はてなキーワード: 暮らしとは
少子化の話題になるとすぐ、日本人が移民を受け入れないから悪いって言い出す人がいるが、
自国民ですら暮らしにくい日本なんかに移民したがる外国人が、そんなにいるとは思えない
一時的な技能実習生ならともかく、生涯にわたって日本に住むなんて外国人の方が御免でしょ
アメリカやヨーロッパが移民で溢れ返っているのは白人の文化に魅力があって吸い寄せられるからであって、日本にそんなものないでしょ
留学生だって日本に来るのは安いからであって、本当はアメリカやヨーロッパに行きたい人が大半だって聞いたぞ
これって女が結婚したがらないのが悪い、子供を産みたがらないのが悪い、って言うのに似てるんだよね
いや、結婚したかったし産みたかったですけど? ただ単にモテなかっただけであって。
何故、「出来ない」を「しない」だと決め付けて叩くのだろうか?
氷河期世代の不遇を語るこの一連のポストに対し、途中までは共感しながら読んでたんだけど
普通、三流大学出身でそれゆえに苦労したならだったら、「学歴至上主義は間違ってる」って結論にならない?
たとえ三流大学出身だろうと、ブラック企業で搾取されていい理由になんかならないよ。
ていうか『学歴』じゃなくて『大学名』至上主義が正しいし。(しかも漢字間違ってるし)
しかも高学歴の例がGMARCH以上?はぁ?その程度で?氷河期世代だと早慶や東大京大でもまともな就職が出来なかった事例がざらなんだけど?
で、bioを見てみると、こいつ男なんだな。なるほど、だからか。
同世代の女はもっと上の大学でも就職に苦労してたのに、男はGMARCH程度でまともな就職が出来てたんだ、ふーーん。
つくづく男はイージーだな
この人の他のポストを見てても、考え方が幼いっつーか、文章が何か変なんだよね
まぁまともな人生積ませてもらえなかったせいでこうなったのかもしれんが、何処までも自分が自分がで、他者の不遇を考えるという視点がない
伊藤孝恵議員という女性議員の発言が発端なんだけど、こういうふうに氷河期世代の男は、同世代の女が男より遥かに就活に苦しんでいた事は頭にないもよう。
この人、圧迫面接で人格否定って具体的に何をされたのかな?ていうか人格否定ならば、自分で選びようのない性別を理由に否定されるよりは全然マシだとしか思えないけれど。
どうせこいつは男だから、面接で恋人いないの?結婚したらすぐやめるんでしょ?うちに育休はないけどいいの?と聞かれた事なんてないんでしょ?
一人暮らしなの?うちは実家暮らししか採らないんだよねえ、とか言われた事はないんでしょ?
学歴(大学名)で悩むだけで済んでるのは、それだけ恵まれてるからだよ
https://twitter.com/MelodyOfNight/status/1774805104367182062
𝑯𝒊𝒅𝒆
@MelodyOfNight
氷河期世代が下手すると10年以上かけて、到達した給料をいきなりもらえる今の新入社員たち。
氷河期世代の自分が体験したひどい経験を思い出すと、バカらしくてやってられない。
そもそも今の人手不足の原因は、氷河期世代を使い捨てにして、未婚化・少子化を推進したからだ。
https://twitter.com/MelodyOfNight/status/1774939189693624325
𝑯𝒊𝒅𝒆
@MelodyOfNight
氷河期世代は、GMARCH以上の学歴がないと、まともな仕事には就けなかったですからね。
個人的には、高学歴であることは、人生の一番になると思っています。
𝑯𝒊𝒅𝒆
@MelodyOfNight
訂正
ある日、平凡な町に住む少年トムは、ある不思議な出来事に巻き込まれました。彼の名前がついたトムの靴ひもが、突然バナナに変わったのです。
最初は驚きと困惑の中、トムはその奇妙な現象を受け入れざるを得ませんでした。しかし、靴ひもがバナナに変わったことで、彼の日常生活は大きく変化し始めました。
トムは靴ひもの代わりにバナナを使って歩き始めました。最初はぎこちなかったものの、バナナのしなやかな柔らかさが靴ひもにはない新しい感覚をもたらしました。彼は街中を歩き回り、バナナの魅力に心を奪われました。
しかし、トムの靴ひもがバナナに変わった理由は、ひとつの冒険が始まる合図だったのです。ある日、トムはバナナの先に不思議な光を見つけ、それを追いかけていくと、未知の世界へとたどり着きました。
そこでは、バナナたちが知的な存在として暮らしており、トムは彼らと友情を育みました。彼らとの交流を通じて、トムは自分自身や世界について新たな気づきを得ることができました。
バナナと靴ひも、異なる形を持つ二つの存在が織り成す冒険は、トムの人生に新たな色を加え、彼を成長させることになりました。そして、トムは靴ひもとバナナの不思議な絆を永遠に胸に刻むのでした。
少し気が強かったものの美人で、色々と尽くしてくれて、ほんと俺にはもったいないくらい可愛い彼女だった。今にして思えばおそらくその頃がちょうど俺のモテ期だったんだと思う。
大学で、他の女の子から告白された。その子はおっぱいが大きくて、彼女は小さかった。
告白を俺は受け入れてしまった。その場で断るのはなんだか悪いし、それにおっぱいが大きかったし。
告白の件がバレると彼女は激怒した。そして告白してきた女の子は胸が大きいことでちょっと有名だった。だから彼女は胸のことを口にし、「私とおっぱいのどっちが好きなの!?」というので「おっぱい」と俺は答えた。彼女は俺にビンタし何度も蹴ってきた。それから泣きながら出ていくとそれで関係は終わってしまった。
俺はおっぱいの大きい子と付き合い始めたものの長くは続かず、彼女が浮気したことであっさり別れた。
それから十数年、俺には彼女が居ない。今は零細企業の安月給で働き、趣味はVTuberにスパチャを送ることぐらいで、名前が呼ばれたり呼ばれなかったりで一喜一憂して暮らす日々を過ごしている。
あの日、あの時。俺がおっぱいの欲求に負けず、彼女と付き合い続けていれば今頃は家庭を築いて家族で幸せに暮らしていただろう。
そうだ。そうに決まっている…
俺はおっぱいが憎い。
心が女のトランス女性が生まれたての赤ちゃん含む三人の子供と妻を捨てて逃げ女として自由に生きている事が美談のように書かれた記事を見た。
これが美談になるのは彼が男だからだ、母親が生まれたての赤ちゃん捨てて逃げて自分らしい自由な暮らし満喫してます☆みたいな話が美談にはまずならない。
そして、赤ちゃん含む3人の子供を捨てて逃げるのは女性の心母親の心を持っているからとも思えない。
子供や赤ちゃん捨てるのが女の心の特徴なら、そこいら中で子供が死にまくっている。
妻子を捨てて彼がなりたかったのは何なのか、女ではないだろう。
かつての労働者の街が…大阪・釜ヶ崎「LGBTQ高齢者の介護や就労支援の最前線になった」深い背景
https://news.yahoo.co.jp/articles/b26a485f3e43e863b99d3dd26c219f51ad5b863f
Aにとって男性を演じて妻と接するのは何よりつらいことだった。3人目でやっと男子を授かった時、彼はすべてを捨てて裸一貫で家から夜逃げした。
お金は大好きだ。でも本当に好きなのかと聞かれると疑問がある。
誰かと生きるなら必要不可欠だ。より良い暮らしを目指すこと自体には精神安定効果がある。より良い暮らしを、より良い老後を、より良い人生を。考えもする、言葉にもする。
それに向かっている方が正しいと言われて育った。疑念を抱くことは異端者の発端だった。
孤独から一度でも離れてしまうと、また孤独に戻るのには多大な労力が必要だ。
心の全てを許せる人間を得てしまったが最後、前の自分には戻れない。
孤独と真摯に向き合い、身勝手でも一貫した理想を持ち、自分だけが生きる意味だったあの純真は失われてしまう。ただ若さと言い換えるには異論がある、あの感情のことだ。
あの感情のまま生きている人間は世に溢れている。まだ喪失を経験していないのか。
思ってもいないことを脳が書き出す。
話そうとするそのはじめには、まさしく自分の考えだ。
これまで得た理屈や合理、社会性が発言を正しい方に勝手に修正していく。
話している当の本人は一番矛盾を感じている。それでも脳味噌は付け加えていく。
気づいたらただの一般論になっている。思考は無修正では表出できない。
表に出せる思考はきっと脳の本質ではなくて、脳波は未だ文字にならない。
神話も伝承も都市伝説も、神秘は頭蓋骨を超えられない。本質の対義語にはなれない。
思考は総じて歪んで出てきたがる。不完全な記憶でも脳を出たがる。
よって語彙だけ頭に入れても何の意味もない。知識にもさしたる価値はない。
子供が一歳になり、育休が終わった。最後に「母になって後悔してる」を読んだ。
https://www.shinchosha.co.jp/book/507271/
すごく共感できた。どうして母親にだけこんなに負担があって、それが当然だという風潮なんだろう。これは育児をしないと気が付かないことだった。
夫は協力的だしかなり愛情も持って接してるし、二人の育児の方針はそんなにぶれてないので相談もしやすい。リモートワークなので子の様子も良く見てくれる環境だった。
おむつ替えとミルク作りと沐浴など、基本的なことは一緒にできた。ねんトレも一緒に頑張ってくれた。
でも、温度差はまだまだ全然ある。例えば育休を職場に相談する気さえなかった(説得して子が10ヶ月の時に1週間だけ取ってくれた)。
相談する気さえなかったことが信じられない。わたしはとるのが当然なのに。
この育休中、時間がしっかり区切られて、言葉の通じる相手と話せて、子供のことを一瞬でも良いから目を離せられる環境があるのが羨ましくて仕方なかった。
私たちは一時期は夫の実家にお世話になっていたので、なんなら夫は二人暮らしのときよりも楽だったかもしれない。家事は一切せず、時間になったら仕事して、夜ちょっと子の面倒を見て終わり。
趣味の時間なぞ1ミリもなく、気を抜くと睡魔が襲って来る頭で(子は夜泣きが酷くて2時間ごとに起こされていた)、顔を洗うこともパジャマを着替える気力もわかず、出産で変わり果てた重くて痛む身体を引きずり…そういう、ほとんど人間らしくいられるギリギリライン、何もかもを取り上げられた自分と別世界すぎる。
友達と雑談してる隙を狙ってトイレの間ちょっと見ててもらおうとするも、見てもらえたりもらえなかったり。そもそも面倒を見るのを拒否できるのが羨ましい。
子が泣くと仕事部屋の戸をピシャリと閉める。家に居づらいので支援センターによく通った。
リモートワークだと、どのくらい仕事が忙しいのか様子がよくわかってしまうのもよくなかった。
夫の仕事はあんまり忙しくないみたいで、休憩時間に雑談したりゲームしているのが死ぬほど羨ましくて恨めしかった。
戸の向こうで楽しそうに友達と雑談している夫を尻目に、ベビーサークルの中でこちらを見て構って欲しくて泣き喚く子に声をかけながらバタバタと夕ご飯の支度をする。
私の休憩時間は週末にならないと来ない。なんなら週末になったって来ない時だってある。
昼寝の時間は少しは休憩になるけど、いつ目覚めるか分からない子を見ながらはたいして休憩できない。
暇があると、すぐに手が離せないオンラインゲームしだすのも腹立たしい。
今、この瞬間に助けに行かないといけないシュチエーション(例えば頭をぶつけそうだから目が離せないとか)なのに、私が見ている前提で「今ゲームしてるから無理」と言えるのが信じられない。
育児はその場のこと以外にも、予防接種のスケジュール、書類などの管理、動き回るようになったら家の中の危険な場所の把握と改善、月齢ごとの咀嚼状況を考えつつ大人の食事を回しながら無理なくつくれる離乳食の献立を組み立て、アレルギーチェックの進捗を確認し、次の1ヶ月でどんな発達があるか把握、季節ごとの服はどんな物を選べばいいか、保育園の準備物やお世話の道具をレビューをみつつ絞り込み購入し、かかりつけ医はどこにするか決める…など情報収集と判断が無限にやってくる。
そのすべてを人に丸投げにして「任せるよ」で終わらせられるのが信じられなかった。今でも信じられない。
育児の本を一緒に買っても、開いてくれたことはあるだろうか?そもそも本がどこにあるのか分かるんだろうか?
ここまで無関心でいられないはず、とつい期待してしまう。でも無関心、これが現実。私が負うしかない、母親だから。
それに自分の両親にも義理の両親にも言葉や態度の端々で仄めかされて、母親のロールはどんどん刷り込まれて行く。
「そばで寝てあげないから泣くんじゃない?お義父さんは抱っこが上手だから泣かないね、離乳食に気を使いすぎなんじゃない?食べさせすぎでちょっと太ってきたんじゃない?」...などなど。言われるのは母親だけだ。
これから先も内容は変われど主に期待され対応するのは私なんだ。子供が大きくなるまでずっと続くのかぁ。できなくもないけれど...。
母のロールから降りることができない。早く社会がもっと変わっていかないかな…。
夫は良き相談相手なので割となんでも話すし、結構この話もするんだけど、どうもピンとこないようだった。
「そうは言うけど、そりゃぁ今まで通りにはいかないしある程度仕方ないでしょ...母親になったんだから。もちろんできる限りはするよ。」
できる限りかぁ。
この時代の文字コード体系では太陽系統一言語の表示が不可能のようで、おじいちゃんの家にあった古文翻訳ソフトを通してになりますが、うまく書き込めていますでしょうか??
(追記)
お前はUnicodeを舐めている!
あっ!お返事ありがとうございます。レスバ?っていうんでしょうか?
私たちの世界では争いというものが禁止されているので、なんだかとってもウニです!!!あーーおじいちゃん私やったよ昔の人とお話してる!!
あっウニだとわかんないですか?「新鮮」って意味で、ウニっていうのが流行ってるんですよねー
といってもウニって生き物はもう絶滅しちゃってるんですけどね。
ソイプリンにソイ汁をかけたものが味が近いらしくて、それはとっても新鮮で……もうまさにウニ!って感じの味なんです。
すみません脱路しちゃいましたね。あ、脱線というんでしたっけ。
えっと、Unicodeというものは今もあるんですが、地球のみなさんが使っていらっしゃる言語のほうが今はもう誰も喋ってなくて……保護区では何名か暮らしてらっしゃるんみたいなんですけどね。
数年前に父が亡くなり、半年前に母も亡くなった。ずっと実家暮らしで、会社仕事の合間に農業をやっていたが、そろそろこの家ともお別れである。家族が俺一人になったので、土地と建物を売りに出して、会社の近くにある空き家ハウスに引っ越すのである。
相続が終わってから、遺品整理屋とかリサイクル屋とか解体屋さんと話をすることが多くなった。処分すべき財産はあっという間に片付いたが、最後に残ったのが……西暦で言うと2000年頃に亡くなった実弟の漫画だった。部屋を共有していたので、本棚には俺と弟の漫画が並んでいた。
その大半は、ブックオフでも1冊10円すらつかないモノだった。メルカリで売るにも手間がかかりそうだ。遺品整理屋も「今のご時世、紙のマンガは売れないんですよ」と引き取りを断った。ほかの価値のなさそうなモノは、タダ同然でも引き取ってもらえたのだが。
何か月か経って、今年の正月を過ぎた頃だった。
実家の本棚にあった俺の漫画を何冊か、手に取って読んでみた。うーん、これは……「懐かしい」という感情が僅かにあった。一番好きだった漫画、『天使禁猟区』『スカイハイ』『クロマティ高校』を読んでみたが、いまいちピンとこない。楽しい思い出が蘇ってこない。お楽しみの記憶は脳裏から消えてしまったのだ……。
ふとここで、亡き弟の漫画を手に取った。あいつは将来裁判官になりたいと言ってたっけ。『家栽の人』が本棚の目につくところに置いてあった。一番上の段だった。
そして、一番下の段に視線を移すと……ここで一番、ドーン!! と、当時の記憶が蘇った。それは、『まもって守護月天!』だった。弟が一番好きだった漫画。
家族で食卓を囲んでいる時も、旅行をしてる時の車内でも、何気ない団らんの瞬間でも、とにかく弟は、この漫画の話をしてることが多かった。
弟の死因は、自動車に轢かれた後の外傷から、内臓の疾患にかかったことにある。交通事故の原因の半分は弟にあり、当時は自業自得だと冷たいことを思ってたけど、まさか亡くなるとは……。病院でお見舞いをしてる時にも、弟はこの漫画を繰り返し読んでいて、ずっとその話の内容とか喋ってるんだよ。どんだけ好きなんだよって思った。
確か、アニメも観たいって言ってたかな。病室にテレビはあったけど、ビデオを再生できるものがなかった。弟は泣いて悔しがっていた。
さて、当時の俺は高校生であり、ガンガンコミックスの漫画を読むことはなかった。守護月天の漫画を読んでみたことはあったが、すぐに読むのをやめた。「稚拙だな」と思ったのもあるし、「絵がちょっとな~」という思いもあった。当時の俺は、CLAMPが描くような、Xとか聖伝とか、ああいう精緻な絵柄のエログロが好きだった。
とにかく弟は『まもって守護月天!』が好きだった。それを、この本棚を見ていて思い出した。この日は休日であり、時間がたくさんあった。せっかくなので、この日から一週間ほどかけて、全11巻を読んでみることにした。
読んでみた感想を、以下に綴っていこう。感想を交えつつ、各巻に1~2箇所ずつ、印象的だったところを抜き出して引用する。
ネタバレがあるように見えるけど、本当に大事なところは抜き出してない。隠してる。まあ、俺の人生で『まもって守護月天!』を取り上げるのはこれっきりなんだし、少しくらいは許してくれ……。
その前に、これはどういう漫画やねん、と気になった方はWikipediaでググってほしい。あらすじは、概ねこんな感じである。
~ブックライブ!から引用~
一人暮らしで寂しさを抱える少年と、ご主人様をあらゆる不幸から守る役目を持つ守護月天の美少女とのファンタジー・ラブストーリー。 一人暮らしの中学2年生・七梨太助(しちり・たすけ)は、中国を旅する父親から支天輪(してんりん)という八角の輪を送られる。
つまり、主人公の何気ない行動をきっかけとして、小璘(シャオリン)という女神様のようなものがやってくる。お互いに惹かれつつ、ラブコメディが進行していく。その中で、超えないといけない壁がいくつもあって、主人公である太助がシャオにふさわしい男になるために奮闘する物語である。
では、さっそく始める。
読み始めは、正直キツかった。絵柄が古いのもあるし、漫画表現が昔風なのもあるし、ラブコメを読んだ経験がない人間には何がどう面白いのかわからない。
あまり楽しめないのは、すでに四十を過ぎているからだろう。子どもの頃であれば、まだマシだったのかもしれない。ただ、まあ……コンセプトはいいと思う。すごく。
なんとなくだが、『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』という映画を思い出した。某グルメ漫画でいうと、「うん こういうのでいいんだよ こういうので」を地で行く。
①シャオリンが「この平和な時代に、どんなものからご主人様を守るか」を決めたシーン
「太助様…」
「…え……」
「もし迷惑でなければ あなたの中にある「孤独」や「寂しさ」から あなたを守ってさしあげたいのですが それではいけませんか?」
シャオが歴代の主を守ってきた手段は、主に暴力である。星神を呼び出して使役し、主人を狙う者を撃退する日々を過ごしてきた。だが、平和な現代でそんな行為に需要があるはずもなく。シャオは、呼び出されてすぐにお役御免になってしまう。
ならば、主人である太助をどのように守ればいいのか――その答えが上記の台詞である。命を狙う敵がいないのであれば、孤独や寂しさから主人を守るのだ。太助には家族が3人いるが、全員家を離れて放浪の旅をしている。ネグレクトに限りなく近いものがあるが、ラブコメの都合というものだ。
このあたりは、まだだるかった。物語の登場人物は揃いつつあるのだが、展開が退屈でなかなか話が進まない。この巻から、慶幸日天の汝昴(ルーアン)という主人公の恋路を邪魔する、まさにお邪魔キャラみたいな人が出てくる。
別に、なんということはない恋愛妨害工作なのだが、この時代のラブコメは高橋留美子の影響がまだ色濃いのだろうか、暴力性が強い。この巻以外にも「死ぬやろ……」というシーンがけっこうある。昔は気にならなかっただろうが、やはり時代というものか。
②ルーアンの計略によりシャオが太助の元から離れようか迷っているシーン ※太助が駆けつける
「えーっと 今はうまく言えないけど… 俺はシャオにずっとここにいてほしいんだ ――それだけじゃここにいてもらう理由にならないかな……」
ルーアンがそれっぽい発言をして、「シャオは現代には不要ではないか」という意見を伝える(あなたなんて いても邪魔なだけなのよ)。シャオは真に受けてしまって、支天輪に帰ろうとするのだが……すんでのところで太助がやってくる。そして、ふたりきりの状態で上のような会話をする。
この場面は気に入っている。シャオの気持ちも、太助の気持ちもリアルに描いていたからだ。ストレートさがいい。
このあたりから恋愛路線に入ってくる。太助がシャオに愛情を意識する場面が出てくる。
ネタバレは避けるが、シャオには恋愛ができない事情がある。本人ですら認識できない事情が。
以下の山野辺というのは、最初の頃は万引きとかするキャラとして描かれていた。物語が進むにつれて応援キャラになっていく。
③シャオと山野辺が一緒に温泉に入っているシーン
「なあ シャオ…」
「…………」
「シャオ?」
「はい?」
「なんか元気ないけど七梨と何かあったのか?」
「翔子さん…………私 病気かもしれないです なんだか…ね 胸が苦しい… 太助様がルーアンさんと一緒にいると とっても胸が苦しくなります さっきなんか どうしてだか自分でもわからないけど そっけない態度とっちゃったし太助様が話しかけてくれたのに 太助様にきっと変に思われちゃった きっと悪い病気にかかっちゃったんです ――でも どうしたらいいのか わからなくて…」
(へえ…精霊ってのも 人を好きになったりするんだあ…)
うん。女性作者が描いてるラブコメってさ。女性側の心理描写がリアルだよな。女の子ってさ、好きな男性の目の前だと萎縮することがあるじゃん。意中の人を目の前にすると、体がつい後ろに下がってしまうとか、廊下を走って逃げだす子とかいるよな。
なんかこう、恋愛感情に対して不安になった時の女性心理というか。リアルさが伝わってくる。子ども時代に読んでも全く認識はできなかったろう。
この巻くらいになると、ストーリーの基本線が定まってくる。何らかの事件やイベントが起こって、太助とシャオが巻き込まれて、レギュラーキャラがそれぞれの立ち位置で動き回って、なんやかんかで解決して、ふたり(又はほかのキャラ同士)の間柄が深まって……という流れである。
基本は、太助~シャオの関係性がメインだ。この作品のうまいところは、ふたりばかりを推すのではなく、ほかのキャラクター間の友情とか愛情もガッツリ描いてる。
この巻だと、2つの場面が印象に残っている。いずれも、ルーアンがふたりの仲を妨害するための工作を試みて、やってしまった結果である。
④-1太助が高速道路を自転車で走行中にタイヤがバースト、そして前方車両(トラック)と自転車を括っていたロープが取れて転倒した後のシーン
「………え 太助様!? 太助様太助様!! 太…助様あ… ……う…」
「あ…あの小璘さん…」
「どうしよう…どうしようどうしよう ルーアンさん! ――太助様が 死んじゃったらどうしよう!!」
「あ…いや まさかそんなあ」
「どうして支天輪を車に乗せちゃったりしたんですか 私……太助様に何かあったら ルーアンさんのこと絶対許さない!!」
「…………」
「太助様に…太助様に何かあったら… 太助様… 太助様早く帰って来てください」
「小璘…………あんた」
④-2保健室で、シャオがベッドに横たわって寝ているシーン
「なあ…ルーアン」
「はい!?」
「…俺シャオのこと 好きにならない方がいいのかな…」
「………… あんたあのおじょーちゃんになんか言われたでしょ ――じゃあひとつ聞くけどなんでそう思うの?」
「――…」
「…………」
「…ねえ たー様 あたしは たー様のこと好きよ 考えれば悩みなんていくらでも出てくるけど 一番大切なのは自分の気持ちでしょ だからあたしはあんたみたいに悩まない 悩んでも変わらない想いなら 悩むだけ損だと思わない?」
気持ち、とでもいうのかな。かの有名な『BLEACH』でいうと、ウルキオラ・シファーの名台詞のひとつである、
心か
みたいな感じだ。登場人物の心境がさ、わかるんだよな。喜んでるのもわかるし、苦しんでるのもわかる。そんな中でキャラクターが足掻いている姿が印象に残った。
漫画を読む前に下調べはしなかった。今も一切してない。よって推測になるんだけど、この作者である桜野みねねっていう人は、この時(1998頃?)は大学生かそこらの年齢なんだよな。作者あとがきを読むと、若いんだなというのは伝わってくる。
俺が二十代前半の頃は、地面から出てきたばかりのカブトムシの如き勢いでスポーツをするか、水道工事の現場であくせく働くか、盛りのついた獣のように女を口説いて、年間に何人とセックスしたか記録を付けるとか……同じ会社の女の子と無理やりそういうことをした後でも、最後にベッドの上で「愛してるよ」と言ったら許されるから大丈夫とか、そんなことしか考えてなかった。人間性が動物レベルだった。
でも、この桜野みねねという人は、そんなどす黒い人間の対極を行く感性がある。この作者は凄い……と、いい年になったおっさんは感じた。※私個人と作者の年齢差は、干支0.5周り分ほどと思われる。
20年以上前の漫画なので、さすがに創作でも……というシチュエーションが生じることがある。作品内では、たまに登場人物がみんなで旅行とか海とか温泉に行くのだが、メインキャラがほぼ中学生で、20才以上は大変少ない。無理があるし違和感がある。
しかし、旅行とかでないと表現できないラブコメ的なシチュエーションもあると思うので……そこが創作の難しいところである。いや、文学作品の創作とかしたことないからわかんないけどさ。
⑤仲間と海に来ていて、ようやく夜の海岸で二人で話ができたシーン
「なんだかね………私 太助様ととってもお話したかったです 別にお話したいことがあるわけじゃないの… でも… 太助様とお話してるととっても落ち着くから…」
「……シャオ」
太助とシャオは、何度もこういうシチュエーションになっている。が、恋愛が進む気配はない。事情はあるのだが、あまりに絶望的な事情なのだ。
あと、文章量の都合で載せなかったが、クラス演劇(かぐや姫)の数話分も大変よかった。ルーアンと、ほぼサブキャラの乎一郎が主体の話なのだが、中学校の学芸会でかぐや姫をやることを通じて、「離れていても心は繋がってる」という要素を表現している。
この回は、大人ながらにしみじみときた。気になる人は、是非5巻を読んでほしい(ダイレクトマーケティング決行)。
大まかな流れを言うと、ラストのお別れシーンでかぐや姫役のルーアンが台本にないセリフを言う → 月の使者役のシャオがお迎えを中止発言 → 乎一郎がそれを制止 → その後の会話のやりとりで、離れていても心は繋がっていることを示唆~といった具合である。
ここまで五千字以上は書いている。一旦切ることにする。
文量の都合で2分割。
次に続きます。
13歳 入水
https://hochi.news/articles/20240327-OHT1T51130.html
トピ主「ぱぽこ」さんは、仕事関係の悩みで心を病んでしまい、自殺未遂を経験。重度のうつ病と診断され、精神科に「強制入院」になったといいます。その後、症状の改善が認められて退院したトピ主さんは、仕事を辞め、現在は実家に戻って暮らしています。
「一度、自分の人生を終わらせようとしていたので、自殺未遂をした後の人生をどうやって生きていいのかわかりません。いろいろな目標を見つけてみようとも思ったのですが、もう自分は人生を終わらせたという気持ちでいたので、その後どうやって生きていいのかわからず、若干放心状態で毎日を生きています。
私と似たような状態の人、周囲に私のような人がいる方の意見を聞きたいです」。「ぱぽこ」さんは、発言小町でそう呼びかけました。
ひとり暮らししたいっていうだけの理由で大阪の大学に来た東京出身の同級生、理系のくせに東京以外で就職したくないよぉ〜(泣)って駄々こねてる
男のくせに転勤嫌らしい
昨日飯食った店高かったね笑 東京だったら1ヶ月ももたずに閉店する笑とか
オカマにケツ掘られて失血死すればいいのに
生まれ育ちは都内で社会人になって数年を経て地方に転勤となった。
ここでの生活は本当に怖い。
総合病院、小児科併設の内科クリニック、眼科クリニック、耳鼻科クリニック。
これしかない。
県庁所在地まで行けば大学病院もあり、ここよりはクリニックも多いがそれでも地元に比べれば少ない。
選択肢がないのだ。
俺は既に都内にて人生初の胃カメラと大腸カメラと胆、膵、肝、腎のエコーをしており異常はなかったため消化器についてしばらくは問題ないが、大学病院やがん連携拠点病院にて10年以上研鑽した医師が検査を行う消化器内視鏡クリニックなんてここには存在しない。
総合病院の消化器内科も医師が少なく経歴も載っておらずこちらから選ぶことはできないようだ。きっと内視鏡にAIも搭載していない。
耳鼻科はファイバースコープの設備を持っていない。総合病院への紹介が必要らしい。これでは20代、30代の若者がなる咽頭がんを早期に発見することができない。都内にいた時は定期的にかかりつけの耳鼻科にて鼻炎や喉の痛みを訴えてファイバースコープをしてもらっていたがここでは気軽にできない。
内科クリニックはおじいちゃん先生と小児科担当のおばあちゃん先生のみ。人柄は良いようで評判も良い。
しかし、熱を出して通院した際に血液検査をせず喉を視診してリンパを軽く触診しただけで「喉かぜだね〜」と診断した。地元の病院では不安症な俺を気遣い、熱がある時にはいつも血液検査をしてヘモグロビンや白血球、CRPの数値を見てくれた。ここではそのように親切な病院はない。
そう。
「気になる症状があれば病院に」とは言うが、ここにいる医師たちは「何かおかしい」という症状がなければしっかり診ない。
若ければ尚更である。
「何かおかしい」という症状が出た際には既にリンパ節転移や肝転移を起こしているため確実に死ぬ。
しばらく移動はないため数年はここで暮らす必要がある。
俺は一人っ子で他に兄弟はいないため、絶対に親より先に癌で死ぬことは許されていない。
以上のことから、待遇も良く人間関係にも恵まれているが、仕事を辞めて都内に戻ろうかと考えている。
ここはアフリカと一緒。
chinu48cm 逆にその年収でその貯金額ってどうやって暮らしてるのというレベルだけど。1円も使わず税金無視して暮らしても7年かかるというのに。手取り550くらいでしょ、半分貯金しても18年。
投資だっつってんのにこういうコメントつけてる人、文章全く読まないで書いてるってことなんだろうか?どういう思考でその行動になってるのか分からなくて怖い。
厳しい意見、具体的なアドバイスありがとうございます。
書き込んだ時はかなり焦ってたので、本音がそのまま出ました。
あの後直ぐに、物を投げた件について謝りました。
離婚の言葉が持つ重みを全然考えていませんでした。確かに夫からは言われたことはありません。
夫ほどの収入はありませんが、仕事、遺産、貯金もあり、一人での生活というのは精神的にという意味です。
その後もいつも通りに一緒に食事も話もし、何事もないかのようにしてます。
それでも残りの人生を考えた場合やはり楽しく誰かと暮らしたいというのが本音です。
このことも伝えました、それが無理なら、別居、離婚した方がお互いの為だと。
これからは夫を思いやって、あまり細かいことを言わずにしばらく生活して様子をみようと思います。
おさがわせしてすみません。
これからは夫だけでなく周囲の人にももっと思いやりを持って生きていけたらと思ってます。
トピ内ID:1b90e13937dd95e1
https://anond.hatelabo.jp/20240331024438
夫、恋愛感情なしで結婚したんだって。私もその感じ薄いなと思いながら暮らしてたけど、薄いんじゃなくて最初から私っていう異性に対する愛情を感じずに暮らしてたんだって。五年も。
そりゃ色々すれ違い起こるよね。こっちは多少なりともある前提で話すんだから。
私これからどうしよう。セがないから子供もいないけど、病気で仕事してないし、年齢も40過ぎてるし、今別れたらのたれ死んでしまうな…
なんかうまく考えられない。
手を繋ぎたいとかハグしたいとか自分からだけじゃなく、相手からも思われたかったよ。
五年も無職の女を養ってくれたのはほんとに感謝だし、夫本人が自覚してないところに情や親愛があるんだろうと思う。
私だってこの年で燃えるような恋やときめきがほしいわけじゃない。
これから時間をかけてゆっくり静かな愛情を育んでいけたらと思って一緒になったんだ。
でも私の言う愛情には親愛と異性愛が含まれていて、夫の愛情は親愛だけで異性愛は含まれていなかった。
その気はかけらもないけど、なら私は外に異性愛を求めてよいのかと思った。でも夫は不倫は悪いことだから、と言う。
なら私が異性愛を受け取るべき相手は夫なのでは?と思うのに、夫は自分の不甲斐なさを謝っているばかりだ。
もし毎日私の家事のルーチンワークをこなすロボットがいたら、私とどっちがいいと思う?って聞いたら迷ってた。
私は夫のこと好きだから、食事も弁当も作って洗濯掃除をしているけど、私の好きという気持ちが伴わずにこれをやってても良かったってことなのかな。
でも自分の中にこの好きという気持ちがあったからこそ、毎日家事ができるんだけどな。
夫はそんなの関係なく、私がやることやってたら腹で何を考えてようがどうでもいいのかもしれない。
私は夫に「あなたでよかった」と思ってほしいだけなんだよ。それはもっと先に聞ける言葉なんだろうか。
僕と長く付き合ってくれたから
長く付き合うってことは僕の相手として合うんだろうなと思ったから
だから一緒にいるよ
と言われても、私への魅力を語られていないと感じるのは私がわがままなんだろうか。
眠れない。夜が明けるまでに眠れるだろうか。
法律というのは、そもそも無い方が暮らしやすい。覚える必要もないし、守っているか気にする必要もない。
だけど、法律が無いと、みんな好き勝手に殺し合い、その恨みを晴らすために関係者が殺し合うことになる。
要は、社会の秩序が維持できず、平穏に幸福に暮らせなくなるから、仕方なく、
ってきめごとをきめるわけよ。
もちろん、松本英光受刑囚のような人に襲われたら、相手を殺し返す権利は認められているし、
戦争になれば、敵を殺すのは当然許される。