はてなキーワード: 秘密警察とは
一人息子を戦争で亡くした元連邦の技術者テム・レイは復讐心から、ジオン統治下のサイド7でレジスタンス組織に身を投じる。
その組織を支援する謎の男(シャア)の要請で、ジオンのザクを凌駕する新たなマンマシーンの設計開発に没頭するレイ博士。
そんな日々の中、博士はある噂を耳にする。
馬鹿馬鹿しいと聞き流そうとした博士だったが、その世界では戦争で活躍したアムロという少年兵が戦後のアイドルになっているという。
「レイというらしいんですよ。その少年は。それで博士のことを思い出して。」
「どこから死んだ息子のことを聞いたのか知らないが冗談にもならないことで私を怒らせる気か!?」
その噂話を悪い冗談だと激怒しかけるが、その場にいた謎の男(シャア)もその噂を知っているといって博士を制止する。
一方、噂話を調査していたジオン秘密警察の手先カイ・シデンはアムロ・レイが実在していたことを突き止める。
テム・レイ、カイ・シデンにマークされてレジスタンスであることが露見する。
カイ・シデンの情報から、謎の男(シャア)は視察に訪れていたカルマ・ザビの殺害に成功する。
その頃には噂話は書籍となって流布していた。
ジオンの情報検閲を逃れるため、文字通りの物理的な本となっている。
ガンダムと題された、その本ではテム・レイ博士がガンダムの設計者として登場し、息子のアムロ・レイはガンダムの操縦者となっていた。
そして国父ジオン・ダイクンの息子として、謎の男(シャア)とそっくりな男が登場している。
この噂話を広めた黒幕は謎の男だったのではないか?と、推測するレイ博士。
ガルマ殺害から、レジスタンスへの追求は厳しくなり、サイド7からの逃走を余儀なくされるレジスタンス達。
ホワイトベースという船名の古ぼけた貨物船に乗り込んで逃げる。
ホワイトベース出港。
謎の男、ガンダムから全世界に向けてテレビ演説「私の名はアムロ・レイだ。」
第一話終了。
なんか1時間くらいの米国ドラマを観ているような感覚で上記のような夢を見た。
夢だからもうちょっといい加減だけど、無理くり文章化したらこんな感じ。
続きが見たい。
新自由主義が失敗した理由なんて対極に位置する行動経済学から言えばものすごく簡単で
「世の中には、何もしない方が自分の利益になるしかえって自分の不利益になるのをわかって(わからない奴もいる)いるのに、他者の利益を妨害する行動を取る人間がいっぱいいるから」に尽きる
基礎研究では絶対にギャップを埋められないから産業スパイ何十万人も訓練して各国に投入して技術をパクってリバースエンジニアリングで産業生産ギャップを埋めようとしたが
別に自国内で犯罪を犯していないし、国の利益のためにやってることなのだからほっておけば丸く収まったのに
敢えてそれをやった結果、イギリスのトーネード戦闘機の開発主任チームに入ってた東ドイツの産業スパイが同じ東ドイツの密告で捕まった
もしそんなことしてなければ、今ドイツは単独で戦闘機を開発できるノウハウがあったと言われてる
ピノチェト政権だって、新自由主義なのに軍部独裁とかいう意味不明な政治体制のせいで国内産業とインフラ壊滅させただけに終わった
儲かってる企業とマトモに競争するよりあいつはスパイだってでっち上げて密告して、脳筋の秘密警察や軍隊に経営幹部全員ヘリからアンデス山脈に突き落とす「死のキャラバン」やらせた方が効率がいいからな
でもこれやった結果産業は壊滅したわけで
武蔵大学北村紗衣先生のディストピア文学の読み方が話題になっている。「ディストピア文学を自分の住んでいる日本に結び付けないのは問題」が話題になるのも当然で、数多くの専門家が北村紗衣先生の教えに反しているためである。
フィクションに限っては、人はユートピアよりもディストピアが好きだ。その心理は、ホラー小説や絶叫マシンを楽しむ心理に似ているのかもしれない。エンタテイメントとして「死」を疑似体験することで、私たちは命の価値を噛みしめ、平凡な日常の輝きを見つめ直すことができる。それと同じメカニズムで、「お話」としてのディストピアに浸ることによって、自分が身を置いている現実の良いところを再確認し、フィクションのディストピアが未来の現実にならないようにするには何を心がけるべきなのかと考える機会を得る。(書評 ディストピア・フィクション論…円堂都司昭著)
自分が今いる良いところの再確認(「日本はディストピア作品みたいになってない(これからもならないようにしよう)」)は、ディストピア作品が自分のいる場所を描いているとして読むことの真逆である。
「こうなったら嫌だな」とは思いつつも、現実感はありませんでした。ただヒトラーやスターリン下の世界では、こういうことが起こり得るのかなとは思いましたが。(社会人になって1984年を読んだ感想)
フランスの作家による新たなディストピア小説の出現だ。(略)終盤で一度ならぬ“どんでん返し”がある。本作はある種、現在のアメリカ、あるいはアメリカに象徴される利潤追求第一の物質的競争社会に対する、シビアな警告と挑戦状ともいえるだろう。(『透明性』/マルク・デュガン 書評)
(小川洋子著)『密やかな結晶』(英題The Memory Police、スティーブン・スナイダーさん訳)も「神話のような響きがあり、寓話(ぐうわ)でも、ディストピアでもある」と評された。帽子、リボン、小鳥、様々なものが消滅していく島で、秘密警察が消滅が滞りなく進むよう監視の目を光らせる物語だ。
日本では1994年に刊行された作品だが、選考委員は「何年も前に書かれていながら、あまりにも現代的で目を見張らされた」と驚きを口にした。米トランプ政権下などでフェイクニュースが横行して真実が失われ、コロナ禍で人々が集まる様々な活動が控えられる現実が作品世界に重なった。(興野優平)=朝日新聞2020年9月2日掲載(ブッカー国際賞、「ディストピア」がキーワード 小川洋子「密やかな結晶」も最終候補)
イギリスの文学賞選考委員であるが、ディストピア作品をアメリカと関連付けている。
身も蓋(ふた)もない本音で支持を集めるトランプを見て個人的に想起したのは<3>庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』(新潮文庫・497円)だった。(略)「感性」がつぶしにかかる戦後民主主義ひいては人間の文明という「知的フィクション」を守るために薫くんは戦っているのである。だが勝ち目は見えず、敗北すなわちディストピアの到来が覚悟されて終わる。「知的フィクション」に、たとえば「ポリティカル・コレクトネス」(差別や偏見を含まない言葉遣い)などを代入すれば、トランプ危機との近しさが見えるだろう。 (ディストピアの予感)
日本を舞台としたディストピア作品をアメリカと結び付けている。
果たして今後、世界はどうなっていくのか。世界情勢とともにディストピア小説の動向を追ってみると、新たな発見があるのではないでしょうか。(【ディストピアとは?】「監視社会」や「行動の制限」などの“あるある”から徹底解説。)
ディストピア作品を世界情勢に結び付ければ発見があると書いている。
トランプ氏は、メキシコ国境の壁、難民やイスラム圏からの入国制限など過激な政策を進めているが、「独裁者を彷彿(ほうふつ)とさせる姿がこうした小説を連想させるのかもしれません」と山口さんは推測する。(好調ディストピア小説 トランプ政権誕生で脚光!? 小松左京さん「アメリカの壁」も電子書籍で)
文芸春秋では「小松さんはSF作家であると同時に優れた文明史家でもある。小松さんの鋭い洞察に触れることで、米国でいま何が起きているのか考える契機になるのでは」と話す。(同上)
批評家の佐々木敦さんは「トランプ氏の存在自体が戯画的。以前は考えられなかったようなことが起こっている」と指摘。「現実がフィクションを超えてしまった。今を知るための手がかりとしてディストピア小説が読まれているのでないか」とみている。(同上)
(北村紗衣先生の教えでは、間違った解釈や浅薄な解釈となる)日本以外に結び付けるというディストピア作品の解釈は、学生だけではなく、書評の専門家にも多く蔓延していることが実例で明らかになった。「アメリカはディストピアだ」と言っておけばよいといった間違いで浅薄な解釈が、日本のみならず、イギリスの文学賞選考委員にまで広がっていることは、驚愕すべき事実である。数々の専門家も間違えている、「ディストピア作品を新しく、深く解釈するために、自国に結び付けることを常にしなければならない」というディストピア作品解釈の素晴らしい方法を公にされた武蔵大学と北村紗衣先生に感謝し、世界中の人にぜひとも広めてほしい。
■ 慶應閥
三田会という組織を中心に、秘密警察のように梅雨時のカビのように広がる。
大学の特性として、平均的には能力が高いものの、本物のポンコツが結構含まれている。
にもかかわらず依怙贔屓で上からの引っ張りがあるので、バカ上司死ねと思ったら慶應だったりする。
慶應閥が強くない会社でも、トップが慶應になったとたんに慶應閥がはびこりがち。
慶應閥がはびこった会社は、必ず滅亡への道を歩む。カネボウ、三越、東芝…
地方ベンチャーとかで元気よかったのに、二代目が慶應で没落というのもよく聞く話。
要は、大変たちが悪い。
■ 一橋閥
如水会という組織を根城に、ハイフライヤーって感じで勢力を伸長する。
慶應との違いは、2つほどある。
一つは、単に就職偏差値が高い程度の会社だと、一橋出身者は閥をなすほど入らない。非常に高い会社にのみ存在する。
もう一つは、平均的能力も高いのは言うまでもなく、明らかなポンコツはごくまれ。
それにしても上からの引っ張りは強力。
要は、相当たちが悪い。でも慶應ほどではない。なぜか。
一橋閥は能力が高いし、彼らは一橋卒といえども無能を嫌うので、慶應閥のように会社を潰すことは稀だからだ。
鞏固な結束を誇る一橋閥にしても、慶應閥にしても、結束力がむやみに強い理由は、本質的には一つしかない。
それは次で述べる。
■ 東大閥
個々の戦闘力では、ほとんどの場合慶應と一橋は東大には及ばない。
むろん、慶應・一橋のトップと東大のボトムを比べれば、前者が圧勝するのは言うまでもない。
しかし、慶應・一橋のトップが入るとこには、東大のトップが入り、やはり残念ながら、個々の戦闘力では勝てない。
東大卒は無能を嫌う。東大卒の無能を最も嫌う。一緒にするなと思うからだ。
東大閥が存在すると言われる組織はあまたあるが、実際には東大閥は存在せず、たまたま東大卒がたくさん入るというだけだ。
東大法学部は経済学部と教養学部をさげすみ、経済学部と教養学部は文学部をさげすみ、群れることは一切ない。
一人ぼっちのオオカミが群れているように見えるのが東大閥の正体だ。
ただし、彼らは無能をことのほか嫌い、有能を評価するが、その場合の有能の評価基準は、知的な情報処理能力の高さだ。
そして、その能力が高い人間は、結果として東大卒である場合が多い。
東大卒が閥をなすとき。これは、慶應か一橋か京大のいずれか2つが閥をなし跋扈している場合だ。
その場合の東大閥の腹黒さ、他を蹴落とす策略の陰湿さは他に例を見ない。
結果として、東大閥と慶應閥と一橋閥と京大閥が争った場合、ハルマゲドンが発生する。
このハルマゲドン、私は唯一例しか知らないが、メガバンクが一個、本当に10年足らずで吹き飛んだ。三和銀行である。
■ 京大閥
京大は、地理的な遠隔もあり、上の三者の中間的な立ち位置になる。
すなわち、関西にあっては東大のように振る舞い、東京にあっては一橋や慶應のように振る舞う。
しかし、東京にあっては数が少ないので、慶應や一橋のようなパワーは多くの会社で持っていない。
京大閥が跋扈する会社は、関西発祥だが東京で生き延びている、住友系の会社が主である。
なお、東大に官僚志向が強いように、京大も、官僚志向が存在する。
しかし、国家公務員は東大濃度が高すぎるので、大阪市役所あたりに隠然と力を蓄えたりしている。
が、ここ30年の大阪市の長期低落で、有能な才能がすべて無駄遣いされている。
東大卒や一橋・慶應閥の荒野の中で勝ち抜いた京大卒というのが時折トップになるのを見る。
ただ、そういうトップは、意味なく東大を排除したりするので、コンプレックスというのは度し難いと感じさせられる。
結果、京大卒のトップが、東大を排除した結果、一橋又は慶應が跋扈するという事態が発生するのは時折観察される。
某赤いメガバンクなんかそうなってるって聞くよね。
他にリクエストがあれば書くよ!
僕は自由とは、ルールがない事ではないと思っている。むしろルールがあってこそ、それを守ってこそ自由があるのではないか。
誰にでも殺人をして良い自由があれば、刺された誰かの身体の自由は失われる。
自由は種類がありすぎる。その中で、どの自由を「皆が」選ぶかだと思うのだ。
最近のアンパンマンのパンチは暴力的でないか、というトピックには衝撃を受けた。アンパンマンが暴力的という発想を考えたこともなかったので、面白いと思ったのと同時に、これで表現が縮こまっていってしまうとしたら怖いなと思った。
最近の声を上げる人たちは怖すぎる。
独断と偏見で言わせてもらうと、日本人は周りに従いやすいから、初めに声を上げた人と同じように喋ったり、考えたりしてしまうからだ。
だからこそテレビや本などの表現は、そういう人たちを刺激しないように気を使ってしまって、そして日に日に穏やかに、牙の抜けたものになっていってしまっている気がする。
万人を納得できる表現など存在するわけがないし、単に見なければ良いだけの話なのに、彼らは正義感を燃やしたがる。公権力よりも、もっと取り締まりが激しい秘密警察みたいで本当に恐ろしい。
彼らを慮って外に出られなくなった今の日本に、表現の自由はどう存在して良いというのだろうか。
ならいっそ、ここまでの制約の中なら表現していいよというルールを決めておけば良いのではないだろうか。
そしてそれは納得だとかそういうのをすっ飛ばして、ルールとして確固に存在すればするほど良いと思う。そうすれば誰にも邪魔されず、表現はほんの少数の誰かの正義とぶつかって消滅するなんて馬鹿なことは無くなるんじゃないだろうか。
今から教育でどうにかするには、遅効性すぎるし、今の大人達全てに教え直すのは非現実的だ。
この話題で議論が始まって、皆が互いに互いの意見があることを、そして表現に正解がないことをなんとなくでも、ぼんやりでもわかってくれるのが本当は一番良いし、すっきりしてる。
こうやって虐待死が起きた時だけはみんな「もっと児相に権限を!」だの「どんどん家に踏み込め!」だのとドンチャカドンチャカ勇ましいもんでさ、子供のためならそのうち秘密警察でも肯定しちゃうんじゃねえかみたいな奴までいるけどよ、
でも君らそのうちケロッと忘れて、また他の話題で別の何かに八つ当たりするだけでしょ?
本当はガキも児相もどうでもよくて、「誰かを殴ってストレス解消したい」「正義面できればなおよし」本当にこれだけのメンタリティなんだから
つまりはさ、野球やサッカーのファンによくいるアレだよ、「あの場面でなんでこうしないんだ」とか「あいつを出せ」とか、監督でもコーチでもなければ一切何の責任も取らないくせにわめき散らしてるような連中
というか、今偉そうなこと言ってる奴こそ、いざ児相がどんどん踏み込んだ挙句に何かやらかしちゃった時には、それこそ真っ先に駆けつけてぶん殴ってる気がするけどなあ
そうもなるだろ?
確固たる主義があるわけでもなく、単に他罰的なだけで、常に殴りやすそうなものを探しては怒鳴らないと気が済まないタチなんだから
だからそういう無責任はさ、せめて娯楽だけにしときなよ、別に野球でもサッカーでもアニメでも、推しのアイドルでも何だっていいんだし
さも社会派みたいな面して、その場限りで偉そうなことばっか言ってんじゃねえって
孝謙天皇。
お気に入りの僧侶を後継者にしようとし、それを諌めた者を卑しい名前に改名させるなど、きわめて冷酷かつ感情的に振る舞った。
呂后。
漢の高祖・劉邦の妻。
夫が死ぬと絶大な権力を握り、側室の四肢を切り落として厠に放置、「人豚」と呼んで糞尿を浴びせた。
武則天。
前皇后は四肢を切り落とされて生きたまま酒壺に漬けられ、数日間泣き叫びながら絶命。
アフリカの黒人をアメリカ大陸で売ることで利益を上げて国内の安定を得た。
インドをはじめとして世界中を植民地にして圧政を敷き、イギリス帝国主義の最盛期を迎えた。
650人もの若い娘を誘拐して惨殺、美貌を保つためと称して人肉を食べて生き血を浴び、女性器を切り出して性的興奮を覚えていた。
国内では異教徒を虐殺、対外政策ではコロンブスをはじめとして征服者を援助し、アメリカ大陸から資源を収奪する構造を作り出した。
男性には思いつきもしないような残虐な暴力性が発揮されている。
ネトウヨ〇〇のBAN祭りというのがツイッターをやっているネトウヨの反対勢力(呼称が分からない)の間で流行っているいるらしい。
具体的には自分や身内がネトウヨに絡まれた時、少しでも不穏な発言をしたならツイッターに規約違反で通報するのだ。
ちなみに、ネトウヨって自称する人はあんまりいないので誰がネトウヨかは主観であることは間違いない。
おそらく自分や身内に絡む人=ネトウヨ なのだろうが (そもそもネトウヨの定義ってなんだ)
別に攻撃的な発言をする人を通報する事自体に異議はないのだが、いくつか問題と思える点があって
いわゆる差別的であるとか、攻撃的であるとかいう発言でなくても通報されていることがある。
例えば「ローラには失望した」これだけで通報している人がいる。
何らかの思想等を発言することはなく、発言するのは「今日は〇〇件通報したよ!」などの報告である。
反対勢力から絡まれそうなツイートにタグ付けて拡散→かかった奴を通報 が基本のようである。
そしてこのような活動は発言することを委縮させるのでやはり言論への圧力である
BAN祭り、何て言われたら私ネトウヨかもって思ってる人は怖くて発言できません。
別にネトウヨかもって思ってなくても祭り参加者には関係ありませんが。
環境についての継承なら那覇空港にも言及したらいいのにってつぶやいただけで通報とか怖すぎません?
特定の思想を持つ人をサーチしたり観察したりして通報って君ら秘密警察か何かか?
やはり以下略
ところで、ネトウヨって言葉自体がすでに差別的だと思いません?
何か言うと「はい、通報しました」では なにくそ! となって仕返ししたりします。
そして通報合戦になりお互いがお互いの動向を監視したりってなったりしそうじゃないですか?
しないですかね?とにかく息苦しいです。
その他として
通報する→BANされる→俺は正しい→つまりネトウヨは悪 となっている人がいたり、
自分はBANされない→俺は正しい→つまり以下略 となっている人がいたり。
後者に関しては自分で勝手に敵を作っちゃってるじゃないですか。
自分たちはBANされないからって奴らは通報の仕方もわかんない低能だからねwww
というようなことを言ってる人もいましたが、ネトウヨさんと通報の基準が違う可能性は考慮しました?
自分たちが始めた活動で相手の地位を陥れた気になりさらに活動意欲を高めている→対立激化
他にもあった気もするが概ね上記によりBAN祭りって活動にはどうにも良い印象がない、というかやめて欲しい。
そりゃあ行き過ぎた発言はたしなめられるべきだし、差別や暴力的な発言はやってはいけない。
けどそこまでひどくない発言を取り立てて通報するってのはやりすぎだと思う。
「そんなこともわかんねぇのか?」って煽られたり、「小学生でも知ってるぞバーカ」って煽られたりしたくらいブロックで済ませろよ。
普通はクラスメイトに悪口言われたからって親にでてきてもらわないでしょう(集団又は長期的に続く場合は除く)
というわけで、BAN祭りに熱中してる人は頭冷やしてください。
そうなると多様性とやらは失われ、それこそあなた達の恐れる独裁状態になるんですよ?
別に過激なネトウヨさんの肩を持つつもりはありませんが、今回はそういう趣旨なので許してください。
私の主張は以上です。
ちなみにこの内容をツイッターでつぶやいたら通報されるってくらい流行ってます。
おしり!
どこでも同じようなことは実施していると思うが、我々の組織でも、所謂社員アンケートを実施している。
言い方は、会社ごとに違うようだが、中身は同じ。
本来はこうあるべきなんてことを話しても、空しいだけだから、そこは割愛して、丁度、リストラフェーズに
入り始めたあたりからだが、社員アンケートの結果に、人事や経営層が浮き足立ち始めたのが、ことの始まり。
で、この動きの中で、我々は、当時の上司から、上司自身の問題(所謂モラハラ、セクハラ、パワハラ)のうち
モラハラ、パワハラの責任をこちらに押し付けて、幕引きを画策し、稚拙な演出にもかかわらず、当時の経営層は
見抜くことができず、我々を首にして、知らんふりになったのだが、今回は、その続編のようなもので、まあ、おそらく当時から
行われていたと思うが、今回、に限らず毎回アンケート結果が悪い。
そこで、人事や特命係長のような人物を任命して、どの課長や部長がわるいのか、犯人探しを、こっそりとしていることがわかった。
結局、今年に限らず、毎年犯人探ししてたんだとと思ったら、がっかりを通り越して、
「そのやり口は、秘密警察国家ですよ、Iさん」と、心の中でつぶやいた。
この犯人探しの犠牲者が、我々だったのかと、改めて理解できた。
バカなの?真逆ですよ。どんなに秘密にしても秘密警察だ憲兵だって取締れるのが独裁政権でしょ。
今を独裁って呼んでおいて本当にあなたののぞみ通り法律乗り越えすべての国民をガチ取締する本当の独裁政治になったらなんて呼ぶの?
「我が国バンザイ、憲兵と指導者様バンザイ」って国民大会で缶詰一つのために叫ばされてみる?
そういう独特の言語感覚は別の国でつかえば今からでもばっちりですよ?どうぞいってらっしゃいませ?
ついでだからhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E6%AD%A3%E6%97%A5%E3%81%AE%E5%91%BC%E7%A7%B0%E4%B8%80%E8%A6%A7
■ 慶應閥
三田会という組織を中心に、秘密警察のように梅雨時のカビのように広がる。
大学の特性として、平均的には能力が高いものの、本物のポンコツが結構含まれている。
にもかかわらず依怙贔屓で上からの引っ張りがあるので、バカ上司死ねと思ったら慶應だったりする。
慶應閥が強くない会社でも、トップが慶應になったとたんに慶應閥がはびこりがち。
慶應閥がはびこった会社は、必ず滅亡への道を歩む。カネボウ、三越、東芝…
地方ベンチャーとかで元気よかったのに、二代目が慶應で没落というのもよく聞く話。
要は、大変たちが悪い。
■ 一橋閥
如水会という組織を根城に、ハイフライヤーって感じで勢力を伸長する。
慶應との違いは、2つほどある。
一つは、単に就職偏差値が高い程度の会社だと、一橋出身者は閥をなすほど入らない。非常に高い会社にのみ存在する。
もう一つは、平均的能力も高いのは言うまでもなく、明らかなポンコツはごくまれ。
それにしても上からの引っ張りは強力。
要は、相当たちが悪い。でも慶應ほどではない。なぜか。
一橋閥は能力が高いし、彼らは一橋卒といえども無能を嫌うので、慶應閥のように会社を潰すことは稀だからだ。
鞏固な結束を誇る一橋閥にしても、慶應閥にしても、結束力がむやみに強い理由は、本質的には一つしかない。
それは次で述べる。
■ 東大閥
個々の戦闘力では、ほとんどの場合慶應と一橋は東大には及ばない。
むろん、慶應・一橋のトップと東大のボトムを比べれば、前者が圧勝するのは言うまでもない。
しかし、慶應・一橋のトップが入るとこには、東大のトップが入り、やはり残念ながら、個々の戦闘力では勝てない。
東大卒は無能を嫌う。東大卒の無能を最も嫌う。一緒にするなと思うからだ。
東大閥が存在すると言われる組織はあまたあるが、実際には東大閥は存在せず、たまたま東大卒がたくさん入るというだけだ。
東大法学部は経済学部と教養学部をさげすみ、経済学部と教養学部は文学部をさげすみ、群れることは一切ない。
一人ぼっちのオオカミが群れているように見えるのが東大閥の正体だ。
ただし、彼らは無能をことのほか嫌い、有能を評価するが、その場合の有能の評価基準は、知的な情報処理能力の高さだ。
そして、その能力が高い人間は、結果として東大卒である場合が多い。
東大卒が閥をなすとき。これは、慶應か一橋か京大のいずれか2つが閥をなし跋扈している場合だ。
その場合の東大閥の腹黒さ、他を蹴落とす策略の陰湿さは他に例を見ない。
結果として、東大閥と慶應閥と一橋閥と京大閥が争った場合、ハルマゲドンが発生する。
このハルマゲドン、私は唯一例しか知らないが、メガバンクが一個、本当に10年足らずで吹き飛んだ。三和銀行である。
■ 京大閥
京大は、地理的な遠隔もあり、上の三者の中間的な立ち位置になる。
すなわち、関西にあっては東大のように振る舞い、東京にあっては一橋や慶應のように振る舞う。
しかし、東京にあっては数が少ないので、慶應や一橋のようなパワーは多くの会社で持っていない。
京大閥が跋扈する会社は、関西発祥だが東京で生き延びている、住友系の会社が主である。
なお、東大に官僚志向が強いように、京大も、官僚志向が存在する。
しかし、国家公務員は東大濃度が高すぎるので、大阪市役所あたりに隠然と力を蓄えたりしている。
が、ここ30年の大阪市の長期低落で、有能な才能がすべて無駄遣いされている。
東大卒や一橋・慶應閥の荒野の中で勝ち抜いた京大卒というのが時折トップになるのを見る。
ただ、そういうトップは、意味なく東大を排除したりするので、コンプレックスというのは度し難いと感じさせられる。
結果、京大卒のトップが、東大を排除した結果、一橋と慶應が跋扈するという事態が発生するのは時折観察される。
他にリクエストがあれば書くよ!