はてなキーワード: 少年野球とは
プロアマ問わず、日本の野球経験者は現役引退後の生活でも、野球に固執する例が多い気がする。固執と言っても全く過言ではない。プロ野球や甲子園に注目したり、草野球を続けたり、あるいは部活動や少年野球のコーチになったりする人らが、野球経験者中で数でも意識の上でも優位に立っているような。現にわたしが野球の呪縛から逃れられていない。なお、ここでの野球とは日本での野球を指して、アメリカその他の国々における野球ではない。またここで示す見解は、裏取りや検証を全くしていない、一人の想像であり譫言の域を出ない。
振り返ると、野球競技従事者には「一筋に打ち込む」ことの正義が支配的で、プレーヤーには「生活中では野球第一を是とする」思想を植え付ける傾向にあった。それが上達には必須であるからと。
全体練習中にサボるのは良かったが、部活を休むのは悪だった。授業中に寝るのは良かった(むしろ褒められる視線を受けた)が、移動教室の廊下で対面する監督や先輩に立ち止まって挨拶しないのは絶対悪だった。ああこれは全体主義だ……。
それを自覚しなかったから、引退後もずっと頭が野球から抜け出せない。野球に限らず他のスポーツ、延いては人が従事するあらゆる対象でこの現象はあり得、対象にのめり込む程その色は濃くなりやすいだろう。しかし野球は特別、競技の科学的分析とは別個に、コミュニティ内の人間関係において、個人的意思(≠個人主義。日本にあって、最終的な辞める辞めないの自由はあったので、個人主義を許容していないとは言えなかった。ここではコミュニティ内で意思を表明するフェイズにおいて、個人的な意思の芽は摘まれていたことを指摘したかった。)や相対化を拒む文化が根差していて、否定は罪な風土があった。同期は仲間であり、後輩は慕い、先輩と監督とコーチは畏敬する人間であるとの認識が正常とされている。
その文化の洗礼を受けた頭が無意識に後進を指導するので、界隈が全体主義的に規定され、その影響下にわたしもあったのだとすれば、このふとした拘束感に合点がいく。
この仮説が正しければ、宗教的意識に無頓着である点でこの野球教は悪である。
一つ厄介事があるとすれば、それは野球を競技的に極めようとすると、この全体主義的思想は有効であると証明されている点である。事実、日本の野球の強さは世界屈指ではあり(競技国や競技人口が少ないので正しさの更新を望めていない問題はあるが)、世界的名選手すら輩出している誇りがある。
しかし国内の競技人口は減少し、またSNSの隆興や欧米発の自由主義的な価値観の流入などで、指導方法のアップデートが強要されている今日、これまでの正義が変容の岐路に立たされているのは間違いない。
諸般の事情で一日休んだために、4日ぶりの出勤。昨日はそんなに忙しい日ではなかったけれども、近所で少年野球やスポーツ実業団が練習を行っていたらしく、夕方にその関係者が続々来店。
Aさんが若い女性客に怒鳴られたりネチネチ文句を言われていたりした。何が起こったのか聞いたら、電子マネーのアプリの使い方をお客様が理解していなくて、アプリが使えないのはAさんのせいだと難癖をつけられたのだそう。爆発的なキレっぷりで店内に女性の早口金切声が響き渡ったのでびびった。
そのお客様は、ファッションは二十歳くらいの女の子のようだがよく見ると軽く四十路を越えていそう。またか、と思った。40代~60代の女性客に、こう突発的な怒りを制御出来ない人というのはしばしばいて、更年期障害なんだろうけどなんというか、損をしているよなぁと思う。他人に当たる時にこれだけ当たれるんだから、身内に対してはもっと激しく当るんだろうし。
という私も更年期に片足突っ込むような人間だし、自分も近いうちにそうなるのだろうかと思うと、恐ろしくなる。最近、子育てを通して知り合った女性達が次々更年期に入って人が変わったようになってしまっているので、余計にこわい。
更年期は本人が一番辛い、とはいえ、事情を知らない人にとってはただの性格の最悪に悪い嫌なおばさんでしかないし……。
Aさんがしばしば母親と凄絶な口論をするらしく、時々その愚痴を聞かされる。Aさんの母親はあまり料理をしない人だったらしいのだが、最近なぜか料理スキルが無に近いのに素人の手には負えないような難易度の高い食材を買ってきては大半を生ゴミにしてしまうのだそう。
先日も、魚なんかさばいたこともないのにすごくでかい魚を買ってきて刺身にすると言い張ったそう。とても長い時間をかけて出来た魚のすり身のようなものは親指と人差し指で作った輪っかの中に収まる程度で、残りはゴミ箱に突っ込まれていたのだという。それにAさんが「だからやめろって言ったのに」と言ったら母親がキレて大喧嘩になったとか。正常な判断力すら奪っていくのか、更年期ってやつは……おそろしい……。
ところで、先日、Aさんがてくてく歩いていたところにフリーター女子バイトさん18歳が乗った車が通りかかったそうだ。車を運転していたのは、フリーター女子バイトさんの母親。
フリーター女子バイトさんはそのとき目の前を歩いているのがAさんだと気づいた。そして、
「よし、Aさんのあとをつけよう!」
久々に野球の延長のせいで見たい番組の録画に失敗するという経験をした。
アニメ自体は別の媒体でも見れるのでそこまでショックでもないが、問題はその後。
録画されていたのは高校野球。
なんでこんなに野球が嫌いなのか、改めて自分の中でまとめてみたくなったので匿名で書く。
プロ野球の放送で見たい番組が潰れた、録画がズレたりそもそも録画されなかった、という安易な理由も当然ある。
高校野球の優遇っぷりや、野球に関わっている人たちの傲慢な発言や態度が気に食わない、という個人的な嫌悪感もある。
でもそれ以上のキッカケがあったな、と。
僕が小学校時代、地区のこども会で強制で参加させられたソフトボールという競技である。
30年以上たった今でも鮮明に覚えているあたり根が深い出来事だったな。
自分が住んでいた町では5月~8月末まで、小学3年生~小学6年生の男子はソフトボール、女子はドッジボールに強制参加させられた。
各学区ごとの予選があり夏休み終盤には町大会が開催される。子供たちに拒否権は無い。
ちなみに僕は参加させられるまでソフトボールの正式なルールなんて知らず、せいぜいピッチャーが投げたボールをバッターが打つ、程度の認識だった。
僕の住んでいた学区は人数が多くA,B,Cチームに分けられ、僕はCチームにアサインされた。
均等に分けたという建前はあったがAチームには少年野球をやっている子が多く集められ、Bチームはサッカーなどのクラブチームに入っている子が多かった。
Cチームは別競技を習っている子が多少はいたが、どちらかといえばインドア系の子が多かった。
また、A,Bチームは過去に野球をやっていたという親御さんが監督/コーチとして指導していたが、Cチームはただ野球が好きなだけというPTA会長のおっさんが監督だったのも色々察せられる。
小学3年生になり参加した初日、いきなり守備の審査が行われた。
まずはピッチャーを決めるらしく、全員がマウンドからキャッチャーに向かって投げろと言われたので上手投げしたらめちゃくちゃ怒られ、その時に初めて「ソフトボールは下手投げ」ということを知った。
生まれて初めて自分の意志で下手投げをしたが当然上手く行くはずもなく、狙いは定まらずキャッチャーの頭上を大きく超えた。
「この下手糞がぁ!!」と怒鳴られ、当然ピッチャー候補からは外された。
キャッチャー、ファースト、セカンド、サード、ショート、レフト、センター、ライトと審査が進んでいったがそもそも運動が苦手なのと、今まで感じたことのないスピードで飛んでくるボールにビビッてエラーを連発、どの守備位置にするにも難しかったと思う。
そもそも子供の人数が多いため初日から補欠扱い、正式メンバーと交代でレフト、センター、ライトの練習といった感じだった。
2日目、攻撃の練習が始まったがそもそものルールを説明されていない。
1打席目はとりあえず打って1塁に走ったがどうやら守備側がボールを先に塁に送るとアウトらしい。
いつまでも1塁に留まっていたら「何やってんだ!!さっさと戻れグズがぁ!!」と怒鳴られた。
2打席目は当たり所が良かったのか1塁に出れた。
次の打者が大きく上に打ち上げたので2塁に走ったが、守備側がそのボールを上手くキャッチし1塁に投げたのを見ていたらアウトだから戻れと言われた。
えっ・・・?なんで・・・?と思っていたら監督にバットで小突かれ、「子供のくせに野球のルールも知らねえのか!お前の親は何を教えてきたんだ!!」と怒鳴られた。
こんなことで親をバカにされた悔しさと申し訳なさで初めて泣いたので記憶に残っている。
3日目からは友人に聞きながらルールを少しずつ覚えていったが、多少ルールを覚えたところで競技が上手くなるわけもなくエラー、三振、凡ヒットなどを繰り返しながら練習だけは参加し続けた。
なおここまでもこれからも監督からソフトボールという競技のルール説明は一切ない。
下手糞ながらも練習を続けていたある日、そろそろA,Bチームと練習試合をするということになった。
僕は正式に補欠ということになり誰かがケガでもしない限り出ることはないはずだったが、レフトの子がケガをしてしまったのと別の補欠の子が休みだったため急遽レフトをやることになった。
地区で一番強いAチームは打力もあり、レフトが弱そうと知ると集中的に狙ってきた。
当然エラーを連発、そもそも球に追いつけない、捕球して返す球はヘロヘロといいとこなしでボロ負けしたのを覚えている。
練習試合後の反省会は誰が戦犯か吊るし上げるまでもなく、激怒している監督がバットで僕の顔面に向かってスイングし乳歯が折れ流血沙汰になった。
僕の両親と監督の指導に疑問を持つ一部の親が暴力事件として町と教育委員会に話を出したが、「本人にも聞き取りを行ったが、あくまでも指導の一環で本人のやる気のなさを自覚させるために仕方ない行為でケガをさせる気はなかった」と結論づけられ大事にはならず謝罪もなく、田舎のPTA会長という肩書の強さを思い知った瞬間だった。
また、監督の金魚のフンのおばちゃんには「こういうのは勝つためじゃなくて、チームでやるということの意味と本人のやる気が全員の力になるっていう事を教えるためにやってるの」って諭すように言われたのも記憶に残っている。
流血事件が起きてからも何とか練習には通っていたが、失敗すれば「下手糞!」と怒鳴られ、たまに成功すれば「たまたま上手く行っただけでお前の実力じゃない!調子に乗るんじゃない!」と怒鳴られ、挙句に「お前みたいなチームの足を引っ張るやつは来なくていい!」と言われのをキッカケに練習をサボるようになった。
久々に17時からのアニメを見れたのがとても嬉しかったのを覚えている。
そして2日サボったところで監督が「お前みたいなグズが練習サボるとはどういうことだ!それを良しとしている親も親だ!!」と怒鳴り込んできて、また親へ申し訳ない気持ちになり、親には言い訳しつつ渋々練習に参加するようになった。
夏休みも中盤になり地区予選が始まる1週間前、補欠を含めた全員にユニフォームが渡されることになった。
最初はスタメンから順に渡されていき、監督もテンションが上がっているのか「頑張ってな」「他のチームは強いけど気合い入れていけよ」と声をかけていた。
交代要員あたりになると「交代時はお前が支えるんだ」「ピンチの時は頼むぞ」と声をかけていた。
そして僕を含む補欠メンバーになるとそもそも手渡しではなく、砂にまみれた地面にボフッと置かれ「これ」とだけ。
なかなか屈辱的な経験を早めにさせてくれてありがとうございましたとでも言うべきだったな。
なおこの年の地区予選では見事にCチームは破れ、Aチームが町大会へと進出していた。
監督はスタメン以外のメンバーに切れ散らかしていたのが思い出深い。
小学4年生、小学5年生の間は下級生より下手糞な僕に監督からの辛辣な言葉が増えた程度で扱いも地区予選での敗退も変わらなかった。
そして小学6年生の夏、Cチームは地区予選を優勝して町大会へ行けることなった。
これが決まった直後になかなか衝撃的なことが起こった。
Cチームのメンバーでは町大会では勝てなさそう、ということでAチームとBチームから少年野球をやっている子を引っ張ってきて加入させていた。
さっきまでAチームでピッチャーという花形を務め、敗退して泣いていたS君がCチームのピッチャーになった。
さっきまでBチームでホームランを2回打ち、ヒット率も高いT君がCチームの代打要員になった。
町大会のルールでは他チームからのトレードや引き抜きは禁止とあったのに、それを平然とやっていた。
今までチームメンバー表を提出しなかったのもこういう時のためらしかったし、大急ぎで書き換えているのを大人も子供も何人もが見ていた。
「勝つためにやってるんじゃない」という発言の軽さと、こんな汚いことしても許されるのがスポーツなのか、と思った瞬間でもあった。
Cチームのスタメンの半分が入れ替わり、交代要員にされた元スタメンの不満を押さえつけ、元交代要員は準補欠という謎要員にされ、補欠組はいよいよ試合に出る機会はなくなった。
両親は反発してたけど、行かないと今後こども会の行事への参加は禁止するって言ってたのが聞こえていたし、応援するだけで面倒事を避けられるならいいかと思って渋々行った。
町大会は町の大きめの運動場で行われたが、そこまでの移動はスタメン、交代要員は地区で用意したバス、それ以下のメンツは自力で、とのことだった。
現地について試合会場に入ると思ったよりもベンチが小さく全員が入りきらないので試合に絶対に出ない補欠組は地面に座るように言われた。
優勝決定までは3試合くらい必要らしく1日かける町大会だったが、この日は当時にしては日差しが強く気温も高かった。
運動中に水を飲むのは厳禁、という当時の思想があったり、Cチームとして大きなタンクに氷水を準備して持ってきていたらしいが監督が「補欠組はこの水を飲むことは禁止だ!優先度というのがある!!」と宣言したので補欠組は水タンクに近づくことも許されなかった。
2試合目あたりで限界に達してぶっ倒れて意識朦朧となったが監督は「町大会まで来て迷惑かけるような軟弱なやつに構うな!」と言って放置されていて、観客席で気付いた母親があわてて救急車を呼んだことで監督とその囲いから散々嫌味を言われた。
僕は病院に運ばれたので伝聞でしか知らないけど、Cチームは町大会でも準優勝まで勝ち進んで監督はご満悦。
閉会式での監督インタビューで「野球というものは精神と頑張る力を成長させチームワークを芽生えさせる素晴らしいスポーツ、そのキッカケとなるこども会でのソフトボール大会は残すべき文化です」とか語ってたらしい。
メンバーを入れ替えたこと、倒れた子供を放置していたことなどを町と教育委員会に話すも、「同区から複数同じ話を聞いているが全て終わった事だから今更蒸し返して結果を弄りたくない、それで反感買って住みづらくなりたくないでしょ?(要約)」的な返事がきてたのも子供心に「クソだな」と感じた。
まとめてみると野球というより野球好きのPTA会長のクソさが元凶だな?
スポーツ全般に対していい印象なんてないけど、それでも野球に対して特にそう感じるのはソフトボールという競技に関わってしまったために受けた嫌な気持ち、野球という競技にやられた理不尽な行いで間違いないと思う。
野球は素晴らしい、野球というスポーツのルールは全員知っていて当然、野球は他のスポーツひいては文化系より優遇されてもいいとかいう風潮が鼻につくのかな。
教育の一環といいつつ流血沙汰が肯定され、下手糞はゴミのように扱っても問題なし、勝つためにはルールを破ってもいい、それがスポーツ!という現場を見て、体験してしまったからかな。
これが他のスポーツだったら、そのスポーツが嫌いになってたんだろうな。
野球が好きな人は好きでいいと思うし、楽しんでる人に対してあーだこーだいう気もないからどうぞご自由にって感じ。
なんか上手くまとめられなかったのでこの辺で。
誰かな。
組織委理事約20人 開会式の中止か簡素化を要望していた…武藤事務総長に記者会見で説明要望も開かれず(スポーツ報知) - Yahoo!ニュース
映像コンテンツの倍速視聴に関する話題を目にして、ふと思い出したことがある。以下に記すのは、個人的な昭和の思い出話である。
歳の離れた兄が買っていた『SCREEN』と云う映画雑誌が、実家の本棚に何冊も置かれていることに気づいたのは、私が小学校の高学年になった頃だった。裕福な家庭ではなかったので、我々兄弟は一つの部屋を共有して過ごしていた。だから実際には、もっと以前から、その雑誌が本棚に置かれていたことを私も知っていた。したがって、正確に言えば気づいたではなく、興味を持つようになったと言うべきであろう。
それらは70年代に発売されたもので、ちょうどSF映画、オカルト映画、パニック映画が流行した時期に該当する。だから、これらのジャンル作品のスチール写真を載せたページを眺めるだけでも、子供には十分に楽しめたものだった。
やがて、そう云うビジュアル記事を眺めるだけでは飽き足らず、活字の部分にも目を通すようになった。最初は、やはりSF、オカルト、パニック作品に関係するところから読み始めたが、それらにも限りが有る。こうして、あまり子供向けではない記事にも、当時の私は目を通すようになっていった。現代とは異なり、地方の非富裕層の家に生まれた子供には、娯楽の選択肢が極めて少なかった。従って、ほとんど已むを得ずと云う形で、元々は興味対象外だったものにも手を出すことになったと云う次第である。私と似た境遇に在った地方の名も無き小中学生も、私と大同小異の経験をしたのではなかろうか。例えば、家に置きっぱなしにされた古いジャンプ/マガジン/サンデー/チャンピオンを、何度も何度も読み返し、その結果として、元々は興味が無かった作品の魅力に気付かされたといった、そう云う経験のことである。
話を戻すと、こうして結果的に活字記事も読むようになった私は、雑誌『SCREEN』に淀川長治の連載記事が掲載されていることに気づいた。当時の子供でも、淀川長治の顔と名前は知っていた。テレビに出て「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」のセリフを言うことでお馴染みの、有名なオジサンであった。その連載記事は、読者からの質問や相談に淀川長治が答えるコーナーであった。
読者から寄せられた「僕は映画監督になりたいのですが、どうすれば映画監督になれますか?」と云う質問に、淀川長治は次のような回答をしていたと私は記憶している。
「こうすれば映画監督になれると云うような、確実な方法や手段は無い。それは無いが、強いて言うならば、同じ映画を十回は観なさい」と。
馬鹿な小学生だった私は、これを読んでも何のこっちゃとしか思わなかったが、世の中には淀川長治が言わんとするところを正しく理解して、きちんと実行した人も存在したのだった。それを後に私が知ったのは、中学生になった頃、GAINAXが初の作品『オネアミスの翼』を製作・劇場公開した時のことである。
中学生になった私は「何だか凄いアニメ映画が、若手クリエイターたちによって作られて、劇場で公開されるらしい」との情報を知った。知ったは良いが、そこはド田舎に暮らす非富裕層の哀しさである。公開する映画館は近隣に無かったし、そんな映画館が有る都市部まで行く手段も無かった。当時の私に出来ることといえば、劇場公開に合わせて発売されたムック本を、少ない小遣いで買って、それに掲載された場面の絵を見て、実際のスクリーンで動いているところを想像することぐらいであった。これもまた、同じような経験を持つ人がいることだろう。なお、そのムック本には物語の最後の場面までしっかり掲載されていたので、話そのものに関しては、当時の私も知ることができた。
さて、映画の場面を載せたビジュアル記事を読み終えた私は、もちろん活字記事の部分にも目を通した。そこには、本作品で監督を務めた山賀博之氏のインタビューも掲載されており、映画監督を目指そうとした山賀氏の若き日の思い出も語られていた。その思い出話こそが、淀川長治の「同じ映画を十回は観なさい」に関する話なのである。
雑誌『SCREEN』の淀川長治の当該記事を読んだ当時の山賀博之氏は、その教えどおり、同じ映画を十回観たと語っていた。ちなみに、実際に山賀氏が十回観た作品の例として挙げていたのは、少年野球チームの少年少女とコーチの奮戦を描いた、アメリカ映画『がんばれベアーズ!』である。テイタム・オニール、かわいい。山賀博之氏が語ったことは、概ね以下のようなことであった。
「最初の2〜3回目は、普通に観客として楽しんで観ているだけ。4〜6回目辺りは、もう観たところばかりだと思って、飽きて退屈する。それが7回目頃を過ぎると今度は、場面場面で作り手が何をしようとしているのか、ココで溜めてココで盛り上げようとしているんだなとか、画の見せ方とか、そう云う作り手の意図に気づき始める。同じ映画を十回観ると云うのは、こういうことかと理解した」やはり、何かを成し遂げる人は同じ文を読んでも、凡人とは違い有益な学びを得る能力が高いということなのだろう。
ここで紹介した淀川長治氏の教えと山賀博之氏の実践エピソードは、あくまでもプロを目指す人たちに向けた話なので、我々一般人とは関わりの無い話に思えるかもしれない。また、現代はコンテンツの数量が昔よりも多い時代なので、一つの作品を繰り返し読む/観るという時間的な余裕が無い現代人が大半だろう。しかしそれでも、一つの作品を繰り返し味わうこと、そして運が良ければ、そのリピート鑑賞を通じて何かを気付く/発見することは、貴重で豊かな経験であると私は思う。倍速視聴をしてまで観る作品の数を増やすことにも、一定の理由や合理性は有るのだろうとは思うが、何かしら自分のレーダーに引っ掛かるモノを持つ作品に出会った時には、少しだけ立ち止まって、それを繰り返し味わうことも試してみるのも一興ではないだろうか。
ここまで書いた上に蛇足だが、もう少し思い出を書き残す。昔、Blu-rayやDVD、レーザーディスクはおろか、家庭用ビデオすら普及していなかった時代の思い出話である。その頃は、アニメ映画作品の音声を収録した、LPレコードやカセットテープが販売されていた。(一部では家庭用映写機で上映出来るアニメ映画作品のフィルムテープのリールも販売していたが、これを買って楽しむことが出来るのは、本当の金持ちだけだった。)私は子供の頃、この手の音声収録レコード商品の一つ『ルパン三世/カリオストロの城』を所有する人物から、兄弟のツテでカセットテープにダビングしてもらい、それを何度も何度も繰り返し聞いて、頭の中では『水曜ロードショー』で観た『カリ城』の映像を想い起こして楽しんでいた。この体験のおかげで、私は今でも『カリ城』の全セリフを暗誦できる。何の自慢にもならないが。
そして、歳月が流れた。
後に社会人となって働き始めた兄が、VHSビデオデッキを買ってくれたので、我が家もビデオを利用できるようになった。金曜ロードショーで放映された『カリ城』を録画すると、当然それも繰り返し何度も視聴した。カーチェイス場面などはコマ送り再生で作画をチェックしていたので、倍速視聴とは正反対の行為である。
ほどなく小さなレンタルビデオ屋が我が町にも出来て、兄がスプラッター映画とかゾンビ映画とか借りてきてくれて、一緒に楽しんだりもできるようになった。古い『SCREEN』の記事を読んで、勝手に凄い作品だと思い込んでいた『巨大蟻の帝国』や『スクワーム』が、実際の映像を観るとショボい作品であることも思い知った。
大人になって、現在の宮崎駿のことは反吐が出るくらい大嫌いになり、ルパン三世作品としての個人的な評価も、軍配は『vs.複製人間』の方に上げるようになった。
子供の頃には観ることはおろか、存在を知ることも叶わなかった様々な作品の数々を、今では視聴して楽しむことが出来るのだから、明らかに子供の頃よりも、現在の私は恵まれている。
それでも、熱に浮かされたように古い映画雑誌を何度も読み耽って、観たことも無い映画の内容を勝手に想像したり、何度も何度も『カリ城』のカセットテープに耳を傾けて台詞を暗誦していた子供自体の思い出は、それらが経済的な制約から生じた行為だったにも関わらず、何だか私には宝物のように思えるのである。ただのガラス玉が宝石より愛しく思えるように。
ナイキCM論争で不満なのは、「差別」に比べて「いじめ」に言及するものが少ないこと。賞賛派も批判派も、あれを差別問題をめぐるCMとして扱っている。
「差別とは一生涯続くいじめである」という人もいるが、個人の経験としてはまったく納得できない。いじめは確かに、幸運であれば学校を変わればなくなることもあるが、実際には学校を変わっても、社会人になってもいじめられ続ける人が大半であり、そうではなくても一生にわたって後遺症が残る。
ナイキのCMのような、差別を乗り越えて強くなったという物語は今でも無数にある。しかし、いじめを乗り越えて強くなったという話は、大昔の野蛮で牧歌的な時代のいじめならともかく、現代では寡聞にして知らない。いじめ問題の専門家には周知だが、いじめを乗り越えるためには逃避以外の手段は不可能である。
差別はどんなにひどいものであっても、それが世の中にある偏見のせいであであることは明白である。だから差別体験は反発心やアイデンティティになることも多い。しかしいじめは、そもそもなぜ自分がいじめられているかの理由がわかっている人はいない。自分の理解をはるかに超えた理不尽な理由で攻撃されているので、反発心やアイデンティティは芽生えるどころか、日々削り取られて無気力になっていくだけである。
差別体験について外に向けて語る人は、少ないにしてもそれなりにいる。被差別集団どうしなら共感で話が盛り上がる。しかし、いじめ体験を語る人はめったにいない。いじめ被害者どうしが集まっても、いじめ体験を語り合うことは絶対にあり得ない。
そもそもスポーツ系の部活動はいじめの巣窟である。少年野球の天才選手や、甲子園のスター選手が、いじめに耐えかねて退部し、プロ野球への夢を絶たれることになったという事例は枚挙にいとまがないが、外国人であることを理由にした差別でそうなったという事例については(表に出ないだけかもしれないが)聞かない。在日系のスター選手は多数いる。
いじめ問題に比べて差別問題は大したとこがない、と言いたいわけでは全くない。ただ、あのCMの中にある様々な要素の中から「差別」だけが切り取られ、過剰にクローズアップされるのは、毎日「今日はいじめに遭いませんように」と祈りながら学校に登校していた10代を過ごし、そのまま社会の落ちこぼれになってしまった自分には、どうしても違和感や距離感を覚えてしまうのである。
少年野球の監督をしている父が、この時期に千葉に行くと言い出した。なんでも少年野球の全国大会があるそうだ。
心底がっかりした。そこまで家族よりも野球を大切にするのかと思った。
母は保育関係の仕事をしている。もし父が千葉に行ったら、数週間休まなければならないからと行って欲しくない旨を伝えたところ考えておくとだけ言われたらしい。少年野球ってそんなに大切なんだろうか。というかこの時期に千葉で大会をやるとはどういうことなのか。甲子園も中止になったのに、少年野球はいいのだろうか。父親が分からない。少年野球の子供がコロナにかかってもいいのだろうか。私たちの生活に影響を及ぼして良いと思っているのだろうか。
私は野球が大嫌いだ。
少年野球 母の犠牲で成り立つ。月1回の当番だからとだまされて入部。きつい。辞めさせたいけど本人が本当にやる気で。応援したいけどあんな男尊女卑のところにヘラヘラしながら何時間もボーッと見てるのが辛すぎ。野球に何の感情もなかったけど心底野球嫌いになった。— いあいこ (@asukaiwaidesu24) June 16, 2020
子どもを送迎して置いてくるだけで精一杯。本当に見るのも嫌。少年野球は家庭も変えた。野球のせいで子どもさえ嫌いになりそう。私を犠牲にして趣味を充実させる我が子を見たくない。でも本人はわかってないし楽しそう。本人と私は別。本人が楽しいからって私が楽しいわけではない。— いあいこ (@asukaiwaidesu24) June 16, 2020
強豪校に野球で入るような子は、それこそ少年野球の頃から野球やってる。
今の子たちの幼少期はすでに野球人気が下火で、02年にサッカー日韓ワールドカップやったからサッカーの方が人気の時代。
普通ならサッカーを選ぶのに、それをあえて野球やるってことは、昭和生まれの父親の意向でやらされてるのがほとんど。
15歳で強豪校入っても上には上がいてレギュラーになれなかったとして、そこでやめて何かやろうか、というのは今更考えつかないし、親がガッカリするのが嫌でやめられないのよ。
やめるならもっと早くに辞めてるだろうし。
しかも強豪校の野球部にいました、というだけで「おー」となる会社や集団はたくさんあるのよ。
レギュラーになれなくても部に留まった方が得なんだよね。
バジル植えた日記書いたらコメントでミントも植えようって唆されたけど、知ってるぞミントって迂闊に地植えすると土地を征服するんだろ! 騙されんぞ……!
もうひとつの、シソやミントと並べて植えると味が混ざるっていうのは知らなかった。ありがとう。
今回は、雑草の林みたいになってる畑を掘り返して土を取ってきて、土に混じった根っことか葉っぱとかをザルで濾したものを植木鉢に入れて種を撒いたからたぶん交雑はないと思う。気をつけて見ておこう。
とここまで書いたところで、「バジル植えた」じゃなくて「撒いた」じゃん、と気づいたのでこの記事で上書きしたことにします。バジル、撒いた。
土の匂いを嗅いでるうちに、昔じいちゃんが元気だった頃は土まみれの服を洗うための洗濯機がもういっこ外に置いてあったなとか、弟の少年野球のユニフォームも一緒に洗ってたなとか、しまわれた記憶が浮かび上がってきて楽しかった。
うまく芽が出るかわからないけど楽しみだ。