2013-04-05

http://anond.hatelabo.jp/20130405065417

外国の作った試験を自国の教育に公的な形で組み込むとか、本当に正気の沙汰とは思えない。この場合はしかも、いちNPOが作っている試験だ。その試験に対しては、一体誰が責任をとるのか。

たとえばTOEFL大学受験もしくは卒業あたりの目標として設定するとする。そうすると中、高の英語教育ではその目標に向かって勉強が進められるようになる。推進論者は、「そのことによって英語能力があがる!コミュニケーション取れるようになる!グローバル化!」と主張する。

だけど、この試験作成に、ある種の「悪意」が入らないと誰が言えるのだろうか。

たとえば、TOEFLリーディングセクションで、何らかの問題で、そのような解決策をとればアメリカに有利になるような言説ばかりを読ませるようにしたらどうだろう。あるいはライティングで、日本に不利でアメリカに有利になるような論の展開をとらないと減点される、という状況になったらどうだろう。子どもたちは一生懸命そういう「言説」を勉強するだろう。そしてそれをそのまま主張するようになるだろう。ライティングスピーキングという意見表明が求められるセクションがある以上この危険性は大きいと思う。(それゆえ、移民に対する語学試験は思想調査とふるい分けの機能をも持ちうる)

語学試験からといって、そこに思想の偏向が入らないとは限らない。「日教組偏向教育」には声を大にして異を唱えるのに、教育外国に丸投げするような政策にはなぜ抗議の声があがらないのか。意味がわからない。

記事への反応 -
  • この前「大学受験でTOEFL義務化!」とか言ってたのが立ち消えたかと思ったら、またなんかホッテントリにニュースが入ってたよ。 自民党、大学受験・卒業に「TOEFL」活用との提言まと...

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