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はてなキーワード: 価値判断とは

2017-03-22

世の中面倒になって困っている

昔は「政府自民党が進めている事だから怪しい」「とにかく抵抗している人は素晴らしいし」みたいな素朴な価値判断しても、そんなに問題は無かった。

実際に近隣の国がミサイルで狙っているみたいな事態になって、複雑な個々の事案について、情報を入れて自分判断しないと白黒が付けられなくなってきたんだが、正直それは面倒だし能力的にもきつい。もう「自民党が決めるんだからろくでもないことだろう」みたいな素朴な判断では追いつかなくなってきている。

2017-03-20

http://anond.hatelabo.jp/20170320122851

単純な善悪価値判断じゃ無理。

悪い体制でもあったが、イギリスなんぞはもっとひどかった。

清国なんて崩壊しかかってた。

そういう歴史的背景の中での事象と、

それを受け継ぐ歴史性との中で、物事を見んとな

2017-03-16

中2の頃のカースト最上男子がブスで驚愕した

懐かしくなってふと中学卒アルを見てみたのだけど

中2の頃にクラスで一番影響力を持っていたスクールカースト最上位の男子の顔が平均よりかなりブスで驚愕した

(目頭の皮?が張り出したキツい一重で、鼻が低くて横に広がっていて、おでこが妙にへこんでいる)

私が中2の頃はというか、今になるまで、その男子に対してブスというイメージを全く持っていなかった

とにかくクラス支配している怖い男子というイメージがあるだけで、顔について何の記憶もなかった

 

空気に飲まれているときって冷静な価値判断が出来なくなるんだね

恋愛工学テクニックもこれなら通用してしまうかもしれないって思う

ブス顔であることがわからなくなるくらい支配的な空気をつくれば押し流せてしまう…

マスコミにはサイコパス多いって言うけど最上男子みたいなタイプがたくさん居るのかもしれない

空気をつくって大衆操作するのが上手いっていうか、正常な判断力を失わせるのが上手いっていうか

すごい、長年の呪いが解けたみたいな謎の感覚だ…

 

最上男子女子ワーストブスランキング主催するなどして恐れられていたのだけど

あと日常的に気弱で頭のぼんやりした男子を小突き回して笑いものにしていたのだけど

やりたい放題に振る舞いながら「鏡見ろよ」みたいな下剋上展開もなく、最後まで君臨していたな

みんな最上男子の顔を冷静に判断できてない、ブスだなんて思っても居なかったと思う

中3になってクラス替えで別れたから良かったけど、そいつが君臨してる中2の間は

誰がワーストブスになるか、ワーストキモ男になるか、最上男子の顔色伺って怖がってた

同窓会で会ってないからわからないけど、面接官も空気支配して、良いところに就職して、そつなく生きてそうだな…

 

私は共学の公立高校から共学の国公立大学に進んで、男性率が高いから男女両方と交流してきたんだけど

思い返せば見た目が普通以上の男女は好感度が高い順ランキングをすることはあっても

キモい、嫌いな異性についてランキングにすることは絶対に無かったわ

特定の一人の特定行為について最悪だと悪口を言うことはあったけど

何もしていない人でワーストランキング作るという発想は無かったと思う

この強制エントリーワーストランキングというの、本当に効果的な支配システムだな…

多くの人々は自分ミスターミスに選ばれることまでは期待してなくても、ワーストに選ばれるのは怖いと思ってる

そういう心理を利用して審査員みたいなポジションに収まって最上位…賢いよな早急に死ねばいいのに

http://anond.hatelabo.jp/20170316112345

うーん・・・言いたいことはすごくわかるし

もっと頑張ろうよって応援ニュアンスで言ってくれてるのだろうというのもすごくわかるんだけど

やっぱり利益を得るためにある、それができないやつはバカだという価値判断コミットする気になれない

自分能力で目の前の問題解決して利益を得て周りの人は一時的に満足かもしれないけど別にそこから何かを学んでくれるわけでもない

困ったらまた自分や別の誰かに解決してもらうだけ

どこに行っても大体そんな感じなので飽きて関わるのをやめる

知識を付けても詳しいオタクタスク解決してくれて万々歳っていう退屈なことの繰り返し以外に今は他人に対して何もできない

最近は一人で細々と創作活動してるほうが楽しい

2017-03-14

http://anond.hatelabo.jp/20170314135543

なんでこんなんバカばっかの世の中になってるんだ?

政治家の悪気の有る無しとか要するに

誰がやったか

価値判断基準にしてますって言ってるのと同じ。

いい加減もう少し熟考しような。

2017-02-04

恋愛工学はアレだけど、正直、森岡氏もビミョーよ

http://d.hatena.ne.jp/kanjinai/20170202/1486027602

森岡正博さんのブログコメント欄にて。

このブログ記事は、「女性蔑視はやめろ。性犯罪はやめろ。相手自由意志を奪ってセックスに持ち込むのは人権侵害だ」という主張をしておけば済むでしょう。

それにもかかわらず森岡さんは、非モテ男が理想的恋愛セックスをやる方法をについて語っておられます。そこが唐突だし、押し付けがましいし、私はあなたのそういうところが本当にイヤです。

  

>>女性蔑視に陥ることなく、ひとりの好きな人と付き合い続けていけるやり方を伝えよう

>>長続きする恋愛必要なのは相手尊重できること、相手立場に立てること、相手共感できること、相手幸せを願えることである。そのベースができてはじめて、我々は恋愛技術性愛テクニックを互いの快楽のために肯定的に開花させることができる

  

↑ 私はこの手の語り口をたいへん欺瞞的に感じるのです。

藤沢某の"恋愛工学"なんかより、むしろこの語り口のほうが不愉快で、とうてい聞くに堪えられないものです。

私は上記のコメント投稿したが、あらためて解説しておく。

  

まず第一に、森岡は個人幸福政治的正しさをまるで一致するものであるかのように語っている。この点こそが彼の最大にして最悪の欺瞞である

私はこの二つのあいだに深い断絶、矛盾対立があると思っている。ふつうの人は誰しも政治的に正しくないことをやりたい願望があるはずだ。もちろん他人に優しくしたり、社会を良くしたいと求めるのは人間の本性だが、同時にまた、自己中心でわがままな願望を持ってしまうことも人間の本性なのである

森岡が言っている「相手尊重できること、相手立場に立てること、相手共感できること、相手幸せを願えること」は政治的に正しい。これは文句のつけどころがない。しかし、例えば私自身の性的欲望をかえりみて言わせてもらうと、そんなものは真っ平ごめんだ。つまり自分さえよければいい、1回だけセックスできればいい、女をやり捨てしてやりたい」と考えてしまうのだ。あと他には「レイプしてやりたい」という攻撃欲求だってある。

さすがにいささか露悪的な告白になりすぎたが、人の欲望というのは、多かれ少なかれ、政治的に正しくないもの反社会的ものを含んでいる。私は決してこの欲望肯定しろと言いたいのではない。無視するな、ごまかすなと言っているのである

例えば「女性蔑視はやめろ。性犯罪はやめろ。相手自由意志を奪ってセックスに持ち込むのは人権侵害だ」という主張について分析してみよう。これは私のような男の欲望無視していない。きっちりと敵対して抑えこむという形式を取っているのだ。

それに比べると、森岡の語りはこの敵対性をごまかしている。ごまかすどころか、味方のふりをして内心に踏み込んでくる。自分にとって何が幸せセックスなのか、それは私が決めるべきことであって、他人から上から目線定義されたくはない。この点で森岡の語りはデリカシーがなく不愉快だ。

  

第二には、森岡の主張に対し、私は倫理的意味においても反感を覚えた。

エサ(※この場合恋愛セックス)を目の前にたらして、それがほしかったらミソジニーをやめろ、人権思想を信奉しろというのである

これほど人をバカにした話があるか。利益誘導によって人を説得するのは、そうすること自体がきわめて倫理に反する。例えばもし長続きする恋愛なんかほしくない、共感なんかいらない、女性蔑視しながらセックスするのが好きだという男がいた場合、森岡は恋愛工学をすすめるつもりだろうか。

それにそもそも、ここで森岡が使っている“エサ”は空手形に等しい。キモくて金のないオッサンが森岡のメソッド実践しても、まあたぶんぜったいに幸せ恋愛幸せセックスもできない。オッサンではなく若者だって、うまくいかない者はいる。森岡がリベラルフェミニズム正義をふりかざすのは勝手だが、「これを信じれば幸せになれるぞ」という嘘と欺瞞でそれを糊塗することだけはやめてくれ。

  

第三に、リベラル観点から考えてみるなら、森岡の言っていることが正しいかというと疑問符がつく。

森岡のブログ記事は性暴力ダメ人権侵害からダメという政治的な話をしているのかと思ったら、唐突に“僕の考えた最高のセックス”について語り始めた。そしてこれがいかにもポリコレに沿ったものであるからリベラル思想の信奉者たちに受けがよさそうなものだった。

しかし、私は森岡の持論をむやみに賞賛するのはよくないと思う。本来リベラル立場としては、性暴力などの明らかな人権侵害を<悪>と定義してそれを法律抑制するとか、女性差別についてもやはり<悪>と定義してそれを無くしていく方針をとるべきだ。この方針は、個人がそれぞれ内心に持っている<善>・<幸福>の価値観に介入するということと、いくらか重なりあう部分もある。だが、この二つを混同してはならない。われわれが社会構成員に対して<悪>の定義強制することと、<善>・<幸福>の定義強制することは、根本的に性質が異なる。

森岡があの記事で語っている“僕の考えた最高のセックス”の主張は、あからさまに後者に該当する。リベラル立場からは「性暴力犯罪だ」とだけ言っておけばすむし、仮になにか道徳的言及をするとしても「女性蔑視はよくない」という話に留めるべきだ。そのさきは個人自由にゆだねればよく、むしろ安易に優劣をつけたり価値判断をはさむことは慎まなければならないだろう。だから森岡のように「政治的に正しくて理想的セックスを目指しなさい」などと他人要請するのは不適切なおこないだ。

  

第四に、森岡は不謹慎である

彼が非モテの男にアドバイスをすること、“僕の考えた最高のセックス”を力説することは、まったくの自由だと思う。しかし、それは現実に起こった性犯罪事件からめて言うべきことなのか?

森岡は自著『草食系男子の恋愛学』を引用して、「女性蔑視に陥ることなく、ひとりの好きな人と付き合い続けていけるやり方」をすすめている。たしかにそれ自体は素晴らしいことかもしれない。だが、それは性犯罪とは直接関係がない。

これは性犯罪があったとき、男に代替となるセックスの利用をすすめる論法に似ている。すなわち、「風俗に行けばレイプなんかしなくてすむ」とか「嫁か彼女をつかって性欲を発散しておけ」というゲス意見のことだ。もしそれを真顔で言っているならばドン引きだけれども、森岡が今回やっていることからはそれに通底するものを感じる。

  

  

参考:この増田タイトルは、id:zaikabouさんのブコメから拝借しました。

2017-02-03

データ主義

データは何も言わない

データを見た人間が何かを言うのである

すなわち全ては人間価値判断にかかっている

データが無い時と何ら変わらない

まりデータはいらない

必要なのは教養である

2017-01-25

http://anond.hatelabo.jp/20170125003144

ここでの矛盾は、西野が公開したもの基本的に(お題目あれど)PVのためであって、あんたの言うところの情報の付加による価値拡大に寄与してんのよな。ほかの人達も公開によって価値拡大を行おうとしている。第二点。ポートフォリオとして公開する意図がないPixivの概ねの無料イラストも例題に題して勝手価値判断材料に載せた間違い。プロダクトの意図がなければ経済価値がない、というよりそもそも経済効果の話をしてるんだから、「そんな例示をすることに意味がない」というべきかな。更に第三点。あんたは絵の巧拙や綺麗さを挙げた上で、以下の引用を述べた。

「絵はやたら上手いんだけどキャラ設定とか世界観イマイチ定まってないような絵師さん」みたいな人っているじゃん。

イラストキレイなんだけれどそれを組み合わせて漫画なりの作品を作ろうとしない人」もいるじゃん。

そういう人たちって頑固だから細部を詰められないんじゃなくて、リアルな話をすると<話を作ったり、キャラクタ内面を作りこむ>という能力が無いか未熟だから作品にそういうのが詰められないわけじゃん。

これは全くプロダクトともポートフォリオとも関係がなく、内面の作り込みは最低でも漫画編集が口にする程度でしか無い。あんたの論では語られてないことだ。まして作家以外が内容を担当するという話でもない。したがってこの場合プロダクトやポートフォリオにならない絵を無料公開するな、というわけのわからないロジックになっている。無料公開した場合プロダクトとして成立していない趣味のものでも容赦なく槍玉に挙げるよという。これは過酷だわ()。一体なぜ趣味の人まで横殴りされなきゃならんのかと思うよな。

2017-01-24

http://anond.hatelabo.jp/20170124232326

さっきから言ってるように大衆受けの基準は? 大衆受けのどのラインから価値になるの。レベルを低く見積もって受けをねらえという話が真だとして、お前が否定した同人がまさにそれなんだけど。



あとネタみたいな書き方だけど、銀英伝マニア(俺はそうではないけど)に無価値とか言ってみたら。

そこで決着付けたらどうなんだとおもう。もう話が通じなさ過ぎて無駄かもしれんと感じるから

コンテクストの話もロペスに関してはある程度油絵技法を知っておくとその凄まじさが分かるのは確かだ。しかし前出したイラストレーター二名はそうでもない。一般的な人が自主的感覚器官を動員して世界に入り込んでいる。



2chで有名になったヘンリー・ダーガーは誰の眼にも触れない世界を生涯描き続けたが、後年価値あるものとして評価されている。当たり前だがヘンリー経済活動にはなっていない。俺自身ヘンリーの絵は北野武みたいで全然きじゃないが、価値が無いとは言わない。とても強引な理屈をいえば、一人でも価値を感じれはそれは価値だ。そこから発展して、きれいな絵か、巧者であるかという内容にそれぞれの価値判断分化してゆく。大衆受けしたかなんて基準だけを崇拝するなら人に押し付けないことだね。こちらに念押ししてるけど価値基準が狭いから首は縦に触れないよ。

2017-01-20

http://anond.hatelabo.jp/20170120193853

んなことないでしょ。

覇権覇権って言ってる売り豚思考しか価値判断できないような奴と同列の世界いるから、そういう言葉しか目に入ってこないだけじゃない?

多数派の、男女で仲良く観に行ってる今時のふつーな若者たちはふつーに中身を評価してすごい良かったねーって言い合ってる。

まぁ俺みたいにおっさん同士で行った人も中身を評価し合ってるよ、よくできてる、昨今のオタク文化の諸要素をうまく昇華させてるってね。

新世代を感じさせる新しいタイプ監督だーみたいな概ね好評な考察メディア記事も初期にたくさん出てたけど読んでない?

まあなんにしろリア充だけじゃなく、すべてのオタクも(こそ)見ておくべき作品だよ。

2017-01-19

不細工遺伝で決まるから絶たなければならないのか?

不細工というのは美醜の基準に沿った価値判断だ。

そして、価値基準地域時代によって異なることも知られている。

すると、今の自分不細工であっても、同じ遺伝子を受け継ぐ子孫は美人遺伝子に変わっているということも考えられないだろうか?




あるいは、このような説明がある。不細工というのは、不利な形質をもつ個体を見分けるための指標として発現すると。

すなわち美しい個体健康遺伝子もつことが多く、醜い個体は不健康遺伝子もつことが多いのだと。

より健康個体に惹かれるために、われわれは美しさを基準にする感性生得的に備えているのだと。

一理あるように思われる。




しかし、生物には遺伝多様性説明される現象があるのではなかっただろうか。

すなわち、われわれ生物は雌雄個体のどちらもから遺伝子を引き継ぐので、遺伝的に近い個体同士の遺伝子を引き継ぐよりも、離れた個体同士の遺伝子を引き継いだ方が、多様な遺伝子個体が生まれ、種全体が環境の変化に左右されにくく生存やすくなる、というものだ。

この意味では、ある特定地域時代で通じる「美人」の遺伝子のみが残るコロニーと、それと比べて「不細工」の遺伝子も残っているコロニーでは、後者の方が生存確率が高いということになる。

すると「不細工」の遺伝子を残さないという選択はむしろ回避されるべき事態になるのではないだろうか?




このように、不細工から後世のために遺伝子を残さないという発想は、実際には正しくないのではないだろうか。

一方で、この美醜社会情況を考えると、「不細工であることに劣等を抱くのは至極普通のことであり、そうした感覚を持つこと自体は正しいというのは言えるだろう。

2017-01-13

職業威信スコアはそれ自体ブランド化に使われる

肉屋牛肉分析し、産地別、等級別にわけました。わたし価値判断をしておりません。神戸牛のA5が高いのはお前ら社会構造のせい」

我々は牛肉ではない。人間である

知る人ぞ知る、噂レベルでよかったんじゃないですか。

http://anond.hatelabo.jp/20170112222344

2017-01-09

http://anond.hatelabo.jp/20170109015341

Twitter&Togetterなんて「馬鹿が何かほざいてる」|「馬鹿が晒されてる」以上のことはないし

良いとか悪いとか価値判断してやる域には既にない

2016-12-24

マリオランはなぜ「高い」か?

かつてゲーム体験価値のものだった。プレイヤーは良いゲーム体験を求めた。ゲームをしている時間のために金を出した。

フリーミアムはそれを変えた。彼らはゲーム内部の価値に目をつけた。ゲームプレイすることは、体系内で与えられた多様な物を認識しそれらに対し価値判断を行うことを必然とする。ゲームが新たな価値観を生み、それに合った価値課金するという(マッチポンプとも言える)戦略が取られた。

新たな戦略ゲームの意義を変えた。ゲーム価値認識を植え付けるための装置となり、ゲームプレイは「労働」に変容せしめられた。「労働」を回避するため人々は動画広告再生し、金を払った。「ゲームをする」ためではなく「ゲームをしない」ことのために金を出すようになった。

ゲームプレイを「労働」と認識する人たちが、そのために金を出すということが有り得ようか。マリオランはフリーミアム認識の拡大を食い止めるための必死のあがきとも考えられる。現実世界で人々の価値観を変えるのは、しかし、ゲーム内での価値観を生み出すよりずっと難しい。

2016-12-07

最近できたトラバリー最近はてな匿名ダイアリーを知った人しかコメントできないなどといったルール

存在しないと思います

だれもそんなルール存在するとはいってない。

全ての増田記事をみて全ての記事トラックバックするというボットみたいな存在じゃない限り、

有る特定記事を見つけてトラックバックを書き込むという行為にはなんらかの価値判断基準存在して行われているのでは?

http://anond.hatelabo.jp/20161207151237

2016-11-29

謝ることに意味なんてなくない?

ずっと思っていたんだけど、みんな、謝るということに過剰に意味価値見出しすぎていないかな? って思うことがある。

「ごめんなさい」

すみません

申し訳ございませんでした」

そのことばを聞くだけで、溜飲を下げられるのすごいと思うし、

そのことばを言うだけで、様々なことを許してもらえるのがすごいと思う。

そんなに価値のある行為だろうか?

めっちゃ簡単だよ?

それを渋る人もよくわからないし、それを有難がる人もよくわからない。

もちろん「口先だけの謝罪になんて意味はない」って言う人もいる。

でも、俺からすれば、口先だけだろうと、心からのものだろうと、そもそも謝罪にそれほど過剰な価値ってなくない?って思う。

傷つけられたものや失われたものなどの、過去の損害について、謝罪で何かが変わるの? と思う。

もちろん、謝ることは「今後は正していきます」という誓約をすることにもなるから

謝られた側にとって、「今後は大丈夫だな」という未来安心を得られるということは分かる。

たとえば「一緒に仕事をしている人がミスをした→ごめんなさい今後は気を付けます→分かった許す」という流れは、まあわからなくはない。

よほどのミスでなく、ペナルティを課すほどのことでもなければ、

すみませんでした」の一言や、始末書一定価値を持つケースがあるのは理解できる。

でもそれはそのミスを許すことが、過去の損害を回復できるくらいのプラスになることと判断された場合だ。

だけど、起こした問題について何ら解決されていないのに、

あるいは、起こした問題について被害者利益回復できていないのに、

「ごめんなさい」の一言で、謝罪たから今後気を付ければOKって判断されちゃってること多くない?

そう思っているから俺はなんかやらかしとき、すんなりとめちゃくちゃ謝る派だし、

それで上手くやれているから、ありがたい部分もあるんだけどさ。

いま話題WELQとかがそうでさ、たぶん今後もあの事業収益を伸ばすわけだよね。

本当に誤ったことをしたことについて清算するなら、

問題になった記事で得た収益を全額医療業界寄付でもするべきだと思うんだけどそれはしないでしょ。

WELQだけじゃないよ。

ニコニコ動画YouTube著作権侵害しまくって成長したけど、反省して著作権とかもなるべく気を付けます~って切り替えたのとか、

PCデポ情報弱者だましまくって成長したけど、反省して今後の契約方法見直します~っていうのとか、

全部一緒。

だって不正なことをしていた間に儲けたお金はふところにいれたままなんでしょ?

それで許されちゃう

もちろん許してない人はいるかもしれないよ。

でも「許す/許さない」自体不思議価値判断

だって、許されなくても、続けていけるんだもの

一部の人からどう思われても、状況を知らない人を含むほとんどの人から悪いとは思われなくなり、

お金が手に入って、ごはんが食べられるのだもの

じゃ、捕まらない範囲で悪いことして、見つけられたら謝るっていう戦略めっちゃ正解じゃん。

あとで大げさに「ほんとごめんなさい!めっちゃごめんなさい!」って謝ろう、と思いながら、

みんなやりたいようにやったほうがいいんじゃない

から謝ることに意味がないって言いたいのはそういう部分。

どんな謝罪も、金を吐き出さなきゃ、ただの言葉じゃない?

誠意を見せろ」とか言いながら金を要求するのとかギャグだとは思うけど、

被害利益回復できるのは、言葉じゃなくてお金だと思うんだよね。

2016-11-20

http://anond.hatelabo.jp/20161120172319

主張が超ふわっとしてるから論じづらいんだけど、その前提には「プアホワイト層=オシマイ」って考えがあるんだよね?(違ったらすまん)

けどさっきも書いたけど、キリスト教徒にとって経済的に困窮していることは不幸ではないんだろ?じゃあ「オシマイ」ってのは無神論者から価値判断なんじゃないの?噛み合ってんのその議論は。



あと、高潔さ=「求めるな」なの?それも含まれるだろうけど、それだけなの?

さらにいえば、プロテスタントキリスト教一種なんだから高潔さを求めるのはいっしょなんじゃないの?

2016-11-01

声を無くしたら僕じゃなくなる

この土日の間、何にも手が付かず。

何もせずただ天井を見て過ごしました。

それは、自分自分ミスを素直に認めずに、その場しのぎの発言をしていた時に言われた。「お前何がしたいの?」という言葉きっかけでした。

はたまた、別時にあることを聞かれ、触れられたくないがためについた小さな嘘に対して言われた「最初から本当のこと言えよ」という言葉でした。

心臓に刺さるような感覚を覚えました。

いつも自分がしている言動に対する率直な言葉なんだと思いました。

人生で初めて自分自分のことを客観視できた瞬間だと思います

遅すぎるけど。

これまで、よくわからないやつだといわれることは多かったのですが、その都度、同じ心臓で動いていないんだからそんなの当り前だろう、と考えていました。

そういった考え方は否定する気はないのですが、きっと、発言の捉え方が間違っていたんだと思います

それは相手の話を聞いていなかったし、相手のことを見ていなかったからで、そもそもなぜそういわれるのか全然考えていなかったからなんだと思います

話を聞くのが得意じゃないからと言い訳をして、自分正当化していただけなんだと思います。振り返れば、自分の中に軸がないことを誤魔化していただけなんだなあと。

自分に軸がないから、なんとなくその場に合わせてそれっぽいことを言って、それっぽいことをやっていただけなんだと思います

「考えてはいるんですけどね」なんて言い訳をしても、その考えを教えてくれって言われたら、何も答えられなくなる。思い返すとそんな場面が少なくないなあと。



相手からすると、そんなの考えたとは言わないし、だったら考えたなんて言うなよって思うのは当然だと思います

なんでそういう言動をしてしまうんだろうって考えた時に、上に書いた言葉が反芻されて、ああ、"自分の"軸がないからなんだって気が付きました。

自分価値判断基準を持っていないんだと思います

外部にそれを委ねていて、自分の内部にはないんだと思います



から自分言動が、誰かから見て"よくできた自分""すごい自分"、そんな何の役にも立たない判断基準によって構成されていたのではないかなと思います



自分自分をどう思うかということより、他人自分をどう思うかにばっかり目が向いていて、なんでもできるように振舞いたくて、嫌われないように振舞いたくて、だから自分の間違えを許容できないのだと思います

良い悪いの判断基準自分の外にあるために、何が間違いなのか自分判断できなくて、気付いたらどうすればいいかわかんなくなって、自信がなくなって、自分が嫌いになる。



そのくせ、他人に答えをきくのはかっこ悪いから、使えないって思われたくないから、プライドという殻で、自分の身を守ろうとする。



そして、基本的自分理解されないんだって人間孤独なんだって正当化する。

思い返すと、誰かに「お前の根底には不安や自信の無さがある」と言われたことがあります

その言葉を聞いて、その通りだって思ったのを強く覚えています



しかし、なぜそう思われたのかまでは考えなかったし、聞けませんでした。



自分はこのままでも問題ないのだという、根拠の無い自信があったからなのか、

単にこれまでの自分否定するのが、自分の弱さを認めるのが嫌だったからなのか。



まあ両方だと思います

自分の中に判断基準がないから、

間違えることを恐れて、間違っているといわれてもそれがなぜかわからなくて、

なにがわからいかからないままの状態で過ごしていました。



そのくせ、プライドの殻があるから、わからないことをわからないと素直に言えず。

言えなかった自分正当化して、環境のせいにしていました。

自分のことをこうして客観視できていないか他人ことなんて一層わからなくて、

向き合ってるつもりでも、話を聞いているつもりでも、全部勘違いで、

本にそう書いてあったから、誰かがそう言ったから。

きっとそういう考えが根本にあるんじゃないかなって思います



そんなことに気付いてしまって、自分言葉で話せよって思いました。

自分の頭で動けよって思いました。

本音を話してくれない、ともよく言われます

本音を話していないんじゃなくて、本音がなかったんだと思います

自分の声で動いていないから。誰かの声で動いていたから。



誰かに認められたくて行動するなんて、そんなの一番かっこ悪いし認めたくはないんですけど、 結果的にそうなっていたんじゃないかなと思います



もちろん、人に感謝されたり、笑顔になってくれたり、認められたりするのはとても嬉しいことで、それがモチベーションであることは変わりないと思います



でも、常にそれを一番にするんじゃなくて、

これからは、自分はどうしたいのかっていう事を大事にしていきたいです。

そしてそれを忘れないようにしたいです。



自分言葉に、行動に、責任覚悟を持って生きていこうと思います

20歳にして迎えた、大きな壁でした。

乗り越えられるかはこれから自分次第だと思います


今になってやっとその壁に手をつくことができたんじゃないかなと思います

支離滅裂文章になってしまったけど、頭の中を整理できたし、今回の気づき気づきで終わらせたくないので残しておこうと思います

2016-10-29

脳の損傷を防ぐために睡眠運動野菜瞑想がなぜ必要なのか?

某xevra先生布教していることの正しさがイマイチ広まってないようなのでムラムラして書いた。(*´д`*)

本当に脳が破壊されているのか?

精神疾患と脳体積の減少

うつ患者は脳の海馬の萎縮がみられ、統合失調症患者発症前に脳体積の減少がみられる。

脳体積が減少する理由は?

つの要因として、ストレスが挙げられる。

ストレスホルモン(コルチゾール)が過剰の患者において、海馬の萎縮、脳細胞の減少等がみられる。

ストレスホルモンの増加が後述のBDNFの減少、機能低下を招く。

神経栄養因子仮説

うつ病発症メカニズムの有力説。

脳由来神経栄養因子(BDNF)はニューロン新生促進、神経伝達物質放出の増強、神経の保護シナプス形成等に関わるタンパク質。

BDNFによる脳の修復がストレスによる損傷に追いつかなくなり、うつ病発症する。

その他BDNF減少が関連すると思われている疾患

統合失調症認知症不安傷害双極性障害

BDNFの発現を高めるには?

適度な運動食生活改善、良質な睡眠抗うつ薬、通電療法

その他ストレスに関すること

・器質的な異常がみられない非特異的腰痛心理的ストレス関係すると考えられており、抗うつ薬投与や認知行動療法が行われている。

普段発達障害(アスペ等)の症状がない人でも、ストレスにより症状が発現しやすくなる。

瞑想ストレス状態から離れるための有力ツール

瞑想によってストレスフルな思考を停止させたり、マインドフルネス認知療法のように否定的価値判断から離れることによりストレスから離れることができる。

考察及び私見

ストレスによる脳の破壊から逃れるためには、瞑想によるストレス回避や適切な適度な運動、良質な睡眠食事習慣改善による脳の回復必要である

また、毎日の寝酒は睡眠を阻害する毒である

ストレスにより前頭葉が損傷し続けることで、もともとボーダーだった人に認知アスペ統失ADHD学習障害の症状が出てくることが考えられる。

ストレスによる神経系の損傷と関係あるかはわからないが、ストレス腰痛肩こり等の痛みを起こしうる。


私は先生の「大脳回復しない」発言は違うと思っているけれどどうだろうか。

ともあれ、先生言葉を守らずに精神疾患が出てからでは遅いのだ。

恐ろしい、恐ろしい。

http://tvmatome.net/archives/4560

2016-10-08

言の葉の庭自分語り

※ 一部新海監督作品のネタバレを含むので注意してほしい

  • 前 ---

君の名は。人気はまだ続くのだろうか。自分は公開2週目位に一度見たきりなのだが、Web上で展開されている

様々な解釈念頭に置いて、もう一度くらいは劇場に足を運ぼうと思っている。

新海監督の作品は「ほしのこえからの自分だが、その中では前作「言の葉の庭」が一番好みである

50分弱という過不足無い尺。今作では少し鳴りを潜めた、現実よりやや過剰に高められた光の輝き。

ヒロインを失意の闇から救済し、精神的な絆を結びつつも、直接の対価を得ることが無い幕引き。

どれをとっても、新海誠という人物が長年その心象世界に持つ純粋な「私の世界」。

君の名は。を彼のベスト盤であると評した人がいた(本人?)ように思ったが、自分は「言の葉の庭」こそが、

最も正確に彼そのものを表しているように思う。

ただ、そういった作品性とは別に、自分が言の葉の庭を特別なものとして見るのにはもう一つ大きな理由がある。

全くもって個人的な体験に基づくもので、それを他人と共有する事に価値は無いのだとは思うのだが、

40を目前とした今、その記憶がゆるやかに風化していくにつれ、どこかにその記憶を刻んでおきたいという欲求に駆られ、

1日だけの日記としてここに記しておこうと思う。

創作では無い為物語の構成は酷く、起伏にも全く欠けるが、偶然目にする人がいたら、息抜きのつもりで読んでみて欲しい。


  • 序 ---

20年ほど前、自分は地方私立大学に通う大学生だった。高校を出て何となくの流れに乗って通う大学生活は、

地方であること。理系であること。あまりハイブロウ属性でないことなから大きな刺激も無く、

かといって腐ってしまうという程の退屈さもなく、毎日がそこそこのルーティーンとそこそこのイベントによって消費される、

どこにでもある普通日常だった。

卒業校は大学とほど近い場所にあるため、自分は時折高校時代の恩師の元を訪れ、近況の報告や、

(当時のPC弄りが好きな学生がしばしばそうであるように)師のPCメンテナンスなどを請け負っていた。

ある日いつものように師の元を訪れると、師の隣席に初めて見る顔があった。

師は、新任の先生だと言って彼女を紹介してくれた。


「今度新しく入ったH先生だ。」

「どうも初めまして。Sといいます。」


学校行事でスーツを着ていた自分を、おなじ新任か関連業者の人間と思ったのかもしれない。

彼女…H先生は突然勢いよく椅子から立ち上がり、コンシェルジュのような角度でお辞儀をしながら


「新任のHと、も、申します!よ…よろしくおねがいします!」


と、およそその完璧お辞儀からは相応しく無い焦り具合で挨拶をしてくれた。

新任教師ということだから、歳の頃は24、5だったと思う。

少しだけ長めのボブカット

新任らしいカチッとしたスーツタイトスカート

そして何より、整った、育ちのよさそうな顔立ち。


(ははぁ。これは生徒に人気がでるだろうなぁ…。)


そう、思った。


「そう言えばH君、パソコンの調子が悪いと言っていたじゃないか。せっかくだからSにみてもらったいい」


これをきっかけに、ほんの短い間ではあるものの、自分とH先生に関係が生まれた。


  • 二 ---

その後数か月間、自分はH先生のPC周りの面倒を見ることになった。勿論、数か月といっても頻繁では無い。

実のところは、精々5・6度の話でしかなかったと記憶している。そうとは言え、ほんの少しだけ年上の

とびきり可愛らしい女性が相手だ。いつもわくわくしながら通ったのを覚えている。

見かけ通り、H先生はとても可愛らしく純粋だった。

明かりの落とされた職員室。

冷陰極管の青白い光に浮かび上がる横顔。

買ってくれた缶コーヒーの温もり。

年下の自分に中途半端な敬語交じりで話し、ソフトの使い方を教えたり、FEPの不調をメンテしたり、

壊れたFATテーブルエディタで書き直す程度の事で、H先生はとても喜んでくれた。

見かけによらず、頑固でもあった。

突然の夕立に「いい」と言うのに頑として聞かず、駅まで車に乗せられた。

H先生らしい、深いグリーンのK11マーチ

エアコンが効かず、少し蒸した車内。

シフトレバーにかける細く白い腕。

まるで童貞妄想のものだった。

一度、何かの為にソフトを借りに実業系科目の教師の所へ顔を出したとき


「お前、あの人はお嬢なんだから丁重に扱えよ」


と、冗談とも真面目ともとれない顔で言われたこともあった。


…その通りだと思った。


あの時自分はどうして恋に落ちなかったのだろう?

高校時代淡い好意を持っていたクラス女の子を忘れられなかったからだろうか?

卒業校とは言え、教師という立場の相手に対しての遠慮だったのだろうか?

今となっては思い出すことができない。

ただとにかく、会いに行く時間の胸の高鳴りとは裏腹に、

自分がH先生に対して恋心を抱いたことは無かったように思う。


時が経つにつれて、H先生とは疎遠になった。卒業からしばらくOBとして顔を出していたやつが

つの間にか顔を見なくなるという、ごくありふれた、普通の流れだった。

勿論、心のどこかで気になってはいたが、明確なきっかけも無いのに顔を出すのも気恥ずかしく、

また、自分という存在が順調に過去となっていく高校に窮屈さを感じ、足が向かなくなるにつれ、

しばらくの後には思い出すことも無くなっていった。



  • 三 ---

それから季節が一巡…二巡くらいしたかもしれない。

大学生活は相変わらず少々退屈で、授業とバイトの日々が続いていた。バイト先にはコケティッシュに笑う

年下のあざと可愛い女子大生が入り、自分はその子に相当入れあげていた。

そんなある日。

高校の「部室」へ顔を出した。

自分は高校時代ややヲタクサークルに顔を出していた。それはよくあるアニメゲーム好きが集まるような

内輪志向趣味サークルで、正規の部員でこそ無かったものの、殆どコアメンバーのような立場メンバーとつるんでいた。

先輩も、後輩も、同級生も、自分の高校生時代の交友の半分は、そのサークルに由来している。

部室にはYがいた。

Yは自分が卒業する年に入学した後輩で、少々エキセントリック性格ではあるものの、

当時の世相でそういったサークル志向していた女子には珍しく、並以上とは言える容姿と、

その予測不能な反応を示す性格から、OB現役を問わず大層人気があった。当時から近い表現はあったように思うが、

ヲタサーの姫がベターワードチョイスだ。正確にはサークラ的要素も多分に混じるのだが、

方々穴兄弟にはなったものの、サークルクラッシュされなかったので、二択であればやはり姫の方が無難であろう。

Yや他の部員たちと軽く挨拶を交わし、部室に置き去りにしたPCエンジンで縦スクロールシューティングに興じていると、

唐突にYが話題を振った。


「先輩先輩。先輩はH先生知ってますか?」


驚いた。彼女が新任教師として赴任したのは自分が卒業した後であり、現役生であるYもそれは承知だろう。

卒業後に赴任した教師話題にあげるという事は、普通滅多なことではしない筈だ。


「ああ、実はちょっとした絡みがあって少しだけ知ってるよ」


事実を答えた。Yが続けた。


「H先生、辞めちゃったんですよ」


公立高校と違い、私立高校では異動というものが殆どない。私立主体の都会では事情が異なるかもしれないが、

地域内に同業が少ないこともあって、転職という選択をする教師も(教師という手堅い職を選ぶ本人の性向もあってか)

滅多にいなかったと思う。とにかく、短期での退職というものはあまり例が無さそうに思えた。

Yは表情を変え、ゴシップ好きの主婦のような声色を作って次を継いだ。


「それがね、聞いてくださいよ先輩。H先生寿退社…ってことになってるんですが、本当は…」


「本当は、生徒に強姦されて辞めたんです。」



  • 四 ---

それから数年の年月が過ぎた。

大学卒業後、氷河期のどん底という頃に地元の小企業就職したが、ワンマン社長の横暴に嫌気がさし2年と少しで退職。

しばらくアルバイトをしながら職を探したが、高卒でブルーカラー職についたり土建業に入るならともかく、

大卒が志向するようなサービス業的業種にまともな就職先はとても少なく、わずかにある条件のよいポジション

新卒で滑り込んだ者が既得権化しており、あとはそれこそ公務員くらいしか不満の少ない就職は困難だった。

それを期に、意を決して東京へ出た。

友人の家に転がり込み、転職エージェントを頼りにいくつかの会社を受けた。東京での活動は思いの外順調で、

面接したいくつかの会社から採用通知を受け、そのうち、条件はあまり良く無いものの、基盤の堅い中小企業に入社した。

入社後上司との性格の不和に苦しんだが、前職の事を思えばその程度の問題に対処することは苦労のうちには入らなかった。

給料はとても安(250程度だったと思う)かったが、それも前職に比べれば不満は少なく、初めての東京生活エンジョイし始めることができた。


そんな矢先。


アキバメイド始めたんで、良かったら遊びに来てください』


Yからメールだった。

当時の秋葉原メイドカルチャー黎明期の出店ラッシュがひと段落し、金の匂いに感づいた風俗業の面々が

続々と出店を始めた位の頃だったと思う。高校卒業したYは東京大学へ進学したが、

生来の不安定性格故順調にメンヘラ属性を手に入れ、真面目な大学生という路線は早々に離脱。

生活の為か趣味かは聞かなかったが、アルバイトとしてメイドを始めた、ということだった。

メールには多少面食らったが、Yの人と成りからすれば、想像には難くなかった。

自分の秋葉原に対するスタンスは単なるパソコンショップ詣の場所で、メイドカフェへ行くことに多少の

戸惑いはあったのだが、後輩に会いに行くと思えばいい。了承の返事を送信した。



  • 五 ---

「おかえりなさいませ、ご主人様~」


Yの働く店は正確にはカフェではなく、バーだった。

万世橋渡り少し裏手の路地の扉を開けると、今では手垢どころか擦り切れて表皮が

ボロボロになったような定型のコールで迎えられた。

やや珍しい青と白の照明で彩られた店内(まるで自作PC筐体のようだ)は、多少の安っぽさはあるものの、

常連客との適度なゾーニングもされていて、居心地は悪くなかった。カウンターの向こうで客の相手をする

Yに目配せだけをして、入り口に近いスツールに腰をかけた。

隣では、この場所にはやや不釣り合いな女性が独り呑んでいた。


「君、初めて?」


声をかけられた。


「そうですよ。高校時代の後輩がいるんで、まぁ付き合いです。」

「そうなんだ。じゃあ私と一緒ね。」


女性(T)は銀座ホステスをしていた。非番今日は、ここで働く自分の彼女の仕事が終わるまで待っているのだ、

と教えてくれた。自分も自己紹介をし、それからしばらく話をした。ホステスの会話術は流石に巧みで、

後輩に会いに来たことなどすっかり忘れ、仕事の話や高校時代のことなどを話し込んだ。

2杯目のジントニックの氷が溶けるころ、Tがはたと気付いたように自分に聞いた。


「ねぇ、SはYの先輩なんだから、N高校なんだよね?」

「そうですよ。Yは3つ以上下から、直接一緒になったことはないですけどね」

「そっか。そしたら君…」


「H先生って…、知ってる?」


  • 六 ---

ドキリとした。

自分の中で風化し、消えかけていた「H先生」という単語の響きが、急速に記憶の色を取り戻させた。

しかし、こんな偶然があるのだろうか?ここは00年代も半ばの秋葉原。しかも場末メイドバーだ。

これが地元のバーでの出来事であったとしたら不思議ではない。

100歩を譲って、自分達の高校埼玉神奈川にあったとすれば分からなくもない。

だが、自分達の高校は十分に遠方にあり、増してや、彼女がH先生であったのは6年も7年も前の話なのだ

心臓が早鐘を打つのを感じた。自分はTに話をした。

卒業生ではあるものの、偶然新任教師として紹介されたこと

ボブのかわいい初々しい先生だったこと

人の消えた職員室で一緒にコーヒーを飲んだこと

たった徒歩10分の道程緑色マーチで送ってくれたこと

大した話ではない。読んでくれている人がいたら申し訳ないが、当事者以外が聞いても何の感慨もない日常出来事だろう。

Tは、そんな自分の話を穏やかな顔で聞いていた。ひとしきり話を聞いてから、話をしてくれた。

彼女とは夜の世界で知り合ったこと

髪型が全然違うこと 化粧が派手だったこと

プレリュードに乗っていたということ


…そして、1年程前まで、自分の彼女だったということ


少しジメジメした夏の終わり頃だったように思う。

日付なんて全く覚えていない。

でも、それくらい、自分にとって忘れられない日の出来事である



  • 結 ---

言の葉の庭」は、ヒロインである雪野先生が、想いを寄せられた男子生徒への対応を誤ったことを

きっかけに物語が構成されている。劇中、男子生徒を奪われ、腹いせに雪野先生の退職を画策

(そしてそれは成功する)した女生徒主人公が抗議をするシーンがある。

客観的に見るとやや時代錯誤と青臭さがあり、本作で唯一落ち着かない場面ではあるのだが、

このシーンを見ていると、雪野先生とH先生をどうしても重ねてしまう。

勿論、自分が孝雄になる妄想を出来る程今の自分は若くない。ただ、物語は悲恋として終わるものの、

孝雄の存在は、雪野先生の人生において彼女のレールを想定の範囲内におさめる為強力に機能した筈だ。

では彼女は、H先生はどうだ?

H先生に関して一つ書き忘れたことがある。彼女は県下一の、ある業種の創業家の息女である

実業科教師の「お嬢だから」は冗談ではなく、本当だったのだ。

名士の娘が地元の高校で教壇に立つ。頃合いをみて結婚。家に入る。

時代錯誤ではあるのだろうが、そんなルート彼女の想定の範囲だった可能性は高い。

もっとも、実はそれが嫌で飛び出したということも考えられる。

これを読んで、「だからだよバーカ」と舌を出しているかもしれない。

それならそれで、構わない。彼女が想定の範囲人生を受け入れていたかどうかなどわかるはずもないし、

想定されたルート幸せだったなど、他人人生価値判断想像でするべきではない。

ただ、人生ターニングポイントにおいて、1人の人間の存在が他の1人の人生に与えうるインパクトの大きさというものは、

現実であっても、いや、現実こそ想像以上に大きい。花澤香菜がワンテイクで録ったというクライマックスを見る度、

そこに感情をぶつける肩のあった雪野先生と、もしかしたら無かったのかもしれないH先生とで、

いつも必要以上の涙が溢れてしまうのだ。

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自分語りはこれで終了だ。

最後に少しだけ、素人の新海誠評を書いてみたい。

あくま想像だと前置きするが、新海監督は幼少から無理目な恋愛ばかりをしてきたのではないだろうか?

恋愛という通常とは比較にならないエネルギー必要とする行為において

その力を一方的放出還流を受けることのできない状況は、人を極端に消耗させる。

ある者は力尽き、ある者は別の誰かから力を得た。

またある者は、運良く力の循環に出逢えることもあるだろう。

監督はどうだ?

監督は恐らく、無から力を生み出すことを選んだ。それが新海誠作品性の源流であり、

彼の心象世界価値観なのだと自分は思う。

君の名は。の2人は、時空を超えて尚力の循環を得ることが出来たように描かれている。

これをもってして彼の心象世界との乖離を突き、不安視する声がある。かく言う自分も少しばかりは、心配だ。

だが、監督は既に力の循環を知っている。言の葉の庭の2人は、実態としての結末こそハッピーではなかったかもしれないが、

雨の非常階段の2人には、明らかな力の循環があった。君の名は。は、それを実態に反映させたに過ぎない。

からきっと、大丈夫だ。また気負わずに描きたいものを描いて欲しい。

2016-10-07

違和感を感じた」って書く人

その違和感の内容をその後の記述言語化できてないと、

知的怠惰だけど文句だけは言いたい人」という印象にしかならないよ。

赤ん坊がぐずってるようなレベルブログ書いて恥ずかしくないのかな。

ブログどころかメディア取材記事でやっちゃってる人もいるけど。

 

違和感を感じたら、そこで立ち止まらずにちゃんと考えてください。

頑張ってね。

 

 

追記:

コメント見てて思い直したんだけど、

確かに違和感の内容を短期間で安易言語化しないのは大事所作で、

考え続けることの意思表示として違和感の段階で言明しとくのはアリだと思う。

「これはまだ違和感しかないが、〜」みたいな書き方ね。

 

ただし「違和感を感じました」をいっぱしの価値判断みたいに扱ってて、

上品否定してやったぜみたいな気分が透けて見える文章は良くないよ、

というのが私の意見です。

せっかくの違和感なんだからも少し発酵させていい記事書いてくれ。

 

婉曲表現と重複表現ピッチャーの肘の問題についてはコメント差し控えます

あと文脈ちょっと外してでも異性の扱い出来る人アピールしたい気持ち、わかるよ。

2016-10-01

死なねーよ

――

長谷川豊による「自業自得透析患者は殺せ!」との一連の言説から炎上が、

イケハヤエントリ提示した「あるべき倫理観」によって収束解消されてってる気がする。

けど、あんな御為ごかしで溜飲下げてる阿呆運動瞑想睡眠野菜PCの電源落とした後にモニタ映る怪物との対峙が足りない。恐ろしい恐ろしい。げに恐ろしきは人の心。ああ今はスマホか知らん。靄靄するので書き出す。

長谷川の繰言もイケハヤの戯言も個人責任論に終始している。本来いま議論し深めるべきは、来るべき苛烈負債処理社会に向かう再分配制度の再設計、人命尊重至上主義からのその基盤となる思想、そのパラダイムシフトする方策なのだろう。一連の話は関連するがまずはさておき。

それにこの文章は腐れトマトの与太の与太っぷり、味わい深さについて口上を述べるなんていう霊媒師の譫言だ。

――

” いやいや、そりゃあ、卑怯はいるでしょう。当たり前です。この世から犯罪はなくなりません。”

まず、犯罪者卑怯者は違う。これ混同すんのは真の与太者の思想だ。

エントリを要約する。

~~

卑怯はいる。けれど、「その人が弱者であるかどうか、卑怯であるかどうか」は判断できない(他人から自分からでも、)

から、人々の倫理観を高めるべき。それは他者に対する疑念を捨て、他者を信頼すること。

「大半の人は正しく行動している」と信じることで、自分自身も正しい行動を取るようになる。

「みんなズルをしている」と考えている人は、当然ズルをしたくなる。

から、ぼくらはまず、信じなければならない。

不正をする人がいても、ほとんどの人はそれを正しく、望ましく利用している、のだと。

~~

自分でも他人からでもその人=自分卑怯者かどうか判断できないっていう考え方ね。

「その人」とは「自分」と交換可能じゃなければまずおかしい。ここでもう自分だけ特別なのか?

自分から他人からもその人または自分が×か○か判断できない、

もしくは、

自分から他人からも、その人または自分は×あるいは?、/じゃなければ○。

間違っているかどうかはわからないのに、正しいかどうかだけはわかる。現代詩かよ。

で、この「大半の人は正しく行動している」の「正しさらしさ;正しさみ」を判断している主体は誰?

これは、「大半の人は“ボクにとって正しいと思える”行動をしている」という程度の意味だ。

あるいは「みんなは、ボクから見て正しいと思える行動をしているなあ」って、阿が取れたら呆者だ。

ボクにとって正しいと思える行動をみんながしていると信じるならば、ボクにとって正しいと思える行動を取ることは容易い。

ボクにとってズルと思える行動をみんながしていると信じるならば、ボクにとってズルをするのは容易い。

お前はどこからどのようにその価値判断基準を得てきたんだよ。社会から自分なりに、だろ。

から大体において自分は正しいわけだ。なのに、差異があり、衝突もある。おかしいな、自分は正しいはずなのに。当たり前だ。みんな自分なりに様々な文化社会から得てるんだから

みんな違うのです。なので絶対的な正しさはないのです、だから自分から他人から価値判断されるものではないです」などと言うのは誤りだ。それは社会上、相対的に決まる。たとえば法律がある。人がどう思うかによる。

アプリオリかどうかとかは知らん。;

このひとつ人間心理思考回路は、拙筆にも矛盾なく親しく感じられる。私はこの心理を、日常生活においてはあなたや、誰にとっても矛盾なく親しく感じられるものと思っているが、厳密には誰かにとって矛盾なく親しく感じられない可能性があることは理解している。)

――

そして、自分から他人から価値判断ができないとするなら

たとえ、「ボクにとってさえ本当はズルいと思える行動」があっても、他人によってそれがズルかどうか判断される意味はなくなる。

また、ボクに良いこと・自然なことと思えることこそ、他人にとっても良いこと・自然なことだと思えるようにならざるを得ない。

――

ここで正しいとか間違ってるとかいうのは、人間社会での価値判断だ。それは単純な話、みんなが間違ってるって言ってれば社会通念上の間違いだし、みんなが正しいって言ってれば社会通念上正しいってだけの話だ。

自分にとってどんなに正しいと主張しても、その社会において認められなければ間違いとされるし、自分にとってどんなに間違ったことだと主張しても、その社会において認められなければそれは正しいとされる。Xはなんでも良い。論理の式が真理なだけだ。

自分価値判断自由だし誰にも侵されない。考えてるだけなら自由だ。でも、文章をはじめ、行為にしたとたんに何らかの、他者から評価価値判断は免れ得ない。

――

懸命な諸氏にあられては既にお気づきのように、紐解けばこれまでの、逃亡トマト師への批判齟齬ないだろ。で、お前らも揃いも揃ってサイコパスか。って言いたいためだけに書いてる。

――

ほとんどの人が「それ」を、自分にとって正しく、自分にとって望ましく利用しているはずだ。

自分にとって正しくなく、自分にとって望ましくない「それ」の利用が不正と思えるだけだ。

たとえば「それ」がなされなければ死ぬというとき、「それ」が自分にとって正しくないことだ、なんて言えるだろうか。

現に制度が整備され、第三者によって利用が認められ、「それ」なしでは自己保存本能が侵されるときに、「それ」を断てるだろうか。

そこに「卑怯者」はいない。社会通念上の価値判断を外してただ個人生存から見るならば。

そうなったらみんな同じだよねと。

どんなイメージを持つかは自由だけど、基本的にはただ待ってるだけで自分存在が脅かされるときに、何もしないで待っていられるのは、そりゃ馬鹿釈迦瞑想のし過ぎのどれかor全部だ。

誰もがみな生きることに必死だ。必死で生きてるんだから必死なのに生きずにはいられないんだから

死にたくないんだ、より生きたいんだ、卑怯もクソもあるかよ。使えるカードはみんな使うよ。

要するに生存競争なんだからと。それを敷衍してけば、バレなきゃなんでもアリだ。捕まらなきゃいいんだ。バレてもゴリ押せば勝ちだ。大義名分の下に持てる力全て使ってこの先生きのこるんだと。

から、誰かに対して、あなた方だけはどうぞご遠慮くださいなんて言い出す奴は、お前こそ御免下さいだとよと焚べられるのも当然の流れで。

じゃあどうするのか?爺婆が自分自分を火に焚べるのをまだかなまだかなって夕ご飯よろしく待つか。あるいはカタワらもまとめて誰かが知らぬまに処理してくれるのを見て見ぬふりするか。とりあえずどう考えても自業自得っぽい麻薬中毒者はガンガン殺してもいいかな。もちろん人殺しはどんどん死刑にしよう。「私達」が安心して生きられるようになるまで、どんどん減らそう。

ね、だいたいそんな感じで人類は衰退するんじゃないかな。トランプが勝って、核もまだいっぱいあるし。おそらくそのほうが最適なのかもね、地球全体にとっても。

自分自分制御できないんだからAI操作してもらい、バランス取ってもらうのが最後の頼みの綱ではあるよね。環境適応して増殖し始めちゃって自分達では止められないんだもん。ライフゲームよろしく、絶妙バランスを、自分たちの手だけで構築できるなら良いけど、どうやら無理っぽいし。ホーキング博士イーロン・マスクが恐れてるのってそういうことだと思うけど、もうそれ以外に方法がない。自分だけ助かる方法なんてないし、結局みんな死ぬんだから、まあ、それでいいんじゃないかな。

ただまあ、欲を言えば、シンギュラリティ、見届けてから死ぬつもりではあるけど。まあ、とりあえずお休みなさい。

2016-09-19

http://anond.hatelabo.jp/20160919224827

価値判断を含んだ文章理解するには、ある程度、筆者の価値判断材料理解しなくてはなりません

そして、理解した上で、共感するか、しないか

しない場合自分共感しなさをどのように伝えるか、と言った問題があります

すぐれて教育的な問題ですが、時間のなさ、カリキュラム教師能力、生徒の能力といった諸々の事情から、厳しいのが現実ですね

なるほど。こういうことなんだろうな。



俺は男子校出身なんだけど、9割9分の学生童貞恋愛の悩みなんか抱えたこともないのに、『こころ』を読まされたのはよく分からんかったな。

先生も「お前ら童貞には分からんだろうが・・・。」って言ってて、「明治精神の終わり」とかのテーマを中心に解説していたが、そっちの方が関心ないというオチ



実存主義の本なんかも結局無神論が出発点だからムリなんだろうな。

http://anond.hatelabo.jp/20160919223914

やっぱセックスとか暴力描写とか宗教とかマルクス主義とかにかかわる文章は載せられないんかな。

そういうの避けて、かつほどよい長さの文章を選ぶのは大変そう。

ゲームレーティングと同じで、発達段階に応じた内容を選ぶことの難しさはありますが、

自分場合高校ですし、高校生はある程度現実見えてるので、そこまで厳密なゾーニングをしたところで、という気にはなります

個人的にはセックス暴力描写も、「そこから客観的に何が読み取れるか」「どんなことが見えてくるのか」という点で、

教材としてだけなら、むしろ良い教育内容が作れそうだな、という感じはあります

宗教とかマルクス主義の例ですが、イデオロギーを色濃く含んだ文章は、難しいです

価値判断を含んだ文章理解するには、ある程度、筆者の価値判断材料理解しなくてはなりません

そして、理解した上で、共感するか、しないか

しない場合自分共感しなさをどのように伝えるか、と言った問題があります

すぐれて教育的な問題ですが、時間のなさ、カリキュラム教師能力、生徒の能力といった諸々の事情から、厳しいのが現実ですね

条件が整わないまま、価値判断を色濃く含んだ文章を取り扱うと、筆者の価値判断(読解ではなく)の押し付けみたいなことも生じる可能性があります

---

自分中学校国語科の教員免許も持っていて、たまに中学校教科書なんかを覗いたりするんですが、

いわば「反戦小説」が全学年出てきたり、うーん、となることがあります

国語教育

現職の高校国語教員

国語の授業というのは現在変わりつつあるらしい

今の20代以上の人なら、きっと、現代文の授業は、

形式段落意味の上で大段落に分けて、第一段落…のように形式段落ごとにちまちまと読解した覚えがあるだろう

自分も未だにそのやり方を続けている

これは、小学校先生に言われれば、古式ゆかしい方法論らしい

アクティブラーニングなんかが好きな人はたぶん生理的に受け付けないんだろう

しかし、自分はこのやり方を変えるつもりは今のところない

現代文(特に評論)の読解には、大きく分けて2つの読み方がある

1つは、トップダウン式の読み方で、全体をざっと理解してから細部に及ぶという、いわば演繹的な読み方である

もう1つは、ボトムアップ式の読み方で、細部を精読してそれを有機的に繋ぎ合わせるという、いわば帰納的な読み方である

多くの国語教員後者のやり方を取ってきた、特に中学高校教員

今、それが古式ゆかしいと批判されて、トレンディではないらしい

トレンディであるかないかじゃなくて、もっと別の方法から自分トップダウン式の読み方を授業に持ち込むのは反対だ

まずもって、トップダウン式の読み方というのは、まともに書かれた文章をまともに読もうとするとき、まともに使うことは稀であるように思う

それこそ、難関国立大の2次試験程度だ

そして、トップダウン式の読み方というのは、何より、それを履き違えた形で身に付いてしまうと、

自分の都合のいい/自分が読める箇所だけを繋ぎ合わせて何となく理解した気になって、こんなもんだろう、と都合のいい物語勝手に作り上げてしまう」

危険性が、ボトムアップ式の読み方より強い

それに、ボトムアップの読み方すらできない人は、トップダウンの読み方なんて絶対無理

しろもっともっと、細かい部分をきちんと読み込めるようにしないとダメだと思うぐらい

時代の流れだとか言うけど、

過去より現在が常に正しくて、未来もっと正しくなる」って考え、進歩主義以外の何物でもないと思うんだよね

「新しいものから」とか、「時代の流れなんだ」とか、それは主張の正当性を裏打ちするものではないと思う

「進んでる」とか「遅れてる」とかそういうフレーズ価値判断と絡めて使う人は大抵、論理的正当性を主張できないから、進歩で殴るしかない

から自分はこのままつまらない授業を続ける予定

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