はてなキーワード: 半グレとは
オレは短気だから雑な店員やうるさい奴らに遭遇するたびむかつくし怒るしキレてしまう。力は使わない。でも口ではボロカスにめちゃめちゃ言う。見た目いかついしガタイがあるから多少の不良なら黙る。半グレのいそうな所に行ったら絶対モメるから行かない。
確実にうらみは買っている。でもやめられん。いくつもの面で自分が正しいとわかっているから。
はてなーはネットではひどい言葉遣いでも本当は温厚な人が多そう。低脳先生が例外なくらいで、実際みなさんキレたりしないでしょ?キレた経験があるなら聞いてみたいくらいだ。すごくうらやましい。そっちのほうが絶対良い。それはわかってるけどそうはなれないのもわかってる。
オレが店員に圧をかけるたびにツレは他人の顔をしようとする。それもまたむかつく。コンビニに屯ってるガキにつっかかるたびもうやめてと言われる。やめられるならとっくの昔にやめてる。カルシウムだ瞑想だバカなことばかり言いやがる。そんなので温厚になれるなら苦労はしない。いつか刺されるんだろうな。
フェミ叩きが愚かということがわかっていながらもやめられない
あなた自身が「嫌だ」「やめたい」と気づいたのはそこから脱出するための一歩を踏み出したことになります
なので、フェミ叩きをやってしまたとしても「なんでまたやってしまったんだろう」と自分を責めるより
「自覚があるので自分は異常な状態から脱しつつある。ということはこれをやめるための行動が考えられる」
と前向きに考えてください。ただし開き直ってフェミたたきの免罪符にするのはだめです。
原因は、その人が積み重ねた人生の分だけ種類があるので一概にはこうというのはありません。
脳の病気でなることもあるしもともとそういう性格だったということもあります。
メンタルクリニック等専門機関で診てもらうのが一番だと思いますが、
それに抵抗がある場合は「ここまで悪化したら病院へ行く」というラインを決めて自分で対処してみるといいかもしれません
その上で原因になりそうなことをあげます
・自分が正しいと認められることへの欲求不満。 会社にバカな上司がいるとこうなりやすいです(偏見)
・称賛を受けられないことへの欲求不満。 なんの取り柄もないコミュ障がよくこうなります(偏見)
・喧嘩をして勝ちたい欲求不満。 半グレのなり損ないがこんな感じです(偏見)
などなど、満たされない欲求が形を変えてフェミ叩きになっているのでしょう。
原因に対する対処法は自分で探してもらうとして、フェミ叩きをする時間を減らすことを考えてみましょう
やりたくなっても我慢です。我慢できなければウィンドウズを窓から放り投げましょう
・日光浴や散歩をする。スマホを置いて外に出ればもうフェミ叩きはできません
・SNS等のアクセスを不便にする。メイン垢・PCを猫写真投稿用アカウントにして、サブ垢を開くのが面倒にしてしまえばよいのです
四日ほど前に文春によりお笑い芸人EXIT兼近さんの前科がすっぱ抜かれ、瞬く間にテレビやイベントの出演が取り消されていくのを悲しい思いで見守っておりました。
『少女売春斡旋』の凶悪な字面に「は!?!!?」と驚愕したものの、ふたをあけてみれば貧困層出身の少年が学のない状態で知らずに犯罪を犯していた、という切ない話で、少女と言っても当時の兼近さんと同い年の十九歳、売春斡旋といっても『あくどい商売してたヤクザから離れて個人的に売春してた女友達に用心棒を頼まれた』が内実らしく、刑も罰金十万円で済んだそうです。
その辺の詳しいことは文春本誌の記事に書いてあるのですが、いかんせん見出しがセンセーショナルでちゃんと読んでない人からすると「幼い女の子を騙くらかしてウリやらせてたのか?」と思われかねないのが辛いところ。
以下要約書いてくださった方のツイート。↓
https://twitter.com/exit_mochiP/status/1169368952213889025
なので兼近さん本人もこのことに言及するツイートで「文春を買って読んでください」って書いているのですが、そういうとこ、そういうとこだよ……!とこちらは複雑な気持ちで頭を抱えました。後述しますが彼はヤバいレベルにピュアです。敵の売り上げに貢献するな。でも多分敵だと思ってないんだろうな。
さて、この騒動は様々な要素が密接に絡み合っているため擁護派も批判派もその辺ごっちゃに主張し合い、収拾がつかなくなっているきらいがあります。
「今更生してるからいい」「過去のことでも罪は罪だからテレビ出るな」「イケメンだから馬鹿な女が擁護してるけど女の敵」「とてもいい人なので応援したい」「前科があるならいい人ぶるな」「おもしろくないから消えろ」「おもしろいから頑張って」「そもそも貧困の問題」「これだから底辺育ちのDQNは」etc…
その人によって何を重視するかは違いますし、この手の騒動によくいる『別に本気で怒ってるわけじゃないけど人気ある奴を叩きつぶしたい』層もネット上には多いのであちこちで大混戦ですよ。
とりあえず事実としては、『現状兼近さんは法的になんら問題ない状態』です。
謹慎も謝罪も引退も必要ありません。八年前に処罰されたことで問題にケリはつきました。それを不服としている被害者もいません。
にも関わらず番組降板が相次いでいるのは、世間の感情が彼を許せるか許せないかがわからないからです。
ツイッターを見る限りは擁護派がかなり多いんですがヤフコメとか掲示板などは批判派が多いですね。テレビ局やイベント主催者としてはクレームが来る恐れがある人間を使いたくないと思うのはしょうがない。しょうがないんですが、私としては、もうちょっと真摯に倫理について考えてほしいと思ってしまいます。更生してる人の芽を潰すのが世間の総意になっていいのでしょうか。
結局のところ法律でカタがついている以上、この問題を語るにはどうしたって感情論になるのでここからは私の主観フルスロットルでいかせてもらいますね。
まずね、彼の境遇を考えればあれが罪だとわからなかったのは無理ないです。
極貧家庭で育ち、飢えた時は妹とわざと雨にふられて同情したご老人にご飯をもらうという技でしのぎ、高校中退して働き、周囲の人間がみんな半グレ系で反社会的なことが当たり前になっていた、という背景があったうえで、十八の頃に風俗店に勤めだしたんですよ。
風俗店というのはお金と引き換えに人間(主に女性)の体を性的に扱える店なわけで、建前上は生殖行為そのもの(いわゆる本番?)はないということになっているものの、悩める青年に北方謙三が「ソープへ行け(そして童貞を捨てろ)」とアドバイスしたことが有名であるように、実際は売春が行われているわけです。
私は日本では売春は禁止されていると認識していたものですから、堂々と繰り広げられるその手の話がしばらく理解できなくて、いくつか風俗店レポを読んでやっと「要は売春なんだな!?」とわかったんですが、いまだに何故あれが正規の商売として成り立っているのか納得はいってません。
私はこの世で一番ダブスタが嫌いなので、税金を払ってる風俗店だろうが個人の援助交際だろうが売春を認めてはいけないと思っています(弱い立場の人が傷つきやすいから)。
しかし、風俗店が許されている世の中で、学のない風俗店勤めの少年が、個人売春をする少女を手助けすることが罪だとわからなくても責められないです。だってやってることほぼ同じだもの。
まぁ法治国家である以上建前は大事であり罪は罪なので、彼が罰を受けたことに異論はありませんが、同情の余地はあるでしょう。少なくとも痴漢とか強姦みたいな積極的性犯罪と同列には並べられません。
兼近さんの話では、捕まって初めてそれが悪いことなんだと知った、ということでした。二十日間勾留され、同じく捕まっていたおじさんに字を教わりながら又吉さんのエッセイを読み、芸人という仕事に憧れを抱きその後上京に到ります。完全に小説のあらすじだった。映画化もしそうなぐらいドラマチックな生い立ちと理想的な更生ルート。
私がディレクターなら「兼近はいい奴だから」とか「たいした罪じゃないから」などというたわけた理由ではなく、「更生しており倫理的に問題ないから」と堂々と表明して続投させます。流されやすい世間のイメージが気になるのはわかるけども、誰か一人ぐらいそういう気概と倫理観を見せて欲しい。
ただまぁ、元々ネタがちゃんとおもしろい人達ですから、劇場はやっていけるみたいです。
あと芸人仲間からの擁護が物凄い。こんなに擁護されてる人初めて見た。一度だけ取材した先の店の店主とか一度だけ共演した人とかたまたまちょっと話した人とかまで擁護してて、兼近さんの人に好かれる力半端じゃないなと思いました。うん、いい子だものね……。
兼近さんってよく『いい奴』『いい子』と言われますけど、それって普通に想像するような性格の良さじゃないんですよ。箍が外れてる。あれは正直正しくない域の優しさです。自分の身を守らないで愛を振りまいてるんですもの。そんなの聖人か狂人でしかないじゃないですか?
酔っぱらって道に倒れてた女性をベンチまで連れてって座らせてあげて、靴が脱げてたことに気づいて引き返して取ってきてあげていた、みたいなわかりやすい優しさエピでは伝わりきらないヤバさがある。
私は長く彼を見てきたわけではない大変ライトなファンなので詳しくはないんですが、それでも色々ファンの間で物議をかもした発言を存じております。
例えばEXITのイベントのチケット転売について「転売屋さんも生活があって頑張ってるから」とか、前述した「文春を買って読んでください」とか。
転売への最終的な対策は『とにかく席を増やして価値を下げる』『とにかくサインを大量に書いて価値を下げる』になるあたり、人を規制するより自分が頑張ればいーやという思考が見て取れて、マジで……そういうとこ……。
最たる『優し過ぎて怖い』エピソードは親との関係全部ですね。テレビではめちゃ美談にしてましたけど、あれ言ってないこと沢山ある。
お母さんとはまだわかります。子供が飢えてるのに見栄を気にしておばあちゃんに助けを求めるのを許さなかったとか、兼近さんが家に入れたお金を恋人に使ってしまったとか、ちょいちょいどん引きエピはありますけども、子供四人をシングルマザーが育てるのは大変だったでしょうし、兼近さんもトイレの鍵を全部閉めるみたいな悪戯をしてよく学校に呼び出されていたらしいので「なんだかんだで育ててくれた」という感謝があるのかもしれません。
でもお父さんは……なんだ? 早々に離婚して養育費も送らずクワガタに入れ上げてた人という印象しかない……。それで息子が芸人として人気になりそうになると現れて、ツイッターアカウント作ってEXITのファンとやりとりしてほかの芸人さんとも絡んで特に悪びれもせずにこにこしてるのなんなんですかね。FBに「大ちゃんが稼いだ金を総取りできる日はいつくるのか?」とか書いてるのシャレにならん。
大体の人はこの手の親とは自立したらあまり仲良くしたくないと思うんですが、兼近さんはなんのわだかまりもないような笑顔で仲良くしてるし一緒にテレビ出て決めポーズするし「マンション買ってあげたい」などと言うのでこちらの情緒が乱れきります。そういう感じだから一部ファンがお父さんをちやほやするんですよ……いいのかそれで。いいんだろうな。悟りでも開いてるのか?
本当にね、この人保身という概念があるのか?と疑ってしまうぐらい無防備な部分が多くて、誰にも聞かれてないのに月給明かすし、住所明かして案の定侵入されて引っ越すはめになったのに引っ越し先の住所またうっかり言っちゃうし。
今回文春に探られた過去も本名じゃなければもうちょっと見つかり辛かったと思うんですよね……。相方さんは『りんたろー。』にしてて本人は自分のこと『かねち』って言ってるんだから芸名『かねち』でもいいじゃないですか? それを馬鹿正直に本名名乗って北海道に住んでたことも言っちゃって騒動前に「芸人にならなかったらなにしてた?」って聞かれたら「反社」って答えている……。
でもそういう人だから私は彼が大好きだし、きっと彼の身近にいる人達もそうなんだと思います。可愛いいたいけな子供で、かっこいい無鉄砲なヒーローで、冷めた賢明な苦労人で、明るく無邪気な道化者で、その全ての人格が危ういほどの優しさで統合されたのが兼近大樹。傍にいればいるほど好きにならずにはいられないんじゃないでしょうか。
文春記事直後のりんたろー。さんの表明文凄かったものな。さすが常日頃からかねちは太陽だと主張してる人だ。兼近さんもなんだかんだいってりんたろーさんのこと凄く信頼してるように見えますし、youtubeでもちょいちょい二人の世界で笑い合っているのが微笑ましくて好きです。
だからコンビ仲については心配してません。ファンはほぼ幻滅してませんし、劇場人気があるので収入も生きていけるぐらいには入ると思います。
でもテレビで彼らを見る機会は減るのかな、と思うと本当に残念でなりません。
日本のテレビ界とお笑い界の損失ですよ……あんなに優しくて明るくて平和な人達、今後出てくるのだろうか。爽やか美形を出せばいいってものじゃないんだ……かねちはかねちじゃないと駄目なんですよ。
彼の苦労ゆえの達観と優しさと儚さと人類愛が、機転の利く返しが、独特の豊かな感性が、セクシー系の女性に触れないようにする節度が、いかなる場でも怖気づかない度胸が、美しく華やかな容姿が、全てが好ましく最強でした。
犯罪を犯罪とも気づけない環境にいた少年が、あんなに明るく人を笑わせようとする人間になれたのは奇跡だし、その光をもっと輝かせて欲しかったです。
これから騒動がどう動くかわかりませんが、どうか彼の誠実な魂に見合った素晴らしい結末を迎えられますようにと願ってやみません。
(盛大に擁護しといてこんなこと書くのはなんですけど、芸人さんて「おもしろくていい奴ならええやんネタにしたるわ」みたいな芸人的身贔屓人情擁護することが多いのがちょっともやる。悪いことは悪いことなのでその辺でうやむやにするのはあまりよろしくはない……。
あと兼近さん、自分の中で整理ができてても世間<正義鉈をふるう曖昧模糊な思念の集合体>には伝わってないから、真面目な落ち着いた文章か動画で説明したほうがいいですよ……文春とかインスタはやめて……)
意識高い系のいかにも仕事できなそうで職場や案件たらいまわしにされてるの丸わかりの増田とか、使えなさ過ぎて業界から追い出されてシコシコ技術ブログとか書いてるんだろうなっていう元ITエンジニアって肩書のブロガーとか自称業界人の皆様たちのおかげで、絶賛20代30代がいなくなり、40代50代の脳みそ壊れたオッサンオバサンばかりと少子高齢化のあおりを受けまくってるIT業界
そんな彼らが「IT業界がダメになったのは国や社会の責任だ!」と鼻息荒く早口でよく責任転嫁をしているが、彼らに「じゃあ昔のIT業界ってどんな風な仕事の仕方だったの?」っていっても口が裂けても答えてくれないことが多いのは周知の事実だと思う
だから、これから運悪く新卒でブラックにあたって職歴に傷がついているからIT業界に仕方がなく来るしかない、という第二新卒の方々や、IT業界に来たいんだ!という奇特な新卒やダ学生の増田向けに、まだ日本がITでは世界2位だったころは、どんな風な仕事の仕方だったのかを、知ってほしいからこれをかこうと思う。
増田が大好きで大好きで仕方がないweb系も、始まったのは実は92年くらいからで、その当時のweb系も合わせてどういう仕事なのかを知ったうえで、貴重な若い人生を無駄にしないように将来を考えてほしいと思う。
例えば業務用ツールの案件の場合、顧客はIT知識やましてやシステムのことなんて何も知らない
だからコンサルが「客の職場に常駐して」まず業務のヒアリングから始めていた
今でこそコンサルなんて半グレやヤクザみたいなのが業界の4割くらいしめていて詐欺師の代名詞みたいになっているが、当時はそんなことはなくちゃんとした技術者も多く、故に顧客がコンサルにまで正当にお金を払う文化が存在していた、この時点で信じられないとか発狂する増田もいるだろうが、真実なので落ち着いてほしい。
顧客は自分の会社ではあるけど現場でどんな業務が行われているかが見えてないケースさえ昔は多かった
まず業務手順の整理や確認をして行く、「SEとセールスエンジニアが常駐して」ヒアリングと現状の手作業の事務の工数をはじきだしていく。
今でこそセールスエンジニアとか茶飲みに来た営業の横にくっついている愛想悪そうなオッサンがやる気なさげに右上のタイムスタンプ数年前の資料かえただけのものをバサっと投げつけて技術わかってない客を見下しまくって喧嘩を売ってるような態度のエンジニア上がりとかが業界のセールスエンジニアの6割を占めているが、当時はそんなことなく、ちゃんとした一般常識や教養や礼儀や共感性が人並みにある健常者の技術者上がりも多く、故に顧客が常駐しているセールスエンジニアに正当にお金を払う文化が存在していた、この時点で嘘だ!主語がデカい!とか発狂する増田もいるだろうが、真実なので落ち着いてほしい。
現場の運用が把握して業務の棚卸しが始まる、無駄な業務を実施していることがここで判明してくる
だから、業務で発生している課題がハッキリして来る、システム移管時に何の業務が対象になるかが判って来る。
現状の客の業務ワークフローをドキュメント化して客に示して行き、詳細な機能要求仕様書も起こして行く。
今でこそIT業界のエンジニアたちが口をそろえて「それは客がすべきことだろ」と震え声でわなわなしながらブツクサ、ICT知らん奴は人にあらずみたいな商売と人様を舐め腐ったことを言うことも多いが、昔は顧客には本業の仕事だけに注力をして貰いたいのがベンダーとしての考えだったわけだ。これはwebサービスとか自社サでやるweb系の始祖であるところとかも一緒
課題が顕在化して来ると今後起こりうる可能性のある課題まで浮かび上がってくる、そして要求要件が固まると客にコストの提案が始まる
今までの業務コストとシステム化やシステム改修によるコストの差を示して行き、構築見積もりもここで概算を提示する。
概算見積もりの段階で高いと言う客にはここで終わりにはなってしまう。
OKなら、ここまでの見積もりコストを人権費と経費を基に計算して15%乗っけて完了、ドキュメント類は報告書として残して行く。
「なんでドキュメント類なんて残していくんだよ!ICTを知らん猿如きに!!!」って発狂するIT業界の現状の人間も甥が、理由はこれによって「顧客は競争入札が可能になるから」という至極まっとうなビジネスとしての理由がある。
こういうの今はBtoGでもめったにやらないだろうけど、大体すべてIT業界ではこれくらいが当たり前だった。増田が邪教の如く忌み嫌うウォーターフォールって奴だ(省庁は年度を跨ぐと手続き面倒だからデ通サが多いけどね)
さて、ここまで詰めてくれるわけだから、下流側は昔はコーディング設計書さえあった時代、マシンの性能以外を除けば、プログラマーとしてはこれほど助かることもない、綺麗なコーディングに注力できるから、だから昔の日本人プログラマーのコーディングは、芸術レベルで美しかったといわれる理由がこういう仕事の仕方が昔は当たり前だったからだ
昔のアメリカ以外で太刀打ちできる国は地球上に存在しないとまで言われていた時代の日本のIT業界を支えたSEやエンジニアたちは、ここまでやりがいのある仕事をする。
そりゃ年収一本当たり前だわな、これだけできれば。
今のIT業界の仕事の回し方なんて、アジャイル至上主義のweb系とかも見てもらえばわかるが、昔と比べればもはや学園祭の焼きそば屋レベル
上記のような仕事をされると困るから、そういうのが憎くて憎くて仕方がないみたいな奴らしかいないIT業界に、それでも来たいというのならどうぞご自由に。
え?海外いく?行けるわけないでしょコネもないのに。夢みたいなこといってないでパソコンの前に座るような不健全な仕事しないで汗をかいて働きなさい。
ついでに言うと、暴力団や半グレなんて組織がいるのは大金を叩いても犯罪行為をしてほしいという人間がいて、暴力団や半グレはその代行者。
麻薬というのは人間に存在するバグだからどうしようもない。また、様々な法的枠組みを超えて暴力で問題を解決してほしい人間がいる。
そして、多額の金というのはやっぱりパワーがある。
ただ、「死」という負荷逆なことで麻薬にまつわる殺人や、不法利益による殺人は許してはならない。許さないという枠組みの一つが死刑。
残虐な殺人は、その前に心療内科や、そもそも収入を与えるなどのケアできればいいが、脱獄というものがある以上、やはり死刑にしないとならない。殺人犯の命と、無辜の警察官の命ではやはり殺人間犯の命のほうが軽い。
実際世の中がどう変わったかといえば
「自分は暴力団関係者じゃない」っていう誓約書みたいなのを書かなきゃならなくなった
もちろんそんなのウソ付けるわけだからつまんねー儀礼だなとは思う
大きい会社・上場企業なんかは暴力団と関係を持たないように様々な努力を要求されるようになったけど
条例もそんな重いわけじゃないから「やってますアピール」程度だ
この程度でも効果はあるんだろうと思う、実際暴力団は縮小傾向で半グレが増えてるって話だし
つってもこれは「事業者が」「その人に金を渡す時」にやるやつだ
https://www.police.pref.osaka.lg.jp/seikatsu/boryokudan/1/6879.html
なにげに暴力団から金を受け取ることは禁止してないと思うんだが
もちろん心象は悪いので説明責任は発生するかもしれないけど
ちょっと騒ぎすぎというか、まず何が悪いか理解してる人どれだけいるんだろうね
某有名ヤクザアカウントが「仲介役は実際に会う前に暴力団仕事だと伝える」的なこと言ってたけどさ、半グレがそんな真面目にやるわけないじゃん
暴力団は雰囲気でわかるだろって言われても反論できないけど、詐欺集団なんて分かるもんなの?
スリムクラブのせいでごっちゃにされてるけど、おおもとの騒動は半グレ相手なわけで、助かるには「その場で半グレと見抜いて立ち去る」しかないと思うと無理ゲーなきがする
暴力団員がタピオカ売ってる時代だし、自分としても自分の会社の取引先が半グレの可能性だって否定できないなーと思うとちょっと怖いから、だれかここ見れば安心できるってポイントを教えてくれ
職場結婚は一番の王道。同じ現場に多く居たりすれば可能性は高い。
知ったかぶりのファン共と違ってちゃんと悩み相談も出来るし、食事等にも誘いやすい
現時点で10代でもない限りはそもそも無理。20代前半なら若干の挑戦も可。
出資者なので待遇は良い。推しが金目当てならサクッと結婚できる
推しが金目当ての成り上がり声優かどうかは賭け。ちゃんとやる気のある子だとまず無理
そもそも推しの出るアニメに出資するかが難しい。それすら左右できる年齢では適齢期を過ぎている
流動性の低い日本社会では、現時点で勤めていない限りは難しい。
まともな商売ではないで、保険や社会生活できても、ある日捕まることも
落ちぶれたグラビアアイドルならともかく、声優が惹かれる人種ではない(例外あり)
意外と無情な業界
有無を言わせない財力ですべてを可能にする
現時点で石油王に産まれていなかったら不可。ワンチャン来世ガチャ
今の時点で観客側で女性声優に惚れ込んでいる輩は基本無理。どんな形でも最低でもステージ側に行なきゃ無理
あとは財力だが、そんなどっかのコスプレイヤーみたいな女で良いのか?
本題:「宇宙よりも遠い場所」vs「スタンド・バイ・ミー(原題:「THE BODY」)」
比較 | 宇宙よりも遠い場所 | スタンド・バイ・ミー |
行き先 | 南極 | 30km隣の町 |
方法 | 観測船 | 歩き |
期間 | 3ヶ月 | 数日 |
目的 | 青春する | 有名になる |
メンバー | JK | 悪ガキ |
死体 | 母親 | 他人 |
上の表から分かる通り、宇宙よりも遠い場所(以下「よりもい」)は主要な要素のほぼ全てがスタンド・バイ・ミーと比べてスケールが大きなものとなっている。
そのスケールの違いは単純な距離の比較だけでも500倍という途方もない差となっている。
そもそもジャンルが違うじゃんと君は言うかもしれないが、この2つの基本骨子は極めて似通っている。
「見知らぬ地にて死体との邂逅を果たす4人組の冒険譚であり、その時代を代表する青春活劇の一つとして親しまれている」
スケールこそ全く違うが「よりもい」も「スタンド・バイ・ミー」も、目指す姿は若者たちにモラトリアムの間にだけ訪れる青春を描き出すことを目ざしているという点において、ジャンルとしては完全に一致しているといって差し支えないのだから。
さて、この両者は基本骨子は同じでありながら圧倒的にスケールが違う。
そして、それぞれの作品がそれぞれの時代において「バズ」っている。
これは私の根拠のない言い分に過ぎないが、もしも「スタンド・バイ・ミー」の時代に「よりもい」があったとしてもキャピキャピしていながらもときおり妙にまじめぶった歪な作品としてカルト的には話題になっても、今のように国民的な認知を得られるような立ち位置には来なかっただろう。
同時に、現代の世の中に「スタンド・バイ・ミー」が作られていても、感性下劣な不良物語として消費されるだけで、それを青春のスペクタクルとして感じ取れたのは、昔を懐かしむ半グレ親父やレトロスタイルの不良ぐらいだったのではなかろうか?
なぜこのような偏見を私が持つに至ったかというと、私にはどうも現代の世の中が「意味」を求めることに必死になりすぎているように映るからだ。
近所の街ではなくて南極に行くのも、自分たちだけではなく観測隊に同行するのも、数日の旅ではなく三ヶ月の大旅行であるのも、一時の名声ではなく青春というキラキラした影を追っているのも、冴えない悪ガキではなく美少女混じりのJKたちであるのも、たどり着く死体が肉親であるのも、時代が「意味」を求めてやまないその声に応えたものなのではないだろうか。
少なくとも、この作品がこの時代に成功した原因は、作り手がこの物語の中にいくつもの「意味」を盛り込み、それが受け手の心にフックしたからであろう。
「よりもい」という作品において主人公たちは南極での意味多き青春を通して何度も成長していく、物語が終わって家に帰ったとき、彼女たちの前に広がるのは暖かな日常であり、そこにいるのは一皮剥けてなおモラトリアムの時間を残す未来輝く若者たちだ。
「スタンド・バイ・ミー」はそうではない。物語が終わった後、彼らが疎遠となっていき、久しぶりに再開を果たしたときには4人のうち2人が帰らぬ人となったことが語られる。冒険を通した成長は、命の終わりという形で失われ、色褪せぬ青春の思い出すらもそれが二度と手に入らぬ時間であったことの自覚と共にセピア色に染まっていく。小さな青春は思い出の中に封じられ、この先の彼らの人生からは失われてしまったことが語られることで物語は終わる。
「よりもい」を見終えたものは希望と共に自分の人生へと帰るだろうが、「スタンド・バイ・ミー」を見終えたあとに残るのは哀愁である。
ここまで書いて、ようやく私も気づいた。「意味」の求められ方は確かに時代と共に変わったが、一番変わったのはそのスケールではなく有り様なのではないか。
現代の世の中が求めるのは人生に活力を与えてくれるような、希望を手にできるような意味であり、端的に言えばパワーに満ちた物語を人々は欲している。
対して、過ぎ去った時代の中で求められた意味は、人生というものを静かに俯瞰するような、落ち着きを与えてくれるような意味であり、それは見るものから余分なパワーを奪いクールダウンさせるような物語なのだ。
意味、というよりも求められる「青春のイメージ像」が変化しつつあると言ったほうがいいのだろうか。
『現代人の中にある青春は「まだ続いているもの」であるが、青春とは「既に過ぎ去った物」であると捉えられていた時代があった』
多分。