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はてなキーワード: 反証可能性とは

2019-10-23

anond:20191023210054

「明確」を反証可能性のある形で定義しない限り門前払いされ続けると思うよ

2019-10-20

anond:20191020190726

一般的な話として、学問権威だよ。

学問というのは「自らを批判し、更新し続けることで半永久的に衰退しない権威を維持するもの」だからね。

学問必然的権威になるものだし、また権威でなくてはならない。そうでなければ学問学問としての価値(すなわち批判する価値)を失う。

権威を振るう時、それは必ず権力になるよ。

まあ、フェミニズムというものの(大衆から見た)権威最近落ちぶれつつあるんじゃないの?とは思う。「自らを批判し、更新し続けること」の部分がなかなか見えてこないからね。

心理学とかも(氾濫するトンデモ本のせいで)大衆から見るとアレなんだけど、大学で授業を受けるとまず「科学とは何か?」「反証可能性とは?」とか基本的なことからじっくりやるみたいだね。それはやっぱり権威権威たらしめるために必要儀式なんだろうと思う。フェミニズムも授業受けると印象違うのかな。

2019-10-18

anond:20191018100747

ないことは証明できませんが、嘘であることは証明できます

元増田の主張には反証可能性がありますので、それが嘘だと証明することは悪魔の証明ではありません。

2019-08-09

anond:20190809084030

悪魔の証明というのは法学概念なので、この場合反証可能性という言葉を持ち出した方がわかりやすい。

考え方は似てるけどね。

2019-02-07

日本人論ってエビデンスゼロだよな

初めに。

この記事アリアグランデさんがほんのちょっとだけの馬鹿書き込みのせいで日本を嫌いになってしまった騒動をみて、書いたものです。

はっきり言おう。日本人論にはエビデンス、つまり証拠証明がなされているものは皆無であると。

日本人論には「日本人スゴイ」のようなポジティブものも、「日本ダメ」のようなネガティブものもあるが、どれも証拠が出されたことはない。

あるとするなら、日本人論を書く人の身近な経験ネット書き込み(※参照)ぐらい。反証可能性はまったくない。

ネット炎上研究という本にもあるが、炎上に関わっている人は千人に一人だという。ツイッターで実際書き込んでいる人は全体の四分の1、四千万もある日本語のアカウントのうち一千万しか書き込んでいなく、それの千分の一、つまりたった一万のアカウント、それも統計学的抽出したのではなく恣意的に出して『日本人は陰湿だ』というのがいかに滑稽かわかるだろう。もちろんたった一人の行動でもって「日本人スゴイ」というのも滑稽極まりないものだ。

話を戻すと、日本人論はまったく証拠がない。だからどの本も読むに値しない。

じゃあどうすればいいのかと言うと、「ありのまま自分を愛せ」としか言いようがない。

日本人論を展開したり信じている人にある傾向に「ありのまま自分を愛していない」ということが挙げられる。

そういうと「お前も証拠のない言説を説いているじゃないか」と思うだろう。

だけど、これは極めて強い傾向だ。「日本人スゴイ」は論じなくてもわかるだろう。

日本ダメ」は実は裏テーマに「日本ダメと説いている自分すごい」がある。

もし純粋に「日本ダメ」と説いているなら、「じゃあ、どうすれば克服できるか?解決できるか?」ということが書かれているだろう。(超入門 失敗の本質空気研究 は見事に筆者が考えた解決策を紹介し、読者に希望を与えている)

しかし、大半の「日本ダメ」本にはそういうことは書いていない。嘆いておしまいなのだ

そうするとなぜこんな本を書くのかという疑問が現れる。

そして僕は考えて一つの答えにたどり着いた。

日本ダメ」を書いている人は、その『日本人』に自分が含まれていなくて、「日本ダメだと気付いて指摘している自分カッコいい」と優越感に浸っているからだ、と。

気づいた瞬間、スッキリするとともにこう感じた。あぁ、あの人たちは自分を愛していないんだな、と。

自分を愛し、信じていないから、日本人すごいに走ったり、少しの知識を使って日本ダメを論じることで優越感に浸っているんだなと。

今この記事を見ている人(特に日本人云々と言っている人)に言いたい。

うそうやって他人を煽るのやめませんか、と。

そうじゃなくて、自分幸せを見つけた方がきっと気持ちにも余裕ができて、より客観的日本人を見ることができますよという意見を述べこの匿名記事を終えたいと思う。

なお、アリアグランデさんには、是非ともいろんなことを書き込んだバカどもを告訴してほしいと思う。きっとほんの数人しかいないのだから

そして日本という国をもう一度好きになってほしいと、傲慢ながら思っております

2019-01-04

anond:20190104124721

心理学学問じゃないとか言われてもねぇ。

科学じゃない」とかいうやつなら一定数いるのは知ってるが。

反証可能性がどうとかで。

2018-10-21

anond:20181021025553

語り得るなら、美人とブスのデータセットを提出頂きたく…それがないとお前の主張が反証可能性を持たないので…

2018-10-11

オタクセクハラやめましょう

例えば、声優セクハラしかないリプライを送るのをやめましょう。

自分ではやっていなくても、そういうリプライを見て面白がるのをやめましょう。

Vtuber質問箱にセクハラを送るのをやめましょう。

DMでひどい写真を送るのをやめましょう。

そういう人たちがすべてではない、むしろそういう人たちは少ないと信じている。

まりにも当然だからこそ、改めて批判をする人がいないのかもしれない。

でも、ちゃん批判をしないで、そういう行為を許容していると思われるのであればそれは困る。

最近フェミニスト(を自称する人たち)の萌え絵批判は、多くの感情論を含んでいて、反証可能性担保できないような、議論とは呼べない内容も多い。

しかしながら、オタク民度が低ければ低いほど、そういう人たちに付け入る隙を与える。

オタクに対する挑発的な扇動侮辱的な発言をしっかり否定できるように、自浄作用を働かせよう。

2018-06-26

anond:20180626203205

彼が本当に「議論を避けて、罵倒だけをしていた」ならそれもありうるかもしれないけど

現実には彼は「罵倒メインだけど、たまに思いつきで議論らしきものをふっかけて、知識不足で逆にボコボコにされる」ことを繰り返してたんよ

から長く付き合ってきた人ほど、彼の学歴と実際に見た議論レベルとの乖離に戸惑っている

 

たとえば彼は「論理学には詳しい」と自称しておきながら、命題と述語の区別がついておらず

「"Aする"の否定は"Aしない"ではないぞ低能w」という恥ずかしいミスをしても最後まで間違いを認めないほどだった

 

また彼は偽科学批判をやっつけたいという動機から科学とは何か(科学哲学)」の議論を始めたこともあったが、

どんな入門書にも必ず書いてある「反証可能性」という概念をどう扱うかまったく考えていなかった。そもそも知らなかったように見えた

(これは古典的概念なので、賛成しても批判してもそれぞれに理論は組み立てられる。科学権威を崩したいならこのテーマスルーすることはありえない)

2018-06-25

anond:20180625054635

反証反論)できない死者相手に、決め付け、批判するのもまた、フェアではないと思います

反証可能性のない所で文句言うのは、卑怯で、言論ではない。同意します。意地が悪いとも思います

が、ただの一般人やパワーゲーム的に、弱いものいじめとは少し違うと思います

2018-01-20

ネトウヨヘイトスピーチは本当に放置されていたのか?

ネトウヨが登場し始めた頃、連中の垂れ流すデマヘイトスピーチを『あいつらなど放っておけばいい』『荒らしスルー』と放置した結果、ここまでレイシズムが横行する事態を招いてしまった」…。

こういう言説を、至る所でよく見るようになった。

自分も始めのうちはそういうものかと思っていたが、最近はどうも「そういう言説自体フェイクなんじゃね?」という気がして仕方がない。

端的に言えば、「後付け結果論」「今の基準感覚で当時を裁いている」という感じがしてしまうし、表立ってこれに対して「そんなことはない」と反論する声が見られないのも、何か異様だ。

あなたはその時どうしていたの?

かつて自分の知人に、反戦市民運動系のサイト運営している人がいた。

当時はイラク戦争の頃だったが、彼のサイトにもよくネトウヨ掲示板荒らしにきていたようで、彼は「まーたウヨク荒らしに来ているよ、困ったもんだ」とぼやきながら、かなりきつい調子で1つ1つ反論していた。

また、自分が当時よく読んでいた多くのリベラル左派ブログでも、コメント欄荒らしに来るネトウヨに対して、放置などせず丁寧に逐一反論している管理人が多かった。

(中には放置しているブログもあったが、あくまでも管理人方針が「賛同的なものも含めてコメントには一切反応しない」というものだったためだと思う)

卑近な例だが、こうしたことを思い出すと、少なくともこの人たちはネトウヨに対して「荒らしスルー」などせず、きっちり対峙反論していたわけで、そういう行為を「なかったこと」にしてしまうのは、やはり乱暴議論なんじゃないか

そう思うと、「ネトウヨデマ放置した結果、レイシズムの横行を招いてしまった」と主張している人々は、どうにも主語曖昧だし、自分からすれば、「で、あなたはその時どうしていたのですか?」と言いたくなる。

反証可能性

先日もあるジャーナリストが、「ネトウヨがここまで広まったのは、左派リベラルが彼らを放置たから」と主張しているのを見かけた。

ネトウヨがここまで広まったのは、左派リベラルが彼らを放置たから」

という仮説がもし成り立つとすれば、逆に、

左派リベラルネトウヨ放置せず適切に対処した結果、ネトウヨの抑え込みに成功した」

というケースがあってもいいはずだが、そんな国はどれほどあるのだろう、と自分は思う。

世界を見渡すと、日本より左派リベラルに力があるとされる国々ですら、デマヘイトスピーチを平然と言ってのける指導者政党勝利したり、日本ほどひどくはないかも知れないがヘイトスピーチヘイトデモヘイトクライムが横行したり、強弱の差はあれ「抑え込んでいる」とは言いがたい国が多い。

こういう状況を見て、「ネトウヨヘイトスピーチ放置せず適切に対処していれば、ここまで横行することはなかったろう」と結論づけてしまうのは、どれほど正しいことなのだろうか。

やらかした者よりも、止められなかった者の方が悪いのか?

かなり前、「戦争を起こした奴よりも、戦争を止めようとして止められなかった奴の方が、皆に責められ裁かれる時代が来るのかねぇ」と書いたことがあるが、「ネトウヨ放置したせいで…」という言説がここまで広まっている現状を見ると、もうそうなる下地はできているんだな、と思う。

しかし、やっぱりそれはおかしいのではないか

戦争が起こるのは、戦争を止めようとした者が弱すぎて止められないせいなのか?

戦争を起こした者よりも、戦争を止めようとしたが弱すぎて止められなかった者の方が、より厳しく責められなくてはならないのか?

戦争」を「ヘイトスピーチ」「差別」に置き換えると、完全に同じ問題になる。

そう考えると、「ネトウヨデマ放置したせいでここまでレイシズムが広まってしまった(?)」ことよりも、「『ネトウヨデマ放置したせいでここまでレイシズムが広まった』という言説が、多くの反レイシストの間に広まってしまった」という現実の方が、危ないというか後々響くんじゃないか、と思う。

(2020.1.14 加筆修正した)

2017-12-30

anond:20171230200734

とある倫理感上における論理」だから。その価値観が定まっているなら結論ってのは一つに定まらざるを得ない。詭弁パターンだよな。

その「とある倫理観」そのもの否定する以外に反論は出来ないよ。反証可能性がないので、科学的な提言とは言えないってことだ。

2017-09-22

反証可能性が大切なんだから結果が気に食わないならデータ集めて反論すればいいだけ

それも嫌なら「科学の方が間違ってるんだ!」と堂々と呪術に走っていただきたい

2017-09-20

科学万能主義への批判への批判への批判

ホッテントリにあったhttp://mubou.seesaa.net/s/article/453600893.htmlを読んだ感想です。

正直に言って、私にはこの著者及びブコメの皆さんは、科学万能主義に侵されているように感じました。

反証可能性下りはまあいいんですが、気持ち悪いのはこの部分です。

一人、あるいは仲間内だけで勝手に「正しい」と言っていることよりも、皆で「正しいかな?正しいかな?」と議論され続けられているものの方が信頼できる。多分当たり前のことですよね?

その辺のことが分かっている人であれば、間違っても「科学は万能である」とか「科学絶対である」なんてことは言えない筈なんです。逆に、「万能も絶対存在しないから、その時点でなるべく妥当だといえることを「正しい」と考えようね」というのが科学、という風に言ってもいいかも知れません。まあこれも随分ざっくりした話なんですが。

残念ながら、科学というのは「何かが正しい」と結論付けるものではないし、ましてや判断基準に「仲間内での正しさ」のような曖昧模糊とした概念が入る余地はありません。

科学的な手続きというのは、全て統計に基づいたものであるべきです。すなわち、ある命題Aが真である確率統計的に与えるのが科学です。実際には、95%信頼区間や、nσで議論されることも多いですが。(もちろん数学論理学は違いますけど、観測に基づく科学、という意味です。)

おそらく、普通の人が「科学事実」といって想像するのは、原子分子があることだったり、あるいはバファリンを飲むと頭痛に効くことだったりするかもしれません。それらのstatementが極めて真であるように思われるのは、様々な測定により、統計的に非常に高い確率(おそらく、少なくとも前者に関しては99.999…9%と、9が101000乗個以上続くような確率よりも下手したら大きいと思います)が保証されているからです。

しかし、新しい学説に関してはこのような確率保障されません。例えば太陽系外惑星存在するかとかタミフルを飲んで異常行動するか、というようなstatementに対する真偽の確率は、もっとずっと低くなります

で、だからこそニセ科学がはびこるわけです。彼らの正しくなさは、科学的にはそんなに高いわけではないのです。(99%以上の精度を持ったことを人体に対して言うには、誤差のコントロールがかなり大変だと思います門外漢なので詳しくないですが…)まともな科学者は、ニセ科学を間違っているとは断言できないわけです。

(まあ正直いえば、ニセ科学とはされていませんが、「納豆が体にいい!」みたいなのもわりかし同じようなレベルの話だとは思います。)

ということで、私の感想をまとめると、

そもそも、「科学的に正しい」という概念はない。それは科学万能主義です。

観測事実に対し、何かが絶対に正しいと断言できるのはニセ科学者だけ。

です。

(この手の、「科学解釈」みたいな記事を見るにつけ、◯◯界隈で、『絶対に✕✕である』と断言している先生方の影響で、間違った科学観が広まっているのを危惧しています。)

2017-02-16

科学以外は信じる必要がない

どんなに偉い人の言うことでも、再現性反証可能性がないものは信じる必要がない。

これだけで世の中の不要情報の9割はシャットアウトできる。

2016-08-22

自信満々メソッド

相手を慮ったり、反証可能性考慮して予防線を張ったりせず自信満々に言い切る。

これを続けると説得力カリスマ性が生まれる。

もちろん言い切る内容は当を得たものである必要があるが、

仮に穴があっても自信からまれ説得力が覆い隠してくれる。

反論される穴はたくさんあるが、それなりの論理整合性はある」程度で構わない。

反証可能性考慮していちいち予防線を張るよりも、自信満々に言い切ってしまった方が

はるかメリットが大きいのだ。

このメソッドの致命的欠陥は「謝ったら負け」ということ。

もし誰の目にも明らかな間違いを犯してしまったとしても、

自らの誤りを認めると自信満々の客観的根拠が揺らいでしまうので決して認めてはいけない。

あいつは間違ったら謝れる誠実な人間だ」という評価と、

あいつは謝っているから間違った人間だ」という評価比較すると、

前者のメリットはさほどなく、後者デメリットの方が大きい。

言い訳ごまかしで「なんとなく論破した風」の雰囲気を醸し出すしかないが、

大きな間違いを犯せばついてくる集団の知能レベルは確実に下がっていくことになるだろう。

2016-07-19

http://anond.hatelabo.jp/20160719000834

しか側室制度がないのは男系男子を残すのに圧倒的に不利だよな。

天皇制皇位男系男子によるものとし、どうせ女性差別をしているのだから

この際、側室制度を復活させるべきだと思ういやまじで。さもなくば、女系天皇を認めるべきでしょう。

男系男子の皇統維持は、「世俗理解(欧米価値観と言っても同じこと)」を根拠に、側室制度をなくした時点で詰んでいるんですよ。

世俗理解根拠に、側室制度をなくした」

側室制度をなくしたことが原因で、男系男子の皇統維持が難しくなった」

であれば、

世俗理解根拠に、女系天皇を認める」

もしくは、

世俗理解根拠としたことが間違っていたので、側室制度を復活させる」

どちらかに、一つでしょう。 - q.e.d.

竹田某の家系から天皇を輩出する可能性を除外し、かつ、天皇制の下で皇位の安定性を「保証」せよとまで言うのなら、

上記のような解答になる。

反証可能性のある文章構成をしているつもりですので、どなたかどうぞ反論してみてください。

2016-02-16

http://anond.hatelabo.jp/20160216105510

えーと、私が元増田です。他の人も書いてるけど反証可能性実証可能性を取り違えていると思いますね。

まず相対論反証可能性については2つの意味があります。まず数理モデルとして破たんしていないかどうかという問題。これについては反証可能性があります。これに関して反証可能性の低い理論は確実に相手にされないでしょうね。

そして実験によって実証できるかどうかという問題。仮に相対論未来永劫、実証できないものだったとしたら相対論物理学として認められるかどうかは極めて怪しいでしょう。理論を発表した時点で実証可能かどうかと実証志向することは別問題です。

現状、実証可能性が難しい理論提唱することは物理学者にとってリスクの高いことだし、それこそ普通物理学者はできるだけ回避しようと思うのは当然だと思いますが。

コペンハーゲン解釈哲学的な問いを回避しているということについては確かに賛否あるとは思うが(それこそ解釈問題が介入する)、明確に間違っていると論じられるものではないのは明らかで、むしろなんで明確に間違っていると断じることができるのか問いたい。ちなみにここで哲学的といっているのは科学的実在論の話です。

あと、アインシュタインは「普通の」物理学者ではないという文脈で話しているのに、普通物理学者が考えないのにアインシュタインがそう考えるのはおかしいといわれても困ります

http://anond.hatelabo.jp/20160216113019

いや、だからあなたの言う

技術的に実証できるできない」とは違う「反証可能性」が無い物の例を挙げてみて?

それにも反証可能性がないのかい

http://anond.hatelabo.jp/20160216105947

じゃあ、

反証可能性がない」

ものについて1つでも良いから例を挙げてみろよ?

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