はてなキーワード: カマドウマとは
大学時代、俺の行ってた学部はひとつだけ独立したキャンパスを持っていた もともと別大学だったのが統合されたので、前大学のキャンパスをそのまま使っていた感じだ
キャンパスがある場所はまあ山で、「何もない山奥」というにはそれなりにものがあるんだけど、しかし他の街中にあるキャンパスと比べるとかなり見劣りする立地だった
そこは彩都という街で、彩都はバブル時代にガンガン山を切り拓いて計画都市の高級住宅街をやるぞー!つって途中まで景気良くやってたんだけど、バブル崩壊かなんかで計画がオシャカになってしまって、全てが途中で投げ出された……みたいなストーリーを持っていた これは俺が人から聞いた話を適当に脳内補完したものなので、全然間違っている可能性アリ
背景はとにかく実際のところ、彩都はでかいマンションやいい感じの住宅街がフツっと途切れて途中からただ切り拓かれただけの更地になり、更地の先は切り拓かれてすらいない山となる、という、独特の景観を持っていた
そんでキャンパスのまわり、徒歩でフラッといける圏内に安いチェーン店とかはなく、歓楽街みたいなものも当然なく、交通手段はモノレール(割高)がメインなので行きにくい、というような感じで、とにかく隔絶された雰囲気があった
講義が少ない日にキャンパスのまわりをフラフラ散歩してみたりすると、もう全然人とすれ違わなくて、道は広くて綺麗、マンションはデカい、気軽に入れるウェルカムな雰囲気の店は全然ない、というので、なんつうのかな、知らんけど共産圏みたいというか、そういう独特の孤独感っていうんですかね、ソリチュード、そういうものがあったように思う
あっでも、在学中にでっけえディスカウントスーパーができて、そこはちょっとウェルカム感あったな いや、無かった気もする 売ってるものが全部デカくて、店内通路も妙に広くて、冷房がムチャクチャ効いてて激寒、ずっとオリジナルのコマーシャルソングが流れている、という空間だった
やっぱあの街って"そう"だったわ デカく、孤高 そういう雰囲気があって、それは実のところ好ましかった
そう、好ましかったんですよ
で、それはそれとしてですよ、この前久しぶりに大学の近くに行ってですよ、ちょうど俺が卒業したくらいに移転したという、新しいキャンパスを覗いてみたわけですよ
すげえ立派だったんだよなあ
まず、なにやら大規模な都市計画が動いたってハナシで、中心市街地から伸びていた電車の線を二駅ぶんくらい延伸して、その駅に直結する形でキャンパスが設けられているわけよ
そんでなんか、大学ってだけではなくて市民交流の場も兼ねよう、みたいな構想があったらしくて、図書館なんかが市民図書館と大学図書館を合体させたオシャレな感じの建物になっている
俺たちの時代には図書館には当然なにも入ってなかったし、そもそもキャンパス内にあるのは最低限の機能を備えた学食だけだった(ササミチーズカツはマジで美味かったですけどね)
大衆に迎合したからといって専門性も損なわれていない感じだった 1階は広く読みやすい本が集められてて、3階とか4階に行くと誰が読むねんって感じの本の集合になっていた まったく悪くなかった 自習室とかワーキングスペースみたいなのもあって、全体的にカッコよかった
まあ実際、よく考えると俺たちの時代の図書館にもそういうのはあった気がするんだけど、根本的な機能が同じでも、古く薄暗い場所にあるものと新しく明るい場所にあるものでは、後者の方がイケて見えるわけじゃないですか
そういうことなんですよね
そんでこれはまあ偶然なんだろうけど、キャンパスに隣接するところに酒メインのスーパーとか揚げたて天ぷらのチェーンとかそういうものがある
俺が大学時代、わざわざ地図を見ながらバスに乗って来て、天ぷらを食って酒スーパーを覗いて帰ったあのコースが、キャンパスに隣接している
キャンパスの建物自体もなんかよくわかんねえ網目状の構造物がついてたり、ガラス張りっぽい感じだったりしてカッコいい
直結する駅は地下(?)にあって、そこまで降りるエスカレーターが長くてアイコニックだ 駅構内でキューバサンドを売ってたり、謎のアーティストがジャズみたいなのを演奏していたりもした
俺は彩都が好きだったし、空きコマに巨大ディスカウントスーパーに走って100円のタコ焼きを買って、ボロボロの部室でひとりそれを食うのはかなり良い体験だったと素直に思っている
いっぽうで、あの新しいキャンパスで大学時代を過ごしていたら、俺はもっと文化的な4年間を過ごせていたんじゃないか?という思いも捨てきれない
あのわかりやすくカッコいい図書館にだったらもう少し通ってたかもしれん 天ぷらを常食していたかもしれん スーパー銭湯の常連になってたかもしれん
キャンパスを出て散歩すっぞ!と思って外に出る道を歩いてたら「マムシに注意」って書いてある看板が立ってて心底ビビったり、キャンパスの裏にある山を登ってそこにある公園のトイレに入ったらカマドウマみてえな虫がメチャクチャ死んでたり、ああいう体験も確かに悪くはなかった リトアニア語の集中講義を受けるなら、ああいう孤立した場所で受けるほうがより没入感が出てよかったと思う
悪くはなかった一方で、あと何年か遅く生まれていたら、あるいはもっとアーバンなキャンパスライフを送ることもできていたのかも、と思うと、少し悔しかったりするわけですよ
人生ってそういうもんですよね
おれは逆。
大学の授業料が全額免除になるほど親の収入低くて、ぼっとん便所で、お風呂は薪で沸かすやつで、家の中には虫がたくさんいるような(ナナフシがいたときは笑った。お前わりとレアなやつだろ!どこで擬態してんねんって)とこで育った。カマドウマが超嫌いだった。ちなみに実家は未だに汲み取り式で薪で沸かすやつ。
大学で国立、就職で都内ITベンチャー、学生時代のインターンでは有名企業の社長の息子が経営するベンチャーで働いてみたりしてた
都会は衝撃ばっかだった。東大生はゴロゴロいるし、部活超強かったやつとか、高校時代からビジネスやってて年収おかしいやつとか。
いろいろなセミナーでやたら会うパチモンみたいなやつもいっぱいいた。
田舎だったら社長って聞くと雲の上の存在みたいだけど、こっちじゃ掃いて捨てるほどいるし、起業したって全然たいしたことないことは(今となっては)わかってる。
田舎には割と夢がない。仕事がないのが一番の原因で働くのは近くの工場か土方が一般的で、工場勤務なんかは親世代と子供世代がみんなそこで働いてたりする。
家の中に出てくる虫の中では大型の部類だと思う。多分これかカナブンとかカブトムシでも不快感あるんじゃないかな。
②飛ぶから
③家に出るから
デカイのに薄いから隙間から侵入してくる。デカイ虫が家にいるって落ち着かないし怖い。同じ理由で自分は蜘蛛も怖い。
④なんでも食べるから
他の虫を食べるとか、花の蜜とかだけ吸ってるなら怖くないと思う。
⑤素早いから
サイズの割に動きが早くて怖い。
⑥増えるから
増えるから怖い。これがもしそんなに数が増えない虫なら怖くない。ネズミもすぐ増えるから怖い。
なんかテカテカしてて怖い。
見た目が嫌な虫だと、シミ虫、カマドウマ、フナムシあたりとか。
シミ虫は紙を食べるのでたまにトイレに出る、かなり素早いけど臆病なのと比較的サイズが小さいのでセーフ。
カマドウマは家の中で見ることはおそらく無い。公衆便所なんかでたまに見かけるけど得体が知れなくて怖い。
フナムシは海にうじゃうじゃ居る。でもやっぱり臆病なので人が近づいた振動でさーっと逃げていく。
⑧不衛生だから
カラスとかネズミとかと一緒で不衛生な環境に居たり、生ゴミを漁ったりするので触りたくない。
テレビや漫画の刷り込みで怖がってるのでは?みたいな論もあるけど、自分の安心できるスペースにデカイ生き物が入ってくるのって害がなくても嫌だと思うんだよなー。
小さい頃はバッタとか蝶々とかクワガタ好きで捕まえてたけど今はもう触れない。
家に時々大きな鬼蜘蛛が出るのが、小さい頃本当に怖くてよく悪夢のタネになっていた。
北海道に住んでたからこっちに引っ越してきて初めてゴキブリ見た。部屋にも数回出た。ってか今日トイレで1匹でた。やっつけてもらったけど怖くて寝れない。
道民はゴキブリ見たことないから怖がらないんでしょ?とか会社の人に言われることあるけど、普通に怖いマジで。
一回雑居ビルのエレベーターで7センチのゴキと密室で過ごしたことがあるんだけど、ほんの20秒が永遠のように感じられたよ……。
妹が一人暮らししていたゴミ屋敷のような部屋を、この3日間をかけて片付けた。
とにかく吐き出して残したいという思い9割、誰かの役に立つかもしれないという雑な期待1割で書きます。
2009年春に妹が地方の大学へ進学し、それからアパートで一人暮らししていた。
その後いろいろあって、3年前の4月に突如実家に帰ってきて、実家ニートに転身した。もともと内にこもりがちの性格であったが、在学中にうつ病も患っていたらしい。3年近い休学を経て、結局退学した。今もそれほど状況は好転していない。
それ以降、アパートに戻っておらず、契約だけが残る状態が続いていた。
丸3年放置されていたため、さすがにだめだろうと父へ打診し、今年の5月に父と僕で片付けと解約を行った。この件については妹は一言も口を聞かなかったので、二人で強行した。
大人二人いればなんとかなるだろうと2泊3日で予定を組み、自分が先行して部屋に入って片付けを先行する手はずになった。
この件については全く頑なな妹の態度から、「人が死んでるのかな?」とか、「異臭騒ぎになっているはずだからバラバラにして冷凍されているかも」とか、「郵便受けに大量の督促状とか入ってたらどうしよう」とか、出発までの数日間はそんなことを勘ぐり、心中穏やかではなかった。
父が出発当日に妹に声をかけたが、部屋に引きこもって出てこなかったらしいので、結局父と二人で作業も行うこととなった。
大家さんに借りた鍵(妹は持っているとも無くしたとも、何も言わなかったらしい)を使い、ドアを開ける。
アパートはよくあるタイプの1Kで、玄関から入るとキッチンがあり、扉を挟んで左にユニットバス、奥の戸を開けると6畳の居間があるという構造。自分は妹のアパートにこの時初めて入ったが、大学時代は全く同じ間取りのアパートを借りていたので、。
開けた瞬間、なんとも言えない臭いが真っ先に鼻についた。多分、配管の中の水が蒸発しきって、下水の臭いが逆流していたのだろうと思う。3年間開けていたのでこんなものかもしれない。
玄関は、空き缶が詰められた大きなゴミ袋(45Lくらい)と、紐でくくられた雑誌が何束か、それと買ってきたであろう掃除用具が転がっていた。
次に、左側のユニットバスの扉を開ける(内心、かなりビビっていた)。ゴキブリかカマドウマの死体が転がっていたり、シャワーカーテンが真っ黒にカビていたり、臭いも更にきつかったけど、思っていたほどではなかった(シャワーカーテンなんかは消耗品だし)。とはいえ、ここで用を足す気には全くなれなかった。
最後に居間の戸を開ける。が、30cm位しか開かない。何かがつっかえているらしい。30cmの隙間からは、ゴミ部屋が広がっていた。テレビで見た、あのゴミ屋敷のような部屋だった。
床が見えなかった。ベッドと同じ高さまでゴミが層に積み重なっており、畳なのかフローリングなのか、カーペットを敷いているのかどうかとかは全くわからなかった(ちなみにフローリングの上にカーペットが敷かれていた)。
その後合流した父と3日間(作業時間は丸2日)をかけて、なんとか片付けを終え、解約までこぎつくことができた。
可燃ごみは45Lのゴミ袋で40袋弱、ビン・缶が10袋程度、ペットボトルも同じくらいで10袋、粗大ごみが約100kg、これに加えて冷蔵庫・洗濯機のリサイクル家電を処分した。
片付け作業でのポイントを忘れないように記録します。もう二度とやることは無いかもしれませんし、そう願っていますが。
事前に”どの程度の”状況なのかは把握したい。
妹がこの件については全く口を割らず、また僕も父も部屋に入ったことが無かったので、状況がわからず、準備も中途半端になってしまった。
もし屋敷と言えるくらいの広さだったり、糞尿があるようなら、心身の衛生のためにも、専門業者に頼んだほうが良いと思う。今回はそういうのが無かったので、なんとかなった。運が良かった(?)。
二人以上で作業するのは必須だと思った。一人では絶対に心が折れる。
僕は心が折れた。居間をひと目見ただけで、頭の中が真っ白になり、10分くらい部屋の前で狼狽していた。動転していた中、「とにかく十分な装備が要る」と思い、部屋からいったん離れて近くのスーパーでマスク・ゴム手袋・軍手・ウェットティッシュを調達した。部屋に戻り、まずは何かに着手しようと玄関に散らばっていたカタログ雑誌を、紙紐(転がっていた掃除用品の中にあった)で縛り始めた。雨が降りしきり、薄暗い玄関で黙々と作業しながら、「妹はこんなところで6年間も住んでいたのだろうか」「こんなところにいたら頭がおかしくなるに決まってるやろ」「こんなしょうもないものに囲まれて、6年間で何が得られたんだろう」「玄関にあった掃除用品は自分でなんとかしたかったけど、どうにもならなかったのだろう、自分を恨んだり呪ったりしたかもしれない」「なぜ助けを求められなかったんだろう」「今もそう、どんな思いで、どんな気分で生きているんだろう」「なんでこうなったんやろ、なんでやろ」と頭がぐるぐるし、だんだん悲しくなり、終いには泣きそうになっていた。作業したくない言い訳かもしれない。その後、父が到着するまでの間、恥ずかしいことに作業を投げ出して近くのカフェに逃げ込んで、清掃業者を調べていた、というか茫然としてしまっていた。
父が加勢してからは、とにかく話しながら作業した。話すことがなければ、「オラオラオラ」とか「うげーなんじゃこりゃ」とかなんでも良いから独り言を出して、”黙々”という状況をなるだけ避けた。そうして余計なことを考えないようにした。独り言は案外一人では言えないものなんだな、というのも初めて得た気付きだった。
できれば一緒に作業する人は年長者が良いかもしれない。
僕の父は、僕ら兄妹の引っ越しや祖母の遺品整理などを手伝っていたので、片付けは手慣れたもので、そういった作業用キット(父曰く「いつものやつ」)を自前で作って実家から駆けつけてくれた。僕が狼狽して入れなかった居間を見ても、「おうおう、アイツ(妹)、なんちゅう散らかしようや。ちょっと中入ってつっかえてるもん取って」と怯まなかった。「あ、このおっさん、やる気やな」と、自分もここで覚悟を決めた。
車も必須。可能なら、軽トラなどを借りておきたい(量が多いのと、ゴミなので車内を汚したり臭いをつけたりするため)。
借りるときは、片付けている部屋から持ち込み可能な自治体の清掃センターがどの程度離れているのか、といったところから積載量も考えた方が良いかもしれない(遠いとこまめに運んだときにタイムロスになるため)。
土足で作業すること。そうでないと身動きが取れない。靴もできれば底が頑丈な登山靴や安全靴が望ましい。ゴミの下に鏡などがある(今回はゴミの下から合計5枚、そのうち2枚が割れていた)。自分も気づかずにそれを踏み抜いたが、軽登山も可能な厚手のスニーカーだったので助かった。
土足に加えて、ゴム手袋・マスク・メガネ(花粉症用の装備が良いかもしれない)は必須。3年人が住んでいなかったので臭いはそこまでだったが、代わりに埃っぽさが酷く、メガネが無いと危険だった。実際、作業が終わるころにはレンズがホコリで白くぼやけていた。衛生面でダメージを受けるとモチベーションがすっごい下がるし、何より感染病とかが心配になってくる。
作業スペースが限定されるので、二人で作業するときはきっちり役割分担をすること。
居間のゴミ処分が作業の中心になるが、動けるスペース・何かを置いておけるスペースが全く無かったので、二人が作業するためには何らかの作戦が必要になった。
そこで、僕がとにかく可燃ごみ・ビン・缶をゴミ袋に詰め込みまくって部屋を原状復帰させること、父がダンボールや分別が必要なものの解体や、分別が必要なゴミの分解、雑誌などの資源ごみの紐括りなどを担当することにした。そうすることで、足の踏み場がない居間には僕、玄関には父という配置で、前衛の僕が分別できないゴミは玄関に投げ、後衛の父が投げられたゴミを処理するというフローができるので、二人の動線が干渉せず、効率的に作業できた。
進捗は正義。
床に敷かれたカーペットが少し見えたときは「このゴミも無限ではなく作業に意味があるんだ」と勇気づけられたし、いっぱいにしたゴミ袋の数を数えるのが少なくともそのときは僕にとっての勲章だった。2日目の午前、居間の奥の窓まで到達し、締め切られていたカーテンと窓を開け、光と風が差し込んだときは「ライン川を渡った連合国軍の兵士はこんな気分だったのか」と思いながら、ガッツポーズをしていた。完全に頭が湧いているけども、何にせよ進捗をあげている気分になれないと、無限に続くような作業に耐えきれなかった。
一番ゴミが多いのはベッドの周り。
ゴミ屋敷になってくるとベッドの上は最後の生活圏になるので、燃えるゴミの大半はここから出るのだろう。実際、ゴミ袋に詰め込む作業時間の7割程度は、ベッドの周りに関わっていたと思う。逆にベッドからというところのゴミは、実はベッド際ほど層が高くなかった(放り出された空のダンボールが折り重なって、最初は見えなかったが)。
ちなみにベッドの周りのゴミの中に、(合算すると)現金十数万円が埋もれていた。大事な物もきっとベッドの付近で見つかるのだろう。「こうして廃棄品から数千万が見つかることになるんやなー」と父がのん気にぼやいてた。そのとおりだと思う。
延々と続く作業の中で、「なぜこうなってしまったのだろう?」と考えていた。
妹が精神的に患っていたこともあって決して一般論ではないですが、自分の一人暮らしの経験とも照らし合わせながら、整理したい。
ベッドの周りのゴミの中で特に多かったのは、ティッシュ、ビニール袋、綿棒、割り箸、から揚げ棒や焼鳥の串、500mlの牛乳パック、レシート、アイスの棒とカップ、コンドーム(もちろん全て使用済み)。要するに、普通は捨てることに一切躊躇しない物がほとんどだった。
でも人によっては、ビニール袋は「何かに使うかも」とか、レシートは「いくら使ったのかわからなくなるのが不安」とか、そういう(場合によっては無意識的な)抵抗が働くかもしれない。捨てるときには、その都度、軽重異なるが判断が求められるし、捨てて得られるものも無いので"保留"という形で、なんとなくそのへんにうにゃむにゃしてしまうのかもしれない。
上でも述べたとおり、ベッドの周り(特に上層)はもはやゴミ屋敷化してしまった状態での行動を反映していると考えられる。この時点では、もう何かを判断する力を失っていたのだろう。ベッドの周りには大量のバファリンもあった。ゴミ屋敷とかそれ以前に、妹がそうなってしまう前に手立てを打ちたかった。悔やみきれない。
「余計なものを買うから、ああなるんだ」と思い込んでいたが、そうではなく「本当にしょうもないものも捨てられないから、こうなるんだ」という当たり前の気づきもあった。
あれだけ汚い居間の中で、中身の入ったゴミ箱・ゴミ袋の類が不思議と見当たらなかった(未開封の市指定ゴミ袋は片付けの途中で見つかった)。
捨てることがシステムの中に組み込まれておらず、捨てるハードルを高くしてしまっているというのもわかった(これは自分の一人暮らしの中で覚えがあって、生ゴミ用に蓋付きのゴミ箱を買ったが、ゴミを放り込むのも、袋を出して捨てて入れ替えるのも面倒になって使わなくなったことがあった)。
ゴミ箱なんて使わずに、不格好でもそのままくくって捨てられるように市指定のゴミ袋を部屋に転がしておき、そのゴミ袋の下とか横にでも換えのゴミ袋を置いておくなど、とにかく「捨てやすい、ゴミ出ししやすい」を状況を作ることが大事なのだと思った。
捨てられない人にとって、通販は敵。
ダンボールは処分に困る。解体担当の父もうんざりしていた(任せきりですまんかった)。硬くて解体しくいし、資源ごみだし。中身の方を早く取り出したくてダンボールの処分どころではないかもしれない。
特にひどいなと思ったのはニッセンで、ゼクシィみたいな分厚いカタログが何冊も何冊もゴミの山から出てきた(発狂するかと思った)。体積的には、ニッセンで買ったものより多かったのではないだろうか。資源ごみは回収日が限られていて、しかも包装ビニールから取り出して紙紐で縛るなど手間がかかるので、捨てられない人間はあっという間に溜まる(自分も定期購読した雑誌を、未開封状態で積読した覚えがある)。
ゴミの下層の方に多く見られたのも、もともと捨てる手間が大きく、また捨てるメリットも少ない(生物のように腐ったりしないし)ので、まだ正常な判断ができる初期の時期でもなかなか捨てられず、結果、ゴミ屋敷へのトリガーとなるのだろう。
仕送りも敵。
ごみの下層でほったらかしにされたダンボールの中には、自分も見覚えのあるものメーカーのものが散見された。送り主は母で、仕送りされたものだった(僕も同じ時期に別の地方大学へ進学し、一人暮らしをしていたときに送られてきていた)。
中身はマヨネーズとか、ごま油とか、缶詰とか、そういうどこでも買えるような食品だったが、台所を片付けていたときにほとんど未開封なのに気づいた。確かに、そのへんで買えるもので、しかも調理しないと使えないようなものなど邪魔でしかない(僕は強く「仕送りをやめろ、やるなら現金にしてくれ」と伝えていた)。
送られた品というのはなんであっても捨てにくいものだし、ましてやそれが一人暮らしの栄養状態を心配する母なのだからなおさらだ。ありがた迷惑とはまさにこのことなのだろう。残念ながらこれもゴミ屋敷のトリガーとなっていたと思える。
これは僕の直感なのだけど、一面床が見えなくなったらおしまいで、誰かに助けを求めたり介入したほうが良い。
床にゴミがある状態というのは、心理的ストレスが高い。捨てたくなるはず。だけど、一回ゴミで覆い尽くされたら、あとは高さしか変わらないのでゴミが増えたことを認知できない。そしてその期間が長くなるほど、もはや変えられない事実になる。ちょうど僕が初めて居間を見て「これは専門業者に頼むしかない」と感じたときと同じ絶望に、毎日毎日曝される。
この状況を打破するためには、他の誰かの助けがいるのだと思う。
初日に父がアパートに到着したときのこと。ユニットバスを見ると「うわーきたなー」と言いながら、そのまま入って、じょぼじょぼじょぼとおしっこをしていた。ちなみに2日目には自分の大事な荷物をユニットバスに置き、3日目には大の方もしていた。団塊世代の衛生感覚、恐るべし。僕は最後まで我慢してしまった。
意外とゴキブリは居らず、生きているのは1匹も見なかった(これは地域の特性かもしれない)。
その代わり、5ミリくらいのうねうねした、尺取り虫のような、ちっちゃなムカデのような虫がそこかしこで這っていた。なんだったんだろう。
賞味期限が5年前に切れた卵の処理は簡単。乾燥しきっているので液体ではなくなっていた(冷蔵庫の中だからかも)。
美味しい生物を気兼ねなく食えるのに。
でも地球上から寄生虫がいなくなったら、先ずどこから生態系のバランスが崩れるのだろうか。
そう思って検索した。
川の生き物にどのような影響を及ぼしているのか、というのが勘所なのだ。
そして川の生き物で、直接、カマドウマを食べていそうなのが渓流魚、というわけだ。
──陸の虫が川に入ってくると、川の魚は陸の虫を食べる。
なので、川の魚は川の中の虫をあまり食べなくなって、川の虫はたくさんいられる。
すると、川の虫が食べていた川の藻類がたくさん食べられて減るとか、
川の虫が分解する葉っぱの分解スピードが速くなるっていうふうに。陸の虫が入ってきて、
さらに、僕らはカマドウマが入る量と、カマドウマ以外の虫が入る量を分けて操作をして実験していまして。
解散!
1.冷蔵庫も、若く見られるように、分からない浮動に、雪を見るような、ベランダの、
2.歯ブラシを咥えている、循環の、たてぬねんねが壊れ、て、ベタベタべタベタ・・・・、
3.ゾンビ色、面する凸凹の麺、中腹のからだをいぬ走る、聞こえるかいとも聞けないので、
4.伝説教えてください、と言ったときに、だいぶのろってしまったね、・・・、スマホ製造で身体壊れたのに自動車部品製造だ・・・、病院つれてってやれなくてごめん、
5.ヤスクニジンジャってネタでやってるんじゃないんですか?、いやあのひとたちはマジでやってるんだよね、困り顔どっちも、そして、2005?、
6.弱り振り回したのだ、しかも激怒で、2005、・・・・・・・・・、ジェンダーが戦争を起こすのよ、2005、・・・・・・
7.僕というジェンダーはじゃあ、・・・・・・、散り散りで、カマドウマで、離れのトイレで、ばあちゃんちで、・・・・・1987、
8.なぜか保険金殺人のことを、・・・・・・、生命保険の営業で母は壊れた1987、和歌山ヒ素カレー199?、父は板金塗装で壊れた1987、
10.僕は・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・、
11.透析患者のばあちゃん2004、ベッドの上で裁縫作業がしたいと言ったらしい、死没2005、
14.字余り、
15.腹減った、こわれるなぁ、こわそうなぁ、はらがーはらがー はらへーはらへー、
だから散々言われているだろうが。冒頭で矢口は「暴走しがちで人付き合い苦手な若手」として描かれてるだろうが。冒頭で有能に描かれてるのはむしろ赤坂の方。
それが、老害にも見えてた上の世代の全滅にショックを受け、そこを乗り越える中でちょっとずつ人間的に成長してる姿を描いてるだろうが。それでも基本的に暴走して熱くなりがちな夢想家なところは変わってないが、そういう人間を信頼して託していくしかこの国難を乗り越えていく道はないんじゃないかというのが物語の基本線だろうが。物語後半でも、巨災対では森のムードメイク、政治面では泉・赤坂の好フォローに支えられてこその矢口であって、結局一人では大したことできねえって描かれ方さんざんされていただろうが。矢口が有能? 一体何を見てたんだ?
人の死の描き方
アレだけの破壊のある映画で人の死がゼロならむしろ不気味だろうが。なかったらなかったでお前ゼッタイ文句言ってるだろ。そういうのを「ためにする批判」つーんだ。どうせなら「死を描くならこういう描き方なら納得がいった」とか「あのシーンはこう演出すべき」という意見ならまだ聞けなくもないが、「不要だった」という意見には全く納得がいかんよ。誰が賛同するんだその意見。
石原さとみが浮いてる
あのなあ、それ言うならゴジラという存在が最も「現実離れ」してるだろうが。そりゃな、あれが311の再現ドラマだっつーなら俺もあのキャラはまずいだろと思うよ?でもこれ災害映画じゃなくて怪獣映画だぜ? そもそもしょっぱなからでっかい嘘で塗りたくった世界なんだよ。その映画の根幹に、地味なオッサンばっかり並べて、それで「観客が入ってペイできる映画」になるのかよ? お前たとえばごついオッサンのペアばっかり何組も絡み合うような「パシフィックリム」とか見たいかよ? あの映画だってあのヒロインのねーちゃんは正直浮き気味だったし見方によっちゃ失笑モノだったかもしれん(芦田愛菜含めてもだ)。だがファンタジックなエンタメ映画ならそこも含めて素直に楽しめとオレは思う。そこを批判するのは、あの映画の問いかけてくるリアリティにむしろ呑まれてるからじゃないのかと思うわ。
それとな、英語がどうのとかアジア系の俳優はありえんとかいろいろ言う奴がいるが、これも、作中におけるキャラの成長とその描かれ方が全く見えてない阿呆の戯言に過ぎん。祖母の被爆という設定、そして徐々にデレてきて日本風発音をかましたあたりからの「微妙で複雑な表情芸」を日本人相手に表現するためには、日本人俳優以外のチョイスは全く考えられんよ(海外の俳優に表情芸ができないと言ってるのではない。飛行機内の場面などにおける感情の揺れなどを「日本人にストレートに伝わる表情芸」で見せるためには日本人俳優を使う以外のチョイスがないという意味だ)。当然、俳優の見栄えと技量もそれなりに求められる。石原は確実に監督の望んだ仕事をしたと思うよ。
「盛り上がり」は主観の部分で特に論ずる意味なし。「矢口最前線…」云々は阿呆過ぎて言及する必要もないが、前線でちゃんと「作戦をやめるか否か」を判断してるシーンがあっただろうが。ほんとどこ見てんだ? 何見てたんだ? ケチ付けることばっかり考えて大事なところをろくに見もせず、何か楽しいのかそれ?
…もう言及するのも疲れたが、冒頭の延々と続く会議と、ところどころ挟まれる矢口の表情との対比を見て、お前は一体何を感じてた? 矢口を視点人物として描いているということは、お前の感じたその心情こそが矢口の心情として描かれてるんだろうが。むしろ「政治家としてこの国に失望しかけている」矢口の姿しか描かれていないのが前半だと言っても過言じゃないだろ。同じ映画を見たとは思えない感想に目眩がするわ。お前はアレだな、登場人物がいちいち心情を全部台詞にして説明してくれるテレビドラマ演出とかじゃないと、ほんと何も分からないんだな。
「シン・ゴジラ批判したら一斉に批判されるのきもい」という声もあるが、上映開始3週間もたつのに批判者がまだ揃いも揃ってこのレベルだから、むしろもううんざりして大半はスルーしてるくらいなんだが。もう少し「真っ当な批判」があれば読みたいわ、心の底から。
http://anond.hatelabo.jp/20160821212820
(追記(の追記あり))
「低レベル」→お前は「高レベル」なノンフィクションだけ一生見ていればいいよ。オレはフィクションの話をしてんだバカ。
「主観云々」→主観云々は議論してない部分だし俺が論じてるのはソレ以外の部分だバカ、
「石原の件」→オレは「この映画ではリアリティは目的じゃなくて手段の一つだ」って話をしてんだバカ。その程度のことが分からないカマドウマが映画を語るとかちゃんちゃらおかしいわ。
この書き込みへの意見も含めてやはり的外れだらけだ。元増田へのブクマも全部読んだが納得するん反論はほぼなかった。少しは人をうならせるようなモノを書け。
「石原の件2」→書いては消すスタイル、いちいち気持ち悪いからヤメレ。あとは上のリプライと同じ。あの映画をリアルを追及する「ための」映画だと取ったのだとしたら、それは見方として相当筋が悪い。ノンフィクションなら当然問題にされるだろう、とは最初に書いたとおりだ。あの映画はノンフィクションではない。
(追記2)
「白状」編も読んだが感想は何一つ変わらん。「批判するならもう少し人をうならせるようなモノを書け。」それだけだ。
オレは増田の感性は否定してない(「主観の部分…特に論ずる意味なし」)。その上で増田の「誤読」や「見落とし」を指摘しただけだ。感性否定系の批判と十把一絡げに流されたのが大変残念だ。増田の意図は分かったが、いずれにせよオレはあからさまな誤読による批判を見かけたらなおざりにはできない。それがあの映画を作った人に対する礼儀だと思うからだ。
(追記3)
「ゴジラ割りと面白かったけど不満点はそれだけか?」に対して「勝手に答えてみる(シン・ゴジラへの一省察)」を書いた。あっちの批判はなかなか筋が通ってて答えがいがあった。
「うちにはお金がない」とフルタイム勤務で手取り11万円ちょっとの介護施設の嘱託職員の給与明細と、
裁判所からきた父親からの養育費減額(月3万→1万)の申し立ての書類と、預金口座の通帳3冊を並べたうえで、
車の維持費がこれだけ、電気代がこれだけ、と淡々と母親から説明されたのが小6の時。
幸い死んだ爺さんから雨漏りしまくるボロ家を相続してたのと、近隣の農家数軒がいつもご厚意で米や野菜を分けてくれたので、その後も極端に飢えたり路頭に迷ったりすることなくどうにかなった。
けれど、何かアクシデントがあれば簡単に詰んでたんじゃないかなとも思う。
牛肉は給食では食べたけど、家では定期テストで2教科以上100点を取ったときに母親が買ってきた合挽肉のハンバーグでしか食べなかった気がする。
給食はいつもおかわりをしていたが、ガリガリに痩せていたので痩せの大食いとして散々いじられた。
だが、お腹が空いていることをなんとなく親に悟られてはいけないと思ってひた隠しにしていたので、家ではむしろ小食を装っていた。
入浴中に風呂場の窓に張り付いていたヤモリを捕まえて口に運びそうになって、あわてて逃がしたこともある。自分のことながら平成感がない。
カマドウマを見るといつも感想が「肉付きがよくて食べごたえがありそう」だったから無自覚だったけど実は割と飢えていたのかもしれない。
中学の同級生の家に遊びに行くといろんなお菓子が常備されているのが信じられなかった。
ある土曜の昼に同級生のお父さんが気まぐれでバーベキューをして牛肉を焼き始めて、本当はものすごく食べたかったけど、
牛肉を分けてもらうのは大変なことだと思っていたので、散々遠慮して結局小さいのを3枚だけ食べさせてもらった。同級生の家の人に申し訳なくてちょっと泣いた。
オムライス一人前に卵を複数個使うとか、カップ麺が一人1個とか、そういったギャップを何度か目の当たりにして、
同級生と自分の家ではどうやら「貧乏だ貧乏だ」と言っていても致命的に世界が違うという事に気付いたのはもうちょっと経ってからだった。
高校に合格した日のお祝いで何が食べたいかと言われて、ごく自然に豆腐とこんにゃくのダブルステーキを頼んだら母親が泣いた。
「うちにはお金がない」と言われて以来、わがままを言うとかモノを欲しがるとかは当然として、失敗が許されない的な緊張感が経済的に独り立ちするまでずっと付き纏っていたように思う。
怠けるとかそういう事と無縁になって結果的によかった部分もあるし、思春期をのびのびと過ごすという部分ではだいぶ呪いのようでもあったと思う。
なんだかんだで社会に出た時点で奨学金の借金が600万ほどできてたけど、まあどうにかなってる。まだまだ完済までかかりそうだし、ずっとギリギリではあるけど。
リアルイナゴ。
asahi.com:関空2期島にバッタ大発生、駆除へ 数百万匹が生息か? - 関西
8月2日にオープンする関西空港の2期空港島で、バッタが大発生している。空港会社は「航空機のエンジンに吸い込まれでもしたら大変」と、駆除に乗り出した。
発生したのは最大で体長10センチほどのトノサマバッタ。第2滑走路の周りの芝生や植栽をえさに繁殖したとみられ、すでに数百万匹が生息していると推測されている。
99年から造成された2期空港島は滑走路以外に施設がほとんどなく、人もあまり入らない。「天敵もおらず、バッタにはまさに楽園の島に思えたのかも」と担当者。
イナゴではなくトノサマバッタだけどな。
なにもないひろっぱに草生やして放置すればイナゴみたいなものが湧くのも道理。
参考1
- 直翅目
参考2