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はてなキーワード: 反証可能性とは

2020-08-23

anond:20200823133306

でも既にあるものを変えようとしているのはフェミで、維持しようとしているのがオタクから反証可能性がなくて困るのはフェミだけという非対称性がある。

anond:20200823131932

反証可能性がないという点では、オタクフェミも一緒。

「Aという問題反証されたら、私は主張を覆します」

って明言しているオタクフェミいるかよっていう。

結局誰も、自分意見を変えるつもりなんてないんだよ。

2020-08-10

anond:20200810002310

まあ、世間の「なんとなく不快」というポイントを見逃さなフェミニスト嗅覚は、大したもんだよ。

そこに理屈を後付けするから元増田が言うように、反証可能性のない議論になる。

女性」というさしづ理念に過ぎないものを、一つの主体であるかの如く「女性女性の所有物である」とする謎前提が、誤りの大元であると思う。

そいつの性はそいつの所有物以外の何物でもなかろうよ。

2020-05-17

三大賢しらワード相関関係因果関係の違いガー」「反証可能性ガー

あと1つは?

2020-05-14

anond:20200514170124

進化心理学自体人間の行動を適応論的な観点から記述を試みるってだけなんだからそれ自体反証可能性も糞もないが

反証可能性があるかどうかはひとつひとつ個別理論研究によるし、それは他の学問でも変わらない

anond:20200514165317

恋愛工学は単なるナンパテクニックを「学問っぽく」見せかけたものにすぎないので

その正当性証明するためにわざわざ「科学立脚する」必要はない。

にもかかわらず説得力を高めるために科学立脚したがって、

進化心理学という反証可能性のない学問(つまり正しいかどうか分からないので「立脚」できない)を

我田引水してくる態度について私は批判している。

2020-03-26

陰謀論には勝てない

私には無理だ。敗北を宣言する。

実在証明できない黒幕とそれらしい意図があったとき、人の心にそれはスルッと入り込んで居座るらしい。

そうなったら最後聞く耳など持ってはもらえない。

ある結末を信じたくなってしまった人がいるとき、信じるための事実が生まれ、それを信じるための根拠になる。

RTするように、代弁者を探して、自分希望する未来一心不乱に突き進んでいく。

誰かが自分の代わりにもっともらしいことを主張してくれることを望んでいる。その情報を集め続ける。

人は自分意見を言うことはできないのだと分かった。

そもそも、"自分意見"なんてものはないのだろう。

自分に合った世界観のものしか受け入れられないのだろう。だから、それを説明してくれるものを探している。

父は極度に右傾化してしまった。

youtubeが原因のようだ。

右よりの思想を持つの別にいい。

ただ、嫌韓嫌中が止まらない。メディアを信じている人は馬鹿だと、蔑む発言が止まらない。

「それはあなた人生を豊かにするのか?」怖くて聞けない。

あなたももういい歳。先が長くないのだ。国のことよりも、あなた幸せ真剣に考えてくれ。

自分にどうにかできることと、できないことの区別をしっかりつけてくれ。

親戚がEM菌を盲信している。

EM菌が普及しないのは科学偏重利権問題だと言っている。

EM菌を撒くといい感じになってエネルギーが来るのよ、と言っている。

そういうものが世の中に存在したら、どんなに素晴らしいだろう。

でも調べれば調べるほど残念な気持ちになってくる。

どうにもほとんど商売になってしまっているのではないだろうか、あれは。

"ナチュラル"や、"天然"や、"薬を使わない"や、"添加物が入っていない"という美学を持つあなたが、お金儲けの喰い物にされてしまっていることになぜ気づかないのか。

それはあなたが最も嫌うものだったはずなのだけれど。

(まあ、添加物が入っていないに越したことはないけれども)

これらの話は、陰謀論が持ち出されるとき反証可能性ゼロになる。

そもそも、なぜ私が反証しなければならないのか。

もう疲れたし、勝手にやればいい。

外の世界を見るのをやめて、自分に都合の良い世界を作るといい。

私は、たまらなく悲しい。

愛しい人たちとのつながりが壊れていくのを感じる。

きっと、彼や彼女たちを、何かしらの"恐怖"が突き動かし、使命感を持たせ、心の穴を埋めている。

もう元に戻ることはないだろう。

その世界において、彼や彼女たちは必要とされているのだから

ドンドン情報を吸収し、どんな反論へも対抗するようになるだろう。

それがどんな的外れでも。

情報という病にかかっても、抗体はできない。

ワクチンは開発されない。

その情報あなた理想を見せ続けるだろう。

あるいは、きっと私もそうなのだろうけど。

悲しいかな、そのほとんどがお金の流れと承認欲求によってできている。

理想理想ではなく、もっと利益が見込めるコンセプトにほかならない。

逆戻りはできないが、これだけ情報の伝達速度を上げたインターネットを憎む。

結局、広告収入しか成り立たないがゆえに、PV至上主義にならざるをえないインターネットを憎む。

道具を憎んだってしょうがないが、道具ぐらいしか憎めるものがない世界になってしまった。

2020-02-13

anond:20200213105539

進化心理学には反証可能性がない

進化心理学小説に近い

反証可能性がないもの小説である

とするのは単純に論理の誤りだぞ。

てか複雑系科学が何やってんのか知らんけど、

そこで提示される予測現在において実証できるんちゃうの。

anond:20200213104733

再現性確認しにくだけ。

反証可能性はあるよね。

まり再現性がとりにくい現実の他の学問とまったく一緒。

anond:20200213104335

進化心理学科学でないのは確かだろ。反証可能性が無いもん。

いまある特徴からストーリーを作ってるだけで、やってることは歴史小説家に近い。

もちろん歴史小説独自視点提示して歴史学に影響を与えることはあるけど

歴史小説自体科学でないのは自明だよ。

2019-11-16

anond:20191116111042

結果はどうでもいいんだよ。

反証可能性で遊んでるだけなの。

2019-11-05

生物学宇宙論分類学などの多くの科学分野では反証可能性がない

って言うと実験ができないか再現性がないだけで論としては反証可能性があるのだ、って反論が来るのがお決まりなんですけど、実際にはその分野の科学者反証を行ってはいないし、重視している訳でも無いわけですよ。

仮に反証したとしても、理論欠点があったのか前提条件が異なるのが問題なのか区別を付けるのは難しい。

反証という言葉では科学の営みをうまく説明できないにも拘わらずそれにこだわり続けるのは、ポパーの言うところの科学的な態度じゃないんじゃないですか。

反証可能性無益と言っているのではありませんよ。

2019-11-04

anond:20191104085304

全然違うかなあ。

実際に行われている科学者との営みとしては反証が行われていない・重視されていないのに、形式的反証可能性はあるのだと強弁しても、あまり意味があるとは思えないな。

論を科学者コミュニティ内にさらして他の論と闘わせたり、研鑽したりすることが重要なのであって、反証という言葉にこだわるべきじゃないでしょ。

anond:20191103163514

反証現実的に困難であることと反証可能性がないことを一緒にされても……

 しかし、であるオカルト科学ではないのはいいのですが、すべての科学反証可能性を持っているかというと怪しい。化学物理学最先端研究だと、現状そこの施設しか営利企業だったりする)でしか検証できない実験結果ネイチャーかに載ってたりする。あれはいいのか、という話になる。「いずれ反証できる『可能性』があるからいいのだ」という人がいるかもしれないが、いまこの瞬間はまだ反証可能性が無いのにネイチャーかに載っちゃうのはどうなのそれは本当に科学なのということはまだ言える。

現実的反証が困難でも反証可能性はあります.当たり前のことでしょ.

たとえば「シリウスには惑星があってその惑星には高度な文明を有したシリウス人が住んでいる」という主張は,究極的にはシリウス星系まで行かないと検証できず,かつ現在人類には恒星航行技術がないので反証不能か? そんな馬鹿な.シリウスに行けば反証できるんだから反証可能に決まってる.

現在地球人類には反証するすべがない」と「反証可能性がない」は全然違う.

というかそれでやばいことになった事例もあるわけで(ヘンドリック・シェーンSTAP細胞など)。まあ「可能性がある(実際先の2つは実際反証されたやろ[STAP細胞が無いと証明した人が居ないのに反証されたと言っていいのかとか問題もあるのだが省略!])」というところでそこは押し切るとしても、更に根本的な問題がある。

「小保方さんの書いてたやり方で作ってみたけどSTAP細胞はできなかったよ?」で反証は成立です.小保方さんが論文に書いた方法ではSTAP細胞再現されなかった=小保方さんの論文に書かれた手法が正しいという主張が反証された,でFA

ひょっとしたらSTAP細胞存在するかもしれないけど,その存在証明する責任は小保方さんが負っていて,彼女はそれに失敗したわけで.どこも反証可能性に問題はありません.反証可能性がある主張が反証された結果間違いであるとわかったというだけです.

否定されたのはあくまで「小保方さんの論文に従って得られるSTAP細胞実在」に過ぎない.もちろん厳密にはSTAP細胞存在のものが直接的に否定されたわけではないけれど,STAP細胞なるものが余人に観測されておらず小保方さんの提唱した概念である以上まあそれは実在否定されたってことでいいんじゃないですかね(他の人も見てるなら「小保方さんの論文おかしいけどどうもこの細胞は本当にあるっぽいぞ,別の論文実在証明しよう」という話になったかもしれないけど,ゴッドハンドしてたんじゃ救いようがないよなぁ).というかマジで反証可能性を何だと思ってるんだ……

というかそれそもそも研究不正の事例であって反証可能関係なくね? シェーンさんの研究にも小保方さんの研究にも反証可能性はあったよ.反証可能性以前の問題で連中はインチキしてたわけだけど.

ちなみに元増田についたブクマで雑な文系叩きをしている連中に対しては,俺も人文系研究者じゃボケと言っておくことにします.

反証可能性がないことそれ自体はなにも悪くないのだけれど(たとえば,哲学法学反証可能性を求めるのは無意味だろう.自由主義コミュニタリアニズムのどちらが正しいか? 住居侵入罪は住居の平穏保護しているのか,それとも管理者自由意志保護しているのか? どちらも反証可能性なんてないがそれでも学問として成り立っている),反証可能性が厳密に求められる分野に対して雑な反証可能理解で殴り込みをかけるのはやめような.

anond:20191103163514

社会学反証可能性がない(からオカルトのようなものだ)

すべての科学反証可能性持つわけではない

よって社会学科学


これ論理の組み立てとしてどう考えてもおかし

社会学が本を読んだだけのバカによって作られていることを自分証明してるね

AはBではない

すべてのCがBであるとは言えない

AはCである

いやあ・・・これは論理じゃないですねえ

社会学哲学っぽい感じ出すのやめてほしいわあ

anond:20191103163514

この人の言ってることが根本から間違ってるのか

ただの例え下手くそマンなのか俺にはわからないんだけど

反証可能性という用語を真顔で使っていいのは高校生までです

とかドヤられても全然説得力ない

STAP細胞は追試で確認できなかったという反証により否定されたし

万有引力反証によりアップデートされてより確からしい部分が残されたんでしょう

反証可能性仕事してるやんけ!

「ツボは仕事をしたが信心がたりなかった」に反証ができないのは、信心の具体的な内容が述べられてないからでしょう?

ツボに効果がある、という仮設は対照実験反証できる。それで少なくともツボだけでは効果がない、ということが判明する

それに対して、ツボ+信心必要だ。となれば信心とは何か、という仮説をたてないといけない

信心とは一日五回の祈りだ、となればまた実験ができる

内容がオカルトに見えても、それは間違いなく科学プロセスだろう

よく言った!みたいな空気出てるけどみんなちゃんと読んでんの?

[]2019年11月3日日曜日増田

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6745338(2087)

2019-11-03

反証可能性否定する人は自分が何の話をしてるのか分かっていない

https://anond.hatelabo.jp/20191103163514

に対する反論

要約:

西洋哲学議論では議論対象存在しなければならない。

反証可能性が無い理論というのは、例えば「 X は A であるし、Not A でもある」というような理論である

「 X は A であるし、Not A でもある」を同時に満たす X は存在しないため、この理論は何も対象にしていない。

何も対象にしていない理論は何も言っていないのと同じであり、存在するとは言えない。よって、反証可能性が無い理論議論対象にならない。

反証可能性というのは「反論できるかできないか」なんてくだらない話ではない。

議論している対象存在しているか?同じ対象議論しているか?というただそれだけの話だ。

まず、プラトンの作った西洋哲学基本的過ぎて誰も触れないルールとして「議論は必ず参加者共通対象を取る」というのがある。

プラトンの「饗宴」を例にとろう。これが一番手に入れやすい。

饗宴」はソクラテスと友人たちが愛の神への賛辞を贈る話であり、各々が持論を述べるところはエリュクシマコス言葉から始まる。

「僕たち一人ひとりが、左から右へ順番に、愛の神への賛辞を、それもできるだけ美しく、語ってみては、というわけです。」

ソクラテスたちはこれに賛同し、一人ひとり「愛の神はなぜ素晴らしいのか」を語り始める。ただし、「各々考える愛の神」の話を。

だがソクラテスは「わたしたち各人が、愛の神を、実際に賛美することではなく、いかにも賛美しているように見える話をしている」と断じ、

実際の賛美、つまり愛の神の真理=「参加者全員に共通の愛の神」の話をし、合意形成しようとする。

まり共通対象である「愛の神」に対する共通理論である「真理」の話をし、その合意形成することが議論であるという事をプラトンは書こうとした。

そこで共通対象は本当に存在するのか?という疑問が当然生まれるが、これを解決するためにプラトン発明したのが「イデア」だ。

現在はもちろん「イデア」なんて破棄されているか理論対象となる真理があるかどうかは実のところ定かではない。

だが、「仮に真理があるとして真理を目指した理論」は書いたそのままに存在するから、この理論議論共通対象とすることで議論は成立する。

理論」は議論対象にし、反証反論を受け付けるために存在するのだ。

から反証反論理論否定するものではあるが、必ずしも理論を破却するものではない。修正することでより真理に近づくし、「理論に対する議論」も発展する。

ここまでは良いだろうか?そして最初に書いたように、反証可能性が無い理論論理的に言って存在するとは言えず、

存在しない理論もそれを対象とする議論意味があるとは言えないか反証可能性が無い理論科学的には意味が無いのだ。

反証可能性が無い理論には他にも全く再現性が無い理論とかもあるが、単に手段が限られていたり再現するお金が無かったりするのは反証可能性が無いのとは関係が無い。

から反証可能性」ってのは便利そうな概念とかじゃないし、そう教わって納得したのなら貴方は教わったし知ったつもりなのだろうが知っていないのだ。

もちろん、私が書いたことをそのまま信じるのも愚かなことだ。だから考えたり他の誰かの考え方も聞いたりして見て欲しい。

存在しないもの、何も対象にしていない何も言ってない理論議論対象になりえるか?を。それこそ我々プラトン学徒が存在について考える理由なのだから

anond:20191103163514

横だけどブコメ見てると反証可能性への信仰が強くてなんだかなあ

反証可能性があっても普通科学的と見做されない主張はいくらでもあるし、反証可能性がなくても科学と見做されている学問領域はある

から科学にとって反証可能性本質的ものではないんだけど、反証可能性無意味というわけではなくて、建設的な議論のためには反証可能性有効であることは間違いない

反証可能性が無いor薄い学問領域理論研鑽されるスピードが、反証可能性が強い領域典型的自然科学)に比べて遅い、ぐらいのことは言える

anond:20191103164229

社会学の功績の話するときは「統計学」の話してるけど、実際の社会学ってもっと適当だよね

社会学って統計を超えた主張とか思想とか、ざっくばらんなデータ分析とか、データ恣意的解釈したりとか

そういう結論ありき、あるいは安易結論を出したがるタイプのものが非常に多いじゃん

社会学がすべて、社会問題に対する統計学アプローチ分析のみってことな学問として認めてやってもよいが

勝手因果関係を作り上げたり、何かを糾弾したり、勝手解決方法をおしつけたりするのはおかしいんじゃないか

また、反証可能性化学物理の話してるけど、物理の仮説は将来的には反証可能になるものとしているし

仮説は仮説として共有されていているじゃん

地球温暖化も、客観的に言えるのは「地球があったかくなっている」「温室効果ガス排出されている」ことであって

この二つの因果関係を明確にしめすことはできない。たまたま氷河期が終わりつつあるという仮説もある。

温室効果ガスによって地球が暖かくなっている」という仮説を組み立てた人たちが「とりあえずやってみよう」としているだけで

科学が断定しているわけではない

でも、社会学はすぐ判断したり断定しがちでしょう。

フェミなんかは、とくにそう。

フェミはその現象の原因を男性の性欲などに求めたり(根拠がない)、男性の悪意によるものだという考え方をする。

女性社会進出できていない」というのは一見客観的に見えるけど

家事社会活動であるという考え方もできるし、看護士介護士パートなども社会活動だと言えるだろうから

本来言えるのは「女性は男がやるようなことをさせてもらえない」=「男女の役割には偏りがある」くらいだろう。

それが悪いことだという前提にも客観的根拠がない。

「男女の偏り」の中に安住できない人にとっては悪だと思うが、この偏りに問題を感じていない人もいるのだから

すべての女性にとって悪だとは言えないだろう。

(だから、悪だと認識させて味方をつけるためにフェミ学生洗脳していくのだと思うけどね)

おそらくはボーヴォワール実存主義的な思想からんでるのであって、思想であり、主義であって、科学ではない。

で、他の社会学にも、そういう「主義」「思想」によってバイアスのかかった言論をする人がたくさんいる。

から学問じゃないと言われるのだと思う

ちなみに、経済学も似たようなもので、統計学などの分析をしている時にはよいが

どうやって景気をよくするかという話になると宗教になったり思想になったり主義になったりする

アンチフェミのための本当の社会構築主義入門

 以下では、フェミがオタク叩きをする根幹思想”社会構築主義”とは?における主として次に挙げる2ツイート問題点の指摘と、関連して宇崎ちゃん献血ポスターについての議論を行う。

そもそも

社会構造ってなに?

どこにあるの?

どうやって見つけるの?

それは反証可能性あるの?」

って、どの研究書を読んでもまともに書いてない。ただ、「ある」ってことを前提にして話をしてる。

そもそも社会構築主義」に限らず、社会学において、社会構造人間行為関係は、最も根本的なところでまったく解明されていない。

人間社会構造を作り、その社会構造人間規定するというのがどういうことなのか(ミクロマクロリンク問題)、社会学出来てから100年以上全くわかってない。

 この文章を書いた理由としては、上記Togetterがあまりに「社会学」についてのひどい誤りを書き散らしているにもかかわらず「参考になった」的なコメントが多くついておりヤベえと思ったためです(「ジェンダー論」についても誤りがありそうだけど詳しくないのであまり触れませんでした)。また、それはそれとして献血ポスター批判側にも「社会学」(同じくたぶん「ジェンダー論」も)を誤解していたり、受け手を誤解させかねない振る舞いが多く見られるのでその点についても指摘しています

 以下では最初に「反証可能性」についての話をした後に、次に「社会構造」の話をし、最後に宇崎ちゃんポスターの話をします。

 まず、反証可能性という用語を真顔で使っていいのは高校生までです。科学哲学(「なにが科学か」「そもそも科学とは何をしているのか」についての哲学)に詳しくない人のために反証可能性について一応説明しておくと、「それが間違いであると認められる可能性が無いもの科学ではない」という理論です。たとえばオカルトに対しては結構これが有効で、やつらはこれを買うと病気が治るとか言って壺を売りつけてくるわけですが、当然買っても病気は治らない。それで苦情を言いに行くと「あなた信心が足りないからです」とかなんとか言って「仮説:買うと治る 実験:買った 結果:治らなかった→仮説は棄却される」という「反証」を受け入れてもらえない。こういう状況を反証可能性が無い、といい、その状況と「まっとうな科学はすべて反証可能性を持っている」という前提からオカルト科学ではないと結論されます

 しかし、であるオカルト科学ではないのはいいのですが、すべての科学反証可能性を持っているかというと怪しい。化学物理学最先端研究だと、現状そこの施設しか営利企業だったりする)でしか検証できない実験結果がネイチャーかに載ってたりする。あれはいいのか、という話になる。「いずれ反証できる『可能性』があるからいいのだ」という人がいるかもしれないが、いまこの瞬間はまだ反証可能性が無いのにネイチャーかに載っちゃうのはどうなのそれは本当に科学なのということはまだ言える。というかそれでやばいことになった事例もあるわけで(ヘンドリック・シェーンSTAP細胞など)。まあ「可能性がある(実際先の2つは実際反証されたやろ[STAP細胞が無いと証明した人が居ないのに反証されたと言っていいのかとか問題もあるのだが省略!])」というところでそこは押し切るとしても、更に根本的な問題がある。

 反証可能性理論から出てくる規範として「科学者ならば反証された仮説にこだわっていてはならない」というものがある。例えば「STAP細胞はありまぁす」とかほざいた奴に対する科学コミュニティからまなざしを思い出してみるとまあわかる話でしょう。しかしそんないさぎよい態度が歴史上とられたことがあっただろうか。例えばニュートン万有引力を「ありまぁす」と言ったわけだが、当時の科学者(とか錬金術師とか哲学者とか、ようするに当時のインテリほぼすべて)から袋叩きにあった。ほぼ1人vs全世界の構図なわけで、それだけの物量の「反証」が寄せられると中には正しいものもあったりする(たとえばニュートンは「エーテル」を存在するものとしていたが、そんなものはない。あるいは単純な計算ミスもあっただろう)。さて、正しい反証を示されたニュートン万有引力という仮説を撤回しただろうか。皆さんご存知の通りしなかったのである。なんと卑怯にも奴は後出し理論マイナーチェンジを続けて「ありまぁす」と主張し続けたのである。壺を売ったあとに「壺は仕事をしたが信心が足りなかった」と言う宗教家と何が違うのだろうか。というのは流石に極論であるにしても、反証可能性という概念が当初思ったほど切れ味の鋭い概念では無いことは理解してもらえたと思います

 そういうのをコミコミで、普通反証可能性」という用語を教わるときは「という便利そうな概念があるけどそこまで便利でもないよ、だから次のパラダイム論が出てきて、それも思ったほど便利じゃなかったので…」というところを必ずセットで教わると思う(ので真顔で使っていいのは高校生まで)のですが、件の人は一体どのような教わり方をしたのでしょうか。

 この時点でこの問いがどうかしていることは明らかなのですが、「社会学が専門」と言った上で「社会構造ってなに?」という問いはまして頭が痛いです。

 社会学史のおさらいをしましょう。なぜ社会学なんて胡乱な学問が成立したのかと言うと、それが必要だと当時の人たちが考えたからです。どういうことか。一般的社会学の成立は、19世紀前半~中盤に活躍したコントスペンサーという人たちから19世紀後半~20世紀初頭に活躍したデュルケームウェーバーという人たちあたりが成立させたと言われています。以下ではコントデュルケームという2人の流れを説明します。スペンサーウェーバーも偉いのですが、「実証的」とか「科学的」とか言われる社会学を作ったのはやはりコントデュルケームだと思うからです。あとぶっちゃけスペンサーウェーバーには筆者が詳しくないという理由もあります

 さて、時代19世紀初頭、フランスコントという人がいました。大抵の社会学史的な文章にはこの人の名前が出てきます。逆に言えばたいてい名前しか出てこないのですが、その理由はおそらくデュルケームと比べるとぶっちゃけまりに見劣りするからです。それでも名前が出てくるのは、彼が今の意味での「社会学」という言葉を初めて使ったからです(正確に言えば彼が提唱したのは社会物理〉学でしたが、ここでの物理学physicsは明確に形而上学meta-physicsと対比される形で使われており、社会形而下学とか、社会についての実証的な学問とか、まあ要するに社会学のことでした)。19世紀初頭のフランスといえば、フランス革命の余波も大きく、社会しっちゃかめっちゃか状態でした。偉かった教会とか王様とかの権威が失墜して、ナポレオン独裁して、また昔の王朝に戻ったりしてました。多分一年ごとに自民党共産党政権を交代してもここまでの混乱はしないんじゃないかってくらいの混乱だったんだと思います。そういう中で生きてると不安になるわけです。幸せになれないわけです。じゃあどうすればええねん、と考えた人がコントでした。彼は「社会学」という言葉を初めて用いた『社会組織必要科学作業プラン』の中で次のように述べています。昔は王様とか宗教とかが社会をまとめあげてたよね。で、今もそれを復帰させようとしてる人がいる。気持ちはわかるよ、でも一度変わってしまったものは元に戻らないわけで、そういうのは無意味。新しい社会には新しいまとめあげの方法必要だよね。そのための方法社会についての実証科学を創設してみんなにそれを教育するということです!なぜならそれによって、社会のみんなで同じものを見て確認するということが可能になり、それでまたみんなの団結が可能になるからです!と。今の意味での「社会学」を全員に教育するべきかはともかくとして、社会についての科学的知見を皆が持つべきだ、というのはなんとなくわかる気がしますよね。というか200年経ってもまだ未達成なプランじゃないかと言う気がしてきますよね。「身の丈」とか言ってる人にはコントの遺灰を煎じて飲ませたいくらいじゃないでしょうか。正直天才の発想だと思います。ここで大事なのはコント王様教会権威(当時は王様神様みたいなものでしたからようするにまとめて「神学」でしょう)の代替物として、「社会学」を構想したということです。にもかかわらず「社会学は神学も同然だ!」と鬼の首を取ったように繰り返してるあたりで、ああこの人は歴史を知らないんだなと思ってしまますが、まあ確かにいまどきハンショーカノーセーのない神学のままではよろしくない。

 それをどうにかしたのがデュルケームでした。彼は19世紀末に『自殺論』という本を著しました。一般教養講義などで社会学を取ったことがある人なら聞いたことはあるはずです。この本の意義は簡単で、社会しっちゃかめっちゃかになると自殺が増えるということを統計的に明らかにしたという点に尽きます。まあわからんでもないけど何がそこまですごいの?って思いますよね。デュルケームがすごいのは統計学が未発達(というかほぼ存在しない)なかで、しかも「社会個人に影響する」という概念自体存在しないなかで、自殺という究極的に個人的だと思われた事柄と、季節や宗教といった普遍的社会事柄統計を用いて結びつけた点にあります。それまでも人の死についての統計は無いわけではありませんでしたが、それは保険のための年齢別の死亡率表のようなもので(それも当時としては画期的だったのですが)、社会と死(それも病死戦死ではなく自殺)が結びつくという発想はまったく存在しませんでした。どれくらい革新的だったかというと、「『社会がこうなると自殺が増える』って書いてるけど、自殺してないやつのほうが多いよね?」「てか社会がそうじゃなくても自殺してるやついるよね?」みたいなクソリプ殺到するほどでした。それほどに統計というものが未知のものだったのです(今でもたまにこんな人いますよね)。かくしてデュルケームは、自殺というものすごーく個人的な(と思われている)ことと、社会構造との結びつきを発見しました。現在に至るまでその後のすべての社会学は、このデュルケームの発想の上に成り立っていると言っても過言ではありません。別に学問的なものでなくても、たとえば「社会をよくして自殺率を下げるべきだ」とわれわれが当たり前に考えているのも、デュルケーム社会自殺関係を明らかにしなければありえなかったことでしょう。あるいはより学問的なことを言えば「身の丈」発言があれだけ叩かれたのも、「貧困家庭の子供の大学進学率は低くなりがちである」「大学に進学しなかった場合は、進学した場合よりも収入が低くなりがちである」といった、日本社会学がこの30年ほどで明らかにしてきたことが人口膾炙したためであると思われます(ちなみに教育社会学を専門にしている先生[竹内洋苅谷剛彦だったと思う]が公民館で講演したところ「先生のおっしゃってることって、魚屋の息子が魚屋になるってことですよね?そんなのみんな知ってますよ」と言われたというエピソード個人的に好き。みんな知ってることを統計的確認するのが大事なんです)。

 このデュルケーム研究ひとつとってみても、あるいは「身の丈」発言に怒れるようになった日本人をとってみても、「社会構造存在する」というのは科学的に正しいし、世間的にも常識となっているとみてよいのではないでしょうか。それを否定するのは、Twitterなんかではなくそれこそ論文を世に問うことによってぐらいでしか可能にはならないでしょう。そのためには社会学の100年以上の歴史通暁していなければならないでしょうが、「反証可能性」を錦の御旗のように用いている人がそうであるとはとても思えません(社会学はその歴史最初からかなり頻繁に科学性を疑われる学問ですから何度も科学哲学の成果を吸収したりそれに反発したりしてきました)。

 まあ、件の人のおっしゃりたいことも部分的にはわかりますよ。社会構築主義うさんくさいって。まあそもそも社会構築主義というものがほぼ定義不能こんにゃく理論なのでそれに反発してもなあって感じもしますが。知らない人のために大雑把に説明しておくと、広義の意味での社会構築主義とは、何か(大抵は個人的で意外なもの)が社会的に構築されていると主張することの総称です。その意味ではデュルケーム自殺社会的に構築されているという社会構築主義者ですし、おそらくフェミニストであろうがなかろうがすべての社会学者がそうです。狭義の意味では現象学的な理論が語用論的展開の中でエスノメソロジックになんちゃらみたいなのがあるようで、一部フェミニズム的な社会学者はこの立場を取っているようですが、この書きぶりからもわかるように筆者は詳しく知りません。こんな曖昧概念を「ラディフェミ(≒社会構築主義)」と書いてしまえる胆力には脱帽しますが、その後社会学全体が神学だみたいな話もしているのでそもそもよくわかっていないのでしょう。

 それとは逆に「よくわかっている」人が社会構築主義批判した例として、イアン・ハッキング『何が社会的に構築されるのか』『何が社会的に構成されるのか』(誤字指摘感謝Twitterで「社会構築主義」と「社会構成主義」の違いを尋ねていた人がいましたが、場合によって一緒だったり違ったりします。ここではルーズにごっちゃにしていましたが流石に書名はだめですね)を挙げておくことは有用でしょう。この本は社会学を好きな人も嫌いな人も読むべき本だと思いますハッキング学者たちによって「Xの社会学的構成」とか「Xを構成する」とか言われているものリストをわざわざ並べ立てます。いわく「著者という存在、義兄弟子供テレビ視聴者感情事実ジェンダー同性愛文化、病、知識、読み書き能力、『要治療』とされた移民自然口述歴史ポストモダニズムクォーク現実連続殺人工学システム、都会における学校教育人口統計女性難民若者ホームレス現象ズールー族ナショナリズム」などが社会的に構築されるのだそうです。まあ、「若者ホームレス現象」とかは確かに社会的に構築されてそうだな、と思うけど、「クォーク社会的構築」とか「ポストモダニズム社会的構築」とかはさっぱり意味不明である。また、その種の中には「実験器具メーターを社会存在(つまり人間である)が社会の中で観測しているのだから科学社会的に構築されている!」みたいなものもあるようで、そこまで行くと「万物は流転する」みたいな悟りレベルに達してそうですげえなと思わされます

 ハッキングは中でも「ジェンダー社会的構築」について着目します。いわく、「ジェンダー」って概念そもそも生物的性」に対するカウンター概念としての「社会的性」だったのだから、「社会的性の社会的構築」と言っていることになり意味なくね、と。まあフェミニズムの側にも言い分はあってハッキングはそれも紹介しているのですが、詳しくは本を読んでください。最初20ページくらいまででまとまっているので。

長すぎたので続きます

https://anond.hatelabo.jp/20191103164229

(2021/2/7追記)書きました anond:20210207093448

2019-11-01

増田カテゴリーページ

https://anond.hatelabo.jp/c

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2019-10-23

anond:20191023210054

「明確」を反証可能性のある形で定義しない限り門前払いされ続けると思うよ

2019-10-20

anond:20191020190726

一般的な話として、学問権威だよ。

学問というのは「自らを批判し、更新し続けることで半永久的に衰退しない権威を維持するもの」だからね。

学問必然的権威になるものだし、また権威でなくてはならない。そうでなければ学問学問としての価値(すなわち批判する価値)を失う。

権威を振るう時、それは必ず権力になるよ。

まあ、フェミニズムというものの(大衆から見た)権威最近落ちぶれつつあるんじゃないの?とは思う。「自らを批判し、更新し続けること」の部分がなかなか見えてこないからね。

心理学とかも(氾濫するトンデモ本のせいで)大衆から見るとアレなんだけど、大学で授業を受けるとまず「科学とは何か?」「反証可能性とは?」とか基本的なことからじっくりやるみたいだね。それはやっぱり権威権威たらしめるために必要儀式なんだろうと思う。フェミニズムも授業受けると印象違うのかな。

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