はてなキーワード: 情報化社会とは
最近の温泉むすめ騒動を見て、自戒の念を込めてここに日記を書く。
何度でも書くぞ。
「怒りの感情を娯楽にすると心の健康が損なわれるから自愛せよ」
私は何度この失敗を繰り返すのか。
十数年前に嫌韓まとめサイトを巡回していたときが、それに気づいた最初だっただろうか。
最近だとけものフレンズ2騒動の話題を追いかけていたときだろうか。
最初はたまたま目に入ったニュースを読むだけだったのが、次第に自分から怒れるニュースを探すようになってしまう。
「怒りの感情を娯楽にすると心の健康が損なわれるから自愛せよ」。
具体的にははてブを見るのをやめろ、怒り駆動娯楽ニュースの集積地だ。
アルコール依存患者は長期間禁酒していても、また飲んでしまったら治療が台無しだと聞く。
そういう意味でははてブ見ないようにしたところで、この現代の情報化社会に生きる限り怒り快楽から逃れる方法が存在しないのがつらいところだ。
何度でも書くぞ。
http://yamamototaku.jp/article/20210921/
山本議員の「元妻を守るために」という物言いが(「離別した夫にも擁護されるなんて、やっぱり高市さんは人格的に素晴らしいんですね!」みたいな感じで)高市支持者に大ウケ。さらに自民支持者右派だけじゃなく、河野太郎や小泉進次郞を叩きたいやつら、再エネを批判したいやつらにも大人気になっている。バズりまくりだ。よかったよかった。
IT関連消費電力は2050年には2016年の41TWh/年の約4,000倍の176,200 TWh/年になるとの予測が、国立研究開発法人科学技術振興機構の低炭素社会戦略センターによって発表されています。
現在よりも省エネルギーの進展があったとしても、IT 関連消費電力は莫大に膨れ上がることが予想されます。2050 年にそれらを再生可能エネルギーでまかなうための具体的計画を、環境大臣としてお示しください。
これ読んで、増田諸氏はどう感じるだろうか。少なからぬ増田が「『176,200TWh/年』というのがどれぐらいかわからないけど、ITの進展で電力需要がすごい増えるんだな、それは再エネだけじゃ到底まかなえないんだろうな、小泉進次郎はそういう現実的想定をしないで、夢みたいな再エネ推進を言ってやがるんだな」と思うんじゃなかろうか。でも、そうじゃない。
「176,200TWh/年」というのは、今の日本全体の年間発電電力量の180倍、世界全体の発電電力量の7倍だ。そんなもん再エネどころか原発だろうが火発だろうが絶対充当できるわけがない。もし小泉進次郎や環境省から「なるほど、再生可能エネルギーでまかなうことが不可能だというなら、2050年にそれらを原子力や化石燃料エネルギーでまかなうための具体的計画を、対案としてお示しください」と反論されたら一発で撃沈だ。なんなんだこの数字? というわけで引用元のPDFを読む。vol.1からvol.3まである。
https://www.jst.go.jp/lcs/pdf/fy2018-pp-15.pdf
情報化社会の進展に伴って、従来の予想を超える膨大なデータが取り扱われるようになり、この傾向は今後も拡大すると考えられる。これに伴い、エネルギー消費がどのような影響を受けるかを 2050 年までを視野に入れ、調査、ヒアリングなどにより検討した。その結果、世界の情報量(IP トラフィック)は 2030 年には現在の 30 倍以上、2050 年には 4,000 倍に達すると予想され、現在の技術のまま、まったく省エネルギー対策がなされないと仮定すると、情報関連だけで 2030年には年間 42PWh、2050 年には 5,000PWh と、現在の世界の消費電力の約 24PWh を大きく上回る予測となった。すなわち、技術進歩がなければ情報関連だけで世界の全てのエネルギーを消費してもまだ不足するという事態になりうる。
現在日本の年間の電力消費量が約 980TWhであるから、現在の技術でまったく省エネルギー対策がなされないと仮定すると、2030年には年間使用電力量の倍近い電力を IT 関連機器だけで消費する予測となる。世界についても、現在の世界の消費電力が約 24,000TWh であるから、やはり現在の2倍程度の電力を IT 関連機器が消費する予測となる。また、2050 年の電力消費量は、現在と比較して日本、世界ともに約200倍という極端な数字となり、情報関連だけで全てのエネルギーを消費してもまだ不足するという状況になりうる。この情報量の爆発に対しての対策が必要なことは明らかである。
つまり「もし現時点から全く技術の進展がなければ、将来はIT関連機器だけで世界中のエネルギーを全部食い潰しちゃうぞ〜」という、極端なシナリオにもとづく極端な数字なのだ。そして、Vol.1(IT関連機器編)、Vol.2(データセンター編)、Vol.3(ネットワーク編)と分野別に分けて、こうした消費電力増大の問題を技術進歩でどう抑えていくか、という議論がされている。IT中心に増大するエネルギー需要に対して、どういうエネルギーミックスで応需していくか、みたいな話は全くしていないし、それどころか低炭素エネルギーへの流れが世界的に進んでいるから「電力供給が大幅に増大することは期待しがたい」とはっきり言っている。電力供給の増大に期待できないということは話の前提で、その中でのやりくりについて書いているのだ。
-データセンター消費エネルギーの現状と将来予測および技術的課題-
https://www.jst.go.jp/lcs/pdf/fy2020-pp-03.pdf
データセンターは IaaS、SaaS、MaaS などの新たなクラウドサービスの進展に伴い今後も膨大な計算負荷が発生すると考えられる。また全世界的な COVID-19 の蔓延にともなう仕事や学習形態のリモート化はそれに拍車をかけるものと思われる。さらに医療画像診断やセキュリティの顔認識なども膨大な計算量の発生が予測される。
これらの状況を考えると従来以上にデータセンターにおける計算負荷が上昇しそうである。一方で、供給電力には限りがある。また、現在世界中で急速に低炭素エネルギーに向けてエネルギーポートフォリオの見直しが進められていて、供給電力の大幅な増大は期待しがたい。
低炭素社会へ歩を進めつつ、社会に必要とされているサービスを提供するためにはデータセンターの省エネルギー化を進める必要がある。本提案書では 2030、2050 年も見据えて現状技術で固定された場合の電力需要を計算した。
(ちなみに具体的提案はCPU、GPUを中心とした要素部品類の集積度向上、液浸、ヒートポンプなどの冷却方法の工夫、必要なとき以外は動作しない(スマート化)…などなどの提案で、それに対する研究支援をせよ、と言っている。割と普通だね)
この提案書の報告主体は「国立研究開発法人科学技術振興機構 低炭素社会戦略センター」なんだけど、ようするにこの提案書は、山本拓議員の引用している文脈とは真逆の論旨のことを言ってるのだ。「これだけ電力が足りなくなるから、再エネを推進してはダメだ」ではなく、「技術に進歩がなければこんな非現実的なシナリオになってしまうから、それを避けるために、IT分野全体で電力消費を減らす努力と研究支援をしよう」という内容なのである。
山本氏議員公開質問ではこういう文脈を無視して、一部の記述を都合よく切り取って、意図的に「再エネではこの電力需要を賄えない、再エネを推進しない現実的な計画を立てるべきだ(立てることが可能だ)」みたいな誤解を招く表現をしてるように見えて、大変よろしくない。山本議員はエネルギー通だそうだから、「176,200TWh/年」という数字が全く非現実的な想定であることは本人も理解しているはずだ。そもそも公開質問では、この数字を引用した部分のすぐ上に
という記述もあるのだ。約 4,814 億 kWh/年 = 481400000000 kWh/年 = 481 TWh/年 である。東日本大震災以後、国内発電量の70%以上を担う火発を全部ひっくるめても480TWhでしかないことを山本議員は承知していながら、その直後には「IT 関連消費電力は 2050 年には (略)176,200 TWh/年になるとの予測が、国立研究開発法人科学技術振興機構の低炭素社会戦略センターによって発表されています」「現在よりも省エネルギーの進展があったとしても、IT 関連消費電力は莫大に膨れ上がることが予想されます。2050 年にそれらを再生可能エネルギーでまかなうための具体的計画を、環境大臣としてお示しください」という書き方をしている。こういうのは誠実な議論ではない。
「人生失敗するのも成功するのも半々なんじゃないか?」と思っていたけれど
「人生9割成功する部類の人」「人生成功率1割以下」で人生が決まってしまうことがわかり
しかも自分が人生成功率1割以下な事に気付いた人が絶望してるんじゃないか
「わかりやすい才能」が発見されるのと引き換えに、「わかりにくい才能」が無視され、
世の中が便利になり芸術の域が高まるが、全ての界隈がレッドオーシャンになり
多くの凡人は自信を持てず消えていく
AIによって人間の生きる価値はどうなるのか?の前に、情報の合理化が進んだことで
同じように自分は必要とされない「使われる側」の人間という不幸のぬるま湯につかり続け
「やるべきことをやろう」から「好きな事をやろう」に変わり
情報化社会の黎明期、人同士のつながる量が加速度的に増えていくことで可視化された問題の一つだ。
当時は言葉の響きだけが独り歩きして、本そのものをちゃんと理解できた人は少なかった。
その反応は大きく分けて2つ。
「自分の言いたいことをはっきりと言ってくれた」と肯定的な反応と、「バカとはけしからん。人は言葉でわかりあえるに決まってるだろう。」と否定的な反応だ。
しかし、その反応のどちらもがこの言葉に対して大きな勘違いをしていた。
それは、「自分の話が相手に伝わらない理由は、相手がバカだからであり、そこに越えられない壁=バカの壁があるから」という理解で読み解いてしまったことだ。
「人は自分の話が相手に通じなかったとき、相手がバカだと決めつける性質がある。」ことこそが、本当の意味でのバカの壁の存在を意味している。
しかもこの時、聞き手側にも「自分が相手の話を理解できない時、説明できない相手の方がバカであると決めつける性質がある。」というバカの壁も同時に存在している。
なぜなら、人の理解というものはその人の経験や知識から成り立つものであり、それらが両者に存在していない限りは、お互いが理解しあえるなんてことはありえないからだ。
つまり、相手がバカなのではなく、相手をバカと決めつける自分がバカなのだ。
これについては著者すら気がついていなかったと思う。
だからこそバカの壁の本質を理解できないやつは全員バカだ。という論調であの本は締めくくられていた。
自分の話が相手に伝わらなかった時、自分が「相手はバカだ」と思うのと同時に、相手も「説明がしっかりできないだなんてこいつはバカだ」と思っている。
だから、あの本の本質を理解できなかった人にしてみれば、著者はバカであり、バカの壁なんて概念は無駄なものだと考えられていた。
そうして、著者と読者それぞれがそこにバカの壁が存在していることを証明してしまうという皮肉な構図に至っていたことは、あまり知られていない事実だろう。
そもそも、言語というものはコミュケーションの中でそれほど多くの情報量を持っていない。
人同士がコミュニケーションを行う上では、ボディランゲージや声のトーン、表情、目線などのほうが、伝える情報量はよほど多い。
なぜなら、言語という道具を使い始めた歴史はそれ以外のコミュニケーション方法に比べれば非常に浅く、言語だけで情報を伝えられると思っていることのほうが誤解だからだ。
残念ながらそのことを理解できている人間は少ない。妄信的に言葉で情報の全てを伝えられると思いこんでいる人がほとんどだろう。
ここまで考えてみれば、つまり本当の意味でのバカの壁とは、言語のみで自らの思考や情報を伝えられると思いこんでいるおごりのことであることがわかる。
受け手に置き換えても、言語のみで説明されても理解できるはずだというおごりがそこにある。
今だってSNS上では当たり前のように誤解が繰り返され、真意が理解されることもなく説明も釈明も許されないまま受け手の都合によって勝手に解釈が広まっていく。
しかし、バカの壁の存在を認知できているだけで、人の理解力はまったくもって変わってくる。
情報が理解できない理由を相手ではなく自分に求めることができれば、足りない情報を自ら補うことができるからだ。
自分が理解できなかった理由は相手にあると考え、誤解させた人間を責める行動を取る。
自らのバカを棚に上げて、相手がバカだと罵るだけの野蛮な行為に走る。
ただただ情報や人の人生をエンタメとして消費するだけの、消費行動のみだ。
声高に批判する相手そのものに成り下がるというのも、バカの壁に見られる特徴的な行動の一つだ。
果たしてはてなユーザーに、バカの壁を越えてこの内容の真意を理解することはできるだろうか。
結局はこうして、バカの壁の話をする度にそこにバカの壁を可視化させることでしか存在を理解させることは不可能なのだろう。
今一度一人ひとりが自らの心にそびえるバカの壁の存在を見直すべきときに来ている。
人にはバカの壁が存在していて、相手に話を理解させることも相手の話を理解することもそもそもできないのだ。
だからこそそのまま情報の一つとして受け止めて、その情報を役立つものへと活かしていく。
それができる人だけがバカの壁を越えた向こう側に行ける人なのだろう。
これすらできる人にはとっくにできていることで、できない人だけがバカの壁の内側に取り残されているという皮肉でしかないのだが。
いまのはてなを憂い、向こう側に行きたい人にだけ届いてくれることを切に願う。
※蛇足
かつて士郎正宗氏は無知の知ではなく「不可知の知」であると置き換えていた。
人は何かを知れば知るほどに、知ることができないことを知るのだという。
そしてその時の自分は、それがコミュニケーションにおいても同様なのだと悟った。
どれだけ理解を深めようとも、最後まで理解することも理解させることもできないのだと。
それならば、そもそも理解を深めることだけを目的にすることはナンセンスである。
そこには最後まで取り払えないバカの壁があるのだから、相互理解はそこそこに、目的や行動を優先すべきだと悟ったのだ。
そこに少しでもヒントがあれば吸収し、利害がなければ自分には関係のない情報なのだと切り捨てるようになった。
確かコミック版攻殻機動隊のあとがき(BLACK MAGIC M-66だったかも)だったと思うが、他にも人生は螺旋階段を登るようなものだとか、士郎正宗氏の哲学の一部を垣間見ることができてとても興味深かった。
自分が相手にすべきものの範囲を定めることが、一番大事な心構えなんじゃないのかと、ようやく思うようになった
ニュース・社会問題の話題が豊富すぎて、いっちょ噛みしてられるような情報量じゃねえんだわ
情報化社会の一番大事な心構えは、「自分を定義してしまうこと」だ
以前はそれを恐れていた
世界を制限しては感受性が乏しくなる、新たな事態に対応できなくなる
だから開かれていないといけない、そう思っていたが
相対的な世界で相対的な立ち振る舞いを信条としてしまうと、大義と大義のデッドロックに窮する訳だ
関わりたいことにしっかりと関わることしかできない
その結果何かを見失うとして、それ自体を受け入れる
おばさんといっても30代を少し過ぎたばかりで
今考えると全然おばさんではないし、
当時でもおばさんという気持ちは抱いていなかったが
発覚してないだけで未成年とセックスする女なんて掃いて捨てるほどいるし
昔なら今よりいっそう見つからなかったであろうことは想像してもらえると思う。
3Pおばさんは私の初めてづくしの人だ。
はじめてキスした人だし、はじめておっぱいをもんだひとだし、はじめてクンニをした人だし、
はじめてづくしは当たり前だろう。
当たり前でないのは3Pおばさんとは常に3人でセックスをしていたという点だろう。
これだけはかなり特異だと思う。
3Pおばさんのセックス相手は一子相伝というかスターウォーズのシスに似ている。
それは一番上の学年の生徒が、真ん中の学年の生徒を勧誘することから始まる。
おもにターゲットは3Pおばさんが顧問をしていたクラブの生徒から選考されるが例外もあったようだ。
ただ私の場合は私のシスは私が所属していたクラブの部長だったし、
私の弟子は私が部長をしているときに次の部長候補としてリストされている生徒だった。
その一年間にセックスをする生徒は二人だけ。それ以上にはならない。
上級生が卒業したときにひとりになるが、ひとりになっている間、3Pおばさんは絶対にセックスをしない。
これは私の師匠のときもそうだったし、わたしのときもそうだった。
なんで3人だったのかは謎なんだけど、おそらくはそのほうが秘密を守れる、
僕たちをコントロールしやすいとおばさんは考えていたのだと思う。
とにかく僕たちが互いに嫉妬を抱くようにおばさんは常に仕向けていた。
おばさんに気に入られたいという思いから自ら進んでおばさんに服従していた。
そうしておいてから、
……少し長くなってしまった。
お酒も回ってきた。
供養のつもりで書き始めたが
しんどくなってきた。
寝るわ。
https://anond.hatelabo.jp/20210708230828
おばさんといっても30代を少し過ぎたばかりで
今考えると全然おばさんではないし、
当時でもおばさんという気持ちは抱いていなかったが
発覚してないだけで未成年とセックスする女なんて掃いて捨てるほどいるし
昔なら今よりいっそう見つからなかったであろうことは想像してもらえると思う。
3Pおばさんは私の初めてづくしの人だ。
はじめてキスした人だし、はじめておっぱいをもんだひとだし、はじめてクンニをした人だし、
はじめてづくしは当たり前だろう。
当たり前でないのは3Pおばさんとは常に3人でセックスをしていたという点だろう。
これだけはかなり特異だと思う。
3Pおばさんのセックス相手は一子相伝というかスターウォーズのシスに似ている。
それは一番上の学年の生徒が、真ん中の学年の生徒を勧誘することから始まる。
おもにターゲットは3Pおばさんが顧問をしていたクラブの生徒から選考されるが例外もあったようだ。
ただ私の場合は私のシスは私が所属していたクラブの部長だったし、
私の弟子は私が部長をしているときに次の部長候補としてリストされている生徒だった。
その一年間にセックスをする生徒は二人だけ。それ以上にはならない。
上級生が卒業したときにひとりになるが、ひとりになっている間、3Pおばさんは絶対にセックスをしない。
これは私の師匠のときもそうだったし、わたしのときもそうだった。
なんで3人だったのかは謎なんだけど、おそらくはそのほうが秘密を守れる、
僕たちをコントロールしやすいとおばさんは考えていたのだと思う。
とにかく僕たちが互いに嫉妬を抱くようにおばさんは常に仕向けていた。
おばさんに気に入られたいという思いから自ら進んでおばさんに服従していた。
そうしておいてから、
……少し長くなってしまった。
お酒も回ってきた。
供養のつもりで書き始めたが
しんどくなってきた。
寝るわ。
アパートの更新が間近に迫った時期に賃上げ交渉に入ろうとする所がまず田舎の余った土地に不動産屋の口車に乗ってアパートぶち建てたクソ大家らしいわけだが。
賃上げの理由が、アパートのメンテ費用が嵩んだので回収したいっていう、まっとうな社会人なら「おぅ」としか鳴けず心の中で「何を言っているんだコイツは」と呻くしかないソレ。
あと、その手のメンテには助成金だか補助金だか出るはずだ。ちゃんと申請したのかよ?全額はムリでも助かる程度の額にはなるんじゃなかったかな、確か。素人の聞きかじりだが。
ってことを更新代行してる不動産仲介業者のお嬢ちゃんに慇懃無礼を意識して伝えた所、その認識で合ってるらしい、釈迦に説法めいているので言いたくなかったんだが。お嬢ちゃん、宅建もってるらしい。法的なアレはまあ司法が決めるんで裁判するまでナニだとして、そこまで至る以前の話ではないかな。
というか不動産仲介業者な、プロなんだからコッチに迷惑かける前に大家にレクチャーしてやれよ、その理由ムリっすわーって言ってやれよ。アワヨクバ騙される住人いるかもとか、この情報化社会でムリだとソロソロ気づけお前も宇宙人か。
クソでバカな大家がメンテ費を住人に転嫁したいと言ったとして、もうちょっと住人が断りにくいというか交渉とか相談に応じてくれそうな理由をコジツケて入れ知恵する程度の事が出来ないのか。むしろしなかったのを誠実だと評価するべきなのか。
賃上げが嫌なら出てけとばかりに退去時の条件も上から目線で伝えてきたけど、その条件で出ていくヤツ居ない。
お見舞金だか表現は知らんけど、どう計算しても引っ越し屋さんにお金払ったら残らない金額をくれてやるとも言われたがナメすぎだろう。退去までの期間が六ヶ月な所だけ無駄に法を意識している風だが退去させる正当事由にあたる瑕疵が住人であるコチラに無いし大家も見つけられなかったようなので突っ込みどころしかない。六ヶ月は不動産仲介業者のせめてものテコ入れだったらウケる。
またこれが意味わからん内容というか、過去にそんな事実は無かったけど、その行為を改める的な事を誓わされる風なヤツで。心当たりがないし大家も証言とか証拠とか別に無いようなので、ソレただの言いがかりっていうか名誉毀損っていうか。その内容がコチラに該当するソレであったとしても、あえて覚書にしたところで意味ねーって素人でも分かる。なぜならソレは住人の義務だし大家の義務でもあるので。
というか、ソレをコチラがやってたとしたら退去させるに足る事由になり得るのでお見舞金的なものを積むまでもなく大家の金銭的負担ナシで住人追い出せるよ。簡易裁判とかするまでもなく大家が勝つって素人でも判断するよ。
つまり賃上げ交渉のために事実にない事を言い立ててプレッシャー掛けたかったという思惑しか感じられない。
だとしてもバカだなーと思うし、ムリだろう単なる嫌がらせか、としか。
ここまで、全部口頭で言い渡された。
とりま書面でクレって言ったら、それは嫌らしい。意味がわからない。
書面にしたくないとか、更新するにしても退去するにしても不誠実な対応する気しかありませんという大家の告白である。
チョクのリアルタイム話し合いじゃなくて不動産仲介業者挟んだ伝言ゲームなんだから書面あったほうがいいでしょ。なんで書面いやなの?正式な書類じゃなくていいし何ならメールでもいいよ、お互いの条件すり合わせるのに必要でしょ?言った言わないになるよ?
長い交渉のすえ、ペラ一貰ったけど、案の定、退去時のお見舞金の話は無かった事になってた。
あと書面に書いてよこさなかったクセに不動産仲介業者のお嬢ちゃんの口頭で賃上げはヤッパやめたとか言ってきた。ムリな理由だと理解したのか何なのか。
大家がクソすぎる。
そんなクソな大家がヤベェアパートは引越せと言う向きもあるだろう。
でも間取りと立地は気に入ってるんだよ。さらっと探したけど似た条件の空き物件が近場に無い。
あと引っ越しは金かかるし体力いるし有給が犠牲になる。海で泳ぐと3日は体力戻らない世代に引っ越しは覚悟がいる。ギックリ腰は老人だけがなるわけじゃない。寝起きの姿勢がアレでヤル場合もある。
ご時世的に汗だくのキン肉マンがベタベタ触った家具を漏れなくエタノールしゅっしゅしたくなるマンボウな今、気が進まないっつーのもある。キン肉マンはナニも悪くない、イロイロ対策してるみたいだし。飛沫云々より、それを触った手で家具触って感染って方が自然に警戒されるリスクだと思う派閥なので(笑)何日も死なないらしいしウイルスさん的なアレ。何日かすれば死ぬそうだが。このへんは各自で信頼できる情報を収集してほしい。あくまでも気分の問題でちょっとムリっていう意味で書いた。
ただでさえ体力勝負なのにマスクでハアハアしながら荷物運ぶキン肉マンを見守る程メンタル強くないっつー事情もある。小学生がマスクしてるのでさえ虐待に見える世代なのに。(酸素が制限されるので成長しきってない幼児にマスクは推奨しないっていう見解が昔は主流だったんだよ。あと免疫とか。この時世なので小児科界隈は最新の見解をアッピールしてほしい)
自分は花粉のアレが複数種類来るので昔からわりと年中マスクマンなので今更だが。
一応、消費者センター経由でこの手の相談受けてくれる公的機関にたらい回しされて話聞いてもらったけど。契約書読み上げる勢いで精査したりしてくれたので安心できた。ありがたい。
賃上げしたいんなら、もっと断りにくい理由なんていくらでも捻り出せたでしょ?
バカじゃないなら嫌がらせしたかっただけだし、当然受け入れられると思ってたなら宇宙人でしょ。
わかっているのは、迷惑かけられたって事だけだよ。
一応客観的な見解欲しくて消費者センターから盥回しされて、あとは自治体の法律相談か法テラスを残すのみっていう状態なので。先方の営業時間に電話したり訪問するの、概ねの働いてる人間には気が進まないわけで。その時間、おれも働いてるんだってなるわけで。
万が一を考えて物件検索とか引っ越し見積もりとかしちゃうよね。
なんという時間泥棒。
賃上げはナシになったとはいえ、他の問題は残っているので更新するにしても退去するにしても条件を詰める必要があるんだけど。
どっちにしろ更新料だけは通常の期日までに払えとか意味が分からない事だらけだ。
合意できなければ住人有利の法律があるので、極論としてはほっとけっていう。
いや、分かるけど心理的にはこじれるのも知ってる。
クソな大家なので無いこと無いこと不動産仲介業者界隈で情報共有されてしまうと、周辺地域で物件探すの不利になるかもしんねーし、とか心配してしまう。
というかクソでバカで宇宙人なので、こじれて追い詰められたら包丁持ち出すかもしれないじゃん?
本当にクソ大家。
政治をエンターテイメントにすることへ長けていた、というか政治をエンターテイメントにする人材がよく登場するのは自民党だけれど、自民党から離党した人たちが中心となって作った民主党はその手法を真似て政権交代をエンターテイメントにし政権交代を果たしたけれど、その先がなかったよね。
しかも悪いことにその成功体験が現在まで尾を引いてしまっていて、どうもエンターテイメントのもとじゃないと政権批判すら出来ない体質になってしまっている。
日本人は政治を真面目に捉えがちでエンターテイメントへすることへ表面上は否定するけれども、これもまた日本人の悪い癖でお祭りが起きれば参加したがる傾向にあり、しかも「我々は真面目な話をしているんだ」と政治というオモチャで遊んでいるのに遊びじゃないふりをする。
はてなーだってその例には漏れず、政治をエンターテイメントとして「消費」して遊んでいる。情報化社会で怒涛に溢れる面白いコンテンツの1つとしか政治を捉えていない。
俺もそのうちの1人だけど、そろそろ認めるべきだよね。政治は面白い俺達のオモチャだって。政権交代しても俺たちに責任はないって考えてるって。
車に乗り遠くへ出かけることができ、
Amazonでモノを頼めば次の日には届く。
ただ資本主義は生み出した価値と同量かそれ以上の負担を人間に強いている。
成長し続けろというプレッシャー。
自転車を漕ぎ続けないと倒れてしまい、倒れたらそのまま置き去りになる。
マトリックスという映画で、人類は機械の動力源となるため培養されていた。
機械のところを資本主義に置き換えたら、現代も映画の状況と大して変わらないのではないか?と最近よく思う。
(ちなみにエージェントスミスは中国で、今資本主義というシステムを乗っ取ろうとしている)
自分たちは今、人類を幸せにするために作ったシステムに人生を握られている。
自己実現のため成長するんだよ、あなたが欲しいモノを手に入れるために頑張ってるんだよ、と。
一番怖いのは、これほど資本主義を恐れ、疑問を抱いているにも関わらず、反撃しようと思えないことだ。
社会主義の失敗以降、人類はまるで資本主義を完成したシステムかのように受け入れるようになった。
自分もその1人だ。
合法の国では、やったことない人でも危険性を理解してる率が高まると思わないかい?
禁止されるから大衆の想像力が低いままになり、乱用者に対して社会が脆弱なままになってしまうんだよ。
禁止されなければ人の振り見て我が振り直すことができる。全体が賢くなれる。そうなるまでに時間はかかるだろうけどね。
アルコールで考えてみよう。日本はアルコールを合法にしてきてだいぶ経つが、最近になってやっと、自発的に摂取を避けるライフスタイルを選ぶ若者が増えてきた。
コロナ禍でその傾向は一層盤石となり、酒飲み派と酒忌避派の断絶は深まることだろう。だがその断絶は「危険性の理解」から生まれたものだ。
ネガティブに捉えるべきではなく、むしろ逆に、この断絶がより多くの人間を巻き込んで集合知を次のステージへ進める契機となる、進歩的な断絶だ。
国家規模の人間集団が賢くなるには、失敗の歴史を身近かつ間近で見て学ぶ必要があるんだね。
だから「危ないものには蓋」は長期的視点で見ると、人間を愚かで想像力の乏しいものにしてしまう。
規制、禁止、こうしたパターナリズムは、温室栽培された人間を増やす方向に働くんだよ。
いずれ詐欺にすぐひっかかるようなスカスカな脳みその老人人口が爆発するだろうね。
甲斐甲斐しく世話を焼き続けた結果、焼ききれなくなる未来。ドラッグなんて序の口だ。高度情報化社会になればなるほど、愚者の面倒は見きれなくなるだろうね。
それよりも僕は、人類全員が荒野で揉まれながら賢くなっていく道の先にこそ、明るい未来が待っていると思うね。
葉っぱをやる自由はあるが、やったらまともな人には相手にされなくなる。行動に応じて冷徹なまでに階層が区切られる。
そういうの、ゾクゾクしないかい?
そのような意味で、僕はドラッグに染まる人間を擁護する気は一切ないが、自由化することは大いに賛成なんだ。そこんとこよろしく頼むよ。