はてなキーワード: 人種差別とは
アトランティス(2001)→登場人物が多人種で多様性意識しすぎ!ヒロインがブス!ポリコレガー
プリンセスと魔法のキス(2009)→黒人プリンセスだと!?ポリコレガー
リロアンドスティッチ(2002)→リロがブス!ブスしか出ない!ポリコレガー
コルドロン(1985)→ポリコレのせいでこんなにつまらなくなったんだ!
黒人アリエルはともかく、ミラベルはブスで眼鏡だからポリコレだ!つまらないに決まってる!と上映前から叩かれまくってるの見た時はアホかと思いましたわ
私ときどきレッサーパンダも同じ事言われてたけど、ピクサーに至っては可愛くない主人公の方が多いじゃねえか。
というか、黒人アリエルに対して「オリジナルなら文句言わない!」って言ってたけど嘘じゃねえか
「今のディズニーはポリコレのせいでつまらなくなった!」って言ってる人に「過去の面白いディズニー映画を挙げてみて」と言ったらまずヒット作しか出さない。
ヒットしなかった過去作品も数多くあるけど存在すら知らない。間違ってもコルドロンとか挙げない。
面白い作品に比べてつまらない、という小泉構文みたいな結論しか出ない。
しかも、つまらないと断じた作品を見てすらいなかったりするんだよな…
「これだとポリコレ的なモノは大して人気になれず、そうでないモノの方が時代を超えてウケているみたいな話にならない?」
リロアンドスティッチがヒットしてない世界線の人のブコメがトップになっておる…
そうじゃないんだよなぁ。昔からあったような要素まで「最近のポリコレのせいだ!」と言われてるのがウザかったのよ
コルドロンに関しては伝説級のつまらなさそのものが「ポリコレのせい」と言われそうだからオチに持ってきた
再追記
というか、ヒット作の美女と野獣、アラジンだって原作と違ってかなりフェミニズムを意識した作品になってるし(ジャスミンが「私はゲームの商品なんかじゃない」と言うのとか、ガストンが有害な男らしさを発揮した女性差別的なヴィランだったり)
なんなら眠れる森の美女ですら、「王子を見知らぬ女性にいきなりキスしてレイプ(原作)するやつにするわけにはいかんよね」と二人をあらかじめ恋人同士にしてるし
ピーターパンの人種差別といわれる描写ですら、当時的には「インディアンを悪者として描いてない」ポリコレ寄りな描写だったらしいし
ライオンキングなんかは当時的にも保守的な内容だから全てのディズニー映画が当時のポリコレを意識してるわけじゃないけどさ
それらの作品が現在のポリコレ的に非難されてたり、南部の唄が発禁になってたりするから、
ポリコレによる表現規制、キャンセルカルチャーの煽りを一番食らってるのがディズニーオタクなんだけどさ、
それでもポリコレアンチによるヒステリックな反応にもウンザリしてるのがディズニーオタクなのよ
つまらないと見もしないで言われる最近のディズニーも楽しんで見てるわけだしね。ツイッターなりpixivで検索して「ミラベルと魔法だらけの家(Encanto)」ファンがどれだけいるか見てほしい
もへもへ「えらそうに多様性を語るディズニーや欧米様。デヴでブスのヒロインをだすと称賛されるがハゲでデヴの中年おっさんヒーローを出演させない」→ディズニーオタクから総ツッコミ https://togetter.com/li/1812366 #Togetter @togetter_jpより
弱者男性「ディズニーとかのポリコレ映画は男性が弱く生きることを決して許さない!オタクをいじめてる!」←そうか? https://togetter.com/li/1887702 #Togetter @togetter_jpより
また追記
ナイリー・パタル:著
大失敗だな、お前。
Twitterは悲惨な道化車メーカーで、それでなお成功しているが、これからはたくさんの妥協をし続けて、お前自身の評判と、お前が所有する他の会社に重大な損害を与える以外には、ユーザーと売上を伸ばす方法はない。
俺がこう言うのは、Twitterの問題は技術的な問題ではないと完全に確信しているからだ。Twitterの問題は政治的な問題である。企業としてのTwitterは面白い技術を開発しているわけでもないし、システムそのものにまともな価値もない。Twitterの価値とは、ユーザである。絶望的にTwitter中毒の政治家、レポーター、セレブ、その他なんでも投稿するより前にもっと勉強すべきだった人々。お前だよ、イーロン・マスク、お前がTwitter中毒で、お前がTwitterの価値なのだ。お前はお前自身を440億ドルで買ったんだよ。
ユーザが価値である場合の問題は、ユーザというのは猛烈に複雑だということで、ユーザの行動を制限しようとするのは、歴史的に見て悲惨な経験だということだ。特に、その権限が強力な個人に帰属している場合は。
要するに、お前は今やTwitterの王で、人々はこれからTwitterで起きるすべての出来事に対してお前に責任があると考えるだろう。それに、絶対君主というのは、うまく行かなかったときだいたい殺されるものだ。
例を挙げよう。お前は広告主に向けた丁重なお手紙をいくらでも書くことが出来るが、広告主に「ブランド・セーフティ」を約束しない限り、十分な広告収益を集めることはできない。つまり、人種差別、性差別、トランス差別、その他、米国では完全に合法だが、本当にクソみたいな人間しか言わないような表現などを、お前は禁止しなければいけないということだ。「表現の自由」を尊重してみせてもいいが、つまらない現実として、金が欲しければ、その手の合法な表現を禁止していかなければならない。そしてお前がそうすれば、お前のキモいネトウヨファンボーイが、今度はお前に攻撃をはじめるだろう。あいつらが他のソーシャルメディアでこの真実に気付いたときのように。
そもそも、金のことを考える前にやるべきことがある。現実には、大半の人々が、クソ人種主義者や「男はみんな加害者だって言うのか~」的な自分だけはイケてると思ってるいじめっ子どもでいっぱいの、悲惨な規制なきインターネット空間に参加したいとは思っていないということだ。(だからTwitterは競合と比較して弱小なんだ!) 大半の人々がソーシャルメディアに期待しているのは、素敵な体験をして、人々に認められることだ。みんなディズニーランドで生活したいんだよ。だから、もしTwitterのユーザーを増やして、投稿を増やしたいなら、Twitterでの体験をもっと、もっと、快適なものにする必要がある。つまり? もっと投稿の規制が必要になるのだ! 繰り返しだが、その他すべてのソーシャルメディアはこのつらい現実を学んできた。何度も、何度も。
さらに、「表現の自由が~」と簡単に嘆いてみせる人々が気付いていないのは、米国における表現の自由の最大の脅威は、憲法修正第1条にもはやなんの興味もないクソ政府だということである。あいつらは禁書をしてるんだぞ、イーロン! ジョー・バイデン大統領も、ドナルド・トランプ前大統領も、230条に対して同じ立場を持っている。廃止しようとしているんだ。なぜか分かるか? 修正第1条は明確な言論規制を禁じている。だからソーシャルメディアの存在を許している230条を廃止することで、コンテンツポリシーに間接的な圧力をかけようとしているのだ。大問題だぞ!
州政府はさらに大胆だ。テキサス州やフロリダ州は、修正第1条に対峙して、ソーシャルメディア企業に対してコンテンツ規制を行える言論規制法を可決している。こうした法案にどう従うかは技術的な問題ではない(従うのはそもそも不可能でもあるから)。こうした法律はあきらかに違憲なのだから、法務的な問題であって、唯一の正しい対処法は黙ってうせろと政府に言ってやることなのだ。(裁判所はインターネットのことについては相当のバカという問題もある)こうした法律に対する提訴は、Twitterが起こしたとなると、最高裁まで行くだろうし、その結果はまったく予測できない。終身雇用のダサい変人たちが、アメリカ人の生活を好きなように激変させることができるのだから。
この問題にAIを使うことはできない。お前が税金を逃れたり、知事とよろしくやってたりする、テキサスやフロリダで、裁判に出て悪法と対峙し、修正第1条を守らなければならない。それがどういうことになるか、準備はできているか? 議会の前に座り、何時間もかかる諮問に対し、丁重に断わり続けなければならない。お前が最初に嫌がらせをして解雇した、非常に尊敬されている政策専門家なしで、このことに対する準備はできているのか? おまえがはじめたことだぞ。ロケットや、自動車や、自動車つきのロケットよりもずっと退屈な話だ。
米国を離ればさらに悲惨なことになる。ドイツはテスラにとって大きな市場だったな。ドイツの表現規制法に挑むのか? そうはしないだろうな。インド政府はソーシャルメディアが同国で運営するために、実質的な人質を要求している。このクソ問題に対する技術的な解決策はないぞ。Twitterが中東で直面している、差別主義者を規制する圧力と向き合う準備はできているか? イラン政府がソーシャルメディアの投稿をめぐって人殺しをしているというクソ現実に向き合う準備はできているか?(イラン人が政府に抗議するためにTwitterを利用していることに対する準備はできているか?)中国政府が国内におけるテスラの巨大ビジネスを脅かすために、Twitterのコンテンツを理由にしはじめることが待ち遠しいか? すぐに起きるぞ。
ソーシャルメディアにおける商品とは、コンテンツの規制だというのが、本質的な真実なんだ。誰だって、コンテンツをどのように規制するか決める人間のことを憎んでいる。コンテンツ規制が、Twitterが作っているものであり、ユーザ経験を定義するものである。YouTubeが作っているものであり、Instagramが作っているものであり、TikTokが作っているものである。みんな良いコンテンツを奨励して、悪いコンテンツを抑制して、最悪なコンテンツを削除しているのだ。なぜYouTubeの動画がみんな8分から10分あるか知っているか? それが動画内で広告を二つ入れられる長さだからだ。それがコンテンツ規制なんだよ。それが今やお前のいるビジネスなんだ。コンテンツ規制と戦ったり、広告以外のものが売れるフリをすればするほど、Twitterはお前を擁護の余地がないような表現の奥底へと引きずり込んで行くだろう。そしてお前が急転直下、成長のためには積極的なコンテンツ規制が必要で、世界各国の表現規制を受け入れるなら、まあ、お前のファンがどう反応するか見ものだな。
それ以外だと性的に嫌な目に合った女性と手軽にナニカになりたい男性
痴漢の話や、セクハラの話になると、呼ばれてもないのに出てきて
ボクがそこに居たのならそんなこと許さないとか
こんな事を起こす「男」という属性を僕は恥ずかしいと思うとか
聞かれてもいないのに開陳する
ヨシヨシしてもらえるからね
女性は痴漢やセクハラなど、性的な被害をほぼほぼ一方的に受ける
その非対称性によって
結果として「女性という性を欲望によって娯楽として消費している」事実が許せなくなる
これは人種差別でも同様で
なぜ?
リベラルさんはこの辺の話になると
被害者属性に引きこもり「弱者だから許される」の一点張りになる
話が逸れた
性的消費やら性差別と認定された萌え絵やオタク文化を評価することが出来なくなるのも大きいと思う
教義に反するからそれをやると名誉男性だのネトウヨだのレッテルを貼られ村から追放される
弱者を取り込み続けそれらすべてにおいて正しく在らねばならないので、どんどんと弱者以外に排他的になる
「何かを諦める事」はもう彼らにはできない
そのナニカは、どこかで主張した守るべきナニカであり、もう彼らはそういうので雁字搦めなのだ
https://www.afpbb.com/articles/-/3430138?page=2
9月に行われた世論調査では、回答者の17%が王室に対する評価を下げた。その理由としてほぼ全員が、王女とベレット氏の婚約を挙げた。
ベレット氏は、自身の信仰が一部の人にとって奇異に映ることは理解できるとした上で、自身は人種差別の被害者だと訴えている。
同氏は婚約発表直後の6月9日にインスタグラム(Instagram)に投稿した動画で、「われわれが一緒にいることについて、白人から無数の憎悪の言葉と殺害予告が届いた。王室に黒人男性が加わるのを見たくないからだ」との見方を示した。
4年前の記事だけど、こういうのを見ると年齢差別が酷いのって日本に限らないんだなあと思う
https://dhbr.diamond.jp/articles/-/5456
調査報道メディアのプロパブリカによると、IBMは過去5年間で、約2万人もの高年労働者(40歳以上)を密かに追い出していた。
ハイテク業界に関しては、多様性のはなはだしい欠如、そして「ブロカルチャー」(米男子大学生の友愛会と共通するような、軽薄で男尊女卑的な職場文化)の蔓延が散々指摘されている。しかし、シリコンバレーの大手150社が過去10年間で直面した年齢差別に対する告発は、人種差別や性差別のそれを上回っているのだ。
多くの業界、特にハイテク業界では、35歳で「年だ」と感じさせることがある。75歳になるまでフルタイムで働き続けるかもしれないというのに。その間の40年間は、メリハリのない惰性のように感じるのではないだろうか。100歳まで生きる人が増えているこの時代には特に、である。
寿命が伸びる一方で、権力は若年齢へと移行している。米国の被雇用者の年齢中央値は42歳だが、ハイテク業界の大物リーダーたちの年齢中央値はそれより10歳以上若い。HBRのデータ分析によると、ユニコーン企業(評価額10億ドル以上の非上場企業)の創業者の平均年齢は31歳で、CEOの平均年齢は41歳だ(かたや、S&P500企業のCEOの平均年齢は52歳である)。
いやそりゃそうでしょっていう
その欲求に即したコンテンツの普及、又は萎縮の阻害を目指しているわけで
それ以外の表現の自由への活動とか普通にしませんけども 何か?
これ言うと 「何が表現の自由戦士だよ」とか言いだしそうだけど
そもそもこの呼称って揶揄された結果 勝手に付けられた蔑称なんだから
なんか勝手に「表現の自由を守ろうとしているオタク達」みたいな感じにされてるけど
「表現の自由の名の下 オタク絵を街から消さないでくれ」っていう狭い範囲をワンセンテンスの思想として持ってるオタクも当然大量にいるわけで
彼らと「広く表現の自由を守ろうとするオタッキーな人」を混ぜて「表現の自由戦士」と揶揄した結果
オタク絵を守りたいだけのオタクまで他の表現の自由問題へ首を突っ込むよう謎の要求をされてしまっているのが現状なワケよ
そうなると今度は「表現の自由を理由にオタク絵を守ろうとするなら他の表自問題にも行動を起こすべき」って意見が来そうだけど
前にブラック・ライブズ・マターってあったじゃん
アレは黒人が警官に殺されてから波及した人種差別の撤廃を求めた運動だけど
極一部のアジア人は「黒人もアジア人差別するじゃん」とか言いつつデモを冷笑し
極一部の白人は「黒人だけじゃなくて全員が平等になるべきなんだからオール・ライブズ・マターだろ」とか言い出す始末だった
結局これらの意見は「今黒人が声を上げているトコロでしょうが!論点をブラして活動を妨害するな!」っていう反論で封殺されレイシスト扱いされるオチへ至った訳だが(まぁ大分雑な説明だが)
これってオタクコミュニティに属してオタク絵を守ろうとしてるだけの人間に他の表自問題へ首をツッコませようとしている奴等と同じなんだよね
これで何の問題もない
それでも「表現の自由戦士にはあいちトリエンナーレ問題を始め表現の自由についてダブスタなオタクが沢山いる」って言ってくる奴等はいると思うよ?
実際そうだろうけど そうじゃないオタクも沢山いるよねって話
これが鉄オタとかアイドルオタとかなら「自浄作用持てよ」って話になるけど
自然発生した物好きの集団と違って「表現の自由戦士」は揶揄前提の呼称だからね
「何で敵勢力に勝手にカテゴライズされてレッテル貼りされて自浄作用求められるんだよ応じるわけねぇだろバーカ」としか言い様がない
ツイッターとかで大暴れしてる論客を煽る目的なら全然いいんだけど
普通にオタ活してるだけの奴等巻き込んで
とか聞いても いや知らねぇよ!ってなる人とならない人がいるクソ質問になっちゃってる
別にいいじゃないですか
私はアニメが好きでオタク絵が公共に溢れれば楽しいと思ってるだけなんですよ
https://ja.asayamind.com/squanto-true-story-native-american-behind-first-thanksgiving
(和解後)
両者は彼らの関係について批判を受けた。エックフォードはナイーブまたは寛容すぎると非難され、ブライアンは偽の日和見主義者であると非難されました。
彼女は特に、何年にもわたって人種差別の顔であった後、彼女が和解の顔であることに憤慨した白人から批判を受けました。
エックフォードは、ブライアンが本来あるべきほど自分の過去を所有していないと信じており、彼女があまりにも注目を集めているのではないかと疑い始めました。
何も和解できてなかった。
友情は育まれなかったし、許すことも無ければ許されることも無かった。
本日は世界メンタルヘルスデー、世界死刑廃止の日、日本では1010に纏わる何かしらの日とあと10月の第二月曜日なので体育の日なようです。
アメリカでは10月の第二月曜日はコロンブスデーというやつらしいですが、コロンブスの行いのせいでネイティブアメリカンとの関係とか人種差別との関係とかで祝わない地域もあるそうです。
現代社会は内外でメンタルヘルスと向き合う事が多いですが、それでもまだ多少は理解される事が増えてきたんだろうなぁとは思います。
昔ならただの怠け者扱いでしたからね、まぁ今でも怠け者扱いする人はいるのですが。
全員が全員怠け者だと断定して排除してくるのが昔でした、じゃあ今は?
まぁ半々ぐらいでしょうね。
本音を言えば納得したくない人もどうせ言い訳だと思ってる人も腫物だと思ってさっさと片付けたい人もいるでしょう。
まぁ表に出てる時ぐらいは品行方正っぽくしてればいいかなあと思います。
本音って奴が表でずっと鳴り響いてるのなんてうるさすぎて仕方がありませんからね
それを窮屈だと表現してる時点で割とろくでもないんです。
自分にとっての都合のいい音を出してくれる訳でも、本当に鳴った音で鼓膜が潰れない訳でもないんですから。
みんな本当はこう思ってるんだろ?なんて
「俺は呼吸が下手だから息苦しい」以外の意味合いを持たないんです。
人種差別、女性蔑視など昔からアホ猿が色んな「差別」をしてきてる。なんで「差別」が起こるのか。それは「意図せざる結果」というものが関係する。
意図せざる結果=個人の行動が積み重なって想定外の大きな結果が起こること
「猿山全体の利益を高める」というのを意識的にやってなくても、猿たちの行動が巡り巡ってそうなっていったのだろう。
同じように「差別をしよう!」と思って始まったわけではないだろう。WW1の黒人排斥は労働組合が「南部出身の黒人はスト破りをする」と偏見を持ったことから始まっている。組合は自分たちを守るために黒人排斥。黒人は正規の仕事に就けず、労働不足に陥った雇用者に採用され、なんと実際にスト破りをしてしまう。結果的に「黒人はスト破りをする」という偏見が事実と判断されて、差別が始まったのだろう。
就職の女性軽視はどうか。企業は長期働く社員が欲しい。そして女性のほうが退職率が多いと統計データでわかる。すると企業利益を優先して女性を総合職より一般職に集中させ、女性軽視が起こる。つまり「女性は仕事を辞めやすい」という偏見から、差別が生まれるのだ。
つまりまともな人間が直感しているように、偏見は差別を生むことがある。
お前のことを「ゴリラ」と呼ぶとする。オレ一人が「ゴリラってクソだよな。死ねばいい」と言ったり思ったところで、お前と俺の関係はただの喧嘩相手だ。しかし、ゴリラを見てクソだと思う人が次々と増えていく。そして大半の猿から「ゴリラはクソ」と言われるようになり、そしてゴリラは低収入の人生を歩むようになったのだ。しかもゴリラはマイノリティ。
「ゴリラ」を「ハッタショ」「弱者男性」「フェミニスト」「オタク」「KKO」「田舎者」「低学歴」「高学歴」「熟女マニア」等々と読み替えても同じ論理だ、と気がつくのにかかった時間が、お前の処理能力だ。
確かにお前自身は「偏見」をちょっぴり持っているだけで、場合によってはその偏見は事実だ。
だがそういう偏見に基づいて行動する猿が増えれば増えるほど「偏見に基づいて排斥する圧力」は強まっていき、それは結果的に「差別」という形で現れるのだ。
最近はやたらとポリコレに配慮した作品ってのが横行していて、どんなアニメや漫画にだって同性愛や肌の色に幅を持たせている。
リコリコだってそれは変わらない。一般的な男女のカップルがノーマルな恋愛をするって物語はむしろ異端扱いになるんだろうな。
正直そういう上っ面な理性や理想にはうんざりなんだが、たぶん世間ってのはそれで良いんだろう。
たぶん俺のような人間はギャルゲーのように場所にしか居場所がないんじゃないかとおもう。今のギャルゲーを全部知っているわけじゃないけど、別に黒人や人種差別に配慮しないといけないわけではないし、無意味な同性愛カップリングを挟まれることもない。でかい胸や極端な男女論を持ち出しても内容さえ良ければ許される世界。
3次元の動画は既にフェミによって壊滅状態だろうし、残る聖域ってそういう2次元的なものだけになりそうだ。
普段からなにかに配慮してカテゴライズに必至にならないと人間として認められないディストピアに生きるのに比べれば、ちょっと稚拙でご都合主義な空間が心地よくなるんだろうな。
インターネットに本格に触れたのが自分より10年ぐらい遅かったんだろうな。
なんか今どき嫌儲とかまとめサイトとか反ワクチンとかそういうのに被れとるのよ。
あったな~~~俺もこんな時期あったな~~~とはなるんだけどさ、年齢は向こうが上なの。
創価批判とかガチャ批判とかガンガン職場でするんだけどさ、お前この職場に創価もソシャゲ廃人もおるの知ってるやろっていう。
ちなみにサバゲーオタクでめっちゃ軍隊のことが好きなのか週一ぐらいでロシア軍の愚かさについて語ってる。
でもどっかで聞いたことがある知識っていうかネットに書いてあることしか喋ってないんだよね。
それも興味なくても集まるレベルの表層のことだけ。
あとは空想科学読本みたいな話も好きなのかロボットアニメがリアルじゃないって悪口よく言ってるかな。
Gレコの映画とか新しいガンダムとか職場で見てるやつほとんどいないだろうにいきなりケチつけだすから誰もついてけないの。
んでまあ皆口数少なく頷いてるとずっと喋ってるのよ。
ネットがどうこうじゃなくて中学生や高校生ぐらいの感性なのかな。
学生時代に友達が少なかったのか、皆がする当たり前の失敗を通して成熟すること無くここまで来ちゃった感じ。
奴が大声で頓珍漢なこと言ってるのを背中で聞かされてると昔の自分を弄られてるみたいで恥ずかしくなってくる。
最近はYoutuberの批判、特にひろゆきの批判が多いかな。
でも3年前はひろゆきの事好きなのか凄い真似してたんだよね。
まあ成長したってことなんかね。
年齢を考えると恐ろしいほどに幼くてゾっとしちゃうけど。
奴もそのうち外で人種差別的な事言うのは良くないって気づいて黒人や韓国人を皆のm前で馬鹿にするのとか辞めるのかねえ。
俺が20年前に卒業したから奴も20年後に卒業するってなんとなく思っちゃうんだが、俺が卒業できたのはなんだかんだ自分を省みる能力があったからな気もするが、奴にそれがある感じはせんのよな。
あのまま死ぬまでああいうことやって、定年退職したらずっとヤフコメに張り付いてるヤバイジジイとしてSNS妖怪の仲間入りなのかなあ。
そのうち寂しさから変なカルトに飲み込まれそうだしそれまで持つかも怪しい。
いや本当卒業できてよかったわ。
あの歳であんなことしてたらと思うと背筋が凍るね
世の中には、「それは差別だ!」と言えれば論争に勝てたように思う残念な人もいるけど。こういった話でよく引き合いに出されるのが結婚。配偶者とそれ以外を明確に差別するよって話だけど、結婚に対してあれは差別を生み出すものだから良くない、という批判は(普通は)されない。
差別だから良くないのではなく、良くない差別だから問題になるわけで、すると「それは差別だ!」と叫ぶだけでは意味なくてその差別がどういった面から良くないのかの説明が必要なんだよね。まあ、それが出来ないから差別という単語の持つネガティブイメージで押し切ろうとするのかも知れないけど。
<追記>
うへぇ、これ読んでどんな差別でもしていいという主張のように受け取る人がいるのか。もちろん、しては駄目な理由がある差別はしちゃ駄目だし、
って書いてある時点でそれは含意してるよね。世の中に、してもいい差別が存在する以上、相手の意見の差別性だけを指摘してもそれで論争に勝てるわけではないというのが主旨だよ。別に、たとえば人種差別とかをやってもいいとか言ってるわけじゃないよ。
日本において、好きな外見のタイプについて話すことは、少なくとも友人間ではまだまだokという認識だと思う。
「目がパッチリしてるのが好き」とか、「たぬき顔が好き」とか。そんな話題の中までに「それはルッキズムだろ!」とかいうような指摘が入ることは、まだあまり起きてないと思う。
ただそれは、日本の中では外見の違いを語ることが人種差別に直接は結びつかないから、という背景があるのも大きいと思う。
翻ってアメリカはどうなんだろうか。「目が大きいのが好き」がアジア系差別になるのか。「肌が透き通ったようなのが好き」は黒人差別になりそうだ。
もっと直接的に、「白人の顔の造りが好き」とかはどうだろうか。社会的な場面では言えないことは想像できるが、友人間ではokなレベルなんだろうか。
そもそも外見の好みについて話すこと自体になんかしら異なる価値観があるだろうか。(でも表向きは控えていても、そういうのが好きなのはある程度世界共通だろうなあ)
気になる。