はてなキーワード: グローバル化とは
基本的に人口が増えると考えるなら(つか世界人口は増えていく)
ついでに、文明も発達して、世界がグローバル化していくと考えるなら
1 資源は高沸していく。
2 日本の支えである自動車産業は、電気自動車の登場により長期的には危機状態にある
この状況を、とくに経済規模が縮小すれば資源が高沸していく。という状況を人口でどうしようっていうんだ?
そもそも、日本から工場がなくなれば人口増やしても仕事が無い。
どんだけ、金を刷ってばら撒こうとも、すればするほど1の資源が高くなっていく。最終的にはハイパーインフレに突入する。
人口の話以前に、次の産業をどうするのか?増やした人間はどんな仕事をするのか?という事を考えずに人口の議論をしても無意味だ。
高度経済成長期のように、人口が増えれば産業が活性化するという時代ではない。
レコードチャイナ:中国系作家がSFの最高賞を受賞、小説の背景は日本文化―中国紙
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=76500
世界SF大会(ワールドコン)とはどのようなものかはWiki参照。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89%E3%82%B3%E3%83%B3
世界SF大会とコミケは「はじまりの動機や」「運営方針」はほぼ同じと言っていいのだが、何故か現在のありようは似て非なるものになっている。
どこが違うのかというと、コミケは非常に閉鎖的で、権威的な賞を廃し、またディスカッションの場では無い、コミケがワールドコンと比べて特化させた部分はあくまで同人誌即売会であるという点である。
何故そうなったのか。
Wikiによると、実はコミケの前身となる「日本漫画大会」というものが1970年代にあったという。名前のとおり世界SF大会(ワールドコン)を模したものだったと思われるが、コミケとはそもそも「日本漫画大会」のようなワールドコンの批判から生まれた訳だ。そして勝ち残ったのがコミケだった、という事になる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%BC%AB%E7%94%BB%E5%A4%A7%E4%BC%9A
これ、今だったどうなんだろう、と思うのだが。
今、日本漫画大会のようなワールドコン方式のイベントがあればいいのになあ、なんで無いんだろう、と思ってこの記事を書いている。
グローバル化に向いているのは明らかにワールドコン方式だと思うのだが、と思って調べてみるとやはりアメリカにはコミコンというものがすでにある。
というか世界各地の同人誌即売会はどちらかというと、日本のコミケを模倣しているというよりも、ワールドコンの漫画アニメ版というものが多いと思われる。
大友克洋さんが米国コミックの殿堂入り 日本人で4人目 コミコンで発表 - 10814 - | アニメ!アニメ!
http://animeanime.jp/article/2012/07/15/10814.html
さて、2020年のオリンピックが東京で開催されるそうだが、日本人のスポーツにおける理解というのは素晴らしいなと思う、今やスポーツに対してはほとんどの人が権威がどうとか、順位を付ける是非について言わない、オリンピックというイベントを通して「スポーツとはそういうもの」という最低限必要な共通認識ができている。
つまり、イベントのありようというのは、その文化と非常に関係している。
別にマンガ・アニメ文化でワールドコンのようなものは日本がやらなくても、きっとマンガ・アニメの文化は続いていくのだろうけど、そんで海外のコミコンでたまに日本人が賞を貰って、それをありがたがる。映画のように、アメリカ、フランスとか、もしくは中国や韓国で、そういう授賞式がBSスカパーとかで生中継されるんだろう。
おそらく2020年以降、そうなって行くと思う。
クールジャパンとかについて、ワールドコンのようなイベントを国が援助して作ってほしいとは全然思わない。日本文化を海外に輸出する援助というのも必要ないと思う。
逆で、海外の文化を輸入すべき。ファンサブやワールドコンの文化を日本人はほとんど知らない。それを知って、じゃあ日本はそれらと比べてどういう事をやっていくかという基準ができるから。
具体的にあげるなら、やはり言葉の壁問題が大きい。ファンサブの中には天才的な翻訳家がたくさんいる、そういう人達のほとんどが日本に来たがっている訳だが、そういう人達の来日を援助して、日本のオタクとの交流の場を作る、それも文化の解釈議論や言語翻訳に特化した場として。そんで交流が進んだところで、出版社等が作品の輸出輸入の際の翻訳やマーケティングの人材登用に対して、上手くマッチングできるような窓口となる組織を作る。
クールジャパンの人がやることはそこだと思うんだけど、もしすでにそういう事業があるのなら教えていただきたい。
僕が 思うことを 聞いてはくれないだろうか? そして、率直な意見や感想をもらえるとありがたい。
オリンピックにはまず、賛成したと仮定しよう。反対意見だと思わないでほしい。
しかし、オリンピックが行われたとして(東京じゃなくても世界中どこでもいい)
日本でiPhoneを超えるものが作れるようになるわけでも、Googleを超える会社を作れるわけでも、世界に対して新商品を提供できるようになるわけでも、トヨタの製品開発力が上がるわけでも、製薬メーカーが新しい薬を作れるようになるわけでもない。
スポーツ選手がどれだけ努力しても、どんなにパワー溢れる姿を見せても、それは、実業界の僕らには影響をおよぼすわけではなない。
ストレス発散や、ガス抜きの効果はあるだろう。イベントは楽しい。
しかし、『オリンピック』と『世界に対して新商品を提供できるようになる』ということの間には、明確な関連性がない。
今僕らが求めているのは、『世界に対して新商品を提供できるようになる』グローバル化された強い企業や、開発体制、その他、 『外貨を稼ぐ仕組み』だと思っている。
ようするに、アベノミクスや構造改革なのだが、 それがいまだ出てこない。(すくなくとも僕らサラリーマン層にとっては)オリンピックなんかよりもよほど重大な問題ではないのだろうか?
「義務教育や高校段階で育んだ「我が国と郷土を愛する態度」をいっそう確かなものにし、
大学教育で育成される高い個人的な能力を、我が国と郷土のために使おうとする意志へと結びつける必要がある。」
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouikusaisei/dai11/s5.pdf
「無批判な欧米基準への追随や経済的利益の追求に警戒心を抱きつつ、日本文明の幸福基準を明確に自覚し、その上で外国人と対等に交流・競争できる能力をもった人材を養成目標とする。」
「日本語でしかアクセスできない有用な情報・知識を確保し、日本語の国際的な地位を高める。」(その発想はなかったわ)
「大学にも「日本文明」について学ぶ講座を必置する。その内容について有識者でガイドラインを検討する。」(日本文明ってなんでしょう。)
「外国語能力や理系・経済の能力は、日本文明を防衛するための重要な手段と位置づけ、すでに提案されている様々な手段を用いて強化する。」
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouikusaisei/dai7/s10.pdf
「理系や経済に焦点が当てられているために、文明論的な視点、すなわち、S・ハンチントンのいう「文明の衝突」(あるいは「新帝国時代」)という世界認識が欠落している。」
「グローバル化の捉え方を 180 度転換させ、日本が如何にして世界に対応するかではなく、如何にして世界に日本を理解させ、日本人の生き方を受け入れさせるかという発想に切り替え、
単なる大学の生き残り策ではなく、国家的な文化戦略の一翼を担う政策として大学改革を位置付け直す必要がある。
その意味で日本文化を世界に売り出す「クール・ジャパン」戦略との連携を考えるべきである。」
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouikusaisei/dai6/s5.pdf
「体罰と暴力はともに言語的表現の貧しさの結果でございます。これは相手をやっつけたいなら舌戦で罵倒したりするのが一番よろしいのでございます。
これは今の学校教育が作文教育におそろしく力を入れていない、そして読書力がない、本も読まない、そういうことだろうと思います。」
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouikusaisei/dai4/gijiroku.pdf
「一生に一度も幾何も代数も英語も使わなくていいという日本人が立派にたくさんおりますので、その人たちを解放してやっていただきたい。
他の人たちも、そのことでTOEFLなどが楽になります。高校からの英語も必要ありません。」
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouikusaisei/dai7/gijiroku.pdf
「マラリアと同じように、現世にはほぼ解決できないと思われる負の状況が必ずある。病気、死別、歪んだ性欲、などがそれに当たるだろうか。」
「マラリアに対してはめいめいが持つ免疫によって発症しないように用心するのと同様に、苛めに対しても、自ら対抗する精神の強さを持つ以外にほんとうの解決策はないだろうと思う。」
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouikusaisei/dai2/sankou09_2.pdf
「全ての若者たちが大学に安心して行けるような、安心して生きられるようになりましたら、どんどん人間は堕落すると思います。」
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouikusaisei/dai9/gijiroku.pdf
待機児童の解消
5年で40万人分の保育の受け皿を確保する待機児童解消加速化プランで、平成29年度末までに待機児童の解消を目指します。
「私は、待機児童の早期解消に向けて、このいわば「横浜方式」を全国に横展開していきたいと考えています。」(平成25年5月21日安倍総理)
「全上場企業において、積極的に役員・管理職に女性を登用していただきたい。まずは、役員に、一人は女性を登用していただきたい。」
子育てするので会社休みますと言った女社員への解雇事件で、企業側敗訴の判決がさくたん出されてしまった。
民主党のせいだ。子育てする人の解雇ができなくなってしまったのは。
だけど政権交代で安倍さんが総理になり、育児社員を解雇するためのルールとして、待機児童解消加速化プランが作り出された。
国民は解雇ルール展開政策を支持し、参議院で自民党は圧勝した。
子どもは施設にでも入れておけ!休むな!働け!
休職するやつはいらないから出て行け! 退職金は一円も払わん。
これでOK。
女性差別主義者で、子どもをいたぶり、鬼畜三昧の汚い大悪党の男。ス・テ・キ!
働く意欲はあるのに埋もれてしまっている女性の力を活用することは、女性本人にメリットがあるだけではなく、有用な労働力を確保でき、グローバル化の中で企業の戦力アップにつながるなど、企業や社会の活性化につながります。
女性がもっと活躍しやすい社会にするために、政府は、「働く『なでしこ』大作戦」の一環として、社会、特に男性の意識改革や、男女間の格差解消に向けた企業のポジティブ・アクションの支援を進めています。
※ポジティブ・アクションとは、女性の採用拡大・職域拡大・管理職登用の拡大など、個々の企業が進める自主的かつ積極的な取組です。
http://dl.gov-online.go.jp/public_html/gov/pdf/magazine/ad/ph271b.pdf
だけど「我が社は女性にやさしい会社です」って言わなければならない。
ポジティブアクションは、あくまでも政府の政策で、法律じゃない。
安倍総理のお墨付きだ。男尊女卑企業ども! パワハラやって大いに楽しめ!
あとはオレたちの安倍総理がなんとかしてくれる。
有価証券報告書における情報開示については積極・慎重のそれぞれの立場から様々な意見が述べられました。
開示を求める意見が多く出される一方、企業の実務への影響を懸念する強い反対意見があり、これら企業に一律の開示を求める方法について一定の結論を得るには至りませんでした。
http://dl.gov-online.go.jp/public_html/gov/pdf/magazine/ad/ph271b.pdf
だから根回しして、情報公開は時期尚早で問題があるって組織票を政府に出しておいたんだ。
オレたちの安倍総理がうまくやってくれたので、結局、報告義務は無くなった。
さすがだぜ安倍総理。総理になっても男尊女卑の信念を貫き通している。
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誤解しないで欲しいのは、君の考え方に興味があるからディベートしたいだけで、悪気はないんだ。まず、その前提で意見交換させてくれ。
ビジネスニーズは既に高まっているんだよ。グローバル化が叫ばれて何年立つと思う?英語関連の商材も豊富だ。にも関わらず、日本人は英語ができない。もうこれは認めざる負えないよ。
これはね、日本人に出すと40万かかる仕事が、英語代行に1案件8万、中国制作会社に12万、合計20万で済むんじゃないかとか、そういう話を俺はしてる。
俺もそういう話をしているよ。でだ、英語代行の人は1案件8万だと食えないよね?独身者でも最低3案件は毎月確保しなきゃいけない。それでも24万だわな。
さて。英語が話せて中国の制作会社と連携できるコミュ力のある人が、果たしてその金額で満足できるだろうか?「もっと仕事取ればいいじゃん」って思うだろうけど、時間は有限だ。1人でカバーできる要領にも限りがある。
毎月、定期的に仕事を取りつつ、クライアントと打ち合わせして、制作会社へのフォローもしなきゃいけない。君はフリーランスとのことだけど、クライアントを月3件かかえつつ、外注に細かく要点を伝えてサイトを完成させる。おまけに経理も自分でやらないといけない。これって日本でやってても大変だと思わない?
あと、中国でもインドでも外注に出したとして、彼らが作ったものを全くチェックもせずにクライアントに納品することは有り得ない。少なくともテストはするよね?特に中国なんかはいい加減だから、確認しないとあとで困るよね。と言うことは、確認する時間も必要なわけだ。
さて。君は英語がペラペラで中国人と交渉できるコミュ力があって、Web制作の知識もあるとする。この仕事を月24万~32万(経費抜き)でやりたいと思う?
で、仕事の一環として、毎日毎日、数多くの新聞社やその他の媒体の記事を読んでいるわけだけど、気づいたことがある。それは、この日本という国(日本に限らないかもしれないけど)を動かしているのは、全てマイノリティの人たちだってこと。凶悪事件を起こして世間を騒がせたりする連中はマイノリティ。政治を動かしてるのは、「政治」というとても特殊な仕事をしたがる人々だからマイノリティ。財界や会社の社長さんなんかは、それこそ仕事が大好きで仕事キ○ガイの人だけがなれるわけだからマイノリティ。スポーツ選手は、ものすげー努力と才能と運にも恵まれた人だけがなれるわけだからマイノリティ。芸能人も同じことが言えるからマイノリティ。そもそもマスコミ自体も、その仕事につきたがる特殊な人たちがやっているわけだからマイノリティ。
というわけで、少なくとも新聞社的な見方として、この世を動かしこの世界のニュースを作っている人たちはみんなマイノリティ。「マジョリティ」はどこにも出る幕がない。選挙のときに投票するくらいだけど、選挙制度もいろんな問題を抱えてるし、第一、投票率が4割って時点で投票している人たちもマイノリティ。
じゃあ、そのマイノリティとマジョリティのあいだの境目の人たちはいないのか、その境目の人たちをもっと取り上げるべきじゃないのか、って話になってくると思うんだけど、残念ながらマスコミはそういう方向には行けないらしい。そりゃ少し成功した人より大成功した人の方がニュースバリューがあるし、普通の人たちの普通のおしゃべりにニュースバリューはない。まあそんなの今更、って話だし、マスコミ報道は話半分に聞いた方がいいよ、ってだけだけど。
ただ怖いのは、そのマイノリティの人たちが、どれだけマジョリティのことを考えてるかな、わかってるかな、っていう点。ユニクロの社長が年収150万円時代とか言ってるけど、普通に考えてそんな年収で生きていたい人、そんなにいないだろ。安倍さんが「美しい国」とか言ってるのも個人的には気持ち悪い。たとえば美しい絵っていうのは醜い部分がない絵のことで、それと同じとらえ方をすると、「美しい国」ってのは、努力できない人、人生うまく行かなかった人、平々凡々な人間、を切り捨てて顧みない国かもしれない。俺は100万人のエリートしか生きられない国より、馬鹿もクズもできない人も含めて1億人が生きられる、生存できる、そういう国の方がいい国だと思うのだが(というかそれが真の意味での「人権」の観点からして当たり前だと思うのだが)。そういえば生活保護の規制を強める法案も通っちゃったしね。
なんかグローバル化ってんで、日本は少子高齢化だし、なし崩し的に新興国からどんどん日本人より意欲がある(=安く働ける)人たちや日本人より能力のある人たちが入ってきて、日本人の立場がどんどん辛くなっていて、自殺者が年間30万人とかいうことになるかもなー、みたいなディストピアを思い描いてしまうことがある。日本の中で日本人がマイノリティになってしまう、みたいな。新大久保が本物の韓国人街になってしまって逆に日本人に向けてヘイトスピーチされるとか。
もっと正確に言うと経済のルールが変わるからそれに合わせないといけなくなったという事なのだ。
昔のルールは;お金を稼ぐのは日本国内で日本語を話していればいいよって言うルール。
これからのルールは:国内のお金はだんだん少なくなるからお金を稼ぐのなら英語を使って海外で稼いでねーっていうルール。
ルールが変わったからゲームのプレーヤー(この場合は国民とか産業とか小さな意味では先生とか学生)はこれに適応しなければ生存できなくなるかもっていうこと。
それを分かっていないと、小手先の議論になってしまって、入学試験制度は大学が自由に作れるはずとか、高校生の基礎学力が落ちているとか、今の大学制度に問題はないのに
なせかえるんだとか、入試制度を変えれば問題が解決する訳ではないとか (おもにここに書いてある事だが(笑)http://blogos.com/article/63882/?axis=&p=1)
今までのルールは
と言う形。日本は確かに輸出で儲けたがそれでも経済は内需型。2010年の対GDP比で輸出依存度は11.4%で先進国ではアメリカに次いで低い。
ちなみに韓国は43%、ドイツは33%、中国でも24%。2010年でもその程度なのでそれ以前はもっと低い。一桁だったときもある。
そのような経済状況で必要な教育は内需経済のために必要な教育でいい。
だから国内の大学同士を競わせ、優劣を付け、教育のレベルをあげるというのでよかった。英語教育もいらない。英語は優劣を付けるための手段であり、
では、これから20年後どうなるのか?
2)内需の縮小
3)経済のグローバル化、知識のグローバル化による日本の産業の競争力の低下
が見込まれる。っていうかもう始まってる。
日本の経済を成長させ続けるためには本格的に外需で食べる事が出来るような体力をつけないと、
そうなると日本は国策として国内の大学同士を競わせて内需向けの労働者を大学で育成しても
貴重な外貨を稼ぐ事が出来ない。
また、人口が少なくなる中、海外からの優秀な頭脳を取り入れなければ競争力を持続できないが、
インターネットをつかったコンピューターネットワークが出来てしまった事によって英語の優位性は
もう既に決まってしまった。今後300年くらいっていうか未来永劫英語は世界の言語になってしまった。
それ以外の言葉はあまりにもお金を稼ぐのに不利になってしまったんだ。
お金を稼ぐルールが変わってしまった以上、プレイヤーはルールに従ってお金を稼ぐしかない。
で、いままでのルールでは日本国内だけで競っていれば良かったものが、国外の経済と競わなければならなくなった。
内需ならばいくらでも保護貿易できたんだけど、外に行くとなると保護できない。それどころか排除される側。
しかも輸出したい国は中国韓国はじめとする新興国から、欧米の先進国まですべての分野で競争相手がいるのだ。
また競争するためには時には相手とくむ事だってある。そのときの相手も日本語話してくれない。
つまり英語使って交渉できなければ売る事も研究も、つまるところ仕事ができないのだよ。
今回の入試改革によって入学試験は学力の面では圧倒的に緩和されるだろう。
そして大学に入るのには、勉強するに足りる基礎学力(特に理数系)、仕事に使う英語、交渉の際に必要な論理性の3つにおいて
ある程度のレベルを達していればよいとなるはずだ。
またそのためには勉強のスコアだけではなくて面接(特に英語、論理性)が試されるようになるに違いない。
入学試験は学力で学生を選抜する試験ではなく、学生の適正、能力、伸びしろをみるための試験となる。
一部の一芸に非常に優れた学生(たとえば数学オリンピックに出るような才能)はその枠で、
それ以外の学生に対しても可能性という枠で席を与えていかねばならないのだ。
勉強のできる学生が選抜されて入ってくる従来の制度では大学は入試が大事であとは学生が勝手に勉強してくれた。
これからは可能性のある学生が入ってくるのであとは「大学が育てる」という形になるはずだ。
故に大学は本当に勉強も教えなければいけなくなるだろう。また勉強だけではなくてコミュニケーションと論理性を育てる場所である必要がある。
これまで大学は国内の学生の選抜システムという形で機能していたが、これからは本当の意味での「学びの場」にならねばならぬのだ。
ルールが変わったのだから今までの国内のランキングなど関係なく東大を抜かす事だって出来るのだ。
この変革によって大学のレベルはより平準化され、専門化される。そしてその事が日本の大学のへきんレベルを底上げするだろうし、一部の学校は
にきび跡、肌荒れ酷い、不細工、発達障害(ADHD)、腎臓疾患(ネフローゼ)持ち、身長170cmどまり中学受験で入った自称進学校で進級すら危うかった超低スペック高校2年生だ。
新宿の紀伊国屋書店に行ったのだけれども、全く読みたい本がない。
本の売れ筋ランキングを見ると 新興宗教の教祖の薄い内容の本や、タレントが書いた自己啓発っぽい新書、病気の新書、月9でドラマ化でもしてほしそうな文芸本がランクインしている。
なんて言うか読みたいと思わない。
だからって興味のある分野があるわけでもないので、専門書を読もうとは思わない。
僕の自称進学校の図書館では よくわかる時事問題みたいな本とか とか 大学入試によく出てくる評論の本とかばっかりだ。
今年は糞老人の理事長が「グローバル化」という言葉が大好きなので英語の簡単な物語を増やしてくれたそうだ。
どれもそそらない。
ニーチェとかデカルトとかそれまた小難しいインテリ気取りの名著と言われる本を読もうとも思わない。読んでも面白くないし。
読まなきゃいいだけだ 死ね 勉強してろ って言われればその通りなんだろうけど最近の無気力感を打破するためにも素晴らしい本を探している。
いや、なんでもいいけど。
自分の常識は正しいから、故に、あいての常識は間違っているという思想はグローバル化社会では通じないぞ。
食べ物は残すのが美徳ではなく、食べ物は満腹になるまで提供するのが幹事の美徳だ。
結果、満腹になるまで提供したので わずかに残る。ということであって、残すのが美徳ではない。
故に、客は 満足満足もう満腹ですと、わずかに残すということだ。 食べきるという行為は おかわりという意味だ。
日本の場合は 食べ物は残さないのが美徳ではなく、腹八分目に抑えるのが美徳で結果残らない。という事だ
食べきれない量が出てきたら残すのが当たり前。
ある趣味に没頭してるんだけど、その関係でよく外国人(主に日系ブラジル人)と揉めることが多くて、やっぱり外国人と付き合うのって大変だなって思う。
でも、さすがに、
ってことは思わないな。
確かに、彼らが奪った仕事もあるし、彼らが来たせいで起きた問題もある。
でも、彼らが奪わなかったら、シェアまるごと中国に奪われていたりするわけだったりして、お互いウィンウィンな部分もあるわけで。
経済活動というものはさ、売る方も買う方も、納得して売り、納得して買うわけでしょ。
安価に雇いたい雇用主と、安く請け負うブラジル人労働者がウィンウィンなのを、
というのはどうなのか。
農業研修生として、最低賃金以下で中国人に農作業させたりするのは、それは叩かれても仕方ないと思うけどね。
グローバル化の流れの中での必然で、人とモノの流れが激しくなるのは仕方ない。
iPhoneとアンドロイドを禁止すれば、国産のガラケーが復活して、富士通とシャープが蘇って、着うたでJASRACとアーティストが潤って、俺らの給料も増えて、ってんならTPPに反対すればいい。
http://www.asahi.com/business/update/0423/TKY201304220465.html
ま、ここで、柳井氏は、国際的な競争下においては成長なければ死ぬしかない、ゆえに世界同一賃金や競争を強化し、ありていに言えば従業員をふるい落としていくことを言っているわけですな。
Grow or Dieという言葉で彼はその考えを端的に示しているわけです。
でもさ、よく考えてみなさいよ、何で従業員が死ななきゃならんのか? いやむしろ、死ぬなら柳井氏もろともって考えてもおかしくないでしょう。
彼はナチュラルに資本主義における競争の敗者は死ぬ、と考えているけど資本主義のルールに則った戦いをしなければならないというのは、まさに彼の勝手な固定観念なわけで。資本主義以外の方法論で戦っているマオイストやムジャヒディーンは世界中に掃いて捨てるほどいるわけです。アメリカじゃ、職場に銃を持ってryなんて事件は普通にあるわけでして。
まさに、グローバル化の一側面しか彼は見ていないんだね。グローバル化は単に資本主義がグローバル化するというだけじゃなく、もっといろいろな意味があるわけだよ。うん。
柳井氏は確かに才覚のある経営者で、お金も持っている。しかし、彼は24時間ボディガードをつけられるか? と聞かれれば、できなくもないだろうけど、ちょっと難しい面があると思う。
そういったボディガードを付けて、さらに防弾車に乗って移動する生活ならかなりの危険は防げるけど、いろいろと困難さはつきまとう。
たとえば、日本でも比較的容易にショットガンを持つことができるし、ソードオフ加工をすることは違法だけど難しいことじゃない。大口径のスラグとか防弾チョッキ着ててもヤバイ。
さらに言えば、信号を自分の通行に合わせて切り替えるなんてのも普通はできないわけで、ANFO満載のワゴン車に横づけされても大丈夫な防弾車なんてそれこそ大統領専用車両ぐらいしかない。
しかも恨みを抱くのは従業員なわけだから、比較的接近もしやすい。
資本主義のルールを大前提とした考え、ロック主義的なそれはスマートだし、まぁそれなりに合っている部分もあるけど、解雇規制なんかまさにロック主義的な所有と契約の関係をルソー的な社会契約という名の暴力(現実的には労基やね)が圧倒している実例なわけですよ(それを山口巌というコンサルは微塵もわかってないhttp://blogos.com/article/60841/)。あるいは、ウェーバーのいう「国家とは暴力の合法的独占ry」という部分もあるわけでしてね。
私はユニクロの従業員でもなんでもないから別に彼に恨みはないけど、あまり従業員なめてるとよろしくないんじゃないかなーと老婆心ながらに思いました(まる)
ファーストリテイリングの会長のインタビュー記事をよんだ。
時代はグローバル化だ、そうだ。そもそもグローバル化ってなんだろう。辞書的な意味は、国家なんかの垣根をこえて自由に経済しましょう、ということだろう。境界の無視/自由という語感から、慣習からの脱却(年功序列、必ず問屋を通す?みたいな)と同一視されているかもしれない。昔にはやったデータマイニング、ちょっと前にはやったクラウド、そして旬なビッグデータと同じでバズワードじゃね、と個人的には思う。
意味も定義もよく分からないが刺激的で万能薬みたいな効果がありそうな単語を流行らせ、その単語を冠した商品を買わせよう、というやつだ。グローバル化も、そのグローバル化を声高に叫んでいるひとたちが得するわけで、その賛同者や感化されたひとが得するわけじゃない、構造はネズミ講と同じだと思っている。親とそのすぐ下の子ぐらいまでは儲けがあるじゃね、的な。
まあ、それは横道で。
年齢を問わずに実力でひとを評価しよう、と言っていた。うん、慣習からの脱却だね、年功序列の否定。でも、同じ口で、25ぐらいまでに基本的な考えをまとめて、努力を重ねて35ぐらいまでに執行役員に・・・という。これと同じ言葉を知っている。「吾れ十五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず・・・」孔子というひとの言葉だとすれば、15歳で学を志そう、と基本的な考えをまとめ、努力して30で学の分野で責任を取れるようになった、と。たぶん、そんな感じ。とてもファジー。や、すごいね、旧弊だという儒教的な価値観のほうがそのひとの価値をバッサリと切り捨てる年の頃がずいぶん早い、ただ努力にかかる時間は長いよね。
親を敬え、という儒教的な価値観に根付いた年功序列とかを破壊したいひとの口から儒教的な価値観に縛られた言葉がでてくる。それは、そもそもの話として慣習というのは弊害がありながらも価値があるということか、人間ていうのはどんなに聡明でも「信じたいものだけが存在し、信じられないものは存在しない」という枠から完全に脱することはできないのか、どっちだろう。
最後。
よく破壊なくして創造なし、とかいうけど、新しいものを創造したらそれに噛みあわない既存が壊されるだけであって、既存の破壊の理由に創造を付けたら、それはただの破壊だよね、何も生まないし、だれも得しない。
外国の作った試験を自国の教育に公的な形で組み込むとか、本当に正気の沙汰とは思えない。この場合はしかも、いちNPOが作っている試験だ。その試験に対しては、一体誰が責任をとるのか。
たとえばTOEFLを大学受験もしくは卒業あたりの目標として設定するとする。そうすると中、高の英語教育ではその目標に向かって勉強が進められるようになる。推進論者は、「そのことによって英語能力があがる!コミュニケーション取れるようになる!グローバル化!」と主張する。
だけど、この試験の作成に、ある種の「悪意」が入らないと誰が言えるのだろうか。
たとえば、TOEFLのリーディングセクションで、何らかの問題で、そのような解決策をとればアメリカに有利になるような言説ばかりを読ませるようにしたらどうだろう。あるいはライティングで、日本に不利でアメリカに有利になるような論の展開をとらないと減点される、という状況になったらどうだろう。子どもたちは一生懸命そういう「言説」を勉強するだろう。そしてそれをそのまま主張するようになるだろう。ライティング、スピーキングという意見表明が求められるセクションがある以上この危険性は大きいと思う。(それゆえ、移民に対する語学試験は思想調査とふるい分けの機能をも持ちうる)
語学の試験だからといって、そこに思想の偏向が入らないとは限らない。「日教組の偏向教育」には声を大にして異を唱えるのに、教育を外国に丸投げするような政策にはなぜ抗議の声があがらないのか。意味がわからない。
文春新書の『ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪』が話題だ。著者の今野晴貴氏は、POSSE(ポッセ)という労働NPOを作り、1500件もの労働相談を受けてきた。仕事を通じて心身を壊してしまった若者から、ブラック企業の悪行を耳にしている人物である。
そのような活動によって、命を救われた人もいることだろう。そのこと自体は価値あることであることは間違いない。ただし、傷つく社員の立場から呼びかける対策だけでは、たぶんに対症療法的になりがちになるのが惜しい。
例えば、ブラック企業誕生の背景には、経済のグローバル化の影響などがあるはずだが、本書ではそういった経済的な要因への考察がなく、それに基づく労働者の未来に対する助言もない。
読後感がよくないのは、ブラック企業の醜悪さに吐き気がしたからではなく、こういう問題の捉え方だけでは救われる人は多くないのではないかという漠然とした不満のためだ。資本主義社会では、競争が基本原則であることは変えられない。セーフティネットは不可欠だが、セーフティネットの論理だけで全体を覆うことはできない。
「すべての日本企業はブラック企業となりうる」という企業敵視が強すぎるのではないか。良し悪しや倫理的な判断は別として、まずは現実に起こっていることを幅広く見て、そこに関わる会社や経営者がどういうインセンティブで動いているかを要因分析し、それを根本から変えさせるアプローチを取るのでなければ、企業批判は空回りし実効性はあがらない。
結論ありきの企業批判がマズイのは、真の「問題」を捉え損なうからだ。本書は典型的なブラック企業として、あるIT企業とアパレル企業の2社の例をあげている。そして共通点として、入社してからも終わらない「選抜」があることと、会社への極端な「従順」を求められることを問題視している。
しかし「選抜」と「従順」の何が悪いのか、落ちこぼれてしまった人の悲惨な例を読むだけでは、いまひとつ判然としない。ITとアパレルという競争の激しい業界において、この時代に生き残るためには「選抜」も「従順」も必要な手段であり、それに耐えられる人だけが働けばいい。
これを問題とする視点は、「普通の人が(無理をしなくても)生きていけるモデル」をあらゆる企業に当てはめようとする、一種の非現実さから来ていると考えられる。
私企業であるユニクロの店舗が、激務で高給な一握りの「スーパー正社員」と、その指示に忠実に従う数多くの「普通以下の契約社員やアルバイト」(薄給ですぐ辞める)で構成されていることに、なんら問題はないはずだ。それが顧客の満足や、世界的な競争力につながってもいる。
仮にユニクロの店員がすべて、そこを訪れる客よりも高い給料を保証されつつ、「選抜」にも「従順」にもさらされていない正社員であったら、客はどう思うだろう。価格は2倍に釣り上がり、商品は売れず倒産することになる。
もしかすると、「日本人を正社員で雇い、ゆとりある労働環境で働かせることができない会社など出て行け。潰れてしまえばいい」と考えている人がいるかもしれない。しかしユニクロが潰れれば何万人もの雇用が失われ、外資の同じようなSAPが市場を席巻するだけだ。
「ブラック企業」問題が解決された世の中とは、どんな状態になっているのか。すべての企業が普通の人を温かく受け入れてくれる世の中を望んでも、絵空事だろう。ハードワークで高給を得たい人も、労働時間と給与がそこそこの人も居場所を見つけることができる「雇用の多様化」が現実的な目標ではないか。
そのためには、まずは「嫌なら辞められる」人を増やす世の中を作ることである。これを実現するためには、セーフティネット付きで雇用の流動性を高めることが必要だ。解雇規制を緩和し、企業に負わせている過重な社会保障を軽減することで、起業や雇用を増やすことが考えられる。
優秀な人材が集まらなくなれば、企業はやり方を変えざるを得ない。経済合理性で動く企業を動かすためには、このようなアプローチしかない。しかし、企業を敵視する本書には、このような視点がないどころか、逆の手段を取ろうとしているように見える。
例えば、「労働組合やNPOへと相談し、加入し、新しいつながりを作る」ことがブラック企業をなくす社会的戦略としているが、強い組合が総合電機メーカーのリストラを阻止してきたことを考えても、流動化と逆行する方法が全体を改善するようには思えない。
また、「『正社員であること』を唯一の解答として与えられてきた若者」に、正社員になっても安定が保証されない現実を「残酷としかいいようのない事態」としているが、バブル崩壊から20年も経とうというのに、そんな甘い「解答」を持った若者などいるのか。
本書には「有益な若者」という表現が何度か出てくるが、いくら有名大学卒でも、人文系出のお嬢様を多くの企業は「有益な人材」と見なしていない。ここに学生と企業の大きな認識ギャップがあり、職場とのミスマッチが起きる一因にもなっている。こういう点についても、現実の企業の視点を冷静にとらえて、多くの若者が本当に救われる助言をしてもらいたいものだ。