はてなキーワード: 披露宴とは
もし各シリーズのセンター声優として抜擢される人は成功するのかを見てみようと思う。
そもそも始祖だし趣味特技アイマスで、アイマスだけの積み重ねが成功の証という感じ。
他のところもそこそこ出てるし別名義?も結構出てるみたいなのでアーティスト活動していないながらも総括すると成功してそう。
ちなみに青い方はアーティストの重鎮みたいなポジションを確保しているし、黄色いほうは🍙。
主役級をバンバンとってるしアイマス以外のライブもこなしながら自身のアーティスト活動も継続的にやる体力バケモン。
今後は中堅どころを取れるだろうか?
アニメでは見ないけどゲームとかではちょこちょこ見る感じ。ただ主役級当ててもその後に繋がらなさがある。
2回くらいアーティスト活動してなかったっけ?あまり話は聞かない。
手を広げ足を広げ色々なところで活躍。アーティスト活動も盛況なのかな?
青い方も黄色い方もだいぶ強い。というかSideM出演者はほぼ全員成功してると思う。
ちょっと良い席にも着ていけるダークスーツと革靴で参列出来る男性陣が憎らしい。
こけろ。
平服で、っつたって。この手の席かカジュアルパーティーにしか着ていけないドレスもどき、ビジネスに使うには繊細な布張りパンプス、ハンカチしか入らない勢いのクラッチバッグ、普段遣い出来ないアクセサリーにコサージュ。そしてTPO的に自分の好みじゃない色。
極めつけにプロに任せたいヘアセットにバリバリメイクの為に買い足すコスメは2度と使わない。
そこまでしても夜職の方々の完成度には及ばない。しょっぱい。
とはいえ、及んでもいけない、花嫁より地味で、しかし適度な華を求められる賑やかし。賑やかしの中で埋没しなければいけないので、1人だけグレードも落とし難いしビジネススーツにアクセで誤魔化すにも限界がある。そもそも色と布が違うんだよ同じスーツでもパーチーに使える女のスーツは
男は靴とネクタイ、せいぜいカフスかラペルピンに気を使うだけで、個別にならビジネスにも使えるじゃん。
和装でいいなら、新しく買わなくてもドレスコードに合う格好出来るし、何ならお高いお着物をレンタルする楽しみをここぞとばかりに堪能するために金払ってもいいと思う。
つまり好みが合わないので、結婚式は親族以外が和装で参加してもに違和感の無い神前式か人前式にしろ、と。
もしくは男もディレクターズスーツにしろよ、なんで男だけ作業着スーツで許容されるんだよ日本の結婚式って。
悔しいので参列の男はみんな転べ。
祖父母が元八百屋だったこともあり小さいの頃からフルーツをよく食べてたんだ。でも、桃、さくらんぼ、メロンなどを食べるといつも口の中が痒くなる。
初めて食べた時からずっと口の中がかゆいので、そういう食べ物だと思ってたんだが、大人になってから何気なく「これって口の中痒くなるのが難点だよね〜」って言ったら、そんなことないしおそらくアレルギーだから食べるなと言われた。
じゃあ、花粉症なのかというとたぶん違う。
最初はこの時期に鼻水が止まらないってことは花粉症かな?と思ってたんだが、体温が急激に上がらない限り、マスクなしで外に出ても鼻水が出ないことに気づいた。
逆にいえば、丸一日家の中に居てもお風呂上がりはまだらに赤くなって痒くなる。
じゃあ寒暖差アレルギー確定なのかといえば、そうでもない気がしている。春秋の花粉の時期がひどいだけで、それ以外はほぼ症状が出ない。
ちなみに、子供の頃に花粉のアレルギー検査してもらったことがあるらしいんだが、親曰く「この子は花粉症はないが、何かのアレルギーがあると思う」と言われたらしい。
なんのアレルギーなのかは検査結果に出てないからわからないけど、何かあると。医者の勘なのかしらんがそんなこと言われても困る。
健康診断のオプションで受けたことないアレルギー検査があれば積極的に受けるようにしてるんだけど値段高いし、今のところ死にそうなったことないし、全てを明らかにする必要はないと思ってるんだが。
披露宴とかご飯出る場にお呼ばれたしたときの返答や病院や薬局の初心アンケとかで、アレルギーについて聞かれるたびになんで書けばいいか困るので、食事に関するアレルギーを持っているかは明らかにしておきたい。
といっても、病院で調べても出ないし困った。
女性の場合、それに続いて、「自由や気楽さを失いたくないから」「必要性を感じないから」「趣味や娯楽を楽しみたいから」でようやく「結婚後の生活資金が足りないから」がくる
男性の場合、は「出会いがないから」につづいて「結婚後の生活資金が足りないから」「結婚資金が足りないから」がきて「自由や気楽さを失いたくないから」「必要性を感じないから」がくる
社会的抑圧がなくなった、周りからお見合いを強制されなくなった
経済的に不自由だから結婚しないのではなく昔と比べて 経済的に自由になったから 結婚しなくて済むようになった
結婚するだけなら派手な披露宴もハネムーンも給料3か月分の指輪も必要なく、役所に紙一枚提出するだけなのに
「結婚資金が足りないから」が理由になるのは経済の問題ではなくメディアの洗脳の結果じゃないかな?
結婚とか関係なしに 二人の人間が一人で別々に生活するより、共働きで一緒に住んだ方が生活資金は楽になるのに
「結婚後の生活資金が足りないから」が理由になるのは 経済の問題ではなく専業主婦を前提とした意識のアップデートが足りないのでは?
日本の制度だと、結婚していた方が子供にとってクリーンだし行政の補助も受けられる。
補助に関してはシングルでも受けられるけど、そもそも、ある程度の稼ぎが無いとワンオペ育児しんどいだろうし。(金があれば人を雇えるので)でもシングル対象の手当も出るし実際はイケるのか?わからんけど。
たとえば夫が積極的にオムツを変えなかろうが他の部分で補完しあえていれば良いのだろうし、このへんは個別の事情として。とりあえず手は増えている。
んで、別に子供は考えてないけど結婚したいって、なんで?って思う。
結婚で行政から補助金出るとはいえ、一回だし。扶養手当なんかも共働きだったら誤差の範囲では?という気もする。
子供も特に生みたくない。十ヶ月も行動制限されたあげく、生んでも母乳が止まるまで乳から液体が垂れ流しになるとか未知すぎて気持ち悪いタイプの人間なので。あと無事に生んでもホルモンバランス崩れるし体の線も崩れるし、とにかく体弱るし老ける。芸能人が生んでも美しいままなのは産後ケアを努力と根性と金かけてやってるからだよ。あと一部の特異体質。
骨盤がもとに戻るまで赤ん坊に構ってられません、とか一般人には許されない。
そもそも、結婚相手の三等親までクリーンな経歴かって、わりと博打。
というか神前式とかならまあ七五三とか成人式とかの流れで馴染みもあるし、神仏習合の意味で死後は仏教の墓に入ってきた家の育ちが殆どであろう日本で、まあ不思議でもないんだけど。
ドレス着てファッション牧師にチャペルもどきで特に信仰してない唯一神に誓いを立てる意味が分からない。コスプレ撮影会の豪華なやつとしか。あと披露宴で親族に友人知人に職場関係者の晒し者になるの楽しくない。余興とか別に、ほんと楽しくない。友人にうすらさむい賛美のスピーチしてもらうの楽しくない。
でも親類縁者に結婚報告は何かしらの形で必要かもしれないので、やっぱり趣味で形態が違うだけ、としか。そんで私はドレスを着る趣味がない。
もう誰に話せばいいかわからないここ数年ずっと消えない自分の中の怨念をただ書いていく。
両親と兄の4人家族
母を専業主婦にして(母は働きたかったが父が許さなかった)気に触ることがあると怒鳴ったりするのは当たり前。私達も押し入れに閉じ込められたり怒鳴られたりすることがよくあった。
また偏屈というか理屈が通っていない&父が納得できないものは(世の中では正しいとされても)全て許されなかったので、何か大事な事を決める時は必ず父を説得する必要があった。
ただ何もない時は面白い人だったし抱っこしてくれたり普通に可愛がってくれたため、怒ると怖いけど父親として好きではあった。
18歳から大学進学のため上京しそのまま地元には戻らずに就職して結婚。
上京する時に「なぜ地元じゃないのか」と若干反対はされましたが、話し合いの末に納得し私はひとり暮らしへ。そのまま大学時代に出会った夫と就職を機に同棲。
同棲する時も「なぜ同棲する必要があるのか」「期間はいつまでなのか」など、当時彼氏だった夫と共に父へ事前に説明をしに行った。
私としては大学進学も同棲もきちんと自分の気持ちを話して、具体的な将来の話もして、父も納得したため全てをスムーズに進めていました。話し合いの時も言い合いになることはあれど強く反対はされなかったし。
そのまま2年ほどたちプロポーズされた。
母はとても喜んでくれたし父もおめでとうメッセージをくれた。
夫の両親にも挨拶をし、じゃあ両家顔合わせはいつにしようか〜と日程調整をしようと連絡を取ったら
顔合わせなんていらない
結納もいらない
俺は絶対に行かない
と父から言われた。
夫の両親が嫌いとかではなく、本当に必要性がないから会いたくないらしかった。
さすがに非常識すぎると言ったら父がマジギレした。最終的にはそんな無駄な事に俺を引っ張りだすなら結婚をやめろとまで言い出した。
こうなると絶対に意見を変えないとわかっているので誰が何を言っても無駄。
夫の両親には、父の仕事が忙しく休みがなかなか取れない(半分本当)。結納などの堅苦しいものは無くて大丈夫です。と話した。
夫の両親はすごく良い人達なので、大事な娘さんと結婚するのにそんなこと申し訳ないと言ってくれたがなんとか納得してもらった。
この時は義両親に本当に申し訳なかった。
特に義父はきちんとした結納式をしたかったらしく最後まですごく粘っていた。本当に申し訳ない。
その後入籍。結婚式はどうしようかな〜東京の方がお互いの友達が多いから東京でやろうか〜と式場見学をしながら考えてた。
入籍前にも親には結婚式はしたいと思ってる事は雑談程度に話していたので、日取りについても改めて相談した。
この時に父からは「本当に結婚式をするのか?」と一度言われた。
え、だめ?私は小さくても結婚式したいんだけど…と話すと、その時はふ〜んと言われて終わった。この時もっと突っ込んでいればよかったとあとで死ぬほど後悔する。
無事式場を決めて報告。
結婚式はするな。
理由は俺が結婚式をしたが、あんなものするべきじゃなかったから。
そんな金があるなら別の事に使え。
おいおいマジかよ。
というか私の意見は?自分がやって良くなかったからって娘までだめなの?
しかも夫は長男で義両親もとても楽しみにしてるのに?なんて説明するの?
両家顔合わせすら断ってるのに結婚式までなんて何考えてるの?
と疑問と悲しさと焦りでいっぱいの最悪のタイミングで世の中がコロナ禍に突入する。
式場からも打ち合わせなど一時中断の連絡がきた。このタイミングしか父と話す事はできないと思い、父、夫、私の3人で電話会議をした。
・義両親もとても楽しみにしていること
・父が結婚式をしない方が良かったとしても、私は結婚式をしたことがないから同じとは思わない
・コロナが流行ってて友達を呼ぶのも難しいかもしれないが、呼ぶなら人数をかなり減らすしワクチン接種などもした人のみにする
などなど私の思いを伝えた。
これに対する父の答えは
・俺が結婚式が良くないと言ったら良くない
・義両親が楽しみにしていようが関係ない。俺がそれに付き合う義理はない
・そもそもお前の結婚式なんで誰ひとり楽しみにしてない。お前の友達全員どうでもいいと思ってる。(父は私の友達に1人も会った事が無い)お前の友達なんて友達じゃない
・やっぱりお前を東京になんて行かせた事が間違いだった。地元にいさせるべきだった
友達にはコロナ禍になって結婚式が延期になるかも…と連絡した時点で慰めのメッセージがきたり、余興は準備バッチリだし絶対休みも取るから!結婚式楽しみにしてるね!って言ってくれたりする子ばかりだった。
こんなに優しい子達が友達じゃないって何?
東京に行かせなきゃよかったって何?
なんでこんなに全部を否定されなきゃいけないんだろう。
義両親への配慮のなさは何度も言ったが父には何も響かず。こんなに不誠実な事ばかり義両親にしたら申し訳ないと言ったら「くだらない」と言われた。
義両親への配慮をくだらないってなに。
この時にやっと私は気付いた。
父にとって大切なのは父だけ。
自分に従わない奴らは全員悪なんだなと。
後々、職場の人にこの話をしたら
普通は自分の娘が相手のお家で苦労しないように立ち回ったり、娘の立場が悪くならないようにフォローすべきなのにお父さんは自分の事だけが大切なのね。と言われたけどまさにそうなんだと思う。
その後何度も話し合ったが話は平行線のまま。
義両親もなんで結婚式をしないんだ、顔合わせもしない結婚式もしないなんて!と怒ってしまった。
私は不眠症になり食事もうまく取れず変な痩せ方をしていった。夫もすごく心配して、父にどれだけ私が苦しんでいるかを話してくれたりした。
数ヶ月話してようやく条件付きで許しが出た。
・人数を極力減らすこと。親族は呼ばない。お互いの両親と兄弟、どうしても呼びたい数人だけにしろ
・俺達は何もしない
義両親は結婚式の規模にはこだわっていなくて、ただ結婚式をしてほしいという希望だったのですごく喜んでくれた。
友達にもコロナのこともあるから人数を減らす事を話したら、全員が理解してくれ落ち着いたら改めてお祝いすると言ってくれた。中には式当日に電報をくれた子もいた。
結婚式当日。
私達にすら話しかけてこなかった。
帰りも母がまたねと声をかけただけだった。
コロナのせいで結婚式に敏感になっていたのはもちろんあると思うしそれは仕方ないと理解してる。
でも、その前から結婚式を反対されて、理由が俺が嫌だったからという謎理論が未だに納得できない。両家顔合わせを拒否したことも。
私の気持ちを一度も肯定してくれず、18歳からの人生を全て否定されたのもずっと胸に残ってる。
父とはそこそこ良い関係だと思っていただけにとてもショックだった。母とは上京してもほぼ毎日連絡を取っていたし、私の気持ちも話していたから味方になってくれると思っていたが一度も助けてくれなかった。
父の結婚式で何があったのかは知らないが、私はあなたのせいで普通の結婚式を望む事すら否定された。
(父達の結婚式のビデオを昔見せてもらったがよくある普通の結婚式でハプニングなどは何もなかったし、父達も笑っていた)
本当は祖父母にも来てほしかったし友達もみんな呼びたかったし、やりたい事もいっぱいあったのに何1つ希望通りにならなかった。
希望通りの結婚式が出来なかった事ももちろんショックだしその話し合いの過程で私自身を否定されて、あの日のショックがずっと胸に残ってる。そして何より私の気持ちを一度も汲んでくれなかった事が悲しかった。
あれから友達の結婚式に行くにも自分の結婚式を思い出して身構えてしまう。
両親からは「そろそろ顔を見せにきませんか?」なんて連絡が普通にくる。あの時の話なんて無かったみたいに。
このままゆっくり両親と縁を切りたい気持ちと、それでも家族だから会いたい気持ちがずっとぶつかりあっていてそれがまたすごく苦しい。
でももう今までみたいに実家に帰って心から笑ったりすることはもう無いと思う。
子供ができたとしても会わせたくない。
夫にはそんなに恨むと自分が辛いよと言われたけど、どうしても止められない。
「結婚式をするか否か」
最初はコレ
無理かもしれないから
少なくともコロナ禍前は
「式場を押さえるのは1年くらい余裕を持って」
と言う人もいるくらいだった
直近でも大丈夫かもしれないが
あとお互いの親の住まいが離れてると
どちらに譲るか中間地点を取るか
自分達の住所地にするかとか
ゼクシィは読んだんだよね?
前は美味しいケーキとか食べられたんだけど
「式代宴代はそっちで持ってね」とか
はっきり言わないと後で大変なので
遠慮しちゃ駄目だよ
以下は完全推測なので全然当て嵌まらなかったらごめん。一応マジで考えた内容です。
27歳女性、交際2年になる34歳の彼氏と「そろそろ結婚しようか」という話になっている。(略)彼氏はどうやら先に食の好みや生活習慣等の擦り合わせがしたいらしい。
あなたのご主張に基づく推測なので恐縮ですが、つまり正式なプロポーズがまだの状態のようだ。
そして、文面を見る限り、あなたはもう全然普通に結婚する意識なわけだけど彼氏はまだ踏ん切りついていない。ゲスパると彼氏的には「2年付き合って特に問題ないし~年齢的に次を探すのも大変そうだし~子供とか考えるとぼちぼち結婚しとく方がいいけど~うーん……」みたいなノリではないか。そこで自分を納得させるためにすり合わせをしていて問題なさそうだったらプロポーズしよう、みたいな勝手な想定なのではないか。いい歳してダラダラ付き合ったカップルにありがちなやつである。ぶっちゃけデキちまった方がそういう意味では楽なのだが。
よって
・新居について
・家事について
・お金のこと
・結婚式について
・子供について
・親との付き合いについて
この辺の話し合いはもちろん大事なんだけど、あなたがまずすべきことは自分の不満を彼氏さんにしっかり伝えることだと思われる。
「結婚前提で話し合ってるはずなのに話が前向きに進んでいないと感じる。2年付き合ってみてお互いに大きな問題がないのはわかっているはずだ。実質的に同居を始めた後のことを話し合う前に、正式にプロポーズしてほしい。そうでないと不安だ」
あたりをちゃんと伝えよう(不安じゃなかったらごめん。まあ内容は実態に即してアレンジしていただいて)。
そもそも論として、話し合いとはお互いの意識のギャップを埋めて妥協点を探る作業であって、あなたが「話が一向に前へ進まない」と感じているならまずそこを話し合うべきなのだ。そういう、なんか噛み合ってない気がするしなんか不安なんだけど(重ね重ね不安じゃなかったらごめん)、まあいいか……みたいな流し方をすると同居生活はだいたい上手くいかない……というか上手く回るまでにすれ違い由来のケンカが発生することになる。
てか結婚前ながらすごい新婚さん感あって微笑ましいのだが、事前の話し合いどおりに全て上手くやれるカップルなんて皆無に近いと思われるため、話し合いに意味がないとは言わないがやり過ぎるのは時間のムダだと思います。
以下、あなたが挙げた事例について個別に上メセ意見申し上げます。
勤務地が同じだそうなので近くで良いでしょう。通勤利便性というか通勤時間は他に代えがたい。希望条件見てダラダラ見てても決まんないよ。てか決められないなら条件絞り込みが甘いんよ。お互いに言語化できてない希望があるのではないか。無いなら希望に当てはまる内で安いいくつか内見行きなよ。治安とか雰囲気は結局現地見に行かないとわからんし。
あと付け加えるなら子供作る前提だそうなので、育休後に復職するつもりなら、保育園を2~3見繕っておいて、そのどこにでも送り迎え可能で、あと日常的な買い物に不便しない立地がベスト。ぶっちゃけこれでけっこう絞り込めねえ?
機械化は金がある限り好きにすればいいが、同居における家事のポイントは「結局、主担当はどっちやねん」ということだぞ。例えば洗濯は原則自分がやるが疲れてたり体調悪かったり残業で遅くなったときはお願いね、みたいなのが家事分担なんだぞ(ドラム式で全部洗濯機がやるとの想定であっても、洗濯物を突っ込んでスイッチ入れて終わったら取り出す担当者、という意味で主担当は必要)。ちなみに掃除については、どうせ「汚い状態に比較的耐えられない方が主に掃除をすることになる」ため同居前にあんまり考えてもムダである。なおドラム式洗濯乾燥機は多人数分の洗濯物が意外と乾燥しきらなくて結局干したりするし、現状の技術的な問題(数年で埃詰まりして有料修理必須となる)が解決していないので、ネット情報を鵜吞みにして買わない方が良い。その辺をわかった上でそれでも欲しいなら止めはしない。スペースが許すなら乾燥機を別に買うか浴室乾燥があるとよい。雨の日でも乾燥に困らないのは重要。
好きにすればいいが、お互いがお互いの金を勝手に使い込んでしまえるような状態には絶対にしないこと。仮に生活費決済または貯蓄用の共通口座を作るならキャッシュカードは作らない方が良いし通帳と銀行印はセットで保管しない方が良い。面倒でも残額は毎月お互いに確認する方がいい。なんかやったらバレるという状態にしておくことは抑止力として重要。
やるにしろやらないにしろ、結婚式に対する思いの強い方にどうせ譲らざるを得なくなるので、現状で既に押されていると感じるなら、やる前提で内容をコントロールする方向にあなたが意識を変える方が良い。細かいことだが結婚式と披露宴は別物なので、結婚式兼身内限定食事会くらいにしてはどうか。それなら人数と会場にもよるが精々200万もあれば足りるし常識的な身内ならご祝儀もそれなりに包んでくれるので実質負担額はそんなめっちゃくちゃなことにはならない。仮に彼氏が披露宴やりてえとか言ってるなら現実的に金の計算をして妥当性があるか判断する方が良い。個人の経験では披露宴(職場の人やら友達やらをガッツリ呼ぶやつね)はあまりお勧めしない。あ、無いと思うけど友達からのご祝儀で実質プラスとかにしようと思うなよ。費用は料理のグレードに露骨に出るので速攻でバレる。
好きに作ればいいが、お互いに問題無いかの検査だけはやっておく方がいいぞマジで。不妊治療がもし必要な場合、あれは時間かかるんで、早めに取り組む方が良い。結婚1年後に閉塞性無精子症と発覚しガッツリ不妊治療ったオッサンからの忠告だ。
現時点での「将来的な同居」なんてほっとけ。断言するが彼氏は介護とかについて何一つ現実的に把握できていないし考えてもいない。「まあいつかは面倒見ないといけないよな。子として。あとできれば嫁に面倒見てほしいかな~」くらいの意識であろう。故に「揉めるようなことが起きたら私の味方になってね」てのは現時点で言ったところであんま意味ないし、てか親より配偶者を大事にするのは当たり前なのだが、それはそれとしてあんまそれを言われると正直いい気分はしないものである。「同居が必要になった時に前向きにお互い色々考えようね。ただ自分も仕事をしているはず(だよな?)から自分が全部介護で面倒を見るのは難しいと思うよ」くらいに流しておけば良い。
以上のことをクリアしないと他に特に話し合ってもどうせ「思ってたんと違う」となるだけなのでムダである。
健闘を祈る。
時間は止まらない。ハレルヤ・チャンスは来なかった。一度だけスポットライトを眩しく感じて、もしかして、と、一縷の希望を抱いてみたりしたけれど、キザなシルクハットの初老の妖精が私の前に現れることも、テーブルの芽キャベツを摘んで飲み込み、私の過ちを揶揄することも、「後悔しているか」、と問われてどうしようもなく狼狽える瞬間も、ついに空想のままで終わった。当たり前だ。
彼女は数少ない私の貴重な友達の内の一人だった。そしてそんな私とは反対に、彼女にはたくさんの友達がいた。学生時代というのはこの世で最も尊く煌めいて、同時に最も残酷な数年である。特に女の人生にとって。
女の子は可愛ければ自然に友達ができる。綺麗な女は同性の好意さえ簡単に集める。綺麗でなくては、女の子の特別にはなれないのだ。というのは、私が散々惨めな高校生活を経て脳裏に刻み込んだ偏屈極まる私見である。器量が悪くても幸せな女など無限に存在していることに薄々いや割合はっきり勘付きながら、私はなんとブスであることに諦めがつかないとんと哀れなブスだった。要するに学校で一番痛ましい存在である。悲劇はブスに生まれた所からではなく私だって美人になりたいと望み始めたところから始まる。一軍になりたい二軍、美人になりたいブス、男にモテたい喪女、目立ちたい陰キャ…………。
そんな救いようのない私の目前に彼女はまるで天使のごとく現れた。今で言う「たぬき顔」みたいな甘たれた顔立ちで、柔らかく日焼けしたセミロングの髪を緩やかに編んで両耳の下から下げ、私より背が高かった。本当にかわいい子だと思った。入学と同時にバスケ部に入部し、放課後はいつも臙脂色のハーフパンツを履いていた。
私の何を気に入ったのか知らないが、彼女は私に本当に良くしてくれた。二人で写真を撮ってくれたし、連絡もマメに取り合った。ビタミンカラーのペンケースは色違いでお揃いだった。勉強で多数の上に立つことにしか一生懸命になれない私だったが、彼女に誘われればテスト前だろうと遊びに出かけた。
当時の私は所謂一軍グループに属することしか考えていなかった。そしてその野望は結論から言えば5割方は達成されていた。要するに、キラキラグループには入れたが当然自分自身がキラキラにはなれず、なぜか一軍にいるぱっとしない子、という塩梅にそれでも自分の立ち位置にそれこそしがみつくようにして生きていた。自分自身の最も忌むべき点は、身の程知らずに一軍になりたいと望んだことより、そこにいる友人たちをステータスとしか捉えていなかったことにある。
7人グループは8年の時を経て解体し、彼女の式に呼ばれたのは私を入れて3人だった。
何人かで約束した日は良かった。でも二人きりの日は不安だった。なんのために私と二人で会い、何を求められているのかまったく不明だったからだ。私にとって、彼女がかわいいというだけで彼女を好く理由は有り余るほどにあった。だからその逆が本当にわからなかった。けれど、顔を見れば不安は消えた。彼女はいつも本当に楽しそうに笑う。
好きな人がいるの、と、仲良くなってすぐ彼女は私に打ち明けた。あいつに可愛いって思ってもらえたら、他の誰に思われなくても構わない。校外学習に行くバスの中でひっそりと告げられた声の温度も、一緒に口ずさんだ阿部真央の曲も、午後3時半頃のあつい夕日も全部はっきり憶えている。
私も気になる人がいる、と、口から出まかせのように呟いた。そうしないと彼女がどこかに行ってしまう気がした。彼女に好きな人がいたから、私にも男の子が必要だった。彼女と恋話をするために必要だった。クラスメイトを脳内で全員スキャンして一人の名字を口にした。彼女のくりくりしたタレ目がおおきく見開いて、絶対いいよ、とひどく嬉しそうに笑った。
咄嗟に名前を上げた男の子のホームベースのような顔の形がバスの前の方に見えていた。彼女の「絶対いいよ」、を聞いて、私もなんか、そんな気になった。
同じ教室で過ごしたのはたった一年のことだったが、その後の文理選択で教室棟ごとクラスが離れたあとも、彼女と私の友人関係は変わらず続いた。休みの日には二人でカラオケに行ったし、相変わらず毎日のようにラインも続けた。何でも話せるふたりだった。けれども、いつまでたっても彼氏ができない私に気を遣ってか、いつしか恋愛の話だけはしなくなった。
高校3年生の頃、私が隣町から通っていたその市で一番のお祭りに一緒に行こうと誘われた。テレビ取材もくる大きなお祭りで、5月の連休という時期的条件もあり、受験の年を迎えた同級生たちが最後の楽しみにと、こぞって一番の関心を寄せるお祭りだった。その高校生にとって特別な1日に、彼女はどうしてか私を選んだ。彼氏でも気になる人でも他の多くの華やかな友人たちでもなく、私を。やはり意味がわからなかった。
彼女がお揃いにしようと言ったから、一緒に服を買いにいった。その頃の私は醜形コンプのまさにピークにいて、服屋の商品に触れるときすら手が震えた。それでも、明るい彼女に悟られたくなくて我慢してひょうきんに振る舞った。
当日のことはよく覚えていない。彼女が知り合いとすれ違って挨拶するたび居た堪れない気持ちになっていた気がする。その日もやはり最後まで、彼女がどうして私なんかといたかったのか、ほんの少しもわからなかった。ただ、群衆を避け、駅前の寂れかけのイオンの屋上で見た小さな花火だけはなんとなく覚えている。幼い日の名残りか、彼女はいつまでもその建物をダイエーと呼んでいた。いつ行っても盛れないプリクラ機のある小さなショッピングモールだった。
いいのか、と問うと、いいのだと答えた。疲れたからいいよと。彼女にとっては、十数年住んだ街での最後の祭りだった。それなのに、小さな花火でいいと言った。暗がりの中の少し眺めの顎先まで好きだった。
長く続いた私達の友情がぷつりと途切れたのは大学に入学してすぐのことだった。互いに遠く地元を離れたあとも私達はまめに連絡を取り合っていたと思う。夏休みに私が彼女の家まで行き、二人で遊園地に行った。例のごとくおそろいのワンピースを着て、髪を染めてまた綺麗になった彼女はとても目立っていて、キャストによく声をかけられた。それっきりだった。
その後私は整形をし、地元に顔を出さなくなった。加えて、正しくいなくても済む大学での人間関係に夢中だった。何より、また性懲りもなくその内の一人のことをしごく特別に感じていた。その子もまた、私には釣り合わないくらい可愛い子だった。
たまにインスタで見る彼女はやはりあの本当に楽しそうな顔で笑っていた。気がつけば同じ高校の別の友人とおそろいの服を着て旅行していることもあった。もしかしたらそこにいたのは私だったかもしれない。そういう写真を見るとき、私はいつもそういうことを未練がましく考えた。自分から手を離しておいて全く自分本意な話である。けれども横に写っているのは私達の高校で一番かわいかった女の子で、その方がずっと彼女に釣り合っている気がした。
彼女から招待状が届いたのは、それから数年後、すっかり社会に出て2年が経つ頃だった。
式は、まったく素晴らしいものだった。
私のイメージにあるステレオタイプな挙式とは全く違って、カジュアルで、愛に溢れ、来てくれるすべての人に楽しんでもらおうという新郎新婦の人柄がこれでもかというくらい詰め込まれた温かな数時間だった。遊び心とホスピタリティに溢れ、ほんのひと時も漏らさず楽しめる、本当にいい式だった、と、思う。円卓に集められた同じ高校の友人たちは皆美しく、ドレスの中で綺麗だった。
数名の友人代表が立ち上がり、彼女のために手紙を読んだ。どの子もとても綺麗で、どの子も同じように泣いていた。泣いていたのだ。チャペルのドアが開いた瞬間、披露宴に現れた瞬間、新郎が亡き父親に手紙を読む瞬間に、その場にいる大勢が泣いていた。
ついに私は親友にもなれず、それでもなぜかここに呼ばれて、のこのこ顔を出しては無理に笑って突っ立っていた。
ありえないほど似合わないドレスに妙な頭に、他の友人達とはとてもじゃないが釣り合わない不器量な面構えで、たった一度も笑顔で手を振る花嫁の目を見れないまま。
久しぶりに会いたくて、と、彼女は電子招待状と一緒に添えてきた。思い切って招待状を送ったのだと、だから、こ断ってくれても構わないのだよ、と。
そういうところが好きだった、私の臆病も偏屈も一息に飛び越えてなんでもないような顔で笑うあなたの、正しいところが好きだった。数年言葉をかわさない友人を、同窓会もキャンセルするような私を、逢いたいと言う一言で誘ってくれるような貴方のその身軽さが、屈託のなさが、あなたのことが好きだった。
"嬉しいときは私より喜んで、悲しいときは自分の事のように泣いてくれる"
知っている、と思った。
知っている、そんなこと。だから好きになったのだ。そういうあなただから、私はあなたを好きになった。
もしも私が男だったら、と、百万回近く考えた。もしも私が男なら、私はあなたと付き合いたい。
本当は違った。本当は、女のままでも、私のままで、私はあなたと添い遂げたかった。真っ白なドレスを着たあなたの、あなたの立っているのは私が良かった。スポットライトの当たるソファに私と一緒に腰掛けて、私の物語に泣いて欲しかった。
名前の知らないたくさんの参列者が、かつて同じ制服を着ていた友人達が、あなたの幸せを願って涙する中でたった一人わたしが、私だけが、私のためだけに泣いていた。あなたのことが好きだった。たった一つ、その気持ちだけで泣いていた。ピンクグレーのカクテルドレスに身を包んで笑う、彼女は世界一綺麗だった。
性格の悪い私は、あわよくばこれを読んでくれないだろうかとさえ思っている。ほんの小さな爪痕でも残せたら。
それでも、正しい彼女ははてぶなんて見ない。だからこのまま私の恋はここでゆっくり死んでいく。
ご祝儀袋に手紙を入れた。マナー違反かもしれないが、知るかと思ってぶち込んだ。「あなたのことが大好きだった」「今も、そしてこれからも」
大好きだよ、愛してるよ。
高校時代、彼女はよくハグをしながらそう言った。大好きだよ、愛してるよ。
何でもないことのように付け加えた、大好きの意味はきっと伝わらない。それでも、私はあなたが好きだった。今も変わらず、好きだった。