はてなキーワード: 軽蔑とは
キモすぎるでしょ……
アラサーやアラフオーの人はちょっと想像して欲しいんだが、自分らが子供の時に「このポケモンえっちすぎる~~^p^」とか言ってる中年いたらもう軽蔑以外無かっただろ?
アリエルやシンガンクリムゾンズみたいな人間キャラじゃなくてミニーとかキティーちゃんとかで「こんなのもうエロ同人出せと言ってるようなもんじゃん」と言ってる人を想像してくれな。
ヤバイだろ……?
ヤバイのはそれを描いたやつじゃなくて、それにヤバサを見出すお前なんだよって確信しか無いじゃん。
もう一度言うけど、マスカーニャがエロく見えるってことはお前がそういうヤバイ奴ってことだから。
言ってしまえばパクチーが美味いと思ってるのと同じようなもんだよ。
異常者としての自分を自覚して、異常者目線で物を見てるだけで世界がおかしいんじゃなくて自分がおかしいだけだって理解してくれよ。
パンツじゃねえと言い張ってスク水セーラー服の女が脚にメカメカしいタケコプター履いてた写真貼ってた頃に比べたらよっぽどマシだわ。
患者は大きな業績という空想(圧倒的な知能または美しさについて賞賛されること、名声や影響力をもつこと、または素晴らしい恋愛を経験すること)にとらわれています。自分が、普通の人とではなく、自分と同様に特別で才能のある人とのみ関わるべきであると考えています。患者はこのような並はずれた人々との付き合いを、自尊心を支え、高めるために利用します。
自己愛性パーソナリティ障害の患者は過度の賞賛を受ける必要があるため、患者の自尊心は他者からよく思われることに依存しています。このため、患者の自尊心は通常は非常に壊れやすいものです。患者はしばしば他者が自分のことをどのように考えているかを注視しており、自分がどれだけうまくやっているかを吟味しています。
自己愛性パーソナリティ障害の患者は、他者による批判、また恥辱感や敗北感を味わう失敗に敏感であり、これらを気にしています。怒りや軽蔑をもって反応したり、荒々しく反撃したりすることがあります。または、自尊心を守るために、引きこもったり、表向きはその状況を受け入れたりすることもあります。患者は失敗する可能性のある状況を避けることがあります。
診断
自己愛性パーソナリティ障害の診断を下すには、以下の5つ以上に示されるように、自分の価値についての過大評価、賞賛への欲求、共感性のなさが持続的に認められる必要があります。
- 自分の重要性や才能について、誇大な、根拠のない感覚を抱いている(誇大性)。
- 途方もない業績、影響力、権力、知能、美しさ、または素晴らしい恋という空想にとらわれている。
- 自分が特別かつ独特であり、最も優れた人々とのみ付き合うべきであると信じている。
- 無条件に賞賛されたいという欲求をもっている。
- 特権意識をもっている。
- 目標を達成するために他者を利用する。
- 共感性に欠けている。
- 他者を嫉妬しており、また他者が自分を嫉妬していると信じている。
- 傲慢かつ横柄である。
俺は中学生の時にネトウヨになりその後間髪入れずに共産趣味にハマったどうしようもない人間だ。
自分でも節操なしだと思うけれど、当時はマジも大マジで思想をころりと変えた。
今思い返すと痛々しすぎて目も当てられないけど、結果的にはあの時「未熟過激思想にハマる」という人生のイベントを消化しておいたことで良かったなと感じることもあるので当時を振り返りがてら書いてみたい思う。
ネトウヨになったきっかけは多分インターネット、特にようつべ、YouTubeだ。
YouTubeを見始めたガキがまず通る道であるヒカキンさんの動画を早々に卒業してしまった俺は、ゆっくり実況に手を出した。あの頃YouTubeにはゆっくり解説などなく、ゆっくりといえばゲーム、特にマイクラ実況だったもんだ。とはいえ、そこそこ昔の動画サイトには今ほどの動画が投稿されていなかったので、めぼしい動画を見つくしてしまった。そんな手持ち無沙汰になったまま関連動画を漁っているガキの目の前に出てきたのはサムネにでかでかと「自衛隊」の文字が載っている謎のコンテンツ、ネトウヨ動画だった。
当時(今もかもしれないが)のYouTubeにはネトウヨ動画が溢れていた。どれもこれもやれ韓国人はバカだ中国人は不潔だなどと適当なことを言い散らかし、それに比べて日本人は素晴らしいとおべんちゃらを並べ立てるような内容だったが、当時の中二病入りかけ戦記物大好きクソガキには親和性が高かったらしい。
俺はすぐにネトウヨになった。女騎士よりメンタル耐性が弱かった俺は驚くほどの早さで堕ちた。
韓国や中国を心底軽蔑した。自分が日本人であるだけで確立されてないアイデンティティの穴は埋められた。
インターネットがこの考えを支えてくれた。ひん曲がった思想はより頑迷になっていった。
どうしようもない人間に成り下がってしまった俺を救い出してくれたのは学校の図書館で借りた本だった。日本は自分が心の中でさんざんバカにしてた中国や韓国に各種産業で後れを取っているということを知った。
もちろん日本が世界をリードする分野も存在数多く。しかし、当時の俺にとって日本が世界で一番ではないこと、全ての分野で近隣諸国を圧倒してるわけではないこと、それを知れただけでネトウヨを脱出するには十分だったんだ。
俺はネトウヨを辞めた。
辞めるきっかけをくれた本には感謝してる。タイトル忘れたけど。
あの本のおかげでとりあえず真人間になれた。
でも、俺が共産趣味にハマるきっかけになったのもまた本だったんだ。
こっちのタイトルは忘れもしない。マルクス・エンゲルスの『共産党宣言』だ。
俺は元々読書が好きな生徒だった。通学に使う電車で本を読むのが日常だった。
中三になっても読書癖は失っておらず、痛々しさも失っていなかった。何を思ったのか俺は共産主義に興味を持った。
別に特定の思想に興味を持つことは悪くないと思う。でも、当時の俺は若く愚かだった。何故か『共産党宣言』から読み始めた。
『資本論』はちょっと太くて読みたくなかったんだと思う。そういうマセガキなので、『共産党宣言』を読むだけでマルクスの思想を理解した気になっていた。
俺は革命を目指した。目指したからと言って何か行動を起こすことはなかった。
ニコニコ動画で共産MADを見漁るだけだった。中学生も後半になるとニコニコ動画に手を出すのがちょっと乙に感じる年頃だったような気がする。
こっちはネトウヨだった時より多分ずっと痛かった。同時に平沢進にもハマってたからもっとキモかったと思う。
「君、『資本論』は読まないのか?」
余りの恥ずかしさから、その日以来共産主義について語るのを止めた。
僕はもう一度真人間になれた。
ここからが本題。
僕はこの経験から今生きていく中で大切なことをいくつも学んだと思う。生まれた国、育った場所で人を差別するべきではない。国などの大きなカテゴリに当てはめて目の前の人間を評価するべきではない。不用意なことは言わない。もし何か発言するときは論理やソースを用意しておく。
こういう当たり前の考えを手に入れた。
自分が余りに無知だということも知れた。インターネットにはクソが転がっているということも身に染みて分かった。
人生の最序盤でこういう極端な思想を振りかざしておいたおかげで、僕はこれから極右にも極左にも振れることがないだろうというのは結構なアドバンテージだと思う。
多分この経験がなければ今頃どっかのカルトに引っかかっていたのではないかと思う。
自分を客観視する能力や真偽を確認しようとする意識というのはドツボにハマって初めて手に入れたものなので。
幸運にも人生の序盤でドツボにハマって恥をかけたから、後の人生で何とかなってる。
実際問題、周りを見渡すと今ネトウヨ思想にハマってたりする人間は結構いる。
余りにも見てられない場合にはちょっとお小言を漏らしたりしてしまう。
でも聞く耳を持たないのがほとんどだ。ネトウヨは自分で気づく日が来ない限り抜け出せることはきっとないだろう。
もし子供にインターネットを与えて変なものに触れないか気をもんでる親御さんがいたら安心してほしい。
子供は勝手に染まって勝手に抜け出していく。その時に免疫ができる。その後はもう大丈夫だ。(n = 1)
後々染まる方が面倒くさい、僕の周りにいるそういう人たちのように。歳をとればとるほど抜け出しにくくなるのだから難しい。
具体的な日付はあまり覚えていないが道路族が去年の春ぐらいに引っ越してきた。
自分は長年ずっと京都の北の方に住んでいる。そんな中、一昨年ぐらいから空き地に新築住宅が建てられはじめていて音がうるさく嫌な予感がしていた。また、工事で騒音が出るのは当然なのにもかかわらず、事前に挨拶にも来ないので本当に嫌な予感しかなかった。核家族世帯にありがちだが、地域に住むということがどういうことかわかっておらず、都市部のように当たり前のようにサービスを受ける側だと思っていることが多いのだ。近所の住民とも少し話したが、どんな人が引っ越してくるのか不安でしょうがなかった。家の外観を見たところ、まあ若い世代が引っ越してくるのだろうと思った。とにかく不安だった。
そのうち家族が新しく引っ越してきた。見るからにヤンキーっぽい出で立ちであり、異質な感じを受けた。周りの住民たちは、どんな人間なのかを確認するために先手を打って若い家族に媚びを売っているようだった。自分はああいうのは好きになれない。まあ放っておけばそのうち挨拶に来るだろうと思っていた。
しかし、しばらく待っても挨拶に来ない。それどころか、毎日のように狭い庭ではしゃいでいる子どもと親を見かけるようになった。自分は昔から窓をあけてボーッと景色を見て考え事をするのが好きだったのでそれをぶち壊された気分だった。最初は新居で浮かれているのだろうと思っていたが、ずっと騒いでいるので、きっと周りの迷惑を考えられない人間なのだろうと憂鬱になった。
それにボーッと景色を見ているだけなのに、その余所者はジーッとこちらを軽蔑したような顔で見てきて、ヤバい奴らだなと思った。特に女の方は典型的なヒステリーを持ったようなやつで、自分の一番嫌いなタイプだ。自分は母親がそういうタイプだったのでよくわかる。「私こそが正義なり。私の思い通りにならない人間は悪である」と断罪するようなやつだ。観察していたところ専業主婦のようだ。
子どもと外で遊ぶのは良いことだが、それにしてもうるさい。平日の夕方や土日の終日で、ボールの突き跳ねや「イエーーーーイ!!!」だの「ギャハハハハハハ!!!」だの、およそ住宅地とは思えない騒ぎ方で騒いでいるのでいい加減こちらもノイローゼになってくる。心の休まるときがない。自分は学校に勤めているので、ちょうど自分の休みの時間帯と騒いでいる時間帯がよく被るのだ。家に帰ると絶えずうるさいというのは本当に困る。周りの住民もそれとなく「お子さん、元気でよろしいですね」などと遠回しに注意しているようだが、全然理解できていない様子だ。周りも迷惑しているのだが許容範囲らしい。あれを許容できるというのはよくわからないが、自分が神経質だとは特に思わない。
それで、これは良くないことだとは思うが、あるときもう我慢がならなくて2階から外に向けて小便をした。完全に不審者だ。しかしいろいろ調べたが、まあこちらのことをキチガイだと思ってくれれば怖くなってやむだろうと思ったわけだ。さすがに「うるさすぎたから嫌がらせしてきたのだろう」と考えるぐらいの脳はあるはずだと考えたわけだ。自分としては、もしそういうやつが横に住んでいたら相当嫌なので、まあこれで騒ぐこともなくなるだろうと思った。
しかし、なくなったのは最初だけで、しばらくするとまた「イエーーーーイ!!!」だの「ギャハハハハハハ!!!」だのが始まった。信じられなかった。気のせいかどうかわからないが、声量も大きくなった気がした。徹底的にうるさい。なんで自分は前から住んでいただけなのにこんな目に遭わなければいけないんだと苦痛だった。こう言ってはなんだが、隣人は精神障害者に違いない。相手の気持ちを推し量るということが不可能なのだろう。自分が姫であることは当然で、周りは姫である自分を輝かせてくれるための家畜にすぎないと、そう感じているのだと思った。その後も何度か同じようなやり取りが続いたが、一向に収まる気はなかった。
また、うるさいだけではない。夏になったら友人を呼んでバーベキューをし始めた。もう勘弁してほしい。バーベキューを住宅地でしないでほしい。常識的におかしい。臭いも騒ぎも酷く、精神がどうにかなりそうだった。我慢の限界だったので、注意しにいくことにした。だいたい会話はこんな感じだ。覚えてる限りでは、
「あの、すみません……」
「は? 何お前?」
「あの家に住んでる者です。バーベキューなんですがすごく臭うのでやめてもらえませんか?」
「別に臭わなくね? ねー、臭うかなー?? 別に届かないでしょ。何? クレーム?」
「いや、あの家の二階に住んでるから届くんですよ。やめてほしいです」
「いやいや! どう見ても離れてるっしょー! 臭くないでしょ」
こういう流れで自分が警察を呼んだ。警察を呼んでも何か変わるわけではないが……。民事不介入の原則というのがあるのだが、少なくともああいう輩は権力には弱いから効くだろう。
このトラブルに似たことが何度も何度もあった。あるときには、その隣人が親父に突撃していた。小便については親父にたしなめられたが、まあそれは自分でもイカれていると思うからわかっている。親父は「世の中にはああいう猿みたいなのもいるんだ」とある種の諦念を持っていて、自分がどうにか自助努力で回避しようとすることによく思っていない様子だ。会社でも愚痴って鬱憤を晴らしているが、どうにもこうにもいかない。
こういうのってどうやったら解決できるのか、本当に助けてほしい。
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(なお、この話は https://anond.hatelabo.jp/20230504110406 に基づいた創作であり、内容はフィクションです)
タイトルまま。
公式にメールしてる?自分たちの不満点を具体的に述べた文章を運営に届けているか?Twitterで悲しみにくれたツイートを毎分垂れ流す、大いに結構。共感を呼ぶこともあるだろう。けどそれでは私たちが愛しているSideMを救うのには不十分なのでは?
自分の意見を書いたメールを公式に送れよ。電話で直接でもいいぞ。多彩なたとえ話を盛り込んだツイートでdisったり一時間に何個もツイートしてるんだからそれくらい余裕だろ?
「もちろん送ったし、なんなら今までも何度も送ってきてるんだ」って?当たり前だ。改善するまでしつこく送ろう。Twitterするよりその文章をメールで直接届けろ。気力が…とか言い訳するなよ。毎日お気持ちツイートはできてるんだからそれを書面にしてメールすればいいだけ。なんなら問い合わせた内容をTwitterに載せたら具体的な共感が得られるんじゃないか?
オタクたちは自分たちの気持ちを伝えるのには公式へのメールが正しい方法だって知ってるのに俺が観測している限り実行しているやつは数えるほどしかいないんだが。メールしたと言っているやつも2回、3回と繰り返しおこなっているやつなんてほぼいない。わたしも同じく運営への不満点は粛々とメールを送るのが一番だと思っているし個人ツイートでお気持ちを述べても現状なんか変わらないと知っているから、今でも運営にメールをしている。全て違う文章でだ。具体的には4/4のサ終発表日から5回だ。別にこれは数自慢なんかじゃないぞ。数が多ければ多いほど真剣さも伝わると思っているから送ったまでだ。
「SideM」とか「バンナム サイスタ」で検索するとお気持ちがトップツイートで見れるわけ。フォロワーが多かったり、いいねがたくさんついている人のツイートがたくさん見れるわけ。あのさぁ、くだらない大喜利ツイート多すぎね?具体的にいうと個人特定になるから伏せるけど、上記のキーワードで検索して見て欲しいよ。「この状況は例えるなら〜が〜って…コト!?」的な、なんっの風刺でもない、何物にもならないくだらない文章ばかり出てくるよ。面白くもなんともない。「だってこんな状況、笑うしかないんだよ」じゃねえよ。何被害者ヅラしてんだ。深刻な問題なんだろ?おどけて何が面白い?なぜ自分の真剣な思いに一ボケしないと気が済まないんだ?他コンテンツのファンにけなされて「何も知らない奴らが口挟むな!」って怒るけど、私からしたらお前らも似たようなものだと思うんだが。
「例えるならバンナムという毒親が子供のSideMを虐待している」ってやつも、誰が考えたんだ?みんな当然のように使ってるけど不謹慎すぎるし、例えとしてふさわしくない。
分かってるよ。一人一人のツイートを遡れば真面目に自分の気持ちを呟いている時もあるって。けどな、ちょっと挟んだだけのおどけたツイートばかりやたら伸びてるんだよ。私は「こんなことを言えばバズるかも!?」とか此の期に及んでそう言った思惑のやつが真似してツイートしたり一度バズったから味をしめて無意識に何度もおこなっている奴がいるんだと思ってる。Twitterでやることはそれなのか?運営に直接メールを行わない、じゃあTwitterで真剣に呟いているのかと思えばそれも違って、わざと難しい言葉ばかり使ったよくわからないツイートばかりしているんだから。はたから見たら一つも真剣に見えないのでは?「ま〜た女オタクが気持ち悪いお気持ちツイートしてるよ」って冷めた目で見られても仕方ない。
みんなが騒いでいるから自分も何か言いたくなって書き込んでいないか?それ自体は構わなくても、その文章は本当に自分の考えたものか?140字のツイートばかり見て毒されていないか?会ったこともないフォロワーに遠慮して言えていないことがあるのではないか?
そんなことばっかりして楽しいなら好きにすればいいが、今一度送信ボタンを押す前に考えてツイートしてくれ。言論封殺じゃないぞ。間違ってもいまの雰囲気に便乗して目立とうとするなよ。その適当な考え方、心から軽蔑する。
運営のやり方に文句のある奴。今の状況は誰がどう見たって変だ。だから連日こんなに盛り上がっている。その文句をどうか運営にぶつけないか。1000人が書けば1000通の講義の文章になって運営に届くんだ。そしたら何か変わるかもしれない。変わらないかもしれないけど、やって見なくちゃわからないと思う。長文で書かなくてもいいし、箇条書きでもいい。誹謗中傷でなければなんでもいい。お前のお気持ちツイートはいいねなんてつかないし、誰の心も動かせないけど、運営へメールを送れば少なからず1通にはなるんだから。
そこまでしたくない?あぁ分かった。じゃあ二度とツイートするなよ。
タイトルまま。
公式にメールしてる?自分たちの不満点を具体的に述べた文章を運営に届けているか?Twitterで悲しみにくれたツイートを毎分垂れ流す、大いに結構。共感を呼ぶこともあるだろう。けどそれでは私たちが愛しているSideMを救うのには不十分なのでは?
自分の意見を書いたメールを公式に送れよ。電話で直接でもいいぞ。多彩なたとえ話を盛り込んだツイートでdisったり一時間に何個もツイートしてるんだからそれくらい余裕だろ?
「もちろん送ったし、なんなら今までも何度も送ってきてるんだ」って?当たり前だ。改善するまでしつこく送ろう。Twitterするよりその文章をメールで直接届けろ。気力が…とか言い訳するなよ。毎日お気持ちツイートはできてるんだからそれを書面にしてメールすればいいだけ。なんなら問い合わせた内容をTwitterに載せたら具体的な共感が得られるんじゃないか?
オタクたちは自分たちの気持ちを伝えるのには公式へのメールが正しい方法だって知ってるのに俺が観測している限り実行しているやつは数えるほどしかいないんだが。メールしたと言っているやつも2回、3回と繰り返しおこなっているやつなんてほぼいない。わたしも同じく運営への不満点は粛々とメールを送るのが一番だと思っているし個人ツイートでお気持ちを述べても現状なんか変わらないと知っているから、今でも運営にメールをしている。全て違う文章でだ。具体的には4/4のサ終発表日から5回だ。別にこれは数自慢なんかじゃないぞ。数が多ければ多いほど真剣さも伝わると思っているから送ったまでだ。
「SideM」とか「バンナム サイスタ」で検索するとお気持ちがトップツイートで見れるわけ。フォロワーが多かったり、いいねがたくさんついている人のツイートがたくさん見れるわけ。あのさぁ、くだらない大喜利ツイート多すぎね?具体的にいうと個人特定になるから伏せるけど、上記のキーワードで検索して見て欲しいよ。「この状況は例えるなら〜が〜って…コト!?」的な、なんっの風刺でもない、何物にもならないくだらない文章ばかり出てくるよ。面白くもなんともない。「だってこんな状況、笑うしかないんだよ」じゃねえよ。何被害者ヅラしてんだ。深刻な問題なんだろ?おどけて何が面白い?なぜ自分の真剣な思いに一ボケしないと気が済まないんだ?他コンテンツのファンにけなされて「何も知らない奴らが口挟むな!」って怒るけど、私からしたらお前らも似たようなものだと思うんだが。
「例えるならバンナムという毒親が子供のSideMを虐待している」ってやつも、誰が考えたんだ?みんな当然のように使ってるけど不謹慎すぎるし、例えとしてふさわしくない。
分かってるよ。一人一人のツイートを遡れば真面目に自分の気持ちを呟いている時もあるって。けどな、ちょっと挟んだだけのおどけたツイートばかりやたら伸びてるんだよ。私は「こんなことを言えばバズるかも!?」とか此の期に及んでそう言った思惑のやつが真似してツイートしたり一度バズったから味をしめて無意識に何度もおこなっている奴がいるんだと思ってる。Twitterでやることはそれなのか?運営に直接メールを行わない、じゃあTwitterで真剣に呟いているのかと思えばそれも違って、わざと難しい言葉ばかり使ったよくわからないツイートばかりしているんだから。はたから見たら一つも真剣に見えないのでは?「ま〜た女オタクが気持ち悪いお気持ちツイートしてるよ」って冷めた目で見られても仕方ない。
みんなが騒いでいるから自分も何か言いたくなって書き込んでいないか?それ自体は構わなくても、その文章は本当に自分の考えたものか?140字のツイートばかり見て毒されていないか?会ったこともないフォロワーに遠慮して言えていないことがあるのではないか?
そんなことばっかりして楽しいなら好きにすればいいが、今一度送信ボタンを押す前に考えてツイートしてくれ。言論封殺じゃないぞ。間違ってもいまの雰囲気に便乗して目立とうとするなよ。その適当な考え方、心から軽蔑する。
運営のやり方に文句のある奴。今の状況は誰がどう見たって変だ。だから連日こんなに盛り上がっている。その文句をどうか運営にぶつけないか。1000人が書けば1000通の講義の文章になって運営に届くんだ。そしたら何か変わるかもしれない。変わらないかもしれないけど、やって見なくちゃわからないと思う。長文で書かなくてもいいし、箇条書きでもいい。誹謗中傷でなければなんでもいい。お前のお気持ちツイートはいいねなんてつかないし、誰の心も動かせないけど、運営へメールを送れば少なからず1通にはなるんだから。
そこまでしたくない?あぁ分かった。じゃあ二度とツイートするなよ。
島田は後日この発言に後日「軽率な発言により、大きな誤解を招いたことを反省」「(法政の)学生諸氏、教員、職員の皆さんにご迷惑をお掛けしたことを陳謝」と「謝罪」したが、
こういった「誤解」を与えたことのみに対する謝罪は、権力者の差別発言事件によく見られ「謝らない謝罪」として批判されてきたものであるが、結局リベラル文化人だろうが同じ誤魔化しを行うという現実には失望を抱かされる。
島田は、誤ったことを述べてしまったと発言を撤回するか、あるいはテロを肯定して何が悪いと突っ張るか、どちらかであるべきだった。
一方、有田の場合、発言自体の問題点は島田と違い、それほど大きくはない。しかし言い方の面では、「それで地元民の支持が集まると思っているのか?」と大いに疑問が沸くところである。
下関がカルト教団の聖地という印象操作をした事にムカついてるし、有田芳生氏やその発言を支持した議員を心から軽蔑します。下関はそんな街じゃない。
と猛反発した。
有田はこれに対し、田村への個人攻撃・中傷ツイートを大量にリツイートし、法的措置をほのめかしつつ
と発言している。
確かに田村淳の発言の論理性は高いとは言えないし、それを以って彼を否定することは可能だろうが、しかし有権者平均の知的能力は期待したい水準よりずっと低いという事実に留意すべきではなかろうか。
政治家は、大卒インテリだけ、あるいはツーカーで話せる身内だけ相手にするわけではない。ゆえに、「自分はそんなこと言っていない、コイツはアホかと思った」としても、じゃあどういえば伝わるのか考えるべきだろう。
有田の発言にしたって、生の演説という状況では仕方ないところがあるけれども、かなり説明不足な発言である。「これで分からないなら…」というものでないことは間違いない。
例えば、聖地エルサレムの歴史のように、宗教が弾圧されようが教徒の居住が禁止されようが聖地は聖地だろう。それなのに投票で変えようというのはどういう意味だろうか?
「聖地」に「投票で変えられる」という文脈を足すならば、「教会が認定した」以上のもの、例えば「教会が支配している」などを想定するのも連想としておかしいとは思わない(特にそういう主張をする左派ネット民が珍しくない状況だと)。
ここは、物議を醸した時点で、サクッと「誤解を招いて申し訳ない」と言えばいいじゃないか。島田と違って決定的な言質は取られてないんだから。
「真意は……」と、id:bronson69氏のブコメ
「統一教会はこの下関を『聖地だ』と言っている。自民党が、安倍さんがそう仕向けたからだ。下関は統一教会の聖地なんかじゃない、皆さんがそう思われるなら、投票で示すべきではありませんか」みたいに言えてればな
のような形で補足すれば完璧だ。舌っ足らずな発言で分かってくれる人だけ相手するのは「誰一人取り残さない政治」ではない。
「東京弱者男性ストーリー」は、東京に住む弱者男性・田中の物語です。
田中は、30歳にして無職で、貧困生活を送っています。彼には下方婚をしている妻がおり、彼女は家計を支えるためにフルタイムで働いています。田中は、自分自身に自信がなく、妻に依存している部分があります。
ある日、田中と妻は子供を望んでいることを知り、人工授精を試みます。しかし、その結果は失敗に終わり、妻は再び妊娠することができませんでした。田中は、自分が女を妊娠させることができる「産む機械」を見つけ、彼女に代理母を頼むことを決意します。
代理母の候補を探していた田中は、下方婚おじさん・山田と出会います。山田は、女性問題で失業し、酒とギャンブルに溺れていた過去を持ち、今も生活に苦しみながら生きています。彼は田中の計画に興味を持ち、自分の娘を代理母にすることを申し出ます。
こうして、田中と山田の娘が生まれます。田中は、自分が父親であることに喜びを感じながら、娘を見守っていきます。彼は、自分自身の弱さや依存心を克服し、自立することを決意します。妻との関係も新たな局面を迎え、彼らは家族として新たな一歩を踏み出します。
「東京弱者男性ストーリー」は、生きづらさを感じる人々に向けたストーリーであり、弱者男性の葛藤や人間模様を描いた作品となっています。
主人公:田中隆太郎(たなか りゅうたろう):30歳無職の既婚男性。高校卒業後、就職活動に失敗し、現在はニート状態。両親からは頼りにされず、妹に軽蔑されている。
ヒロイン:山本真理子(やまもと まりこ):25歳のOL。真面目で優しい性格で、隆太郎に惹かれていて下方婚している。
下方婚おじさん:山田健一(やまだ けんいち):50代の男性。隆太郎と同様、下方婚している妻がおり、夫婦仲が良いことで知られている。隆太郎にアドバイスを与える良き相談相手となる。
その名に恥じない本当に美しい楽器だと、いち愛好家として思う。
しかしながら当然この楽器にもアンチはいて、嫌う理由は様々だが、特に見過ごせないのは
「なんだかお高く止まっている」
だろう。
少なくともヴァイオリンという楽器は、奏者のエネルギーを直接ぶつけるが如く弾くようにはできていない。
もう少し正確に言うなら、クラシックのヴァイオリンの奏法が、そういう弾き方を端から否定しているということになる。
具体的には、基本の基本として学ぶ「デターシェ」という奏法が、ヴァイオリンという楽器の性質を完全に固定してしまっているというか。
そしてこれこそが、実は奏者の性格をも良からぬ方向に変えてしまっているのでは…という話をしたいと思う。
デターシェ/デタシェはフランス語の"detache"のことで、英語でこの言葉に当たるものは"de-touch"らしい。
この言葉が示す通り、ヴァイオリンの基本の弾き方においては、ハッキリと「弓で弦をこすっている」感覚はほぼ皆無である。
(かといって浮遊感があるわけでもない)
なぜなら、ヴァイオリンは弓の木の重さだけで弦をこする楽器だからである。
言い換えるなら、多くの人がヴァイオリンは手や腕の筋力で、弓を弦に「押し付けて」こすると誤解しているわけだ。
だから未経験者はもちろん、未熟な人が弾くヴァイオリンは「しずかちゃん」と揶揄される、ギーギーガリガリしたノイズまみれになってしまうのだ。
ではどうしてこのような弾き方がヴァイオリンの基本になったかと言えば、そもそもヴァイオリンは当時の楽器では特大レベルで大きな音がする楽器であり、音量よりも音質が問題になったからと推測される。
音が大きいということは美音も雑音も大きな音で再生されやすいということであり、そこで奏者の体に極力負担が少なく、かつ美音だけを選択的に出す方法を極めた結果、行き着いたのがデターシェと。
ちなみにこのデターシェがきちんと出来ているかは、ある程度以上の腕前を持つヴァイオリン奏者だったら、プロアマ問わず聴いただけで判断できる。
すなわち「芯があって抜けのある音」という、非常に特徴的な、上質としか言いようのない音がするのだ。
例えるならアコースティックのギターやハープが「ポーン」と弦を弾いた音のような、アタックがあって、そこから非常に緩やかに減衰していく、不自然さを感じさせない音。
これがヴァイオリンが誕生した当時のヨーロッパにおいて、美音とされたサウンドとも言える。
そしてこの奏法を完璧に習得した(つまり呼吸をするかのようにデターシェで弾けるようになった)奏者は、それ以降どう頑張っても汚い音では弾けなくなる。
それこそどんなに激しい曲でもノイズを一切発生させることなく弾けるようになるし、だからこそ基礎の基礎と言える奏法なのだ。
(もしデターシェを習得しない状態で激しい曲を弾いたら、音が荒っぽくなって大惨事だろう)
では、そういう「ちゃんとした」弾き方ができるようになった奏者がどうなるかというと…耳もまた変化するのである。
つまり耳が「クラシックなヴァイオリンの上質な音」に最適化されるため、それを否定するかのような音に強い違和感を覚えるようになる。
そんな耳の変化は、最終的に奏者の感性をも大きく変えることになる。
具体的には、まずデターシェで弾けていない人を「かわいそうな人」あるいは雑魚扱いするようになる。
更にデターシェで弾けていても、デターシェを根幹とする「クラシカルに美しい音」の価値観に重きを置かないような、抜けのない濃すぎる音や、
あるいはインパクト重視だったり勢い任せの弾き方を多用するヴァイオリン奏者を嘲笑し、軽蔑するようになるのである。
どんなに上手い人であっても高確率で「残念な人」「分かっていない人」とみなされ、なんなら「何も知らない素人を騙すしか能がない」とさえ言われる。
しかし…これを差別主義と言わずしてなんと言うのだろう?エリート主義?
音楽は本来自由なものであって、「~しなさい」も「~するな」も、可能な限り不要ではないだろうか。
自分を含むヴァイオリン弾きは「美」を追求していたはずなのに、そこからかけ離れた、なんだか醜悪な感性が身に付いてはいないだろうか。
そうは言っても、もはや自分の耳は、粗野だったりわざとらしいヴァイオリンの音色を受け付けなくなってしまった。
とんでもなく耳にキツく響く上に、そんなものを何時間も聞かされた日には胸が苦しくなる。
自分が追求していることと違いすぎる音を、同じヴァイオリン弾きという「近すぎる」人種が平然と奏でる様子が、しんどくてたまらない。
これがエレキギターとかの他の楽器だったらどんなに良かっただろう。
まさか上手くなることでこんな悩みが生まれ、そして軽蔑される側だったはずがいつの間にか軽蔑する側に回ってしまうとは…暗澹たる思いである。
憶測で語るならむしろ人気はずっと上がっててリアルイベントの規模も拡大傾向だったように見える
とはいえコロナに入ってからオンライン形式になったから実勢は不明だが演者を招く数や会場規模は2014年頃から順当に拡大してる印象があるな
ましゅは最近VRライブなんかにも参戦していてアニメが終わったあとも精力的に活動しているのは見て取れる
なかなかサンリオの肝いりで攻め続けてるようだし投票はなんらかのレギュレーション変化と見るべきだろう
まだまだライブのハコも小さかった2015年時点でアニメ化の追い風もあるとは言えあわや1位ってほどだったから警戒されるのは分かるだろう
サンリオキャラの中で異質なモノが目立ちすぎるのはきっとサンリオの中の人的にもファン心理的にも微妙だからな
元祖主人公としてシアンちゃんの顔を看板にすることでサンリオファンの中心である女性層からの男性キャラへのアイドル選挙的な過熱を避けることができるんだろう
結果として誰もが望むような穏当な位置に居続けてるってわけよ
とはいえ流行の変化もあるし15年頃シンガンに熱を上げてたオタ女子の大半は今べつのもん推してると思うけどな
まあ全部憶測だけどな
「どうせ泡沫コンテンツなんだろ」的な軽蔑を増強したいだけなら外野の人間が多そうなこういう匿名の場で聞くのは大正解だぞ
そうやってまとめサイト的な野次馬エコチェンで悪意的解釈に浸ってれば簡単に増田住民のような性格の悪い人間になれる
だが俺はそういう「ものを知ろうとしてる風」で内実舐め腐った聴き方してくる人間は叩きのめすことにしている
とはいえ舐め腐りたいだけじゃなく本当に無知ゆえに甘く見てただけで知りたい方が上に来てる人であったかもしれない可能性にかけて――
32歳限界孤独中年男性、ひょんなことから人生初の恋人が出来る。
知り合いと冗談半分で最後の望みを掛けて始めたマッチングアプリであれよあれよと仲良くなった彼女は、小柄で可愛らしくてちょっと性欲強めという、俺には出来すぎた女の子だった。
性行為は20代の頃に風俗で一度だけあったが、あまり良いものと思えず、そこからはひたむきにマスターベーションに励む人生だった。
久しぶりの性行為、そして素人童貞からの卒業に感慨深いものを得るが、週1~2で会い、セックスをするという流れを3ヶ月ほど過ごしているうちに、最後まで出来ないということが増えた。
最初は経験不足ゆえにうまく動けないことや、長年に渡る過酷なマスターベーションが原因かと思い、二人で色々な体位を試してみたり、極力陰茎に触らないという生活を心掛けるようにしてみたが、あまり良い結果は得られなかった。
実のところ、心当たりが一つあったのだが、それを言うと彼女から軽蔑されるのでは?と思い性癖を明かすことは出来ずにいた。
そう、それがアへ顔である。
最初はちょっとバカにしていたアへ顔だったが、段々と癖になってしまい、彼女が出来るまではほぼフィニッシュはアへ顔で済ましていた。
マスターベーションの目的ではなくても、アへ顔をしている海外の配信者をずっと眺めてしまったり、電車の中でSNSを眺めている時に精巣にグッとくるアへ顔を見掛けてしまうと、たまらず電車を飛び出してトイレの個室でヌいてしまうこともあった。
それぐらいに俺はアへ顔の虜になっていたのだ。
度々性行為を途中で中断することで彼女はすっかり自信を喪失し、最近では二人の仲もなんとなく不穏になってきてしまっている。
正直に彼女に「セックス中にアへ顔して欲しい、寄り目で下を出してヨダレを垂らしながらピースして欲しい」と打ち明けるべきなのだろうか。
この事で彼女に変なトラウマを残すぐらいなら、自分のような男に伴侶が出来たなんて短い夢だったんだと別れるべきなのだろうか。