「エヴァンゲリオン」を含む日記 RSS

はてなキーワード: エヴァンゲリオンとは

2021-03-13

エヴァンゲリオンやりがい搾取の誘い

テレビシリーズ見た時に、ネルフの主要メンバーが「せめて自分洗濯をする時間くらい欲しいですよね」とか「家に帰れるだけまだマシですよ」とか、けっこう楽しげに言ってたわけ。

なんだろうね、徹夜明けのテンションみたいな。暗に、「それだけ忙しくてもやりがいはある仕事なんだよね」感が出ていて、子ども心にけっこう憧れてしまった。

いま思うと、あの辺はアニメ製作現場テンションとかも反映されていたのかな。

やりがいがあることは大切だけど、世界を守る人たちや、もちろん平平凡々たる我々の職場を含めて、定時に帰れるに越したことはないなぁなどと思う。

エヴァ感想 ※超ネタバレ

ネタバレへの注意】

どこかに感想を書き込んでみたいけど

増田で適切なネタバレ配慮のしかたがわからない

「=====」で「続きを読む」という表示をだすはてな記法増田じゃ使えないみたいだし。

とりあえずそこで困ったという文章を書いて字数を稼いでおけば多少はマシになるだろう





ネタバレ開始】

今までになくとてもわかりやすく、不快感がなく、気持ちよさが残るエヴァだった。

ゲンドウが庵野監督象徴してるのはわりと異論なく解釈されてるところだろう。

ならばシン・エヴァンゲリオンは

庵野監督ゲンドウ)がアニメ文化ユイ)にであった結果、

 生まれたのがエヴァというアニメシンジ)で、たくさんの悪影響(ニアサーインパクト)や

 悪影響をうけたファンインフィニティのなりそこない)をうんでしまったけど、

 庵野監督が時を経て成熟したエヴァというアニメ関係を結び直せた結果、

 ちゃゃんと原点から自省してガンダム(神)とかみたいになることを

 断念してエヴァという膨れ上がったカルト神話をきっちり解体して畳むことができました」

というお話であると順番に当てはめていくだけで理解できる。

ほかをあてはめていくと

ゼーレ版の人類補完計画エヴァ商業的に成功し続ける作品にしようという方向性

ゲンドウ版の人類補完計画エヴァカルト神話的であり続けて、ファン呪縛しつづけることで進化させようという方向性

富野由悠季監督ニュータイプという概念視聴者押し付けるような)

綾波神格化されたエヴァ

アヤナミ(仮)は多分パチンコなどIP利用(お年寄りにも触れられたという点で)

トウジやケンスケはい意味エヴァに影響されたファン

アスカエヴァで実現したかったもの象徴みたいなもの?みたいな感じになるだろうか

自らの子供たるエヴァという作品と向き合えなかった庵野監督

トシマエをつけるために振り返った結果、宇部新川駅から旅立ったあたりから駄目だったねという身も蓋もない自省が展開されるのだけど

不思議説教臭さも不快さもないどころか、謎の爽快感まで発生している。

それは、ユイアニメ文化象徴であり「庵野監督アニメに対する夢や野望」だったと解釈すれば

かつて憧れてキラキラ輝き続けるガンダムなどの数々の作品のように「自分作品よ、神話になれ」とにするのを諦めて

きちっとエヴァをたたむという断念の爽快さなのかもしれない。

実際、今の庵野監督にとってエヴァを稼げる商品にし続けることも

ファン呪縛し続けるカルトにし続けることも容易いことなのは

この内容で不快感を発生させない圧倒的な力量とクオリティーをみても明らかだが

あえてそれをせず、全力でエヴァを終わらせるのは清々しさがある

エヴァという神話がなくても人間普通に生きていけるし

こじれた人間が間違いで作ってしまった程度のものなのだ解体しきっても

現実エヴァリアル世界に良かれ悪かれ様々な影響を残してる。

ゲンドウがシンジエヴァという作品)のなかにユイアニメへの夢)を再び見出し

最後ユイアニメ文化)がシンジエヴァという作品)の身代わりになって出発を祝福する。

庵野監督の中で良くも悪くもエヴァという作品アニメとして許されて、受け入れられたということなのだろう。

キャラ一人一人を丁寧に開放し、「さようなら」をするのは

庵野監督エヴァが、そしてファンエヴァがよりよい関係を結び直すためのおまじないなのかもしれない

シン・エヴァンゲリオン劇場版観た

観終わったあとトイレに行ったら同じ回で見たとおぼしきやつらがガンガンネタバレトークしてて氏ねって思った

anond:20210312155300

俺たちをエヴァから"卒業"させてくれる作品だったと思う。強制的に、俺たちが最も思い入れの低いマリ推し変させて、アスカレイミサトも"卒業"させられた。本当に、さよならすべてのエヴァンゲリオンだ。

いろんな娘のケツがエロかったね。それを下賤なものとして捉えるなら、もうそれは捉え方としか言えないよ。洗練された肉体の美しさとして捉えれば良い。性表現か美表現かは、あの感じなら捉え方でしかない。

母性表現全否定も極端だな。加地により大きな母性表現されてたのにそれを無視するのはアンフェアだよ。

まあ何にせよ、鑑賞中はとてもいい時間が過ごせたよ。

anond:20210312155300

エヴァンゲリオンは全体のストーリー最初皆川亮二スプリガンなんですが途中からナディアになって最終的にトップをねらえ2になってんだよね

あんまし内容は練りこまれてないけどアニメとして絵が魅せるので気にならないといえばならない

その人気の人間描写なんだけど人間の観察とかがすごいんじゃないくて庵野氏の実体験を描写してるだけなんだけど表現としてはそれも十分にすごいね

アスカがのり子でノリコで法子だったところからいきなり恥も尊厳もなく覆い隠すように苗字を変えてみたり奥さん世界をつなぐアンバサダーのようにマリにしたり

地球に飛来したなぞの父と母がイマジナリーで親不在の孤独監督が恋に落ちたけど世界に認められなくてからのいろんな変遷を経てからのあのなんか

不真面目めがねキャラとゴールインしましたみたいな自叙伝たるや昭和漫画家が売れてないとき女子アシスタントといい仲になっていく短編がいくつか

あったのを思い出させるよね

藤原カムイももぐたんと称してやってたの思い出す

みやむーでうまくそういうものだってしてるけどあの本当に隠滅すべき過去を流布されてる事実ごまかすのは諜報活動的ですごい

最後トップをねらえ回帰してくるところでああこの監督快感物質ここでたれながしてるなーってすごく感じれてきもちよかった

監督ガンバスターなっちゃったんだみたいな

犬の扱いの適当さもすごい ビーグルだったらもう笑い声がすごかっただろうね

猫のかわいがりもすごいというかあの猫が次の世代を紡いでいくあれだけがエヴァンゲリオンしてたっていってもおかしくないよね

チョーカーって犬につけるあれそのものだよね

人類補完計画っていう自分以外みんな死んでしまえってくらい恨んでたあの庵野氏がマリ一人でここまで人間再生できるんだってドラマすごかった

ポスターでも一人だけ「手に靴をもつ」っていう世界の逆転をやってみせてるのはただ一人だけだもんね

シンジ黒人エヴァンゲリオン

みたい。

インド人とかタイ人でもいい。

サワディカーっとか言いながらエヴァにのるの。

エヴァって機能不全家族の子の生まれ直しの物語と思ってる

TVリアタイで当時高校生で、テンプレのような機能不全家庭で生まれ育った俺の視点なんだけど。

シンジは親として接してくれない親父がいて、その代わりに安心できる場所提供してくれるミサトという大人がいる。

アスカは仲は良いけど心が開けない育ての親がいて、気丈に振る舞っていて、綾波ネグレクトを受けた子みたいに思っていた。

大人組だと当時リッちゃんが強烈で、母親と同じ人を愛してしまい同じ道を辿り、母親エヴァシステムに組み込むことで一緒に居られると思うなんて…とゾワゾワした。

で、自分の居場所自分のいる場所と知ったをシンジ

「僕はここにいていいんだ!」

と叫んだら世界に色がついておめでとうと言われるの、結構羨ましかったんだよね。

俺は親に認められようとしてもどうも叶わなくて、でも認められることにメンタル全振りすると自分が壊れるのもわかってるからしんどくて、あーこのシンジみたいに何も考えなくても認められる世界に行って、悩みがなくなったことにおめでとう言われてーなーと思った。

そして時は流れて。俺は今人の親をやってて、機能している家庭を構築していると思う。絶対という自信はないけれど。

で、諸事情劇場では見られないから、ネタバレ上等で新エヴァの色んな感想を見てみてさ。

俺が我が子が成長するに従ってエヴァに対して感じていたものが詰まってるっぽいと思った。

子にとって俺らがゲンドウやユイになりたくないし、ミサトが必要になって欲しくないし、リッちゃんみたいな不倫相手要らない。てか、リッちゃん母親への執着怖い。

子の同級生綾波みたいな子がいたらどうしたの?くらい声かけて家で飯食わして包帯巻き直して親に連絡つけようとするし、アスカは多分心に何か抱えてる子だと良くも悪くも思わない。

あと自分の子には

「僕はここにいていいんだ!」

と気づくまでもなく、いていい場所世界は色を持っていると感じて欲しいし、そのために子にとって我が家や両親が心地の良い存在であって欲しいと努力をしてるつもりではある。子にとってどうかはわからんが。

そういう俺のエヴァTV版+旧劇(序破Q見てない)への気持ちが少なから昇華されると思う。

から俺は

「変わって完結したエヴァンゲリオン」

を喜んで受け取るんじゃないかな?

なんかこう書くと、お前に家庭や子どもができたかだって言われるかもしらん。

でも25年というのは高校生が親になって子を持つだけの期間で、庵野も凄い嫁さん貰って去年還暦だぞ?

変わらないものを求める方が難しいし、変わったエヴァ自分は求めている、そういうことだ。

「シン・エヴァンゲリオン」の大人になれってのに違和感がある

大きな方向性としての大人になれってのには共感はできる。

だが、劇中の描写では大人が行いそうな行動(家庭を築くとか)をエミュレートしただけで、個人的には本質的大人になった感じがしなかった。

自分としては、間違いを認め、問題点を洗い出し、対応策を考え実行するということが大人になることだと思っている。

その途上では、自身の失敗についても、行動原理おかしかったのか、やり方が上手くなかったのかとか、きちんと考える必要があると思う。失敗したからといって全てが間違えていたわけではないんだし、全て反対の行動をすれば良いというものでもないはずだ。

そして上記のこと以上に大事なのが継続する力だとも思っている。

しかし、劇中の描写には殆どそれらが見受けられなかった。

もちろん対応策の中には社会適応するための茶番というのもある。しかし、それを茶番だと認識せず、エミュレートすることが大人になることだと思っている人も一定程度いると思う。

そしてあの映画から大人になれってのを素直に感じれるのは、そんな自分大人になったと勘違い大人のフリをしてる子供ではないだろうか。

2021-03-12

[]エヴァ最高でした

何度でも見に行きたいです。マジで最高でした。最高ってか、解放されました。

緊急事態宣言下にある都府県がある状態ポストできるのはこのくらいです!さよならすべてのエヴァンゲリオン

庵野庵野ってウルセェな

オタク趣味権化みたいな庵野秀明氏の作り出したエヴァンゲリオン

元々のオタクとはどんなものかというと、まず漫画アニメ特撮ものが大好きで、SFが大好き。

まりリアルをあまり受け入れたくない人たちの集合である、と私は思っている。

今とは違うが、二十年以上前20世紀の間は、アニメオタクというのは明らかに差別されていた。

かくいう私は、そんなにオタクではなかったが、ちょっとでもアニメの話をしようものなら、友人に「虹オタ」とバカにされた。

そんな時代があったのである

ちなみに私は富野派ではなく高橋良輔派であり、ボトムズに一生添い遂げる気分である。すぐ「むせる」とか言ってくる輩はボトムズバカにしてると思う。ボトムズこそ真の神話伝説アニメである

 

から、わかる人にはわかると思うが、エヴァンゲリオン最初は好かんかった。

要するに、アニメ的に女々しいからだ(女々しいという言葉自体最近は躊躇われるが、単純にアニメ女という色が好かんというだけである)。

男っぽいアニメからボトムズが好きなのではない、媚びてないから好きだったのである

対してエヴァンゲリオンは明らかに媚びモノだった。

レイアスカミサト、リツコ、マヤマリ(は新劇場版だけど)などの女性キャラは、明らかにありとあらゆる一般的オタクを取り込もうとするイカガワシイものに写った。

なので、ボトムズ派でエヴァ好きには悪いが、真のボトムズ派であった私はエヴァなど毛嫌いしていたし、虹オタと呼ばれるのも嫌だったから決して近づかなかったのである

でも、あれだけ20世紀の終わりに大ヒットを飛ばしているのを横目にしていると、どうしたって気にはなっていた。

 

そして時は過ぎ、世間ではあんまり誰もエヴァを言わなくなった頃、蔦屋DVDレンタル半額セール開催中とポスターを見て、半額ならいいかTVエヴァDVDを全部借りて一気見したのである

 

負けた、と思いましたね。

大勢の人がいろんな事を言いますが、私は単純に「とても面白かった」のです。当然ですが、25・26話の非難殺到だって、私の時期には既にAIRが出てましたので問題ありませんでした。

ロンギヌスの槍がどうとか、ゼーレだの、ガフの扉だの、人類補完計画だの、何がなんやらさっぱりわかりませんでしたが、何度も何度も繰り返し見ることになってしまいました。

とにかく、単純に「面白かった」からです。

個人的には、自分自身の父との関係と、シンジゲンドウの関係がなんとなく似ていて、共感を感じる部分もありました。

まぁでもそんなに深く考えずに、とにかく面白いと、ハマったのですけど、やはり色々と意味がわからない点が多く、本やネットを調べ始めていたのですが、謎解きはそれなりに興味深いのですが、ある頃から非常に気になる名詞が頻発することに気がつきました。そうです……

 

庵野はこう考えている、庵野が言いたいのはこういうことだ、庵野人生観が、庵野はすごい、庵野は……

 

やたらと、「庵野」とばかり目につくわけです。

ボトムズ命の私にとって、実際、高橋良輔は素晴らしいとは思っていますが、高橋氏の考えなど正直どうでもいいのです。

これはガンダムでもそうだった、富野などどうでもいい。気になるのは、ボトムズならキリコであり、ガンダムならシャアであり、ランバ・ラルであり、セイラさんだ。

なのに、エヴァ庵野ばかり。

 

この理由の根源は、謎が多過ぎたからであり、相当考えない事には細かいストーリー意味がわからいからであり、結局そこで「庵野は何を考えているのか」に帰結させざるを得ないからでしょう。

それはわかるとしても、これが正直、私にとっては非常に鬱陶しい。

私はただただ単純にエヴァンゲリオンを楽しみたいだけです。どうでもいいのです、庵野など。

今回の新劇場版だって、存分に楽しみましたが、意味がやはりわからないので、Qとかになると頭の悪い私などはネットで調べたりせざるを得なくなるわけです。

すると当然のようにまたそこで「庵野」の大合唱です。

そして、シン・エヴァンゲリオン鑑賞。

 

正直、noteブログ記事は鬱陶しいのレベルを遥かに超えて「庵野祭り状態。なんなんでしょう?

今回もまた、映画館で存分にエヴァを楽しみましたが、やっぱ気になるじゃないですか、世間評価ってどんなもんなんだろうって。

でも見たら「庵野」だらけ。

 

どうして多くの人は映画単体を単純に評価しないのでしょう?

もっとも、私も絶賛というわけではありません。

一番つまらなかったのは、エヴァなどの動かし方が下手すぎる、という事でした。

AIRで見た弍号機のあの素晴らしい動きはシン・エヴァには影も形もありません。破まではあったのに、Q以降は全然ダメですね。

でも、それ以外はめっちゃ面白かった。

 

なのに、例えば「庵野は変わった」とか「庵野は間違いなく震災に影響を受けた」とか「庵野も歳取った」とか「結婚たからつまらなくなった」とか「会社を背負うようになって保守的になった」とか「また庵野オナニーか」などなど、一体なんなんだ? と思うばかりの「庵野」だらけ。

 

わかるよ。君たちは自分エヴァアニメ作れないもんだから庵野さんに託したんだ、きっと。庵野さんならきっと自分を満足させてくれる、と。

ところが、その期待が過剰になり過ぎて、シンジがかつて叫んだように「ボクを裏切ったんだ!」と思うくらいに思い込みが強烈になり過ぎたのでしょう。

だって、これがラストなんだから

 

別にいいけどさ、映画だけを純粋に楽しまのん? とどうしても思ってしまう。

とにかく、庵野庵野とやたら煩いのはどうなん?

だったら、自分で書けよ、出来んくせに。

これよりつまらないエヴァンゲリオンの楽しみ方をできた人が優勝

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序から見返そうとしたら、死ぬほど頭悪いコメントアマゾンレビューについてて

「はぁ?」

って思った。

いや、序とか破に相当する部分って、年齢に応じてシンジ共感したり、ゲンドウに共感できたりするすごく心理描写が高度なシーン多いのに…それがわかんないんだ…



典型的なのが

「乗るなら早くしろでなければ帰れ」

的なシーンですよ。

アレ、14歳のガキからすりゃロボットに乗るのは怖いですし、親から突き放されたこと言われるのは、ガッカリです。

でも、お仕事として重責を担ってるゲンドウとしては職務的にも状況的にもそれしか言えんわけで…


で、視聴者大人になっていくにつれて

「みんなまとめて死にそうな時に、自分本位駄々こねてるシンジってクソガキだし、ゲンドウって非情なようでいて立場的にアレしか言えないよね。」

っていうのを理解していくわけですよ。

からエヴァ思春期向けだ、バトルアニメだ言うやつはバカなのよ



アマゾントップページに書いてある

「参考になったレビュー

でさえこの程度のことが理解できてないのを見て

「序破Q以前に、基礎の基礎からエヴァについて説明しないとダメなんじゃないか?」

みたいな危機感に震えてる…。


このレベルのことがわかんないやつが映画見に言っても多分ムダだぜ?

エヴァンゲリオンの話に戻るけど…

ミサトでいいわよ」

っていうの、30過ぎのおっさんになってから見ると

中学生の異性に下の名前で呼ばせるミサトさん、けっこう攻めたことするよなぁ〜」

って思った。



シンジくんに近い年齢の時は距離詰めてくれるお色気お姉さん感あったけど、大人的にはやべぇ

ミサトさんって独身一人暮らしなのに、シンジくんに併せて距離を詰めたんだとしたら、それはものすごく頭のいい人だよね。

逆に、ミサトがシンジ料理作らせ、数分で下の名前で呼ばせてるところを見ると

子供の時は気づかなかったが、実は結構やべぇ女なんおでは?」

おっさんは気づいたり…




ミサトさんをヤベェ女だと気づくと、Qって納得なんだわ。

序といい、破といいシンジくんの理解ポジキャラみたく思ってたところがあった。

だけど、大人的には理解者というよりもうちょっと気分屋というか激情家というか、感情で動いてる人なんだろうね…女らしいといいます

ミサトさん、気を使ってフランクに接してるんじゃなくてやべぇ女の方で固めたほうがいい気がしてきた。

ネルフに降下中のささいなシーンなんだけども、中学生にワキ見せる格好でいて少しも気を使わない大人ってなんか想像できん。

いきなり下の名前で呼ばせたのも含めてけっこう強烈だよなぁ



やべぇ、ミサトが大人として本来持ってるはずの距離感がないやべぇ女だと気づいた後に、律子

「ゴメン(*ノω・*)テヘ」

ってやってるのをみて、

「ああやっぱこれ大人が見た時にはやべぇ女か相当なパーティーピーポーみたいな性格なんだな」

って改めて思った。シンジくんに対してだけでなく



「乗るなら早くしろ、でなければ帰れ」

の後に、よく見ると作業員さんもゲンドウとシンジくんのやり取りを申し訳ないやら、早くしてほしいやらの複雑な表情で見てるんだね!

シンジくんの言い分もわかるし、ゲンドウの言い分通りに仕事を進めて欲しいしで、複雑な表情をしてるねぇ

大人的にもシンジくんみたいな情緒不安定で、未成熟子どもに命がけでエヴァに乗って欲しいとは思ってないんですよ。

自分仕事が完遂できるかどうかに他人が入るだけでも大変なのに、ましてや子どもが入るんでしょ?

そうなると申し訳ないやらめんどくさいやらですわ…大人的には





エヴァについてアマゾンレビューで誤解したコメントとして

思春期向けのバトルアニメ

みたいにいう人いたんだけど、逆よ!

大人になると子供の時とは違う細かーいところに共感したり、申し訳なくなったりする「ダメまたは普通大人を描く」ことがエヴァの魅力ですって




薄々思ってたんだけど、碇親子はね…都合のいい女に慕われるスキルやたら高いと思う!!

母性本能くすぶると言うんですか?

モテてるという感じじゃないけど、かわいいとは思われてるのはなんか伝わるよね〜



過去自分ミサトさんをヤベェ女だと思わなかったのは

「ちとはしゃぎすぎたか

というミサトさんが演技を匂わせてるシーンがあるから

でも、演技でも過剰だし、その後も感情的にキレたり優しくなったりを繰り返してるからミサトさん単細胞というか感情的な女性なんですよ…やっぱり




一貫性がないこともないんだけど、目の前の感情で行動が大げさになりすぎるのがミサトさんなんですよね。

映像作品感情表現なんかみんな大げさ」

と思われがちだけど、エヴァ大人感情表現が大げさな人って逆にミサトさんぐらいなんですよね。

場所相手を選ばないで感情的っていうのかな

序を見終わったけど…序を見た当時高校生ぐらいだった時に比べて、ミサトさんが全然違うキャラに見える不思議

ゲンドウが理不尽というかアスペっぽく見えるところもあるんだけども、【余計なことを言って周りに気を使わせる上司や先輩】という職場理不尽あるあるを知るとアレはアレで気づかいしてる

序の印象が変わった理由としては、昔はミサトに違和感どころか、シンジくんの理解者的な側面を感じてたのに、今見るとけっこう気分屋なんですよね。

ネルフ大人で唯一感情的な発言をいっぱいするからこそ愛されてたりもするし、ゲンドウのやりすぎに歯止めをかける部分もあるんだけども…

ネルフ職員はそれぞれにダメ大人

なんてエヴァファンの間ではよく言われてたけど、大人になると一番ガラッと印象が変わるのはミサト。

最初シンジくん目線で見て、ゲンドウの気持ちが少しわかる年になり、ミサトのヤバさに気づく年になるみたいな…そんな感じ。

予習してよかった

中2病卒業できたつもりになってシンジ共感してるやつを見下ろしてご満悦って・・・ただの高2病やん!

高2になって高2病発症するのはいいけど僕もおっさんになったわーっていいながら高2病って!

エヴァンゲリオンの一番つまらない楽しみ方を実践してる!

これよりつまらない楽しみ方を想像するのが難しいくらいにつまらない楽しみ方してる!

これよりつまらない楽しみ方できる人が想像できない!

シンエヴァを見て監督カラー大事なんだとおもった


ナディアから庵野作品を見ている旧劇信者のシンエヴァ感想

書きたいところだけ。

旧劇のラストでは、世界を滅ぼして融合させても、他人の心は一体化できないし、拒絶されるときは拒絶される。しかも突然それはやってくる。ということを高い映像技術と滅茶苦茶な演出センスと訳の分からない熱量で伝えられた。と思ってる。見た人の解釈が沢山あるから、言いきれないけど、そう思ってる。

それが当時の監督失恋表象だったとしても、ディスコミュニケーション表現としてはある程度昇華されていたし、共感を呼べた。だってみんな思ったでしょ。「そんなの酷い!」って。

そんなの、が「キモチワルイ」って言われたことに対してなのか、受け入れられなかったことに対してなのか、説明もなく終わったことに対してなのか、は視聴者ごとに違うのだけど、世界自分を受け入れないまま唐突に終わる酷い場所だっていう気持ちを共有して、世界の底を見せたところでエヴァンゲリオンは完結した。

底を見てしまたからには、各々自分世界に戻って自分のやり方で上っていくしかない。テレビ版と旧劇はそういう話だった。と思う。

から続きをやるには、今度はコミュニケーション階段を上がっていくしかないのだけれど、エヴァンゲリオンは上がるため物語ではなく、底を覗くための物語なので、エヴァに上る方法を期待しても仕方がない。

仕方がないと思うんですけど…エヴァ物語の中にコミュニケーション成就を望む人が多いんだな、ハピエン主義って結構根強いんだな、というのが「序」が始まった時に感じたことでした。そこに無い物語を望んでも、無いものは無いのに。(結局劇場では「序」しか見てなくて、「破」と「Q」はレンタルになってから見た。)

今回は本当に終わり、ということなので卒業意味で公開初週に見に行った。

シンエヴァの終わりはハピエンだった。崩壊しかけた、ハピエンだった。

成長と生殖日常肯定し、現実へ行こうとしていたけど、映像としてイマイチだったな…。

から、まあ、エヴァコミュニケーション成就を描くための物語じゃなかったんですよ…狭いところで悲しい気持ちになるための物語。そういう役割物語も世の中にはある。ハピエンだけじゃない。

でも、監督は、カラーを作ったから、エヴァ再起動したし、エヴァを終わらせないといけなかったんですよね。シンエヴァ奥さんの影響はあるだろうけど、カラーを守りたいっていう気持ちの方を強く感じました。

カラーを存続するっていう意味での成長と生殖なんじゃないかね…。シンエヴァ100%監督シンクロしている話だったら、監督には子供いないじゃんおかしいじゃん、とは思う。

震災を経て、Qを経て、病気を経て、さあついに終わろうってなった。しかも前向きに終わろうって。

ポジティブに考えられるものを作ろうとなって、監督にとっての前向きで成長していく大事な何かってカラーことなんだな、と。

監督同人で作ったガイナックス卒業して(せざるを得なくて)、自分の国を作ったから、カラーを守りたい、育てたいっていう気持ちを第三村ミサトさんの子供に託すのは分かるんやだけどやな。

「うちの国、わりといいところだよ」っていう気持ちを、エヴァにのっけて終わらせようとしてしまったのが監督の残念なところだな…エヴァはそういうことを言うのに適した器ではない…いろいろ考えると仕方ないけど…。

ところで、監督群像組織を描けないという批評もあって、それを読んで納得しかけたけど、いやいやシンゴジはまあまあ上手くいってましたやん。巨災対視聴者のみんなは愛したし、政治家パートには議論が巻き起こった。映画としては普通人間模様になっていたし、そのうえで最高に格好良い怪獣戦闘機がのっかったから、世間一般も巻き込んでブームになった。ポジティブ人間関係描写が一番うまい監督ではないけど、全然駄目でもない。

私は思春期ナディア出会った人間なんですけど、ナディア人間関係は若い子向けの前向きさで一貫していて、その背後に大人世界の薄暗さが垣間見えてとても楽しかった。

単にエヴァ群像向きではなく、徹底してシンジゲンドウの話だったから、無理に全員の幸せを描くとおかしなっちゃったんでしょう。

ウルトラマン監督の得意分野だから、うまくいくんじゃないですかね。

樋口さんメインだっていうことが、どう作用するかは不安ですけど。

シン・エヴァンゲリオン感想(ネタバレ有り)庵野と安野によせて

昨日(3/11)にシン・エヴァンゲリオンを見てきたので

感想を殴り書きで書きますネタバレありです。

キャラ感情の揺れに重きを置いてます

パリ

マヤが「これだから若い男は」と言ったのがよかった。

 エヴァでは「女性は弱い」という描かれ方が旧劇からされてないので良い

マリの「どこにいても見つけ出してみせるからワンコ君」への違和感。そんなにシンジ思い入れある?

三村

・トウジー!生きてた

綾波が「私は綾波レイじゃない」というと、「そうなの、そっくりさん」という流れで自然肯定されてたのがよかった。

 「綾波レイ」でなくても存在肯定されている感じ。

・その後もレイプラグスーツを脱がないけど、「汗水たらして働いて」周りに受け入れられるにつれ、

 「エヴァパイロットではない自分」としてのアイデンティティ確立できて、プラグスーツを脱ぐことができるようになったのがよかった。

レイ委員長に「おやすみって何」「おはようって何」ってたくさん聞いたとき(それこそ赤ちゃんのように)、委員長の答えがお母さんのように優しくて、

 よかったねという気持ちと、女に母性を求める意図が透けて見えて気持ち悪かったという気持ちの両方があった。

・トウジやケンスケがシンジに話しかけるシーン、自分大人になったのにいきなり14歳のままの同級生(シンジ)が出てきたらどう接していいか戸惑うだろうなと思った

ケンスケのことをアスカが「ケンケン」って呼んだのが一番衝撃だった。そして全裸アスカ。動じないケンスケ。あっ・・これはやることやってませんか?

 アスカシンジがくっつくものだと信じていたので、あこりゃだめっぽいなと少し悲しみがありました

 (と思ったけどこれ、ケンケン大人アスカ14歳の体だから動じなかっただけなのかな。そしてラストでは大人の体になっていたので無事ケンケンとくっつけるとか)

ケンスケ、加持さんに少し似てますねと思った

アスカにもDSSチョーカー。後で明かされるけどアスカ人造人間使徒入りのため?

・だんまりシンジアスカが無理やり食事をさせて、そこで無気力にしてるかと思ったら、勢いよく家出していって驚いた。鬱の人ってそんな衝動的に行動できる?

アスカレイに「サードのこと好きになるように設計されてる」と言ってたのが印象的だった。そしてアスカもそう。悲しい。

 アスカ人造人間だったんだ。式波改名されてたのも理由があったんだね。

 シンジ庵野投影だとすると、モテモテ自分みたいなのが透けて見えて少し嫌だった。

アスカシンジのこと「好きだったわよ」というのがよかった。過去形「卒業」という感じを受けた。

 なお、ラストシンジも「僕も好きだったよ」と返すの、さわやかだと思ったけど、庵野アスカ声優一方的に恋してたエピソードもあるので、

 「お互い好きだったけどうちらもう卒業だね(アスカにはケンケンがいるし、シンジにはマリがいる、あとボク庵野には安野がいるし)」みたいな良い話風にねじまげるのはちょっと…と思った

レイが渡したカセットプレーヤーを跳ねのけたのはどういう心境だったんだろう。ただの拒絶?プレーヤーを拾ってくれてたはずの本当のレイはもう死んじゃったから?

ペンペンがたくさんいてほっこりした。トウジと委員長ツバメのシーンでも思ったけど、子を産み、次世代に託していくことの尊さのモチーフがいっぱいあったね。猫とか。

シンジの「どうしてみんな優しいんだよ」の嗚咽、緒方さんほんとよかった。

 旧劇で「どうしてみんな優しくしてくれないんだよ」みたいな台詞があったけど、そのアンサーだと感じた

レイシンジに「名前を付けてほしい」とお願いするシーン、ラストのほうでユイゲンドウに「子供名前決めてくれた?」と尋ねるシーンとの対比でよかった

レイが目の前でLCLなっちゃうシーン、シンジにまた新しいトラウマを植え付けるなんてひどい…と思っちゃった

・加持さん!一瞬綾波式波みたくクローンかと思ったけど子供ミサトさん産休とったんだろうか?とる暇なさそう。

 あと死んだお父さんと同じ名前つけるってどうなってるの?呪い

シンジ乗船後にアスカサクラが話すシーン、アスカは「監視」としてシンジを引っ張ってたんだな・・・と切なくなった。ヴンダーに乗らなくてもいいとも言ってたし、それだけじゃないだろうけど。

ヴンダー

マリアスカにべったり。レズ的に好きなの?そういえば漫画版ではマリユイガチレズで…と思ったけどラストマリシンジ(ry 

・13号機がトリガーなの、13っていう忌み数関係あるのかな?

ヴンダーめっちゃ攻撃受けてるときクルーがみんな最速で状況伝達していてよかった。パリでのマヤとのやり取りと違って弱音を吐かない。

・リツコがためらいなく速攻でゲンドウに発砲したのよかった。旧劇では撃てなかったので…

 リツコのベリーショート昔の男(ゲンドウ)から「卒業」感を感じて好き。評判悪いけど。

ゲンドウが脳みそ拾うところちょっと笑っちゃった。要るんだそれみたいな。

ゲンドウが意味深カタカナ語いっぱい話すの、ビジネス用語を多用しすぎる上司みたいで笑っちゃった

・ところで六分儀ゲンドウっていう旧姓新劇ではなかったことになった件、考察必要ですか?惣流→式波改名意味あったわけだし…。それともユイ苗字綾波にしたかっただけ?

ミサトが一番好きなので、ミサトのサングラスが銃で吹っ飛んで彼女感情が見えるのがよかった。

 誰かが言ってたけど、ミサトとゲンドウはサングラス視線の全部を、アスカは眼帯で視線の半分を隠してシンジと目を合わさないという考察。これでやっとミサトの心が見えるようになる。

サクラ怪我したらエヴァに乗らんでいい、ちょっといかもしれないですけど我慢してくださいね」、その通りなんだが、めちゃくちゃだな…

ミサトがシンジを庇って「私がすべての責任を取ります」というシーン、よかった…よかった…

・そのあと、シンジと抱擁を交わすシーン、シンジ大人になったなあという感じ。親愛はあっても、その間にあるのは大人のキスではなく、他人である別の人間との適切な距離感

ラストに向けて

・「シンクロ率無限」はちょっと笑った。夢小説っぽさがある

・量子テレポート、めちゃシュバババってなってて笑うでしょあんなの…

・親子対決、いきなり特撮っぽいなと思ったけどミサト家や学校やらでいきなりスケール感のおかしエヴァが暴れてるの、どういう演出なの…?シン・ウルトラマン番宣ですか?

シンジゲンドウと対話したいと伝えたの、大人になったなという感じ

ゲンドウの過去、全く想像通りのやつがお出しされてそうだねとなった

ゲンドウがピアノ好きなの、Qでのシンジカヲルセッションが効く演出でいいなと思ったけど、シンジチェロ設定どっかいっちゃった?

・冬月はなんで(どういう理屈で・どんな感情で)LCLなっちゃったの?

ミサトさん…死んじゃって悲しいけど、加持さんのところに行けてよかったね

ゲンドウがシンジの中に「そこにいたのか」ってユイ見出してよかった。

 ユイがいなくなっても、いなくなったからこそ忘れ形見シンジ大事にしなくちゃいけなかった。

 ゲンドウが幼いシンジ大事そうに抱きしめるシーン、今まで描写がなかったので良かった。シンジと向き合えないっていう不器用愛情だけじゃなくて、やっと向き合えた。

 人は子を産み育てることが尊いという生命賛歌。生きてていいんだという存在肯定

・この辺旧劇とそれほど伝えたいこと変わってないのかな?と思ったので、こんな大々的に焼き直す意味はあったのかな

世界中を巻き込んだ盛大な親子喧嘩だったね

・どこだったか忘れたけどシンジの突然のすしざんまいに笑っちゃった

大人ゲンドウを子供シンジが見つめ、今度は子供ゲンドウを大人(少年)シンジが見つめるのがよかった。親のインナーチャイルドを息子が癒してあげたんだね。そういうことあるよね。

・【ちょっと追記

 マリシンジに執着するの、漫画版を読んでいたらマリユイガチレズ感情を持ってたためにユイの息子(シンジ)に執着してたって視点を持てるけど

 映画単体ではそこにたどり着くの不可能じゃない?

 ゲンドウの追憶で出てきた、マリゲンドウにユイを紹介したシーンでBSS(僕が先に好きだったのに)の波動を感じ取れと…?

 その流れから惚れた相手(同性)の息子(異性)に「だーれだ」「胸の大きいいい女」って躾込んでるって考えたくなくないですか…?【追記ここまで】

アスカケンケンカプを公式ダメ押ししててつらかった。そんな、余ったの適当にくっつけるみたいな…

カヲルの救済はなんで加持だったの?接点あった?あと渚指令ってなに?

・「今度こそ君だけは幸せにしてみせるよ」とか意味深だったけど、円環とか言ってたかループ世界だったんだね。

ユイがこのためにエヴァにいたんだというのもよかった。子の背中を押して親は去る。

ラスト

・槍に貫かれて「さようなら、すべてのエヴァンゲリオン」はものすごくきれいだなと思った。ここでも「卒業」を感じた。

 シンジに、ゲンドウに、レイに、アスカに、カヲルに、すべてのエヴァンゲリオンに、そして『エヴァンゲリオン』という作品に。さようなら

シンジマリがくっついたの、旧劇にはいなかったマリ(安野)を手に入れて救われましたっていう庵野と嫁のストーリーだなと感じた。

 なんで神木隆之介なの?君の名は。?なんでスーツ着てるのに昼間から仕事してなさそうなの?

 そもそもシンジマリって接点あった?なんでマリはDSSチョーカー外せるの?

 ていうかDSSチョーカーずっとつけっぱだったんだ…

 チョーカー外すってモチーフエヴァ呪縛からの脱却ってわかるけど、それはエヴァを槍で刺したのとシンジが大きくなってるのでもう分かるし…虚構から現実への移行のトリガーとして外したの?駅構内で?

レイカヲルアスカが遠くにいて(遠くの虚構)、こっちにはシンジマリ(庵野と安野・現実)、そして宇部新川駅(庵野出身地)という現実に帰っていく。

 これは、シンジゲンドウに仮託した庵野個人的な成長ストーリーだったのだ…


え?感想?よかったですよね。エヴァー。


【終劇】

庵野上手いな

エヴァ観た。

なんとなく25年前の思春期には旧劇が刺さりそうで、今の思春期には新劇が刺さりそうだなと思った。

思春期以外の層も同じかもしれない。

エヴァンゲリオンのジャストインタイム

庵野ってそういうのわかって作ってるのかな。

私小説とよく言われているし俺もそうだと思うけど、案外世の動向をちゃんと観察してエヴァを作ってそう。

エヴァが誰とでも話せばわかる、みたいな終わり方したけど(これ自体は綺麗ごとで言ってるわけではなくエヴァンゲリオンという物語を終わらせるために一番いい形だからだと思う)対話テーマにしながらも「そうはいっても殺す以外にない人も世の中にはいる」って見せ方の00の方が救いになるんだ。

[]2021年3月11日木曜日増田

時間記事文字数文字数平均文字数中央値
0010125920256.656
01709542136.355.5
02525728110.264.5
03204484224.278.5
04181946108.167
05174704276.763
06416184150.844
0737352095.172
0810811001101.946.5
0913615908117.040
101251103988.346
1111815189128.763.5
121711658297.045
1312116108133.144
141641362983.149.5
1510912808117.538
169611102115.645.5
171351314697.442
1814117974127.543
1911215944142.451.5
2011014228129.360
2114016522118.042.5
2213413941104.047.5
2310712320115.137
1日2383289469121.548

本日の急増単語 ()内の数字単語が含まれ記事

安原(7), ブレインストーミング(12), C子(4), 3月11日(9), 草薙素子(3), テンパイ(3), 黙祷(7), マッパ(3), 深まら(4), 整列(5), ブレスト(5), アクエリアス(3), 震災(29), エヴァ(54), シン(17), 東日本大震災(16), ウマ娘(19), ゾ(12), 原発(11), 揺れ(7), 東北(10), 競馬(10), 信仰(13), 関係性(15), 地震(11), Q(14), 救い(18), 嬉しく(11), 救わ(22), TV(11), 災害(9), モテる(16), 生理(19), お母さん(15), 物語(19), 息子(20), 母親(34), 非モテ(24), note(12)

頻出トラックバック先 ()内の数字は被トラックバック件数

日本人の「地頭(じあたま)信仰」について /20210310120801(35), ■女性の味方ついでに非モテ男性マウントを取るのは、僕としては結構ありえない。 /20210311135635(29), ■母親は息子の着飾りも冷やかす? /20210311103838(26), ■男は全員加害者!みたいなやつやめろーッ! /20210311080325(17), ■1巻がピークだったのになぜか続いてしまった長編漫画教えてほしい。 /20210310234619(13), ■anond20210311103838 /20210311104043(13), ■庵野「おかげさまで結婚して幸せです!不動産収入で食ってます!」 /20210311155032(12), ■ /20210311131554(11), ■生徒「津波が来る!逃げないと死ぬ!」教師バカ野郎!まずは整列だ!!!」→全滅 アホかよこの国… /20210311134157(9), ■anond20210310204518 /20210311041009(8), ■シン・エヴァンゲリオンに文句を言ってるエヴァ世代 /20210310164144(8), ■後発にトップを奪われたイメージのあるブランド /20210311093731(8), ■anond20210311103838 /20210311133601(7), ■3.11被災者のその後のニュースを見ると落ち込む /20210311212057(7), ■「よく考えさせてもらったんですが、こちらの都合で今回は採用出来ないことになりまして。」 /20210311085338(7), ■ブス女が嫉妬に狂って自業自得の話 /20210311114050(7), ■女の価値は「若さ」だと思う本当に /20210311121636(7), ■ /20210311122035(7), ■プロパンガスが安すぎる /20210311224802(6), ■SAPIXみたいなのって本質的に役に立ってんの? /20210308154131(6), ■市役所でべしゃり散らす女児を見ていて思った話 /20210309200041(6), ■「大好き」って言葉のかわいさ /20210310233924(6), ■anond20210311135635 /20210311141709(6), ■anond20210311103838 /20210311160223(6), ■anond20210311113613 /20210311162820(6), ■次がない /20210311215517(6), ■弁護士が変。 /20210303212229(6)

2021-03-11

エヴァラストシーンで例の親指を立ててエヴァンゲリオンが溶鉱炉に沈んでいくっていうのが4割くらい正解だったのが一番笑った

旧劇派が振り返るシン・エヴァンゲリオン

シンエヴァ、めちゃくちゃちゃんと終わるアニメだったのでTVシリーズと旧劇の救いの少ない終わり方が好きだった十代の自分だったらめちゃくちゃ怒ったのではないか、という気がする。

旧劇のコピーの「だから みんな、死んでしまえばいいのに」というのは映画の内容にすごく合っていたと思ってて、今回はそういう、やさぐれたり自分に酔ったりする感じが全体にすごく少なく感じた。

Q~シン序盤だって普通あんなん誰だってへこむだろ、という感じで、「あんた観てるとイライラすんのよ」成分が足りないと感じた。

テレビ24話丹念にちょっと上がっては落ちてを繰り返して溜まった鬱屈みたいなもの映画は全体にない感じで、だからドラマ構造としても旧劇でやったような補完計画、というふうにいくのは無理があったんだろうなと思った。

いま気になって時間を調べたら映画は4作トータルで462分でテレビでいうとだいたい20話分の時間があるということになり、別に描写する時間が足りないのではなくて、志向する物語の方向の問題なのだな、と思う。

で、それはどうしてこうなったんだろうな、と思うと、割とみんな書いてる安野モヨコの影響はめちゃくちゃあると思うし(ヴィレの皆さんの描写とか働きマンみたいでしたもの)、旧エヴァチーム以外の人が増えてて、描写や設定の作り込みをちゃんとチームでやってるんじゃないかなと思ったんだけど、そういうのも関係ある気がする(変な単語の並べ方や心理世界描写、旧劇の引用がやや過剰で、なんとなく庵野がやりたくてやってるというよりは周りのひとたちが旧劇等の感じを継承して発展させようとしてるんじゃないかな、と思ったりした。根拠ないけど。

あと、受け手側も当時のファンの感じと全然違うというのは関係あると思う。

当時のファンは全体的に抑圧を受けている意識は強めだった気がしてて、そのへんがシンジの受けてる抑圧に共感をしてるみたいのがあったと思うんだけど、旧来のファンも年をとり、新規ファンは当時のオタクほどはつらい人生を送ってない(と思われる)、という中で

そういう自傷みたいなことを主人公にさせても共感されないだろ、という風にファン側としても思うし、作り手側にもそういう相手の変化みたいなことは意識されてたんじゃないかな、と思った。

(あと、震災以降の状況下で「だから、みんな死んじゃえ」という主人公普通に厳しいだろ、とかそういうのもあると思う)

自分はなんもわからん子供がひたすら理不尽を受けながら人類のために戦う異常事態普通しんどいしうまくいくわけない、と思ってしまうので鬱屈して破綻してしまうほうに気持ちは寄ってしまうのだけど現代の娯楽大作としては厳しいし、今回、いろいろ自己模倣みたいなとこもありつつきっちり振り返らせて本当にきれいに着地したのはめちゃくちゃに偉いと思った。

とはいえ自分が旧劇の好きだったポイントとして、ぜんぜん大団円感のない終わり方がめちゃくちゃ好きで、「こういう終わり方ってしてもいいんだ!」ってすごい感動したので、今回、めちゃくちゃきれいな着地を見せられたとき「めちゃくちゃきれいな着地ですね」以上の感想があまり出てこない、という気持ちもある。

たぶん次に時間とれたら旧劇もっかい観るし、そしたらその後映画館いけるときにまたシン・エヴァンゲリオン観に行くので、あんまりさようならしないのだけど、観れてよかったです。サンキューエヴァンゲリオン

シン・エヴァンゲリオンで一番驚いたこ

最後エンドロールで kawango の名前が突然出てきたこと。

制作関わってたとは知らんかったわ…

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん