はてなキーワード: 間抜けとは
この点がずっと不思議だったけど、やっと納得いく理由が浮かんだので、長文だらだらと書いてみる。
・「野党4党は籠池氏と手を組んでる、グルだ」という印象を振り撒くこと
だったのだと思う。
特に、有権者へ「野党=悪者の籠池氏とグル、共犯者」というダーティーイメージを抱かせて、解散総選挙で勝つことが一番の目的。
以下、そう考えた理由
籠池氏の証人喚問は、それまでずっと自民党は参考人招致にすら慎重だったのが、一挙に全てひっくり返る形で唐突に決まった。
この決まったタイミングは、3月16日に参院調査会と野党4党が籠池氏の自宅を訪問して話を聞いた数時間後のことだった。
証人喚問が決まるまでの国会では、総理夫人の昭惠氏が小学校の名誉校長である上に、
籠池氏は安倍総理と稲田大臣と同じ日本会議の役員だったから、安倍内閣は籠池氏と同じ側としてずっと防戦一方の立場に置かれていた。
これは完全な推測だが、そこで3月16日に野党4党が籠池氏を訪問したテレビ映像を見て
野党は悪者で、総理である自分や夫人の昭惠は被害者で正義の側という構図にして、一気に攻守逆転できる!」
と閃いて、いきなりの証人喚問を決定したのでは。
自民党の西田議員と葉梨議員が行った質問から、野党に関する質問をピックアップする。
「あなたは、3月16日の予算委員会調査のあと、野党議員だけを自宅に集めて話しをした。これ非常に中身がわからない。
なぜ野党議員だけを集めて、そこで話をするとかいうことをされたのか。
なぜ予算委員会とか、もっと開かれた場、与党側もそうだが、野党議員だけではなく。
ここ私は非常に私は疑問を、不透明感を感じる。なぜ野党議員だけだったのか?」
(籠池:私が招いたわけではないので、私にはわからない)
「あなたが国会でお話ししたいという事を最初におっしゃられたのは、3月16日に大阪で4人の野党議員と面会したあと。
(籠池:私が招いたわけではないが、ハシゴを外されて大変なことになっているという事は話した)
「そのときに4人の国会議員から、籠池さんの学園を応援したいとか相談にのりたいとか、そういう話を誰かしたか?」
(籠池:記憶にございません)
「国会で籠池さんが説明することについて、何らかの示唆はその4人からあったか?」
(籠池:今日の証人ではないが、参考人として出させてもらってもいいという話はした)
(籠池:あうんの呼吸)
「籠池さんの方から積極的に出たいというわけではなく、阿吽の呼吸、
相手は出てほしい、こちらとしても出てもいいかなと、そういうことと解釈していいか」
(籠池:おっしゃる通り)
「そのときに、籠池さんが捜査対象になったとか、そういう話は無かったか?」
「大阪府から監査を受けることについての、危惧をしているという話はあったか?」
(籠池:はっきりと覚えてないが、身の回りのこととしてそのような話はした気がする)
「その話については、何か反応は?」
(籠池:特段ございません)
「それはまさに忖度という事で、特に何の反応もなかったという事でよろしいですか?」
(籠池:おっしゃる通りです)
「じゃあその点についてはまた、あのー、議員の方もいらっしゃる訳ですから 関係者もいらっしゃいますので、
しっかりと確認していただいたほうがいいのかなあ というふうに思います。
以上の通り、自民党議員は二人とも、野党との会合について繰り返し聞いている。
それも、さも鴨池氏と野党議員の間に何らかの陰謀の相談があったかのように匂わせつつ。
これらの質問は、籠池氏の行為の法的な問題点や事実追及からは外れた間抜けな質問のように受け止められており、要旨まとめからも省略されていたりするけれど、
質問の目的が、特に「籠池=犯罪者で、野党は籠池とグル(共犯)だというレッテル貼り」を目的としていたとするならば、全て説明がつく。
特に葉梨議員の質問などは完全に共犯者を聞き出す時のそれで、気付きにくい形で「忖度」という言葉を入れていたり
相手の話は聞かず、事前に決めた「ストーリー」だけに沿ってそれに使える言葉を誘導しようとする、冤罪事件で問題視された警察や検察の取り調べ方法のように映る。
テレビや新聞の画像からは、籠池氏を何らかの罪で逮捕・起訴することが最も効果的。
だから、偽証罪で告発するために証人喚問だったのだと思う。(本来の目的である、事実の解明のためでも 法的問題の議論のためでもなく)
特にテレビでは、証人喚問の日までの報道は、殆ど籠池氏一人だけが悪人かのような報道だったので
「籠池氏、〇〇罪で逮捕!」「いま警察の車で××警察署に到着!」
NHKニュースしか見ないような普通のおじさんおばさんは、裁判での証拠とか推定無罪とかなんて考えずに
やっぱり籠池氏が悪者だった、と疑いもせずに終わっていたと思う。
こんな状況になれば、解散後の選挙活動で街頭演説やチラシ配り等の会話時に
「籠池さん?やっぱりとんでもなく悪い人だったわねえ。
昭惠さんと安倍総理はあの籠池に巻き込まれた被害者だったのね、かわいそう。
え、民進党や共産党などの野党はあの籠池氏とグルだったの?やっぱりねえ・・」
など、「野党=悪者、安倍総理夫妻と自民党=正義(少なくとも被害者)」の構図を作って、野党に対して攻勢で進められる。
ただ、当日に籠池氏が挙動不審にもならず淡々と回答して悪人らしく見えなかったことに加えて、
内容面では証言どころかFAXという総理夫人関与の物証が示されるなど 反論どころか手痛いカウンターパンチに遭ったために、
結果として自民党側の目論見が崩れているだけの状況では。
(この視点は、弁護士や元政治家など法律や国会のプロも気付いてない気がする。
事実の解明や法的問題点の検証といった本来の目的からかけ離れ過ぎてるから・・なのか?)
いま総選挙をすれば、衆院の任期は2021年春以降までになるので
「2020年の東京オリンピックまで衆院選の心配をせずに、首相を続けられるようになる」
他にも、総選挙をすることによって
・森友学園やスーダンPKOなど不祥事の禊ぎ(を済ませたと言い張れる)
安倍総理は、以前から東京オリンピックまでは絶対に続けたいと 並々ならぬ思い入れを示しているから。
実際に週末に入ってから、解散総選挙の話が出たり、籠池氏の代わりに野党の辻本議員を悪者にするようなイメージ戦略が出てきている。
安倍総理には、実際に「菅首相の海水注入デマを振り撒き、次の総選挙では政権交代を実現した」という”ポスト真実の成功体験”もあるから、事実無根のデマであっても躊躇する事はなさそうだし・・
いわゆる『自称オラオラ系』を愛そうと試みて三ヶ月が経過した。
ちなみにこの自称スタンド使いとは以下と以下に近いの発言をする人々をやんわりと含む。
「裁くのは俺のスタンドだー」「やれやれだぜ」「間抜けは見つかったようだな」「オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラー」
この手の発言をされると、そこそこ好印象を抱いていた人物に対しても熱がヒューっと下がるようにウンザリしてしまうので、
そっと距離感をとるように心がけて生きてきた。
何故なら、このセリフを吐く奴のスタンドは近距離パワー型だから。
だが20過ぎてこれを主張するのは、近距離パワー型のポジションを自称して置くことで実は過剰なスタンドとしての性を意識している他ならず、
その過剰な自意識が見ていて痛々しい。何故そこまで、自分の本質を客観視できないんだ…。
で、かなりの高確率でオラオラしてるやつは他人なり身内なりとすぐモメる。
で、「こんなおれにも はき気のする「悪」はわかる!!「悪」とは てめー自身のためだけに弱者を利用しふみつけるやつのことだ!!」とかいう。
吐き気のするって言ってるオメーが一番吐き気のする要因なんだよ、とは誰も言わない。みんな大人だから。
そうやって、自称スタンド使いは自分がさらにスタンド使いだと盲信を深めていく。
だが、とある日ふっと
親の仇のごとく自称スタンド使いを蔑んでしまうのは、自分にも近い部分があるからではないのか。
自称スタンド使いによく分からない因縁つけられ絡まれたりした経験もあるからだと漠然と思っていたが、
もしかしたら自分の中に『自称スタンド使い』と同じ魂というか、近い性質を抱いているので、
ここまで無邪気という名のアケスケの下に、スタンド使いを名乗れる彼等がどこかで羨ましいのではないか。
彼等はある意味本物の〝天然〟だ。
全くオラオラなどしていない、むしろ花京院っこい性質全開なのに、自分を合理的と称し得体が知れない「男脳」と名乗れるほど。そんな自分をつゆほども疑ってはいない。
魂は限りなく自由だ。
そんな姿を見ていると、自分がもしかしたら…万が一その橋を渡って彼岸に行ってしまうのではないか…または既にそう他人から思われているのではないか…と恐れ、
身震いし、彼等を憎んで蔑んでしまうのではないだろうか。
一大決心をして、その手の人を憎むのをやめてみた。
たまたま仕事で知り合った自称スタンド使いの海洋学者(同い年)と積極的に距離を詰めてみた。
飲みにも行ってみた。
「酒飲めない女の子には、きつすぎるぜ」
みたいな痛々しい発言にも、穏やかに微笑んだ。
一緒にディオに挑んでボコボコに殴られた彼をとりあえず何とか救急車に押し込んだが、その後どうやら救急車内でディオの血をジョセフに輸血したらしい。
彼はスピードワゴン財団で身柄を確保され、超特急でホリィの元へ帰ることになる。
「てめーは俺を怒らせた」
でもLINEブロックしていただいて、むしろものすごくホッとしてる自分がいる。
人を愛しぬいて得た結論だ。
清々しい朝だ。
農村部に住んでいると、鹿を身近に感じる。
夜中に道を走ると、数頭単位の鹿を300メートルおきに見ることができる。
そうなると、車道に飛び出る鹿と乗用車の衝突事故が頻繁に起こる。
まあ、それはいいんだけど、鹿は横を通り過ぎると気にもせずに草を食んでいるが、こちらが減速して止まると慌てて走り去る。
このとき、山道だと、片方は山林、片方は崖になってることが多いんだけど、鹿は頻繁に崖のほうにも逃げていく。
具体的にはガードレールをひょい、と飛び越して崖から落ちていくのだ。
暗闇であり、ライトの範囲外は見えないが、あれは結構死んでいるんじゃなかろうか。
野生は、とか言われるけど、こんだけ生息密度が高いと、結構間抜けな奴もいて、浅い川で溺れているとか、低い段差から落ちてとか、側溝にはまり込んでとか、蔓に絡まってとかいろんな死に方をしているのも見かける。
ちなみに、鹿の死体はすぐに浚われて消える。
カラスや野犬、いちばんはイノシシであるが、山で倒れた鹿は他の生物に食われ、数時間のうちにばらばらになる。
ちなみに、最初に目玉、次に肛門が食われ、それから腹が破られる。
足の先はカラスが持っていくことが多く、いきなり空から降ってくることもある。
分解途中で出くわすと、頭から胸のあたりが残っていることが多い。
男性も子育てに参加すべきとかしようとか言われて久しいが、いざ参加すると想像以上に女性社会であることを実感する。
保育園に行く⇒ママたちは賑やかだが、男性には挨拶しないだけでなく基本的に無視。おばあさんたちに至っては、なんでこんなところに男がいるの、とばかりににらみつけて来たりする(実話。というか、待機児童がゴマンといるきょうび、祖父母が近くに住んでいる家庭は入園基準の点数が低くなるはずなのになぜかおばあさんたちの送り迎えは多い)。「ママバッグ入れ」とか書いてあるし、パパバッグ入れはどこよ。
リトミック等に行く⇒「ママと手をつなぎましょう!」と言われてもママじゃないし、「みんなで手をつなぎましょう!」と言われても(当然だけど)隣のママや女性講師の方と手をつなげないから一人で突っ立っていて間抜け。
病院・クリニックに行く⇒待合室に置いてある雑誌は女性向けか子育て物だけ。後者も女性向けの記事しかない。パパたちが来ることも多いんだぞ。
親の付き合いもママたちだけ。LINEのやりとりは参加させてもらえないから、子どもたちの交友関係もよくわからないし、流行っている病気などの情報も共有できないし、懇親会の誘いも来ない。
学校の説明会・懇談会・PTA会議⇒基本的に平日だから行けない。専業主婦かパートとか時間に余裕のあるママたちだけの集まりになるし、彼女らがPTA行事の日程を決めたりするから仲良しグループの集まりになるだけ。たまに行けても挨拶も話もろくにしてもらえない。
連絡網で電話が来る⇒いきなり「奥様はいらっしゃいますか?」とか「奥様に伝えていただいてもいいですか?」とか聞かれるし、ひどい時には「奥様いらっしゃらないんですか、それなら私が次の人に電話しておきますね」とか無能扱いされる。男じゃ用件がわからないとでも思っているのか。
自治体のパンフレットも「ママたちのお悩み相談」とか「先輩ママに聞いてみよう」とかそんなのばかり。女性相談員常駐とか。パパたちだって苦しんでいるし、先輩パパに相談したいんだよ。
それでも負けじとしつこく挨拶をしているが、結構折れそうになるし、正直鬱気味だ。パパたちは孤立しやすいんだ。何が職場での女性差別だ、女性だって男性を差別しているじゃないか。
金曜日の19時。仕事終わりのサラリーマンで賑わう繁華街の外れ。
待ち合わせ場所に現れた女は写真で見ていたのとは全くの別人で、ゆうに80kgはあるだろうと予想された。
いかにも慣れた様子で「行こっか」と歩き出した彼女の後ろを僕はひどく惨めな気分で着いてゆく。
「経験が少ないです!」と言っていたのは本当にこの女か? 「よければドライブでも行きましょう!」と言っていたのは本当にこの女か? この女は本当に22歳なのか?
訳もわからず腰を振った。どこか自分を俯瞰的に見ている自分がいて、なんて間抜けな姿なんだろうと思った。
女はすぐに帰って行った。さようなら、僕の1万8千円。
やりきれなくて飲めもしない酒を飲んだ。がぶがぶと飲んで、気付けば23時半を過ぎようとしていた。
週末の最終電車に青白い顔で乗り込む。飲み過ぎで気分が悪い。
なんとか座席に座って周囲を眺める。同じように飲み過ぎたサラリーマンが、フラフラとつり革に掴まっている。醜い。
電車の揺れは心地良い。僕はこのままずっと目的地に着かなければ良いのにと思った。
0時を回る頃、最寄り駅に着いた。尿意を感じてトイレに駆け込む。
この駅のトイレはひどく汚くて、僕は極力使わないようにしている。この日も、小便器の周囲は誰かが零した小便で濡れていた。僕はその上に立つ。
隣の便器におっさんがやって来て、吐息と共にビチャビチャと小便を始めた。
思わず「汚ない小便しやがって」と呟いた。
小便に汚いも綺麗もないだろう。
次の日の朝は起きられなかった。
http://anond.hatelabo.jp/20170131111705
http://anond.hatelabo.jp/20170131113842
ほんとこれ
非表示ってのはあくまでもそれをする人(見たくない人)の都合のために用意されたものであって、される人に(それがどんな間抜けなコメントを書くような人であっても)影響を及ぼすことを企図した機能ではない。
日本のあらゆる面が「ミーハー」化しているけど、これって要するにポケモンショックならぬサブカルショックなのではないか。2011年からのつるべ落としの右傾化で、しかしまともだった時代の惰性で文化的だった日本人のうち、マイルドヤンキー未満の弱者を熱狂したのが、ミーハー文化だった。
2000年代当時は低俗さの象徴だったミーハーが、たぶんファミコン世代にとっては、団塊ジュニア世代にとっての「ガラケー」みたいな存在になっていて、要するにそいつらが人口が多く中年化して世の中に影響を大きく及ぼす中で、俺ら第一次サブカル世代すらも巻き込まれている流れが、これなんじゃないかと。
クールジャパンがこうまでおかしくなったのも部活動みたいな年齢主義の産物だったろうし、今のサブカルにふと「ヤンキー用語」が出てくるというのも、その流れを汲んだものだと思う。当然、そういうサブカルを好んでいるのも、オタクではない人たちだよね。ギャル文化や不良文化に青春をささげた。
彼らの「ツケ」を清算すべき時なんじゃないかな。そのミーハー世代、2000年代ってオタクでいえば電車男ブーム以降のサブカルの脱アングラ化と第三次サブカルの時代なんだけど、ミーハーの狭い都市部の小さなせせこましいサービスの中に閉ざした疑似オタク文化とは次元が違うんだよ。
本物のサブカルはパソコン的なグローバルスタンダードの規格に準じたものを用いて国境を取っ払って地球規模の共同体の構築を追求し、クールジャパンになったけど、「サブカルは疎いがミーハーに没頭したチンケな日本人」がいま早期老害化してる姿が、(ポスト)ヤンキーやギャルのうざったさだ。
なので彼らの消費者感と没歴史的感じが、まさに問題になっているゆとり・さとり世代にそっくりなのもしょうがないと思うし、こういうものを黒歴史にさっさと追いやることが、今のオタクやエリートがやるべき作業ではないかなとも思うんだ。
とにかく、本来であれば日本にはそのような文化嗜好そのものがなかった、ポスト消費社会、21世紀の象徴ともいえる「ポスト消費文化」というものが、20世紀の文化や2000年代の方がよほどかっこよく見えるレベルに間抜けさをプンプン醸し出していて、それを助長する側にいるのは、ほんとにどうかと。
エンジニアはビジネスに比べて優秀かと言われればそうでもない。
ビジネスをまともに考えることができるエンジニアなんてそれほどいないし、なんなら算数が得意であるエンジニアもそれほどは多くない。
でもエンジニアドリブンなんて言葉が生まれたりするのは一体全体なぜなのか。
今日の企業の多くにとって、一番重要なものはITシステムだ。企業が何か事業を行うときに、必ずシステムの変更を伴う。
1時代前ならば、それが人によるシステムだっただろう。だが、今はモバイルアプリであり、Webシステムであり、業務システムだ。
例えば何か仕入れて売る場合、その成果はコスト分を差し引いてどれだけ利益がでたかで考えるべきだろう。
では、システム変更を伴う企画の場合は、コストとしてシステム変更の開発工数も加味されるべきだ。更にいうと、運用・メンテナンス工数もだ。
本質的な企画の評価は、売上だけではなく、開発に関わる工数とのバランスを含めた数字でしか評価できない。
1000万売上があがるが、仕入れに2000万かかるのなら、そんなこと誰もやらないだろう。
だがしかし多くの人はこれらのコストや、開発速度はエンジニアの責任、及び能力だと思ってしまっている。
システムのコストはエンジニアの責任であり、企画側の責任ではないと思ってしまっている。
なんだったら、うちのエンジニアバグばかり出すし開発が遅く間抜けだともまで思っているだろう。
だが、企業全体の視点で見たときに、システムを動きやすい形に保つことはとても重要なことだ。
メンテナンスできないシステムを持つことは、役に立たない社員を大量に抱えたりすることや、社内政治が蔓延してしまうようなことに等しい。
システムをクリーンに保つことは、強い組織を作ることと同義だ。人よりもAWSのコストは圧倒的に安いのでそれ以上かもしれない。
最高の企画とはシステムの都合を加味したうえでの最適な企画だ。だから両方できる人間が考え作るのが本当は一番良い。
企画・エンジニアで分業をする場合、企画のクオリティはあがるが、往々にして受発注の関係になってしまい、システムの開発工数は軽視される。
エンジニアドリブンで行う場合は、企画のクオリティはさがるが、システム開発の効率性はあがる。
□
ヴェルサスから10年、やっとの思いでプレイできたFINAL FANTASY XV(FF15)に裏切られたような思いを感じた年末から年が明けて、なんとか自分を納得させられるようになってきた。
□
オープンワールドで仲間と過ごすのはとても楽しかった。いつまでも遊んでいたい、この時間がずっと続いてほしいと思った。事実それで3章までずっと進められなかったし、6章をいつまでも越えられなかった。
これから自分がゲームをプレイできなくなるから、もうクリアしよう、と思って、やっと年末年始に猫の手を借りてクリアした。
敬愛する父親は死んでいた。笑って送り出してくれたあの日にもう死ぬ覚悟を決めていたなんて、そうまでして自分を守ってくれたこと、そうまでしなければ守れないような無力な自分に憤った。
仲間にいきなり怒鳴られて意味がわからなかった。仲間が突然失明して、それについて聞けることのないまま時が過ぎた。敵の策略で、仲間を電車から突き落としてしまった。次に再会したとき、唐突に二フルハイム出身であることを明かされた。
ずっと会いたくて仕方なかった婚約者と触れ合えた時間は本当に短かった。守ってやれなかった不甲斐なさに歯噛みした。
それでも故国を歩むために進んできた。光の当たる世界を目指した。その結果自分の命を差し出せと言われた。失い続けて、最後に自分の命すら奪われなくてはならない。でもそうしたら愛した人のところにいける。信頼した仲間をすべて残して。
仲間に別れを告げて未来を託した。先祖の残した負の遺産を倒した。六神と歴代の王の力を借りて、代償に自らの命を差し出して。
プレイヤーがノクトの気持ちに寄り添うためにわざと情報を排したのだと聞いた。
ノクトはしかしプレイヤーの思いの通りには動かない。つらい運命を受け入れてしまった彼を私は受け入れられなかった。どうせなら、もういっそのことすべて自分にはどうにもならない運命だということにして欲しかった。
あと少し、あと少し何かが違っていたら。あと一歩のところでノクトの手をすり抜けていくハッピーエンドの可能性を呪った。
□
多分、これはFINAL FANTASYすらもドラゴンクエスト化しかねない思考なんだと思う。
なんだかんだと理由はつけるが、結局のところ私はFFに「安心感」を求めていた。素晴らしい技術力で美しい世界を、一歩先のゲームの未来を描きだし、そしてその終わりには誰もが認める大団円があるのだと。
そこを裏切られて腹が立った。掘り下げられないキャラクターたちにもどかしさを感じた。全ての情報は神視点であるプレイヤーには開示されるものだと。
でも、その手法を守り続けていたらFFのストーリーはガラパゴス化する。何があっても結局はハッピーエンドだとたかをくくられてしまったら、あとはもう進化を許されないブランドになる。
FFがいままで築き上げてきた信頼、とかいうものを語ろうとする時点でFF病になるだろうか。
□
なんだろう、FF病って。
ガラパゴスだろうか、FF病だからキャラクターのハッピーエンドを求めようとするのは。
プレイヤーは神の視点だからキャラクターすべてのバックグラウンドまで知りたいと思うのは奢りだろうか。
仲間とは皆腹を割ってすべて話せるほどの信頼感を得ていると思うのは傲慢だろうか。
そういう、プレイヤーの「甘え」に対して田畑ディレクターの出した答えがFF15だったというなら、正しく私は思い上がっていた心をこらしめられたのだと思う。
思うけれど。
どんなにピンチでもそれをひっくり返して強引なまでにハッピーエンドに持っていって評価されるFateシリーズ、プレイヤーに情報を開示することを許さずひたすら世界に翻弄され、最後にはそれ故に世界の破滅すら導くニーア、そもそもが仲間とずっと旅を続けていたいというワガママからはじまるFF10、魅力的なキャラクターたちのかっこいいエピソードからちょっと間抜けなエピソードまで楽しめるFF9、なんていう先達をあげて、FF15をなじりたくなってしまう私は、やっぱり己の描いたFFに固執しているんだろうな。
返金要求メールにテンプレメール返信が3回くらい続いててキレそうなんだけど、消費生活センターに相談もしてるし、返金された人も出てきたみたいだからちょっと希望が湧いてきた。
根気よくメールを投げつけつつ一旦休憩。
それはそれとしてだな、ツイのフォロー・フォロワーでかなり腹が立った発言を挙げていく。
・「エラー出てるのに連打する奴が間抜けでしょ」系の被害にあった人の知性をバカにして笑うマン
→間違って複数回課金したトラブルの大きな原因は「購入はキャンセルされました」というメッセージなので10:0ではないにせよ8:2くらい運営が悪い(断言)のを知ってか知らずかスルーして被害者を冷笑する、今回一番ムカついたクズ
・「数万円の損失で生活が揺らぐような奴はゲーム課金するな」系のありがたい説教を展開するマン
→それ自体は正論かもしれないが、運営の過失の問題にケジメがついてない段階でそこから話題をすり替えてわざわざ言うことかよメーン?
・「石付与されてるし将来分の課金と思えばいいでしょ」系の違うそうじゃないマン
→当たり前の話として誤った誘導で課金したお金は返せと言ったら返す必要がある。自分が石付与で不満ないからと言って他人に寛容になることを押し付けるな
・「過剰に返金返金言ってると被害者詐称した乞食が湧いてくるおそれがある」系の明後日の方向を心配してるマン
→仮にその手の輩が出てきて運営からお金を掠め取ったとしてもそれは運営の自業自得。
「乞食発生なし-救済漏れ被害者あり」と「乞食発生あり-救済漏れ被害者なし」なら議論の余地なく後者の方がいいに決まってるから、被害者はどんどん声を上げるべき
上に書いたようなことを目に見える範囲で言ってた奴らは""""覚えた""""からな。夜道気をつけろよ。
リアルマネーのトラブルに巻き込まれてる者はナイーブになってるから、そっちは何気ないツイートかもしれないがこっちはある意味運営より怨み骨髄に入ったし絶対に忘れんぞ。
ブラッディって何がカッコイイの?血なんていやだよ!痛いだけだよ!これのどこがカッコイイの?クレイジーのどこがいいのかわかんない!罪深いって何なの?罪があるの何がいいの!?犯罪者がカッコイイの?そもそも混沌って何!?カオス?だから何なの!?闇って何?黒ければいいの!?正義と悪だと何で悪がいいの!?何で悪い方がいいの?悪いから悪なんじゃないの!?右腕がうずくと何でカッコイイの?自分の力を制御できない感じが堪らないって、何それただの間抜けな人じゃん!ちゃんと制御できる方がカッコいいよ!立派だよ!普段は力隠してると何が凄いの?そんなのただの手抜きだよ!隠したりしないで全力で取り組む人の方がカッコいいよ!どうして二つ名とか異名とか色々付けるの?いっぱい呼び名があったってわかりにくいだけじゃん!英語でもなんでもカタカナつけないでよ!覚えられないんだよ!鎮魂歌って書いてレクイエムって呼ばないでよ!禁忌って書いてタブーって呼ばないでよ!聖戦って書いてジアードって呼ばないでよ!ギリシャ神話とか聖書とか北欧神話とか日本神話とか、ちょっと調べたくらいでそういう話ししないでよ!内容もちゃんと教えてくんなきゃ意味が分かんないよ!教えるならちゃんと教えてよ!神話に出てくる武器の説明されても楽しくないよ!グングニルもロンギヌスもエクスカリバーもデュランダルも天叢雲剣も意味不明だよ!何がカッコいいのかぜんっぜんわかんない!他の用語も謎なんだよ!原罪とか十戒とか創世記とか黙示録とかアルマゲドンとか・・名前が良いだろってどういうこと?雰囲気で感じろとか言われても無理だよ!相対性理論とかシュレティンガーのネコとか万有引力とか、ちょっとネットで調べただけで知ったかぶらないでよ!中途半端に説明されてもちっともわからないんだよ!ニーズとかゲーテの言葉引用しないでよ!知らない人の言葉使われても何が言いたいのか全然わかんないんだよ!自分の言葉で語ってよ!