はてなキーワード: 主人公とは
見てきた。SNSで感想をさっと見たがまだ出てなさそうな話をしたい。
キラがシン達の眼の前で彼らを指して「弱いから」と言うところのキラのいけすかなさが印象的だった。
「サイが僕にかなうはずないでしょ」というSEEDでのセリフと一貫性があって、何かの拍子に出てくる本音で、他人の能力の部分を見下している。
完璧超人だからこその短所であって、キラに人間らしさを持たせるために必要な短所なのだろう。
それがアンチを作る要因でもあるかもしれないが、当時も今も新しい主人公像だろう。SEEDを新しいガンダムたらしめた特徴ではないのか。
劇場版本編の話にもどると、あの場ですぐ殴ってくれるアスランの相棒としての価値がですね。
頼もしくもありエンターテイナーでもあり。言い換えると今回は葛藤のないキャラだった。
SEED DESTINYでも途中までゼータにおけるクワトロの立ち位置だった。
黒背景でゆっくり動くズゴッグを見てキラが「アスラン?」と気づくのはオマージュというより笑い要素を含んだパロディかと思った。
真面目にツッコむとキラはズゴックのどこからアスランを見出したのか?これが人の愛?
キラと殴り合うのはよく考えたら逆襲のシャアの殴り合いシーンから来ている?これは考えすぎか?
ただ、吹っ切れて戦えている姿が良い。自分の目的と合致した戦いができていることが良い。
ステラがシンの心を守ったところ、「どんな闇を抱えているんだ」⇒SEED DESTINYでのシンの物語の積み重ねが無駄じゃなかったところにグッと来た。
劇場版の物語はキラとラクスが中心だったが、キャラクターとして報われたのはシンとルナマリアだと思う。
アグネスの物語上の役割は、SEED DESTINYでアレだったルナマリアの恋愛部分を着地させること。
正直アグネス周りの話は蛇足に感じたが、よくよく思い返してみればあれはクエス・パラヤのオマージュだ。
アムロに興味を持って、拒絶されたと感じて脱走し、シャアにその価値を見出される。
スポンサーから押し付けられた枠か?Gアーマーの合体シーンやシュラク隊を思い出した。
ジャスティスに至ってはアスランに乗ってもらえずシンにディスられる始末。
デュエルブリッツやデスティニーのカラーリング(これは鑑賞後にSNSで見た情報)など、テレビ版で退場した機体の要素を、そのパイロットに縁のあるキャラが受け継ぐところが良い。
デュエルはアサルトシュラウドないと他より特徴がない部分をブリッツ要素でカバーとしてるので、なんか説得力あった。
でもわざわざ旧型のデュエルとバスターを核エンジンにしてコクピット周りをザク系統にするのは非合理だよなと。合理性よりお祭り感を演出する分には良し。
インパルスのシルエット全部来て良い。カラーリングのアップデートは何か元ネタあるのか?
ミーティアやデスティニーの換装など、外部装備の共有はなんかガンプラ系の番組の表現っぽかった。でもガンダムってそうだろう。
視聴者にとって悔いが残ったところをキチッと終わらせて、キャラクターやメカの見せ場をこれでもかと出し切る。お祭り、同窓会。
復活のルルーシュ、グリッドマン、シン・エヴァンゲリオンなど、最近のTVアニメの完結編としての劇場版は大体そうだし、そういうものが求められているというか、これが完成形なのではないか?
昨日のジャンプ買った?
・ 「アイシールド21」という作品にはひとつの欠点もないと感じる信心深い人
増田もそう思ってるよ。嘘じゃない。
看過できない仕上がりだったとも思っている。
なのでここにその旨のお気持ちを記録しておく。
・今回の読切に少しでも思うところがあった人
・「アイシールド21」という作品全体を通じて積年の思いがある人
向けの内容である。
・筆者について
・はじめに
・読切のストーリーについて
・作画について
・まとめ
の順で触れていく。
あと言っておくが「アイシールド21」の21周年は心から祝っている。
おめでとう。読切企画を実現してくれた関係者各位、先生方、心からありがとう。
・往年のアイシールドファン。連載開始から最終話までリアルタイムでジャンプで読んでた
・連載後半は2ちゃんのアイシスレ見たりもしてた(本スレがアンチスレを兼ねる様相で当時はおどろいた)
かきおろし読切の制作が決定したという作者の告知があってからこの日をずっと楽しみにしていた。
完結して十何年もたった作品の続きが読める、
こんな奇跡はまたとない。
発売日、即ジャンプ買って読んだ。
………………。
昨日からSNSは「アイシールド21が読めて嬉しい!」といった歓喜の声にあふれている。作品名でトレンド入りもしている。
いちファンが作品に真剣に相対したいち記録となることを信じてせっせとこれをネットの海に流している。
まずあの話、どうでした?
…とは思えなかった。
というか読切では当然のように「ヒル魔とセナ、双璧のW主人公」みたいな雰囲気が醸されているのだが、
という確認がなされないまま作られている印象だった。
ヒル魔というキャラクターが大いなる魅力や影響力をもっている、そのこと自体に異論はない。
彼の求心力とある種のカリスマ性が、読者並びに各種ファンダムを今なお牽引していることにも異論はない。
(原作者が格別の思い入れを注いでいることにも、この際異論はないものとする)
それでも、少年漫画としての「アイシールド21」に考えをはせるなら、第1話の構造からいっても、
この物語は「アメフトを通して描かれる小早川瀬那の成長譚」でなくてはならないはずだ。
……にもかかわらず、本作はそこをぶらしていった。
連載半ばから、ヒル魔は悪い意味でどんどん主人公化していった。
そしてそれが改善されていないどころか、全面化していたのが今回の読切だった。
思えば、最終話の落としどころはまだマシだった。
セナの結末とは別のレイヤーで、ヒル魔の着地点を描いていたからだ。
最京大・炎馬大・バベルスという別の進路をとり、三国志の道を選ぶ。
ここの3人が対等なライバルとなる結末は、
にもかかわらず読切で披露されたのは
「セナvsヒル魔、NFLにいくのはどっちだ!?」対決………って、
武蔵と栗田の立場がなさすぎて、あんまりじゃないのか????????
(※さらに言うなら武蔵に至っては読切に影も形も出演がないの、本当にあんまりだったと思う。回想の円陣にもいないとはいったい…。
※この点について「読切から興味をもった読者に武蔵の存在を伏せたかった・ネタバレを防止したかったからでは」という擁護意見も目にしたが、
そうであるなら円陣では後ろ姿で顔が見えないように描いたりすればいいだけだし、現在軸の観客ポジションにはいてもいいはずである。
読切の大筋を
という骨子にするのならせめて
セナ率いるドリームチーム vs デビルバッツ創立時メンバー3人が再結成するドリームチーム
…みたいな構図にはできなかったものだろうか。
さらに「AIをしのぐのは人間の勇気」みたいなテーマを(是非はともかく)導入したいのだったら、
半端にセナを主人公とせず、いっそいさぎよく「読切なので主人公はヒル魔です。セナは脇役として登場してもらいます」などとして構成してしまうほうが、
まだ「作者のエゴ」と「読者」と「読切作品としての完成度」、すべてに対して誠実な仕上がりをみたのではないだろうか。
このあたりの整合性のとれていなさ、ちぐはぐさが、読み味の違和感、納得感の薄さにつながっているように思う。
(※余談だが、アイシールドがスポーツマンガとして傑出している点であり特色のひとつに、
「天才と凡人」というテーマを残酷なまでに描いているところが挙げられると思う。
それを思うと、読切からその要素が完全に排除されていたのも惜しむべき点だった。
その意味においても、読切では
「身体能力においてはある種の天才であるセナと、今度はそれに挑む身体的凡人ヒル魔」
といったふうにセナとは別の視点≒ヒル魔視点から描いてしまうほうがいっそ面白かったんじゃないだろうか。
原作者のヒル魔描きたい欲も、キャラファン読者の需要も両方満たされただろうし
本作の新たな面を見せることができたんじゃないか、等々。
後述するが、原作者と編集者はそういった検討すらしなかったのだろうか)
「セナvsヒル魔の試合」という今回の読切が、アニメ最終話の追認に近いものになってしまっていることにも絶望しかない。
アニメのアイシールドはあらゆる意味で筆舌尽くしがたい出来栄えなのだが、満を持した読切がそれと今さらカブるって、そんなことがあっていいのか。
村田先生、みんなご存じ、少年漫画界屈指の超絶技巧ハイレベル画力の持ち主。
すなわち『ワンパンマン』のようなアップデートされた村田先生の作画で、
…というファンの期待は儚くも裏切られた。
今回の読切の作画、
……そうか……。
初期からずっと絵がうまくて、
どんどん画力が凄みを増していって、
20巻あたりになってくると最強に脂がのってきて、
強いこだわりや作品愛を感じられて、
あのすばらしい絵が、だいぶ淡泊でラフな方向へ変わってしまった、
そんな、あの頃の絵柄…
遠くにいるキャラには顔描き込みさえなく、
そんな、あの頃の絵柄…
それを誰も指摘しないままジャンプでお届けされていた、
そんな、あの頃の絵柄………
…………そうか………。
掲載日もガチガチに21周年に合わせているわけではなさそうだし、
読切制作告知はずいぶん前に行われていたし、
そんなこまごまとしたミスをチェックして修正する手間すら…惜しかったのだろうか。
もしや、アイシールド、描きたく……なかったのだろうか。
憶測にすぎないけれど、したくもない想像が膨らんでしまう作画がただただ悲しい。
なぜこんなにも失望感が大きいのか。
失望感を覚えるということは、
そもそも「アイシールド21」という漫画に何らかの幻想を抱かせるような霧でもかかっていたんじゃないだろうか。
その正体は何か。
理由をたどると「原作・作画の分業制でつくられた作品であること」が挙げられると思う。
そもそも、原作者の稲垣先生のほうはそこまでキャラの扱いに手厚いタイプではないと見受けられる。
かと思えば突飛なタイミングで再登場させたり、
桜庭のアイドルヘアや阿含のドレッドをある日突然無慈悲に剃り上げてファンを阿鼻叫喚の渦に叩き込んだり等々
(事実アイシ、ドクターストーン、トリリオンゲームと3本つづけて大ヒットを飛ばしている優れたストーリーテラーであるわけだし、どれもとんでもなく面白いし)
バックボーンを想像させる表情や振る舞いなどの魅力を付与して、
色んなキャラの色んな一面を描きまくってくれた。
別冊として出たデータブックでは各校の全チームメイトの顔カットを100人単位で書き起こし、
人物紹介には毎巻のように「ウォーリーを探せ」のようなぎっしり楽しい一枚絵を用意し、
神龍寺戦完結巻にいたっては、カバー絵などの余白をフルに使って、
アイシはただストーリーが面白い・アメフト題材に新規性があるというだけではなく、
そういう層のファンを獲得したという意味でも、商業的な成功をみた。
これは原作・作画別れているからこその、やや特殊な事例であると思う。
それは村田先生が魔法をかけてシナジーを起こしたキャラなのだ。
そして時を経て、魔法は解けていった。
何かのきっかけで、のっぴきならない理由で、本作を作画することへの情熱が失われてしまったのかもしれない。
読者にそれを知るすべはない。
ともあれ、作画による丁寧なフォローや補足はされなくなり、ありし日の熱量は失われ、
原作がある意味むき出しとなった結果が、連載終盤のアイシールドともいえる。
読切でも、魔法は解けたままだった。
そのことが残念でならない。
長々と書いてきたが、ぶっちゃけ少し真面目に作品に相対していればこのくらいのことはいくらでも思い浮かぶはずと思う。
なのにお出しされてきたのは、
そういう出来栄えの読切だった。
これに関して「編集者何やってんだよ」という視座を欠くわけにはいかない。
読切をつくるとなって、まともな打ち合わせの一つもしなかったのか?
批判されている点は?
少しリサーチすれば情報や感想は玉石混交いくらでも掘り出せるはずだ。
それを作品化するとして、最良の形とは?
精査していればもう少しブレや迷走は防げたはずだ。
編集者は作画クオリティ面にまでは口出しできないかもしれない。
にしても、あきらかな作画のミスを校閲し指摘することはできるはずだ。
「どうせ手を抜いたって、愛がなくたって、ファンなら喜んでジャンプを買い、涙を流してありがたがるだろう」
と、作品の知名度にあぐらをかいた編集部によって読者全員がナメられていること、
それが記念読切から透けてみえてくることが、作品を愛読してきた者として慚愧にたえない。
期待は捨てているけれど、改めて言いたい。
そして少しでも反省したなら俺らに誠意を見せてくれ。
すなわち、ファンもアンチもぐうの音も出ずに拍手喝采してしまうような、素晴らしいクオリティに練り上げた「アイシールド21」短期集中連載とか企画してください。金とアンケートならいくらでも出します。わあわあ言うとりますが未だにアイシールド大好きなんです。よろしくお願いします。ほんとマジで。
なんかやり直したくならないんだけどさ
理由があれなのよな
タイラントがうざいとかじゃなくてさ
ウェスカーみたいな悪役じゃなくてさ
ものすげぇ小物なの
小物なのにさ、それをぶち転がすカタルシスもねぇのよ
アレは絶対に再構築の失敗だわ
父も母も高学歴名家の出な実家太い系女子が主人公で、親が騙されて莫大な借金を抱えたと知らされる
ヤクザみたいなのが家に来て、風俗にでも売られるのかと思いきや卵子提供をしばらくすれば高値で売れるので借金を返せるという
どっかの施設に監禁され色々葛藤しつつ卵子誘発剤打って摘出日を迎えて更にまた次の周期を待っていたが、結局親が警察に駆け込んでヤクザたちは摘発され主人公は保護される
原作者が主人公とヒロインのキャラを変えるなと念を押していたが改変しまくり。
「いいひと。」を守れなかった責任は作者にあると連載終了を決意。
原作を大きく改変し主演男優(ジャ◯ニーズ)の演技もひどく炎上状態に。
ドラマを見た原作者がが原作と違いすぎてショック。もうやってられんと連載休止に。
作品のキモである「高校生の主人公が若く見えすぎてしまう母親を女性として意識してしまう」という設定に
どう見てもババアにしか見えない女優をあて、ストーリーや設定を改変しまくり。
原作者がやっぱりブチ切れて、最終的に原作クレジットが原案クレジットに変更されてしまう。
第2話で転校してくるアスペを学校で受け入れるか特別支援学校にぶち込むかを生徒が選挙する展開に。
テレビ局だけでなく原作者にまで非難が殺到し、原作者はこの展開を支持しないとして原作から降りることに。
原作者に対する無許可突撃取材に原作者が激怒、プロデューサーに二度とさせないと約束させるも再突撃される。
その後、海猿関連書籍が契約書なしで勝手に販売されていたとして原作者が絶縁宣言を行う。
・テルマエ・ロマエ :フジテレビ……というかエンターブレイン
事前相談もなければ根拠の説明もなかったとTVでぶっちゃける。
しかし契約は出版社が行っており、フジテレビ側が契約を押し付けたものではなかったとのこと。
原作者は「宮崎駿が監修する」「原作を変更しない」という条件で映像化を許可したはずが
なぜか宮崎駿はノータッチで原作を改変しまくった作品が出来上がってしまう。
原作者から「私だけではなくファンもバカにしている」と痛烈に批判された。
トラブルまでは行ってないけど高橋留美子はビューティフルドリーマーあんま好きじゃないらしい。
たとえば主人公の声優・俳優がゴリ押しで入ったど下手くそだったら、それは「原作改変」になるのかね?
原作者がオーケーを出すかどうかで全てが決まるとして、どのレベルまで先に原作者に見せればいいんだ?
横山秀夫「64」
原作では「鬼瓦」ってあだ名をつけられる容姿の父親そっくりで醜形恐怖を発症して家でする娘役が芳根京子
なめとんのか、一応なんか髪ボサらして引きこもり感だしてたつもりぽいけど隠せてねーだろ
原作では顔半分に大やけどを負ってツーフェイスみたいになったヒロインが首筋に襟巻で隠せる程度のやけどを負った松岡茉優
私ってサバサバしてるからの主人公みたいな奴が、友人の脚本家をいきなり庇い出したりとか、
チーフプロデューサやプロデューサ、脚本家は全員オバサンなのに、
未だにコンプライアンス無視、恋愛脳平成トレンディドラマ()みたいな脚本にストーリー変えたがるの、
しかも、変に上の立場になってる割には、テレビ局社員じゃない奴も多いから、まともにコンプライアンス教育も受けてなくて
未だに考え方が平成どころか働き方や価値観が昭和とかクソ老害だろ。
滅びろよ。
一歩がボクサー引退してトレーナーに転向した時点で大分あれな感じしてたけど、最近作者がXで一歩をアイコンにして思想強めのポストを連投するようになって、完全に悪臭のする漫画になってしまった。
作者と作品を切り分けろって言われそうだけど、だったら作者も作者としての個人のアイコンで発言して欲しい。代表作が一つしかないのに、その一つの主人公をアイコンにして歪んだ思想を発言されれば、作品に対する印象が損なわれるのも仕方ないだろ。
これの原作の内容は「英語講師が僧侶と見合いさせられた。どうせどっかのF欄卒で家継いだ真面目なだけの弱者男性かと思ったら、東大哲学科卒イケメンだし実はヤリチンでセックスがすごい上手いのンホォ」
ところがドラマ化したら、東大卒イケメンなのはそのままに「恋愛をしたことがないし女遊びももちろんしていない、主人公にはじめて恋をした真面目な童貞」に改変された
どうしてだろうという思いをずっとしている。
私は一読者なので「そうか、芦原先生のあの素敵な作品の続きがもう二度と読めないのか」とぼんやり思っている。まだ本当に現実に起きたことなのかうまく受け入れられないでいるのだ。
本屋さんでなんの気なしに手に取ったことから始まったと思う。1.2巻だけ試しに買ったらとても面白くて母親と一緒に本屋に行くたびに買い足して親子ともども楽しんでいた。
読み始めた頃は小学生だったから正直全部を汲み取ったというより「そういうラブコメ」を見ているような感覚だった。藤くんかっこいいー、杏と大吾どうなるんだーみたいな。
でも次第に年齢を重ねながら読んでいくうちにこれはただの恋のお話ではないと気づく。主人公が何度もうまく生きれなくなる瞬間があって、その都度立ち上がったり、折れそうになったり、その生きづらさも繊細な強さにも何度も涙した。
多分砂時計を知っている人ならみんな思い浮かべるあの仁摩サンドミュージアム。
幼い頃に主人公が見上げたシーンも、大人になってから見上げたシーンもそれぞれとても印象に残っている。
主人公の記憶を追随したかった私は高校生のころ親にせがんで島根まで連れて行ってもらった。
幼少期の主人公は「たったこれだけの大きさか」と言っていたけれど私はその大きさに圧倒された。
「砂時計のあのシーンだ!」と何度も何度も上を見上げて感動の声を上げた。作品を読んでいたからこそその気持ちは何倍にも膨れ上がったのだと思う。
帰りに主人公が母親に買ってもらった同じサイズの砂時計を同じく母親に買ってもらい、とても嬉しかった。
大事に抱きしめて今でも箱まで取っておいてある。
そういう、私の私自身と、私の家族との思い出の中に砂時計はある。
それから以降の作品pieceもBread&Butterも読み、そして社会人になって「セクシー田中さん」に出会った。
正直めちゃくちゃ泣いた。
これは社会人の、いち女性であればあるほどすごく共感できてしまう漫画で、フィクションを越えて自分に置き換えて考えてしまう。とても大事な作品だった。
女性として生きていれば本当にどこにでもよくありそうな話がたくさんあった。砂時計とはまた少し違う、生きづらさがそこに描かれていた。
それでも登場人物の成長や、芦原先生によって紡がれる言葉に何度も励まされ、涙を流した。毎巻待ちきれずたまに雑誌を買うこともあった。そして実写化の話を知る。
正直私は実写化に反対だった。というのも全員キャスティングのイメージが違ったからだ。
キャストさんが悪いわけではなく、制作側が本当に本を読んだんだろうか?と思うほどあまりにもイメージが違ったのだ(漫画の田中さんはわりと骨っぽいイメージだけれど、演者さんは丸く可愛らしい感じだったりなど他にも言いたいことは山ほどある。)
それでも、私は一読者なので文句があるなら見なければいい、そういうスタンスだったためドラマの開始は知りつつも1話も見なかった。
知ってるキャストさんが何人か出ていて楽しそうにしていたけれど、「まぁイメージとは違うし、私には原作があるし」と対岸の火事だった。
だから本当につい最近まで何があったのかよく知らなかったのだ。
芦原先生のアカウントができたことを小耳に挟んでやったー!と小躍りで見に行ったらどうやらこんなことになっているようだぞ、と。
知らなかった。対岸の火事が一気に目の前まで広がって私は1人で勝手に怒り狂った。「やっぱりな!」「だから見てなかったんだよね!」「先生に辛い思いをさせるな!」など内心ぐちぐちしていた。
でもその時もこうなるとは思わなかった。
思うわけないじゃないか。
そう、だって私は芦原先生ではないので。ドラマすら見てない「対岸の火事」の人なわけで、芦原先生が辛い最中にいるとは知っていても理解していなかった。
私は見ないふりができるけど芦原先生はそれをせず向き合い続けなければならかった。
それをわかっておらず「私は原作派なので次の新刊楽しみにしてます」だなんて呑気に思っていたのだ。
火蓋が切られたのは脚本家さんのSNSだったように思う(もちろん原因はドラマ開始時から始まる、テレビ局含む地続きの話なのだけれど)。
本当にやるせない。やるせないでしかない。
もちろん誰かを責めるつもりはない。
SNSの怖さは知っている。軽く放った言葉はすぐに刃になってしまう。
先生の最後のツイートも、とても痛々しく胸に突き刺さる。だからこそやるせないのだ。
本当にたらればを考えてしまう。
ドラマ化の話がなかったら。
作者ではなく出版社が戦っていれば。
どうしてどうして。
どこかで誰かが止められなかったのかと思うけれど、何度考えても一読者の自分には何もできなかったと思うことが心苦しい。
同業の方々がそれぞれ悲しみの声を上げていて、
同じ気持ち(と言っていいかわからないけど)を抱えてくれてありがたいと思う一方で、自分勝手に辛くなってしまうのでSNSをそっと閉じた。
よくないとは思うが「会社」としてはそれぞれこれからのことを考えて欲しいと思う。
特に日本テレビの(正直自己擁護に見える)コメントには失望を超えて絶望した。
人の心ある?よくこの言葉を今言えたな、もっとほかに言い回しあったじゃん…本当にちゃんと考えてあのコメントを出したのか理解に苦しむ。
放つ言葉に責任を持って仕事をするのはメディアの仕事の範囲に含まれないのだろうか。
(まぁこんなことを言っても「一読者の私」の声なんて日本テレビには届かない。
問い合わせとかしたところでどうせ該当の人たちには届かないだろう。せいぜいコメントチェックした人が人間の感情がいきなりぶつかってきたことに不快になるだけだ)
どうしてどうしてと考えていたらこんな時間になり、朝を迎えてしまった。
何かを伝えたいとかもなく、自分の心の整理のために書いている。
ああこれから先、芦原先生の作品を見返せば素晴らしい作品だなあ!という感情以上に、
「セクシー田中さんが未完で終わってしまったこと」「先生が死んでしまったこと」を思い出してしまうんだなぁ。
島根に行って、仁摩サンドミュージアムに行っても出雲大社に行っても思い出して泣いてしまうんだ。
残される辛さを、砂時計で教えてくれたではないですか。私は今しにたい気持ちを必死に抑えられているのはその作品があったからですよ。
先生の苦しみは死で救われたのでしょうか。
天国とやらに行って何か美味しいものでも食べているのでしょうか。
私にはまだわかりませんが、そちらの世界が優しくあたたかな世界であることを願います。
そして今までたくさんの素敵な作品を生み出してくださりありがとうございます。
続きが読めないとか
トラブルのあった脚本家の炎上原因のコメントもたくさんの転載記事で読むことができて
漫画家のほうは終始丁寧な言葉で、なんなら気弱に思えるくらいの言葉で、なんとなく話題の漫画の主人公を感じるような
田中さんが社会の荒波やら理不尽さやら人の悪意やらに負けて死を選んだかのような気持ちになる
ご冥福を祈る
悲しい
それが「砂時計」だった。
小学校3年生だったと思う。
1月だった。お正月に貰ったお年玉をすぐ使ったのを覚えている。
母が観ていたドラマ「砂時計」に幼いながらも感動し、原作があることを知って、父に本屋へ連れてってとせがんだ。
あの日、自分で選んだ10冊をレジに持って行ったあのドキドキは、もうずっと忘れられない。
小学生には難しい内容もあったけれど、この漫画が私の世界を広げてくれた。
砂時計では主人公・杏の年齢が章のタイトルになっていて、自分がその歳になる度に読み返したりした。
中学生の杏、高校生の杏、短大生になってOLになって… 日常を過ごすなかでも、ふと思い出していた。あーいま、あの頃の杏と同じ歳なんだな、とか。めちゃくちゃバイブルです。
恋愛というより、人間の弱さと優しさを描いた漫画だった。いまも心の支えになっている台詞ばかりだ。
しゃんとせえっておばあちゃんが言うんだよ。がんばれ、を受け入れる話なんだよ。
今日はたくさんのことを考えた。
私も、もう最終話の杏と同じくらいの歳になった。
性格と認知の歪んだ婚約相手と別れるために虚偽の情報流して相手の認知を更に歪めて相手から嫌われる&相手の評判を落とし自分に被害なく婚約破棄に持ってくって手口なんだが
そういう相手だからって奸計にはめて相手の認知をよりおかしくさせるとか主人公もゲスすぎると思うんだが作中では正義の主人公ヅラしてるの
正直これが人気で何巻も漫画出てるの異常な気がした
ダンス・ダンス・ダンス読んでるんだけど、主人公が渋谷とか青山ばっか散歩して、紀ノ国屋で「よく調教された」レタス買ってサンドウィッチ作ったりしてて草
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交通会館の横を抜けて銀座方面へ出た。マロニエゲートはでかでかと赤い立方体を戴いて、デジタルサイネージにはつるりとした服を身につけたモデルが闊歩している。
上から下まで均質な衣料品が均質にディスプレイされ、花屋があり、コーヒースタンドまである。馬鹿みたい、とユキなら言うに違いない。
いじめられっ子の主人公のことを何かと助けてくれる喧嘩が強く度胸がある陽キャヤクザが、覚醒した主人公にずっとお前のことが嫌いだった的に両目潰されて底辺に落ちるんだけど、その後底辺世界でも仲間作ってそれなりに楽しく生活してた。それを見た主人公がイラァていう展開
漫画原作のドラマ脚本の件で大揉めになって死者まで出てしまったが、大事な作品の映像化に関して原作者自らが制作に参加して大ヒットした昨年の作品が3つある。
90年代に放送されたTVアニメに不満を持った原作者の井上雄彦が自ら監督となり、最終試合の山王戦をCGアニメ映画化。声優変更や主人公変更、原作にないエピソードの付け足しなど、戸惑う観客の声もあったが、原作者が行った変更だからと作品叩きにもならずに、結果大ヒット。
原作者の尾田栄一郎が製作総指揮となってハリウッドによる実写ドラマ化。実写化における原作からの変更点は全て尾田栄一郎のチェックを受けて原作者のお墨付きだからファンも文句言わずに絶賛の嵐。当初のコンセプトアートでリアルなヤギ頭だったゴーイングメリー号は、実際のドラマではアニメに近づいた外見になるなど、ちゃんと守るところは守られてる印象も与える。監督も役者も原作者を神の如くリスペクトしまくる動画をアップしてるから変更も悪い印象にならずに大ヒット。
歴代ナンバー1のジャズ漫画のアニメ映画化。こちらは原作者ではないが、担当編集者として初回から原作制作に協力し続け、現在は原作のストーリーディレクターとして漫画にクレジットされているNUMBER 8氏が脚本を担当している。原作10巻分を120分に落とし込んでいて、原作ストーリーがかなり省かれ主人公のセリフが別のキャラのセリフになるなど変更が多数あるが、原作者に一番近く、一番信用されてそうな漫画スタッフの脚本で原作者お墨付きは分かってるので原作読者も誰も文句言わない。というかラストが原作と全く逆の結末なのに原作より好きという人が多数。演奏シーンの作画のまずさからディスりも受けたが、それを超えるシナリオでリバイバル上映されるほど大ヒットした
今の漫画家は映像思い浮かべながら描く人が多いだろうから、映像化の話が来た時は「自分に監督やらせてくれるなら」って条件を出したほうがいいよ。漫画描けるならコンテも描ける。監督に自信がないなら「自分が脚本」を条件にしてもいいし、それも自信ないなら「自分を製作総指揮に」って要求して、問題あったら自分の一存で制作進行をストップすることができるくらい権限をもらえばいい。