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2024-04-25

細田守新海誠ジブリだと思ってる人がいるのに

庵野ジブリだと思われていない謎

2024-04-16

anond:20240415235723

どうせろくに読まずイメージと決め付けられてもなあ

だいたいそれなら

この間2000年代ジブリインタビューの話でそんなことを書いていたNYタイムズ記者エントリ読んだの思い出した

まあ「層」なのでそのあたりもグラデーションなのだと思う

両方読む人もいるし、コンビニで売ってるゴシップ誌コンビニ漫画だけ買って暇つぶしに読む人もいれば、

スマホで単話売りでのみそういう漫画だけ買う人もいるだろうし(こういう層は「ジャンル」としてああいうのが好きなのだと思ってるけどどうなんだろうね)、

面倒がって漫画のものを読まない人はそもそも元増田話題の外かなと

自分コンビニ版はローソン専売グルメ漫画のやつはたまに買う

ごちそう日和って冊子にたまに入ってるやぶうちゆうき町中華天使軒」シリーズがかなり良い

単行本にそのうちなるかな

↑これだってイメージだろ?なぜ自分age他人sageするのかその正当性論理的説明してほしい

anond:20240416122924

ホントそれ。

施設自体は楽しめると思うけど取り巻く環境に阻害されるから

田舎というか、人の多くないところを適当にめぐる方が気楽に楽しめていい。

円安インバウンドが落ち着いたってディズニーUSJジブリパークは混雑するだろうしね。

ディズニーUSJジブリパークも調べるたびに行く気失せる

行きたい気持ちが無いわけじゃない。

けど、ふと思い出したときに調べてみるとそのたびにウンザリしていく気が失せる。

値段が高いのは別にどうでもいいんだが、そもそもチケットがろくに買えない。

ただパーク内に入るだけなら出来なくはないが、真っ当にパークを楽しむための

高額チケットそもそも売り切れてる場合が多く、運よく買えたとしても当分先の日付でしか買えない。

そして、チケットを確保できてもパーク内は人込みだらけ。

人込みに埋もれに行くようなもんだ。

高額払えば快適に楽しめるってんなら金は出すが、高額払ってやっと人込みに埋もれる権利が得られるだけ。

じゃあいいや、と思って毎回そっ閉じ

老い先短い人生であと1度ぐらいは行ってみたいが、俺が満足できるレベル訪問できる機会なんか

少なくとも直近10年は無いだろうな。おそらく死ぬまで無理だろう。

2024-04-13

米津玄師インタビューを読むとちゃんと考えがあるしそれを口にすることを厭わないので、ジブリ映画が大好きで宮崎駿作品から学んだというのは本当なのかもしれない

同じものを見聞きしても、何を得ることができるのかは人次第

得ることができた人だから大成しているのかもしれない

2024-04-12

anond:20240412214514

この間2000年代ジブリインタビューの話でそんなことを書いていたNYタイムズ記者エントリ読んだの思い出した

まあ「層」なのでそのあたりもグラデーションなのだと思う

両方読む人もいるし、コンビニで売ってるゴシップ誌コンビニ漫画だけ買って暇つぶしに読む人もいれば、

スマホで単話売りでのみそういう漫画だけ買う人もいるだろうし(こういう層は「ジャンル」としてああいうのが好きなのだと思ってるけどどうなんだろうね)、

面倒がって漫画のものを読まない人はそもそも元増田話題の外かなと

自分コンビニ版はローソン専売グルメ漫画のやつはたまに買う

ごちそう日和って冊子にたまに入ってるやぶうちゆうき町中華天使軒」シリーズがかなり良い

単行本にそのうちなるかな

宮崎駿はいから有名になったの?

1980年代から1990年代初頭に物心ついていたかた、ぜひ教えてください。


私は1983年まれ

小学校低学年のとき小学校宮崎駿天空の城ラピュタを見た記憶がある。

レクリエーションかなにかの時間だった気がする)


当時は漫画ばかり読んでいたら馬鹿になると言われていた時代

図書室にも漫画はだしのゲンくらいしかなかったはず。

しかし、先生たちはラピュタ学校で映した。

そのころすでに「宮崎駿作品は(もしくはジブリ作品は)子どもに見せてもOKなやつだ」という認識が世の中に広まっていたのでしょうか?


1988年トトロのころまでは興行成績はあまり振るわず宮崎駿は知る人ぞ知る存在、彼の作品が大ヒットするのは広告に力を入れた1989年魔女の宅急便から…と聞いている。

私が小学校低学年のころといえば1990年前後のはず。

そうなると以下のどれかなのかなあという気がする。


当時、私は幼かったので社会的に有名だったのかなどまったく分かりません。

どなたか、当時の雰囲気を覚えているかたがいたら教えてください。


ちなみに小学校ラピュタを見た際、「これ前に見たな」という印象を持ったことを覚えている。

wikiepdiaによると1988年1989年テレビ放送しているようなので、ここで見たのかもしれない。

anond:20240412100120

駿大先生ジブリの前の東映動画時代組合活動を行うバリバリ左翼思想をもって活動していて、そこで師となったのが高畑勲さん

のちに自分思想的に転向したと語ってはいるけど、初期の作品ほど色濃く左翼思想が見られるし、未来の子どもたちに向けてメッセージを送ろうとする作品性はずっと一貫してる

ただ作品を大喜びで見ていた子供たちは、まったく覚醒せずに大人になってしまったわけだけどな

2024-04-11

anond:20240407222349

おれもNetflixで見たけど同じような感想かな

地震ミミズの化け物というカタストロフィを出すための舞台装置にすぎず、物語全体は地震という天災に向き合う必然性がなくて、人の感情を描く(というかキャラクターの心情を描くことで観客の心を動かそうとする)ことに終始している

ジブリ映画積極的引用しているけど、肝心の説教部分は取り入れられていない

最近生成AI推進派が鬱陶しくなってきた

「『AI法』を作り画像生成AIからクリエーターを守りましょう!!」署名運動拡散

https://togetter.com/li/2346258


クリエイターが求めてるAIによる自動化ってコレだよね。→賛同の声集まる「これはホントそう」→「いや自分勝手では?」と批判

https://togetter.com/li/2347380


AIオタク文化に終止符を打つのか?

https://togetter.com/li/2347775



コメント欄じゃ大体同じ人が、大体同じような事を言ってるんだが


人間が」誰かの絵柄に故意に寄せた場合

それは認知されている作家組織名で〇〇風って呼ばれるし

それで活動しようとする人は「イタコ」だの「パチモノ」だの自称するわけですよ

推進派の言に従えば

本来そんなことする必要は欠片もないし

〇〇風って呼ぶことは失礼ってなるべきだけど

なってないでしょ


鳥山明の絵柄で作品作ったら、誰が見ても鳥山明【風】作品って呼ぶわけ



仮に、生成AIで絵を出力しても

そこから個の確立に動く人が居た場合

恐らくその人は問題を見出されない

問題なのは

本来ならば製作者がためらうような法の隙間の模倣物を

素人大量生産できる点なわけ


ジブリ風の絵柄とか新海誠風絵柄

ディズニー風絵柄で広告を作った場合

それは無名イラストレータの絵柄よりも注意を引けるだろう

それはその辺のイラストレータに頼むよりも安く実行できて

その行為ジブリだのの名前を出さなければ全く問題ない行為

全く合法のそれら広告は何の障害もなく展開できる

昔、遊人さんの風俗ポスターがそこら中に貼られたようにだ




最近AI推進派が合法合法叫びすぎるのが、さすがに鬱陶しくなってきた

AI推進派は完全合法のこういう行為をどう考えるんだろう?

他人の労力と知名度に完全にフリーライドした、こういう行為も生成AIの進んだ世の中の素晴らしい出来事の一つだってか?


ア ホ カ ヨ

2024-04-10

富野監督の何が凄いと思ってるの?

追記:今さら反応があって驚いたけど

やっぱり評価してるのは大昔の功績なんだね

今も創作者として色々答えたり、創ったりしてるのに

最近作品評価に値しないんだね(そもそも興味なくて観てないのかな?)って感じ

現在クリエイターなのにね

 

 

そもそもガンダムSEEDの映画ガンダム史上一番でヒットしてるけど

50億いくかいかないかどうかくらいなんだよね

から始まったハイキューに追い越されてるし

近年のアニメ大ヒット状態においてはそこまでパッとしない

なんで誰もが聞いたことがあるロボットアニメガンダムの評判のいい映画がそんな程度なんだろう?

館数が原因とかでも同様の疑問があるなんでガンダムがそんな程度なんだろう?

劇場版ガンダムとか逆襲のシャア金曜ロードショーではやることなどありえないと思ってる横で

ジブリはまたこれかと思られるくらい何度も放送される

 

でもガンダムにはガンプラがあるからとこういう事言うと返ってくるんだ

実際その通りなんだと思うけど

富野監督ガンダムガンプラはパッとしないよね

最新作と言ってもかなり前だけどGのレコンギスタガンプラって

ほとんど見ない、なんなら∀ガンダム

何故かってアニメがヒットしなかったからだろう

TVアニメ映画も5つもあるけどヒットしなかった

そんなヒットしてなかったガンダムプラモよりそりゃあ他の作るよね

 

あれ?ガンダム人気の足手まとい?と思ったし

他のTVシリーズ夕方放送してたのにGのレコンギスタは深夜帯

映画の方も宣伝なんてほとんど見なかった

あれ?そもそもしろ冷遇されてるのか?

 

ともかくここ数十年ヒット作なんて作ってない監督

コメントだけ聞いてキャッキャ流石キャッキャと話題にしてどうするんだ

観たのか作品を?その上でヒットしない駄作自分で思ったのか?

なのに偉大な監督扱いしてるのか?なんなんだ?

2024-04-06

anond:20240406180840

苦労知らずの恵まれボンボン戯言を真に受けない方がいいぞ

パヤオアニメに掛ける愛情は本物だし、苦労知らずのボンボンから好きなこと出来る幸運感謝出来ないだけ

 

そんな調子から有能なアニメーターを物理的に殺してるしな(戦犯はパクさんと言われているが)

物理じゃなくても潰してるし

ジブリの末路は当然の結果よな

2024-04-04

ジブリ作品登場人物名前を逆から読むと怖くなるって知ってる?

しらんけど

2024-03-30

ジブリタイトルをやらしくしたい

・となりのトロトロ

もののけ姫

IC近くの城ラピュタ

美魔女宅急便

・風勃ちぬ

・君たちはどうイクか

2024-03-22

私は男オタクエロ二次創作を嗜むが、

それでも公共の場に宇崎ちゃんたわわちゃん掲載されると引く。

最近特にヨースターが金の力でブルアカアズレン広告を大々的に展開しているが、

正直本当にやめて欲しい。

ああ言うのは人の目につく所に掲載するべきものじゃないと本気で思っている。

公共広告なんてジブリ一休さんだけ擦りつつけていればいい。

私らみたいなきっしょい男オタ向けの媚媚の女を表に出すな。

anond:20240320232712

遊園地から乗り物に乗る場所って思ってたけど、ディズニーランドはそうではなくて、ジブリパークのような空間コンセプトを楽しむ場所なんだよな。乗り物はおまけであって。遊園地と思って行くと失敗するわ

2024-03-21

映画FLY!/フライ!

・つまんねえ!ってほどではないけど

 秀才が頑張って作った以上のものではないという

 感じ

・ソアリン的な映像を期待してたけどそこまでではなかった 「普通」によかった

でも雲の層から都会に以降するシーンのコーラスブツ切りにしたようなあの曲はカッケェ〜!ってなった

夫婦仲がいいので子供達が各自分のパートナーみつけて家族を作る際にすごくいいプラスイメージ(ロールモデル)になるやろなあと思った

・鳥可愛い映画でなく「各鳥種のここが不気味!」がキャラデザの礎となってる感じ 不快ではない

サギに対して「この世のものとは思えない気の狂い方」と感じるのは万国共通なんやな…と思った

ちょっとジブリ魔女老婆みあった

アジアン渡り鳥一家、「アジア人目が細い描写はないが確実にアジア人韓国系)や」とわかるのなぜ

名前「キム」ちゃんとか「エキゾチックミステリアス」と聞いていたせいかアジア人の一重メイク(二重じゃないから目尻を盛る)的な感じ+おでこ出してるから

アヒル集団ヨガとかやるスピ的新興宗教的に描写するのは「今まで見たことないな…」ってなった なぜかちょっとヒヤヒヤした リーダー?の肩にクリーム色のリネン?的な生地羽織とか前髪の感じとか色々絶妙というか的確に捉えすぎている…と思った

アヒル養場でウォーリー人類的な(与えられるままに受動的一片だと肥えて自立心失うぞ)教訓くるか?と思ったけど無かった 一応その後モーテルに飛ぶまででアヒル達だけ目茶苦茶息切れしてたからそこでちょろっと描写してくれた感じか…?考えすぎや

ダンおじさんも同行するぞ!の時の「おじさんが んで外の世界過酷さを実感するやつか…?」と思ったら違った 元気なおいたん

手放しでええやん!なキャラではないが親戚の子可愛いと思ってるのは行動の端々で感じられてGoodだった 背中で寝かせてあげたり良かれと風船ごと押し込んだり

・あとルリコンゴウインコが出てくると思ってなかったから う、嬉しい〜ってなった

やはり色といい陽気な性格といい画面映えバード

ルリコンゴウインコ×東北弁、斬新だな…!ってなったけど都会を出るとあんまり方弁でない?故郷に帰った時に若干でてた?田舎の人が上京(強制)して故郷方言漏れ出る位恋しがる的な…

・おいたんとルリコンゴウインコギャグムーブ好き

檻の「こう動け!」のダンスとかおいたんがソウルイーター武器みたくなるとことかよかった

・敵の初登場シーンのカッコよさよ

背中がバチクソ格好良すぎるので前から見ると「…ウン!」ってなる ほんま黒×金はカッコいい黄金組合せだしかバキバキの虎+あの髪型入れ墨とかカッコよすぎる このスタジオさんは悪役のキャラ造形か得意なんやなあグルー見たことないけど

・野生バード自由幸せと思わんでください論争とかこのアヒル達を逃がしたところで次のアヒルが食べられるだけとかちらついたがまあキッズ向け作品なのでヨシ!

キッズ向け作品から子連れ多めかなと思ったが映画好きそうな一人大人が4〜5人+1〜2組親子

・2,3組くらい上映中出入りして前を通り過ぎていったが「まあええわ」的な温度感だった

グルー番外編やると知ってなかった+未視聴なので

「俺は鳥映画を見に来たのであってキャラムービーを見に来たのでは無いのだが??」となった でも漫画集中線みたいなやつが白黒の明滅で表現されるのカッコええなあ入口ピカチュウフラッシュ注意喚起立て看板あったけど 上映時間90分と短めやなあと思ったがグル外伝10分位とすると本編は実質80分くらいか

エンディングロール(日本スタッフ)の取ってつけたような日本タイアップ曲 大人の事情を感じる…

・お願〜い!プィ〜!は面白くないし可愛くないしどういう顔で見ればいいのかわかんねえよ…とはなった

追記

脚本スクール・オブ・ロックの人、でしたか

これは失礼いたした

スクール・オブ・ロックといわれたら何も言えねえ

14:03ニュース始めてみた

グルーの時に若干揺れてる?

でも誰も逃げてないし気のせい?って一瞬思ったけどバチクソ正常化バイアスしとった

映画館いるとき地震という体験

2024-03-20

anond:20240320093951

海外旅行好きの女性って何か特徴ってあるのかな。

そういえば旅行好きにしばしばみられる行動として、訪問場所の事前チェックがある、とふと思った。

国内海外わずだし、男女問わずだけど。

旅行に行く前の準備行為として、絶対に逃すべきではない場所食べ物を入念にチェックする。

現地でセルフィを撮って、インスタなどSNSで送る、という行動がみられる。

最近では、インバウンド来日する外国人にとてもよくみられる光景だ。

映え写真をとっては、憧れのいかにもNIPPON!な光景に興奮して即座にSNSで送る。

旅行好きの人たちにみられるこれらの行動は、スタンプラリーとほぼ同じ意味を持つ。

日常との差異体験やよその世界ちょっとだけ繋がったりできたことの証明自己顕示が欲しいのだ。

その意味で、他の人のインスタと同じ構図で撮影することが現地に到達したこと証明するうえでとても重要

このような形で消費される、「日常では手に入らない新しい体験」は、要するに、「ごっこ」であり、エコツアーにしてもアグリツーリズムにしても何しても、

現地との関係性を一瞬だけ体感できる、という意味で、旅行者が憧れていた「日常との差異」や「関係性」を消費する行動なんだろうな。

さて、それが近年の傾向なのか?というと恐らくそうではなく、これは、かつての絵葉書を送るというスタイルから変化した形で、

東海道五十三次時代からそうであっただろうし、男女にも差がなく、古今東西それほど大きな違いはなさそうだ。

日常との差異を消費し、疑似的な関係性に癒されるというのは、昔からあったのだろう。

ところで、僕は男性で、わりと旅行好きというか、仕事柄、年がら年中、スーツケースをころがしている。

そんな男性立場からみて、女性のほうが傾向として強く、逆に男性に弱いことでひとつだけ思い当たることがある。

それは、旅先で一時的体験する関係性を、その後も持続させようとする傾向だ。

旅先で知り合った人とその後も連絡を取り合ったりとする傾向は女性のほうが強い気がする。


「おもいでぽろぽろ」というジブリ高畑勲監督映画(1991)がある。

都会育ちのOL女性田舎暮らしに憧れる、というところからスタートするこの物語は、農家体験をしてゆくうちに気持ちが変化し、

最終的に田舎暮らし決断するところで終わる。

この映画場合、旅先の地に女性を迎え入れる男性やその家族という存在があるが、

いろいろふりかえってみると、必ずしも現地にそのような迎え入れるひとや団体がなくとも、旅先で憧れた現地に、そのまま飛び込んでいく女性というのをしばしばきてきた。

アジアアフリカ中南米で。かつて、「なんでこんなところに日本人」という世界の片隅で暮らす日本人を紹介するテレビ番組があったが、その番組で紹介しているのも、若い女性の活動が目立っていたように思う。

「男女差」という視点で、いろいろ参考情報をみていくと、例えば

海外留学の男女比も女性のほうが10ポイントくらい高いのだそうだ。

また、男女管理職別で見ると、男性は自社内のキャリアアップ意向が高いのに対し、女性男性よりも転職でのキャリアアップ意向が高いのだという。

男性女性よりも保守的で、外に関心がない、という傾向はそこから見て取れるのだが、

だが!しかし、、、、

果たして、そんなふうに男女差を単純に断じていいのか?とも思う。

それでも確証はないけれども、これらの数字が出ている以上は、それにむすびつく何かしら男女差のような背景はありそうだ。

まずは、男女共同が叫ばれつつも今をもって日本男性社会であるという事実から出発してちょっと考えてみる。

突飛な発想かもしれないけど、1970年代初めごろの歌謡曲で「瀬戸の花嫁」という歌を思い出した。

瀬戸内海小島へ嫁が嫁ぐ様・心情と、新生活への決意が歌われている。

あなたの島へ お嫁にゆくの 若いと誰もが 心配するけれど 愛があるから 大丈夫なの」

当時、女性が他の家に嫁ぐということは、程度の差こそあれ、この歌が表現しているように、

ホームからアウェイに飛び出してゆくことであり、その後一生アウェイで暮らす覚悟必要だった。

ドラマおしん」(1983年)も思い出す。朝の連ドラとしては異例の一年間の長編ドラマとなった「おしん」。

そこでは、さらもっと幼少のころから嫁ぎ先へとひたすらアウェイ過酷人生が描かれ、しまいには終戦時に夫が自殺し、どん底な半生が半年くらい描かれている。物語の後半では、敗戦後、残された子供を抱えて女手ひとつ小売店を立ちあげ、自立してゆき、やがて息子へ引き継いでゆく姿が描かれ、多くの女性共感を呼んだ作品だった。

孫までいるおばあちゃんとなったおしんだったが、おしんドラマは、事業を引き継いだ息子が無謀な事業拡大を始めたことで経営リスクに直面し、育て方を間違えたと自信を喪失したおしん過去を振り返るために旅に出るというシーンから始まっている。一年近いドラマの終盤300話くらいから、その伏線を回収し始めるという、息の長いドラマで、橋田壽賀子、すげえという感じしかない。

アウェイ世界でたくましく生き抜くおしんとは対照的に、登場する男性はどいつもこいつもダメな男ばかり、というのも印象に残った。

「嫁ぎ」に象徴されるように、簡単に引き返せないような事柄に身を投じるエネルギー、勇敢さ、芯の強さは、男性社会のなかで女性文化的に育まれものなのかもしれない。

昨今では、結婚就職になぞらえる向きもあるけれど、かつての日本社会はいったん他の家、姑の支配下に入ったら最後、そんなに生易しい現実ではなかったはずだ。

男性は芯がないくせに保守的で臆病だからこそ外の世界渡り歩いていて、仮に失敗してもギリギリホームにもどってこれる、みたいに何か安全弁のようなもの男性社会のものがもっていた。ふるさと家業を継ぐなんて選択肢が30代くらいの人生の岐路に用意されているとかね。

一方、女性は嫁ぐにしても出戻るにしても自分の居場所を確保するには厳しい世界

「嫁ぐ」という習慣、因習宿命からまれた、抑圧される女性の生きるエネルギーが、むしろ社会を変える力になってゆく。

これはなかなかパラドックスだと思った。

翻って、旅行好きの女性について思うことは、ホームグラウンドからアウェイ世界に飛び込むという意味

かつての日本によくみられた嫁ぐという宿命と旅は似たところがある。嫁ぐ行為が違うのは、それが片道切符であり、二度と戻れない覚悟必要だということだ。

若い女性にとって、日常空間から飛び出す、という旅行体験は、やがては「嫁ぐ」という運命現実世界で待ち構えていた時代には、疑似的に自分覚悟能力を試す場としてより大きな意味があったかもしれない。

嫁ぎ先である日本社会日本人男性漠然失望している場合

希望がもてなければ、いずれにしてもアウェイ世界で生きる宿命ならば、

いっそのこと、旅先の現地でとどまって残りの人生を過ごすことも選択肢としてはあり、くらいの感覚深層心理にあるのではないか妄想する。

一方で、男性のほうは、ホームグラウンドである故郷というもの概念として存在していた時代都市に何世代も定着した人口が急増したここ四半世紀より前の20世紀)は、旅というのは、違った意味を持っていたと思う。

かまやつひろしの歌で「どうにかなるさ」というフォークソングがある。

「見慣れた街の明り 行くなと呼ぶ」

この世界観は、瀬戸の花嫁のようなアウェイ世界で生きる覚悟は感じられない。アウェイでもどうにかなると思っているのだ。

なおかつ、ホームグラウンドを出て行ってもなお、温かい視線旅人である自分に向けてくれていると信じているのであり、「男はつらいよ」のフーテン寅さんとほぼ同じ世界観だ。

そういえば、寅さん映画も、旅先での関係性を持続できないということがひとつの大きなテーマになっていることに気がついた。


民俗学者宮本常一は、故郷を捨てて放浪する旅人考察した文章のなかで、そうした旅人

地元を去って放浪した末に、やがてひょっこりと故郷に戻ってきて、旅先で得た経験や新しい知識を広め、地域活性化寄与する機能果たしていたことを、

世間師という言葉表現した。そんなことも思い出した。

世間師というのは、故郷側の人間が出戻りの人間に対して名付けた呼び名で、一種の敬意が込められている。

嫁ぐということが待ち構えておらず、ゆくゆくは地域社会リーダーシップをとっていかなければならない男性潜在的意識として、旅は武者修行であったり、広く見聞を広め、世の中の解像度を上げるための行為だったのかもしれない。会社組織が全国各地の赴任経験を重視しているのも同じ価値観といえる。

かつて東南アジアへのセックスツアーなどがあったように、赴任先、旅先で恥をかき捨てるのも主に男性だ。

男の旅というのは、ちまちましたもの火遊びのようなもの。家から離れて外の空気を吸いたいというものだ。近所のスナックだったり、家庭が壊れないようにという不安があるからまり大きなことはできないが、脇が甘いから夫が捨てたラブホテルマッチを妻がゴミ箱から発見してしまう。やまだ紫の「しんきらり」という漫画では、そんな情景が描かれていたのを思い出した。

しかし、この四半世紀、女性社会進出や、結婚観は大きく様変わりし、嫁ぐということを前提としない将来像を女性模索する時代になった。

テレビドラマも、90年代以降、女性社会進出を反映して、トレンディドラマ代表されるように、キャリアウーマンがオシャレなレストラン食事する、みたいなシーンが増えた。

東京ラブストリーとか。憧れのロールモデルが描かれるようになったということだ。ドラマ世界にあこがれる、ということが90年代まではあり得た。

しかし、現実女性社会的地位はどうだったかというと、総合職課長以上に登れるのは一握りで、相変わらず賃金格差があり、お茶くみやらと男性社会における旧態依然とした女性役割押し付けられていたのが現実だ。その現実90年代ドラマショムニ」でよく表現されていたように思う。

しかし、時代は変わって、憧れの東京に向かって、急速に人が流入しつづける時代は終わりつつあり、受け入れるキャパもなくなってきた。

中長期的には東京一極集中トレンドは変わらないものの、それは不動産価格トレンドに連動したもので近隣県から流入が中心。一方で、田舎というベースをもち帰省必要な人というのは減っているのではないか首都圏の人は首都圏世代を重ねるし、地方の人は地方価値見出し仕事をみつけ、結婚し、次世代を育てる、という人口流動の安定期になってきたようにも思う。帰省という形でつながっていた地方ふるさとホーム)との関係が途切れてきているといってもいい。

そうなると、都会の人間地方に見出す価値というのものというのは、失われた関係性そのものに重きがおかれるようになるのは自然なことだ。

その結果、その後に続くドラマの傾向としてみても、女性理想像ではなく、もっと実態に即した現実を映し出す、自分探しのようなドラマが増えていったように思う。

一昨年のドラマファーストペンギン」とか「ユニコーンに乗って」なども、スタートアップ企業テーマ女性自画像模索した作品で、近年の傾向を象徴しているように思えた。

ファーストペンギン」のように地方移住テーマにした作品は、アウェイ環境女性ポテンシャルを試そうとするという意味では、「嫁ぎモデル」の延長線上にあるような気もするが、都会との関係性が交錯しながら物語が進むところに、考えるヒントを与えてくれるドラマではあった。


そんなことをおもった。そもそも旅行の話からはかなりズレてしまったけれど、女性が旅に何を見出しているのか、というのは女性人生観ということと絡めて考えてみると、興味深いテーマだとは思う。

とりとめもないメモです。

2024-03-16

立川の発展してんだか治安悪いんだか分からない感じ好き

三鷹田舎だけど治安良いイメージ

だいたいジブリのせいだけど

2024-03-12

病院の待合室の音楽ピアノ聴くジブリ的なやつで

なんかあーってなる

決して嫌いでしょうがないとかではないんだけど

なんかこう

これ流しとけばいいんだろお前らごとき

みたいにちょっと馬鹿にされたような気持ちになってしま

全然そんな意図ないとは思うけど

長年かかってたのんびりハワイアンはなぜやめてしまったのか

あっちのが好きだった

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