はてなキーワード: 自家用車とは
例によって、かなり長めの文章を書くつもりでいたのだが、どうしても途中から筆が進まなくなってしまった。よって方針を変更し、ちょっと短めの文を書いてみたいと思う。…と思っていたが、最終的に書き上がった文章はそれなりに長いものとなった。覚悟して読んでいただきたい。
まずはじめに断っておくが、私は武雄市在住のれっきとした武雄市民であり、もちろん住民税等も武雄市に納めている。よって今回の問題については一市民として堂々と意見を物申すことが出来る資格があると考えている。
なぜそんな回りくどいことをここで書くのかといえば、ネット上での一部で、「武雄市民以外の人間が武雄市のことにごちゃごちゃ口をだすな」的な発言が多用されているためである(誰がどういったかは言った言わないの話になるので、各自検索していただきたい)。よって私がここで発言することには、武雄市民でないからなどという屁理屈は一切言わせないぞ、と一応宣言しておくこととする。
これで拒否されるなら、来年度から住民税をふるさと納税制度を利用し合法的に武雄市以外の他都市に支払う覚悟であるので、念のため申し添えておく。
さて、全国ニュースにも取り上げられるようになった武雄市図書館・歴史資料館(エポカル武雄)のカルチュア・コンビニエンス・クラブ(以下CCC)への業務委託の件である。
5月4日の記者会見以来、その内容をめぐって「健全な」論戦が繰り広げられている(と少なくとも私は思っている。そう思ってない方もいるようだが…)。
気の変わらないうちに先に書いておくが、今回の件で私は武雄市長には一つだけ感謝していることがある。それはなぜか。
ふだん私もエポカル武雄は利用している。今年も既に数回は本をかりている。勉強にも行っている。何しろ近くにあるので便利なのだ。ただ行けるのは土日くらいのものだが。
で、だ。私はこれまで生きてきた中で、図書館は「あって当たり前のもの」だと思っていた。武雄市も「市」だが、以前いた土地も「市」だ。法律で「市」には図書館を設置すること、となっているので、図書館があるのが当たり前の環境だったわけだ。これがもし「町」や「村」だったら、図書館がなかったかもしれない(もちろん図書館が設置されている素晴らしい「町」「村」もちゃんとあります。念のため)。
そんな環境で過ごしてきたせいか、図書館はあって当たり前、無料で本が読めて借りることもできる、快適な環境で静かに勉強ができる、くらいのイメージであった。
よもやその裏側で、司書さんを始めとするスタッフがいかに苦労をされていたのか、選書だったりリファレンスだったり、もちろん貸し出し返却や蔵書整理、はては郷土資料の収集保存など、様々な業務を行なって下さっていたことを、今の今まで恥ずかしながら知らなかったし、考えたこともなかった。また、「図書館の自由に関する宣言」の存在も知らなかったであろうし、その歴史的な背景について知り考えることもなかっただろう。
おそらく、今回の件がなかったら、もしかしたら死ぬまで図書館の裏側については知ることもなく考えることもなかったかもしれない。
そう考えると、今回の件で、改めて図書館に関わるすべての方に感謝すべきだと気づくことができたし、図書館が無料で使えることのありがたさ、私たち市民の「知る権利」や「読書の自由(貸出履歴の秘密保持)」があることの大切さに気づくことができた。この点では武雄市長には感謝以外の何物でもない。改めてこの場でお礼を申し上げる。
忘れないうちに、この件についての私の考えを簡単に述べておこう。文句もたくさんあるが、それは後になってくるに連れて出てくるだろう。
まず、指定管理者制度そのものの導入については、絶対反対とは言わない。というのも、それこそ最近エポカル武雄で借りてきた本の中に、「私たち、図書館やってます」という本がある。興味のある方はぜひ読んでいただきたいのだが、これにはとあるNPO法人が図書館の委託運営を行なっている事例が事細かに載っている。彼らは市民の視点から、市民に必要な図書館のあり方を常に考え運営しており、市民の行政参加という面からも評価できるものである。ただ、最近佐賀市で指定管理者で運営していた図書館の分館が、直営に戻されるという事例も起きており、どういった形が望ましいのかはよほど慎重に考える必要があるのではないかと思われる。
開館時間の延長についても、概ねは賛成である。私もしがないサラリーマンである以上、図書館に行くことのできる日は決まっている。夜7時でも普通に仕事をしていることも少なくないので、開館時間が延長できたら夜家に帰る前に寄るなど、自由度は格段に向上する。
ただ、便利になる反面、運営費が上がることは覚悟しておかなければならないと思う。市長は1割減という発表をされていたが、本当にそれは可能なのか。民間に委託するから安くする、という簡単な理論ではあるまい。事務の人間を減らせばいいというものでもあるまい。図書館は貸出返却の業務だけではない。TSUTAYAのアルバイト店員のような感覚で務まると思ったら大間違いだ。そこはよく精査する必要がある。
それと、蔵書の整理や虫対策の燻蒸など(市長は書籍には燻蒸しないと思っているようだが、武雄の場合は書籍にも燻蒸を行なっている。過去にホームページに掲載した履歴がある)、どうしても休館日が必要な可能性が出てくるのだが、それはどうするつもりなのか。まぁ蔵書を並べるくらいなら、書店のように利用者のじゃまにならないように随時行うことで、ある程度の作業量をこなすことはできるかもしれない。また、ある村では自動機を利用して無人で24時間貸出を行なっているところもあるので、それも導入の参考にはなるかもしれない(さすがに防犯上すべての本ではないと思うが)。
20万冊の本をすべて開架にするとのことだが、それはそれで結構な話だが、物理的にどうなのか?という疑問は残る。私も通っているのでよくわかっているつもりだが、記者会見のスライドで出ていたパースはどう見ても壁の部分にも本がズラリと並べられていた。となれば、かなりの部分を改修する必要が出るだろう。果たしてその費用はどこから出てくるのか。委託費用の削減分と簡単に言うが、前項の理由で本当に削減できるのかは正直怪しいと思う。せめて議会にはきちんと積算根拠が提出されることを望む。でなければ納得はできない。
また、現在の開架部分もよほど高い本棚にし、かつ本棚の間隔を狭めないことにはまずそれだけの冊数の収納は難しいだろう。ブックオフのように背伸びしても届かないくらいの高さになってしまうのか。利用者の利便性としては後退しそうな気もする。また逆に貸出不可のため大事にしまっておくためにわざと閉架にしておく資料だってあるだろう。そういったものの区別はきちんと付けるべきである。
次にカフェダイニングの件だ。
図書館でたしかに喉が渇くこともあるだろう。今の図書館は、入って左側にカフェコーナーと称した空間があり、水を飲んだりジュースを飲んだりすることができるようになっている。あれではダメなのか。そんなにスタバがほしいのか。よくわからない。
第一、市議会1日目での演説を聞いていて私は愕然とした。図書館が教育施設というのなら給食はどうなるのか、というあの発言だ。何を言っているのだ。学校は確かに教育施設だ。しかし、そこでは子供たちにきちんと教育をする。給食の時間は皆一斉に机の上を片付けて給食の準備をし、盛りつけて皆同時に食事をする。その時に、おしゃべりこそすれ誰が本を取り出して読み始めるというのだ。普通そういうシチュエーションならば、先生が「食べているときは行儀が悪いから本を読まないように」と注意するだろう。もちろん家でも同じようなことがあれば「行儀が悪い」と怒られるだろう。それと図書館でコーヒーを飲みながら本を読むのと一緒にしてどうする。それは躾の問題とは言わない。TPOをわきまえろといっているだけだ。
飲み物を飲むなとは言わない。例えばペットボトルのように蓋が閉められるものであれば持ち込み可、ただしこぼして汚したら弁償、とするだけでも市民の利便性は上がるし、こぼしても自分のせいとあきらめも付くだろう。実際にその方式をとっている図書館もあるようだが、調べてみるとよいだろう。
あとは文具を売ったり雑誌を売ったりするということだったが。
まぁ最近は、例えば水族館などの観光施設で、来館記念にと施設のオリジナルグッズを製作販売しているところも確かにある。ゆえに、そういったノリでの文具販売という形なら無くはないかもしれない。エポカル武雄もオリジナルのマークがあったはずだ。そのマークが入った筆記具など、オリジナルの物を売ってみるのはありかもしれない。
ただ、それ以外のもの、特に雑誌あたりを売り始めるとなるとちょっと話は変わってくる。文具にしろ雑誌にしろ、既に市内にある商店ともろに競合する話になってくるからだ。これは図書館での説明会に言った方から聞いた話だが、とある書店の方が雑誌販売について尋ねたところ、既存の書店は競争してもらいたい、という旨の話が出たという。
ちょっと待て。競合ということは、つまりTSUTAYAと競争しろということか。かたや巨人、かたや零細となってはどこにフェアな競争条件があるというのか。もっと言わせてもらえば、首長というものはそもそもその自治体の経済的発展のために力を注ぐのもひとつの重要な仕事であろう。そりゃ工業団地を作り企業を誘致することで雇用も生まれ市には税収が入ってくるかもしれん。だがそれだけではなく、雇用された人が市内に住み、消費行動を起こすことで地域の経済が回っていくのではないか。では地元の商店はどうか。ゆめタウンなど大型店舗が増え、自家用車で買い物に行く人が特に若い人を中心に増えた。そうすると旧来の商店街からは客足が遠のき、もはや青息吐息となってしまっている。そんな中でさらに巨人を首長自ら引っ張ってきて、競争をせよというその信念が理解できない。むしろ地元の書店や文具店等にスペースを有償で貸し出し、ここで商売をして儲けてぜひ市に税金をたくさん納めてくれ、というのが地元自治体のあり方ではないのか。何か根本的なところから間違っていると言わざるをえない。
…だんだん疲れてきた。ここから文章崩れます。中の人も崩れてます。ごめんなさい。
まず、映画・音楽の充実でTSUTAYAレンタルをする、と。それでその内容は既存の武雄店と被らないような品揃えにする、という話だったように思う。
…で?
もう隣接地に別にTSUTAYAを作ったらいいじゃないか。なんで図書館内でやるの?図書館同様無償で貸し出すならともかくとして、有償で貸し出すのだったら単なるTSUTAYAだよね?
むしろ近くにあるレンタル屋(SQUARE)がどう思っているか聞きたいよ。多分本屋さんと同じ事を言い出すと思うけど。
iPadでもWebは見られるよね?今の図書館でもWebで蔵書検索はできるよね?私は結構利用しているのだけど。まぁメリルというちょっと危ないシステムではあるから(岡崎図書館事件でぐぐってくれ)、変えられるなら変えたほうがいいけど、それ以上に何がご不満なの?むしろMy図書館の青空文庫化をどうにかして欲しいのだが。
これもエポカル武雄にあった、増田社長の本「代官山オトナTSUTAYA計画」と「情報楽園会社」両方を借りて読んでみた。が、特に武雄に持ってきて嬉しそうな話は何もなし。むしろ確かにカンブリア宮殿でも見たほうがよっぽどマシかもしれん。ただね、テレビを見ただけで簡単に全国で同じ物が実現できると思ったら、大間違いだと思うだけど。代官山はむしろTSUTAYAでは採算度外視と番組内でも明言しているわけで、そんないくら掛かるかわからないようなシロモノを丈夫に作って、コスト削減ができるとはとても思えないのだが。コストとコンセプトが見合うという根拠を示してもらう必要がある。
極めつけはTカードだ。
ポイントを付けるためには日時を記録しておく必要が有る(あとで訂正する必要があるかもしれないからね)。貸出日時が全く同じ、ということはまずありえないから(カウンター2台での確率を考えてみればすぐわかる)、その時点で名前が直接わからなくても、特定の人間を判別することは容易だということだ。
もう高木浩光先生はじめ、ネットのセキュリティ関係者のみならず、少々データベースが分かる人は総ツッコミしているわけだが、これはもう誰かセキュリティに詳しい人が進言してもらうしかないんじゃないかな。市議会でもそこまで詳しそうな人はいないと思うし。
一つだけ書いておくと、今のコンピュータを舐めるな、と。というか人間を甘く見るな、ということだ。たとえシステムが別々に分かれていても、それを管理する人間が同じであれば、簡単に両方のシステムから共通する情報を抜き出すことはわけないということだ。データさえどうにかしてシステムから取り出せれば、名寄せくらいなら多分私でもできるぞ。世の中には便利なソフトがあるからね。
Tカードの規約を知らない人は(カードを作ったけど、あの小さい字なんか読んだことないというそこのアナタだ)、ぜひ一度読み返してもらいたい。ネットにはちゃんと大きな字で書いてある。何故か色は薄いけど。そこには、ポイントプログラム参加企業で個人に関する様々な情報を共通利用できる旨のことがちゃんと書いてある。個人情報は法律上は住所とか名前とかだが、個人に関するセンシティブな情報だってたくさんある。家族のこと、買い物の履歴(例えばファミマで何を買ったとかガストで何を食べたとかエネオスで石油を入れたとか蔦屋で何のビデオをレンタルしたとか…いろいろだ)など、人によってはそんなの他人に知られたくない、といった情報もひとまとめになっているのがこのTカードと呼ばれるシステムだ。ビデオを借りたらポイントが付いて便利じゃんとか簡単に思っているかもしれないが、つまりわれわれは個人情報をポイントと引換に売り渡しているようなものだと思ったらいい。
それと図書館に何の関係が?と思うだろう。図書館は歴史的に個人の貸出履歴は秘密にしておきますよ、という宣言をしている(図書館の自由に関する宣言でググってほしい)。今のような平和な世の中ならそうでもないが、以前図書館の貸出履歴がお上の思想調査の材料として使われたという苦い経験があったのだ。それでその反省を踏まえてこの宣言ができ、図書館員は(たとえ民間委託であろうが)この考えを守る、ということで一致している。しかし、CCCがいくら情報を使いませんよーといっても、物理的に別々のシステムから一致する情報を探し出せる条件がそろっているのなら、コソッとされても我々利用者にはわからない。それをしません、とどうやって担保するのか。そこが今だ不明なところだ。
ちなみに、図書館でポイント、というのも実は既に別の図書館で事例がある。図書館独自のポイントではあるが、利用者を増やすというインセンティブだけの目的であれば、それでも十分客寄せの用は果たすだろう。
というわけで、ひと通り書いてみたが、時間がもしとれたら改めて順序立てて書いてみたいと思う。
まぁ、今回の一件については、1ヶ月以上の時間が過ぎたこともあり、twitterなどの議論に参加していても、徐々に話が散漫になってきているような気もしなくもない。それは主に以下の様な理由がある。
(1) この期に及んでもなお、話の全体像はともかく詳細が全く見えてこない。
市長は「議会で説明する」の一点張りで(それはそれでわからなくはないが)、そうかと思えば市民団体からの要望でと、当日になって急に説明会を行ったり、5月4日からの記者会見で話した内容と、後にブログに記載した内容に一貫性がなかったり、市民に対してきちんとした情報は全くといって良いほど出ていない。その割には市民からの反応が云々とブログに書くなど、何が本当なのかさっぱりわからない。
市からの公式な発表といえば、あの不便な顔本(Facebook、ね)にほんの数行書いているのみで、あとはCCCのりリースを見るしかない。と思っていたらさらにその抜粋が今月号の市報に1段だけ掲載されていたという…。なんじゃそりゃ。
市民の多くは、新聞やテレビなどの報道を見て初めて知った人も少なくないだろう。なにせ、ITに詳しい人だけが市民なのではないのだから、ネットが見られないとほとんど情報を知りえないという人も少なくはなかろう。そもそも、図書館が存在する理由の一つとしては、経済的な理由で書籍の購入が困難な市民でも、知る権利を保証するためという一面がある。とすれば、図書館の話はそういったITと縁遠い人にもきちんと説明責任を負う必要があるのではないか。
CCCと組むとこんな良いことがありますよ、というのは記者会見でもニュースリリースでも述べられており、基本的にその論調でしか正式な話は伝わってこない。
対して、ネットや一部報道などでは、CCCと組むことでこんなことも考えられるのではないか、と専門家(図書館協会やセキュリティ専門家など)の視点も交えて指摘をしているにもかかわらず、やれ荒唐無稽だの、対案を出せだのと明後日の方向でしか返答が帰ってこない。
指摘する方は、「今発表されている計画のままだと、こんなリスクがあり、そのままにしておくとこんな結果になりますがどうですか?」と指摘しているにすぎない。普通対案を考えるのはむしろ指摘されたほうだろう。「そういう問題点なら、これこれこういう方法を取ることで回避できると思います」といった返答をするのが常識だろう。それを蹴散らした挙句暴言まで吐くとは何事か。嘘だと思うならネット上で検索してみるがよい。
…さすがに疲れてきた。まだ書きたいことは山のようにあるのだが、今日のところはそろそろやめることにする。
とにかく今は議会が全て、という話なので、我々としては一般質問の内容をよく精査した上で、地区の議員諸氏を説得していくよりほかないかとは思う。議員諸氏が闇雲に条例案に賛成すること無く、上記に挙げたような問題点を今一度理解していただき、よりよい武雄市図書館を作るために全力を尽くしていただきたいと切に願うものである。
個人的な予想です。間に受けないでください。
・自営業(個人商店、飲食など)、フリーランス(Webページ作成、小説家など)
個人の力量がはっきり出る自営業、フリーランスのほとんどが、生活困難なレベルにまで落ちるでしょう。
しかし一部のカリスマ性を持った人間には仕事が集中するため、その人達は収入が今の2倍以上になるでしょう。
・出版
大きい体力のある出版社と、ニッチ特化の会社以外はなくなるでしょう。
インターネットに逃げるか、紙に固執するか、どちらにしても厳しい戦いになりそうです。
残念ながら、この分野において日本のアドバンテージは無くなってしまいました。
・新聞
おそらく最も今後10年で、つらい立場に置かれるであろう業界です。大新聞の一社は潰れるかもしれません。
・テレビ
なくなるとは言いませんが、今までの殿様商売は期待できません。
はっきり言って、今のテレビには魅力がありません。
・印刷
紙への印刷以外の収入源を持たない会社は、潰れるか、大手に吸収されるでしょう。
大手の一社は大幅な方針転換を行うかもしれません。
地方から人がどんどん減っていくため、大容量輸送手段としての鉄道の価値は無くなります。
既存路線がバスに置き換わっていくでしょう。北海道、四国、中国、山陰地方の各鉄道会社は今以上の覚悟が必要になります。
・軽電(家電、弱電)
半導体を作ったり、パーツを組み合わせて家電を作ったりする仕事は今までは割のいい仕事でしたが、これからはそうはなりません。
技術、労働力のアドバンテージが日本に消滅してしまった今、アイディアと特許でしばらくは持つかもしれませんが、今後どうなるかは不透明です。
真に業界のことを考えるのであれば、大規模な吸収合併が必要でしょう。日本にメーカーは多すぎます。
家具や家電、パソコンを店頭で売る必要はどこにあるのでしょうか。
郊外に置かれた巨大な量販店はほとんどが店じまいするでしょう。
・パチンコ
いくら何でも作りすぎた感があります。客は今後携帯ゲームに流れるでしょう。
・風力、太陽光
効率の悪いこれらを押す動きは今は持て囃されていますが、そろそろ限界に近づいています。
・教育
進研○ミの漫画は楽しいですが、この業界は少子化の影響が止まらない限り未来は全くありません。
塾や習い事と言った子供相手の業界人はもっと真剣に少子化対策を訴える必要があります。
・地方電力、ガス
この分野は人口がそのまま収益に直結するため、地方における人口減は組織維持の死活問題になります。
騙し騙し使ってきたインフラ設備が限界に近づいた時、国に支援を行う体力は残っていないかもしれません。
楽な仕事で給料をもらえる市役所窓口職員や国立大学職員になるのは今までは魅力的でした。今後は逆になります。
日本が公務員全体を食わせることができなくなりつつあります。人が入ってこない以上、仕事量は今の倍になるでしょう。
自衛隊、消防、警察、教員には若干の補填が行わるでしょうが、それ以外の待遇は悪化するでしょう。
日本全体の価値が沈んでいく以上、不動産や金融商品も一緒に値下がりします。
買う人も、売る人も少なくなれば、業界全体が縮小するのも納得です。
・重電、強電
日本全体が沈んでいく以上、インフラ設備は今以上に延命されるでしょう。新規発注は少なくなると思って間違いありません。
希望があるのは軽電と違い、まだこの分野においては若干日本が先行しているということです。沈みきってしまう前に海外を目指すべきです。
・IT
個人的にはITに未来は無いと思っています。6割以下に入れても良かったと思っています。
物を運ぶ必要がない、データでやり取りできるというのは、仕事の流動性が非常に大きいということです。
今は日本語の壁に守られていますが、企業の、英語の出来る人材は増え続けています。
ゼネコン式の労働集約型産業で在り続ける限り、仕事は日本から流出していくことでしょう。
パチンコ、家庭用ゲーム、ゲームセンターの人間がなだれ込んできます。
インターフェースの修正が進めば、囲碁やメダルゲームをやっているような高齢者も流入してくるでしょう。
行き場を失った人間が配給され続けるので、成長して行くことでしょう。低賃金、過密労働が大きな社会問題になります。
>バカと老人…
家電量販店が無くなるとは言っていません。ただ、郊外型の巨大店舗は無くなるであろうと言っているだけです。
街中の駅前は残るでしょう。
バカはそういった店で買います。街に行くわけです。
地方に残った老人は、今後家電なんか買いに行くことはなくなるでしょう。彼らはおそらく電話で全てをすませます。
>多分、誰もがうっすら気づいていると思うが、人口減少することによる市場の縮小は避けられない。
日本全体が沈下していくことは明白なので、これから成長するには他者から奪うか、海外に逃げるか、単価を挙げるかしかないわけです。
>目先の仕事で手一杯
貧すれば鈍す。物質的、時間的なゆとりが無くなった日本でドラえもんは無理ですね。
>そこらへんが書かれていないので、なんとなく人間何もすることなしに弱っていく未来しか描けてない
10年、20年の短期間では社会も人間も変わらないというのが私の意見です。
50年後ならイノベーションが起こっているかもしれませんが、そんなもの予測不可能ですし。
追加で成長産業を挙げるとすれば
大穴としては
でしょうか。まぁまず無いでしょうが。
>それはどうだろう。山手線沿線のようなアクセスメリットのある駅前店舗だけが残り、他は郊外型が駅前店を駆逐する、というのが妥当だと思うが。
私はろくすっぽに東京など行ったことがない田舎者なので、山手線のアクセスや東京の「郊外」がどの程度なのかわかりません。
ただ、地方(北海道)に住んでいる私の郊外型店舗のイメージというのは、なにもない真っ直ぐな道にどでかい店がくっついているイメージ(ロードサイド店舗)です。
市街地にあるような巨大店舗はまだ10年は付近の店や商店街の客を吸収しながら生存するでしょう。
>どちらにせよこの動きが加速するには、免許証の年齢制限の上限導入は必須。これがないなら老人は99歳でも車に乗る。
あくまで主観ですが、市街地の高齢者は自家用車よりもバスを利用している方のほうが多い気がします。市街地から離れたところにいる高齢者は…やっぱり車に乗るのでしょうかね。
>老人は、意外と「自分の目で見たものだけ信じる」人が根強いよ。この10年でジャパネットに取って変わるほど流れは強くない。
電話で済ますというのは、通販ではなくて、電器店に電話をして店員に何がいいかを決めさせて、持ってこさせるということです。
確かに目で見て判断するという人は一定数いると思いますが、テレビ、冷蔵庫、電話に限らず、あらゆる電化製品はもはや機能が付加されすぎて何がいいのか一目ではわかりません。
若いうちであればインターネットや口コミ情報を調べ上げて、自分の環境にあった最適なものを選ぶことができるかもしれませんが、年を取れば何よりもまずめんどくささが先に立ちます。
そんな訳で、実際に見て自分で判断するよりも、店員に任せたり、息子や娘にほしいものを頼んだりする方が、彼らにとって楽なのではないかと思うのです。
年収が600万円以上で ×
身長175cm以上で ×
年齢は35歳未満で △
貯金は500万円以上あって ×
自家用車持ってて ×
次男か三男で ×
自分として欲しい条件。
25歳喪女だから分からないだけなのかもしれないけど、世の中の女性は一体どんなハイスペックを求めているんだろうというのが正直な感想
>MARCH以上の大学出身で、 私も駅弁だしあんまり頭良くても話しが合わなそう
>東証一部上場企業の正社員で 安定して働けてるなら正社員ってだけで十分な気がする
>年収が600万円以上で 年収600万がどれほどの物なのか良く分からない。私は350万くらいしかないけど今のところ生活できてる。
>身長175cm以上で 自分(165cm)より低くなかったらそれで良い
>オタク趣味を持って無くて パンチラフィギュアとかコスプレ強要は勘弁して欲しいけど萌えアニメみて俺の嫁!とか言うのは平気
>年齢は35歳未満で 10歳も離れてると話あわなそうだけど自分が30歳なら気にしないと思う
>貯金は500万円以上あって 別にその貯金が私のお金になるわけじゃないと思うんだけどどういうことだろう。私は100万位しかないし。
>自家用車持ってて 都会暮らしなら維持費とか駐車場代考えたらむしろいらないと思う。田舎なら必須だけど。
>次男か三男で 逆に末っ子って親に溺愛されてそうで嫌だなーとは思うけど長男だから云々ってイマドキ重要か?
○が6/11。
年収が600万円以上で ○額面800
身長175cm以上で ×
年齢は35歳未満で ○
貯金は500万円以上あって ○現金で800万、その他あわせて1000
次男か三男で ×
だが女だ(既婚一子)。女がんばれ。自力で。
11こフル○はむずかしいなー。
・基本どうにもならないもの (4こ)
・ MARCH以上の大学出身 ←学歴ロンダという手もあるけど
・ 身長175cm以上
・ 次男か三男で
・なんとかできる可能性があるもの (5こ)
・ 年収が600万円以上で
・ 貯金は500万円以上あって
・ 自家用車持ってて
・ 年齢は35歳未満で
・ 結婚しても同居不要で ←両親の老いとともに事情が変わる可能性高し
身長175cm以上で ×165
年齢は35歳未満で ○
貯金は500万円以上あって ×じーさんの遺産が300万円くらい
次男か三男で ×長男
俺は5/11。
年収が600万円以上で ×
身長175cm以上で ○182
年齢は35歳未満で ○
貯金は500万円以上あって ×何に使ってるのか不明…
次男か三男で ○次男
俺は○が1/11。
年収が600万円以上で ×0
身長175cm以上で ×165
年齢は35歳未満で ◯
貯金は500万円以上あって ×2万
次男か三男で ×長男
正直なところ、何も感じなかった。
ボラバスで現地に到着すると、家屋が土台から吹っ飛んでいたり、半分もぎ取られて中が丸見えになっていたり、小川に自家用車が頭から突っ込んでひっくり返っていたり、瓦礫をひっくり返すとそこに在った生活の匂いを感じる日用品が大量に発掘されたりしたけど、俺は何も感じなかった。
行く前は、「現地に行くとやはりショックを受けたりするんだろうな」と思っていたので、かなり意外ではあった。同行したボランティアの人達は比較的ショックを受けていたようなので、単に俺が異常なのだろう。
結局のところ、外から来た俺には、津波が襲った場所に日常生活があった頃を知る由はないわけで、その地の現状に対して、自身に共感の情を呼び起こす事はなかなか難しい。
あとは、SFの見過ぎなのかもな、とも思う。瓦礫で埋まった町の光景を見た時、驚きよりも「既視感」の方が強かったのも事実だ。本物のアマゾンのジャングルを見た時に、「ディズニーランドのジャングルクルーズとそっくりだ」と思ってしまう、あの感覚。
であるので、地元の方が嗚咽を漏らしながら我々の作業に対して感謝の言葉をくれた時、かなり面食らった。もちろん、自分の作業に感謝してもらえるのはうれしいのだが、自分の中では「そこまでのことをした」実感が湧いていなかったので。実際のところ、バス一台に詰め込んだボランティアが半日作業したところで、片付けられるのはほんのわずかな面積に過ぎない。海岸沿いの小さな町から被災の跡を取り除くだけでも、その何十倍もの労働力が必要だろう。
しかし、その地元の方の涙は、我々の作業の成果に対するものではなかったんだろうな、と今は思う。憶測だけど、「自分達の町は見捨てられていない」と思ってくれたのではないか。
現地では、生活の基盤が根こそぎ破壊され、茫然自失して何も手に付かないまま、震災後の日々を送っている方々が多数いるのだと聞く。東北は地域共同体が根強い場所だというけど、逆に言えば外部との繋がりもそれほど強くないのだろう。自分達の生活の場が、自身の力で立て直せる範囲を遥かに超えた被害を受けた以上、「見捨てられたら終わりだ」というのははっきりと恐怖だろう。
「自分達のために外から人が駆けつけてくれること」。そのこと自体が、被災地の方々の救いになる部分はあるのだろうな、と感じた。
というわけで、「自分が行っても足を引っ張るだけなんじゃないか」と思って躊躇している人も、とりあえず行ってみるといいと思う。「ハンパな覚悟で被災地に乗り込むと迷惑だからやめろ」と脅かす人も多いが、最近は旅行会社が企画しているボランティアツアーが増えてきたので、そういうのに乗っかるといい。三大鉄則である「食べ物」「寝る場所」「移動手段」を確保する手間をかなり軽減できるので。
あ、装備だけはちゃんと情報収集してきちんと揃えるように。特に、踏み抜き防止加工の中敷きとかは、わりと入手難度が高いのでそのつもりで。
元々の社会構造はマイカーが空気のように当たり前に存在していたから、
その意味では、震災後の現状は「大多数が交通弱者」という状況である。
しかしそれは、見方を変えると
「全てが白紙だから、地方版モーダルシフトを展開する好機」とも言えるのである。
三陸鉄道をハブとして、「漁村山村エリアでもモーダルシフトができるか?」を試す
「壮大な社会実験」が試行できる。
勿論、こういう社会での公共交通インフラが、従来同様のシステムでいいはずがない。
軌道の枠を飛び越えたデュアルモードビークル、ITによるオンデマンドバス&タクシー、
http://anond.hatelabo.jp/20110319172127
「都市伝説だ」とか「ネタだ」とか「自分の周りにはいない」とか
いろいろ言われているようなので、
東海道新幹線は、大体1日に15万人を輸送する能力がある、と聞いたことがある。
メチャ乱暴な仮定だが、輸送力15万人のうち半分、7.5万人が「疎開民」だったと仮定し、
かつ疎開輸送が先週末から、延べ7日間なされていたと大胆に仮定して、
7.5万人×7日間≒50万人
その他、航空便による疎開組、自家用車による疎開組もいるので、
これまたメチャ乱暴な仮定で「航空機疎開組と自家用車疎開組の合計が新幹線疎開組と同数」と割り切っちゃうと、
「えらい疎開したなあ」とも思うが、首都圏の人口が3,500万人だか3,700万人だか4,000万人だか
(人により首都圏の範囲が違う)とも言われているから、「2~3%の人が疎開した」ということになる。
これを、多いと見るか、少ないと見るか。
実際には、この「2~3%」という数値は、属しているコミュニティーによって大幅にズレるだろう。
「仕事放ったらかして逃げられない」ということで、疎開率は1%もないんじゃないか?
だから、自分の周りが社畜だらけ、というコミュニティー内の人は、
一方、ヒマしているフリーター、学生だったら、逆に3~4%はあるんじゃないかな?
乳幼児連れ、もしくは妊婦という場合が一番確率が高いと推察される。
毎日新聞に「幼稚園の卒園式をブッチして・・・」という家庭が紹介されていたし、
「幼稚園・小学生を家庭内に抱えている場合」は、それらのしがらみがあるから、
2~3%に留まっていると思う。
しかし、そういうしがらみがない場合、例えば第一子が2歳以下で、幼稚園にも行ってない、という場合、
あるいは第一子妊娠中、というような場合は、それこそ5%超えているんじゃないかと推察される。
ということで、「1~2歳児のママ友」とか「妊婦教室友達」というコミュニティーに属している場合は、
「疎開率=5%以上」となるので、「ちょくちょく聞く話」ということになる。
ただ、この妊婦の疎開率も、多分5%強で打ち止めじゃないかな?
「西日本に実家があったり、お金に余裕がなければ」誰でも疎開できるわけじゃないので、
これを書くと「情弱」「ヘタレ」「デマを流すな」といろいろ書かれそうだが、備忘録の意味で書いておく。
23区でも割と都心寄りに住んでいるので計画停電の影響は殆どないし、
にもかかわらず疎開させたのは、ひとえに「放射能対策」、それ以外に理由はない。
文系ではあるが、もともと原子力についてはいくつか本は読んでいる。(推進派・反対派いずれも)
なので多少の予備知識はあるつもりなのだが、
結局「ワーストシナリオの場合でも、23区内は(乳幼児にとっても)大丈夫」という確たるクレジットが、
自分が探した範囲内で得られなかったから、疎開の理由はそれに尽きる。
恐らく、「ワーストシナリオで、23区内に放射性物質が飛来し、健康被害が生じる」確率は、
1%あるかないかだろう。
なので、通常であれば、99%の確率を信じて、都内に留まるということになるだろう。
それは「99%に掛ける責任を、自己責任で負ってもいい」と自己判断したからである。
(自分もいわば「中年メタボ」なので、「ガンで死ぬ前に、脳卒中とか心臓病で死ぬワイ」という
開き直りの気持ちもある)
親が判断を代理行使しなければいけないのだが、不幸にして「1%」の事態に陥ったときに、
自分は、自己決定できない子供に成り代わって、「1%であっても、回避できるのであれば、回避する」
のが親の務めと思って、回避させた。
もともと13日の水素爆発の時点で、「事態の収拾が難航しそうだ、最悪の場合は避難しなければ・・・」と
妻と話していて、妻の実家にも下話はしていた。
その後様子を見ていたのだが、
「2号機の圧力容器破損」
「4号機で火災」などのトラブルが相次ぎ、「どうも事態収拾ができなさそうだ」と判断した。
特に「高レベルの放射線量が計測された」というニュースが決定打になった。
※その日、新宿でも低レベルの放射線量が計測されたが、それは疎開の理由ではない。
医学的知識が少ない人の場合、少量の放射線に怯えて疎開している向きもあるようだが、自分の場合は
「自然放射能」とかも知っているので、低レベル放射線自身はこわく無かった。
「(放射線防護しながらの)現地作業員の回復作業が困難、というより不可能になる」と判断したからである。
単機のトラブルだと兎も角、複数機のトラブルなので、現地作業員による事態収拾は「まず絶望的」と思ったのである。
恐らく、このあと数日は、「放射能を避けながらの最大限」の作業が行われるだろう。
しかし、それは通常の「放射線を気にしないで行う作業」の、10分の1、100分の1の作業効率しか上がらないと予想された。
(実際、15日以降、今日までの事態はそのように推移している)
となると、遅かれ早かれ、「事態収拾困難」で白旗を上げる時期が来る。
その後はメルトダウンなのか再臨界なのか「神のみぞ知る」状態になる。
そういうワーストシナリオであっても、風向きが南風だったり北西風であれば、
しかし自分は「関東は、時々北東~北北東の風が吹いて、天気がぐづつく」という気象現象があるのも知っていた。
恐らく1年365日のうち20日程度だろうか、全国的に晴天なのに、関東だけ曇りや小雨という気象条件の時があり、
そういう場合は関東東側に小さな低気圧があって北北東の風が吹いているのである。
※茨城福島沖の湿気を含んだ空気が、北北東の風に乗って関東山地(箱根など)にぶつかり、弱い雨が降る。
冬型気圧配置で、日本海側、それも日本海側の内陸で降雪があるのと同じ理屈
となると、折悪しくこういう気象条件の場合にワーストシナリオが発生した場合、
汚染された気流が関東に流れ込む形になり、しかも悪いことに「降水」する危険性が高い。
今回の原発事故以降、毎日数時間は原発関連テレビを見て、かつ「はてな」で情報収集しているのだが、
この関東特有の気象条件について言及している学者が一人もいないのが不思議である。
※希望的観測を言えば、福島茨城県境に山地(八溝山など)があるので、そこである程度放射性物質が
落下してくれるかもしれないが・・・
で、「ワーストシナリオ」発生時に「あわてて家族一緒に避難する」という選択肢もある。
15日の放射線量データを見てもわかるように、関東山地以西、山梨や静岡は、
北北東気流が遮られるので、格段と影響が小さくなる。
関東4,000万人が一斉に避難行動を開始した場合、様々なパニックが予想される。
実際に避難できる方向は静岡方面と山梨方面だと思うが、自分がラフに計算したところ、
「東名高速と中央道が徒歩避難者に開放されたとしても、両高速道路で関東脱出できる人数は32万人/時、
関東全員が県境を越えるのに125時間かかる」という結果になった。
要は東京マラソン状態になって、「125時間の大渋滞」が県境で発生するのである。
「徒歩」という前提で計算したが、自家用車とかだともっと悲惨な結果になる。
要は「ワーストシナリオ発生後に関東脱出できる」人は「関東全人口のせいぜい10%もいない」のである。
事実上、ワーストシナリオ発生後の脱出は「不可能」と言ってよい。
「ワーストシナリオ発生する前に、事前に疎開させる」というのが親として取るべき行動、という結論になった。
勿論、個々の事情はあって、自分の場合は「妻の実家が関西」という有利な条件がある。
※親類が西日本に居なければ、「1%のリスクを甘受して、東京に留まる」という選択肢を取ったと思う。
唯一のネックは「上の子が小学1年生で、まだ終業式を迎えていない」ことである。
春休みまでの数日間、学校を「ズル休みする」格好になり、この点を妻はさんざん抵抗した。
「終業式以降じゃダメなの?」
「A=今避難して、その後何もなくて、「取り越し苦労だった」と嘆く。
B=今避難せずに、その後万一のことが起こって、「あの時避難しておけば・・」と後悔する。
Aの嘆きなんて、所詮「後になれば笑い話」だし、子供の長い人生の中で、1週間の休みなんて、どうということはない。
「Aの嘆き」と「Bの後悔」では、全然質が違う」
それでも渋る妻に、奥の手も使った。
大学時代の友人で、今は某私大の准教授(専門は化学)に、「疎開を考えているがどうだろう?」と
で、その准教授の肩書きとともにメールを見せて、いわば「権威付け」して、妻も納得した。
(後日その准教授は自身のツイッターで「西日本へ疎開できる家庭環境の人は、疎開していいのでは?」と書き込んだようだ)
「今ワーストシナリオになってないだろうか?子供は大丈夫だろうか?」と
15日以前は、常に原発が気になり、正直仕事が手につかなかった。
その点、16日以降は「後方の憂えがない」状態なので、仕事がはかどる、はかどる。
「自分はワーストシナリオでも、まあガン化確率がちょっと上がるだけじゃん、んなもん気にしてられっか!」と
自分なりに「事態が収拾され、ワーストシナリオが回避される」時点を見極める必要があるから。
早期に事態収拾されるなら、終業式くらいは出席させよう、というハラである。
私見だが、冷却電源が確保され冷却(原子炉&使用済み燃料プール)に成功すれば、
事態収拾と判断していいと思うのだが・・
まずは、この度の大地震・大津波で被災された方々の安寧と一刻も早い復旧を祈ります。
私の叔父の一人が、被災地域のひとつに非常勤で働きに行っていた医師なのです。
と言っても臨床経験は浅く、今までは裏方的な仕事をしていた人なので、
実際には長期安定した患者さんに定例の薬を処方するのが主な仕事のようです。
そこは普段からかなり交通の不便な場所で、いわゆる限界集落というものだろうと思います。
街の病院から往診車が山道を通って月に数回来る以外、何の医療設備もありません。
今回、その基幹となる病院が津波の被害を受け、機能停止状態に陥っているそうです。
叔父は往診車でその集落へ向かう日以外は都内に暮らしており、震災時も都内に居ました。
当初はその地域の情報がなかなか入らず、どうにか病院関係者と連絡が取れたものの
上記のような有様で、叔父は集落の人たち(ご老人ばかりらしい)の事を心配しています。
何とか自家用車で集落へ行けないかと、地図を見たりしていますが、
渋滞による物資の輸送遅延を防ぐために極力個人で被災地域へ向かうのは避けて欲しい、という
当該地域の公式HPの記述もあり、私としてはこの場合はインフラの復旧を待つしか無いと思っているのですが、
叔父は「自分は医師であるから、一般の個人とは事情が異なる」と言っています。
それにしても肝心の病院が動いていないのでは、薬の処方もできないし…
食料や水の補給といった目的で行くのなら、医師は関係無いのでやはり一般人扱いな気がします。
しかし、普段見ている人たちが取り残されて心配な気持ちも分かります。
追記:
お返事ありがとうございます。今は時間がないので、あとでゆっくり拝見します。
往診車の基幹となっている病院ですが、津波で浸水したのと電気が通じないのと(自家発電も長く持たなかった)で
元々人手不足気味の病院なので、この非常事態では医師の数も決して足りてはいないと思いますが。
逆に言えば、電気が通じるようになれば、ある程度機能するのかもしれません。