はてなキーワード: 親和的とは
「昔のフェミは曲がりなりにも『差別はよくない』って前提(お題目)のもとでいろんな所に加害して回ってたけど、
最近のフェミは(男性やトランスジェンダー、そして自分たちがリスクだと感じるあらゆる属性への)差別を積極的に肯定するレベルまで堕ちてしまった」……って言われて、「言われてみるとそうかも」って思える人向けの愚痴です。
「自衛のための差別をやめるつもりはない。パターナリスティックな保護や慈悲的差別をたくさん受けたい!」という最近のフェミニズムが、果たしてフェミニストに特有の思想なのか、それとも広く女性全体の中央値なのか分からなくなってきた。
相変わらず、実際には女性が男性を差別しているシチュエーションなのに、「一部の男性が性犯罪をするのが悪い!」と被差別側に“反省”を要求するケースはあまりに多いけど、
そこで差別を正当化する人のことをフェミニスト扱いしてしまうのも、それはそれで『フェミニズム』をなんでも入れていいゴミ箱扱いしてしまっている。
「フェミニズムは差別主義だ」とか「第n波フェミニズムは、差別主義と親和的なフェミニズムなんだ」とかじゃなくて、「そもそも女性は本当は反差別を実践するつもりがなくて、
(かといって保守主義は“正しくない”というのが風潮だから)フェミニズムが彼女らの受け皿になっている」と捉えた方が、もしかしたら実情に沿った理解なんじゃないか……?
万が一仮にそうだったとしたら、そりゃ反差別主義の立場からも知的誠実さの観点からも「女性(というジェンダー)は差別主義者で嘘つきのカス!」くらいキツく批判されてしかるべきだと思う。
けれどもそれ以上に、建前では反差別を唱えているけど内心では差別の保存を良しとする人が相当数いる状態で、みんなが建前だけを信じて「よし、みんなで差別のない社会を作ろう!全会一致だ!」になってしまうのも結構マズくないか。
(たいへん厚かましくて不正義ではあるけれども)差別を必要とする生の女性の声は、誰かにきちんと拾い上げられて「ここに差別を必要としている人がいます!」と堂々と主張されるべきだ。
元増田のようにネトウヨから脱出できればいいけど、残念ながら脱出できずに50~60代を迎えてしまった高齢ネトウヨ男性も世の中には数多くいる
で、そういうネトウヨがどこに生息しているかといえば、「日本好きな外国人美女Youtuber」のコメ欄
エラ・フレイヤのような外国人美女youtuberが大好物らしく、コメ欄にうじゃうじゃと大量発生してる
高齢ネトウヨ男性のアカウントは基本的に本名かつ昭和っぽい名前なのでわかりやすい(吉田剛とか長谷川満みたいなザ・昭和ネーム)
基本的には「今日もかわいいね」みたいな褒めるコメントをするだけのが大半だが、褒めてるのか貶してるのかわからないようなキモイコメントを投げたり(例:「今日もかわいいね。でも、そろそろ年齢が肌に出始めているから、そろそろこういう活動も厳しいんじゃないかな?」)、韓国の話題が出ると一斉に叩き始めるのでわりと厄介でもある
実際、エラフレイヤはネトウヨのせいで動画を削除せざるを得なくなったことがある
2年前くらいにエラフレイヤは韓国コスメを紹介する動画を出したんだが、その時のコメ欄はまあ酷いものだった
昭和ネームのアカウントがズラッと並び、韓国を叩いたり、韓国に親和的なエラフレイヤに対してネチネチと嫌味を言うコメントで溢れかえっていた
結局その動画は数日後に削除され、それ以降エラフレイヤは二度と韓国の話題を出さなくなった
〈佐藤優現象〉を支えている護憲派の中心は、雑誌としては『世界』であり、学者では山口二郎と和田春樹である。この顔ぶれを見て、既視感を覚える人はいないだろうか。すなわち、「平和基本法」である。これは、山口や和田らが執筆し、共同提言として、『世界』一九九三年四月号に発表された。その後、二度の補足を経ている(56)。
私は、〈佐藤優現象〉はこの「平和基本法」からの流れの中で位置づけるべきだと考える。
同提言は、①「創憲論」の立場、②自衛隊の合憲化(57)、③日本の経済的地位に見合った国際貢献の必要性、④国連軍や国連の警察活動への日本軍の参加(58)、⑤「国際テロリストや武装難民」を「対処すべき脅威」として設定、⑥日米安保の「脱軍事化」、といった特徴を持つが、これが、民主党の「憲法提言」(二〇〇五年一〇月発表)における安全保障論と論理を同じくしていることは明白だろう。実際に、山口二郎は、二〇〇四年五月時点で、新聞記者の「いま改憲は必要なのか」との問いに対して、「十年ほど前から、護憲の立場からの改憲案を出すべきだと主張してきた。しかし、いまは小泉首相のもとで論理不在の憲法論議が横行している。具体的な憲法改正をやるべき時期ではないと思う」と答えている(59)。「創憲論」とは、やはり、改憲論だったのである。
同提言の二〇〇五年版では、「憲法九条の維持」が唱えられているが、これは、政権が「小泉首相のもと」にあるからだ、と解釈した方がいいだろう。「平和基本法」は、戦争をできる国、「普通の国」づくりのための改憲論である。同提言は軍縮を謳っているが、一九九三年版では、軍縮は「周辺諸国の軍縮過程と連動させつつ」行われるとされているのだから、北朝鮮や中国の軍事的脅威が強調される状況では、実現する見込みはないだろう(60)。また、「かつて侵略したアジアとの本当の和解」、二〇〇五年版では、周辺諸国への謝罪と過去清算への誠実な取組みの必要性が強調されているが、リベラルは過去清算は終わったと認識しているのであるから、これも実効性があるとは思えない。要するに、同提言には、論理内在的にみて、軍事大国化への本質的な歯止めがないのである。
佐藤が語る、愛国心の必要性(61)、国家による市民監視(62)、諜報機関の設置等は、「普通の国」にとっては不可欠なものである。佐藤の饒舌から、私たちは、「平和基本法」の論理がどこまで行き着くかを学ぶことができる。
馬場は、小泉純一郎首相(当時)の靖国参拝について、「今後PKOなどの国際的軍事・平和維持活動において殉死・殉職した日本人の慰霊をどう処理し追悼するか、といった冷戦後の平和に対する構想を踏まえた追悼のビジョンもそこからは得られない」と述べている(63)。逆に言えば、馬場は、今後生じる戦死者の「慰霊」追悼施設が必要だ、と言っているわけである。「普通の国」においては、靖国神社でないならば、そうした施設はもちろん、不可欠だろう。私は、〈佐藤優現象〉を通じて、このままではジャーナリズム内の護憲派は、国民投票を待たずして解体してしまう、と前に述べた。だが、むしろ、すでに解体は終わっているのであって、「〈佐藤優現象〉を通じて、残骸すら消えてしまう」と言うべきだったのかもしれない。
ここで、テロ特措法延長問題に触れておこう(64)。国連本部政務官の川端清隆は、小沢一郎民主党代表の、テロ特措法延長反対の発言について、「対米協調」一辺倒の日本外交を批判しつつ、「もし本当に対テロ戦争への参加を拒絶した場合、日本には国連活動への支援も含めて、不参加を補うだけの実績がない」、「ドイツが独自のイラク政策を採ることができたのは、アフガニスタンをはじめ、世界の各地で展開している国連PKOや多国籍軍に参加して、国際社会を納得させるだけの十分な実績を積んでいたからである。翻って日本の場合、多国籍軍は言うに及ばず、PKO参加もきわめて貧弱で、とても米国や国際社会の理解を得られるものとはいえない」と述べている(65)。
元国連職員の吉田康彦は「国連憲章の履行という点ではハンディキャップなしの「普通の国」になるべきだと確信している。(中略)安保理決議による集団安全保障としての武力行使には無条件で参加できるよう憲法の条文を明確化するのが望ましい」と述べている(66)。川端と吉田の主張をまとめれば、「対米協調一辺倒を避けるため、国連PKOや多国籍軍の軍事活動に積極的に参加して「国際貢献」を行わなければならない。そのためには改憲しなければならない」ということになろう。民主党路線と言ってもよい。今の護憲派ジャーナリズムに、この論理に反論できる可能性はない。「8」で指摘したように、対北朝鮮武力行使を容認してしまえば、改憲した方が整合性があるのと同じである。
なお、佐藤は、『世界』二〇〇七年五月号に掲載された論文「山川均の平和憲法擁護戦略」において、「現実の国際政治の中で、山川はソ連の侵略性を警戒するのであるから、統整的理念としては非武装中立を唱えるが、現実には西側の一員の日本を前提として、外交戦略を組み立てるのである。」「山川には統整的理念という、人間の努力によっては到底達成できない夢と、同時にいまこの場所にある社会生活を改善していくという面が並存している」と述べている。私は発刊当初この論文を一読して、「また佐藤が柄谷行人への点数稼ぎをやっている」として読み捨ててしまっていたが、この「9」で指摘した文脈で読むと意味合いが変わってくる。佐藤は、「平和憲法擁護」という建前と、本音が分裂している護憲派ジャーナリズムに対して、「君はそのままでいいんだよ」と優しく囁いてくれているのだ。護憲派ジャーナリズムにとって、これほど〈癒し〉を与えてくれる恋人もいるまい(67)。
10.おわりに
これまでの〈佐藤優現象〉の検討から、このままでは護憲派ジャーナリズムは、自民党主導の改憲案には一〇〇%対抗できないこと、民主党主導の改憲案には一二〇%対抗できないことが分かった。また、いずれの改憲案になるにしても、成立した「普通の国」においては、「7」で指摘したように、人種差別規制すらないまま「国益」を中心として「社会問題」が再編されることも分かった。佐藤は沖縄でのシンポジウムで、「北朝鮮やアルカイダの脅威」と戦いながら、理想を達成しようとする「現実的平和主義」を聴衆に勧めている(68)が、いずれの改憲案が実現するとしても、佐藤が想定する形の、侵略と植民地支配の反省も不十分な、「国益」を軸とした〈侵略ができる国〉が生まれることは間違いあるまい。「自分は国家主義者じゃないから、「国益」論なんかにとりこまれるはずがない」などとは言えない。先進国の「国民」として、高い生活水準や「安全」を享受することを当然とする感覚、それこそが「国益」論を支えている。その感覚は、そうした生存の状況を安定的に保障する国家―先進国主導の戦争に積極的に参加し、南北間格差の固定化を推進する国家―を必要とするからだ。その感覚は、経済的水準が劣る国の人々への人種主義、「先進国」としての自国を美化する歴史修正主義の温床である。
大雑把にまとめると、〈佐藤優現象〉とは、九〇年代以降、保守派の大国化路線に対抗して、日本の経済的地位に見合った政治大国化を志向する人々の主導の下、謝罪と補償は必要とした路線が、東アジア諸国の民衆の抗議を契機として一頓挫したことや、新自由主義の進行による社会統合の破綻といった状況に規定された、リベラル・左派の危機意識から生じている。九〇年代の東アジア諸国の民衆からの謝罪と補償を求める声に対して、他国の「利益のためではなく、日本の私たちが、進んで過ちを正しみずからに正義を回復する、即ち日本の利益のために」(69)(傍点ママ)歴史の清算を行おうとする姿勢は、リベラル内にも確かにあり、そしてその「日本の利益」とは、政治大国を前提とした「国益」ではなく、侵略戦争や植民地支配を可能にした社会のあり方を克服した上でつくられる、今とは別の「日本」を想定したものであったろう。私たちが目撃している〈佐藤優現象〉は、改憲後の国家体制に適合的な形で生き残ろうと浮き足立つリベラル・左派が、「人民戦線」の名の下、微かに残っているそうした道を志向する痕跡を消失もしくは変質させて清算する過程、いわば蛹の段階である。改憲後、蛹は蛾となる。
ただし、私は〈佐藤優現象〉を、リベラル・左派が意図的に計画したものと捉えているわけではない。むしろ、無自覚的、野合的に成立したものだと考えている。藤田省三は、翼賛体制を「集団転向の寄り合い」とし、戦略戦術的な全体統合ではなく、諸勢力のからみあい、もつれあいがそのまま大政翼賛会に発展したからこそ、デマゴギーそれ自体ではなく、近衛文麿のようなあらゆる政治的立場から期待されている人物が統合の象徴となったとし、「主体が不在であるところでは、時の状況に丁度ふさわしい人物が実態のまま象徴として働く」、「翼賛会成立史は、この象徴と人物の未分性という日本政治の特質をそれこそ象徴的に示している」と述べている(70)が、〈佐藤優現象〉という名の集団転向現象においては、近衛のかわりに佐藤が「象徴」としての機能を果たしている。この「象徴」の下で、惰性や商売で「護憲」を唱えているメディア、そのメディアに追従して原稿を書かせてもらおうとするジャーナリストや発言力を確保しようとする学者、無様な醜態を晒す本質的には落ち目の思想家やその取り巻き、「何かいいことはないか」として寄ってくる政治家や精神科医ら無内容な連中、運動に行き詰った市民運動家、マイノリティ集団などが、お互いに頷きあいながら、「たがいにからみあい、もつれあって」、集団転向は進行している。
ところで、佐藤は、「仮に日本国家と国民が正しくない道を歩んでいると筆者に見えるような事態が生じることがあっても、筆者は自分ひとりだけが「正しい」道を歩むという選択はしたくない。日本国家、同胞の日本人とともに同じ「正しくない」道を歩む中で、自分が「正しい」と考える事柄の実現を図りたい」と述べている(71)。佐藤は、リベラル・左派に対して、戦争に反対の立場であっても、戦争が起こってしまったからには、自国の国防、「国益」を前提にして行動せよと要求しているのだ。佐藤を賞賛するような人間は、いざ開戦となれば、反戦運動を行う人間を異端者扱いするのが目に見えている。
この佐藤の発言は、安倍晋三前首相の目指していた「美しい国」づくりのための見解とも一致する。私見によれば、安倍の『美しい国へ』(新潮新書、二〇〇六年七月)全二三二頁の本のキモは、イランでのアメリカ大使館人質事件(一九七九年)をめぐる以下の一節である。「(注・反カーター陣営の)演説会で、意外に思ったことがある。人質事件に触れると、どの候補者もかならず、「私は大統領とともにある」(I am behind the President.)というのだ。ほかのことではカーターをこきおろす候補者が、そこだけは口をそろえる。/もちろん、人質にされている大使館員たちの家族に配慮するという意図からだろうが、アメリカは一丸となって事件に対処しているのだ、という明確なメッセージを内外に発しようとするのである。国益がからむと、圧倒的な求心力がはたらくアメリカ。これこそがアメリカの強さなのだ。」(八七~八八頁)
文中の、「人質事件」を拉致問題に、「大統領」を安倍に、「アメリカ」を日本に置き換えてみよ。含意は明白であろう。安倍は辞任したとはいえ、総連弾圧をめぐる日本の言論状況や、〈佐藤優現象〉は、安倍の狙いが実現したことを物語っている。安倍政権は倒れる前、日朝国交正常化に向けて動きかけた(正確には米朝協議の進展で動かされたと言うべきだが)が、こうなるのは少なくとも今年春からは明らかだったにもかかわらず、リベラル・左派の大多数は、「日朝国交正常化」を公然と言い出せなかった。安倍政権が北朝鮮外交に敗北したのは明らかである。だが、日本のリベラル・左派は安倍政権ごときに敗北したのである。
〈佐藤優現象〉は、改憲後に成立する「普通の国」としての〈侵略ができる国〉に対して、リベラル・左派の大部分が違和感を持っていないことの表れである。侵略と植民地支配の過去清算(在日朝鮮人の人権の擁護も、そこには含まれる)の不十分なままに成立する「普通の国」は、普通の「普通の国」よりはるかに抑圧的・差別的・侵略的にならざるを得ない。〈佐藤優現象〉のもとで、対北朝鮮武力行使の言説や、在日朝鮮人弾圧の言説を容認することは、戦争国家体制に対する抵抗感を無くすことに帰結する。改憲に反対する立場の者がたたかうべきポイントは、改憲か護憲(反改憲)かではない。対北朝鮮武力行使を容認するか、「対テロ戦争」という枠組み(72)を容認するかどうかである。容認してしまえば、護憲(反改憲)派に勝ち目はない。過去清算も不十分なまま、札束ではたいて第三世界の諸国の票を米国のためにとりまとめ、国連の民主的改革にも一貫して反対してきた日本が、改憲し、常任理事国化・軍事大国化して、(国連主導ではあれ)米軍中心の武力行使を容易にすることは、東アジア、世界の平和にとって大きな災厄である(73)。
改憲と戦争国家体制を拒否したい人間は、明確に、対北朝鮮武力行使の是非、対テロ戦争の是非という争点を設定して絶対的に反対し、〈佐藤優現象〉及び同質の現象を煽るメディア・知識人等を徹底的に批判すべきである。
註
(1)岩波書店労働組合「壁新聞」二八一九号(二〇〇七年四月)。
(2)ブログ「猫を償うに猫をもってせよ」二〇〇七年五月一六日付。
(3)ただし、編集者は佐藤が右翼であることを百も承知の上で使っていることを付言しておく。〈騙されている〉わけではない。
(4)「佐藤優という罠」(『AERA』二〇〇七年四月二三日号)中のコメントより。
(5)インターネットサイト「フジサンケイ ビジネスアイ」でほぼ週一回連載中の〈 Permalink | 記事への反応(0) | 18:37
どーも共産趣味者です。
https://anond.hatelabo.jp/20231128152804
今回の田村智子議員の発言(パワハラ)で共産党界隈がざわついていますのでこの波に乗る形で書きます。
https://twitter.com/EriHirakawa/status/1623609723651260416
一般の人には「党内では自由に議論できるが党外に向けて言うのはNG」という共産党の理論は受け入れづらいと思うけど、共産党は巨大な官僚組織であることを理解すれば腑に落ちると思う。
官僚は内向きにいろんな議論はするが、政府としては全員同じ答弁をすることになっている。それと同じ理屈。
https://twitter.com/EriHirakawa/status/1748001577166930365
田村智子さんの大会での発言に衝撃を受けている人が多いのは、党員じゃないリベラル的な有権者が少なからずタムトモさんの党運営に期待していたから。
それがスタートから躓いてしまった上、不破さんが退いたあとも志位さんの元で閉鎖的な党運営が続くことが見えてしまったわけで、深刻です。
https://twitter.com/sangituyama/status/1747894267077656646
心折れた人かなりいそうだな。身の処し方をこれから考えるでしょうね。
https://twitter.com/sangituyama/status/1747896140119638354
今回が一番ダメージきた。つらいわ
(略)同志への人間的な温かみがなさすぎでは。
一人目は政治関係のライターさんかな?「読む国会」って本を書いているらしいです。
二人目はこたつぬこさんですね、共産党に親和的な論者として局所的に有名です。
三人目は学者の方ですね。「日本共産党-「革命」を夢見た100年」という著作があるそうです。
いずれの方も「この動画を見てショックを受けた」という趣旨の発言をされています。また、同趣旨のポスト(ツイート)は数多く見られます。
「共産党の内部統制と民主集中制と志位委員長 」「「共産党は官僚組織なので外向きに一枚岩なのは理解できる」⇐間違い 」で書いたように、共産党は元々そういう体質ですよね?
もちろん多くの方はそれを知らなかったとしても当然です。共産党もソフト路線で広報してきたし、その成果と言って良いと思います。
ただ、ライターやインフルエンサー、学者の方であれば、共産党のこういう性質は当然知っているものと思っていたのですが。
ちなみに、共産党がこの体質をやめたら遠くないうちに「私達こそが正しく共産主義を理解している」や、「共産主義の実現までのやり方が手ぬるい」など様々な「真・共産党」「元祖共産党」「本家共産党」が産まれることになるでしょう。
https://twitter.com/hiroakaseijouka/status/1747876306468098476の志位委員長の閉会挨拶より
(例)
Q.ソ連にもアメリカのような言論の自由があるって本当ですか?
A.ええ、原則としてその通りです。ワシントンD.C.のホワイトハウスの前で『くたばれ、レーガン!』って叫んでも罰せられないのと全く同じように、モスクワの赤の広場の前で『くたばれ、レーガン!』って叫んでも罰せられません
「悪性の自己愛」は診断名ではない。元はパーソナリティ障害の専門家であるエーリヒ・フロムの造語で、「自分のことを特別視するあまり、他人のことを自分がプレイしているゲームで殺すか殺されるかの駒としか見ていない」。いとも簡単に殺人命令を出したヒトラー、金正恩、プーチンなどが例として挙げられており、このエッセイのタイトルである「病的な自己愛と政治:致命的な混合」の意図が理解できる。
社会心理学者のエーリヒ・フロムが初めて悪性自己愛(Malignant narcissism)という用語をつくったのは1964年のことであり、それは悪の典型を示す深刻な精神障害を表現するのに用いられた。フロムはその状態を最も深刻な病理性、そして最も残忍な破壊性と非人間性の根源として特徴づけた[3]。ハーバート・ロゼンフェルドは悪性自己愛について、それは自己愛性パーソナリティの不穏な一形態であり、攻撃性を中心とした誇大性が形成され、自己の破壊的側面が理想化されたものとして表現した[4]。
彼らの着想をさらに発展させたのが精神分析医のオットー・カーンバーグであり、彼は反社会性パーソナリティは基本的に自己愛的であり、倫理性を持たないと指摘した[5]。悪性自己愛はサディスティックな要素を含んでおり、本質的には、加虐的精神病質者をつくりだしている。この小論において、悪性自己愛は精神病質と入れ替え可能な語として用いられている。
カーンバーグは1984年に悪性自己愛を精神科診断名として用いることを提案したが、ICD-10やDSM-5をはじめとした、いずれの医療マニュアルおいても到底受け入れられるには至らなかった。カーンバーグは悪性自己愛を、自己愛性パーソナリティ障害(NPD)、反社会的特性、妄想的特徴、そして自我親和的攻撃性に特徴付けられる症候群として記述した。他の症状としては、良心の欠如、権力への精神上の欲求、特別であるという感覚(誇大性)を含みうる[5]。
http://dailycult.blogspot.com/2023/11/blog-post.html
id:nomitori アメリカでもそうだけとファンダメンタルなキリスト教団体はイスラエルにとても親和的なんやなぁ…。宗教面からのその辺りの理屈を聞いてみたい…
について書く。なお書いている増田はいわゆる宗教二世ではあるが成人後も自身の意思で教会に行き続けているクリスチャン。
これは「カルト新聞」に載っている記事、なのでその文脈で捉えて欲しい。ググれば主流派からは異端視されていることがすぐわかる。
なお異端=カルト(社会的な悪性を持つ集団)ではなく、その教えには(宗教的にはともかく一般論として)一定の妥当性を持つケースもある。プロテスタントから見た異端とは、「使徒信条から外れた教えを唱える人たち」と言える。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%BF%E5%BE%92%E4%BF%A1%E6%9D%A1
これは一言で語るのが非常に難しい。
だが最近の世代間の差と共和党の支持母体についてのNHK記事は読んでおいてもいいかと
https://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/489097.html
ポイントはロビイストの存在と、共和党の支持母体である福音派ががっつり噛み合ってしまっているところかと。それに対して若い世代には反発やしらけがあることがわかる。
福音派の年寄りは何も考えずにイスラエル政権を支持しがちだが、クリスチャンであったとしてもそこは一枚岩じゃない。だが多数派であり声の大きいところでそういう風に言われがち。実際礼拝の中でも言及されたりしてるみたい。
これも難しいが無理矢理まとめると
ということだ。
聖書には「エルサレムの平和のために祈れ(詩篇)」と書いてある。闘うための武器や資金を供与せよ、ではない。
もっというとここで用いられる平和という言葉は「シャローム」といい、神の平安の総称となっている。つまり単に他者との争いの状態を避けるとか、そういうものではなく「全能の神とともにいる祝福を享受する状態」である。
一方でユダヤの歴史はイエス・キリストを否定し排除してしまったのも事実であり、新約聖書には次のようにも書かれている
エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めん鳥が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった。 見よ、お前たちの家は見捨てられて荒れ果てる。 言っておくが、お前たちは、『主の名によって来られる方に、祝福があるように』と言うときまで、今から後、決してわたしを見ることがない。
マタイによる福音書 23:37-39 新共同訳
https://bible.com/bible/1819/mat.23.37-39.新共同訳
これはイエス自身の言葉である。クリスチャンにとっては前述の使徒信条にイエスキリストによる裁きのときがくる、ということを信奉しているわけだけれども、そのときがくる前提条件が、エルサレム(象徴的に都市名であらわされるがユダヤ人をさす)が、キリストに立ち返ることであると示されている。
NHKとかのメディアでも「イエスはユダヤ人だから」とか言ってイスラエルを支持する人を切り取って放映しているけれど、聖書の教えにたつならば、平和を求めるのは当然であるし、それ以上にその平和は「神は愛なり」と説かれているその教えのうちでないといけない、というのが聖書をそれなりに読んでいるつもりの自分なりの姿勢。
スパゲッティモンスターだなんだと揶揄されがちではあるが、全知全能の存在を自分は信じているし、その介入だけがパレスチナ問題を解決しうると思い、戦況のニュースに悲しい気持ちになりつつも今夜も平和を祈ります🕊️
「女性スペース守れ」有志デモに罵声(新宿)ってニュースを見た。トランスジェンダーの人が戸籍上の性別変更をするのに性転換手術が必要とされている現行の法制度が適切か、最高裁でいま検討されいているという話もあったが、これらの件で面倒なのは、両者が「人権」「ジェンダーフリー」そして「社会的弱者」というよく似た基盤をもちながら、対立の構図を生み出している点だ。
デモは杉並区を拠点に活動する「女性と子どもの権利を考えまちづくりにいかす杉並の会」が主催した。
(中略)参加した約20人の女性らはプラカードを手に、「男女以外の性別はない」「女性スペースに身体男性は入るな」「女らしさ、男らしさから自由になろう」と訴えながら、新宿駅周辺の車道を練り歩いた。
だが、こうした参加者の訴えをかき消すような怒声も飛び交った。
参加者を上回る数の抗議者らが、レインボカラーの旗や「トランスジェンダーの権利は〝人権〟」「ヘイトスピーチ、許さない」と書いた紙やフラッグを掲げ、歩道からデモの参加者の顔を撮影したり、「トランス差別をやめろ」と声を張り上げたりした。(同ニュースより。魚拓ははじかれたのでリンクナシすまん)
コレたぶん、多くの人(特に男性)の印象は「どっちにも加担したくないなあ」だろうと思う。それは、彼らの価値観に親和的でないからではなく、むしろ親和性が高いほど問題で、それは両者にとっても社会全体にとっても一番マズい結果にしかならんと思う。
たとえば信頼してる気の合う知人が2人いたとして、どんないい人らであっても、彼らが喧嘩はじめたら両者から距離を置くくらしか現実的には対処できなさそう、みたいな感じ。リベラル寄りの政治・社会運動が失速するのって大体コレで、逆に言えばリベラル寄りの運動を失速させたいときの定番は、そういう「分裂の楔」を見つけて提供することなんだよね。で、現状この対立はまさに「人権」「ジェンダーフリー」「社会的弱者」立場の運動における「分裂の楔」になってる。そして、その「楔」にたくさんの人が踊らされている。
立場を同じくするなら、本来「手を取り合って解決する」道はあるはずなんだよ。たとえば、トイレの種類を増やす、風呂についてはもう全員水着着用を必須とする、とか。そう、一部の人でなく社会全体が薄く広くダメージを被る形での解決を目指すのが本道なんだが、それをするためには社会全体の納得が必要で、現状それが追い付いていない。この問題がいかに厄介か、少数の人がいかに苦しんでいるか、それを目指すことが社会全体にとっても結局はどのくらい価値があるか。多くの人がピンとはきてないんじゃないか。
たとえば障碍のある人への社会的な対応は、この数十年で相当進歩したけれど、それは問題に直接かかわっていない多くの人々への粘り強い社会的教育とセットになっていて、そして、それら抜きでは実現しなかった。点字舗道、音声信号、駅などのエレベータ、スロープの設置……今では当たり前なそれらの風景は、この数十年でまさに「社会全体の合意を得た上で広く浅くコストを負う形で」実現したものだ。だがもし、当事者たちが「分断の楔」に足を取られていがみ合っていたら、絶対に実現しなかっただろう。
だから、
抗議者「(デモに)参加した女性の顔写真をさらす」「トランス差別をやめろ」=攻撃とレッテル貼り
デモ側「男女以外の性別はない」「ヘイトスピーチと批判される意味が分からない」=言うこと言っておいて知らん振り
……なんていう、無自覚でも意図的でもお互いに対する攻撃は何も生まなくて、落ち着いて話し合いと協力を目指すのが唯一正解への道だと思うし、その際には、いかにして多数の人に訴えを届けるかについて方策を練った方がよいと思う。
たとえば(くだらないたとえ話だが)、「風呂場に『身体男性』の人がいることで受ける恐怖」を理解させるためには、「風呂場に『身体女性』の人がいて情欲を感じないと断言できるか」と考えさせてみるのもいいかもしれない。それに対する答えはもちろん多様でありうるだろう(「すでにゲイの男性が入っていることは避けられない」「自分は情欲を感じない」から「むしろ自分が気恥ずかしい(のでやめてほしい)」に至るまで)が、そういう議論が男性の間で起こっていない時点で、この問題はまだ社会全体で共有できていないということなのだ。ぶっちゃけ男性同士がこの問題を上記のような観点で議論しているのを見たことがない。
……と言うと、「その程度の想像力がないのか!これだから男性は…」とか毎度毎度のように絶望しはじめる人もいるかもしれないが、当事者でない限り人間にそうそう便利な「想像力」が発揮できるわけない、ということすら毎度毎度想像できないならそんなこと言わない方がいいと思う(つまり、馬鹿に馬鹿と言っても無駄だと気付けないのは十分馬鹿だ、ということ)。そうやって味方同士刺しあうより、手を取り合う方法を検討した方がよい、というのがこの書き込みの趣旨だ。上で見たように、わずか一つの「楔」が運動全体を崩壊させるのならば、逆にそれを打ち消す「絆」を実現するのも、意外とちょっとしたアイデアや行動であったりするかもしれない。それはそんなに難しいことじゃないかもしれないのだ。
今見たけど人気順でこんな感じやん?
shinonomen
shinonomen 「Colaboの会計処理がずさんで、暇空氏の言説はデマを含む」ことには九割方が同意するだろうが、それぞれについて指摘すると、それぞれの支持者が「敵の肩を持つのか!」と怒り出すので冷静な議論ができない。
2023/09/22 リンク yellow113yellow
その他
Capricornus
Capricornus 何人であれおかしいところはおかしいし、正しいところは正しいし、悪いところは悪い、そして平等な法は民主主義において何より大事。を書き殴りました。
2023/09/21 リンク redyellow123yellow
その他
keshimini
keshimini 人格に難がある奴はオールキャンセルしろというなら仁藤氏こそ消し飛ぶんだよな。どちらも消えろと主張する人は賛否はともかく筋が通ってるが、仁藤氏に親和的でありながら暇アノンとか言ってる人はダブスタが酷い。
2023/09/22 リンク yellow112yellow
その他
circled
circled 「ジャニーさんも良いこといっぱいしたんだから許してやれよ」なんて言われても誰も賛同しないのに、相手が変わると正義を簡単に捻じ曲げる人達だらけなんだよなぁ。人権や正義を本気で守ってないのは誰?
2023/09/22 リンク yellow29yellow
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sds-page
sds-page これに全同意。行政の手続きが不当に捻じ曲げられてるならそれは法の下の平等に反する。儒教的人治国家から法治国家へのアップデートを 増田 行政 人物
2023/09/22 リンク yellow52yellow
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metamix
metamix 是々非々という概念を理解できず、価値判断の基準が対象が敵か仲間かのみなので、オールインか逆張りしか出来ることがない。その思考回路を持つ集団の代表格が共産党
2023/09/22 リンク yellow38yellow
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flowing_chocolate
flowing_chocolate ここ10年の自民党政権&行政の突っ込むべきところを突っ込んでいた野党も同じように支持してきたのなら、理解はできる。
2023/09/22 リンク greenyellow39yellow
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frothmouth
frothmouth 「仁藤さんのこの部分の意見・行動には賛同する」って人を「仁藤アノン」「仁藤信者」認定するのは変だよね/ある問題に対して◯◯を支持して、後に◯◯がやらかしたって、バツの悪い思いをすることはないでしょう
2023/09/22 リンク yellow30yellow
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worris
worris 表現を燃やされた逆恨みだと本人が公言していたし、自民党のはるかに巨額な不正には目をつぶっているのに、無理矢理擁護する理屈を捻り出さなければいけない信者は大変ですね。/「一民」ってどこの界隈の方言?
2023/09/22 リンク yellow33yellow
このうち明確な反対意見は下位の2つで
言ってることもそれぞれ
worris 暇空ガー&誤字っぽいところにつっ込み
flowing_chocolate 自公が―
で論破とは言い難い
この増田のようなコメントはたまに見る。からくりは至って簡単だ。
「フェミニストはどちらも批判している。アンチフェミがフェミ叩きをしないからあなたみたいな層に届かないだけ」
これだけの話である。
ここで「なるほど、そうか」となったら以降は読まなくても大丈夫。
考えてもみてほしい。
増田、フェミニスト何人も何十人もフォローしてるとか、フェミニストクラスタの一員とかいう人間じゃないだろ?違ったらすまんが。
まあ増田の書きぶりからして、少なくともフェミニストに親和的ではない。
そんな増田のもとには、フェミニストのツイートなんてまあ、廻ってこないだろう。廻ってくるとすれば、それは増田の考え方に親和的な層(要は「オタク」「表現の自由戦士」「アンチフェミ」と呼ばれる層。以下、アンチフェミ)がフェミニストのツイートを取り上げた時ぐらい。
アンチフェミがフェミニストのツイートを取り上げる時ってどんな時だ?自分らにとって許しがたい意見の時か、「おもちゃ」にできる時だろ?「ジャニー喜多川の性暴力はクソ」って別にアンチフェミにとって許しがたい意見でもなんでもないし、おもちゃにするとかもないよな?だから増田のもとまで届かない。それだけだ。
まあ増田が実はフェミニストを何十人もフォローしてヲチしてるとかいう人間だったら話は変わってくるが、それだったら単に観測範囲違いか、ツイートを断片的にしか見てないかのどっちかだな。割とこの件には言及してるぞ。
ここからは補足。
え?フェミニストのツイートであってもバズったら廻ってくるはずだって?いやいや。数万RTくらいまでなら廻って来ないツイートもたくさんありますよ。そしてバズっても数万RTなんていかないツイートもたくさんありますよね。
それは意見が分かれるところだが、もしそうならアンチフェミが嘲笑とか差別ツイとかしてるからだ。そりゃ反論食らうに決まってる。奴らはフェミニストに対して燃料を自分からくべてるんだ。滑稽なもんだよな。
フェミニストって別に「ツイートがバズる」とかの目的でやってないんだよな。それぞれがそれぞれで主張して、ちょこちょこいいねやRTがつく。それだけなんだが、アニメとかポスターとかの話になるとアンチフェミが批判を大量に投下して君らの中でバズらせるから君らの中で「フェミニストはアニメやポスターの話しかしない」みたいに見えるだけなんだ。
話は以上なんだが、一つ私が不思議で仕方ないことを言わせてくれ。
オタク・表現の自由戦士・アンチフェミ(まあ呼び方はどれでもいいが)、フェミニストには「嫌ならそっ閉じしろ」とか言うくせに、自分たちはそれができないんだな?
フェミニストの意見を見て「そっ閉じ」ができないんだな?反論を書きたがるんだな?おもちゃにしたがるんだな?
そっ閉じしていればフェミニストの意見もそんなに広まらなかっただろうにな。
やれやれ。