐称、など。こういったことはフーコー著作にはみられません。わたし理解できる文章を書き「理論家」として知識人界に属していないような人々の著作には、たくさんあるのですが。

 そのシンプルで慣れ親しんだ考えから 複雑で思わせぶりなレトリックを剥ぎ取ったら「理論的構築物」という程のものは何もないということです。

 【https://rootless.org/chomsky/postmodern_cults】より

 ついでにチョムスキーによるジジェクラカン

たとえば科学であるとか、何であれまじめにやっている分野でなじみがあるような理論なんてのはジジェク仕事のどこを探したってありはしないのです。こころみに、ジジェクのすべての仕事のなかから結論の引き出せるような原則や、12の子どもに5分で説明できるレベルを超えるような経験的に例証可能命題を見つけ出してごらんなさい。あるいは、けばけばしい言い回しを言い換えることができるかどうか。私にはできません。だから、そういうはったりには興味がないし、ジジェクはそういうはったりの顕著な例だと思います。で、ジャック・ラカンについてですが、彼とはじっさいに知己があったんですよ。彼のことは好きでしたし、ときおり会いもしていました。ただ、率直に言って、彼はまったくのペテン師だったと思いますね。ラカンがしていたことと言えば、テレビカメラの前でポーズを決めることだけ、ですよ。パリ知識人の多くがやっているようにね。それで、なぜこういうはったりが影響力を持つのか。私にはその理由がまったく分かりません。そこには影響力を持ってしかるべき要素はぜんぜんないわけですし。それで、色んな人がそういう「理論」の重要性について私に説明するのですが、やっぱり理解できませんね。まあ、そういう次第なので、ほんとうは理論なんてないのにあるふりをする空疎なはったりには興味はないわけです。

 【http://hblo.blog.shinobi.jp/Entry/2544/】より

2023-03-19

あなたソビエト連邦共産党書記長です。

ペレストロイカを行うにあたり、日本はてなブックマークを導入していますはてなブックマークを推奨する文章共産主義観点からドラフトしてください。

同志たち、

私たち社会主義目的は、労働者階級解放と人々の幸福の実現であることは言うまでもありません。しかし、私たち現在経済的な困難に直面しています。この困難を克服するために、私たち自由市場経済を導入することを検討しています

自由市場経済は、一部の人々の利益のために多くの人々を犠牲にすることがありますしかし、私たち社会主義理念を忘れることはありません。私たちは、市場経済社会主義理念を融合することができる方法模索しています

そこで、私たち日本はてなブックマークを導入することを決定しました。このツールは、情報自由に共有し、多様な意見を受け入れることができます。これによって、私たちは新しいアイデアを発掘し、社会主義理念を維持しながら、効率的市場経済を構築することができます

同志たち、はてなブックマークは、私たちが目指す社会主義理念と、自由市場経済効率性を両立するための貴重なツールです。私たちは、このツール積極的に利用し、社会主義理念を堅持しながら、経済的な困難を克服することができると信じています

私たちは、共産主義理念に基づく新しい社会創造するために、さらなる取り組みを行ってまいります。同志たちのご支援をお願い申し上げます

もっと偉そうに上から目線で、「親愛なる同胞よ!」からはじめて情熱的に書き直してください

親愛なる同胞よ!

私たちは、社会主義理念を堅持しながら、新しいアイデアを発掘し、経済的な困難を克服するために、さらなる努力をする必要があります

私たちは、市場経済社会主義理念を融合する方法模索し続けています。そして、私たち日本はてなブックマークを導入することを決定しました!

はてなブックマークは、情報自由に共有し、多様な意見を受け入れることができます。これによって、私たちは新しいアイデアを発掘し、社会主義理念を維持しながら、効率的市場経済を構築することができます

私たちは、社会主義理念に基づく新しい社会創造するために、まずは私たち自身が変革し、新しいアイデアを取り入れる必要があります

そして、今こそはてなブックマーク活用して、さら革新的アイデアを生み出し、より効率的正義ある社会を実現するために、行動を起こす時が来たのです!

同胞たちよ、私たちは、新しい社会を築くために全力で取り組み、そして、私たちは、みなさんと共に歩んでいきたいと願っています

この闘いに参加し、新しい未来を切り拓くために、はてなブックマーク活用し、共に進んでいきましょう!

2023-01-18

anond:20230118185431

現在非婚化の最大の要因は(ブクマカが言うような貧困とかではなく)社会風潮

結婚恋愛の結果としてするもの」「それができないけど勝負できるスペックを持ってる人はマッチングアプリ

みたいな、どっちにしても競争の風潮が当たり前となっている現代では、スペックに自信のない弱者最初から勝負を降りてしまうので非婚化一直線になる

そういう社会風潮を政策で直接規制することは難しいから、誘導によって間接的にコントロールしていく必要があるんだね

 

いま無職に対して「ハロワ行け」という煽りがなされるのは、ハロワ行けばとりあえず職は見つかるはずだという認識(実際に見つかるかはともかく、そうするのが当然だという風潮)があるからでしょ?

それと同様に、未婚者に対して「ハローマリッジ(仮名)行け」と簡単に煽れるくらいマッチング婚のハードルが低くなれば、よく言えば弱者の受け皿になる、露悪的に言えば「どうせ俺には無理だから」という未婚者の精神的逃げ道をつぶせるようになるわけだ

要するに、一手目としてやることはただの婚活推進かもしれないけど、その長期的な目的は「スペック高い人しか結婚市場に出てはいけないという風潮をつぶす」こと。いわば自由市場においてインフレしすぎた結婚価値を下落させる財政介入ってわけ

 

ちなみにアベノマスクなんかも「布マスク常識化させる」「マスクが売ってねーんだよバカヤローという逃げ道をつぶす」というふうに社会風潮を誘導するという意味で、成果があったかどうかはともかく発想としては間違ってなかったと俺は思ってるよ

2022-12-17

転売ヤーはなぜ絶滅しないのか。商社と何が違うのか

ねほりんぱほりん転売ヤー商社を一緒だと思っている人もいるのでその違いを説明する( https://togetter.com/li/2005585 ) と転売ヤーネタ連続したのに、実態は誰も書いてないので、せっかくなんで書く。

転売の温床になる商品というのは、転売ヤーから商品を買う人がいるからに尽きる。

じゃあ何故そういった事態が発生するのか。そこから考えてみる。

転売ヤー日本国内で買った商品の行き先を整理すると、ほぼこの2つに集約される。

この2つのどちらのルートを通るかは商材によって変わる。もちろん両方通るモノもあるが、ジャンルとしてはあまり多くはない。

そして、どのルート流れるかによって転売事情は大きく違う。

パターンA: メルカリorヤフオク、もしくはAmazonFBAなど、日本国内宛に高価出品

よく「流れてくる水を堰き止めて中間マージンを取ってくる」と呼ばれる流れである

昔で言えば「たまごっち」がそうだし、「ガンダム」「妖怪ウォッチ」「ポケモン」関連、各種トレカなど、アニメ関係はこの流れを通ることが多い。

違法化した「ダフ屋チケット」も一応このパターンに含まれるか。

こういうとき、「転売ヤーが全てを買い占めている」と呼ばれることが多いが、実態は「転売ヤーが多すぎるだけ」になってることが多い。

このとき転売ヤー同士は連携していない。むしろ競合するような状態である

何故そうなるかというと、そこそこの人気商品を「情報商材」としてバラ撒く事で稼ぐ「転売ヤー師匠」みたいなのが増えまくったことが大きい。

結果として例えば、出荷数が1000個、ファン実需が2000個くらいだとしたとき転売ヤー100人がそれぞれ10店舗分予約 = 1000個の転売購入が増える、みたいな事が起きる。

Bot複数予約してる分、転売ヤーの方が入手能力が高く3-4割ほど取っていくので、そこから出品される流れになる。

最終的に最初の出荷を買える人が買えなかった結果として、転売ヤーから買うことになる。

正直これは害悪転売ヤーだと思ってるので、俺はやってない。

対策としては、受注生産完売直後、もしくは発売開始前から発表することで緩和できるが、かなり難易度の高い実需予測第一弾を出荷しないと不満を貯めることになる。

根本的にはとにかく、「情報商材」として狙われないことが肝心だと思っている。

また、このパターンは正直転売ヤーからしても美味しさはあまりない。追加生産そもそも人気予想の失敗など、リスクがそこそこ高いのである。誰も幸せにならないこともある。

パターンB: 定価以上で買い取ってくれるリサイクル業者(古物商)に持ち込み、最終的には海外

このパターンは、ゲーム機(PS5やスイッチ)、スマホなど家電量販店で売られてるものが多い。実はガンダムも一部はこのパターンな時もある。

わかりやすい例が「PS5」だが、定価が6万円ほどのところ、古物商業者が8万円ほどで買い取っていた。

なぜその値段で買い取るのかというと、主に中国では10万円前後流通していたかである

知ってる人は多いと思うが、中国版のゲーム機は有名ソフトはほぼ遊べない。これは中国政府の方針であり、習近平政権である限り変わる見込みはない。

一方、日本版を輸入すればそういった制限無しで遊べる。輸入自体は強く取締しておらず、普通に堂々と売られている。

しかしながら、公式日本版が売れるほど緩いわけではないので、メーカー公式に直接出荷はできない。

結果として、日本ゲーム機供給は、日本需要+中国需要バランスする状況となっているのが今の市場である

「PS5」の場合コロナ禍で更に生産が足りなかったため、日本市場需要すら満たせないのに、巨大な中国市場も纏めて相手するハメになった。

そういった事情なので、例えば、「PS5」が100台の出荷に対し、国内実需が500台、転売ヤー=中国需要100人*10店舗=1000台、みたいな競争率になる。

転売ヤーの手広さ&中国人の資金力の方が強いので、大半の出荷は中国へ流れていってしま事態になってしまった。

また、スイッチ場合中国市場日本市場もそこそこ需要は満たせているので定価前後くらいの相場だったが、

ここ最近円安中国版よりも日本版の方が輸出コストを足しても安くなり、アービトラージ的に利益が出るようにもなった。

円高に振れつつある今は若干定価割れ気味だが。

実は転売ヤーとしての数はこのパターンBが一番多い。なぜならリスクが低い。

古物商が即座に買い取ってくれるので在庫を抱えることはそんなに無い上に、数量が事実上制限で回せるからである

一方メーカー対策するとなると、ひたすら生産供給するしか無い。実需が単に足りないことが根本的な原因だからである

その上で、供給が足りているのであれば、アービトラージされないような両国での値段設定が必要である。でないと輸出に持っていかれてしまう。

また、転売輸出先に直接出荷すべきである。それを政治的事情で避けれないならば、日本経由でも需要を満たさない限り、根本解消は難しい。

転売ヤー商社は何が違うのか

俺の考えだが、「最終購入者転売仕入元にアクセスできたか?」が大事だと思っている。

パターンAの場合転売ヤーから買った人の大半は転売仕入であるメーカーから直接買えたであろう。これは「不適切中間マージン」であり、害悪転売ヤーだと思って良い。

一方パターンBの場合、これは商社とあまり変わらないようにも見える。卸売の仕組みの一部として機能しているのである。少し見方を変えれば、中国爆買い代行軍団とも言える。

また、政治的事情、国同士の法律税金為替の都合で輸出することでアービトラージが出来てしまうのであれば、日本販売価格を値上げするしかない。

しかしながら、日本市場購買力中国購買力には大きい差があるので、値上げはしにくい。両国経済格差がある以上、解決法があまりない難しい問題である

結局どうすれば絶滅するか

それぞれで書いたが、結局のところ、「不適切中間マージンであれば妨害せよ」「為替差を考慮した上で値段設定する」「市場実需を満たせないなら生産せよ」でしかない。

パターンAの対策はなんとかなるようには思う。少なくとも野放しにする必要性はあまりないので、違法化される事もありうるかもしれない。

一方、パターンBは自由市場経済のものの結果なので、格差がある限り解消されることはない。そもそも圧倒的に数が足りない以上、転売ヤーがいなくても解決しないことも多い。

補足とか

どうせ古物商税金の話を無限に書かれそうなので、先に書いておく。

古物商

古物商は、あくまで盗品の市場流通防止であるパターンA,B共に元店舗で買う以上盗品の余地はなく、古物ではないので引っかからない。

ヤフオクブックオフ等で新品で出品されたものを買う場合古物商許可必要転売ヤーは盗品触る気無いんだろうから、全員持っとけ。欠格してる奴は知らん。

実態として、まともな転売ヤー古物商周りで逮捕された事案はない。

税金

所得税ちゃんと払おうね。事業所得でも雑所得でもなんでもいい。脱税してる奴が多い。

詐欺

店舗が「転売意思がある場合販売しない」を明確にした場合に引っかかる。が、「買うとき転売する気がなかったが、後で不要となったので売った」は合法となる。

まり購入時点で転売意思証拠として要求されるため、立件は結構大変。逆に言えば無在庫転売みたいなのは証拠になるから転売ヤーとしても不適切。(購入代行として言い逃れする人もいるだろうが)

ただ、明確に提示されることがほぼ無いこと、そもそもこの手段詐欺立件できた事案はほぼ0なので、今は現実的ではない。ダフ屋法の延長でパターンAを違法化するのが限界だろう。

(電柱にビラ貼るような闇金業者が、客を携帯ショップに連れて行って、スマホを割賦購入させ購入額のn割で買取することで擬似的に高利借金させた事案を、上記理屈逮捕した例はある)

ついでにおまけ

PS5はクリスマス需要に合わせて今ものすごい量が出荷されている。買いたい人は今のうちに買え。

転売相場は2万近く下がったので回る人も少ないが、年始には在庫また減ると思うので、遊ぶために買うのは今のうち。

2022-11-06

ダイソーシールヤマザキ春のパンまつりシールを交換するマッチングサービスが欲しい

でもパンまつりシールの方が需要多そう。

自由市場でレート決定できるようにしたらどうなるだろう。

3.7ダイソーで1パンまつりくらいだと予想している。

2022-10-15

中立」「客観批判論についてメモ

はてなブックマークTwitterなどで、「中立」「客観」と言った態度について批判的に論じるものをたびたび見かける。特に差別政治など、権力闘争の類で非対称性存在するときによく使われるイメージがある。それらについて私なりに論点を整理してまとめ、コメントしようと思う。これらの論に親和的な人も、逆に批判的な人も読んでほしい。

前段

まず、当たり前の話なのだが、何かを批判するときは通常複数論点から批判できる。

例えば、社会民主主義新自由主義立場からすれば「市場政府権力によってゆがめられ、効率的資源分配が出来ない上に政府権力が不健全に増大する」と批判できるし、共産主義立場からすれば「結局彼らは資本主義自由市場と言った搾取を『多少マシ』にしている程度であって、本質的解決には役に立っていない。どころか、革命に向かう人々を減らすという点で有害ですらある」と批判できる。

これを見て、もし社民主義者の人が「アンチ社民主義者は矛盾している。市場原理主義みたいなことを言いながら、資本主義否定している。彼らは矛盾している」と言うのがおかしいというのは分かるはずだ。あるいは、「新自由主義者は社民主義批判している。これは共産主義者と同じだ。よって新自由主義者は共産主義者なんだ」もおかしいとわかるだろう。

インターネットではそれぞれの発言発言主が結びつかず、なんとなく「自分の考えを非難する人」を全部同じカテゴリに放り込む処理をしてしまいがちだ。(なお、話をややこしくするのは本当に矛盾した意見を言うやつも一定存在することだ)

そんなわけで、いわゆる「中立」「客観批判者は皆「お気持ち」(ここでは、自分の快不快問題シームレス社会的問題につなげて、自分感情社会が従うべきだ的な発想を持っている人)の人たちだ、という雑な世界観を持っている人も多いが、ここで「中立」「客観批判理屈に触れて、「なるほど、こいつらはこういう理由でそういっているんだな。(自分賛同できないにしても)まあ理屈は分かるな」と思ってくれれば幸いである。

論点①「自分(あるいは自分が参考にしている幾人かの人間/幾つかの媒体などなど)こそが『中立』だと思い込んでしまうと、本来価値判断問題にすべきことも『中立』『客観』的な事実だと思い込んでしまい、異なる価値観を受け入れられなくなってしまう」

これは厳密には『中立』『客観』を否定していない。どころか、不徹底な『中立』『客観』を批判し、本物の『中立』『客観』を目指そうとする方向性も見受けられる。

実際問題はてなTwitterでは、『中立』『客観』(それからこれと似ている『是々非々』など)を「右」と「左」(あるいは任意対立する二大勢力)のどちらも全肯定/全否定しないことだと思っている感じがする人が複数見受けられる。まあ確かに、「右」のいう事を全肯定/全否定、とか、「左」のいう事を全肯定/全否定すると最初から決めてかかるのは紛れもなく党派的な姿勢であり、中立的でも客観的でもない。しかし、そもそも「右」がどうとか「左」がどうとか党派性を意識し、この二者のいう事には従わないぞ!みたいに決めてかかっているのは、全く同じではなかろうか。ようは、「中道」という第三の党派に過ぎない。そうではなく、中立客観というもの自分完璧に到達できないのだという事を自覚し、他人中立である客観であるかは究極的にはジャッジできない(もちろん明らかにこいつ主観的に過ぎるやろみたいな人はいるけど、そう思っている私の方がおかし可能性は否定できない)という事を踏まえなければ、「中立」「客観」という言葉は単なる党派性の御旗にしかならない。

これは実のところ、「正義暴走」論とよく似ている話だ。正義暴走非難する人は正義が嫌いなのではなく(まあそういう人もいるが)正義のために正義暴走は抑止した方がいいという話をしている。正義暴走とは、やっている本人たちが勝手正義と思っているだけで、実際には悪である、というロジックだ。同じように、「中立」「客観」の濫用非難する人が「中立」「客観」を否定していないのも当たり前の話だ。彼らが否定しているのは「中立」「客観」を装った「党派性」「主観」だからだ。(面白いのが、「正義暴走」論を持ち出す人の多くは「中立」「客観」の濫用問題を考えず、「中立」「客観」を批判する人は「正義暴走」論を持ち出されると不満を表出することが多い事である。両者はほぼ同じことを言っているのだが)

まあ、つまりこの批判は「お前は自分客観的と思ってるかもしれないけど本当は違う(かも)しれないぞ!」というものである個人に向けるとき喧嘩する気がなければ使わない方がいいとは思うが、一般論としては(特にわたしのような『中立』『客観』が大好きな人間ほど)よく頭に刻んでおいた方がいいと思う。

論点②「悪しき権力側とそれに追い詰められる少数の被害者、そして大多数の傍観者/加害者という構図がある。大多数の傍観者/加害者は少数の被害者実態についてよく知らない上に、被害者傍観者/加害者の無遠慮な発言に対して過敏な状態にある。そんな状態で彼らが彼らの持っている知識を総動員して(きちんと)『中立』『客観』的に論じてしまったら被害者が傷ついてしまうし、被害者が声を上げることが抑止されてしまう。他のことならばよく知らずに論じることは無益ではあってもさほど有害ではないが、差別構造についてマジョリティ側が無知であるにもかかわらず論じることは有害である。もしそれについて論じたいならば必ず加害者非難し、被害者非難につながるような事実を示すことは(ダメとまでは言わないけど)避けなければならない」

こちらは、『中立』『客観』的な態度を、ある一分野のみについてとはいえ明確に否定している(と私は思う)ので、論点①とは様子が違う。

まあ言っている事は正直分からなくもない。この手の人たちが良く比喩として使うように、「足で踏んでいる人と踏まれている人」の間で『中立』『客観』的な議論を成立させろ、というのは無茶である差別されている人と、その差別をたとえ直接はしてはいなくても差別によって得られる利益を(その自覚なしに)享受している人の関係は、「足で踏んでいる人と踏まれている人」のそれよりはるかに複雑で見えづらいものがあるが、似たような関係であるという事は、その是非は別として、可能ではあると思う。なので、倫理的個人差別問題について論じるときはその辺に気を付けて論じてもよい、論じた方が好ましいくらいのことは私も思う。

しかし、この考えを強い規範として言論空間に導入することに対しては私は警戒心を抱く。

「誰が加害者か」「誰が被害者か」「どこからどこまでが『差別問題』か」「どんな事実を適示すればそれが『被害者非難をあおっている』と言えるか」

これらをみんなが納得いくように定めるのは非常に難しい。間違った基準を定めてしまえば、例えば本来被害者である人たちを「加害者」として力づくで非難する事や、本来加害者である人たちの罪悪を「被害者」として覆い隠すこともありうる。「被害者」「加害者」の推定が正しかろうと、「被害者非難をあおっていると言える事実」と認定されたものがもし違えば、その事実公論上での扱いが不当に小さくなりかねない。差別発言自体言論の自由で守る価値はまったくないのだが、論点②の批判が拡大すると差別発言以外も巻き添えになるリスクがとんでもなく大きくなりそうであるそもそも一国の言論空間なんて政治勢力も右から左からワラワラ湧いてくる場所なんだから、うかつに基準を厳しくしたら、その基準が「万人」でも「マイノリティ」でもなく「特定政治権力」の都合の良いようになってしま可能性もある。一方で、剥き出しの、それこそ差別主義者やデマもなんでもござれの「言論の自由」が良いとも思えないし、「中立」を装って攻撃を誘発する人たちを何とかしたいという気持ちはあるので複雑なところである

(ちなみに、個人としてこの観点から批判すること自体はどんどんやったらいい。問題なのはこの考えが強い規範になることである

論点③「『中立』『客観』的な論は不快だ。私の不快になる主張をする権利はない。私が嫌だから黙れ」

①②は曲がりなりにも論として成立しているが、③は論外である。これこそが「お気持ちである

これについて論じることは特にない。まあしいて言うならば、「個人的な感情の表明」自体は何ら悪ではないという事は付け加えておきたい。こういう風に、自分感情だけで他人を思うままに動かす権利自分にあると思っている人をまともに相手する必要がないというだけである

全体的な感想

①②③それぞれ、言う層が全然違ってくるということがイメージできるだろうか。

①は、左右問わずおそらくそれなりに頭のいい人、論理的思考好きな人が言うと思う。(ただし、論理的思考好きな人は左に行きやすいので、左が多い気はする)

②は、明確に左の中でも主張が強めの人が言うだろう。(なお、加害者被害者構造を、中国日本あたりにすれば、右の主張強めの人たちも似たようなことを言っている)ここで重要なのは、彼らの主張は我々と大きく違うが、別に彼らは頭がいいわけでも悪いわけでもない。どちらかと言えば頭のいい人が多いと思う。

③の人は、多分単純に頭が悪い。左にも右にも真ん中にもこういう馬鹿は沢山いる。ただし、バカの中でもわざわざ自分バカですとアピールしたがるインセンティブが強いのは右左の中でも過激な人たちだろう。

お気持ちサヨクバカ」みたいなことを言う人たちは、多分①②の理屈で「中立」「客観」を批判している人に左翼が多いという事と、③の人たちにバカが多い事を混同して、左翼お気持ちバカみたいな図式を作り上げているのではないかと思う。あと、「お気持ちサヨクバカ」と言った同じ口で「リベラル(おそらくこの人はリベラルサヨクをほぼ同義として使っているはず)は啓蒙思想押し付けている」みたいなことを言っている人もいた。確かに②は啓蒙思想押し付けダメな部分全開という感じで、③はバカである。たぶん構造としては②が③の人たちを率いて暴れまわっているという感じではなかろうか。まあそんな感じで、「中立」「客観」大好きな人たちも、③は論外として①②の理屈普通にそれなりに通っているっていうことをちゃん意識しよう。(まあ意識できてる人もいるだろうけど)

2022-08-15

共感にあらがえ - 内田樹の研究室を読んで

これは、いろいろと考えさせられるいい文章だと思った。永井陽右という青年を振り回すかのように語る内田樹。こういうマウントは嫌いじゃない。

ただ、内田が、

感情の器」って、あくまでも個人的身体条件のようなものから

というとき、何か逃げた回答のような印象を受けた。

たとえそれが自分の中から湧き出す内発的なものだとしても、大昔にアダム・スミス道徳感情論で追求したように、何かのテコで共鳴し、社会規範構成するに至るメカニズムが何かしらあるんだろうと俺には思えてならない。

そういう感覚を身に着けるのにどうすればいいかと問うた永井氏に、家風だとか、弟子入りだとか、そんな表現内田氏がするのは、けむに巻いているようにしか思えなかった。

家風にしても弟子入りにしても、そのつながり方が、社会規範にむすびつくメカニズムがあるはずだ。

アレックス・カー20年前に書いた本で『犬と鬼』という著作がある。

おりしも建設省代表される特別会計の闇が浮き彫りになった時代

アメリカの7倍のコンクリートを使って日本山河コンクリートで固めようとしていた、公共事業のあり方に疑問を呈した名著。

その『犬と鬼』のなかでカーは、そんな日本に至った問題を解明するヒントは「徳の逆説」にあるという。

「徳の逆説」というのは、国家も人も同様に、自分たちに最も欠けている資質を最も高く評価する傾向があるという、カーが常々思っている真理を彼なりに名付けたものだ。


A・カーは、フェアプレイ精神といいつつ、七つの海を支配した大英帝国の事例、平等を錦の御旗にしていた共産主義者トップ黒海に豪奢な別荘を保有し、人民実質的農奴と変わらない生活だったというソ連の例などを挙げつつ、最後に、和を貴ぶ日本人がなぜ明治開国後、対外侵略に夢中になったかという精神性に触れてゆく。

「徳の逆説」は、身近なところでも当てはまる。口うるさい親や上司説教ブーメランに思えてならない、という経験は誰もがしているはず。そして気が付くと俺も親父と同じことを子供に、という連鎖

最近、想起するのはやはり旧統一教会家族価値を高らかに謳いあげておきながら、その活動が原因で多くの家族崩壊している、といった、「おまゆう問題崩壊させているがゆえにますます高まる家庭の価値、という悪循環。これもA・カーのいう「徳の逆説」が見事に当てはまる。これは人が自分自身を規律しようとするとき動機付けメカニズムなのだ

内田永井議論テーマひとつである人権平等。あたか普遍的原理についても、

それを概念として具体化して社会が取り込んだ過程を決して忘れてはならない。

アメリカ建国者の一人、トーマスジェファーソン人権宣言を起草した当時、200人以上も奴隷を抱えていた。

これは矛盾というよりも、むしろ奴隷制にどっぷりと漬かっていたからこそ人権宣言が生まれたという「徳の逆説」のメカニズムを見るべきだろう。

どんなに薄汚れた社会であっても、一度高らかに掲げた理想は、その社会を真綿で絞めてゆく。欲望大全開の人民を前提にすると、民主政は成り立つのか。多数決をすれば少数者が圧政に苦しむのではないか、これがマディソン含め、建国者懸念だった。しかし、為政者の徳(アリストクラシー)と、欲望とは別に社会で正しいと思うことに投票する、二重人格的な資質人民に備わっていると信じて建国者デモクラシー設計した。裁判を通じ、繰り返し憲法価値観をテストする、という振り返りをビルトインした設計は本当に優れたものだ。結果として、最高裁が突き付けた奴隷制と財産権矛盾が、南北戦争北軍正当性を決定的にする。

内田議論に戻ると、外付けの人権というテーマと同時に、内発的なものとしての感情の器という、とても重要キーワードを出している。それは他方で外付け実装された人権と、どのような整理ができるのだろうか。

自分でうまく整理がつかなかった。内田はいう。

「人としてどうふるまうべきか」を子どもに刷り込むのは「家風」なんですよ。子どもたちは親の背中を見て、人間としての生き方を学ぶ。それは教科書で教えることじゃない。

これは、親子を中心とした自分史と言い換えられるのではないかと思った。さらにいえば、自分史は必ずしも親は関係いかもしれないのではないか。つまりこれまでの人生、来し方がキーなのでは。

内発的なものと外付けのもの、この二つはやはり、きちんと切り分けて、そして二つが、どうつながってゆくのか。以下、自分なりに整理を試みる。

まず外付けの倫理から。どのように受容されてきたか

舶来の概念というのは明治以来、洪水のように入った。民法など契約法の世界は、ほぼほぼ圧倒されたし、戦後憲法のものアメリカ経験に基づいたものだ。

しかし、日本人権教育は、残念なことに、人権普遍性を論証することに熱を上げてしまって、そもそも誰の内発的な経験がもとになっていたかという成り立ちのメカニズムを忘れた議論が多い。公共の福祉論などをいくら学説定義を整理してきれいに論じても、だから何?の議論だった。

戦後人権を外付け実装してきた日本は、そのルール規範の成り立ちといった背景をもう少し知る必要がある。それは教養として。

現在、旧統一教会問題話題の、国家宗教というテーマにしてもそうだ。

政教分離キーワードとなるのは、恐怖から解放だ。宗教に悩まされ、その扱いに苦慮するのは古今東西課題だ。宗教いかに折り合いをつけた制度設計をするか、古代ローマ時代からずっと抱えてきた。宗教的寛容、これが統治のカギだと気が付いたのはカルタゴ勝利した古代ローマ

そのテーマに対して、新天地アメリカに到着したプロテスタントたちの子孫が18世紀になってメイフラワー号の協約を思い出して試みたのは、旧世界では試みたことのない壮大な社会実験だった。百家争鳴な多様性のなかで社会構成するには、誰が正しいことを言っているのかは誰も断定できない、という前提に立つ必要再確認された。それが言論の自由関係では、20世紀初頭にホームズ裁判官らに代表されるように、自由市場比喩が生まれる背景ともなった。

他方、旧世界フランスでは、唯一の正しさを神に代わって宣言するカトリック教会権威苛烈弾圧が恐怖であった。だから公共空間合理化を徹底し、宗教を一掃する制度設計になった。フランス言論の自由は、その意味カトリック否定する権利が原点となる経験なのだ。だからこそ、フランスでは今でも神を冒涜する言論というのが非常に重要意味をもっていて、先日、仏風刺紙シャルリー編集長が英作家ラシュディ氏襲撃を非難したこと歴史的な背景は深い。

このように、人権というものは、何に対して恐怖してきた歴史があり、生まれてきたものなのか、という原点に思いを致すことが大切だし考えるコツだ。利他性じゃなくね。

それは、実は国によって微妙コンテクストが異なるものであり、普遍的価値として昇華できなくもないけれども、むしろ司法を通じて、原点となった恐怖を大切に思い出す機会が重要で、その社会が、その真理を繰り返し確信し、制度を強化し、再生産する重要な仕組みなのだと思う。逆に言うと、普遍的価値なら、なぜ何千年も克服できなかったか意味を問うというか。

しかし、外付けの倫理として受け取ったものを、思い出すかのように歴史を振り返るのは容易ではない。戦後日本裁判所も含めて。

でも、それこそが日本人権教育に欠如したものだということは個人的には強く思うところだ。


その意味では、外付けではない、外国の借り物ではない、内発的なもの感情の器からみえてくる倫理、これは本当に大きな価値がある。

内発的なものを自省するうえで、もっとも大切なのは自分の国や自分家族自分自身の歴史だと俺は思う。

自分自分先祖が痛い目にあってきた経験、あるいは他者を痛めにあわせてきた経験というのは、その人固有のものであって、その自分史や国の歴史を忘れてしまうと、あとは外付けの倫理けが残る。国レベルで言えば、それは端的に明治以降の日本アジア欧米との対外関係であり、開国以降、アメリカに敗北するまでの戦争に明け暮れた体験に他ならないし、国家神道によって死生観まで国に洗脳されかけた手痛い経験だ。

歴史というと大げさだが、要するに「自分たちに最も欠けている資質を最も高く評価する」、おまゆう精神自覚することだ。これは教養として学ぶというよりも、もう少し内省的なものだと思う。

自分理想とするもの現実とのギャップを振り返る作業といってもいい。

自分に欠けている部分、そこにこそ追い求めている何か理想的な姿の反転がある、という振り返り。

ネイションとしていえば、戦争体験の振り返りが重要キーになるし、国家宗教というのは、国家神道と戦争という経験で痛い目をみているのであり、ある意味、輸入された欧米経験教養として追体験するだけではなく、日本人が原体験としてもっていた大切な教訓。愛媛県靖国神社玉串料訴訟(1997年)の最高裁判決行政戦没者の遺族の援護行政のために靖国神社などに対し玉串料支出したこと違憲とした歴史的判決で、戦争経験がしっかり振り返えられた、という点で、司法仕事としてとても大きなものを残したと思う。建国精神を振り返るのが裁判所の仕事の一つだと思う。

しかし、戦後77年。戦争体験が風化するなかで、「あの時代を生き抜いた」という共通体験共通項として持っていたものがどんどん失われているのが今の時代

50年前の高度成長期だったら、戦争で死んだ部下を思い出しながら、仕事にまい進し、酒場で同期の仲間と語り合う、とか、厳粛に生きるための厳粛な死が記憶としてあった。

「あの頃は」という共通過去で人はつながることができた。それが内発的なものとして60年安保闘争を支え、水俣闘争があった。外付けの倫理ではない、思い出としての切実さの空気の共有があった。

まり、舶来の外付けの価値観と内発的な器は、その頃はわりと調和していた、といえるのだ。

それが、失われ、外付けの価値観だけがカラカラと空回りし始めているのが今の時代の特徴で、失われつつある寛容性の正体なのだろう。

永井氏はそんな時代に生まれ育った。彼は対談のなかで、大学時代

「そうかそうか、人権というものがあるのか、みんな賛同してるし普遍性高いじゃん」となりました。

と、外付けの人権から始まったと語っているが、外付けのものにも普遍性のみに着目し、それが生まれてきたプロセスを振り返らない、人権教育の失敗が見て取れる。

また、日本憲法に組み込まれ歴史への反省(前文含め)も記憶の風化とともに、個々人の内省が、時代への共鳴という形で、共感を醸成しなくなってしまっている。

高度成長期に「あの頃」といえば戦争時代だった。

それはかろうじて80年代までは存在していた。「おしん」が異例の1年間の朝ドラで始まってしばらくすると、

視聴者からは、おしん私自身そのものです、という声が橋田壽賀子のもとに多数届いたという。

しかし、時代は変わって、平成から令和になって「あの頃」といえば、昭和の末期なのだ

しかもそれをノスタルジックに思い出す、三丁目の夕日的な振り返りだった。さらには、あさま山荘であり、学歴社会バイクを盗んで走る尾崎豊であり、バブルの思い出なのだ。それは、その遺産に苦しんだ次の世代にとっては共感を呼びにくいものであるし、自分たちの社会の重圧と、戦争記憶との関連が薄まった。当然、日本憲法リアリティが失われ、右派から改憲論議が盛り上がってくるのは必然的なことだった。そんななか、統一教会が国の内部を白アリのように巣くって愕然とした先月から今月にかけての出来事というのは、忘れかけた宗教国家の結びつきの恐ろしさを、突如呼び覚まされるものだったに違いない。

しかし、いずれにしても過去記憶憲法規範が直接に結び付かない、その世代経験、そこに、永井紛争国の辺境の地を自分テーマに選んだヒントがあるように思えてならない。

紛争リアルがそこにある。そこに普遍的価値として大学生ときに知った人権、そして憲法価値を、自分なりの振り返りとして再確認する、動機付けがあったようにも思う。

しかし、たとえ社会の人々と共有されないものであったとしても、ひとは自分史のなかで、どうふるまうべきかを動機付けられる。

永井氏が、内田氏との対話のなかで

私は逆に、子どもの頃はよく母親に殴られたり色々と物を捨てられたりされていて、そのときに「この家では力を持った奴は殴ったり物を捨てたりしていいんだな」と思ってしまったんです。そして中学生になって殴られたときに「よく見たら小さいし別に喧嘩が強いわけでもないな」ということに気が付きまして。それでそこから自分母親のことを殴りまくるようになりました。ひどい時はアザだらけでしたよね。父親単身赴任でしたし。

といったときに、内田はそこにしっかりと気が付くべきだったと思う。

全然人権派じゃないね(笑)。」と返した内田に若干物足りなさを感じたのは、まさにそこだ。

動機付けられるものが、必ずしも、家風であったり、模範的ロールモデルとは限らないのだ。

この体験辺境の地での人権探し、自分探しは、多分無関係ではない。


ともあれアレックス・カー面白い

読んだのは20年前だが、年齢を重ねれば重ねるほど、彼のいう、逆徳精神の考え方が真理に思えてくる。

A clue to the problem may be found in what I call the theory of Opposite Virtues. Nations, like people in this respect, may pride themselves most highly on the quality they most lack. Hence “fair play” is a golden virtue in Great Britain, the country that attacked and subjugated half the globe. “Equality” was the banner of Soviet Russia, where commissars owned lavish dachas on the Black Sea and the proletariat lived no better than serfs. The United States prides itself on its high “moral standard,” while perpetuating racial and moral double standards. And then there is l’amour in France, a nation of cold-blooded rationalists. Or Canadians priding themselves most on being so distinctively “Canadian.” In Japan we must look at the time-honored ideal of Wa, “peace.” Wa means security, stability, everything in its proper place, “knowing what is enough.”Yet a persistent irony of Japanese history since 1868 is that for all the emphasis on peace and harmony, they are exactly the virtues that Japan did not pursue. At the end of the nineteenth century, rather than settling back to enjoy its new prosperity, Japan embarked on a campaign to conquer and colonize its neighbors. By the 1930s, it had already acquired a tremendous empire in East Asia; this inability to stop led to its suicidal attack on the U.S. base at Pearl Harbor, as a result of which it lost everything. Something similar is happening again. Perhaps Japan values Wa so highly for the very reason that it has such a strong tendency toward imbalance and uncontrollable extremes.

Dogs and Demons, 2002, A

2022-08-05

anond:20220805003819

恋愛工学って3人ぐらいが言ってるけど、行動経済学なのでは?

自由恋愛市場恋愛自由市場?)で男性女性恋人として受け入れられることをゴールにして

男性類型女性類型分析して、年齢などの定量を設定して

容姿という分類で服装とか身だしなみ項目が一定品質に持っていけてるか?

どういう場面で男は女はどういう心境にあり、それに対応するのか?という。

 

これが社会主義統治国だったら、地位組織の頂点に近付けば近づくほどどちらの性ももてはやされるわけでしょ。

2022-07-05

anond:20220704214552

表現への法規制なんか女性はしてないです。なんなら男性向けよりエグいエロBLを電子書籍同人誌で買いまくってますよ。

ただ表で見ることはしてないだけ、そして常識的社会人として、後世のためにも

不快広告をとりさげなければ不買するっていう通常のプロ消費者としての行動をしているだけですよ。

 

作者が性犯罪した漫画を中断したのも、編集部経営判断ですよね。自由市場大事ですよね。

この情報社会契約手綱をつけないエロ絵師を野放しにしたほうがいいと炎上させ将来を無料で食いつぶしたがる表現乞食のほうがよほど「規制」だか圧迫だかしてます

 

法的規制をいうのであればむしろ男性側の都合できめた175条(毛の有無ごとき判断する)なんか本っ当にくだらないか撤廃してほしいですけど、なぜかこの「自称法曹」さんはその話は全然俎上にのせないんですよね。きもちわる。

リベンジポルノ規制法とか中絶サイン不要とかピル配布生理用品配布によって現に女性がこうむっている差別への対策を強化してくれっていってるんですが。

2022-07-04

anond:20220704150243

君が必死になってしがみついてる「自由市場における表現の自由とは」みたいな話だけど

弁護士様や議員連盟引っ張り出して、興行主やらなんやらに「公共」を理由ケチつけるのが「単なる批判」なんだから

基本的人権において表現の自由保障されてるという戯言で、そういう連中を揶揄するのも「表現の自由市場における単なる批判」じゃないかね?

2022-06-19

anond:20220619082558

なんでそういう高級婚活アプリを例に出すん?

こっちが話してるのはペアーズやomiaiといった誰でも登録できる完全自由市場アプリの話をしてるんだけど。

2022-05-16

表現の自由戦士て本当に馬鹿だよね

まず表現の自由戦士って呼称文句をつける馬鹿

表現の自由価値を認めないのかー!!1!!」とか言ってるけど、表現の自由でないもの表現の自由だと言ってるから馬鹿にされてることもわかってない。

次に表現規制の使い方がおかしい。表現規制公的強制力を伴う物を指すのに、一民間人批評批判することを表現規制と言うとか本当に馬鹿でしょ。

「そんな定義は古い今は民間人でも表現規制できるんだー!1!」みたいな事言う馬鹿もいるけど、200年前のトクヴィル時代(より正確にはフランス革命時代かな?)に中間団体はむしろ自由を抑圧する物だと観念されてたの。だから、より古いのはどちらかね?

まあ、Twitterなどの巨大プラットホームの影響力が強いので、それが力を持ちすぎるのは表現の自由一定問題が生じるという議論可能だけど、表現規制問題としてとらえるのはどちらかといえば欧州あたりの法感覚なんじゃないかな?

で、頭の悪い表現の自由戦士がひねりだしたのが、「純粋批判批評表現の自由のうちだが、運動は違う」みたいな馬鹿意見

政治的言論商業言論を考えれば、純粋言論表現運動の違いなど区別できないと分かるよね?それに、表現の自由価値自己実現しろ自己統治しろ、それは運動という側面もあることを考えると、そもそも表現の自由をまったく分かってないとでない発想なんじゃないかな?

次にひねりだすのが「作品特別保護必要なんだ!」とかいう愚論。まあ、「価値観の自由市場」とか言う面白ワードググるとそういう事言う人いて、いとワロスだよ。

そもそも言論自由でも、経済的言論自由はその価値が低い、というのは表現規制する時のハードルの高さの問題にすぎないので、価値が低い言論から表現規制になるとか本当意味不明

なんで作品特別保護される存在なのか、そしてそれに対する批判批評表現規制になるかまったく論証できてない。

表現の自由戦士お気持ちなんか根拠にならないよ?

てか、いい加減、表現規制を求めてないのを「表現規制派」とか言うのやめてくれない?事実に基づかないデマと言われてもしかたないよ。

つーかさ、表現の自由問題になると、表現規制区別もできてないよね?例えば、ある表現テロでもって抑圧しようというのは民間人でもできるけど、それは表現の自由問題にはなるけど表現規制にはならないって分かるよね?

しかし、民間人批評批判表現規制なら、強制力を持たない行政指導コンビニエロ本が無くなった事をたいして問題視しないのはなんで?実際コンビニからエロ本消えたよ。君らがオタクコンテンツ広告だけに血道をあげるのに、本当不思議だね。

フェミ」なり「リベラル」の批評批判は何年前のでも挙げるのに。本当は表現の自由とかどうでもよくてアンチフェミニズムやアンチリベラルしたいだけなんじゃない?

2022-04-02

新電力中の人です。CMが明けました

https://anond.hatelabo.jp/20220401000918

つづきだよ。

id:tsunblr ENEOS東京ガス?

正解だね。早めに当ててる人がいてびっくりしたね。電力事業単体だとどうかは知らないけど、燃料売ってる側のこの二社は業績が上向いてるね。ちょっと意地悪だったかもしれないね

id:wakwak_koba 東電発電所を新設したがらない理由がよく分かった。電気が余ると損をして、むしろ足りない方がスポット価格が高騰して儲かるんだね。つまり電力自由化とは東電救済だったわけだ(ほんと役人は頭がいいなぁ

id:takanq 電力会社JEPX意図的に売電を絞っているのでは? という指摘があるのよね。"「新電力」の自業自得なのか?卸価格“超”高騰で露見した「いまだに未成熟日本電力市場課題"https://www.businessinsider.jp/post-229526

id:mangakoji 電力会社は、発電量を絞ると儲かる、危ないシステムなんだな。こりゃ日本電気自動車インフラが進むわけないわ。

旧一電も大変だよ。東電は410億円の赤字だよ。

旧一電も業界もわざと発電を絞ってるわけじゃないんだよね。発電量=発電所収入だけど、再エネ発電所が増えれば火力発電所の稼働量は減るよね。コスト回収がどんどん大変になるから火力発電所廃止インセンティブ高まるね。でも最低限の余力は残しておかないと大規模停電起きちゃうかもしれないから高コスト発電所はある程度残しておかないといけないね。ただでさえ3.11以降は原発も止まっちゃったか供給力の余剰は最近減ってるよね。

太陽光発電なんかも最近増えてるけど、天候に発電量が左右されるのでどうしても発電量が不安定なっちゃうね。緊急時発電所動かせって言われてもどたばたしちゃうよね。LNGは高いから発電コスト上がるね。最近石炭火力はCO2排出量高いから嫌われてるね。

あと、一番大事なのは電気は「余っても駄目」なんだよね。発電量は周波数に影響を与えるので、足りなければ周波数の50/60Hzを下回るし、余ると上回る。周波数の変動を放置したら色々大変なことになるから日本全国で家電故障するね)、電力系統需要供給を大幅に上回ると安全のために電力供給自体遮断するよね。これがブラックアウト、大規模停電という現象で、直近だと北海道全体で停電したやつだね。

なので、電気が余ると損をするから絞ってるんじゃなくて、そもそも余って良いような仕組みじゃないんだね。発電側は発電側で大変なんだよね。

id:Guro これさあ。自由化が進めば進むほど需要予測と調整が難しくなるよなあ。やっぱ自由化は愚だろう。

安定供給の点ではその通りだけど、脱炭素原発文脈だと「旧一電に現状改善インセンティブは少ないので自由化必要」という回答はありえると思うね。ここは人によって主張が違うところだね。私は関係者なのでどうしてもポジショントークになるから私自身の意見は控えるけど、一理あると思ったよ。

id:gimonfu_usr 自由化にともなうコスト引下圧が原発施設安全維持の余力を削ったのですよ。自然を舐めてた「甘え」はあったろうが方向が違う

因果関係としてはたしかにそうかもね(特別高圧や高圧は3.11前に小売自由化が進んでいたよ)。ただ、それは「お金に困ったか強盗殺人やっていいのか」って話に近くて、コスト理由原発安全維持を疎かにするのは一線越えちゃってるんじゃないかな。

id:azzr 高騰時に停電させる契約にするとか、消費者への売価に転嫁するとかしかないと思うけど、無理なの?

断言はできないけど「高騰時に停電」は多分無理じゃないかな。供給は送配電事業者がおこなうので、新電力特定供給地点の供給を止めるよう指示できる仕組みにはなってないね追記:「今の契約」では。技術的に不可能ではないかもしれないけど、旧一電側の協力が必須)。色んな人に突っ込まれはてな電力と増田電力の話はその辺のことを言いたかったんだけど、わかりづらかったね、ごめんね。あと、そこはインフラとしてやっちゃ駄目でしょう、という議論はあるよね。

消費者への売価に転嫁する」これはいい視点だね。これをやったのが市場連動型プランで、21年の高騰時に月の支払いが数倍とか十数倍になってめちゃくちゃ揉めたやつだね。あれで新電力炎上したのでその方向はリスクが高いということになり、選択肢は実質なくなったと言っても過言ではないね。あと、そもそも高騰時に価格上がるなら規模の経済で旧一電にはほぼ確実に負けるね。

id:cinefuk リスクヘッジさえ担えないならば、単なる転売屋しかない

からこのブコメクリティカル批判だと思うね。自由市場で旧一電から客奪って戦ってんのは新電力なんだから価格設定で新電力文句を言うのは筋違いではあるね。

id:lifefucker さや取りビジネスだと思うけどなんの付加価値あんの?

シンプルなのは価格だね。新電力は送配電でフリーライドできるので(託送料金は払うけど)、一般的に旧一電より安いね

それ以外だと、他のサービスと同じ会社にして支払い一本化とか(東ガスとかのガス会社系、auでんきやソフトバンクでんき)、別業種の付帯サービスとか(楽天ポイントたまる楽天でんき)はあるね。Looopでんきは自社のソーラーパネル蓄電池ペアで使うと割引が適用されたりもするね。

id:pwatermark そこで「発電もやる」ことでリスクを抑えるみたいな考え方もあるわけだ 民間発電の市場が活発化することで、クリーンエネルギーや脱炭素場合によっては原子力とか、発電の選択肢が増える まあ絵に描いた餅だけどね

いい話題を振ってくれて嬉しいね。電力系統からの電力供給を前提にするからこういう話になるのであって、経産省は「再エネを中心とした小~中規模の地域発電所もっとたくさん作って、エネルギー地産地消しよう」っていう分散エネルギー構想を最近打ち出してるよ。「マイクログリッド」でググってみると面白いかもね。

https://www.meti.go.jp/shingikai/energy_environment/energy_resource/pdf/015_s01_00.pdf

id:sin20xx 日本根本が間違ってたんだよ。そもそも太陽光などの発電した電力を高く買う意味はなくて、その電力をむしろ安めに買って、さらに余剰分も全部買ってしまって、それにより揚水式発電等を動かすバランス必要だった

FITの話だね。再エネを10年間固定で買い取るよって制度なんだけど、最初買取価格は48円/kWhだったんだよね。後々太陽光発電価格下げていったけど、山林切り拓いてのメガソーラー乱立を招いたんだよね。制度設計の失敗だね。

id:tohshindainokawaisa 新電力中の人ならインバランスを悪用してた過去を語って欲しいんだが。こんなの完全にポジショントーク最近でも一送の持ち出しで最終保障供給させたり賦課金を払わず破産申請とか、これで被害者面は虫酸が走る

ンバランス制度は厳密に言うと「調達が足りなかったら請求するし、調達しすぎたらその分お金返すよ」って仕組みだね。一般的にインバランス料金は市場価格より高いね。でも、このインバランス料金は事前に予測できちゃうと「インバランス料金が高い(安い)ときにわざと調達を多め(少なめ)にする」ことが理屈上ではできちゃうんだね。この人が言ってるのは多分このことだね。それはよくないよねってことで、事前予測がしにくいように制度が見なおされたんだよ。

最終保障供給は多分このニュースのことを言ってるんだね。これはよくないね

https://project.nikkeibp.co.jp/energy/atcl/19/feature/00001/00074/

id:dreamzico 長いよ。オタクはなぜいつも話が長いんだ。その漫画くさいオタク口調・文体をやめて、内容的にももっと短く簡潔な文章となるよう推敲してくれ。1/10くらいの文字数説明できるだろ。

素に戻るが、身バレ避けるため普段やらない書き方してるので読みにくいのはわざと。そこは正直すまん。

id:watasinoid ×「東電をなんとかせげんといかん」 ○「東電どげんかせんといかん

id:gnta東電をなんとかせげんといかん」ではなく「東電をどげんとせんといかん」と言いたかったんだろう

id:good2nd 誤「なんとかせげんといかん!」→正「どげんかせんといかん」/「せげん」てなんとも不思議な響き。品詞分解できないからかな

id:hazardprofile とにかく "なんとかせげんといかん!" が気になってしょうがない

id:MacRocco “なんとかせげんといかん”は多分「どけんがせんといかん」をうろ覚えで使った結果出てきたそれっぽい言葉だと予想

id:kaputte はてな親分怖すぎて泣く / だれも「なんとかせげんといかん」気になってないのもこわい

id:pechiyon東電をなんとかせげんといかん!”どげんかせんといかんorなんとかせんといかん では

これはわざとじゃないね。なんでこんな誤字をしたんだろうね。恥ずかしいね

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