はてなキーワード: エヴァンゲリオンとは
宗教モチーフで中身があるっぽい話をしながらロボが宇宙怪獣と喧嘩するだけじゃん?
この程度の作品に何をそんなに熱くなってたんだろう。
たくんさ待たされたっていうけど結局は単に作るのが遅かっただけじゃん?
それで?
作品のクオリティが凄い上がったかと言えば「あれ?10年前の映画?あっでもそうだよね」って感じでむしろマイナス。
主人公がウジウジしてたのが新鮮だったというけどそれって単に「アニメでは」ってだけでしょ?
ねえ?
なにがそんなにすごかったの?
この程度の作品に何を熱くなってたんだろうね?
終わってない作品だから勝手に皆がそれぞれの理想のエヴァを空想して、その「エヴァって凄い」の部分だけが膨れ上がった共有幻想になってただけじゃん。
実際の作品が出たら「うーん……大盛りのコシヒカリとどっちが美味しいか微妙だなあ……」って扱いじゃん。
これで満足なのお前ら?
俺は別にこれで十分だとは思ってるよ。
1800円分の体験なんてこんな程度だよね~~って。
すっごい作品があるって妄想から開放されてロボアニメなんて所詮はこんなもんだよねって割り切れたこの感じがかあ。
なるほどね~~。
旧劇場版で散々「大人になれ!」って騒いでたけど、本当に観てるやつがおとなになるのは普通に終わらせちゃうことだった、と。
ひえ~~~~北風と太陽だ~~~~。
でもこれってネット観てたら嫌でもわかるよね。
皆の反応で「あっ……普通に終わったんだ……」って察せるよね。
嘘が下手すぎだよなコイツら。
自分だけよけりゃいいと思ってんだよね。
私はエヴァンゲリオンを経由せずに生きてきてて、初めて見たエヴァは夫に付き合って映画館で見た破。せめて序を見ておきなよと言われたけどまあ大丈夫だろあんだけ有名なエヴァンゲリオンだし見たらわかるだろうというノリで見た。舞台背景が全くわからないけどウジウジした主人公の少年が目的を見つけて頑張って報われたっぽく終わり、まあまあ面白かった。スタッフロールにかつて同じ職場で働いた人の名前があってオッと思った。映画を見た後にアレはなんなのコレはなんだったのと夫に聞いたら喜んで色々と解説してくれた。序も見てみる?と聞かれたけどだいたいわかったから断った。それにパズドラのコラボで見たから俺は知ってるんだ。
Qも映画館で見た。いきなりよくわからなさが増した。前回の終わりがめでたしめでたしだったはずなのに全然めでたくなかった感じだったが誰も何があったかを教えてくれない。碌に語らないくせにみんなして知らない用語をたくさん使うから早々に置いてけぼりになった。たぶんシンジくんもわかんなかったんじゃないかな。みんなもっとシンジくんに説明してあげてよ。スタッフロールのかつて同じ職場で働いた人の名前は偉そうなところに移動してた。あっ、あの人の向かいの席に座ったことあるんですよ私!と思った。映画を見た後、カヲルくんのこととかリリス?アダム?のこととかを夫に聞いた。テレビシリーズではこうだったんだけどね…と歯切れ悪く教えてくれた。後で二人で考察ブログを色々と読んだ。Qについて夫は多くは語らなかったが、カヲルくん渾身のギャグ「槍でやり直す」は気に入ったようだった。
火曜日にシンエヴァを見てきた。月曜日はなんだかんだで予約できず、火曜日の午後に用事ができたのでそのついでにレイトショーで見ることにしたのだ。冒頭のパリは難解な用語が多くて遠くから眺めてた。第3村は「皆さんご存知の…」みたいな顔して登場した元同級生が全くわからず、なるほどシンジくんにも随分と親しいお友達がいたんだなあと思った。前作と違って登場人物がたくさん喋ってたくさん背景を語ってくれるのだが、同時に徘徊とか宙に浮く車両とか訳わからないものが出てきて、理解・理解不能・理解・理解不能の繰り返しだった。ブンダー?に乗ってからは怒涛の説明・伏線回収タイムとなったが、同じくらいの物量で難しいキーワードが押し寄せてきて、ワーッとなりかけたところで「端から何もわからずに見てるんだから、理解しようと頑張らなくていいのでは?」という悟りがやってきて、そこから楽になった。全くわからんがとにかく凄い勢いで風呂敷が畳まれていく気がした。シンジくんいきなり物分かりが良くなったしオトンめっちゃ喋りよった。物語の背景は相変わらずわからなかったけど、登場人物がなぜあのような行動を取ったのか、何人かの分は大体説明された。終劇。スタッフロールの知ってる名前は制作の主要メンバーとなっていた。私あの人の奥さんになった人に勧められてパン教室行ったけどおもてたんと違って1回しか通わずに受講料をドブに捨てたことあったんすよ。映画を見た後、夫に「面白かった?」と聞いた。夫は「ん〜〜〜〜」と言うだけで、いつものように語ってくれなかった。また後で映画の感想を聞いたら、「え?今日は映画なんて見てないよ。用事が思ったより遅くまでかかって大変だったな〜早く家帰って寝たいな〜」と言った。
夫は翌日になってネタバレの感想がネットで読めるようになってから少し気を持ち直したようだけど、なかなか気分の上下が激しく、傷ついているようだ。私は「終わって良かったね」と声をかけることしか出来なかった。「終わって良かった」と夫は言った。
Yahoo! 映画の評価は4.32点で、お役立ち度の高い感想は概ね5点満点。概ね好評のようだが、ぼくはあまり楽しめなかった。ここ数日、このことをずっと考えていて、気持ちを整理するために書くことにした。
エヴァンゲリオンは、使徒という人知を超えた存在との、生き残りをかけた戦いがテーマだと思っていた。生き残りのためにエヴァという力にも手を出し、本当にギリギリのところで危うく戦っていく物語だと、少なくとも新劇場版の序と破までは認識し、そこに魅力を感じていた。
登場人物の内面を丁寧に描きつつ、ときに人類存続の危機を前に、個人の思いが非情に潰されてしまう。破で3号機に閉じ込められたアスカを守ろうとするシンジや、使徒殲滅のためにダミーシステムを使う判断をするゲンドウの行動、そしてその後のシンジの怒りなど、そのあたりはとても心に響いた記憶がある。
しかし、Qから雲行きが怪しくなってくる。使途との生存をかけた戦いというテーマは影を潜め、人類のために戦っていたはずのシンジは、逆に人類を滅ぼしかけた張本人になってしまう。そして戦いは使徒対人間ではなく、ネルフ対ヴィレ、つまり人間同士の争いになっている。シンジとアスカがエヴァで戦う羽目になるが、そこには使徒との戦いにあったような心に響く要素はなかった。
Qで共感できたのは、「何でこんなことになったのか、ちっとも分からない」と叫ぶシンジの声だけだった。
あれだけ切羽詰まっていた使徒との戦いはどうなったのか。勝ったのか負けたのか。結局人類を滅ぼしたのは使徒ではなくシンジだったということなのか。それなら、あの序と破で描かれた必死の戦いはなんだったのか。生き物がほとんど消滅した地球で、ゲンドウは今更何をしようとしているのか。Qを観たあとは疑問ばかりが残り、釈然としなかった。
ぼくは結局、「破の予告の続き」をQで観たかったのだと思う。しかし、それはQには描かれていなかった。
そしてシン・エヴァンゲリオン。そこに描かれていたのはQの続きであり、TV版と旧劇場版の再構築だった。終わらせ方としては、本当にきっちりしっかり終わらせたと思う。しかし淡い期待は裏切られ、「破の予告の続き」は描かれなかった。
ぼくは使徒とのギリギリ、ボロボロの戦い、多大な犠牲を払う戦いのなかで、最後の最後で使徒に勝利し、やっとのことで人類の存続を勝ち取るという展開を観たかった。しかし、描かれていたのはシンジの救済、そして主要登場人物の救済であり、戦いはある意味で添え物のようなものだった。
ひとつ言いたいのはゲンドウ。あいつはどうしようもない。ネルフの長であるゲンドウは、死んだ(消滅した)嫁さんに再会するためにヴィレと敵対し、ラスボスをやっていたのか? エヴァを使った謎の儀式は嫁さんに会うためにやった? 人類が滅ぶかどうかという状況で、それはあまりにも話が小さすぎる。共感できない。そんなことだから部下が離反するんだよ!
最後のほうの劇中劇のような演出、登場人物の内面語りと救済の展開は、やっぱりエヴァならこうなるよねと思ったし、救われていく人たちを観るのは悪くなかった。でも、シンジ以外は軒並み非業の死を遂げて、最後にやっとのことで使徒に勝ち、使徒が襲来しない世界が実現するという話も、やっぱり観たかった。
エヴァンゲリオン新劇場版は、Q以降、方向性が大きく変容しているように感じる。変容する前の新劇場版に魅力を感じていた身としては、シン・エヴァンゲリオンは不満の残る内容だった。
もちろんこれは、ぼくの「チラシの裏」であり、ほかの方の感想を否定するものではありません。気に障るようなところがあったら許してください。
大風呂敷広げた作品を畳もうとするとああなるから止めたほうが良い。
ああなるとはつまりストーリーが終わらせるためだけの作業になる。
シン・エヴァンゲリオンには、「運動 瞑想 睡眠 野菜」の全ての要素が劇中に描かれていることから、
声優陣がシン・エヴァンゲリオン劇場版:||の台本を読んで・・・
「そもそも説明不足なんだよ!!なにアンタら事情もはなさずに演技させているんだよ」
「こういう背景があるならQの演技は違っていた!」
シン・エヴァンゲリオン。どうやら相当世間を賑わせているらしい。
私も先日鑑賞した。その感想は……はっきり言って、物足りない。
何故ならば、庵野秀明の攻撃性が、作品からあまり感じ取れなかったからだ。
ある時は、「そんなに1人でうじうじ悩んで、勝手に決めつけて、気持ち悪い」と一蹴し
またある時は、「何時までもエヴァンゲリオンに齧り付いてるんじゃねーよ!」と叱責された。
私は作品を通して、庵野秀明からのメッセージを過剰なまでに深読みし、勝手に殴られて勝手に死にかけていた。それが私の「エヴァンゲリオン」の楽しみ方だった。
逃れられない現実を突きつけられるような演出の数々は、私のマゾヒズムを的確に刺激してくれた。
今回の「シン」も、もちろん庵野秀明に殴られる為に劇場へと足を運んだのだ。
「シン」はどんな手で私を弄んでくれるのだろうか。
しかし実際に画面へ映し出されたのは、
牧歌的な風景。Qと変わらない描写。極めつけに旧劇場版を薄めた二番煎じ。
それは主体となっている人物が碇シンジではないからだ、というのは重々承知している。
しかしそれでは物足りないのだ。
私の求めた「エヴァンゲリオン」は、答えを探して堂々巡りをし続け、答えの先に絶望を与えてくれた。
私が外に出ない理由をくれた。
これらがまぜこぜになって出来上がった「エヴァンゲリオン」が、好きだった。
「まさかエヴァンゲリオンをこんな爽やかに終えられるわけがないだろう」
そう思いながら鑑賞した。
それは思い違いだった。トウジ達だけじゃない。庵野秀明も成長していたのだ。
成長していなかったのは、私だけ。
当然だが。
そんな私を「エヴァンゲリオン」から解放する為の作品を、庵野秀明は作り上げたのだ。
違うんだ。「エヴァンゲリオン」という女王様から放たれる、一級品の鞭さばきを私はその身に受けたかった。そしてそのまま意識を失ってしまったなら、それはどんなに素晴らしい事だろう。
今作は、デコピンを額に受ける程度の威力しか秘められていない。
私を快楽へと導いてくれたエヴァンゲリオンは、一体どこへ行ってしまったんだ。
同じ学校の優等生。彼は私の知らない世界をたくさん知っていて、それはもう楽しかった。
が、彼はマイルドオタク。当時win3.1のPCを所持し、エロゲームに精を出す程度の。
そして当時のオタクのご多分に漏れず、エヴァンゲリオンに猛烈にハマった。
それからというもの、学校でオタク仲間がいようがいまいが、口を開けば「エヴァ」である。
用語について長々と解釈を垂れ流し、ことあるごとに「ミサトすわぁ~ん」と猫なで声を発し、
私はというと、視聴を勧められはしたが、家庭環境の問題で見ることができず、
そうこうしているうちに、彼と仲間たちの姿があまりにもみっともないと感じられるようになり、
やがてエヴァに関わるもの全てに対して、冷たい視線のみを送るようになった。
あと、キャラクターの人格に反して、グッズなどで脱がせていることも、女性として嫌悪感を持った。
大人になった今、別に作品自体がどうのと批判するつもりはまったくない。
ただ庵野秀明という人が手掛けたものが、長文でお気持ちや解釈を垂れる男のオタクを量産することに、
多少なりともゲンナリはしている。
おかげでシン・ゴジラとかも全く触れたいと思えない。
彼とは高校卒業後別れ今はメールもしていないが、おそらくは妻に隠れて仲間と解釈を長文でやりとりしているのだろう。
そう思うと妻さんに勝手に同情してしまうし、こう言いたくもなる。
「気持ち悪いな!」
シン・エヴァンゲリオンは私にとって完璧なエンディングだった。
言うべき人が言うべきセリフを言い切って、みんなが解放されたと思う。ただ一人を除いて。
女子校に通いアニオタ声優オタ腐女子として目覚め、それらを順調にこじらせていた真っただ中だった。
そりゃドはまりするわ。謎めいた舞台装置は厨二病をこじらせた根暗な女子にはドストライクだった。
はまって、はまって、毎週ダッシュで学校から帰ってきて、18時だったか18時半だったか、録画もしつつ必ずリアタイしていた。
(今思えばウテナと前後した放映で、よくよく当時のテレビ東京の夕方アニメ枠は頭おかしかった)
前半は惰性で見ているところもあったが、物語が進むにつれてのめりこむようになった。放映時のことは今もよく覚えている。
MAGIにハックしかける使徒とその迎撃は、PCなんて持っていなかった私にこんぴゅーたーかっこええ!と思わせるに十分だった。
バルディエルのぐっちゃーのシーンが放映された日、夕飯は焼肉でさすがにちょっときつかった。
ミサトさんと加持さんの例のシーンはぴったり夕食時で(夕食時に食卓で親の前でエヴァ見るなよ、と今なら思う)、
母親から冷たい声で「あんた、いつもこんなん見てるの?」と言われたトラウマは今も忘れない。あれが私の冷や汗デビュー。
高校の声楽の授業でヘンデルのメサイヤ歌った時は22話のアスカのことを思い出して最高に興奮した。
でも私がひそかに熱狂していたのは、個性の強いメインキャラやストーリーそのものではなく、オペレータの日向マコトの存在だった。
上記イロウルによるMAGIハックの回ではやや出番は多かったが、基本的にセリフも少ない。
マヤちゃんほどキャラが立っているわけでもなく、人柄を掘り下げられることもない。
(が、ロン毛の青葉シゲルよりはやや目立つあたりがまたいい)
そんな彼に一瞬強いスポットライトが当たったのは、24話。いわゆるカヲル君の回。
カヲル君がセントラルドグマに降下していき、管制室に緊張が走る中で当初のプランどおり自爆を考えるミサトとのやりとり。
ーーーーー
ミサト:初号機の信号が消えて、もう一度変化があったときは・・・
マコト:分かってます。その時はここを自爆させるんですね。サードインパクトが起こされるよりはマシですから。
ミサト:すまないわね。
ーーーーー
日向くんはミサトが好きで、そのためなら死んでも構わないと、すこし掠れた声で決意を伝える。
が、そもそもミサトは加持さんと付き合っているのはネルフ内でも自明で、つまり日向くんの恋は叶わないことが前提だった。
劇中で恋心はちょいちょい漏れていたが(そしてEOEで彼のLCL化を導く使者はミサトの姿をしていた)、明確に伝えたのはこの時だけで、
盛り上がるストーリーと逆に一瞬だけ静寂が訪れるこのシーンが、ミサトと加持さんの例の直接的なシーンよりも大人の世界に見えて、
14歳のあの時から今に至るまで消えない記憶として残っている。
私は報われぬ恋をしている日向くんに、ミサトではなく正面を向いてひとりごとのようにそっと告白する彼に、恋をしたのだ。
そんな日向くんは新劇でも登場はしたものの、TV版や旧劇で見せたミサトへの恋心を表に出すことはせず、
新劇だからあの片思い設定もなくなったのか、ま、尺の問題もあるだろうししゃーないな、と思いつつ見ていたところの、今回のシン・エヴァンゲリオンだ。
物語終盤で特攻するためにヴンダーに残るミサト。彼女を一人残して脱出ポッドに乗るクルーたちが映る。画面右に日向くんもいた。
そのシーンで残ったミサトを思い、自分も残る、と言ったのは、日向くんではなくQから登場した新キャラの長門っちだった。
いやいやいやいやいやいや、ちがうだろ、いや、ちがうだろ。そこは日向くんでしょう。そのセリフを言うなら日向くんでしょう。
画面にいるじゃん、長門っちの右にいるじゃない。いや、長門っちも思わぬ感じでいいけど、
でもそこに日向くんがいるのよ、なぜ彼がそのセリフを言わないの?
いや、新劇はTV版とも旧劇とも関係ないから、この世界線なら日向くんはミサトのこと好きじゃないしそんなセリフ言わない、ってことかよと一旦は自分を納得させた。
が、その後私を待ち受けていたのはTV版も旧劇も貞本漫画版すらもすべて包含した、完全なるエンディング。
繋がってるのかよ!!!!TV版と!!!!旧劇と!!!!!お帰り惣流の方のアスカちゃん!!!!
だったら日向くんの恋心はどこいったの?なぜ、彼にこそミサトのもとに残りたいというセリフを言わせてくれなかったの?
日向くんはね、ミサトが加持さんとの間に子供生もうがなにしようが、もうそういうのに左右されないんですよ。
そんなことはとっくに受け入れて覚悟して、仕事に生きるミサトを部下として支えていこうって決めて、ネルフからヴィレまでずっとついてきているんですよ。
彼女も作らず結婚もせず、日々仕事(というには壮大だな)に忙殺されながらも、ずっとそっとミサトを見守ってきたんですよ。
あのバイザーをつけて髪形を変えて自分を捨てて頑なに艦長として生きざるを得なかった14年間のミサトにずっと寄り添ってきたんですよ。
加持さんが死んでミサトは一人になったけど、そこに付け入るとかじゃなくてただそっと寄り添ってきたんですよ、メイ見たもん!!!
もうおっさんになってプラグスーツ着るの恥ずかしいだろうに、がんばって着ちゃうくらい覚悟決まっているんですよ。
(完全に余談だけど予告編でプラグスーツ着るシーン見て鼻血出たよね)
なのに最後の最後にすら、日向くんに思いを語らせてあげないなんて。そのシーンが無いならともかくあるのに!なんで!
見終わった後、エヴァがこんなに見事に完結した余韻と、その中で唯一成仏しなかった日向くんの恋心を思い、私は虚脱状態になった。
そしてこのエントリーを書くことでやるせなさを供養しようと思っていたのだが、はたと気づいた。
叶わぬ恋だからかもしれないけど、決して自分の気持ちを押し付けることはなかった。
だから今回、ミサトの意思を尊重して脱出することこそが、彼の愛をそっと示す行為だったのではないか。
一緒にいたいとかそういう意思表明をするなんて表層的なことではなく、もっと深い部分で愛しているからこそ何も言わず、指示に従い下船したのではないか。
14年前からこの時までの長い時が、彼の恋を愛に変え、その最終的な結実があのシーンだったのではないか。
「日向くんが何も言わない」というシーンを見せるために、敢えて他のキャラにセリフを言わせたのではないか。
日向くんの恋心は消えてなんかいなくて、ちゃんと成就したんだ。
私が好きだった、他の人を好きな日向くんは、ちゃんといたんだ。
・特に村での暮らしはファンサービス満点で、大人になった同級生に
慰められるあたりは結構感動した。
レイは凶暴な女(リリス)じゃなくなったけど村編が良かったならポカ波で別に良かったのでは感
パヤオも「エヴァンゲリオンみたいな正直な映画を作って何もないことを証明してしまった」って言ってたけど
庵野以外がメンヘラが健全な関係作れる訳ないじゃん(anond:20210310172852) したら大炎上だったと思う
==================
宮崎:(前略)庵野の最大の取り柄は、正直に作ることだと思うんだよね。
いいながら色んなスタッフが引っ張ってきた設定集みたいなものに
承認印を押して、公式化していくフローを観ていくような映画だったな。
特に後半。
・特に村での暮らしはファンサービス満点で、大人になった同級生に
慰められるあたりは結構感動した。
・保守的と言われようとも、大人になることをきちんと丁寧に描いていた。
・とはいえ、新劇はアスカとレイのキャラが旧劇と違い過ぎていて、
ずっと違和感が拭えなかった。シンでも結局……
・アスカ:PTSD少年の口に無理やりレイション捻り込んだり、そっくりさん死ぬのを
黙ってみてたりとか、ツンデレじゃなくて単に非人道的なだけでは……
・アヤナミ:どのアヤナミも「知能にハンディキャップがある方」になっていて
受入れがたかった。母の面影を持つミステリアスな少女はどこに……
保守的な結論であっても、丁寧に人間を描こうとする意思を感じた。
(たとえそれがテンプレであってもある個人が確固たる意思を持って
・Qでの投槍回収タイム始まる。
何故、ニアサーの原因シンジくんにされてるのか(みんなのやりきれない思い
何故、ゲンドウは……
何故、梶さんは……
何故、……
何故、……
何故、……
NAZE、……
・でも、こっちとしてはそもそも庵野さんがQで投槍したからじゃねえっすかみたいな。
・ここにきて「俺が責任取るから」って言われても、まあ、そりゃそうでしょとしか。
・最後はシンジ君が真のパイロットになって世界からエヴァを無くすEND。
→最後にまどかちゃんが真の魔法少女になって世界から魔女を無くすENDを
10年前に見た俺らとしてはよ……?
・真希波 ENDってやばくね?DQ5の公式嫁がデボラに書き直されたのと等しい。
・アニメーション映画としてやっちゃいけなかったのでは?という箇所多し。
→シンクロ率∞パーセントを言葉で説明(見た目は破のエヴァ初号機のママ)
→などなど
・「もうエヴァ待たなくていい」「庵野さん本当にお疲れさまでした」「これで終われる」「ありがとう」
という気持ちが溢れてきたのは確か。
・でもそれってどうなの?まず「面白かった!」かどうかが大事なのでは?普通に考えて。
・とはいえ60歳の色々と背負っているおじさまに30歳後半の大人が、様々なものを仮託するのも
もう色々ときついし、無茶だし、適当ではないので、とにかく「お疲れ様でした」という感じ。
シン・エヴァンゲリオン。
その風景がかつて数年通ったあの村にそっくりだった。うん。そっくりさんだ。
港は壊滅的なダメージを受けていた。コンクリートの建物がごろりごろりと転がっている。
海に向かって破壊された巨大なケージのような建物があった。漁船に氷を積み込む基地だったという。
そこから見る海はどこまでも澄んでいた。漁師のお爺さんもこったら綺麗なのは見たことがねえという。
集落から離れて、ぼろぼろのガレージで暮らす人もいたなあ。。。
慣れた土地から離されてくしゃくしゃに集められ、無理やり仲良く暮らしていた。
そこに訪ねていくと、大人も子供も津波がどんなだったか・・・を話し続けるのだった。
僕のせいで津波が来た、私のせいで街が壊れたという子供がいた。
何人もいた。なぜかそのように強く信じているんだ。
津波ごっこにキャアキャアと全力疾走で遊んで、ふと俺のせいなんだっていう。
何もしゃべらない人もいた。
どろだらけになって植えていった。さすがに機械だったけど、はじっこの方は手で植えた。
水と風の青いにおい。ずーっとおしゃべりしながら笑いながら。
そして疲れるとおにぎりやおかずを山盛りにして食べ、昼寝をした。
ただ何度かおじゃましただけの村。
今はもう解体されてない村。
シン・エヴァンゲリオン。
その風景がかつて数年通ったあの村にそっくりだった。うん。そっくりさんだ。
港は壊滅的なダメージを受けていた。コンクリートの建物がごろりごろりと転がっている。
海に向かって破壊された巨大なケージのような建物があった。漁船に氷を積み込む基地だったという。
そこから見る海はどこまでも澄んでいた。漁師のお爺さんもこったら綺麗なのは見たことがねえという。
集落から離れて、ぼろぼろのガレージで暮らす人もいたなあ。。。
慣れた土地から離されてくしゃくしゃに集められ、無理やり仲良く暮らしていた。
そこに訪ねていくと、大人も子供も津波がどんなだったか・・・を話し続けるのだった。
僕のせいで津波が来た、私のせいで街が壊れたという子供がいた。
何人もいた。なぜかそのように強く信じているんだ。
津波ごっこにキャアキャアと全力疾走で遊んで、ふと俺のせいなんだっていう。
何もしゃべらない人もいた。
どろだらけになって植えていった。さすがに機械だったけど、はじっこの方は手で植えた。
水と風の青いにおい。ずーっとおしゃべりしながら笑いながら。
そして疲れるとおにぎりやおかずを山盛りにして食べ、昼寝をした。
ただ何度かおじゃましただけの村。
今はもう解体されてない村。
シンエヴァンゲリオンを見た。
最後の結末を見て、エヴァンゲリオンはスターウォーズになれなかったという結論に至った。
エヴァンゲリオンとスターウォーズエピソード6との類似点は父子との対決だ。
スターウォーズは、父親であるダースベーダーのアナキン・スカイウォーカーは子のルーク・スカイウォーカーと対決する。
シンエヴァンゲリオンは、父親である碇ゲンドウが子の碇シンジと対決する。
どちらも対決するという点では同じなのだが、結果はまるで違う。
この父子に歴然とした力の差があるのだ。
これでは父子において大事な要素である父を超えるということができない。
現実世界の東京においては、超える必要など全くない父子関係における父を乗り越えるという儀式。
碇ゲンドウは劇中で言っていた。父子同士戦うという行為、これは儀式なのだそうだ。
もしシンジがルーク・スカイウォーカーだったらどうなっていただろうか。
碇ゲンドウが発する挑発に激情し、右手を吹き飛ばしていたに違いない。
スターウォーズでは、ルークが父の善性を信じることによってアナキンを改心させた。
シンジは対話をし、その後の改心のためゲンドウを理解しようとする。
だがそこまでである。ゲンドウはひとしきりしゃべった後、退場してしまう。
当たり前だ。父子が対話で乗り越えられるなら、ルークとアナキンも戦う必要はなかった。
ゲンドウは改心することなく消え、シンジは父のやったことは自分が責任を取るというのだった。
スターウォーズはどうだろうか、アナキンは改心し、自分の命を顧みず息子を守り、敵である皇帝を倒す。
もしシンジがルーク・スカイウォーカーだったらどうなっていただろうか
「僕にユリはいらない。僕は大人だ、かつて碇ゲンドウという人間が大人がだったように。」
ゲンドウはシンジが自分を上回る大人になったこと、そして自分が子供になっていることに気付き改心する。
エヴァ見てきたから感想みたいなのを色々見たけど言いたいことがある。
あれはマリエンドじゃないでしょ。
ゲンドウの回想で出てくるマリは単に陽キャで、心を閉ざすゲンドウに声をかけたのはマリ、ユイを紹介したっぽいのもマリ。
親しい異性(女性)を付き合っていると考えるのは中学生かオタクくらいだろう。
そもそも旧劇から変わらずオタクの価値観に還元することを避けたい意図が伺えるのに「マリエンド」みたいなオタクの価値観でまとめてしまうのはどうなんだ。
ブクマの人とスターの人があんまり重複していないってのは今まで語られてこなかった知見じゃないかな
人気コメントの選択アルゴリズムがそろそろ変わるらしいので変わったらまた見てみたい
長かった10代の終わり、エヴァが想い出になった日。(『シン・エヴァンゲリオン劇場版』感想 ※ネタバレ注意)|祥太|note
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/shota_/n/n851f4b3faec1
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このエントリの場合、全ブクマにまんべんなくはてなスターを付けているスター屋はいなさそう
ブクマせずにスターのみ付けていったユーザーは114ユーザー、今まであまり論じられているところを見たことがない層だが結構多い。非公開でブクマしてる可能性はあるけど。
なぜ日本企業だけ「テレワークによって生産性が落ちる」のか? その根本的な理由(加谷 珪一) | 現代ビジネス | 講談社(1/4)
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/gendai.ismedia.jp/articles/-/80990
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ブコメ率37%
ブクマせずはてなスターのみ付けたユーザーが289とこちらは結構な比率。
こちらには新しいブコメまでまんべんなく目を通してはてなスターを付けるスター屋さんがいる。10人ほどか、初期ブコメが除外(力尽きた?)されているスター屋さんも含めると更に多い。
セルフスターを付けた方は時間的にあとからブクマした方で人気コメ戦線に絡んでくるようなスター数ではなかった。
主婦が運転中に心肺停止、すれ違いざまに車内見た男性が停車させ心臓マッサージ(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/articles/9b16ce8fb661f4a0f65ee609df31ed2d3105aa81
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ブコメ率45%はわりと高いほうなのかも。
全ブコメにまんべんなくはてなスターを付けたユーザーはいない。前半1/4くらいまでのブコメにまんべんなくはてなスターしたってユーザーは1人いた。
稲田氏、「森友訴訟」に出廷記録 大阪地裁が作成、答弁矛盾 - 共同通信 47NEWS
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/this.kiji.is/214065793666072577
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以前から同じ傾向だったかを見るため4年前、2017年の記事。
何も言わずに女性が自分のことをどう思っているか簡単に調べる方法 − はてな匿名ダイアリー
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20150312110948
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下衆な増田にツッコミを入れる会場になっているが、スター工作は発生し無さそうなジャンル。
ネットがある種の人々から奪ったもの − はてな匿名ダイアリー
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20130313174126
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2013年。人気コメントができて2年経過後。今と似たような感じにすでになっている。
声優の三石琴乃さん「業界の状況はかなり厳しい、ギャラの安い若手ばかりが使われて、大御所が呼ばれないんです 」|やらおん!
https://b.hatena.ne.jp/entry/yaraon.blog109.fc2.com/blog-entry-1884.html
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2011年。人気コメントができて1ヶ月半経過。数こそ少ないものの今の雰囲気とにている気がする。当時のブクマやスターは消えたのもあるだろうからどれだけ当時の様子が残っているのかわからないけれど。
スターのみ付けて満足できる人は当初から居たのは確かなようだ。そういう人はブクマは一切しない人なのだろうか、それともその記事はブクマに値しないと思ってスルーしただけなのだろうか。
人気コメント欄ができる前の2011年1月2月ごろのエントリを見るとスターが付いているコメントはかなり少ない。
カラースターはJSONの深いところに別途格納されていてカウント外だった。あっても2個くらいだったので影響はほとんど無い。
ファンにとってそうじゃないってのは分かるよ?意地でもつまんなかったなんか言わないでしょ。
成仏したとか言ってる奴はただの信者なわけ。「何で庵野は俺たちを救わなかったんだ!!!」って方向に振り切れちゃった狂信者もいるみたいだけど、その人達の方がこの作品の凡庸さに向き合ってるだけまだ誠実だと思う。エヴァのことは神格化しているけど、シンエヴァのとこは神格化してない。
世間一般の人にとっちゃ「現実は大事」「現実もいいもんだ」「向き合ってみよう」なんて無茶苦茶当たり前だし、何の目新しいメッセージでもないよね
アニメ業界でだって富野とか宮崎駿とかが散々そんなこと言ってそうじゃん。
社会から隔絶されてるオタクやアニメ監督にとっちゃ驚きの新事実なのかもしれないけど、普通の人がこんなん言われても何言ってんだコイツ??ってなるだけ。
普通の人は、鬼滅の映画見てあー面白かったねご飯食べに行こ、って物語を物語として楽しんでさっと現実に帰っていくんだよ。そういう意味じゃ鬼滅の方がよっぽど良くできてる。カッコいい人がカッコよく活躍して、泣きの要素もあって、別に観念じみてもいない。誰でも楽しめる良い作品だ。
エンタメとしても退屈、作品としても凡庸なんよ。映画館も張り切って何回も上映してるけど、悪いこと言わんからすぐ鬼滅にリソース戻した方がいいと思うな、この映画絶対売れない。
ネタバレないあるよ。
ネタバレあるないよ。
「気持ち悪い」 終劇
覚えているだろうか?
知らない人もいるかも知れない。
LCLの海に染まる世界、最後に残ったエヴァパイロット、ATフィールドにより世界との融合を拒んだシンジとアスカ。
世界の全てを拒絶し続けたシンジはアスカにまたがり彼女の首を締める。
そのシンジの姿を受け入れるアスカと、そのアスカを受け入れられないシンジ。
拒絶し、拒絶し続けた二人、死による最後の拒絶を選んだシンジと、死の受け入れによる受容を選んだアスカ。
それに戸惑うシンジは手を緩め、それを受け入れがたいアスカはシンジに「気持ち悪い」と吐き捨てその場を去る。
受容されることを拒絶するシンジと、拒絶されたことを受容するアスカ、世界に残った最後のATフィールド。
それが嘗てのエヴァンゲリオンの終わり。
新しいエヴァンゲリオンはそれを乗り越える物語として費やされる。
終わりを拒絶した世界を描いた序
繰り返すを拒絶する破
変化することの報いを描くQ
終わりの受容を描くシン
破において起きた最大の事件はシンジの変化だと言われるが、それは片割れに過ぎない。
嘗ての反対に首を締められるシンジ、シンジはアスカを受け入れない。
だが拒絶もしない。
シンジは選ばない。
「気持ち悪い」
シンジはまだ変わっていない。
あの時の答え、受け入れるか、拒絶するか、殺すか、生かすか、それをシンジはまだ選ばなかった。
それは「気持ち悪い」の先をこれから描くという監督の宣言だったのだ。
そしてQ、シンと描かれるのはシンジが「選択」を始めた世界だった。
「選ぶこと」を世界は求める。
「エヴァに乗れ」
「エヴァに乗るな」
「受け入れろ」「拒絶しろ」「選べ」
ってことに気づいたの全部観たあとだったよー。
くっそー3号機のシーンなんてトウジのことばっか考えてて旧劇の再現だなんて気づかねえよ!
でも言われたらそれしかねえわ。
スタッフロール中に「うわああええええエウレカーーーーーやられたーーーーー俺気づくのおせーーーー」となったわ。
いや完全におせーよ10年おせーわ。
なんで?
気づけたじゃん?
冷静に抜き出したらバレバレやんけ!
3号機に気を取られすぎてたわ……くっそー3号機かっけーからなー色も黒いし