はてなキーワード: 三日坊主とは
今日は金曜日なのでいつもだったら週末に向けて気が抜けてダラッとしていたが、エイヤッ(IT業界語)と公園に行ってきた。
そもそものきっかけは、はてなブックマークでラジオ体操の話題を見ていたのが記憶に残っていたという点は大きいと思う。
ただ、常駐先で一挙手一投足を監視されながら定時まで嵐のように仕事をするとヘトヘトだし、緊張状態が続くので体が
凝り始めたというのが大きな理由だった。「追い込まれてもヘラヘラ笑っているIT超人」みたいな人がたまにいるが、
なるほどああいうタイプはしぶといだろうなとようやく理解出来た所もある。
本当ならば、夏休みの小学生のように朝日を浴びながら体操すれば心にも体にも良いんだろうが、現状でも基本定時帰り
とは言え6時起きで通勤しているので、現実的には厳しい。では帰ってきてから、リラックスモードに入る前にパパッと
着替えて3:16の体操をこなしてくればいい。
音源は落ちていたが、自分の逃げ道を防ぐためにiTunesStoreで購入。200円。
一日目。体操を終えてみると「なぜこんな事に?」という疑問点が出てきた。ウルトラマンである。
二日目。ある程度一日目の疑問が解けた。
三日目。かなり腑に落ちた。
アニメ刀語の主人公の姉であり、「天才」「化物」の鑢七美(やすりななみ)の特技は「見稽古」である。
大抵の技は一回見れば覚える。二回見れば盤石。
もちろん筆者は単なる凡人であってフィクションの天才とは比較にならないが、経験とは馬鹿にならない物で宮本武蔵の
五輪の書における「観の目」的な物が自動的に整理される。パターンの見切りが早くなる。おそらくゲームをあまり
やらなくなったのもその辺が原因だと思う。
まずかなりの人はラジオ体操を学生時代以来やっていないと思うし学生時代に苦になった人は余りいないと思う。
筆者も運動神経は鈍い方だったが、特に苦にはならなかった。ただ、中年の身では余裕だと思っていたが、結構しんどかった。
思い出したのは、小学校時代の運動会で保護者のやっていたラジオ体操だったのだが、それがなんだか子供心に無様に見えた。
早送り気味のチャップリンの映画のように、挙動がせっかちで芝居がかっているように見えたし、テンポも遅れている。
それから昔テレビで見た芸人のラジオ体操。余裕綽々で始めるが体操が終わってみると、半ヤケ気味に満員電車の中で
揉まれたように髪は乱れメガネがズレてシャツがズボンから出ている。オーバーアクションでもなかなか面白かったのを
記憶している。
おそらく原因は二点あって、一つは「年を取ると感情の抑制が甘くなる」という点があると思う。
動作に感情を込めると間違いなく「力む」のだが、その力みがぎこちなさや無駄な動きに繋がっている。
だから感情が豊富なオタクの言動は芝居がかっているし、機械的動きが必要な楽器演奏で情感を作り出す音楽を
やっている人は動作が軽やかで年を感じさせない。多分ラジオ体操もうまくこなすと思う。ただ、オタクも
例えば弓道のような精度を高めてくスポーツにハマれば感情を込めない動きがマスター出来るだろうし、
作品を作る方の漫画家も反復作業が膨大に発生するので技は磨かれるだろうが。
それで連想したのは「料理は愛情」と言うけれど愛情は感情だから品質にムラがあるのでは?
プロとしてそれはどうなのかな?古来からの言葉なのかな?と軽くググると、起源は
『1980年代にオールナイトフジの「結城先生の真夜中のお料理教室」や料理番組「夕食ばんざい」などに
出演していた料理研究家の結城貢のキャッチフレーズ』とある。最近の言葉だった。
どうも、どこかで「愛情を込めて歌う」という文章もあった気がするが、「心を込めて歌う」という表現の方が一般的だし、
理にかなっているような感じがある。感情を込めて歌うとロックのように力んでがなり立てるような歌い方になるか
まともに歌えなくなるだろうし、心を込めるというのは丁寧にやるということでクラシックのオペラ的な歌い方とまでは
行かないまでももっと純粋な歌唱力の問題になるのでは、とここまで考えて、筆者自身「心を込める」という言葉が
どういうことかということを厳密に理解していないなと思い、またもやググってみたが、「いかに相手に真剣に向かい合うか」
それから整理してみると、どうも感情量を増やすような構造に嵌められている気もするが、穿ち過ぎかも知れない。
閑話休題。二点目。
3日目で詳細まで分かったがラジオ体操は「前半は緩いが、ドンドンしんどくなる」ということだった。
一番始めの「腕を前から上にあげて大きく背伸びの運動」。これは緩い。ここで大抵のおっさんは油断してしまう。
粛々とこなして、「前下に曲げます!柔らかく弾みをつけて3回そして、うしろそりぃぃ」。ここで「あれ?俺テンポ少し
遅れてね?」。
クライマックスはその後の「身体を回しましょ~(`・ω・´)!!」からのコンボ。上半身をグルグル回す。クラクラする。
漫画のキャラクターを笑えなくなった。三半規管が弱まっているな……。動作も遅れ気味だ。
続けて「足を戻して両足飛びぃ~」。クラクラしている中、暗い空間をジャンプする。なるほど。これが目眩か。
SFのセンスオブワンダーが目指している領域。ゲームデザインに興味のある人ならおなじみのカイヨワの
「遊びと人間」における「眩暈(イリンクス)」。4分類(他は「競争(アゴン)」「偶然(アレア)」
女 161cm 20代
中1〜中2半ば 48キロ
〜中2冬 52キロ
その後はずっと60キロ台前半うろちょろ
痩せると言い続けて何年経ったかな…知識だけ増えて体重減らない
ダイエットするとか言って続いた事ないかも、三日坊主にもならない。
2日位で終わる。
数年前、家に1週間くらい居なかった時だけ59キロにまでなった。
それを実行して続ける方法を誰か教えて下さい!!!!!!!!!
実際は痩せる気なんて無いのかな…いや、でも絶対痩せた方がいいと思ってるし若い内は太ってたら本当もったいない。
おしゃれだってしたいし、周りから可愛いって言われたいし。男の人にちやほやされたいし、彼氏だって欲しいし…(中学卒業して以来そういうのは何もない)
どうすればダイエットが出来るのでしょう。
こんな時間に起きてちゃ駄目だと思うけど、不規則な生活正そうと
思うけど、なかなか直せない。
おやすみなさい。
自分の事振り返るたびに思う。面倒臭がりで努力が嫌いだし、結果が出ないとすぐ投げ出すし、まず行動しなきゃ自己肯定感なんて得られる訳ないのに「自分はダメだから」という文句を言い訳に使いたがるし、簡単な事すら習慣に出来ないし、いつまでもグズグズ思い悩むし、その癖無駄に高い目標を立てて一瞬で挫折するし、考えれば考えるほど自己評価が下がっていく。そもそもこんな文書いてないで行動しろよって思うよね。そうやっても大体三日坊主で終わる。自分で自分のやってる事に冷める。こんなつまんない事あとどれ位やれば良いんじゃ~って考えが脳裏をよぎったらもうおしまい。あとはいつサボりの誘惑に負けるかってそれだけ。で、結局サボってしまった事で罪悪感が膨れあがって、まともに生きてないなー、社会不適合者だなー、と思って苦しみながら今日も終わっていく訳なんですが…
http://anond.hatelabo.jp/20150507012413
上記を書きなぐった増田である。4日経ってようやく落ち着いた。
思ったよりも読まれ、思った以上に言われ放題言われていた。
その方々に届くとは思えないが、目についたところだけ、間違いのないように補足を、そして意見や提案を頂いた方々に感謝を述べるべきだろうと思い、本記事を書いた。
フィクションだったらどんなに良かったことか。俺が素面で感情のままに書き殴った本心である。釣り行為は俺は好まないし、創作文を書けるほど文才はない。
なお、増田はこれまでに数回見たことがあるだけで、前記事が初投稿、本記事が2回目の投稿である。
一から十まで書いて間違いのないように伝えたい性分なので、長いのは勘弁して欲しい。
背景を書かなければ誤解されると思ったから、書いた。
就職先はメーカー系の電気系設計職である。プログラムも多少は読み書き出来る。これ以上は書かない。
価値観が勉強をして褒められるという点しかなかったため、勉強はしていたし、成績だけを見れば大学3年までは優秀なほうにいた。
しかし、研究や社会では、勉強ができれば褒められるという観点は存在しない。あるのは、仕事ができるかできないか、の一点である。俺はできなかった。
勉強したことで就職でき、結果的に現時点では生活に困っていないことだけは勉強に感謝している。
・意識高いメンヘラ乙、高すぎるプライドと目標を捨てろ、五月病乙
たぶん五月病ではないと思う。
高すぎるプライドと目標を捨てろ、は全くそのとおりである。だができずに何年も経っている。後述する。
・お前は本当に死にたいのか死にたいならこんなところへ書いてないで死ぬだろ、生きることから逃げてるだけじゃねえの、死にたいじゃなくてモテたいだろ、ハワイでゆっくり気晴らししたいだけだろ、構ってちゃん乙 など
本当に死にたいのか、と言われると、「褒められもせず認められもせずに惰性で生きている現状から逃げ出したい」というほうが正しいのかもしれない。
更に正確に言うなら、「自分の性格のクソな部分を投げ出して心機一転楽しく生きたい」だろう。
「死にたい」のは「今のまま生きたくない」からであり、生きられないなら死ぬしか無い、という思考である。
問題は、
>俺の性格の本質は、自己中心的な完璧主義、そこそこの努力で他人に賞賛されたいと願っているゴミである。自分の思い通りにならないと泣きわめく子供である。
と書いたとおり、俺の性格の本質がこうであるということである。
高すぎるプライドなども含め、このクソな性格を変えようと10年近く悩み、負の面を出さないように腐心した。が、一向に改善せず、追い詰められると上記の問題点が出てきてしまい、台無しになる。何もしていない、ということはない。
このクソな性格を後何十年も抱えて生きて、どうして苦しみよりも楽しみのほうが大きいだろうと推定できるだろうか。
これを俺自身が受け止めきれないから、「生きたい」と思えないのだと思っている。
・さっさと死ね
投稿後、時間を置いて読みなおして、言われるだろうと覚悟はしていた。が、さっさと死ね、と言われるのを見ると堪えたし、書いた人のイライラ発散以外で言う意味ないし、ぶっちゃけ今後俺が本当に自殺に踏み切った時に、匿名だろうと自殺幇助とかと見なされるかもしれないんで、何かの拍子で捕まりたくないなら遊びでも気晴らしでもやめといたほうがいいと思った。
おせっかい乙。
・グダグダ言ってないで行動しろ、受け身の人生やめれば 系、ボランティアしたら、創作したら など
自発的に行動したことは何度かあるが、いずれも実のないものにしか感じられなかったため、精力的になれない。
ボランティアをしても自尊心が満たされるとは思えないので自発的に行く気があまりない。
これまでに創作活動などをしたりもしてみたが、受け入れられたり褒められたことはない。それよりも何より、やっていて心から楽しいと思ったことがなかった。結果、三日坊主で終わっている。
文才はない。絵心もない。あるとすれば音楽センスだろうが、創作はできない。
意識高い系だったことは間違いないので、ある程度のことは試し、失敗し、上手く行かなかったことがトラウマになっている。上手くいく保証がないと動けなくなってしまっている。これもダメな性格の一部分である。
・運動したら、肉食ったら など
一応、運動は会社の人と月数回テニスをやったりしているし、食事は十分とれている。どちらかと言うと過食気味である。
これらは一時的な逃避行動として気分を上向けるにはいいが、それ以上の解決法を与えてくれなかった。せっかくの意見に対し申し訳ない。
気力が出たら、行くだけ行ってみようと思う。
猥談も中学から避けてきて、一人で二次元エロをこじらせてしまったため、全くの無知であるが。
・こんなテーマ語り尽くされている、隣の芝は青い、俺もそうだなんという俺 等、山月記を読め、三木清を読め 等
少なくとも、他の人はこういうことを言わない、言ってくれない。言ってくれても、自分が体験したことでないので、どうしても信じられない。これはそのまま他人を心底から信用していないのだ、ということになってしまうが。
ただ、これだけあるある的な感じで広まった事実はきちんと受け止めたい。
山月記は久しぶりに読んだ。なるほど、授業で習ったあの時とは受ける印象が全く違った。
嫌われる勇気は読んだが、突然の改心で置いてけぼりになってよく分からなかった。
http://anond.hatelabo.jp/20141208003341 は読んだ。とても参考になるが、まだ自分は堂々と生きる自信はない。
文豪が140年も前におおよそ似たような思考ループに陥っていたことは初めて知った。
何故生きるか?に論理的に答えは出せないこと、信仰によって意義を与えられるのだ、そして神とは自分自身の生のことであり、それを信仰することが生きる意味なのだ、という風に読み取った。
まだ心底からの理解には及ばないが、何故生きなければならないのか?に対しての一つの答えを得られたと思う。
そうすると、死ねないとすると、否応にでも自分のクソな性格をどう対処するか、になるのだろう。
もうこれだけ手を尽くしたのだから俺自身では変えられない、宗教かクスリか、いつか出来るだろう科学による洗脳・人格交換技術に頼るしか無いと思っていたが、諦めて受け止めるか、どうにかしないといけないのか。
とても辛い。
書きたかったことは概ね書き終わった。
ネット中毒で、実生活の仕事に支障をきたしはじめて、いよいよヤバクなってきたから。
平日も毎夜、午前2時ごろまでネットしてて、お陰で朝はいつもギリギリ出勤。
始業1~2分前に駆け足で息を切らしながら席につく毎日。回りの同僚の目も厳しい。無言の圧力が辛かった。
どうせ自宅でのネットなんて、95%がオナニー材料集めなんだ。
15年間ずっとこんな生活してて、そのせいばかりではないだろうが30半ばにして、いまだ独身。彼女なし。
今からでも遅すぎるくらいだが。今ならまだ何か間に合うかもと。すべてを断ち切る思いでPCを封印した。
といってもスマホがあるからネットには繋げるし、これもスマホから書いてるんだけと。
まあ、例え三日坊主になっても、頑張ってみる。
既に今から「選挙結果をはてなや、2ちゃんねるしながら観れないけど大丈夫か?」と心配しているが、こんなこと考えてる時点でかなりヤバイのかもな。
大学に入ってからというもの、全てがうまく行かなくなってしまった。
地方の大したことない高校から東京の名門大学に入ることができた。高校の時から付き合ってる彼女もいた。趣味もたくさんあった。勉強も好きだった。サークルも気に入ったところに3つほど入った。
だけど、入学から一ヶ月も経つと、まず授業についていけなくなった。努力がたりなかったのかもしれない。教授が何を言ってるのかさっぱりわからない。あんなに高校の時は大学で勉強するのが夢だった物理学や化学や経済学に全く興味が持てなくなった。学者になりたいという漠然とした夢はあっという間に潰えてしまった。
そこで劣等感を感じていたのかもしれない。サークルの人間関係がうまくいかなくなった。というか、こちらが一方的に一緒にいた人たちのことが気に食わなくなってしまった。こうして大好きだった趣味からも離れてしまった。道具は今も大切に持っているが、趣味を楽しむような気持ちには到底なれない。
不可だらけの成績通知をもらって夏休みに入ると、今度は浪人していた彼女と別れた。彼女は僕になにもしてあげられないのに気ばかり使わせて申し訳ないから、と言っていた。そうなのかもしれない。だけど本当のところ、僕がもうどうにもならないところに来つつあることを遠距離で会えなくとも薄々感じていたのだろう。
実家に里帰りしたときもほとんど家にこもっていた。親には単位が取れなかったことと、このままでは留年してしまいそうだということだけを話した。怒られはしなかった。ただ、いくら無理だと思っても頑張って何とかするしかないだろう、とだけ言われた。
東京にもどってからは本格的に家から出ないでテレビもない一人の世界にこもっていた。今度は自分の癖や欠点がとても目立って来た。止められない爪を噛む癖。いくら頑張っても朝起きられないこと。反対に夜寝られないこと。三日坊主。物忘れ。あとは物をどこに置いたか忘れること、これは一番辛い。一日二回以上スマホをどこにおいたか忘れる。たった六畳のワンルームの中でそれを10分以上探している間中、自分はなんてダメなんだ、こんな簡単なことができないなんてという考えがずっとのしかかってくる。こんな人間、社会に出たってどうやってうまくやっていけるんだと考えたら目の前が真っ暗になる。これまでの人生、それなりにうまくこうした欠点と付き合ってきたのにそのバランスが一気に崩れてしまったようだった。自分のすること、自分の考えてること全てが自分をじわじわと殺さんとしている。死ぬ勇気はない。ただ心だけがどんどんすり減っていく。本当に参ってしまった。
ここは糞みたいな日記を垂れ流しても構わない場所だと聞いたので思い切り垂れ流す。
1日目。
「俺って、こんなにマトモなのに童貞なのですよ!」と堂々と言えるために。
そのために、まずはだらしない腹を引き締める。
昼前に船橋のららぽーとへ行き、ジョギング用のシューズとウェアを購入した。
三日坊主にならないための戦略だ。モチベーションを保つ秘訣は出費なのだ。
2日目。
昨日のジョギングのせいで体中がバキバキになっていたというのもあるが、折角の連休なのに誰とも会話していないし会話する予定もない、己の現状に嫌気がさしたのだ。
予定していたヒトカラも中止して、家で酒を飲みつつ漫画を読んだり、会社の気になる後輩の名前を検索したりした。
気がつけば夜。バーに行くと出会いがあると聞いたので行ってみたが、そんなことは全くなかった。
壁に面した席で、独り黙々とナッツをかじるだけの時間だった。
10時間位飲みっぱなしであることに気づき、俺はもう駄目なのかもな、と少し泣いた。
ちなみにこの日は二回自慰した。
3日目。
飲み過ぎと自慰のし過ぎと寝不足で目眩がしていたが、ヒトカラに行ってきた。
俺は正直、歌だけは少し自信があるんだ。そして俺は歌うことが物凄く好きだ。
だから独りでも歌う。
一時の快感と高揚感。そして終わった後の虚しさ。
何も残らない感じ。
歌ったあとは酒だ。
ひたすら飲み続ける。
一応、プリン体ゼロを謳うビールやチューハイを選んでいる辺りが、みみっちくて我ながら滑稽だ。
飲みながら自慰をして、更なる虚しさを味わったあと、猛烈な人恋しさに襲われてしまった。
結局、この三連休、誰とも会話をしなかった(店員等は除く)
こんな生活をいつまで続けるのだろうか。
刺激が酒と自慰とカラオケしかないなんて、もうウンザリなんだよ。
10年後もこんな感じで生きているのか?
想像したくない。
体重が一定の数字を超えると発作的に筋トレを始めるのだが、いつも三日坊主になってしまっていた。
今回はそれが比較的長く続いていて、ちゃんと体重も減っている。
メニューの内容は腹筋・腕立て・スクワット+αという感じなのだが、フルセットやるのは稀。
一番手軽にできるのは腹筋で、PC前に座りながら(椅子でなく床に座っているので)、ちょこちょこやる。
で、とりあえず腹筋だけはやっておくか~という感じで始めると、調子が出てきて、じゃあついでに腕立てもやるか~みたいになる。
厳密にメニューを決めない事で、ノルマ達成できなかった敗北感や、筋トレ始める際の心のハードルが軽減されて、続けるのが楽になる。
買い物に行っても着たい服が着られないことにつくづく厭気が差し、減量取り組みを決意。
・三日坊主防止対策としてtwitterでジョギング開始を宣言。
・1日走ったら最低1日は休むルールを定める。
(ヒザ痛対策と、毎日走らなければ!→できなかったからヤメ、というルート回避のため)
・ダイエット(食餌療法)はしないことにしていつも通り食べる。
足に合ったランニングシューズを購入(ゲルカヤノ17スーパーワイド)
気に入った新作ウィンブレも定価で買う(高かった)
・ヒザ痛に悩み始める。
開始より-10kg。
このころ1回30分ほどのランを月に6~8回程度。
3.5kmのコースを2周できるようになった。
冬場は発汗量が落ち、減量効果が下がるが現状維持できればよしとする。
開始より-15kg。
ハワイへ行った際にワイキキビーチをランパン一枚で走る暴挙に及ぶ。
ヒザ痛本格化で気温の高い減量ハイシーズンに走れず、体重が戻り始める。
調子がよければ2~3周。
瞬間的に体重が78kgを超えて決意を新たにする。
18時間/月。
往復15kmのコースが「いつものコース」となる。
もう体型を戻さない決意。
履けなくなった大きいパンツを履いて
ウエストをヘソの前でビローンと広げる例のポーズで写真を撮ってから処分。
楽しそうだとは思うが、マラソン参加が自分と関係あることとはまだ思っていない。
全治3ヶ月でほぼ走れず。
2足目のランニングシューズを購入(asics GT-2000NYスーパーワイド)
1足目でここまで通算2800km、300時間走る。消費カロリー20万kcal。
初マラソンに向けて30km走に挑戦。
2度目の30km走。
タイムが前回より30分縮まる。
3度目の30km走。手応えを感じる。
減量し始めのころ買った思い出のウィンブレを着て走る。
372時間
25万kcal
3460km
項目別で見るとかなりがんばってるね。
文章では読み取れない部分の「質」を少しずつ上げてみるっていうのはどうだろう。
(1) 測定
「体重を減らす」だと漠然としているので。体脂肪率を意識すること。
市販の体脂肪計は測定条件で差が大きいから、目安程度だけどね。
(2) 食事
食欲を無理に抑えるんじゃなくて満足感を上げてみる。
(3) 運動
できれば土日+平日のどこか1日で週3日くらい欲しい。
(4) 生活
運動にいれても良いかもしれないけど。
雨降った日のジョギング代わりに雑巾がけの拭き掃除なんてどうよ。
もっと詳しい人はたくさんいると思うけど、ついカッとなって書いた。
かなりがんばってるので、もう一押しの工夫で成果が目に見えると思うんだ。
あるのかな?
感受性の強さというのはものごとから芸術性、メッセージ性を受け取りやすい性質なわけだけど、これは別の側面から見ればある意味影響されやすさ、傷つきやすさにも繋がるわけで、この情報化社会で一つ一つの情報にいちいち影響を受けてたら一貫した言動を貫くのが難しくなってくると思うんだよね。
俺なんかがまさにそれ。もう影響されまくり。はてブを見てても炎上記事を見てなんとか一言言ってやろうとコメント考えたり、料理のエントリーを見ればこれ週末作ろうかななんて思っちゃうし、ライフハック系で自己啓発のエントリーを読んだら俺も今後は嫌なやつ見たらこうやって対処しようなんて思い、見ないと損する映画10本、なんてエントリー読んだら週末TSUTAYA行って4本くらい借りてしまう。借りる瞬間は土日使えば全部見れるだろと思ってるけど、経験上全部見れたことは一度も無い。
その時は良い記事だからずっと続けようと思うけど大抵続きはしない。三日坊主どころか一日も続かない。ひどい時は何も行動を起こさずに忘れる。だって次の記事読んだらすぐそれやろうって思っちゃうんだもの。
俺には人生の大きな目的があって、それに向かって邁進しなければならないのに、雑多な情報にすぐ影響されて軸がどんどんブレていく。
ネットははてブだけじゃない。情報ツールは山ほどある。Facebook、Twitter、Line、YouTube、ニコニコ動画。ネット以外でもテレビ、ゲーム、ラジオ、本、映画。いろいろ見ていたい、新鮮な情報に触れていたい。時代遅れな人間にはなりたくない。でもダメだ、こんなんじゃ。一日は24時間しか無いんだし。
やっぱり情報を遮断するしかないのかな。以前は「俺テレビ見ないんだよね」って言ってる人に対して何かっこつけてんだよ、って思ってたけど今は何となく分かる。人生に大きな目的がある人間は、自分の感受性の高さを認めつつ雑多な情報に無駄遣いしたくないんだろう。現実的な方法だとは思うけど、初期値が間違ってたら時間が経って大きくブレそうな予感がする。
それか情報を見る時の脳内フィルタリングをうまく作り上げるとか。自分基準の良し悪し、好き嫌いを明確にして無視すべき情報について考える時間を早めに遮断する、とかね。でもそれが俺個人にとって正解かどうかは一生わからなそうだなあ。というか昔そういうエントリーを読んですぐ忘れた記憶が・・・。
結論から言うと「自分を正しく客観視できていないから」です。 (※ただし中毒や依存症は例外とする)
デブが決意してダイエットをするも成功しないで終わる理由 「自分はどのくらい太っていて、普通体型になったらどれくらい得をするか」 をわかっていないから。
今まで落ちこぼれだった受験生が決意をする も、志望校に受からないどころか三日坊主で終わってしまう理由 「自分はどれくらい勉強かできなくて、現実的に考えてどのくらいのペースで勉強すれば志望校に受かるか、また志望校に受かるのと受からないとではどれくらいの差(損得)があるのか」 をわかっていないから。 (もしそれを理解していたなら志望校に受からずとも結果はでるし今までのダメな自分よりは 「変われる」はずです)
決意をしたのに変われない人っていうのは、そ の決意が偽物だったわけでも量的に少なかったわけでもなく、ただ単に「自分を正しく客観視できていなから」ってことでどうでしょう。
なんか思いの外マトモな答えが来た。
頭じゃなるほどと思ったけど実行に移すのが大変なんだな。
やるところまでは行くけど実際楽しいと思えないと続かないんだ。
単に堪え性がない三日坊主とも言う。
Webゲームっていうか、ブラウザ上で動くような奴。PHP(5.3)で突貫工事したので、ペラペラな感じだけど、なんとか公開できて、たまに遊びに来てくれる人がいて(一時はVIPに募集スレも立ったらしい)、何戦かして帰っていくので、とりあえずサーバー代を払った価値くらいはあったかなーという感じ。
で、どういうゲームかっていえば、人狼みたいに「陣営に別れて、決められた目標をクリアするゲーム」です。
『レジスタンス』っていう卓上ゲームというのかな?それを参考にして作りました。
ちょうど開発してから、一ヶ月程度になったので、宣伝をかねて、現状みたいなのをメモ。
一応、前提としては、Pythonだったら、何かしらのシェルプログラムを書いてcronしてるけど、それ以上のことはしていない程度の、技術ワナビー。
ほぼ業務経験なし。継続してスクリプトを開発したのは、今回が始めてという感じ。
単純にPHPで何か作りたいなーと思ったから。一度はPHPを書くべきだなあと思ったりした。それで、何かいい題材ないかなーと思って探してた。
「昔、人狼BBSで遊んだことあるなー、でも同じ人狼のゲームを作っても芸が無いしなー」と考えていたところ、知人と遊んだ『レジスタンス』ってゲームにピンと来て、「こういうゲームをWeb上で遊べたらいいかな。調べたところ、Web上でも人狼っぽいって言われるし、上手くそういう層にアピールできそう」ということで作り始めたのでした。
とはいえ、最初は勢いで書き散らしたので、本当にClassとかまったくなかった。それを徐々に整え直して、なんとかファイル分割できるようになった。それでも、全く足りない。具体的には下のような部分が汚い。
本当はCakePHPとかそういったフレームワークを使えば良かったんだろうけど、「重いんだったら仕方ないしなー」というわけで、フレームワーク無しで使ってみたんだけど、結果として表示部分にやたらと処理が入って醜いったらありゃしない。
表示部分と、実際のシステム部分はわけられるべきだし、フレームワークを使わないまでも、そういう風な機能分割は必要。
で、そういうコードを書いたせいで、下のようなことが起きる。
PHPUnit使ってユニットテストは書いているんだけど、まったく足りない。
全部グリーンにはなるんだけど、実際に動かしてみるとバンバンエラーが出る。
幾つかの関数はテストを先に書いたりしたんだけど、表示部分とかは「ここテスト書きにくいから誤魔化しちゃえー」といって書いたりした。
で、何が起きるかっつーと、リファクタリングするときにガンガン機能が落ちる。そして死ぬ。
さすがに一つのClassが1000行くらいになってきたので「うっわー、これは駄目だわ。分割するべき」って、ゴミみたいなコードに手を入れ始めるんだけど、全く歯が立たない。
とりあえず、既存のテストはグリーンになるけど、どこかで処理がつまづいているという状態でこれは駄目。
「うわ、この部分、テスト書きにくい!」って思った時点で、何かを嗅ぎつけてちゃんとテストに落としておけばよかった、と反省することしきり。
結果として手作業で複数ブラウザ起動して……みたいなことになっちゃう。バグの温存。
CSSとか勉強のために、自分で1から書いているけれども、これは本当にだるい。
知人から、綺麗にコードが書けるから、と薦めてもらったSaSSを使っているけれども、なかなか綺麗にできない。
一応、Twitter BootStrapは知っていたけれども、それに頼るよりは一から書こうと決心して書いたためか、ようわからないし、デザインとしてもこなれていないために気持ち悪いことになっている。
上記のフレームワークについてもそうだけど、流行っているものには、それなりの理由があって、それをわざわざ避けても、結果として、それ以上のものは(素人に毛が生えているくらいでしかない以上)ならないような気がする。
ならばとっととそういうものを使って、さっさと済ませてしまえばよかったなーと思ったりした。
ゲームという性質である以上、どんどん情報量が増えていくために、そういうのを表示しまくっていると、本当に画面がぐちゃぐちゃになる。
セキュリティーには本当手をつけられていない。(徳丸本読めという話になると思う)
(略)
で、本当にボロボロになりながら作ってみて良かったことをメモしておく。
自分は割と現実逃避の為に何かに没頭することがあって、その逃げ先としてプログラミングっていいなあと思ったりした。
あと、自分が書いたコードがヒョコヒョコ頑張っている姿をみていると、すごくかわいくなる。形にもなるし、「こういうものを作ったよ」とも言える。それは単純に楽しい経験。
元々、自分が好きそうなものから題材をピックアップしただけあって、自分が作っているものが、自分が一番愛用しているというのは幸せなことだなと思う。
自分が楽しむためのものだから、自分が一番のユーザーであるし、自分が快適に使いつづけるために改良を続けてる。
人から「こうしたらいいんじゃないの?」というのも勉強になるし、自分がちゃんと&楽に機能を拡張できるように、ちゃんと勉強しようとも思う。そういうのは本当にいい循環。
大抵は、自分が使うから自分だけのものだったので、あまり他の人が使ってくれることを期待していなかったんだけど、今回のは、ときどき遊びに来てくれる人が居る。
例えば、VIPでスレが立ってたり、あるいはニコニコ生放送でプレイ実況を配信してくれたり。
割と「くっだらねー」と思うけど、一人で細々と開発していると、そういう些細なことが嬉しかったりする。
なので、ついついみてしまったり、場合によっては、プレイしているところをいつまでも一緒に徹夜して観戦していたりする。人のプレイしている姿が楽しいというのも、自分が作って良かったなあと思う。
逆に言えば、使ってくれる人がいるからこそ、一ヶ月間開発が続いているようなもので、「ああ、自分のプログラムで楽しんでくれる人が居るんだな」という手応えみたいなものが、モチベーションになっている。
遊んでくれる人が見えるというのは、自分にとっては、モチベーション維持に大切になってる。
だいたい三日坊主で終わっている自分としては、開発が長く続いているほうだと思う。
目指すところは、もっと綺麗なソースコードにして、Githubで公開すること(いや、もうアカウントは既に持っているんだけど、公開するのは凄く恥ずかしい)。
日曜日の午後。
3年と10日付き合った私達に終わりがきた。
はっきり別れたっつーか、
まあ「距離を置こう」と言われのだが。
これってどーゆー意味なんだろう?真意は?と思ってぐぐってた。
多くの人は、距離を置く=別れの1パターンとみるようだ。
本気で復縁したいなら、定期的に連絡を入れたほうがよいとも書いてあった。
うーん、どうなんだろう。
一日の終わりに交わす会話がなくなったのは、かなり寂しい。
一生この人を愛そう、そばで支えたいと勝手に思っていた。
別れるなんてありえないと思っていた。
しかも、まさか振られる側とは。
まあよくある話なのかね。
飲み会の回数は格段に増え、結果私と会う時間は減り、当然セックスも減っていった。
増えていったのは、同期の女達の話。
他に好きな女がいるの?
いや、出来る気配は全然ない。
といいながら、やっぱり目移りしちゃうんだろうね
…求む!
会社からの補助はでないけど、てっとり早く駅前留学しかないかなと思ってる。
でも、時間とお金が足りないので、もし他におすすめがあれば教えていただけるとありがたいです。
スピーキング能力はある程度の会話ができればよい。あいさつぐらいならできるとは思うが1人だとどうなるか自信がない
ここまで自分で書いて、駅前留学の必要あるのかと思い始めたが、
どーも自宅学習というのが苦手な性分で、昔買ったヒアリングマラソンは見事三日坊主で終わった。
勉強になるかはわかんないけど、とりあえず何も触れてないよりはマシだろうとNHKの語学系番組と海外ドラマを見てシャドウイングの真似事をしている。ラジオは電波が入りづらくて断念。
読者=将来の自分って考えればどうだろう。
あの時青かったな、とかむずがゆくなれるよ!
やめてしまうのは勿体無いなー、と思ったり。