はてなキーワード: 平壌とは
韓国の88歳の大学教授がハングルで書いた文章です。日本語訳します。
http://yeoksa.blog.fc2.com/page-0.html
"私は88才です。 もう事実を話したいと思います。" [チェ・キホ伽耶大学客員教授]
朝鮮末期の私は1923年の生まれです。もう韓国のためでも、日本のためでもなく「事実」を話したいと思います。
それは相当な覚悟が必要です。生命の危険も覚悟しています。しかし、これは私の使命であると信じています。
私はソウルに住んでいました。 そして、時々、平壌や東京に行きました。
その当時の韓国人は「日本人以上の日本人」でした。劇場に行けば映画の前に、戦争のニュースがありました。
例えばニューギニアで日本が勝った映像が流れ、拍手と万歳の暴風雨でした。
私は映画が好きで、東京にも行きましたが、日本人は冷静でした。
しかし、韓国人は全員が狂ったように喜んでいました。 それが普通の姿でした。
なので「親日派」という言葉は使用できません。その「使用できない言葉」を使って、先祖まで批判しています。
「親切でやさしい日本人」という印象を、必死に消すために「反日」を指導者はそそのかしてきました。
韓国と日本の歴史教育を比較すると、日本が10%の歪曲といえば、韓国は90%が歪曲です。
朝鮮末期の正常ではないで政治腐敗を教えず、日本が関与しなければ独立ができたことのように使われています。
韓日合邦によって「教育」 「医療」 「工業」 「社会インフラ」が整備されました。
その実績を「日本帝国主義の侵略政策の産物だ!」と糾弾する韓国にはあきれます。
より一層「日帝が民族産業を停滞させた!」という主張にはコメントする気持ちもなくなります。
民族産業を殺したのは、朝鮮王朝です。 近代化を主張する先進的な思想家は反逆者とし、親族までも処刑されました。
韓国人は「日帝の虐待! 性奴隷!」と叫んでいますが、私は信じることができません。 歴史の真実を知っているためです。
朝鮮末期は「地獄」でした。 それは大韓帝国時代になっても同じでした。
1904年、日本は朝鮮の惨状を救うために、財政支援を決断します。
でも、日本にもっと戦力があれば、空襲にも遭いませんでしたよね? 沖縄だって、上陸されませんでした。 我々を守るのは戦力。 反戦や平和を願うのなら、9条改正、軍事力強化です。
この人はどこから「もっと戦力」を持ってくるつもりなんだろうか?
軍事力強化をどうやって成しえるんだろうか?
この人に限らず9条改正を唱える人は憲法9条を封印のお札かなんかと思っているのではないかと思う時がある。
古の祠に封じられている最強の怪物を従えて悪の妖怪を退治する物語のように
憲法9条を改正することで煙とともに「最強の軍事力」を備えた日本が現れて。日本を苦しめる悪の諸国を懲らしめられるとでも思っているのではないか。
そんな風に感じる時がある。
だけど無い袖は振れない、それが現実だ。
9条がなくなったって日本は核を持つことはできないし、軍事力で米中露を上回ることなどできないし
そもそも軍事力を強化していったいどんな問題が解決するんだろう?
百歩譲って核を持ったところで韓国が日本を罵倒することを止めることは無いし北朝鮮が拉致被害者を返すことも無い。むしろ彼らにとって日本が軍事力を強化するのはいい口実になるのでないだろうか
中国にしてもそうだろう自国の軍事力を強化する口実に使われるだけではないのか
そもそも軍事力を強化したって日本の少子化は止まらないし貧困の格差もなくならないし、ロスジェネ世代は救われないし、消費税は増税するのだ
アメリカだってテロは止められなかったイギリスでもフランスでもテロは起きた
北朝鮮は核を持つことでアメリカを対面のテーブルに座らせることに成功した。
でも、俺が北朝鮮に住んでいたとして俺の立場は北朝鮮の高官などではない。平壌市民ですらないだろう。
ど田舎で畑耕して飢えと冬の寒さに震えながら働いているか、あるいは捕まって拷問でも受けているか、そんな立ち位置だろう。
話が逸れてしまった。
言っておくが別に俺は9条の改正には反対じゃない。反対じゃないし賛成でもない。
9条が変わったところで日本の立ち位置が変わるとは思えないし、俺の生活が良くなるとも悪くなるとも思えない。
9条改正で解決する問題がある気がしない。もしかしたら何か解決するのかもしれないけどたぶんそれは俺の生活に関係ないことだ。
とにかく俺は憲法9条変えたら軍事力強化出来て日本が平和になる。って理屈がいまいちピンと来ない。
でも反対派も9条変えた瞬間日本が世界侵略を始めるくらいの勢いで反対している。
賛成派も反対派もみんな9条変えたら日本が世界を侵略できるくらいの軍事力を持てると思ってるらしい
ってことは俺が知らないだけで、日本はそれくらいの軍事力を持てるポテンシャルを持っているのかもしれない
何から守ってくれるんだろう
何から守られるのかすらわからない俺はその「何か」に殺されて脅威を思い知った方がいいのかもしれないけど
最近のニュースを見るに中国の軍人に殺されるよりそこらの日本人に殺される確率の方が高そうだなぁ
よく分からないなぁ
多分疲れてる
本日、朝鮮半島の北緯38度線(軍事境界線)にある板門店で10年半ぶりの南北首脳会談が行われている。
南北首脳会談は、大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の両首脳による首脳会談である。
(引用:Wikipediaより)
1948年8月15日に朝鮮半島に韓国と北朝鮮という二つの国が建国された。
二国の建国はアメリカ・中国・ロシアという大国の意図に寄る物であり、建国された時点で二つの国は仲が悪かった。
その、仲の悪い二国が二国間の関係をどうにかしようとして始めたのが『南北首脳会談』だ。
南北首脳会談は、これまでに二回行われた。
第一回南北首脳会談は2000年6月13日から15日に、当時の韓国側の大統領が北朝鮮の首都、平壌に訪問
第二回南北首脳会談は2007年10月2日から4日に、当時の韓国側の大統領が北朝鮮の首都、平壌に訪問
という形だ。
1948年8月15日の韓国と北朝鮮の建国以降、北朝鮮の歴代の国家主席は韓国の領土に入った事が無かった。
それが、今回の南北首脳会談は軍事境界線の直ぐ側ではあるが、韓国の領土内で行われる。
今朝のニュースは、「建国から70年近くの時を経て、北朝鮮の国家主席が初めて韓国の領土に足を踏み入れた」様子を
「歴史的瞬間」として取り扱っていた。
だが、増田主にはこれが「歴史的瞬間」とは到底思えない。
南北首脳会談は過去に二度行われ、そのどちらもが、交渉決裂に終わり凍結している。
第一回と第二回の間には7年半の空白が有る。第二回と第三回の間には10年半の空白が有る。
この流れだと、第三回と第四回の間には13年半の空白が生じてもおかしくないのではないか…というのは冗談だが、
「歴史的瞬間」という物が本当に有るとすれば、それは「朝鮮戦争の終戦条約に、関係諸国の首脳がサインした時」ではないだろうか?
つまり、何が言いたいかと言うと…。
「北朝鮮の国家主席(金正恩)が国境を越えた程度で"歴史的瞬間"って騒いでるのって、"歴史的瞬間"という言葉を軽く使いすぎじゃないですかね?」
という事です。
15年程前、父と話していた時に父がこんな事を言い出した。
「実はな、俺の中学時代の同級生に北朝鮮に拉致された人が居た。」
と言っても、父とその同級生は仲が良かった訳では無い。
そもそも、父が中学の頃は一つの学年で40人のクラスが6組まで有ったらしい。
その中で、1年だけ同じクラスになった事のある人の中に、後に北朝鮮に拉致された人が居たという話。
調べてみたら、その拉致被害者は確かに拉致被害者に認定されていた。
父もそんな同級生が居た事は忘れていたらしい。
珍しく同窓会に行ったら、そこで話題になり「あいつは北朝鮮に拉致されたぞ。」と言われて知ったらしい。
ただ、やはり、そういう話を聞くと感傷的になるのだろう、父も、その同級生に日本に帰国して欲しいと思ったらしい。
その同級生は未だに、北朝鮮に拉致されている。
だからこそ言いたい。「私は今、安倍首相にガッカリしている」と。
父の同級生に北朝鮮拉致問題の拉致被害者が居るという事を知り、北朝鮮拉致問題に興味が出て、拉致問題について調べる様になった。
その中で、ある一人の拉致被害者の話に興味が出た。その拉致被害者の名前は有本恵子さん。
有本恵子さんの拉致の経緯について説明する。
有本恵子さんは神戸に生まれ、神戸市外国語大学という大学に進学した。大学生を卒業後ロンドンに語学留学に行った有本恵子さんは
現地で出会った人物に仕事を紹介され「市場調査」の仕事を始めたという。そして、帰国予定の昭和58(1983)年8月9日に「仕事が見つかる 帰国遅れる 恵子」
という電報が実家に届き、同年10月中旬にコペンハーゲンから手紙が届いたのを最後に音信が途絶えた。
この「市場調査」の仕事を紹介した人物が北朝鮮の工作員だったらしい。
(よど号ハイジャック事件で北朝鮮に亡命した人達が北朝鮮の工作員として当時ヨーロッパに出向いて、
語学留学にヨーロッパに来ていた日本人を誘い、北朝鮮に連れて行っていたらしい。)
音信が途絶えてから5年後の1988年9月、北朝鮮に拉致されたとされる石岡亨さんという人物の札幌の実家に一通の手紙が届く。
その手紙には石岡亨さんと有本恵子さんと松木薫さんという三人が北朝鮮の平壌で一緒に暮らしている事が書かれ、写真が同封されていた。
この手紙はポーランドの消印が押されており、非常に小さく折りたたまれていたらしい。
おそらく、北朝鮮旅行に来たポーランド人に出国する際にこっそり手渡された物なのだろと考えられている。
有本恵子さんが生存していて北朝鮮に居る事を知った有本恵子さんの両親は、当時、朝鮮総連と繋がりが有ると言われていた社会党の議員で、
地元の有力議員だった土井たか子議員に話をしに行った。しかし、社会党が動く気配は無かったため
有本恵子さんの両親は、当時外務大臣だった自民党の安倍晋太郎議員の事務所に連絡を入れた。
安倍晋太郎は有本恵子さんの両親に自分の秘書を同行させて、警察庁、外務省へ赴き話をする様に指示したという。
しかし、警視庁も外務省も「国交がないのでどうにも出来ない」としか言えず、外務省は「危険ですので、秘密にしておきましょう」と口止めをしたという。
後に、小泉内閣の時に北朝鮮から日本政府に渡された報告書では、石岡亨さんと有本恵子さんは、石岡亨さんの実家にポーランドからの手紙が届いた二カ月後の
1988年11月に死亡したと記されていた。
この、安倍晋太郎議員の秘書をしていたのが、安倍晋太郎の息子で、現在の内閣総理大臣の安倍晋三だ。
謂わば、安倍晋三は政治家としての心得を父親から学んでいた頃から北朝鮮の拉致問題に触れた立場に有る。そして、
「拉致問題の解決こそがライフワーク」と豪語していた事さえある。
それなのに、第二次安倍内閣になってからの数年間、北朝鮮の拉致問題は進展していない。
拉致被害者の帰りを待つ人は80代後半~90代の年齢になっている人も居る。もう時間は残されていない。
森友・加計問題は野党が自民党に難癖をつけているだけと言えば確かにそうかもしれない。
だが、「拉致問題の解決こそがライフワーク」とまで豪語した安倍首相だからこそ
今の任期内に拉致問題を解決する気概を見せて欲しい。
正直、拉致問題の解決へ向けた進展を出せていない安倍首相にはガッカリしている。
もし、今期の任期中に安倍首相が拉致問題を解決する事が出来なかったなら、私は
次の衆議院議員選挙では、自民党を見限り、立憲民主党か民進党に投票するつもりだ。
今期の任期中に、安倍首相には政治家生命の全てを賭けて北朝鮮拉致問題を解決して頂きたい。
【取材しました】裸のラリーズの元メンバーで、よど号をハイジャックして北朝鮮に渡った若林盛亮氏に電話で話を聞きました。
裸のラリーズ結成50周年 ハイジャックで北朝鮮へ渡った元メンバーの肉声 https://t.co/QKwmmciPG1 @kamba_ryosukeさんから pic.twitter.com/kSWdN3uXqx— 神庭亮介 (@kamba_ryosuke) 2017年10月17日
と1枚の写真があり、
――ベ、ベビメタですか。
日本の方が送ってくれて。最初、ヘビーメタルだと思ったのですが、よく見ると「BABY」と書いてある。気になって見始めて以来、「おっ、なかなかいいな」という感じで結構ハマってますよ。
――動画で見ているのですか。
北朝鮮情勢を見てると、世界史の教科書に残るような歴史の舞台が作れるのではないかと妄想して、ワクワクが止まらない。朝鮮半島北部は、米国、中国、ロシアの利害が錯綜して、あたかも火薬庫の如く状況となっているが、逆にいえば、この3大陣営の利害さえ一致できれば、朝鮮半島処分の問題として、一挙解決は可能だ。しかも役者がすごい。米国はトランプ、中国は習近平、そしてロシアはプーチンだ。以下、妄想。
・場所は、黒海沿岸の保養地とか、ベルリン郊外の森の中とか、オーストリアのシェーンブルク宮殿とか、それなりに歴史に残ってもカッコいい場所。
・3大陣営の首脳が、もっともらしい理屈をつけて、近辺諸国に外交日程を組む。その合間を縫って極秘会談。
・米国は、北緯38度線を超えての北朝鮮地域の大幅な占領にはあまり興味をもたない。むしろ韓国との関係を含め、徹底した軍事リスクの除去を求める。そのため必要な徹底した武装解除とイムジン河以北数十キロの緩衝地帯化を行う。
・中国は、人民解放軍を中朝国境を超えて平壌にまで進軍。占領統治の中心をなす。核攻撃等で、汚染、荒廃した国土だが、中国にとっての緩衝国として傀儡政権を樹立、枢要部を実質支配下に置く。
・ロシアは、立ち位置が難しい部分はあるが、北朝鮮北部東岸のロシア入植地域のロシア民保護を名目に、朝ロ国境を超えて突如南下、不凍港を租借確保する。必要があれば、数万人規模で北朝鮮民をシベリアに連行、抑留し、極東開発のため数年間の労働資源としても良い。
・合意成立後、直ちに3大国は北朝鮮一斉攻撃だ。米国は、戦術核の使用と国境付近の砲兵やミサイル基地への無力化攻撃、空爆。中国は、北京に北のミサイル照準が合わせられたことを名目に、平壌ほか主要都市への核攻撃。そして、もっとも精神的打撃が大きいのが、友好国と考えていたロシアの参戦だろう。これで北朝鮮は、トップの金正恩以下、末端まで総崩れになる。
・日本も、総理に歴史的発言を用意しておかなくてはならない。インテリジェンス面で信用されていない我が国は、上記を米国から知らされるのは直前であるが、官邸でのぶら下がり取材ではこう言い放って内閣総辞職だ。「嗚呼、極東の天地は複雑怪奇」と
板門店の警備兵が南側に亡命しようとした。彼を北朝鮮側の一隊が連れ戻そうとし、そのまま銃撃戦となった。
この事件をきっかけに、これまで居丈高な姿勢を取り続けていたトランプ・金正恩両者の応酬がもはや常軌を逸したものとなり、
次に発生した局地的な砲撃戦が開戦の合図となった。
西海岸の復興と戦力再編のためにかかった費用は天文学的な数字で、焦土となった統一朝鮮を勢力下に収めたものの完全に持て余している。
韓国は文字通り火の海になった。火砲によりソウルが消滅、釜山や仁川といった主要地域も壊滅的な被害を受けた。
統一朝鮮の負担には各国から援助も出ているが、民族の悲劇が再現されてしまった。
日本は放射性物質によるテロの標的になった。直接の死者2,000人。佐世保、福岡、横須賀、東京は人が住めない土地になり、
大阪と京都で経済と行政を分離する方向で調整が進められている。住む場所を追われるなど、影響を受けた人数は1000万人を超える。
債権を大量放出した影響でアメリカ経済を致命的に悪化させ、同盟を維持できないほど関係が冷え込んだ。
中国は東北部が核汚染され、大量の難民流入もあり財政的に破綻した。
アメリカが後退したいま第二列島線への進出を狙っているが、肝心の軍を維持できなくなりつつある。
人民解放軍による難民虐殺の噂も出ているが、共産党の強権でなんとか政権を維持している。
国際体制は第一次世界大戦後のヴェルサイユ体制のようになった。
不安定で、いつ崩壊してもおかしくない危うい均衡を保っている。
真の勝者など誰もいない。
2年前の敗戦の日ころにNHKのラジオで流していた五木寛之さんといとうせいこうさんの対談の冒頭部分の書き起こし。
誰かフルで持っていませんかね。
まぁ、僕はもちろん戦争体験の年代ではないのですけど、五木さんは?
とはいっても、戦場体験は、もう3つくらい上になるとあるんですけど
少年飛行兵とか
僕らの世代は、ちょっと前で、終戦のときは、中学1年生でしたから
平壌の一中に通ってました。
で、引き上げていらっしゃって
丸々太って引き揚げてきて、村の人が
出ていってときと別人のようでなんて人もいた。
インパール作戦とか
僕は国に対して、万斛の恨みがあるんですけど
そのままにしておきたい
方針があったみたいですね
僕なんかは、引き上げというよりも脱北ですね
脱北者として、逃亡してきた
今から70年になりますから、引き上げ者といってもピンとこない
あっ、帰国子女ですかと言われたりするんで、
棄民のようなかたち?
完全な棄民ですね。
平壌では、チョコレートがあったそうじゃないかみたいなかたちでね
上海では、ジャズバンドもあって、ダンスホールもやってましたから
そういう裏返しも、恨みみたいなものがあるから、余計なものが帰ってきてということで、
粗雑なお話になって、
あるいは美しい物語になってね
五木さんはそうではなかった
僕なんかまだいいほうでね
近くに入植した人たちが、軍に見捨てられて
デマが流れて、ピョンヤンに来ると列車があるらしいということで、
見るも無残な行列が
その人たちは、ありとあらゆる戦争の愚行というものの惨禍を受けてね
ひとことには絶対いえないですよ
それがもう伝わらなくなってきている
帰国子女だという人がいるということ
五木さんに今このお話を伺うことは、とても大きなことなのではないかと
今、話すのは無駄だと思っているんですよ。
虚無感というかむなしさの中で
沖縄戦のいろんなことを語り部として、修学旅行の生徒に語って聞かせるようなガイドの人たちは、もうだめだ。やめようと。
早くやめろとかね。その間みんなスマホを見ている、ぜんぜん聞こうとしない
僕は伝わらないと思う
言っても言ってもね、実感というのは伝わらない
僕はもう半ば諦めている
その人が
そうなるまでは、
物語化して伝わったり
そういうクッションを経て伝わるんだ
と、悪いんですけど、嘆いているんですよ
なんとなく、口ごもる
話の中にもその人が語りたくない
っていう感じが伝わってくるでしょ
本当のことは語りたくないわけでしょ
本当の自分に対してやましさを持っている人たちは
語りたくないんですよ
だから、僕も本当のことは語らない
ずっと今日までね、引き上げをテーマにした小説は書かなかった。
言われたら、とてもじゃないけど、申し訳ない
確かにそうですね。
以上の内容から読み取れることは、戦争体験は千差万別であること。
修学旅行で原爆資料館に行ったら、呉の軍港も見て、岩国の基地も見て、バランスをとっておくべき。
沖縄にいったら、ひめゆりの塔に行ったら、米軍基地も見ておきたい。
空爆でやられたところとそうでないところ。日本の都市部がなぜか軍需工場扱いされていた事実。
やられなかったところは、当時の日常の延長なんだよ。
赤紙がきて、動員された人。上を目指して、半島や大陸に渡った人もいた。
そういう事実の積み重ねの上、生き残った人が今を作っている。ただ、それだけ。
イギリスのEU離脱問題で、Twitterとかで「スコットランドは日本でいえば北海道みたいなものだからー」という人が意外に多くてびっくり。
スコットランドは北海道と地理的環境は似ているけど、歴史的に言えば全然違うよ。
強いていえば、東北地方だよ。特にアイヌ文化がそこそこ残っている東北北部。
まあ、北海道こそアイヌ文化の本場だけどさ、スコットランド的な意味では歴史性が全然違うんだよ。
現代では東北も会津地方以外は「維新史観」に洗脳されて、他の地方との歴史の連続性を当然視する向きがあるけどね。
そんなわけで、イギリスの各行政区分「国(country)」を日本にあてはめると、
東北を除く本州の大部分。ロンドンは東京へ遷都されずに京都がそのまま首都になった感じ。
あと、カンタベリー大聖堂のあるイングランド南東部は、お遍路とか宗教的な聖地という意味で四国に近いかな。
でも、実はイングランド王室って、発祥がフランスだったりするので、日本に無理やりあてはめると
中国大陸発祥の一族が日本を征服したことになってしまうので、まるで騎馬民族征服王朝説ですね(笑)
ちなみに、イギリスとフランスの文化的な関係は、日本と中国の関係に結構似てます。
九州に近い。王太子が「ウェールズ公(Prince of Wales)」と呼ばれるように、他の地域に比べてイングランドとの一体性が強い。
九州(宮崎県)が皇室のルーツであるように、かの有名な「アーサー王の伝説」もウェールズに縁が深い。
ウェールズ人は怒りっぽいというステロタイプがあるけど、熊本人が怒りっぽい(肥後もっこす)というのとちょっと似てる。
上で述べたように、東北地方に近い。中央政府(イングランド)にずっと対抗してきた歴史があり、文化や(遺伝子レベルで見た)人種も結構違う。
東北地方の地名にはアイヌ語に由来するものが多い(気仙沼の「ヌマ」とか)けど、スコットランドも独自の語彙が少なくない(ゲール語)。
じゃあ、同じケルト文化圏のコーンウェールとかどうなんだと突っ込まれそうだけど、強いていえば北陸~東北の日本海側あたりですかね?
この地域こそ北海道に近い。でも、本当は朝鮮併合後に日本から独立しなかった朝鮮半島、というイメージが最も似ている。
カトリックを中心とした民族運動についていけなかったプロテスタント系の住民が多く、アイルランド共和国から分離したので、
無理やりイメージすれば、今の北朝鮮にあたる地域(平壌~新義州あたり)だけが日本から独立しなかったという感じ。
ほら、こう書くだけでどうしてテロを伴う激しい独立運動が起きたか簡単に理解できるでしょう? 最近はまったく平和ですが。
ついでに言うと、マン島とか王室保護領は、独自の文化圏という意味で沖縄および八重山諸島っぽい感じですかね。
<追記>
この前バラエティ番組で "United Kingdom" を「連合国」って訳したフリップを使っていたけど、
United Kingdom は「国連(United Nations)」とは違って、United が形容している名詞が単数形だから、
「(複数の)王国群の連合」ではなくて、「(複数の王国が)統合された単一王国」が正しいのね。
実は「連合王国」という公式訳はちょっと誤訳気味だというのは業界(何の業界だw)では有名な話。
北朝鮮に行ってきた友達がいるんだけど、その人がいうには、北朝鮮の平壌はたしかに発展していて見所もあるらしい。
アントニオ猪木なんかも北朝鮮に行って、好意的なコメントを出すし。
でも、だからといって北朝鮮がいい国とは言えない。なぜなら私たちが北朝鮮を判断するのは、その人権状況であったり、国際問題であったりするから。
それと同じように、フクイチが職場として整備されつつあったとしても、でも一方で故郷を追われた人たちがいる。
ミルの『自由論』は、多数の暴論によって、個人の自由が損なわれる危険も説いているけど、まさに「民主主義による政治」によって故郷に住む権利を剥奪された人たちがいる。
この権利がどうかという問題を抜きにして、いまフクイチがどうであるとか、原発の経済効果がどうであるとかを論議してもダメなんじゃないか。
[チョン・ジェハク コラム]平壌(ピョンヤン)を打って、日本列島を切るとすぐに!
2015年07月22日(水)13:23:00 チョン・ジェハク編集委員
今でも鳥肌が立つのは、私たちの民族に対する日本の悪意だ。 理由がない悪の. したがって日本が私たちの民族に対する悪意は先に天だと見る。
日本の根が深い悪意は今でも進行中だ。悪意から出発した日本が私たちの民族に及ぼした害悪がどれくらい多大かは今でも変わりない独島(ドクト)侵奪野心と歴史反省の姿勢で如実にあらわれるというだろう。
そして筆者は日本だけは必ず地球上で絶滅させなければならない唯一の人種であることをもう一度確認している。
特に亡国的だと呼ばれる地域感情が日帝によって作られたことを、私たちは賢く知っていなければならない。そして日帝強制占領期間36年の血まめができた怨恨も怨恨であることであり、日帝が残して行った傷痕中に民族分裂政策があったことを上記してみなければならない。なぜ私たちが日本をそのように呪わなければならないかに対する立派な答になるためだ。
1945年8月15日、彼らは韓半島を離れて、二種類をいって行ったと伝えられる。その一つは必ず10年後に帰ってくるということであったし、また、一つは私たちの民族が永遠に団結と和合をできないだろうというものだった。植民教育の中に毒素を入れて教えたという意だった。
日本は1919年3.1運動に接したらで、韓半島統治に植民教育を強化した。そして皇国臣民(天皇の国に臣下なった民)を育てるために国民学校(国民=皇国臣民の略語)をたてて、私たちの民族の頭の中を洗脳させ始めたし、民族精神を抹殺するために学校で私たちの国語を奪ったし、伝統と文化に対する否定的な意識を教えた。
花札を流行させたのも民族精神抹殺政策の一環だった。花札は勤倹節約の美風良俗を害して、トゥレ村の協同精神を押し倒して私たちは怠惰な国民に成っていった。
しかし5000年歴史を持った自主民族が一日で簡単に洗脳される理由がなかったし、いよいよ植民教育の強圧を突き抜けて光州(クァンジュ)学生運動が起きた。この事件で日帝は植民教育の方向を修正した。それが民族分裂政策だった。
民族分裂政策は湖南(ホナム)に対する排他的意識を育てることで始めた。 歴史的に湖南(ホナム)は日本の自尊心を押し倒した、日本に敗北の数値を抱かれた故障だった。 壬辰倭乱当時李舜臣将軍の部下にはいつも勇敢な湖南(ホナム)人がいたし、幸州(ヘンジュ)山城での大勝にもクォン・ユル将軍をついて行った全羅道(チョルラド)出身の将卒があった。 豊臣秀吉の侍童出身小暑銀行長は幸州(ヘンジュ)山城の敗北を、全羅道(チョルラド)出身将卒の奮闘を理由に上げたりもした。
同学以後起きた義兵大部分が湖南(ホナム)を拠点にして起きたし、生き残った義兵は智異山(チリサン)を根拠地で活動していた。ここに何と20年余りの植民教育を押し倒して光州(クァンジュ)学生運動が展開したのだ。
これに対し日本は湖南(ホナム)排斥を目標に地域感情を生産し始めた。
植民史学者を動員して、その有名な考慮王健のフンこの十兆をまき散らして、湖南(ホナム)を醜くていやしい反逆の故障で認識させ始めた。ここに応じたのがいわゆる両班(ヤンバン)階層の親日派であった。‘全羅道(チョルラド)犬の土鉄’という(のは)湖南(ホナム)国民らをいやしく呼ぶニックネームだった。
日帝によって生成された地域差別は、親日史学者らと貴族階級の末期的現象に心酔した愚かな支配階層によって広く広まったし、そして日帝は韓半島を離れて私たちの民族の大同団結をあざ笑うことになったことだった。
湖南(ホナム)に向かって逆差別的な毒素は軍事独裁で花を咲かせたと見る。軍事独裁当時湖南(ホナム)出身は将軍進級が事実上詰まっていたし、カンでも、財界でも湖南(ホナム)人は排斥にあった。どれくらい深刻だったのかは筆者の体験の中に今でもそのまま生きている。子供の未来のために本籍までパーサー移住する湖南(ホナム)人が如何に多かったのか。
日帝が狙ったそのままであった。さらに全羅道(チョルラド)人ならば婚姻もしなかった。他地域に嫁入りした湖南(ホナム)女たちが受ける侮辱は怒りにつながったし、その怒りは亡国という言葉どおり広がった。
暮らすために他地域に離れた湖南(ホナム)人は全羅道(チョルラド)なまりを使わなかった。情感に充ちたその言い方まで隠さなければならなかったすべての悲しみは湖南(ホナム)人の胸に数多くのあいくちをさしていた。
そしてその頂点に5.18があった。‘慶尚道(キョンサンド)軍人が湖南(ホナム)人をみな殺す’というデマが光州(クァンジュ)市民の胸に火を付けたのだ。筆者もその現場で確認したことだった。したがって光州(クァンジュ)市民はそのようなデマが追い込まれる程湖南(ホナム)差別に対する痛くて大変な数多くの経験があったのだ。
その辛い経験は深い傷で残って今でも有効に展開していると見なければならない。北朝鮮が操縦する韓国内葛藤の実体も湖南(ホナム)地域差別に根元を置いたことだった。おそらく北朝鮮は最後まで地域差別をそそのかすつもりだろう。
日帝が残した植民教育の毒素は、民族分裂のための地域差別だった。今でもこの呪いが生き残って繁盛する理由はその最初が北朝鮮の対南工作にあって、その次がまだ地域差別の実体を悟ることが出来なかった愚昧な国民にあるというだろう。
筆者は北朝鮮との戦いで勝つには、先に韓国内葛藤の根因を除去しなければならないと信じる。そのためにはこの葛藤の出発が地域感情であり,この地域感情は日帝の陰謀だったことを、もう天下に知らせなければなければならないと考える。
もう一度民族を考える。私は全羅道(チョルラド)の人だ。もし国家に危難がくれば、幸州(ヘンジュ)山城とミョンニャンに向かって走って行くだろう。明確にそうするだろう。
私たちは団結しなければならない。私たちが団結すれば、北朝鮮を自由民主体制に移ってくることができる。そして私たちが韓国、北朝鮮国力を統一すれば、日本を克服することができる。
したがって地域感情をはね除けて力を集めて、ついに平壌(ピョンヤン)を打って、列島を切らなければならない。 私たちの民族1世紀の間の怒りを必ず返さなければならないと信じる。
原文 韓国語