はてなキーワード: 梅干しとは
同棲1年→結婚して半年ほどだが、同棲している頃からずっと嫁のご飯の食べ方が変で困っている。
例えば自分の場合、「メインのおかず」「白米」「汁物」と献立があった場合、おかず→白米→汁物→おかず→白米→汁物→・・・とループしながら少しずつ食べていく。いわゆる三角食べというやつ。
ただ嫁の場合、まずおかずを全て食べきる→白米を白米だけで食べきる→汁物を汁物だけ飲む、というような一皿ずつ制覇していくような食べ方をする。
あと、亜種として「ラーメンの上の具だけを先に食べてあとで麺を食べる」「とんかつとキャベツを並行で食べず、かつだけ食べてからキャベツだけ食べる」みたいなパターンもある。
(ただし丼ものやカレーなどは「これで一品の料理」という認識らしく、これらについては普通に一緒に食べる)
嫁と暮らすまでこういう食べ方をする人間を見たことがなかったので認識していなかったが、どうもこういう食べ方を「ばっかり食べ」というらしい。
おそらく用語として存在しているということは、嫁だけが特殊なのでなく世間にはこういう食べ方をする人間が少なからず存在し、問題視されているのだろう。
嫁本人は自分の食べ方が変わっているという自覚はなく、今まで指摘を受けたこともなかったので、直すつもりもないらしい。
むしろ「色々なものを口に入れると味が混ざる」「一つずつ食べるほうが皿の上げ下ろしが少なくて効率がいい」「米は米だけで味わうべき」という感じで、むしろこっちがおかしいような気持ちになってくる。
〝ばっかり食べ〟でググってみると「ばっかり食べは行儀が悪いから直すべき」という意見と「おかしくないから直す必要がない」という意見が半々で、頭ごなしに「おかしいから直せ」と言えるものでもないらしい。
世間で言う、子供の左利きを矯正するか個性として伸ばすかの議論に近い気がする。
困っているのは注意しても直さないとかではなく、そもそもこれが注意すべきことなのか、強制して直させるべきなのかという部分がわからないことだ。
自分は家が結構マナーにうるさく、橋渡しや刺し箸について結構注意を受けたことがあり、おそらく自分がばっかり食べをしていたらこれも注意して矯正されていたと思う。
ただ、今どきは自由でのびのびと個性を育てる多様性みたいな風潮もあり、自分が細かいことを気にする保守的な頭の固い人間みたいになるのが嫌で、無理に直せともいいづらい。
ただ個人的な気持ちとしては直してほしいという気持ちの方が強い。
うちは共働きなので、リモートワークの多い自分が家にいることが多く一人暮らしも長かったので、平日の料理はほぼ自分が全てやっている。
献立を考えるうえで「おかずは白米に合うように」「汁物はこってりした料理に合わせてさっぱりするように」という計算を働かせて考えているが、ばっかり食べだとこうした計算が完全に無駄になってしまうからだ。
なので「作る人の気持ちを考えてばっかり食べをやめてほしい」と言いたいところだが、これもまた作る側のエゴを食べる側に押し付ける料理人みたいでなにか強要しにくい。
それにやはり「育ちが悪い」「親にしつけられていない」という印象を持たれやすいリスクもあるが、本人はそれで困ったことがないと言ってるので、あくまで理論武装の域を出ていない感じがする。
あと悩ましいのが、今後もし子供ができて子供がばっかり食べをするようになったとき、これもまた直すべきか否かで自分が折れてしまいそうな気がする。そういう意味でも不安になってきた。
直させるべきか諦めるべきか、率直に意見が聞けるなら聞いてみたい。
最初あまり反応なかったから自分が気にし過ぎかと思ってたけど、朝起きたら結構反応来ててびっくりした。
それに将来子供を持つこと考えたら、子供もやっぱり他人ではなくて自分が責任を持つことになるし。
友達とか同僚がやっててもたぶん指摘するだけで済ますけど、嫁ってなるとそうもいかないなーと思う。
これが一番モヤッとしたんだけど、そもそも「作って出してる俺がコース料理として出してない」んだよね。
たしかにコース料理を三角食べしたらマナー違反だというのはわかるけど、それなら三角食べを前提として作って出した料理をばっかり食べするのもやっぱマナー違反ってことでいい気がした。
客の食べ方にこだわる店の気持ちがわかるようになってきたし、この辺は作って食べさせる当事者にならないとわかんないやつだと思う・・・。
これはそもそも俺の出す献立が、「野菜多めのスープ」とか「野菜多めのおかず」みたいな感じで作ってるから野菜単品の副菜みたいな枠が最初からないんだよね。
ただ野菜多めのスープを最初に手を付ける食べ方はそう考えたらアリだなって気がしてきた。
口内調味みたいな言葉があるのを初めて知ったんだけど、なんか知識が主婦みたいになってきたな・・・。
ガパオとかカレーみたいなおかずとご飯が一緒になってる料理とか、炊き込みご飯は普通にそのまま食べるので、理屈の上では抵抗ないと思う。
オムライスは卵とご飯一緒に食べるのに、オムレツとご飯で出したら一品ずつ食べるのってなんか気持ち的な部分だと思うんだよな。
ごめん、とんかつ↔キャベツを行ったり来たりしながら食べる食べ方の事が言いたかった。直した。
油分をリセットする目的でキャベツが付け合わせにしてあるのに、かつ全部食べたあとにキャベツ食っても意味がないって話がしたかった。
俺は一緒に口に入れてるけど、これについては別々で食べる方が主流だというのは理解している。
ただ、カツとキャベツが一緒に挟まってるタイプのカツサンドだったら一緒に口に入れても違和感ないのに、カツとキャベツだと一緒に入れるのがおかしいことになるの、やっぱりなんか意識の問題だよな・・・。
https://anond.hatelabo.jp/20230614131333
ひえー。すごい。食べ方一つでここまでプロファイリングできるとは。
他にも何人か指摘されてたけど、お察しの通りお互い別地方の出身地→都内で同居中です。
確かにはっきり「三角食いが正しい」と教わった記憶はないけど、言われてみれば無意識レベルで刷り込まれてたのかもしれない。
実は食べ方以外でも、同棲して自分では自覚してなかった県民性に気付かされることは今まであったので、これもその中の一つなのかも。
俺はおかずの塩分で米を食う前提で味付けしてるんだけど、嫁はおかずを食べ終わったあとで更に白米にふりかけをかけることはある。
そこまで頻繁じゃないし目くじら立ててないけど、一般論レベルだと否定される理由にはなるよなあ。
仕事終わってガパオ炒めてたら嫁が帰ってきたので「学校とかでおかずとご飯は交互に食べましょうみたいに教えられなかった?」って聞いてみた。
「言われたけど無意味だと思って従わなかった」って言われた・・・そうだった、こういうやつだった・・・・。
俺も白米だけ食うの無理なのですごいと思う。ていうかこれが一番のズレの原因なのかも。
○ご飯
朝:柿の種。昼:ナポリタン。夜:人参と玉ねぎの味噌かけ。天かす梅干しうどん。間食:アイス。チョコ。
○調子
○ご飯
朝:なし。昼:ナポリタン。夜:ネギと人参と玉ねぎとカニカマと餅の鍋焼きうどん。梅干し。
○調子
○ 一緒に行きましょう逝きましょう生きましょう
ウォーターフェニックス開発で販売はケムコからになる、短編ノベルゲーム。
プレイ時間的には2〜3時間程度と短いが壮大なストーリーが楽しめる面白い作品だった。
目覚めると何故か身体感覚が一才無くなってしまい食事をせずとも生き続けているが身動き一つとれない主人公と、突然死んでは生き返り死んでは生き返りを延々と繰り返す少女との出会い、交流が描かれる。
人類が行った愚かな行為によって地球は荒れ果て、生き残りは彼ら二名だけで、もうすでに文明と呼べるものは何一つない世界になっている。
少女が死を繰り返している理由は、なんと人間の愚かな行いによる哺乳類の死を再体験することでその罪を神に許して貰うためという設定が冒頭から開示される。
以降も神から与えられた贖罪の使命をこなす少女と、それをただ眺めて会話することしかできない主人公との価値観のすれ違いが物語を動かしていく。
この時点でかなりスケールの大きい話になるが、何分メイン登場人物の二人ともが死なない身体を持つため時間という意味でのスケールも壮大になっていく。
全ての哺乳類の死を体験するという膨大な使命を少しづつこなしていく内に、何故全ての生命が死に絶えたはずの世界に神と関係ない主人公がいるのか、本当に人間は誰一人いないのか、少女の使命はどんな結末を迎えるのかと、気になる要素の設定開示がハイテンポに行われていき、短いプレイ時間の中で大河的な壮大な価値観にふれることができる。
人の身では想像するのも難しいようで、ある意味では人の身だからこそ考えなければいけない、生きるということの根源的な意味、神との向き合い方、絶対に死が訪れるのにどうして生きるのかなどの問題に、死が訪れない二人故の答えが例え話でなく、こねくり回した表現でもなく、良い意味で伝わりやすいシンプルなものなのも印象深く面白かった。
そして、タイトルの「一緒に行きましょう逝きましょう生きましょう」が万感の思いが込められたいろいろな感情が詰まったもので、所謂タイトル回収シーンは深く染み入る良きものだった。
そんな価値観を問う壮大なストーリーに魅力的な補助線を引いてくれるのがヒロインの少女の可愛さ。
こんな過酷な状況ながら無垢で愛らしいシーンが多く、彼女が少しずつ知識を身につけていき、感情に名前を付けていく。
この無知な少女が人間らしさを身に付けていくという筋道があり、このヒロインが可愛いからこそ、軸がブレずかつ娯楽作品としての楽しさも担保していた。
何も知らないただ神に命じられるままに使命をこなしていた彼女が自身の意思を少しずつ作っていくからこそ、神との対峙が魅力的になっていく。
祖母が亡くなった
荷物を整理していたら梅干しの瓶に一杯のベルマークが見つかった
小学生のいる家庭はうちだけだということから押し付けられるように私が持ち帰ることになった
ベルマークの仕分けの作業性自体はもちろん、複数人の大人が仕事を休んで数時間かけた集計結果の点数が微々たるものだという徒労感はつらかった
私は瓶一杯のベルマークを捨てた
つけ始めからずっと焦げてて早く甘くなれと思いながら待ってた
今は甘くて好き
ボトル買おうか検討中だったけど、とりあえず1.5ml の量り売りを使い切るところまでは手を出さない
カラメルが好きで購入予定だったけど、着けたてのフィルムのにおいからの薬品臭が…トイレ掃除の洗剤みたいな感じがする…
甘いのに焦げ苦いカラメルなら合うはずとカカオやらバニラやらのハンドクリームを塗るもまだまだ
埒が開かないとアンボワバニールを追加
やっと甘くなった…この甘さ落ち着く…
フィスドゥジョワ
娼婦をもじった名前らしく、オンでは使いづらいかなと思ったがそこまでの感じでもないかな
なんかどっかで嗅ぎ覚えがあるけど思い出せない
ジャスミンの入った何か
そういやマークスアンドウェブで買ったハンドクリームがジャスミンだった、あれに似てるのか スッキリめのジャスミン
ジャスミンはラルリジューズのが好きだった、フィスドゥジョワは…好んではつけないな、という感想
ランキング入りしてるくらいだし無難に使いやすいのを想像してた
最初つけてみてサムライウーマンのローズみたい、と思った まあローズだし
かつては大学生だった。今から約20年前のことだ。地元の公立高校で必死に勉強して、勉強して、勉強して、青春のすべてを犠牲にして京都大学法学部に合格した。一浪だった。いわゆるイカ京みたいな京大生がたくさんいる中で、自分もその1人から脱出しようと頑張ってみたが、結局だめだった。
40歳が間近になった今では、没落というか、いや元々高い位置にはいなかったのだが……今は、普通に非正規労働者をやっている。契約社員みたいな仕事に就くこともあるが、あまり続かない。1年くらいで辞めることが多い。結局、学歴って大したことはないんだよなぁ、と実社会で働くようになった今では感じる。
これから、大学時代の話をさせてほしい。暗い話になる。みんなジメジメした話は嫌いだろう。だから、すぐに終わらすよ。頑張って五千字以内に収める。リアル一人称が僕なので、以降は僕でいくことにする。
入学式を終えて大学生になった僕は、どこかのマンガで見たようなサークル勧誘活動を眺めることになった。どういう風に勧誘があったか、さすがにまったく覚えていないが笑
でも、僕にはあまり声がかからなかった。ルックスはいまいちで、特にスポーツ系からは全く声がかからなかった。浪人生活がたたって不健康に見えたのだろうな。
文科系からは何度か勧誘された。漫画研究会とか、小説を書く倶楽部とか、山登りの会とかも見学に行ったっけ。結局、どこにも入らなかった。高校時代はバリボーをやっていたが、大学の部活はいわゆるガチめのところが多い。通用しないとわかっていた。
それで、大学1年生(※正しくは1回生)の時は、ごく普通に講義に出て、帰りに図書館に寄って、たまに帰り道にラーメン店を巡っていた。実家は美山町の貧しい農家だったが、親が優しかったので仕送りをたくさんくれていた。月に8万ほど自由に使えるお金があった。
アルバイトを始めたのは、かなり後になってからだ。大学2年生の春だった気がする。退屈に負けて繁華街にあるマクドに応募したんだっけ。
そんな時だった。1年生の秋頃、学内であるチラシを見かけた。『みやこ音楽祭』なるものの開催案内だった。京都の学生有志で集まる大学間サークルで、くるりとかの有名バンドを呼んで京都の音楽を発信しよう、みたいな団体だった。
チラシには第1回の文字はなかったけど、結局第8回まで行われることになった。僕の時は、西部講堂という古めかしい場所があるのだが、そこでライブをやっていた。
いろんな大学の学生が集まる、しかもライブイベントのスタッフなんて、こんな体験は二度とできないと思った。小学校も中学も高校も、文化祭でリーダーをやるタイプではなかった。下働きだった。
数年前のアニメだと、『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』で、高校生だけでアメリカ風のプロムをやろうみたいな場面があって、ゆきのんが実行委員長で、八幡が陰の立役者で、いろはすが現場リーダーだったと思うんだが、僕はその現場の下働きだった。
それで、みやこ音楽産業みたいな名前の団体があって、そこに電話をかけて参加申し込みをした。もうほとんど覚えてないが、西部講堂付近のカフェで面接があったのかな、その場で誓約書みたいなやつを書いてスタッフとして登録した。
若い人達がやってるんだろうなぁ、と思っていたら、みやこ音楽祭を立ち上げたのは20代半ばの人達だった。とっくに卒業年齢だったのだが、京大にはあえて留年をして大学の看板を使っている人もいる。ハタチくらいの有志が集まって~みたいな団体ではなかった。
まあ、そうじゃないと、第1回目からくるりや向井秀徳や矢野顕子は呼べないはずだ。伝手があるのだろうなと察したのを覚えている。
もう想像できると思うけど、ここでも下働きだった。現場で机とか、椅子とかを運んだり、他大学へのチラシ配りとか、やはり音響機材を運んだりとか、ライブ中の警備とか、掃除とか、そういう下働きをしていた。
いろんな学生が集まるサークルなだけあって、多様性に富んでいた。僕は4年分すべて参加したけど、僕のような中核ではない臨時スタッフまで入れると軽く50名を超えていた。なんだかんだでマーケティング活動は抜群だった。もし、経営の才能がある大学生がここで活動したなら、きっといい経験になったと思う。
思えば僕は、アニメや漫画でいうところのモブキャラだった。その団体の中核メンバーはほとんど京大生だったけど、中には同志社とか、立命館とか、京都産業とか、龍谷とか、いろんな人が揃っていた。
僕は京大生だったけど、4年間活動してもずっと臨時スタッフだった。そういうところには潜り込めなかった。かと思えば、才覚のある大学1年生(仏みたいな名前の大学の女子だった)が入ると、次の年からは中核メンバーとしてスカウトされていた。
そういう光景を目にして、つくづく自分が嫌になった。自分は臨時スタッフなので、次の年も参加したいと思えば、またチラシを見つけて応募する必要があった。
それで、イベント初回の時は、その1ヶ月後には打ち上げ会があった。その会では、今の自分から見ても相当気持ちが悪い光景が繰り広げられていた。京大の近くにある居酒屋での開催で、和室の座席を貸し切っていた。席の配置は自由だったけど、大体男女が別々に固まる。40人ほどだった。
ただし、主催者の方で誘導して、男女がある程度向かい合わせになるようにする。それで、京都大学の学生のうち、女子と向かいになった人達が、飲み会が盛り上がっている半ばでこういうアピールを始める。※京都の方言は標準語に直している。
「俺、浪人して経済(学部)に行こうと思ってたけど、総合人間でもまあいっかと思って」
「高校の頃の模試は全国で二番だった。医学科行きたかったけど、キツそうだからやめて看護(保健学科)にした」
「お前らまだ若いからいいじゃん。俺こないだのTOEIC220点だったぞ。大学入ってから頭が悪くなっていく一方だよ」
(3/21追記)コメントを受けて。以上は飲み屋での会話だから、卑屈な謙遜がかなり混ざっていると思う。会話自体は確かにこのとおりだ。
こんなノリで会話を始めて、自分の財布から京都大学の学生証を取り出して、目の前の女子に見せびらかす。こんなことを彼らは四年間ずっと続けていた。見ていて情けなかったけど、かくいう自分も、隣の人に振られる格好で一度だけやったことがある。
「え、え、自分京大なん? リッツ(立命館大学)かと思ってた」
「法学部なんですね!! すごーい」
「機材を運んでる時、気遣いがすごかったですね。警備中もずっとお客さんの方を見てた。ほかの人はサボってライブ見てたのに」
今思えば、女子は気を遣ってくれていた。こんなに恥ずかしいことを、当時は若かったとはいえ、自尊心に負けてこんなアホみたいな、つまらない、人間として三級品にも等しい、救いようのない子どもじみたことをしていた。トイレの手洗器に張り付いたタンカスの方がまだ魅力的だった。
で、そんなことをしていると、向こうから中核メンバーが乾杯にやってきた。すると僕の周りにいた京大生は、借りてきた猫みたいに大人しくなる。それで、女子は彼らの方を眩しい視線で見つめるのだ。目のキラキラ感が違う。
……でも、当時の僕は受け入れていた。これが正しい形なんだって思っていた。強い人間がモテて、強い人間がいろいろ持っていくのは当然だと思っていた。僕だって、京都大学に合格した時は、中学校や高校の先生や後輩から神扱いだったし、親族からもすごく褒められたし、母親は泣いていた。
でも、違うのだ。大学が保証する個人の能力というのは、実社会で必要な力のせいぜい20〜30%だ。ほかの能力面がダメだと社会では通用しない。
結局、在学中に目立つことはできなかった。自信が持てるような体験はなかった。学業成績は中の中ほど、アルバイト先は今は亡きマクドナルド河原町三条店で、そこでは全スキルをほどほどに鍛えた。就職活動はコツコツとやって、結果は京都銀行に内定した。しかし、自分という存在に確信がもてないまま、あっという間に四年間が終わっていた。
銀行でのことは話したくない。嫌な思い出だし、気が付けばすごい文章量になっている。増田でこんなに書いたのは初めてだ。
掻い摘んで話すと、社会人一年目から地獄だった。地方支店からキャリアが始まったのだが、預金口座とか、金融商品の営業がまったくできなかった。
営業としての適性がなかった。ぜんぜんだめだった。当時の成績はゼロに近かった。ほかの同期は、月にひとつ以上は契約を取ってくる。高卒で入った男の子や女の子ですらそうだった。
同期に馬鹿にされて、上司には激詰めされて、居場所がなくなって、しかしクビにはならない。いっそクビにしてほしかった。京都の山間部に住んでいる親には「うまくやってる」と嘘をついていた。
三年目のある冬に、メンタルが完全にダメになって仕事中に交通事故を起こした。運転中に手が震えて、ハンドル操作ができなくなった。それで免許停止になってしまって、人事との面談では……もう雇い続けることは難しい、次やったら本当にだめだ、みたいなことを言われた。クビにはならなかった。
まだ次があるのかと思った。上司からは、「お前は京大だからな!! 地銀に入る京大なんか珍しいからな!! できる!! なんとかしてみろ」と何度も言われた。
結局、次の交通事故を起こす前に辞めた。退職手続きはあっさりだった。相応のレベルの会社らしく、有給消化や退職その他の手続きは出社しなくても全部やってくれた。今でも感謝している。
それからは坂道を転がるみたいだった。どの仕事でも2年以上続かなかった。期待していた仕事でも、やってみるとぜんぜんダメだった。先日は、市役所の会計年度任用職員をクビになった。現業の仕事をするポジション(剪定、伐木、廃棄物処分)で募集があったので応募した。
書類選考が通って、市役所の役職者が面接をしてくれた時に、「え……京大なんですか……?」と愕然としていた。自分以外に応募者が10人以上いたけど、現場仕事未経験の自分でも内定を取ることができた。
もうわかっていると思うが、結果は散々だった。口頭での指示を理解できず、とんちんかんな行動を繰り返して、何度も怒られて、1ヶ月も経つ頃には役職の人に呼ばれて三行半を付きつけられた。
「すんません……こないな自分が言うのもなんですけど、事務職やったら……」
「事務職はもうパートさんがおるさかい。あんたには任せれへん」
「すんません」
会計年度任用職員の試用期間は1ヶ月だった。こういうわけで、先日見事にクビを切られた。情けない限りだ。いや、もう僕はこういう状態に慣れてしまった。これでいいのかもしれない。
これからも、アルバイトで日銭を稼いで、スーパーで閉店近くに八割引きになっている惣菜を買って、コンビニでストロング無糖ドライを買って、二級品の梅干しを入れて、ウィルキンソンで割って飲み続けるんだと思う。
最後に知っておいてほしい。学歴は仕事の結果には関係がない。最近読んだ『科学的な適職』という本で、アメリカの研究で学歴と仕事の結果の相関係数が0.1とあった、との記述を見た。つまり、ほとんど関係ないのだ。マイナス相関でないところは皮肉に感じる。
そろそろ仕舞いにしよう。こんなおっさんの愚痴を聞いてくれてありがとう。適度なところで死ぬようにする。いつも布団に入る時に思う、「目が覚めた時に死んでいればいいのに」って、本当にそう思う。
――ああ! 誰かがあの肉體からあの魂を取除いてくれないかなあ!――「造物主」が何かのはずみで手違ひをしたとしか思へませんからね!
未來のイヴ ヴィリエ・ド・リラダン (著), 齋藤 磯雄 (翻訳) P.99
3/21追記 この本の引用が上の言葉の元です。こんなところまで自分の言葉じゃなくて申し訳ありません。
もし若い人がこの日記を読んでいるのだとすれば、学歴と仕事能力は関係ないって、それだけでも心に刻み付けてほしい。そうすれば、僕のような人間を少しは減らせるかもしれない。