はてなキーワード: 帰着とは
方程式を解く最中に自分が何をしているのか分からないということになっている。
数学においてはなんとなく生きてなんとなく死ぬという酔生夢死で終わるのではなかろうかという心地だ。
たとえば速度に関する関係式としてx(t+Δt)-x(t)≒v(t)Δtというのがあるわけだ。
ここから変位xを求めようという解法のテクニックとしてΔτ=t/nとおくとかΔτk=kΔτとおくとか、極め付けにはt=τkとおくことで区分求積法に帰着させる解法が載ってたりするわけだ。
しかしこうした変換式の設定が無意味ではないとどうして分かるのかと思ってしまうというわけだ。
もしそれぞれのtが出てる式についてt=と変形したとき、各式の左辺を等式で結ぶと恒偽式になるような状態だったら無意味な置き方だということぐらいは私にも分かる。
たとえばa=x+yと置く一方でa^2=x^2+2xy+y^2+1と置いたのではこれは1=0を導く関係式を導くのでこの置き方は無意味だと分かる。
他にも自明な例だけどもx=1と置きながらx=2と置いたり、x+y=2と置きながら2(x+y)=2と置くのも無意味だろう。
しかしこれらは経験的に自明なだけでなく各式をxy平面にグラフとして表したときに交わらないということでも視覚的に自明と分かる。
a+b=tとおくと同時に(a+b)^2=t+1と置いたらどうだろう。これは経験的には自明な無意味な置き方に思われるが実際にtだけの式に直すとt^2+t-1=0となる。少なくとも恒偽式ではない式が出てくるわけだ。
となれば経験的にそれとなく直感されない置き方についてはそれが無意味な置き方であるかどうかどうやって検討すればいいのかという話になる。
物理の式なんてものは多変数で高次式なわけだから恒偽式かどうか到底視覚化して判断できるものじゃない。もちろん経験的な勘が働くほど単純な式というのも多くはない。2aF/(M(a+b)+4ab)-gと(F+Mg)ab/(2ab+Ma+Mb)が常に等しいか常に等しくないのかなんて判断できっこないのだ。ある式で置くということにこうした複雑な式を出されたらその置き方が論理的に妥当かという検証などもうあきらめてとりあえず従っておくしかないわけである。
思えばなんで連立方程式は加減法や代入法で解けるのか、それをその方法で解くということの意味について深く教わった覚えがない。二元や二次方程式までならグラフなり平行移動なりの考えで方程式を解くことの図形的な意味合いの考察を垂らされた覚えがなくもないのだが、それは一般の方程式について解くことの意味の説明にはなっていない。
かくして応用が利かない中途半端な説明しか教授されてない結果として自分が何をしているのかも分からず形式的に方程式を解くだけかあるいはその連立方程式の妥当性が検証できないような悲しい人間が出来上がってしまっているわけである。
とはいえ任意の個数だけそれぞれが任意の関数であるもの同士が任意の個数の任意の演算子で結びついている表現されている何ものかについて、それを解くことの意味を解説されても分かる気がしないわけだけども(たとえば∫a+bはaという関数に一項演算子の積分演算子が作用した後、二項演算子+によってbと結び付けられ何がしかの値を示している、みたいなことをものすごく抽象化した話を言っている)。
この問題の難しさは、ある変数が変化すればそれ以外の全ての変数が変化する一方である変数以外の変数が変化した場合もある変数を含む全ての変数が変化するというその挙動の掌握することの難しさにあるのだろう。これが変化したらあれもこれも変化するという条件の中で論理的整合性を考えるというのは変数の数だけ変数の挙動を追跡する考える余力がないといけないというわけで凡人なら簡単に頭がパンクしてしまうわけだ。
「今のこの部署は業務が非効率すぎるからDXとか言う前にデジタル化して効率化したい」
とのことだった
Windowsのファイル共有サーバを使って業務上のやりとりが行われてて
それ自体は別にいいんだけど明文化されたルールが無いしアクセス権とかも適当なのでめちゃくちゃになってた
定期的にフォルダが移動されるのでメール検索してもファイルが見つからないっていうことがかなり多い
まずはアクセス権の設定とルール決めをやろうとしたんだけど各チームごとにルールがバラバラ
それどころか個人間でもルールが決まってなくてこっちで勝手に決めたら反発がもの凄くて結局断念
いまだにメールでファイルパスが飛び交ってるし、2023年になったから「今年」フォルダの中身が移動されるらしい
とか言っても理解して貰えない
チーム毎にエクセル使ってるところはあるけれど
それもリーダーが頑張ってまとめてるだけで各人が何かまとめてるわけではない
みたいなことをやったけれどほとんど使われず
タスクごとにファイルを添付すればファイル共有サーバも必要ないよね?っていうのを目論んでいたんだけれど
そもそも「タスク」の概念が無い様子だったので導入できるわけがなかった
費用や予算に関して複数のエクセルシートを駆使して管理していた
予算担当者のみがExcelを編集可能なので、担当者が休みだと予算確保ができない
おまけにExcel使ってても一部は手計算(シートをまたがって参照できないと思ってたらしい)なので
年末には紙に印刷して電卓で検算大会が開催されるという意味不明なことが行われていた
選定までちゃんと行ったけれど「未来予算との差分計算ができない」みたいな理由で結局導入を断念
「その計算いります?報告してるだけで誰も気にしてないでしょ?」
という話をしたが、結局導入はされなかった
唯一成功したのが「Excelを印刷して、手書きサインをもらって、それをPDF化して共有フォルダに保存」の廃止
なぜ手書きの必要があるの?というのを確認しまくって手書きサイン不要な書類についてはデジタル保存で完了
どうしても手書きサインが必要と譲って貰えなかったものに関してもPDFのサイン機能で了解を得た
印刷することがないから、Excelで無理矢理A4用紙の見た目にする必要無いよね?というのが今年のステージなんだが、まぁ多分無理な気がしてる
そういや、外部企業で手書きサインを求めてくる会社には仕方なく手書きサインしてるけれど
「人事に関わることなので紙保存です」
なので人事部とだけは紙でやりとりしているし、なんならそのために出社することもある
「今の仕事が楽になる」「今の仕事がより正確になる」という予想ができない人に対して新しい方法を提案しても抵抗しかされない
仕事が楽になった経験よりも、何かしらの障害で失敗した経験の方が記憶には残っているようで
1%の確率で失敗して破滅的なことになるよりも、辛いけれどどうにかなっている現状で耐え忍ぶ、という彼らなりの処世術なんだろう、と思う
そこで暴走族の車バイク、通称族車のトンチキなデザインがどっから来てるかを説明しようと思う。
増田は暴走族やヤンキーじゃないがはてなー平均よりはヤンキー文化に近いってくらいだ。
それじゃあ行くぜそこんとこ夜露死苦。
まずは「google:image:族車」で画像検索してくれ。
さて全然速く走る事に頓着が無いというか速く走れない族車デザインだが、元はレースカーや街道レーサーの特徴をコピーしていた。
だがそれらの文脈を考えずに合体され、更に右翼ファッションの流入によってスピードの文脈が無くなって形だけが意味を持つようになった。
でもファッションというのはみんなそうであってWWIの塹壕戦防寒軍服がビジネスシーンでの正装になったり、ゴールドラッシュの作業着が反抗の象徴になってカジュアルで定着したり、警官の防護服がハードゲイシーンで流行してからカジュアルになったり、と元の文脈が無くなるのはヤンキー文化だけじゃない。
新聞社に使役されていたプレスライダーである。プレスは報道の意味で事件現場で報道陣がしてる腕章に書いてあったり新聞輸送のトラックに書いてあるあの「PRESS」だ。
元々、速報性が重視される新聞社で取材記事の迅速な伝達を支えていたのは伝書鳩だった。新聞社では屋上に鳩舎を設置して多数飼育しており、記者は取材の時に鳩を連れて行った。現場で記事を書いてそれを鳩の脚に括りつけて放すのである。鳩は帰巣本能でかなりの高確率で社屋屋上に帰着する。
伝書鳩は1960年代、昭和40年頃には廃れるのだが、代わって登場したのがプレスバイクだった。
ところで何で電話じゃないの?というと、電話も使われていた。だが「市外局番」が出来たのが1965年、昭和40年頃なのだ。
これがどういう事かというと、市内を超える通話では交換手を通していた。だが事件が起きると記者が押し寄せ、役所や会社でも市外通話が急増するので交換手がパンクして延々と交換待ちになってしまう。つまり通話が困難になるのだ。この為に警察は早くから警察電話という専用線を整備していた。
プレスバイクは原稿や写真フィルムを受け取って現場から新聞社、若しくは駅でリレーして列車経由で社へと迅速、というか猛烈な速度で運んでいた。
そもそも当時のバイク乗りっていうのは不良である。そんな不良が、新聞記者、これも当時はブンヤで柄が悪く反体制的な気骨がないと務まらない職だった、そのブンヤに使役されて街道レーサーのような危険運転でぶっ飛ばしていた訳だ。勿論公道最速である。
こういう公共性と不良的な特性の硬派な組み合わせというのは今でも映画のモチーフになるし、憧れを産む。
という訳で、以下のようなプレスライダーの特徴が族車に取り入れられ、やがてスピードの象徴から遊離していく。
族車バイクはパイプハンドルを思い切り絞って手前側に持ってきたデザインが特徴だが、これはプレスライダーが上向きハンドルにしていたのに由来する。自転車と同じく、パイプハンドルでは固定ネジを緩めるだけでハンドルの角度を変えられる。
プレスライダーは渋滞では足をついて右に左へとすり抜けをするので、上体が起こせて視界が良く、車体を傾けてもハンドルが遠くならないアップハンドルにしていた。
プレスライダーは上記の通り足をついて渋滞すり抜けをするので、足つきが良くなるようにシートの「あんこ抜き」をしていた。着座部分のシートのスポンジを削って取ってしまう加工である。今でも背が低いバイク乗りはこの加工をする。
すると前後方向にも段が出来てニーグリップ(両足でタンクを強く挟むこと)しなくても前後に安定するという効果も出る。
族車はこれを大げさにして後ろに更に段を増やしたシートに交換したり、更にハーレーなどのシシーバーと合体した長い背もたれに繋がるデザインの三段シートになっていった。というか、ヤンキー相手の商材扱う会社が段々過激化していったのが原因だな。
プレスライダーは仕事なので冬でも走る。そこで後付けの風防を付けていた。元々実用品なのでカッコいいもんじゃない。
だがそれが「硬派」の記号となって族車に取り入れられた。
今やってる会社は無いが、昭和後期まで社用車というのは鉄製前部バンパー角に小さな掲揚ポールを付けて社旗を掲げて走るのが多かった。今は歩行者安全の為に前方に突起物を付けるのは車両法で禁止であり、宮内庁の御料車や総理大臣車以外はやっていない。
プレスバイクも新聞社の庸車なので前輪に垂直ポールを立てて「PRESS」のペナント(三角旗)を、更に四角い社旗も併掲するケースもあった。とんでもないスピード違反してても(プレスライダーは常に速度違反)警察はPRESS旗と社旗を認めると取締りしなかった。
暴走族の前身はカミナリ族じゃなくて街道レーサーのチーム(イニDの赤城レッドサンズみたいなの)なのだが、このスタイルが真似されてチームの旗をつけるという形になる。
これが1980年頃から「硬派」の文脈が右翼ファッションに転じた。この右翼とは1960年代の全共闘運動に対抗した新右翼で、80年頃には軍服着て国防色街宣車で軍歌を流し、軍旗である旭日旗を掲揚するという軍国主義憧憬路線が確立されていた。
ところでこの旭日旗は「プレスライダーのまね」路線ですでに族ファッションの中にあった。それは朝日新聞の社章でお馴染みだったのである。
故に既存のプレスバイクの社旗模倣の上に右翼ファッションの軍国標榜が自然な流れで合わさる形となった。
前輪の掲揚竿は大きさが制限されるので、大きい旗を後部に付けたり、二人乗りの後部乗員が手持ちするようになったのである。
この名残で、旗が付いていない棒を前輪から斜め前に突き出している族車もある。
同様の理由でタンクへの塗装や服のプリントへと波及していく形になった。
こんな風に族車デザインに過大な影響を与えたプレスバイクだが、盛者必衰で1980年代になると衰退して報道の現場から消えて行ってしまう。
置き換わったのは出先で使えないFAXじゃなくて無線と自動車電話だった。どっちも大きくて自動車必須で、汽車+バイクから自動車に置き換わったのだ。両方とも無線兵みたいな箱を担いで運用する。
それで職にあぶれたプレスライダーが流れた先は2つあって、一つは競馬/競艇新聞の運搬。予想欄の関係でレース当日に入稿されるので印刷所の前に多数のバイクを並べて待つ。刷り上がった新聞をバイクの後ろに括りつけて馬券売り場や競馬場の売店に急いで持って行くのである。
ただこれはレースが日曜しかやってないから臨時バイトの面が強い。
もう一つがバイク便で、オフィスを回って営業する。NYの自転車メッセンジャー便のバイク版だ。
こういう経緯なので初期のバイク便はプレスライダーと呼ばれていた。FAXが普及してもサンプル品の急送とか木型(鋳造で使う型)とか需要は多くあったが、白ナンバーの違法操業のところが多かった。
中にはちゃんと法人成りして営業免許を取り緑ナンバーにして特殊分野でのニッチを獲得したり、後に医薬検体輸送→検査会社と進化して自治体の出資を受けて三セク化したところなどもある。街道レーサー崩れからの地道なステップアップ人生であるな。
これは画像を見てもらった方が早い。こういうの暴走族で走ってるやろ? https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/26/Nissan_Silvia_Silhouette_Formula_001.JPG
量産車のガワだけを使って、中はエンジンも足回りもフレームも全部変えていいよという規定のレース車区分だ。シルエットだけ市販車で中は純粋レースカーなので「シルエットフォーミュラ」という。
これは日本では御殿場の富士スピードウェイと筑波サーキットでレースが開催されていた。
特に富士スピードウェイでは「富士グランチャンピオンレース」というシリーズレース(全戦富士SWでの開催)が人気を博していた。走っていたのはルマン24時間みたいな形のレースカーだった。
このレースの前座としてシルエットフォーミュラが開催されていて、こっちは街で見かける市販車ベースで無茶な改造がされているのでこっちも大人気、更に自分の車を同じように改造するのが流行したのだ。
族車で出っ歯にするのはこのシルエットフォーミュラの真似を大げさにしたものなんである。
更に初日の出暴走を「グラチャン」という理由も判ったかと思う。シルエットフォーミュラ風の改造をして富士山の方、即ち富士スピードウェイがある御殿場方面に東名高速を走っていくからグラチャンなんであるな。
因みにあの出っ歯は貧乏暴走族などではベニヤ等で手作りしてあり、強度が低いのでボンネット辺りから針金で吊ってある。
そんなヤワな造りのものが走行風に耐えられる訳もなく、ほぼ必ず途中ではがれて取れてしまう。または出発地近所の踏切でぶつけて引っかかってしまい、電車が来たら危ないので周りのおじさんや善男善女に助けてもらって出っ歯を踏切から撤去してもらい、「危ないよ~」とか言われてるのである。出っ歯も手作りで温かみがある上に重ねて温かみのあるエピソードである。ハリボテエレジーの如き侘び寂びの趣きだ。
で、出っ歯が無い普通の車として他の族車と一緒に東名を走っていくと、途中で交通機動隊が集中取締りをやっていてFRPの高級出っ歯車は皆とっ捕まってしまうが、手作りシルエットの方はなにしろ普通車に戻ってるからそのままスルー。
これは他の出走馬が前部倒れた後にハリボテエレジーが壊れた馬体というかダンボールを引き摺り走ってきて完走するのを彷彿とさせる。大穴である。
https://www.webchikuma.jp/articles/-/120
〈わかる、というのは秩序を生む心の働きです。秩序が生まれると、心はわかった、という信号を出してくれます。つまり、わかったという感情です。その信号が出ると、心に快感、落ち着きが生まれます〉(『「わかる」とはどういうことか 認識の脳科学』)”
”〈「わかった気になる」と「わかる」とのあいだには本質的な線引きが出来ない〉(佐々木敦『ニッポンの思想』)”
”「説明が正しいかどうか」よりも、また「その問いが妥当かどうか」よりも、私たちの脳はともすると、「説明があるかどうか」のほうを重視してしまう。
説明とは、そのままでは未知にとどまってしまうものを分解して、自分がすでに知っているものの集合体へと帰着させてしまうということです。”
”「自分が不愉快な状況にあるのは、特定の人たちに有利なふうに世の中が設計されているからだ」
と問うからです。”
日本代表がPK戦に勝っていたとしたら、「なぜ、日本代表はPK戦の技量がこのようなレベルだったのか」と自分に問いかける人はこうもいなかったでしょう。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/getnews.jp/archives/3361607
スクエニの恵まれた環境が妬ましんだろうなあ…ってのが伝わってくる。
まあ羨ましいよな、綺麗で広々としたオフィス、美味そうな社食、イラストレーターというクリエティブな仕事。
そんな奴らのキラキラした仕事っぷりを見せ付けられたら、一言腐したくもなるわな。
でもあんまり性格悪いことばっか言ってっと更に格差が開いていくと思うぞ。
kyopeco コメントにもあるけど、現実に沿ってないのわかる。佐川の動画が本当いい例というか、こんな人見たことないし、働いている感じも本当に一部の都合の良いところを切り取って、全体がそうであると言いたそうな感じ。
preciar あんな前世紀の遺産だけで食ってて新しいものを全く生み出せてない落ち目のレガシー会社、いまさらあこがれてる奴なんているの?
ユニクロに社員として潜入取材した文春のライターじゃあるまいし、このシリーズは黒い部分をえぐり出すルポじゃないでしょw
TwitterとYouTubeの反応見てきたらいいじゃん。あこがれてる奴は多いよ。
tyakoske ウオー美人じゃん!、、、、マスクとったらそうでもなかった。。。あとFFよりDQ、スクエアよりエニックス派なのでこの動画はよくない。
haru_tw パオロさんはいつも作り方が上手い。それと、美人は得するように出来てるな/ 才能は知らんけど美女やでな?
aaaaa 「美人は得する」ってコメント、この人は見えてるほど才能ないって言いたいの?失礼すぎない?/(ただの小学生みたいな言い訳に見えるけど一応)誤解招くのでいきなり脈略なく容姿褒めるのやめた方がいいですよ
sametashark 容姿についてコメント溢れるの、男性なら起きないよな。エロいとかそうでもないとかブコメの容姿ジャッジそういうとこやぞ。本文最後の段の「自信満々で仕事してる女性っていいですね」も、なんか違うよね…
大学を卒業してから仕事が楽しくて、気づけば休日にデートする女性もいなかった。非モテになっていた。
そんな折、社内異動で1年間閑職に飛ばされることになった。
初めは趣味や友人付き合いに勤しんだが、少しすると、アラサー特有の旺盛な性欲に悩まされる時間が増えた。
適当に自慰で済ませるのもアレだし、せっかくだからモテてみたいと思った。
いろいろ(アプリとか、相席とか、合コンとか)チャレンジした。
どれもそれなりに出会えたけど、どうしても課金ゲーの要素が強く、「モテる」を実感するには程遠かった。
そこでナンパに興味を持った。見知らぬ女性に声をかけるのは難易度が高そうで、やりがいもありそうだと予想した。
約束の1年が過ぎて、無事に元の部署に戻ることが決まった。引退する。
ナンパをしてきたこと、周囲の誰にも話さなかった。記録代わりに増田に書く。
アラサーのリーマン。理系。ナンパ始める前の経験人数は一桁後半くらい。
元の自己評価は中の下だったが、スキンケアや身だしなみに気を使ってから褒められる機会が増えた。嬉しい。
週3〜4回、仕事終わりに街(新宿、池袋とか)に出て、多い日だと100人/日くらい声をかけた。
連絡先を交換して、後日デート。気が合えばイチャイチャする感じ。
経験人数は50〜60人増えた。お付き合いしたのは1人。
零時レイさんとかゴッホさんの本、あとは藤沢数希さんのメルマガも。
ただ、一番役に立ったのは古い本。リーマンナンパマスターさんの『もう合コンに行くな』。シンプルに読み物としても面白かった。
ナンパの難関の9割は「どうやって声をかける勇気を振り絞るか」に帰着するので、
その勇気をくれるツールであれば何でも良いんじゃないかと思っている。
ナンパ講習とか有料noteは全く使ってない。調べた限り、8割くらい情報商材か詐欺。
今もTwitterで騙される人々を見かける。弱者男性ってナンパでも搾取されるんだなと思うと、悲しくなる。
ほかに、Twitterのオフ会(合流)は数回行ったけど、すぐ止めた。
「どうやって口説くか」とか意見交換したいのに、「女はクソ」みたいな話ばっかり出るのでつまらなかった。
ナンパは周りとつるまず、こそこそ隠れてやるのが一番だと思う。
知らない人と話すのはシンプルに楽しい。口説き落としたときももちろん楽しい。
自分は今でもナンパの成功率は低くて、声をかけた女性の7〜8割には無視される。
でも、反応をくれたとき、自分の冗談で笑ってもらえたとき、素直に嬉しいなと思える。
あとシンプルに女性のことが好きになった。共感できるようになった。
昔は非モテだったのでネットのミソジニー投稿に共感してたけど、
たくさんの女の子と話すうち、彼女たちにはそれぞれ個性的な魅力があって、男性には分からない苦しみを抱いているんだなって思った。
ナンパは基本的に迷惑行為なので、その中で続けるのは正直きつかった。
自分の場合、明確な合意を取るまで絶対に関係を持たないなど、かなり気をつけていたけど、
連れ出した女性に対して強引に関係を迫ったり、どう見ても未成年の女の子に声をかけまくったり。
「貢がせ」として、口説いた女性たちに金銭をせびることを奨励する文化もある。最悪だ。
万能感に包まれて無茶なナンパをして、逮捕されてしまった人も居た。
10年続けてる人も居たが、少し喋っただけでヤバさが伝わる感じだった。
ナンパは独特の高揚感と、普通に生きている限り到底得られないほどの経験人数を与えてくれた。
ただ、それが今後の人生に役立つわけではないと思う。むしろマイナスだ。
引退後は元の部署で普段どおり仕事をしているし、プライベートが特段充実したわけでもない。
多くの女性と関係を持つことで身についてしまったものもある。中途半端な万能感と、身分不相応な勇気だ。
仕事して、趣味に打ち込んで、友達付き合いをする中で出会った女性を「口説ける」ことなんて、
日常のコミュニケーションにおいては害悪でしかない。できるかぎり、周りを色眼鏡で見ないよう努める毎日だ。
新しいことに挑戦するのは楽しかった。
幼稚園くらいから始めているところがある一方で、寝た子を起こすみたいな感じで教えずに大人にするというケースもあると思う。
後者には、子供に勝手に無謬性を期待し、性教育なんてセックスの仕方を教えるようなものだからするべきではないみたいな場合もある。
増田が指摘する通り、子供に性欲がないというのは、障がい者、老人など保護されるべき対象全般に性欲がないのと同じくらい周囲が勝手に思い込んでいることだと思う。
そんなあり得ない前提を妄信して作ったシステム自体があり得ないと思う。
子供の場合、支配欲か性欲かの前に、知らないからそれが問題行為だと認識できない、認識できないから遊びとしてやってしまうというのがあると思う。
それを大人に咎められても本人たちは何を咎められているのか理解できないだろう。
やめたところで「なんかわからんが大人ががみがみ言うからやめる」みたいな感じではないだろうか。
ちなみに、問題を問題として理解させるために、幼児のころから性教育を始めることに自分は肯定的だ。
セックスの仕方を教えるは完全なる誤解で、プライベートゾーンは大事なところだから他人のを見たり触ったりしないし、自分のを見せたり触らせたりしないから始めるものだと思う。
■ゆたぼんっているだろ?
あの、「学校行くな」って言ってる小学生だったか中学生だったか。
あいつがさ、なんで学校行かなくなったかっていうと、要するに宿題するのが嫌だったからって昔言ってたんだよ。自分は宿題やりたくないんだけど、周囲の同級生を見ていると、何の疑問も持たずにただ先生に言われた通りに毎日宿題をやってきてるっていう、その様子を傍から見てて、そいつらのことが「まるでロボットみたいに」見えたっていうんだな。自分はそんなふうになりたくないって、子供心にも、そう思ったんだよな。
まぁ、それだけだったら、よくある話だ。ゆたぼんに限らず、このくらいの歳の子供だったら誰でも思うような、たわいもないことだろう。
でもな、俺、最近同じことを思ったんだよ。もう50手前のおっさんなんだけどさ。
長年勤めてきた会社で、一緒に仕事してきた同僚が急に亡くなったんだ。ある日の朝、会社に出勤したら、パソコンに偉い人からメールで、彼が亡くなったっていう知らせが入ってた。彼がいなくなった分、彼の抱えてた仕事が周囲の人間に振り替えられることになるから、何卒ご協力をお願いしますっていう内容のメールだ。彼についての話は、公式に、その一通のメールで「終わったこと」になってる。
表沙汰にはなってないけど、どうも自死だったらしい。仕事のことで、色々悩んでたとかなんとか、そんな噂を後から耳にした。
今はもう、彼が職場にいたことの痕跡はどこにも残っていない。彼の話をする人間も一人もいない。
人が一人死んでも、何事もなかったかのように、職場は回っていく。これは、当たり前のことなんだろうか? でも、事実として、そうなってる。それが、俺には気持ち悪ぃって、どうしても思えてしまうんだよな。なんかこいつら、ロボットみたいだよなぁって。
自死した彼だって、もう何もかもほったらかして、逃げればよかったんだと思う。死ぬくらいだったら、会社に行かなければいい。そう、「会社行くな! 死んだらアカン」だ。
だからさ、今までゆたぼんのこと馬鹿なガキだとしか思ってなかったけど、今はあいつの気持ちがすごくよくわかる。もう学校とか、会社とか、そういうのうんざりだよな。
きめぇんだよ、なんもかも。