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2017-05-10

浮世絵ズリネタのやつ

ネタくせえな

万一浮世絵で抜いててもたいしてひかねえだろ

カトリックのなんかとかの性癖いかにも雑学ぽいんだよな

でもある程度意外性があっておもしれえから許してやんよ

2017-05-09

http://anond.hatelabo.jp/20170509115331

自己トラバする。

浮世絵の前にも変態的な性癖はあった。

変わったところだと、カトリックプレイというもの

私も彼氏カトリックではなく、あくまで設定で。

私のベッドに彼氏が忍んでくる。

彼氏としては、佐々木希ちゃんを夜這いしてる設定で、私のことを、「希ちゃん」と呼ぶ。

私は最後まで顔を隠して、声も漏らさない。

最後まで終えた後に、あなたの妻の増田だと正体を明かす。

あなたと私は夫婦、死が2人を分かつまで、2人で1人、あなた姦淫の罪を犯させるわけにはいかなかった」

彼氏(夫という設定)は感激して改心。

最初シナリオを聞いた時は、

「なんでそうなるの?夫が不倫してたら別れるでしょ?100歩譲っても、不倫相手に扮してエッチするとか、ありえないでしょ?」

と詰め寄ったのだけども、「離婚」という発想すらない、15世紀カトリック夫婦になってほしいとのこと。

結婚秘蹟で、人間勝手離婚するなど、そんなこと発想すらできない、と彼氏

演技指導で、シェークスピアを勧められたけれど、英語だったし、しかも私の知ってる英語と違う、なんか古めかしい単語ばかりだったし、やんわり拒否して、セリフ彼氏に任せた。

今思えば、シェークスピアイギリス人からプロテスタントじゃないかと思う。

で、本番、彼氏は夫になりきり、私が佐々木希ちゃんに化けていたことに感激。

こんどは私の名前を呼びながら激しく二回戦。

今思うと、カトリックという設定なら、避妊ダメだったのかな?

15世紀コンドームなんてないし。

指摘したら本当にそうしかねないので、その時は気がつかないでよかった。

追記

浮世絵にはドン引きしたが、この時は佐々木希ちゃんと間違われるというシチュエーションちょっと嬉しくさせられ(別に似てはいないのだけど)、しぶしぶ付き合ってしまった。

こう、文章で書くとおかしエッチなのだけど、彼氏コミュ障友達がいないくせに、こういう時のセリフ回しが異常にうまく、詩的で宗教っぽい長台詞(私が無学なので、なんの引用なのかはわからない)で、引き込まれしまった。

私の観測範囲は数人なので個人的感想しかないが、エッチは抜群に上手い。

上手いというか、腰を動かしながら朗々と長台詞とか、冷静に考えると呼吸をどうやってるのか不思議

2017-04-22

http://anond.hatelabo.jp/20170421215211

新興宗教場合信仰を持ってるだけでなく、広めようとする可能性が割と高いからじゃないですかね。

カトリックヒンズー教でも、熱心すぎて周りにセミナーミサ)に参加しないか誘ってくるような人はやはり信用出来ないでしょう。

そして、仏教カトリック等、生活干渉しない範囲のゆるい感じで所属できるメジャー宗教が周りにあるのに、

敢えて少数派である新興宗教信仰し、その更に信仰を明らかにしているような人は、

「そうしなければならない何らかの理由がある」という想像が働きます

そこで想像される理由なんて、あんまりマトモな物は思い浮かびませんよね。

そんなわけで、新興宗教信仰してる人は「何か信用できない」という印象を受けますし、

そう考えるのがおかしいとは思いませんね。

2017-04-12

http://anond.hatelabo.jp/20170412230247

カトリックプロテスタントは別の宗教でどちらかと言えば対立関係にあるので、よく考えてからチョイスした方が良いと思うよ。

2017-03-28

これまでの正義の話をしよう

正義というのは「義」であって、絶対善だとか条理(justice)だとかではないのである

階級身分制のもとでは、上官が偉いのであって、上官の命令に従うのが正義なのである。だから、たとえ国際公法に反していようが、上官の命令ならば投降した敵兵を殺すのだって正義である。上官の言うことが不条理であろうが、上官は天皇下士官であるから、上官の言うことは天皇が言うのと同じという、そういう階級制の封建的理屈が成り立つ。今もなお、こうした身分階級的な、封建的社会が続いているから、見ようによっては「日本軍国主義的」というようにも思えるくらいだ。事実、少なから企業組織が未だにそうだし、未だに首相取り巻きがアレなのを見てもわかる。

たとえ投降敵兵をぶっ殺したところで、バレなければいいという理屈であり、だから天皇には決して報告されないであろうし、たとえ世界にバレても「自分独断でやりました」といって末端や中間管理職が腹を切って死ねばいいのである

また、そうやって部下が勝手に気を利かして余計なことをやるわけであるチンピラや、まさになんとか親衛隊みたいなもんだ。勝手に余計なことをやって、トラブったら自分のクビを切ればいいわけから。近年のどっかの首相取り巻きイヌが変なこと言ってその度に自らクビ斬っているのもやっぱ同じだ。

ヨーロッパだって中世はそういう感じだった。だから中世封建制や、それと不可分にあるカトリック思想においても同じ、身分階級封建制だ。アメリカですら未だに、その呪いが解けていないくらいだ。欧米企業組織においても、権限委譲デリゲイト)で成り立つ階級制で、縦割りの弊害をモロにやっているところも少なくない。

こんなだからコンプライアンス倫理)だとか、内部通報制だとか、およそ活きる余地は無い。上司が偉いんだし、社の利益のためにならばなんだってやるくらいが正義なんだから。そんで、その代わりに自分が辛い目に遭えばいいんだから

そういう理屈です、正義ってのは。

2017-03-16

奴隷根性

https://togetter.com/li/1090802

高橋源一郎現代語訳教育勅語を読んで、娘が通っていた幼稚園を思い出した。

それはカトリック系の幼稚園で、地元ではイイトコのご子息ご令嬢が通う幼稚園だ。

運動会保護者席には、Jリーガー地方局女子アナがいた。

元々は別の幼稚園に行かせていたんだが、俺の仕事の都合で転居することになって、そのタイミングから探したらそこしか年中から入れるところがなかったんだ。

運動会に限らず行事の端々に、カトリックの色は見えた。

当然といえば当然だ。

幼い声で、調子をそろえて、「父なる神のっ! 御心にっ!」とか、「我ら罪深きっ!」とか言わされるわけだ。

ちょっと待てと。

俺の娘はいつどんな罪を犯したというんだ、と思ったね。誰の僕でもないし。

カトリックってのはそういうもんだと分かっていなかったわけではないけど、実際に我が娘の口からこんな言葉が聞こえてきて初めて、カトリック系の幼稚園に通うというのがどういうことなのかに気づいたんだ。

半ば馬鹿だったと思うし、仕方なかったとも思うし、いい経験をしたとも思う。今は。

で、教育勅語の話に戻るけど、こんな内容を、実際には幼稚園児には理解できない言い回しで言わされていた彼の幼稚園の子供らと、聖句を叫んでいたこの子らとが、まぁほぼ同じに見えるわけだ。

奴隷根性を植え付けられているとね。

結局何が言いたいかというと、戦前天皇というのは本当に神だったんだなと。

結構ふつう宗教だったんだなと。

そしてもうひとつは、彼の幼稚園気持ち悪さは、俺の娘が通っていた幼稚園にもあった。どちらかが気持ち悪くて、どちらかは平気ということは、原理的にはありえない、ということだ。

宗教ってのは、いや少なくとも一神教ってのは、そういうものなのだろう。

2017-03-06

宗教を持つ意味

僕の家庭は親がカトリックだったから、自然洗礼を受け、教義自体違和感とか感じることはあったけど、十年間以上教会に通っているし、それを当たり前のことだと思っていた。

でもある時、サークルの予定や友達との約束が尽く教会礼拝イベントの日程と被り、全部潰れた時があった。社会にとって日曜日なんて土曜日と変わらないんだから、そういうことは昔からよくあったし、普通だと思っていた。でもなぜかその時はこういう考えが浮かんできた。「なぜ僕は自分のやりたいことを捨ててまで教会に行ってるんだろう」と。その行為信者たちは「神への犠牲」として尊ぶ。でも犠牲にして何かあるの?色んなこと要求されるけど、そもそもカトリック信者やってて良いことあったの?そこから僕は自分宗教信仰する意味を考え直すようになった。

確かに僕の倫理観カトリック教義によって培われたものかもしれない。でも宗教持ってなくても素晴らしくて尊敬できる人はたくさんいるし、むしろ神父なのにクソみたいな性格の奴だっている。正直聖書の言葉なんか一度も心に響いたことないし、それよりも自分人生の中で生み出してきた言葉のほうが自分をよく支えている。神を信じないと地獄に堕ちるって言われても、死後のことなんて知ったこっちゃないし、ほらっ、宗教が無くても十分幸せに生きられるじゃないか。結局宗教の主な役割ってコミュニティ形成だし、僕が信者を辞めないのも、家族や今まで教会で培った人たちとの関係を壊したくないからなんだろうなと思う。多分海外一人暮らししたら教会行かなくなるよ。

まあこんなことを言うと、「神父様や他の信者さんに相談してみなさい」って案の定言われるんだろうけど、神父や“熱狂的な”信者ってやつは、普通の人が到底納得できない「神の言葉」を延々と振りかざすだけで、何の解決にならない。多分神の言葉を万能だと思ってるんだろうな。本当に絶望している人には神の言葉なんてこれっぽっちも届かないけど、まあ彼らは絶望したことがないから分からないんだろう。

そもそも信者たちはこういうことを考えること自体を「神に背くこと」として忌避する。まあそれでもいいけど、そんな思考停止状態じゃ普通の人たちに神の言葉なんか伝わるはずないし、教会の先細りは決まってるようなもんだよね。

2017-02-23

まれも育ちもカトリックなので

カトリックの教えを道徳のような感じで捉えている

から教義がなんだ細かい定義がどうのこうのみたいな話がかなり違う世界に見える

2017-02-22

http://anond.hatelabo.jp/20170222092540

①多くの人にとって切実な主題テーマメッセージ)があって、②それを物語という形でうまく表現できていて、③何かしらの新しさ・斬新さがあると「名作」と言われることが多い。

逆に言えば、①’そんなこと悩んでるのはお前だけだとか、②’「あなたの言うことはもっともだけど、別に物語表現する必然性はないよね、論文でいいよね」と言われちゃうものとか、③’それ昔○○先生がやったよね?、みたいなのは名作とされづらい。

いま本棚を見ててこれに当てはまるので分かりやすい例は、遠藤周作の『沈黙』。最近映画化された。

これは、①執筆当時問題になっていた、カトリックプロテスタントの歩み寄り運動エキュメニズム運動)の争点を、キリスト教不毛の地日本舞台表現した。

物語としてのエンタメ性も高く、③そこでのキリスト教観も新しかったために、大ヒットした。

ちなみに①について、時代を超えた悩みについて書かれたものは、歴史的な名作になる。

[追記]

「『名作』と言われることが”多い”」と書いているのに、上の3つの要素が名作の絶対条件であるかのように誤解して、叩いてる人が多すぎる。

2017-02-19

http://anond.hatelabo.jp/20170219120016

なんか誰も書いてないから書くけど。

キリスト教神様が教えてくれた道徳を守れば幸せになれる

は違う。聖書に書かれた道徳は守れないことが前提になってる。たとえば「街歩いてるエロい女見てもスケベなことを考えるな」とか無理っしょ。神様もそこは分かってくれてる。

肝心なのは、その道徳を守れないこと、すなわち罪をきちんと自覚しましょうということ。これらの罪を俺たちの代わりに贖ってくれたイエス・キリスト信仰しましょう、そうすれば罪も許されて天国に行けますよ、という教え。

なので冒頭の文章を言い換えるなら、

キリスト教道徳を守れないことを自覚し、キリスト信仰することで幸せになれる

ってとこだな。

ちなみに、え!じゃあ信仰さえしていれば何してもいいんですか!?みたいな疑問が生じるかもしれないが、カトリックプロテスタントを分かつ大議論に発展してしまうので、この辺りは自分で調べてくれい。

2017-02-18

神道仏教例外なく総じて邪教…日本キリスト教になれ

神道仏教の連中は信念も魂もないゾンビのようなクズ

こいつらはカルト新興宗教容認しているようなもん

神道宗教がしっかりしていればこの国にカルト新興宗教蔓延することもなかった

カルト新興宗教のせいでどれだけの子供達が苦しんできたと思う?

カルト新興宗教のせいでどれだけの家庭が破壊されたと思う?

何が日本多神教宗教多様性で寛容だよ

ふざけんなクズ共が

一神教を国全体の宗教にしておけばカルト新興宗教蔓延ることもないのだよ

教徒は許さんって感覚絶対必要

カルトを防げるから

神道仏教とこいつらが容認しているカルト新興宗教のことを考えるだけでイライラしてくる

てめえら全員死ね

多神教が良いとか言ってるクズ共は母親カルトにハマったことで苦しんだ経験もない恵まれた連中だろ?

カトリックなら上から管理があるからカルトしづらい

是非日本カトリックの国にして欲しい

神道仏教クズ共は用済みだ消え失せろ

多神教死ね

神社大乗仏教の寺なんてものは何の頼りもならねーからいらねーんだよ

地獄に落ちろ

僕は今猛烈に怒っている

スマホを叩き割りたかったのを必死我慢したところだ

怒りのあまり頭が熱くて苦しい

神道の神を悪魔として扱い

神道悪魔崇拝の邪教として扱っていくべきだ

絶対に許さな

こいつらのせいで僕は人生が狂った

2017-02-06

映画沈黙 サイレンス」に便乗してキリスト教入門を語ってみる

映画沈黙サイレンス‐」がそこそこ流行っているみたいなので、便乗して「映画を見に行きたいけどキリスト教については何にも知らねーよ」という人に向けた「キリスト教とは」みたいな文章を書いてみたいと思う。

私自身は某プロテスタントの家庭に育った人間なので、どうしてもその宗派に寄った解釈というかバイアスは避けられないと思うけど、今回は可能な限りキリスト教最大公約数を目指して当たり障りのない範囲解説をしていきたい。

ちなみにタイトルは半ば釣り。「沈黙」はカトリックベースの話なので、どこまで私の話が参考になるかは分からない。

私自身、原作は読んだことがあるけれど、まだ映画館には足を運べていないので、その点は事前に了承しておいてもらいたい。

 

ポイント1 神様世界をすべて作った

キリスト教神様は全知全能。ミスも犯さないし、世界のすべてを知っているし、できないことも何もない。で、そんな神様が「光あれ!」と言って、世界ができた。「天地を創造された」ってことになってるけど、まあ、宇宙を作ったって解釈問題ないと思う。

 

ポイント2 神様人間自由意志を与えた

神様世界を作った後で、エデンの園って場所地球上のどこか)に最初人間を作った。アダムとイブ宗派によってエバ・エヴァとも)ってやつ。神様人間絶対服従のロボットみたいにすることもできたけど、あえて自由意志を与えた。自分意志神様を敬うようになって欲しかったって解釈でいいと思う。

で、「お前ら基本的に好きに生活していいけど、園の真ん中にある木の実(「善悪知識の実」とか、翻訳によって色々)だけは食べちゃダメよ」って人間約束した。

 

ポイント3 罪の支払う報酬は死

案の定アダムとイブ約束を破って木の実を食べちゃった。

元々、神様人間を「不老不死」で「罪」も犯さな存在として作っていたんだけど、この約束違反をキッカケに人間は罪を犯すようになってしまった。

「罪」の解釈は難しいテーマなのでサラリと流すけど、とりあえずキリスト教的には、人間ってのは普通に生きていれば呼吸をするようなレベルで罪を犯す存在。それくらい厳格な基準で罪と判別されることになっている。要するにキリスト教的には人類100%罪人ってこと。

そして「罪を犯した人間」はワンミスでも即「永遠の命」の権利を失う。理由については宗派によって解釈が違うかも知れないので触れない。ここでは、とにかくそういうルールだと思って貰えばいいと思う。

 

※余談だけど「神様は全知全能なんだからアダムとイブ約束を破るの初めから分かってたんじゃねーの」というツッコミは当然ある。長くなるし議論にもなるところなので端折るけど、この手の分かりやすツッコミどころ(いっぱいある)に関しては、基本、前人たちの手によって何かしらのエクスキューズっていうか言い訳が用意されているので、興味がある人はまずは調べてみるといいと思う。

 

ポイント4 イエス・キリスト人間の代わりに死んでくれた

人間は罪を犯す存在になり、そのために永遠の命を失ってしまったんだけど、神様人間を見捨てなかった。「罪の支払う報酬は死」っていうのがルールなら「罪を犯してないヤツ」が代わりに死ねば、罪を犯した人間の「死」はノーカンになるよね、って理屈で身代わりを送り込んでくれた。それがイエス・キリスト

このイエス・キリストっていうのは、神様本人でありながら神様の息子でもあるという複雑怪奇存在しかも、神様でありながら人間としてこの世に生まれてきた。もう訳が分からんと思うけど、この辺も宗派によって超議論になるところなので、今回はそういうもんだとしてスルーする

とにかくイエス・キリストは、人間として生まれ大人になったけれど、その間、一切罪を犯さなかった。そして、そのまま人間たちの手によって十字架にかけられて殺された。「罪を犯さなければ死ななくてもいい」っていうルールだったのにキリストはあえて死を選んだ、という解釈が正しいかどうかは怪しいけど、まあそう考えると理解やすいだろうか。

 

ポイント5 信じるものは救われる

そんなこんなで、人間の罪はキリストによって帳消しになった。ただし、神様あくまでも自由意志にこだわるので、これを受け入れるかどうかは依然として人間次第。だから人間が罪を帳消しにしてもらって「永遠の命」を取り戻すためには「サンキュー神様、身代わりありがとね」と神様宣言する必要がある。

何をもって宣言したとするかについては宗派によって色々だけど、まあ「洗礼バプテスマとも)」と呼ばれる儀式を受けるのが一般的。「心で受け入れればそれでOK」なんて解釈もある。逆に、あれこれ義務的な内容が追加される宗派もあるけれど、ベースに「身代わり理論」があることは変わらないはず。

 

ポイント6 「永遠の命」「死後」「最後の審判」の解釈は様々

人間個人の罪は身代わりによって帳消しになったけど、依然として人間が罪を犯す世の中は続いている。だから神様はどこかの段階でこの世界を一旦終わらせて、もう一度、罪のない世界を取り戻す(最後の審判)。そのとき、罪を帳消しにしてもらった人間は「永遠の命」が与えられる。とまあ、実のところ、この辺りまでが大体どの宗派でも共通しているだろうっていえるギリギリの線。

じゃあ具体的に「最後の審判のあとどうなるの?」とか「最後の審判の前に死んだ人間はどうなるの?」とか「『永遠の命』を貰えなかった人間はどうなるの?」とか、細かい話は本当に宗派によって色々なので、もうここでは一切触れない。

まあ、「永遠の命」を与えられた人間が、最終的には「天国(あるいは天国的なところ)」で幸せ暮らします、っていうのは多分共通だと考えてもらっていいと思う。あと「永遠の命」を貰えなかった人間は少なくとも幸せな結果を迎えられないってところも、多分共通

 

おわりに

とまあ、後半は特に曖昧表現が多くなったけど、キリスト教最大公約数的な説明をするなら、多分こんな感じになると思う。

本当は、これを踏まえて「一般的日本人クリスチャン意識や考え方が噛み合わない理由」みたいな話もしたかったけど、長文になったので、それはまた次の機会にしたいと思う。

2017-01-11

http://anond.hatelabo.jp/20170110234016

うちは自分が無神教、相手カトリッククリスチャン系の家族

夫は特に熱心な教徒ではなかったけれど、夫の家族は土日は必ず教会に行くほどで、式は向こうの要望カトリック方式

夫と義両親の理解もあって、私自身はほとんど宗教には関わらず、子ども洗礼も受けていないし、七五三やお宮参りなどは夫不在で夫の両親には伝えずこっそりやってる。

今のところ特に問題は起きていない。

うちが上手くいったポイントはできるだけお互いパートナーを巻き込まないこと。ナイーブな内容なのできちんと事前に報告・連絡・相談をしていたこと。

お互い相談し、お互いの親同士も理解のうえで譲り合えるなら特に問題ないと思う。

それができないなら同じ宗教の人限定で探した方が無難かも。

http://anond.hatelabo.jp/20170110234016

カトリックでも、さすがに婚葬はカトリック以外のもの体験しているのでは? 親戚のものは全部カトリックだったとしても。

それはともかく、子供洗礼を受けさせるかどうか、日曜学校に通わせるかどうかとかについて、話し合いができない相手とは、結婚は難しいと思う。例えば結婚前に一緒にミサに行ってもらって雰囲気を知ってもらったうえで、「自分が週1で教会に行くとき子供は連れていきたい」とかの希望相手がどう感じるか。話した結果、相手が反対したからあきらめるでもいいけど、話もできない関係では、今後がつらそう。

自分は定期的にミサにいったりはしないカトリックだけど、そこら辺話せない相手はつらいかな、と思う。これは相手カトリックでも同じで、子供洗礼は受けさせるにしても、親が自分にしてくれたように、堅信は本人の意思に任せたい。

2017-01-10

宗教が違う人と結婚できるかどうか

長崎まれ長崎育ちで今は東京に住んでいるカトリック信者で、

うちの親は違うけど、親の兄弟や親戚には神父シスターがいる家系

冠婚葬祭カトリックのものしか体験したことがない感じ。

そろそろ結婚を考えているんだけど、相手仏教?の人(詳しい宗派は聞いていない)なので、

このまま結婚していいのかなとも思う。

土曜の夜or日曜の朝に教会へ通っているので、住むなら教会が近いところがいいなぁと思うし、

自分の中には「家族教会に行って家族でお祈りしてご飯を食べる」というのが常識というか、

どんなに家族ケンカしていてもそれで一旦落ち着くというか、そういうのがあったので、

教会に行くのを習慣としたいなぁというのはなんとなく思う。

子供が生まれたら洗礼も受けさせたいし、堅信までちゃんとやってほしいなとも思うし。

個人的には宗教一種道徳だと思っているのだけど、

世間一般からすると、あまり宗教って良いイメージがない気がして、

子供に先例を受けさせたい」とか、「毎週教会に通いたい」っていうのは、「熱心すぎる信者イメージ」がある気がして、引かれるんじゃないかなって感じもある。

宗教に対して「私はそんなの気にしないよ」とか「オレはそんなの気にしないよ」なんて言う人もいるけど、

正直そういうのはあまり信じていない。(「自分の中のキリスト教イメージ」を押し付けてきそうだから。)

本当なら同じカトリックの人と結婚するのがいいんだろうけど、

普通結婚相手として相性が良くて、尚且つカトリックの人を探すのって難易度が高いなとも思うし、

どうしたもんかな〜。

2016-12-30

個人主義ってなに?

90年代00年代個人主義は、それこそスタンドアロンコンプレックスと言いたくなるような、個人自意識が、幸福も成果も責任もすべて引き受けられるとするものだった。でも、人間物理的にも心理的にも一人では生き続けられない。ここまで利便性が高くなっても、だ。だからそれは間違っていた。

https://twitter.com/twit_shirokuma/status/814453926615339008?lang=ja


個人で完結しようとする個人は、老後までその個人として完結できる可能性は、ある。だが、このイデオロギーは子子孫孫を増やして繁殖するには適さなイデオロギーから世代を経るごとに減っていく。繁殖するのは、そのようなイデオロギーを強くは信奉していない者達とその子孫と思われる。

https://twitter.com/twit_shirokuma/status/814455896403156993?lang=ja



私が地方出身の未文明であるいか、それとも無自覚内面化してしまっているせいか個人主義が何なのかよくわからない。それは具体的に誰が言い出したことでどのような思想なのか。小此木-土居-和田みたいな精神科医の一派が西洋的な個人主義とか言っているらしいが、アメリカはタウンシップの国だったし、ヨーロッパカトリック集団宗教であり共産主義は共同主義だ。ロマラブ幻想を輸出しまくったのも西洋であるスタンドアロン個人主義「者」というのもよくわからないが、ニューヨークとかで知的クール容姿端麗でばりばり稼いでる感じの人たちのことだろうか。

私が子供時代に一番多く過ごした町はヤンキー街のさらに奥、そもそも無人だった山を削り原っぱを焼き払ったような土地で、寺も神社も無い祭りもない、元々共同体存在したことがないような町だったが、「友人・恋人・家庭は何よりも大事。それなくして幸福無し」というイデオロギー支配していた。金も宗教共同体も無いからそれしか頼れることがないからかもしれないとも思えるが、間違いなくTVを中心にその他のメディアもそういうイデオロギーをまき散らしていたとも記憶している。スタンドアロン個人主義なんて「個性」なんかと同じで、バブルに沸く東京で一瞬だけ流行ったもの評論家精神科医が拡大視しただけのものじゃないだろうか。もしスタンドアロン個人主義支配的だったなら、非モテだのコミュ障だのに悩む人間などいなかったし、わざわざスタンドアロンでも満足しようという思想を捻出する必要もなかった。温かい共同体夢想する孤独ネトウヨが増殖することも無かっただろう。

これからどういう遺伝子イデオロギーが淘汰されていくのか見立て曖昧みえる。具体的にどういう層が繁殖すると想定しているのだろう。わが町(市)は少子化が進んでいるがヤンキーが多い。ヤンキーが多い(かつては早婚が多かった)にも関わらず少子化なのか、ヤンキーが多い(低所得)がゆえに少子化なのか、考えても仕方なさそうである少子化全国的ものからだ。わが町特有問題でもヤンキー特有問題でも無さそうに見える。オタクサブカル問題でも無いだろう。この草食時代オタク恋愛しない理由分析したところで特有自己愛形式なんて出てきはしない。

fromdusktildawnさんの2026年試験管内の、精子と卵子の繁殖行動と淘汰

この記事が書かれたのが2006年であり今は2016年の終わり、2026年との中間であるスタンドアロン個人主義者にはどのような淘汰圧がかかっているのだろうか。

記事id:fromdusktildawn氏の説とid:p_shirokuma氏による他の淘汰に関する記事と合わせて考えると「性淘汰を経た、容姿コミュニケーション能力に優れた男性」且つ「グローバル資本主義を勝ち抜いた抜群の頭脳を持った稼げる少数の男性」が事実上一夫多妻形成することで少子化傾向が改善され“新しくて賢い人間”へとevolutionしていくという主張のようだ。おや、“新しくて賢い人間”、私が想定する「スタンドアロン個人主義者」(ニューヨークとかで知的クール容姿端麗でばりばり稼いでる感じの人たち)そのものではないか

2016-12-23

ヨーロッパ朝鮮半島(2)

http://anond.hatelabo.jp/20161221223403

ウェストファリア条約前のヨーロッパは、事実としてプロテスタント国と、カトリック国に分裂していたが、その状態理念としてあるべき姿であると捉えている訳ではなかった。皇帝あるいは教皇のような、国家を超えた存在ヨーロッパ統一している状態こそが理想であり、そのために邪魔プロテスタント存在を認めることなどできず、さまざまな手段プロテスタント否定していった。その最たるもの30年戦争であったが、その戦禍はあまりにも大きく、単一権威によるヨーロッパ統一という理念は諦め、諸国家が互いに干渉せず、国家よりも上位の権威を認めない、現在国際関係の基礎がここに出来上がったのである

現代朝鮮半島状態もこれに似ているのではないだろうか。現在朝鮮半島は、事実として北朝鮮韓国に分裂しているが、決してその状態をよしとしているわけではなく、統一された朝鮮半島理想としている。朝鮮半島統一のためには戦争というオプションでさえ放棄していない、非常に不安定状態である統一を諦めるという選択肢もあるのではないか?と思うが、朝鮮半島がそれを受け入れるには、また30年戦争のような戦禍が必要になるだろうか。できれば、そのような戦禍なしに平和と安定が実現できればいいのに。

参考資料

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%B3%E6%9D%A1%E7%B4%84

この条約の成立によって、教皇皇帝といった普遍的、超国家的な権力ヨーロッパ単一のものとして統べる試みは事実上断念された。これ以降、対等な主権を有する諸国家が、外国存在を前提として勢力均衡の中で国益めぐり合従連衡を繰り返す国際秩序形成された。この条約によって規定された国際秩序ヴェストファーレン体制とも称される。

ヨーロッパ統一の動きが、ウェストファリア条約によって潰えたという解釈は、国際関係論系の教科書では割と一般的記述であると思います事実として分裂していても、理念としては統一なのですよ。あと、ひとつ物事にはさまざまな側面があって、単に世俗領土獲得が目的ヨーロッパ覇権の獲得が目的と見えても、別の側面からは違って見えるということはよくある。

例えば、4℃アクセサリーを妻にプレゼントするという事象も、法的に解釈すると動産譲渡であり、経済学的に解釈すると消費であり、文化人類学的に解釈するとまた別の何かなのである。どうも、自分歴史に詳しいという自負が垣間見られる方がいるが、それは歴史の一側面でしかなく、別の解釈否定するものではないですよ。

2016-12-08

http://anond.hatelabo.jp/20161208121639

確かカトリック反動プロテスタントそしてプロテスタントリベラル反動プロテスタント福音派が生まれたと認識してるがそういう背景か(違ったらゴメン)

あちらには再生産できる継続性を保ちながら丁度良い生き方の着地点を

カウンターを繰り返し分派しながら探し続ける文化があるのかなぁ

日本では一斉で増えて一斉に潮が引いてるっぽいけど此処で何か丁度良い哲学まれないもの

どうも極端だったり一世代だけ如何に凌ぐかというある種ニヒリスティックソフトランディング志向ばかり目につく

まぁそっちが目につくだけなんだろうけど丁度良い人達の方は丁度良いだけに溶け込んで見えづらい

丁度良い人達存在感が増大して欲しい

キリスト教教会なんかはそういう意味でも明確に存在してて見えて合理的なんかなぁ

うーむ

2016-11-24

http://anond.hatelabo.jp/20161124105945

オームはまさにその典型って感じだよね。

秋田カトリックセックス教団 「リトル・ぺブル同宿会」のジャンマリ神父は、我が道を行くって感じで暴走しているけど、見ていて微笑ましい。

https://www.youtube.com/watch?v=2XLpBxbaZdI

http://charbeljapan.world.coocan.jp/

2016-11-14

http://anond.hatelabo.jp/20160521160642

いくつかツッコミ

江戸期も男性の約半数、女性の3割強が生涯未婚だったし、

 これはどこでの事例なのかソースがあったら教えて欲しい。(都市部っぽいが。地域差は当然あるだろうし)

考えようによっては、生涯未婚率は5割を優に越える。なぜならば、それくらいの人数は病気などに対する抵抗力の弱い子どものうちに死んでしまうからだ。

そのような防ぎようのない未婚率を抜きにして、生きて15歳を迎えた人の未婚率は、東海地方での調査では1割以下らしい。

特に江戸期の農村では長子以外の男子子どもを持つこと自体が望まれていなかったわけだから

 んなこたーない。理由は先述した通りに乳幼児死亡率が今と比べて比較にならないほど高い上に出産での事故による母親の死者も多いからだ。

上でも書いた東海地方での調査によると

小作層ほど子どもが少なく、地主層ほど子どもが多く早婚傾向にある。

小作の子どもは男女問わず、多くが名古屋京都大坂出稼ぎに行く。そして半数は帰ってこない。

・そうすると小作の家は断絶が増える。そうした世帯の減少を地主層や自作から分家による増加で補っている。

・以上のように下層ほど子どもが少ない傾向にはあるが、根本的に多産多死時代ではあるし労働力需要も多かったので子どもはどの階層でも多め。もちろん、多すぎたら間引きすることもあったのだろうが。

再婚は多い。なぜならば(離別も確かに多いのだがそれ以上に)結婚後数年も保たずにパートナー死別することも多いからだ。特に結婚後1~5年後の夫婦は妻の死による死別が多く、おそらく出産での事故死が相当数を占めていることが推測される。

という結果が出ているそうだ。ソース歴史人口学の大家である速水融先生の数々の著作

 史料として主に使われたのは江戸時代宗門改帳だ。高校日本史でやったかと思うが、江戸時代にはキリスト教徒(および一部の禁止宗派)で無いことを示すために民衆はどこかの寺の檀家であることを必要とした。

この「村ごとの寺の檀家であることを確認する」調査宗門改だ。これとは別に人別改という戸籍調査をしていたが、江戸の中期には事実上宗門改と人別改は一体化した。

この宗門改帳には、少なくとも「子どもが生まれ一定年齢を過ぎたら家ごとに掲載される」「結婚したらその旨掲載されるし、その際には『○○さんの所に嫁(婿も少数ある)に来たのは△△村の□□家の人だ』程度のことは書いてある」

「死亡したらその旨書かれる事が多い(抜けもあるが)」という特徴があるので、宗門改帳がまとまって残っていれば江戸時代家族実態はある程度把握できている。

 余談だが、キリスト教圏、特にカトリックが強い地域でも神父日記が残っていれば似たようなことができる。というかこちらが先にあって速水先生がそれを日本宗門改帳に応用した。

村ごとにあるキリスト教会神父には「赤ちゃんが生まれたら洗礼を施す」「結婚する時には誓いを受けるし、その際には村外からやってきた新婦簡単出自程度は書いている」「死亡したら葬儀を行う」という重要仕事があり、

それらを日記から追っていければ村単位家族状況はある程度把握できた。

2016-11-05

[]聖体論争

カトリックにおいて、聖餐のパンぶどう酒は、実体としてキリストの体と血へと変化するとされるが、(化体説)

これに対してルターは、パンぶどう酒実体は変わらず、ただキリストの体と血の実体と共にあるのだとした。(共在説)

またツヴィングリは、パンぶどう酒キリストの体と血の象徴にすぎないとし、(象徴説)

カルヴァンは、パンぶどう酒実体は変わらないが、そこにキリストが霊的に存在しているのだとした。(臨在説)

こうした論争を聖餐論争、あるいは聖体論争という。

聖杯戦争ではない(これが言いたかっただけ)。

2016-09-09

くたびれはてこって人は

インド大国だ」「ハゲには社会的強者もいる」「ハゲ弾圧歴史はない」などと、同じ差別的表現でも社会的立場歴史の経緯によって深刻さは異なるという考えらしい。文脈重要だと。

これは分かる。例えば、フランスで「イスラム死ね」と言うのと、「カトリック死ね」と言うのが全く対称だとは思わない。弱者に向けられた憎悪は、強者に向けられたそれより、より生々しく当事者の心を圧迫するだろう。

だが、悪意のある発言のものよりも、発言する人の属性によってヘイトスピーチ定義付けていると落とし穴に嵌りはしないか

現実には強者けが弱者差別するのかというとそうではない。弱者同士の差別というのは存在する。弱者が「日本人であれ」「善き市民であれ」という視線に常に晒されることによって、それを内面化しより過激差別主義者が誕生することがある。

これはとても厄介で、弱者が同じ立場人間糾弾する姿を見て、攻撃的な強者は「それ見たことか、お前がワガママなだけだ」と叩きを加速させるだろうし、無知で無関心な強者には「大した問題ではないんだ」と被差別者の訴えへの沈黙正当化させる。

こういった場合に、くたびれはてこのような人がどういった回答を出すのか気になる。

2016-09-05

http://anond.hatelabo.jp/20160904024257

聖職ったって本家総本山だかが話題性知名度ワガママ女を聖人にする時代からな。w

 思うにアンタ、”教師に求められてると思ってる像”に振り回されてるだけじゃね?

俺が学生の頃とかヨユーで生徒とデキ婚したヤツとか竹刀体育館正座した奴滅多打ちにするキチガイとか金髪引っ掴んで職員室で墨汁ぶっかけたりバリカン入れたり携帯ゲーム機没収して返さないのとかいたわ。w 体育祭じゃリレー勝ち馬投票券作って生徒に元やらせたりな。ww

 こういうの書くともっと酷いのいたってのが幾らでも出てくるだろうし、そんな底辺なんか知らないって意見も出てくるんだろ? まぁ実は全部聞いた話なんだけどよ。(笑)

でも体罰とかあっても割と思い返すと楽しかったり懐かしかったりするモンらしいぜ? 見て見ぬふり教師よかイジメ見たら即ブッとばしたり校庭にバイクで乗り込んだOBに背負い投げキメて奪ったバイクスピンターンしてみせて安全運転教習始めるのとかいたらおもしれーじゃん? 教師も間違うなら世間も間違うんで、こんなトコでこそこそ愚痴ってないで大暴れしてみせりゃいんだよ。

 カトリックなんかクソショタホモだらけでもう今更引っ込みつかねぇんだろうけど「**が魅力的だから先生も男として我慢できなかったんだ! みんな俺を許してくれ!」とか教室全員の前で本気で土下座したらどんだけ訓える者として効果があるかっつー話だよ。だってそうだろ? そりゃ過ちなんかねーほうがいいかしれねーけど、人間なんだから当然だろ? 体裁取り繕うよりどう正すかのが大事じゃん。

 したら休みのない教職の現状は間違ってるってつってる以上、それを正していけばいいんじゃねーの?

多分アンタ一人じゃ上手くできないだろうけど、それを見て他に行動する奴は出てくるぜ? きっと。

 教師ならまず手本見せてくれよ。経過出してくれたら応援コメントくらいは入れるからさ。

2016-08-01

日本では殆ど報道しないニュース

7月31日フランス全国各地で、26日に殺害されたアメル神父を追悼するミサが行われ、どこでも多くのイスラム教徒が出席しました。

特に事件現場に近いルーアン大聖堂ミサは感動的な空気に包まれていました。

「出席くださって感謝します」

地元イスラム教徒代表団に語りかけているのは、先月26日に起きた教会襲撃事件殺害されたアメル神父の妹です。

深い悲しみの中にいる彼女を、イスラム教徒女性がなぐさめています

「世の中には希望必要です。お力添えを願います。」

「お兄様は私達にとっても兄弟同然です。お互いの間に溝を作ってしまったら、テロリストの思う壺です。私たちは隣人であり友人です。神を信じる者同士です。人と人とを結ぶことに尽力されたアメル神父の功績は、我々の記憶に刻まれ永遠に語り続けられるでしょう。」

ミサには、男性女性大人子供も、様々な宗教の人が出席して、カトリック教徒への連帯気持ちを表明していました。

「深く感動しています。あのような野蛮な行為には、断じて抗議します。アメル神父を思って今日は出席しました。」

友愛気持ちを表し、相手をよく知るきっかにもなったミサでした。

カトリックミサに出席するのは初めてですが・・・説教言葉は、コーラン言葉ととてもよく似ていました。」

カトリック教徒は、イスラム教徒ミサに出席したことに、とても心を打たれていました。

「素晴らしい事であり、殺害事件のようなものを避けるには、宗教間の関係をより密にしていく必要があります・・・感涙してしまって。すみません。」

今回の悲劇が、カトリック教徒イスラム教徒関係を更に密にしたようです。

snip

http://www.francetvinfo.fr/faits-divers/terrorisme/saint-etienne-du-rouvray/saint-etienne-du-rouvray-a-rouen-chretiens-et-musulmans-ont-rendu-hommage-au-pere-hamel_1571319.html

フランスF20

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