はてなキーワード: 間抜けとは
終電間際まで残業。俺は疲れた顔をして家までの道のりをとぼとぼと歩いていた。
足取りは重い。帰ったところで、頬杖をついて指でカツカツとテーブルを打ち鳴らしている妻か、トドのように大口を開けながらいびきをかいて眠る妻しかいないからだ。どちらを想像しても、気が滅入っていた。結婚したてのころは帰宅時にいつも玄関で出迎えて笑顔を見せてくれたのに。5年目となるとしょうがないのか、と諦めている気持ちもある。
しかしながらそんな家にまっすぐ帰る気にもならず、かといって居酒屋に入って一杯引っ掛けるような気力もなく。
せめてもの抵抗、と、コンビニの角を曲がり、遠回りをすることにした。
もう3年近く住んでいる街なのに、まったくの他人のようなよそよそしさがある。
ふと油断するとすぐに迷ってしまうようなおそろしさがある。
歩いている間に日が暮れてどこにいるか分からなくなり、もう家に帰れない気がして母に会いたくなって、大声で泣いた思い出がある。
結局、近所のおばさんが発見して母を呼んでくれた。あのとき、めちゃくちゃ叱られたっけと思い出す。
そういえば焼き芋を食べたな。帰り道で母に手を引かれて下を向きながら歩いていたとき、焼き芋屋が通りかかったんだ。
間抜けで軽快なメロディーに顔を上げた俺を見て、「夕飯もうすぐだけど、買っちゃおうか」といっていたずらっぽく微笑んだ母。
新聞紙に包まった熱々の焼き芋を半分に割り、「熱いから気を付けてね」と俺に渡す。
泣き疲れていた俺は急に猛烈な空腹を感じて、焼き芋にかぶりついた。
舌を火傷しながら芋を食べる俺の隣で、母はぽつりと尋ねる。
「あんたが無事で良かった、お母さん心配したよ。どうしてあんなところにいたの?」
あのとき俺はなんと答えただろう。
そこから先の記憶が掘り起こせない。年をとるってのは悲しいものだな、なんて自分を慰めたところで見覚えのある建物までたどり着いてしまった。
ああ、どうか寝ていてほしい。
その瞬間目に飛び込んできたのは、パジャマにダウンジャケットを着込んで靴を履く妻の姿だった。
「……出かけるの?」
こんな時間に何の用で、と続ける俺の声を遮って妻が口を開いた。
「おかえり」
キャッチボールが成立してない会話に面くらった自分を見ながら妻は言う。
「LINE見てないでしょ」
「終電もとっくに終わってるのに連絡ないし。心配したよ。何してたの?」
その言葉に、パズルのピースがカチリとはまったような爽快感が全身を駆け巡る。
ああ、そうだ。あのときの俺はこう言ったんだ。
「冒険してた」
なにそれ、といって呆れながらも笑う妻の顔が、母と重なった。
1.役割が少なすぎる
多くのDamageは同時にFlank的な側面を持っているしまたAOEにより範囲攻撃を可能としている。しかしKinessaはほぼ直線的な攻撃しかできない為その役割は固定砲台+αで終わってしまい応用力に欠ける。応用力に欠けるとはすなわち活躍できない局面が多く存在するということであり結果として4vs5とも言える状態を定期的に引き起こす。
2.守りが弱い
スナイパーという性質上戦場に射線が通っておりかつ距離が離れている位置に潜むことが多くなる。その場合位置はある程度相手のFlankに把握されてしまうため簡単に回り込まれKillを取られてしまう。また接近戦においてKinessaの戦闘力は著しく低いため相手はKinessaの撃破後ほぼ無傷のまま自陣の裏側への侵入を完了する。これがVictorやCassieなどであれば同じ状況でも相手の体力を大幅に減らし撤退か低体力での特攻の二択を迫ることが出来る。
3.足並みを合わせられない
狙撃に適した位置を移動していくためペイロードの位置によっては遠すぎて死角の多い場所に立つ事になったり逆に前に出すぎて相手からの攻撃に晒されすぎることも多い。そのようなときに味方のTankはKinessaを守りきる事や援護を期待することが難しくなる。
とにかくKinessaは弱い。選ばれた段階で試合の負けが決まるとすら言える。その事を分かっているのか多くのまともなプレイヤーはKinessaを選ばない。そして一部のお間抜けなプレイヤーはチームに既にDamageが2人いる状態でも平気でKinessaを選ぶ。このゲームにおいてDamageは1人で十分だ。とはいえDragozなどのFlank的側面が非常に強いDamageがいる場合はもう1人をチームに加えることが可能になる。しかし3人はありえない。なぜならチームにはTank2人とSupport1人が必要だから。少なくともDamgeが2人いるなら残りはTank1人Support1人本職のFlank1人となるべきだろう。そこでKinessaを選ぶプレイヤーがいる。いるのだ。そうなると試合は本当に地獄を見る。あっという間に敗北して終わってしまうのがせめてもの救いだろうか。本当にKinessaは弱い。Kinessaを使うプレイヤーの頭も弱い。
なんでかっていうと簡単で、それぞれその時期にクソな人間が表舞台に立ちやすいから。
若い女は記号的な存在だからそこから外れる存在(要するに見かけが悪かったり、暗かったりする)は奥に押しやられる。
おっさんは社会的な地位を得はじめるから、そこに居づらい存在(見栄えが悪かったり、ファンキーだったり)は排除される。
若い女のなかでも飛びぬけてどうしようもないやつは大体すぐに結婚して消えるし
人間ってのは成長するもんだから、遅まきに思慮深くなったりする。
おっさんは排除されないが、その分明確に避けられるようになる。
昔は男友達と話すのが好きだったけど、今は女の人と話す方が好き。でも、それは俺が成長したからでない。
クソ女がやっとこさ同じ水準に立ち、思慮深い女が表舞台に立てるようになったからだと思ってる。
もちろん男友達がクソになったってのもある。
“社会的立場”だってよ。いままで放棄してきたものを、あっさり拾えるなんて思ってんじゃねーよってなる。
まぁ情があるから嗜める程度にするけどさ。考え方が甘すぎる。
それで老けていく自分の顔を見るたび死にたい気分になってしまう。ああいう風になってしまうのかと思うたび吐いてしまう。
意外と自分の顔ってのは世間に溢れていて、例えば鏡は勿論のこと、
免許証や社員証、記念の写真、夜になるとガラスなんかにも反射する。
とくに最後のは凶悪で、暗いところは暗く映るもんだから、余計に老けて見える。
電車で死ぬ奴が多いのは、構造上の問題、老けこんだ顔がそこらじゅうのガラスに反射するからでないか?
盲点だったというのが水面で、反射するのは分かっていても、先に透明だという概念があってよくない。
ふと見ると私の顔が浮かんでいるのだ。この前はコーヒーだった。慣れない喫茶店など行くべきでない。
良くなかったのは、ある程度飲んでから、私の顔が混入していると気づいたことで、
そんなものが胃袋に入っていると、まるで胃液にも私の顔が映っているように思えてトイレに駆け込んだ。
大便器はいけない、水が張っている。洗面台に吐き出した。鏡がないかと不安だったが、幸い治安が悪いらしい、
あったであろう痕跡のみで、悪しき銀板は撤去されていた。心置きなく私の顔を吐き出した。
それで、出したもの流して、知らぬ顔でさっさと店を出ようとしたが―考えれば当たり前の話だが―排水管は詰まっていた。
だから、排水管に指をつっこんで、かきまわしながら、少しづつ流していく作戦にでた。重労働である。
さっきまで自分の腹にあったものに手を突っ込んでいるのだから、気分は当然よくない。
そこに自分の顔が浮かんでいたコーヒーが混ざっていると思うとなおのことだ。
生命線やら結婚線やらに、今日食べたBLTサンドや私の顔が染み込んでいくのを感じると、
「このままでは碌な人生にならない」と「人間には他人に尻を拭いてもらわなければならないときもある」と、
そういう考えが浮かんできて、普段なら選択しないが、藁をも掴むとはこのことで、最良の判断と錯覚してしまった。
それで手を引き抜こうと思ったが、抜けない。指がはまってしまったのだ。
何度か引き抜こうと手を引っ張っていると、今まで混じりあっていた胃の残留物と水分が、物理の神秘で分離を始めた。
そうなると地獄である。私は吐しゃ物に手を突っ込みながら、それが凶器に変貌するのをただ眺めるしかなく、
完成された自然の鏡が私の顔を映し出すと、途端にもう一度吐き出してしまった。
それで、このままだと良くないのはわかっていたので顔を上にむけたが、一度のぼった半固体は私の胃に帰ることなく喉を上り下りした。
苦しくなって下を見るとそこには私の顔が浮かんでおり、今まで以上に老け込んだ顔には、何というか生命の危機を感じた。
そんなものを見れば、余計に具合が悪くなると、顔を上にむける。しかしむけると苦しくなって下を見る。それの繰り返しだった。
息を吸うのもゲロを出すのも困難で、吐しゃ物にまみれながら私はそこで気を失った。
どれほどたったのか、私はようやく落ち着いて、その場に座り込んだ。
なんとバカだったのか、老けようが昔の私のように、芯の通った人生を歩めばよいのだ。
それを、勝手な条件付けで、老けたら酷い人間になると思い込んでいたのだから間抜けである。
これじゃそもそも、記号的でない若い女を排除してきた連中と同じでないか、
取り敢えず上着を脱いで、カバンに入れ、そそくさと店を出ることにした。
振り返ると洗面台に頭を突っ込んだままの私の体があった。
http://d.hatena.ne.jp/shi3z/20161020/1476918294
NYに住んでる者だが、日本で話題だったので先週末日曜日にタイムズスクエアのAMCで観てきた。
別に会場は終始いたってずっと静かだった。ゴジラが下に火を吐いたシーンは迫力があったが、それ以外はだれも興奮していなかった。アメリカ人は普通ちょっとでもアガるシーンがあればオーディエンスがすぐに反応する。手を叩いたり、大笑いしたり、Hooo!と叫んだり。特に公開初週の週末ではなおさらだ。それがほとんどなかった。最後申し訳程度に拍手がパチパチあったくらいだ。
後ろに座っていたアメリカ人二人組は明らかに終始失笑していたし、トイレに立った際に出会ったアメリカ人は「ゴジラ(第一形態)がなんだかweirdだね」くらいの感想だった。子供は「ママ、ゴジラが全然出てこなかったね」と言っていた。
個人的な感想としては「よくこんな3流の映画で日本全体盛り上がれるな」ということだった。まあ日本にしてはマシな作品を作ったということなんだろうが、それでもあの盛り上がり、持ち上げは異常だ。
まず演技が下手すぎる。最初のだらだら続いた閣僚内の会議のシーンは学芸会かと思った。あの防衛大臣みたいな女性の間抜けなしゃべり方や、菅直人チックな首相役のおっさんの過剰な決断力のなさの演出、こういうキャラがいた方が面白いんだろと言わんばかりの半沢直樹に出てたへこへこするおじさんのキャラ作り。ギャグ映画としてみていいのかシリアスな展開を表現したいのかさっぱりわからなかった。アニメキャラにしゃべらせらば違和感はないのだろうが、「そんなこと普通言わねーだろ」というセリフと大げさな演技オンパレードで、小難しい単語を連呼すれば緊迫感がでると思っている演出と相まって、チープさがすごかった。なんか映画観た後で批評を調べたらあのあたりの前半の会議のシーンを「リアリティのあるポリティカルサスペンス」などと形容しているようだが、失笑ものだ。。24やHouse of Cardsの政府内のやりとりなどと比べて欲しい。
そもそも、「国にとって重大事が起きた時の政治の決定力のなさ」を描きたいのかもしれないが、そんなの東日本大震災の時に見たばかりなのでなんの新しいメッセージもないし、見ていてちっとも面白くない。あれだけ前半時間を使って視聴者にストレスをためさせたくせに、全然それを映画後半のシナリオで解決させていない。閣僚たちが死ぬシーンももっとちゃんと描くべきだし、いっそ国会を木っ端微塵にすべきだった。主人公の矢口の立ち位置も中途半端で、これまでの決断力のない日本の政治システムを変えていく毅然とした態度があったかというとそうでもない。むしろ、矢口チームがギリギリまで粘ったが結局国連に核爆弾を落とされてしまった、東京は再び焼け野原になった、これを機に本当に日本は変わらなければいけない、という展開の方が、中途半端にゴジラを停止させてしまうよりメッセージ性が際立って良かっただろう。
あとCGがひどかった。第一形態のゴジラは敵の雑魚キャラかと思ったし、笑えた。街が壊されていくシーンのCGも、ボートとかCG感丸出しでチープさがすごかった。予算がないのだろうが、それならもっと夜のシーンを増やすとか、工夫できる余地があったはずだ。最終形態になって夜に大暴れするシーンは格好良かったから、もっとああいうシーンを増やすべきだった。血液凝固剤を使ってゴジラを止めるシーンでは、絶対にゴジラがまた振り切って動き出すと思ったが、なぜか米軍ミサイルなんかよりよっぽど威力のないであろう電車爆弾で都合よく倒れ、倒れたところに都合よく潰されず待ち構えていたポンプ車で放水開始し、それを都合よく口を開けたゴジラが都合よくチューチュー吸い続けて、結果止まってしまった。劇場全体が「えっ止まっちゃったよ」感でいっぱいだった。
あとなにより全体的なプロットの未完成感がすごかった。例えば今年DisneyのZootopiaを見たが、最初から最後までの1シーンも無駄がない。最初に出てきたなんでもないシーンも、実は伏線で、映画の最後の方にきちんと回収され、いささか伝統工芸品かのような緻密な構成美を感じさせてくれる。対してシン・ゴジラは、「今のやり取り必要あった?」と思う部分だらけだ。教授の調査を記者みたいな人に依頼するシーンとか、必要か?そもそも教授の動機や背景など最後までよくわからずじまいだし、石原さとみ役の人物の背景の説明が弱いから感情移入できず、最初から最後まで終始全ての言動が突飛で違和感しかなかった。
疲れている
憑かれて疲れているのだろうか
躁状態って楽しくなるんじゃなくてブレーキが壊れるだけってことなんだろうか
だとしたらなったことがある。
感情は沈むのに浮くことはなくてずっと濁った池から水面上に顔も出せないような、そんなイメージ。
病院に行って少し楽になれたらと思うが、医者のお前のようなものは苦しんでるうちに入らないという視線と態度が辛くて、再び行こうとする行動に移せない。
きっと大したことじゃないのに苦しむとか間抜け極まりない自分にうんざりする。
愚鈍で無駄ばかりで周りのお目こぼしで存在を見て見ぬ振りしてもらってるんだろうにいっぱしに悩むだとかなんて付け上がってる。
いないほうがいいにしても後片付けのコストは誰が負うというのか。
自分でなるべく片付くべきなのにその気力もない。
(体感)4割くらいのアホ「何だこのふざけた意見は!」「こんなこと言うなんてありえない!」「○○(言及されている側)がかわいそう!」
(体感)6割くらいの人「叩いてるやつはきれいごと言うけど実際この通りだよな」「ぶっちゃけこいつらのせいで俺らが不当に損してるよな」「実際コレは皆思ってるよな。世間知らずな連中はギャーギャー言ってるけど」
「社会的な問題は誰かの感想じゃなくてデータに基づいて語りましょう」「他人の生殺与奪権なんて主張しだしたら社会崩壊するわ」「さも自分が書いたかのようにコピペしてんじゃねぇ」
炎上した奴
うわーネットで「叩く流れ」になっちゃってんじゃん。これもう何言っても話聞いてもらえねぇわ~。ちゃんと中身読めよ、中身をよいい事言ってんだろうが。
うわーいい事言ってるのにそういう「流れ」になっちゃったから叩き一色じゃん、流れがなー、ネットの空気がそっちに流れちゃったからなー
この手の人達の何が間抜けって「炎上狙った」とか言ってるところ
この人が狙ってたのは煽情だ。
煽って煽って火を燃やして、おいしいお肉でも焼いて食おうかと思っていたら、自分の身体に火が付いたのだ。
普段はさも賢そうに振る舞っていながら、その実自分がやりたかったことすら理解できてないとは滑稽だ。その状態で「火が付いたこと自体は問題じゃないけど思ったより熱かった」とは無様だ。「たまたま風がこっち側に吹いたから自分に火が付いた。今回は運が悪かった」とは絶望的なまでの学習能力の無さだ。
そしてこの手に人達には神の祝福を受けているので自分たちに都合の悪いことは認識しないかしても即座に忘れることが出来る。
そしてそんな間抜けがまた燃え上がるのを期待して、彼らの周りには見物人が集まる。そしてその人たちを養分にして、彼らはまた生きながらえる。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
今すぐに思いついたのだと、二つあるかな。
一つは、義務でも何でもない、「誰でも出来る簡単なことを『継続する』」こと。
「継続は力なり」なんていう一見すると何てことない言葉が格言足りえるのは、それが一般的に大変なことだからだ。
例えば、君がこの匿名ダイアリーで内容は何でもいいから日記を投稿する。
これを気が向いた時々でいいのならばともかく、ほぼ毎日となると大分ツライだろう。
そういうものは仮に最初は楽しめても、やり続ければ飽きやすい。
義務でもない、自分がやろうと思えばいつでもやれるということは、自分次第でいつでもやめられることだしな。
誰でも出来ることが、誰でもやり続けられるものとは限らないということだ。
私だって一年以上このカテゴリを継続させていて、それなりに楽しんではいるものの、それと同時にいつやめてもおかしくないと思っているからな。
えー、そうだなあ……。
もう一つは義務でも何でもない、「誰でもできる簡単なことを『我慢する』」ことだ。
特に、「外部からの影響によってもたらされる衝動」を我慢する。
まあ、「我慢する」とまではいかなくても、「関心を向けないようにする」だとか、「エネルギーを割かないにようにする」だとかでも構わないが。
例えば私だと、「シン・ゴジラ」だとか流行真っ只中の時期に、そのテーマで一切語らなかったことかな。
センセーショナルなテーマというものは、「何かを語りたくなる衝動に駆られる」ものだろう?
知識や教養がなくても、千差万別の人々が衝動に駆られて色々と語るから、自分もその熱に煽られる。
他には、間抜けな内容が書かれたエントリや、挑発的な文章にブコメも何もせずリアクションをしないようにするだとか。
現に、観に行ってすらいないのに、「シン・ゴジラ」を語る人が多く出没することからも、影響力の高さが窺えるね。
周りを見渡しても「シン・ゴジラ」のテーマを扱ったエントリが目に付いていた。
そんな環境下で茶々の一つも入れない、ふざけてネタにすらしないって、とても困難なことだろう。
仮にそういう状態で語っても、まあそれなりの内容は書けるだろうけれど、衝動的なものだからね。
頭は回っていて、理路整然とした文章だとしても、それは普段の状態で書いたものとは性質が違うわけだ。
それはそれで、或いはそちらの方が面白い内容になる可能性もあるかもしれないが。
だが、そうやって動機に自覚がないまま書くということは、それは自分が好きで書いた文章ではなくなる可能性を持つということだ。
自由意志のもと書いた筈のものが、自分が書きたい文章ではなくなるってのは私からすれば不本意なのでね(もちろん、これは私の言動に後から付け足した理由だが)。
おっと、客観的にみた是非だとか、そういうことは君が考えればいい。
いずれにしろ、「誰でも出来る簡単なことを『継続する』」、「誰でもできる簡単なことを『我慢する』」、これらは間違いなく「言うは易く行うは難し」だろう。
もし両立できる人間がいるとすれば、すさまじい精神力といえよう。
もちろん出来たからいって、その事柄自体が誇れることかどうかなんてこと私は知らんよ。
……そういえば、これもテーマを取り扱ったうちに入るんだろうか。
今回は少年ジャンプ+
今話とか読んでいると、やっぱり物語を動かすべきはアグニだと思った。
トガタはトリックスターとしての役割は果たしているといえるんだけれども、些かでしゃばり過ぎる。
あと、言動のアクの強さが私には悪い意味で作用しているから、正直あんまり好きなキャラじゃないんだよねえ。
それにしても、最後なんだか回想に入りそうなのが不穏。
仮にやるにしてもページはあまり割かないで欲しいところだ。
主人公の「傷ついたり失望したりする自由」というのは、まあ大した理屈ではあるんだけれども、後半のあの行動の間抜けさにやる前から気づかないあたり、詭弁というか無頓着なだけだったか。
最後らへんの買い物のくだりとか、まさに主人公の感性やバカさが伺えて、これを意図的にやっているんだとしたらすごいけれども。
まあ、たらればの話なんてしたところで仕方ないのは分かっていても、いざその失った可能性を提示されると堪えられないことは理解できるが。
ミヤギのなんともいえない表情は、そういう他人の失った可能性を知ってしまったからっていう部分なんだろうかね(まあ、他にもっとありそうだが)。
しかし、ミヤギの存在ってメタ的にみればその意味は理解できるんだけれども、その世界にいる人間としてみた場合、すごく舞台装置的だよね。
主人公が語ることができない部分を読者に説明する役割というか、今回の主人公に投げかける言葉といい、やや前のめりすぎる。
メタ的には理解できても、物語構成的には不自然な印象だが、今後ちゃんとした理由が明かされたりするのだろうか。
おや、死んだの?
ここで物語から退場するのは微妙だから、あんまりノれないというか未だ「本当に?」っていう感覚。
唐突すぎて、メタ的にみてもここで退場させるのは微妙だと思っているので、実は死んでないんじゃないかと邪推したくなる。
もう、エロいとかそんなのじゃなくて、ただただバカっぽい、開き直った絵面が笑えてくる。
「思えば全裸ばっかりで辛い日々だったなあ」とか、その通りではあるし、作品の方向性的には間違っていないんだけれども、野暮を承知でアホな文だなあといいたくなる(笑)
まあ、色々と丁寧に描写したかったであろう部分や、登場人物の掘り下げやエピソードをすっ飛ばしつつ、とりあえずエンディグを提示できたんじゃないかな。
総括としては、細かいとこ書き出せば結構あるけれども、実のところ私はそこまで毛嫌いしてはいないんだよね。
作中で提示される理屈、物語、展開、リアリティ、キャラの人格、漫画的な過剰な演出とかのハッタリとか、テーマなど。
それら要素を一つ一つ抜き出して語る分には割と評価できる、或いはそこまで評価を下げるものではないんだけれども、これらを総合してみると噛み合っているとはお世辞にもいえなかった。
という病気があることは知っていた。
だってあれじゃん、ようするに躁鬱病でしょ?躁の時はすごい多幸感とか誇大妄想とかが症状として出て、結果莫大な借金したり人間関係が破壊されたりするやつだよね、作家だと北杜夫とか中島らもとかあの辺の人。そういうイメージ。
でもある時そういう世間的によく知られている典型的な躁鬱病ってのは双極Ⅰ型っていうやつで、周囲の人間にあまり影響を及ぼさない軽躁状態の症状が出る双極Ⅱ型ってのがあるのを知ってあれって思った。あと躁状態って単にハイになるだけじゃなくて不機嫌になったり、攻撃的になったりする場合もあるらしい。
あのさ、道歩いてるとたまに変な文句ぶつぶつ言いながら道行く人に因縁つけたりするヤバい年寄りとかいるじゃん。私あの手のじいさんやおっさんと怒鳴りあいとか掴み合いになったことが何回かあんのね。ほら、ああいう人ってさ、弱そうな人狙うからさ、わたしみたいな一見大人しそうな人間から口汚い言葉で罵られたあげく胸ぐらつかまれて引きずり回されたりするとすげえびっくりして狼狽えるわけよ。その狼狽えた間抜け面見るとすごくテンションあがるのね。
で、そういう小競り合いしたあとはめっちゃテンションあがってなんでもできんの。
なんか多分人格障害かそれでなかったら複雑な性癖の発露だったりすんのかなーと思ってたんだけど、そもそも喧嘩売られなきゃ私は何にもしないし警察沙汰になっても頭下げるだけですんだしまあ病院行くほどじゃないだろうと思ってた。
でも他にもⅡ型の症状に合致する部分があったので精神科行ったらデパケンとかいう気分調整薬が処方された。
飲んでたら私びっくりするほど穏やかになったよ、上の立場にいる嫌な人にも楯突かず上手くいなせるようになった。
結果仕事が続くようになった。
私こんなだから職場でも対人トラブル起こして仕事長続きしたことなかったんだよ、そういうこと続くとさ、もう働くのやだ、引きこもってようって当然思うわけじゃん。でも引きこもるの3ヶ月が限界なんだよ、だって飽きるじゃん。
よく考えるとこの引きこもるのに飽きるってのも軽躁状態の為せる業だったのかもしれない。
まあとにかく性格上のことだから直ることがないだろうと思っていた自分のキチガイぶりが薬一つで収まって驚いてる。人間の脳って不思議だね。そんだけ。
わかってないな。
そのまんまでやれるわけねーだろ
舞台を外国にして役者を外国人にしたら済むと思ってんのか?頭使え?
そんなんで二度美味しい思いが出来るなら日本に限らずどこでもそうしてるわな
そっくりそのまんまで、配役と CG だけを変えろ、と言っているの。
ば~~~~~~~か
さらに言えば、「そうするべきだ」という意味じゃない。「そうするべきだ」というのは、言葉の上だけ。
そうする方が儲かることも気づかないぐらい、国内市場優先でノミの心臓だということがわからないのか、と皮肉っている。「金儲けの仕方も知らないのか、この間抜け」と皮肉っている。
なのに、儲け方を知らない自分が皮肉られていることも気づかないのか。おめでたいやつだな。鈍感すぎる。そんなことだから、いつまでたっても、金儲けの機会を見失ってばかりなんだよ。
ニートのアホアホビジネスプランで「皮肉られているんだぞ!」とか喚いてる奴が居たら
そりゃお前はお前の脳内では最強のアイデアマンで最強の軍師なんだろうけどな
わかってないな。
翻案やリメイクではなくて、そのまんまでやれ、と言っているんだよ。
また、翻案やリメイクでヒットする保証もないだろうが。これまで、翻案やリメイクで、どれほど失敗した例を見たことか。
そっくりそのまんまで、配役と CG だけを変えろ、と言っているの。
さらに言えば、「そうするべきだ」という意味じゃない。「そうするべきだ」というのは、言葉の上だけ。
そうする方が儲かることも気づかないぐらい、国内市場優先でノミの心臓だということがわからないのか、と皮肉っている。「金儲けの仕方も知らないのか、この間抜け」と皮肉っている。
なのに、儲け方を知らない自分が皮肉られていることも気づかないのか。おめでたいやつだな。鈍感すぎる。そんなことだから、いつまでたっても、金儲けの機会を見失ってばかりなんだよ。
だいたい、上に書いてある通りにしたら、「10億円を儲けて、200億円を儲ける機会をなくす」ということだぞ。そんなことを本気で薦めていると思っているのか? 呆れる。
「10億円を儲けて、200億円を儲ける機会をなくす」という例を示すことで、「そういう馬鹿げたことをやめろ」と示唆している。「かわりに、石原さとみのかわりに外国人女優を使うことで、東宝自身が海外で 200億円をめざすことができる」と示唆している。
こんなふうにいちいち解説しなくちゃならないのか。はてなーは日本語もまともに読めない人が多すぎる。
道ならぬ恋、というヤツに今現在の私は身を置いている様だ。
様だ、等と断定を避けたのは私自身この状況に大いに迷っている有様で、認めたくもあり、しかし認めたくもないという思いの間で立ち尽くしているからに他ならない。
頭を整理するためにも、と言うことでこんなふうに書き出し始めた。
そんなもんチラシの裏にでも書くか穴でも掘ってその中に喋らんかい、と思われるかもしれないが、恋愛ごとに悩みを募らせる女性のご多分に漏れず、私にもどうしても誰かに話を聞いて欲しいという構ってちゃん根性がある。
故にこの場を選ばせて頂いた。
前置きが長くなったがこれより先は一人の女が悲劇(笑)に身をやつした己に酔いしれているだけの何の面白みも無い独白だ。
読むも読まないも、自由にして頂きたい。
さて、非常にありきたりな話ではあるが、私が私のこの恋を道ならぬ恋と呼ぶ理由は恋の相手が既婚者で子供もいるからだ。
幸いにも、相手が私に対して恋愛感情を抱いていない事と、私にも理性とそれを上回る恐怖心があるお陰で明確に道を踏み外している訳では無い。
ならば別に良いではないか、と思われる方もいらっしゃることだろう。
私もそう思っていた。
恥ずかしながら、私は過去に幾度かの恋の中で既に恋人がいる人を好きになった事もあり、その理論で武装して開き直った事もあった。
しかしその言葉を発している時の自分は、大体が「苦しい恋」に酔いしれていた。
悲劇のヒロインであるかのような、大層な自惚れだった。その人が好きだったのではない。私は苦しむ私が好きだった。
だが、苦しみというものは、外的要因だけからなるものでは決してない。
その外的要因を受け、それらが内的要因へとシフトして初めて本当の苦しみに転化する。
私にはそれがわからなかった。
私が恋心を抱いている人は、私より二回りも上の他部署の上司だ。名を仮にAさんとしよう。
他部署とは言っても、私の属する部署とはかなり密に連携を取るので、Aさんとはほぼ毎日顔を合わせる。
私が去年新入社員として今の会社に入社してから、何かと絡んできてくれた人だった。
最初は何の想いも無かった。互いにからかいあってふざけるだけの他愛も無い関係だと信じてやまなかった。
どちらかと言うと、兄を慕うような、いや、年的にいえばむしろ父親を慕うような感覚に近かっただろう。
ただ、私は年上の(失礼を承知で言うと)いわゆるおじさん世代と昔からウマが合いやすかった。
なのでAさん以外にも、そういう風にからかいあう男性上司は何人かいた。なので別段その気持ちに不信も抱かなかったし、周囲からも「おじさん達と仲良しな子」程度にしか認識されていなかった。
何よりもAさんには妻子があるのを私は知っていて、からかいあってはいても大きく踏み込むような事はしなかった。
だがある時、それは起こった。
何度か部署混合の飲み会は行われていたのだが、Aさんが参加するのは初めてだった。
初めて同じ席で飲めるという事で、私はガラにもなくはしゃいでいた。
この頃には既に周囲からも「Aさんと仲良くコントやってる賑やかし要員」という感じに扱われていたので、私もその役を演じようとしていた節がある。
少し遅れてAさんが参戦する頃には、私もほろ酔いで上機嫌この上なかった。
わざわざ席替えをして、Aさんの隣に腰を落ち着けていつもの様にからかいあった。
だがこの時はほろ酔いで羽目が外れていた分、私の方がAさんをからかっていた。
恋人にするならAさんが良い、等と間抜けなことを口走った記憶もある。
しかしその後、再び席替えをして私は別の先輩の隣の席へと移動した。
ただ、何席か離れたところにAさんがいるのをちらりと見たのだけは覚えている。
私の記憶は一度そこで途切れた。
気付いたら私は吐いていた。
正確に言えば吐きそうになっていた。
だが寸でのところでAさんがおしぼりで私の口元を抑えてくれていた。
私が吐きそうになっていたのを誰よりも早く気付いたAさんが、慌てて私の所へ駆け寄ってきて口元を抑えくれたのだ。
彼は私が堪えられずに吐いた時には、それをそのまま素手で受けるつもりだったのだ。
吐き気で朦朧としながら、私は近くにあるAさんの体温を感じて、ただただ混乱した。
この人は何故気付いたのか。
何故駆けつけてくれたのか。
何故躊躇わなかったのか。
その後は女子の先輩にトイレで介抱して貰いしこたま吐いて、そのまま帰宅の途に就いた。
翌日は当然二日酔い。起き上がれもせず、辛うじて這うようにトイレまで行きそこで一日を過ごした。
しかしそんな中でもAさんのあの体温がまだ近くにあるような気がした。
心臓がざわついた。
大きな温かい手のひら、耳元で何度もかけられた身を案じてくれる言葉、今までに無い程近い体温、洗剤の匂いに微かに混ざった煙草の香り。
しまった。
好きになってしまった。
瞬間そう悟った私は、吐きながら涙も鼻水もボロボロと便器に零して泣いた。
嘘だ。
それが私が一番に考えたことだ。
目の前が真っ暗になった。
初めて感じた絶望だった。
始まった瞬間に終わる、しかし長く続く恋が始まったのを感じたせいで、だ。
外的要因と内的要因の二つが揃った時、初めて苦しみは始まる。
叶わぬ恋をしたから苦しいのではない。叶わぬ恋が叶っても叶わなくても、どこにも幸福が無いことに気付いて苦しくなるのだ。
叶わぬ恋であり続ける事が相手の幸せであることに気付き、既に蓋もできない程に大きくなっていた自分の心を持て余し続ける。
まるで真綿で首を締められているような、そんなある種心地良さを纏った不快感が心に根を張る。
根は奥深くまで伸びて、やがてどうしても取り除けなくなる。
そうしたら最後。
何度芽を摘み取っても、根から再び新しい芽が生えてくる。
繰り返す。
不倫を望んでいる訳では無い。
離婚して欲しい訳でも無い。
それなのに、心のどこかで叫ぶ声が聞こえるのだ。
「愛して欲しい、私を選んで欲しい」と。
その度に根は深くなる。
幸せになって欲しい。
でもあの人の幸せを願う度、心がジクジク痛んでいる。
私の隣で幸せになってもらいたくて、けれど私の隣ではあの人は幸せになれない。
私は怖い。
この感情のままにあの人を傷つけてしまうのが、不幸にしてしまうのが怖い。
どうか私がこのまま臆病者であることを願う。
あの人の何をも壊してしまわないよう、優しいあの人を傷つけてしまわぬよう、ただ恐れ、縮こまって生きてゆくことを願う。
こんなくだらない文を読んでくださった方、本当にありがう。
ここにこうして公開した事で、心が幾らか軽くなった。
頭の整理もついたし、今後も周囲及びAさん本人にもこの感情がバレないよう上手くやっていける自信もついたところで、この文章の締めとしたい。