2021-09-03

はてな蔓延バカの壁問題

バカの壁という言葉が昔流行った。

情報化社会黎明期、人同士のつながる量が加速度的に増えていくことで可視化された問題の一つだ。

当時は言葉の響きだけが独り歩きして、本そのものちゃん理解できた人は少なかった。

その反応は大きく分けて2つ。

自分の言いたいことをはっきりと言ってくれた」と肯定的な反応と、「バカとはけしからん。人は言葉でわかりあえるに決まってるだろう。」と否定的な反応だ。

しかし、その反応のどちらもがこの言葉に対して大きな勘違いをしていた。

それは、「自分の話が相手に伝わらない理由は、相手バカからであり、そこに越えられない壁バカの壁があるから」という理解で読み解いてしまたことだ。

しかし、バカの壁本質は違う。

「人は自分の話が相手に通じなかったとき相手バカだと決めつける性質がある。」ことこそが、本当の意味でのバカの壁存在意味している。

しかもこの時、聞き手側にも「自分相手の話を理解できない時、説明できない相手の方がバカであると決めつける性質がある。」というバカの壁も同時に存在している。

しかし、どちらの場合も、本当に相手バカなわけではない。

なぜなら、人の理解というものはその人の経験知識から成り立つものであり、それらが両者に存在していない限りは、お互いが理解しあえるなんてことはありえないからだ。

まり相手バカなのではなく、相手バカと決めつける自分バカなのだ

これについては著者すら気がついていなかったと思う。

からこそバカの壁本質理解できないやつは全員バカだ。という論調であの本は締めくくられていた。

自分の話が相手に伝わらなかった時、自分が「相手バカだ」と思うのと同時に、相手も「説明がしっかりできないだなんてこいつはバカだ」と思っている。

から、あの本の本質を理解できなかった人にしてみれば、著者はバカであり、バカの壁なんて概念無駄ものだと考えられていた。

そうして、著者と読者それぞれがそこにバカの壁存在していることを証明してしまうという皮肉な構図に至っていたことは、あまり知られていない事実だろう。

そもそも言語というものコミュケーションの中でそれほど多くの情報量を持っていない。

人同士がコミュニケーションを行う上では、ボディランゲージや声のトーン、表情、目線などのほうが、伝える情報量はよほど多い。

なぜなら、言語という道具を使い始めた歴史はそれ以外のコミュニケーション方法に比べれば非常に浅く、言語だけで情報を伝えられると思っていることのほうが誤解だからだ。

残念ながらそのことを理解できている人間は少ない。妄信的に言葉情報の全てを伝えられると思いこんでいる人がほとんどだろう。

ここまで考えてみれば、つまり本当の意味でのバカの壁とは、言語のみで自らの思考情報を伝えられると思いこんでいるおごりのことであることがわかる。

受け手に置き換えても、言語のみで説明されても理解できるはずだというおごりがそこにある。

だってSNS上では当たり前のように誤解が繰り返され、真意理解されることもなく説明も釈明も許されないまま受け手の都合によって勝手解釈が広まっていく。

悲しいかな今の人類ではそれを止めることはできない。

なぜなら、そこにバカの壁存在するからだ。

しかし、バカの壁存在認知できているだけで、人の理解力はまったくもって変わってくる。

情報理解できない理由相手ではなく自分に求めることができれば、足りない情報を自ら補うことができるからだ。

ただ、バカの壁存在認知できていない人は違う。

自分理解できなかった理由相手にあると考え、誤解させた人間を責める行動を取る。

自らのバカを棚に上げて、相手バカだと罵るだけの野蛮な行為に走る。

今のはてなはまさにその縮図である

そこにあなたがたの大好きな多様性生産性もない。

ただただ情報や人の人生エンタメとして消費するだけの、消費行動のみだ。

声高に批判する相手のものに成り下がるというのも、バカの壁に見られる特徴的な行動の一つだ。

果たしてはてなユーザーに、バカの壁を越えてこの内容の真意理解することはできるだろうか。

結局はこうして、バカの壁の話をする度にそこにバカの壁可視化させることでしか存在理解させることは不可能なのだろう。

今一度一人ひとりが自らの心にそびえるバカの壁存在を見直すべきときに来ている。

人にはバカの壁存在していて、相手に話を理解させることも相手の話を理解することもそもそもできないのだ。

からこそそのまま情報の一つとして受け止めて、その情報を役立つものへと活かしていく。

それができる人だけがバカの壁を越えた向こう側に行ける人なのだろう。

これすらできる人にはとっくにできていることで、できない人だけがバカの壁の内側に取り残されているという皮肉しかないのだが。

いまのはてなを憂い、向こう側に行きたい人にだけ届いてくれることを切に願う。


蛇足

ブコメに「無知の知」という言葉があったので蛇足を一つ。

かつて士郎正宗氏は無知の知ではなく「不可知の知」であると置き換えていた。

人は何かを知れば知るほどに、知ることができないことを知るのだという。

そしてその時の自分は、それがコミュニケーションにおいても同様なのだと悟った。

どれだけ理解を深めようとも、最後まで理解することも理解させることもできないのだと。

それならば、そもそも理解を深めることだけを目的にすることはナンセンスである

そこには最後まで取り払えないバカの壁があるのだから相互理解はそこそこに、目的や行動を優先すべきだと悟ったのだ。

人の意見批判することは、それをきっかけにやめた。

そこに少しでもヒントがあれば吸収し、利害がなければ自分には関係のない情報なのだと切り捨てるようになった。

確かコミック攻殻機動隊あとがき(BLACK MAGIC M-66だったかも)だったと思うが、他にも人生螺旋階段を登るようなものだとか、士郎正宗氏の哲学の一部を垣間見ることができてとても興味深かった。

  • 増田にはバカの壁を理解したうえで煽ってるバカと、バカの壁の存在すら知らないバカの二種類しかいないだろ、向こう側に行きたいって思える程度の思考力があればすぐに壁を越えら...

  • 同じ言語で会話してるはずなのに会話が全く通じないときの徒労感ってすごいよね

  • バカの壁は存在に気づいたときに取り去るための努力をするのではなくて、取り去ることができないからどうやって行動を変えればいいかって考えるようになると遠回りのようで解決に...

  • 趣旨を理解して、そういう趣旨の感情を持っていることが有益であることに同意する。 相手がバカだと決めつけては、自分を改善する機会を失い、進歩がない。 それは事実だ。機会の損...

  • おや✋(👁👅👁)🤚壁があるぞ

  • そもそもいくら頭がよかろうと利害関係がないと人って話が通じないんだよ。 アメリカで創造論が根強いように科学的な議論で人が強く信じているものを変えることはできないし、何が...

  • 『バカの壁』の言いたいことは、世の中には「話の通じない他人がいる」し、それに「金やリソース、気持ち」をぶっ込んでも仕方がないよ、って言うことだろ。生産性がない、ともい...

  • アタチばかだからわかんな~い ゲタゲタゲタ

  • フリッパーズギターの「Camera Full Of Kisses/全ての言葉はさよなら」 (作詞は小沢健二、1990年発表) という曲に次のような歌詞がありますね。 「分かりあえやしないってことだけを分か...

    • 剽窃コンビやからどうせどっかからピックしてきたんやろ

      • 反応してくれてありがと。うれしい。 でもね。 80年代末~90年代初頭は「サンプリング芸術」ってのが最先端だったんだ。 「もう新しいものなんて何もない」っていうシニカルな態度と...

        • 自殺せずに生きていけるかどうかは過去の悪行を正当化できるかどうかだよな(苦笑)

          • 小山田圭吾のこと? だったら今回の本題からそれちゃうのでまたいつかどこかで語ろう! (反・小山田論はネットにたくさんあるけど、擁護論としてこのブログは読んでおくべきかも...

  • クンニ✋(👁👅👁)🤚がないから、お前がバカだ。

  • TL;DR

  • 長い、バカには辛いです

    • 分かる 最後まで読めないからバカなのを自覚させられてしまう

  • 「話せばわかる」なんて大ウソであり「話したってわからない」場合がほとんど何だよね。 私達日本人が、タリバンの幹部に対して民主主義や女性の人権の重要性を説得しても相手には...

  • つまり、相手がバカなのではなく、相手をバカと決めつける自分がバカなのだ。 これについては著者すら気がついていなかったと思う。 それはないわ 古来から本邦には「馬鹿ってい...

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん