はてなキーワード: スタンスとは
Fischer’sというYouTuberが炎上しているらしい。
最近の若者(彼らは27歳らしいので若者と言っていいかは微妙だが)は、とにかく「自分がどう感じたか」が世界の全てだ。
救急側の言い方に気分を害する気持ちはわからんでもないが、自分たちの行動を省みる気はないのだろうか?
自分が救急側で、「大丈夫か?コロナではないか?」とか思いながら行ったら、患者の関係者は呑気にカメラを回していた。ともなれば、腹立たしくもなるだろう。
にも関わらず、「こんな酷いことを言われた」「自分は被害者だ」というスタンスで新たに動画をあげ、ファンに「あなたは悪くないよ!」と言われるのを待っている。
ちなみに、個人的には救急側の言い方にはモヤっとする部分もあるし、手遅れになってはいけないから救急車を呼んだことに関しては何の落ち度もないと思う。
ただ、やっぱりカメラを回している=余裕がある、と思われてしまうのは仕方がないとも思う。
自分は気分を害した=自分は被害者で相手が加害者、という図式が成り立ってしまっている。
そしてそれを自分の心に留めておくこともできず、周りに言って回ってしまう。
幼すぎる。
人に見られる立場なんだから、もっと考えて行動してくれと思うのであった。
その点やっぱりHIKAKINはすごいな。
お前はGoogleFormsに連絡先入力欄を設置することすらできないのか。
なるほど。
貴殿がそもそもこの件で、オープンレターの署名がどういうものだったか見てない事がよく分かった。
連絡先入力欄はね、あったんだよ。(任意)って書かれてるけど。
今回の件で、事務局は氏名と肩書さえ得られば良いというスタンスで署名をとっていたというのは理解してるな?
「Change.orgなんか」って書いてる時点で違和感があったが「十分な量の個人情報を入力させた上でリアルワールドで本人確認する」しか道は無いと思い込んでる時点で脱力した。
「見当違いにも程があるわ。」って書いてる割には逆に呆れるわ。
カードキャプターさくらがあんなに大ヒットをしても
アニメのファンの数からすればCLAMPの原作漫画まで読む男は少なかった
https://anond.hatelabo.jp/20220120120358
「女性差別反対に賛同しますよね!」と署名を強いられた学生は多数いると思うし、
「あの人も賛同してると思う!」と名前を勝手に使われた研究者も多数いると思うけど
勝手に名前を使われているのに気づいたところで「自分は署名してません!」なんて人文系の空気の中で言える訳ないよね。
法的手続きによらず人民裁判でテニュアを奪われた様を見た人文系の学者や学生たちがこのカルチャーにNoと言えるわけがない。
「お前は女性差別反対に賛同しないのか!」と言われたら従うしかないのが現在の人文系の有様なのだ。
自分たちは被害者であるというスタンスを取りつつ攻撃を止めないのが現代における最強の権力者なのだが、
こんだけ外部からオープンレターの運用や活動のあり方が批判されてるのに、内部から全く声が上がらないのはそのためである。
彼女たちにおかしいと思っても声を上げられない男性ばかりなのだ。
30歳を過ぎて人文系の研究しかしておらず、この先人文系学者の仲間うちの評判を買うことで飯を食うしかない。
ちょっとでも批判をすれば二次加害と認定され、呉座氏のように追放されるかもしれない。
地方の社長の娘として生まれていれば職も気にせず発言も出来るだろうが、哀しいかな、大半の研究者は貧乏である。
それでも理系のような真実や事実が科学的に実証・反証される分野であれば学者たちは自分たちの意見を自由にぶつけ合えるが、
昨今の人文系はあらかじめ「真実」や「正義」はジェンダー学者たちによって定められているだけなのだ。
この権力構造に気づいたときにはもう引き返せないところまで来てしまっている研究者、博士課程の学生が大半である。
彼らは自分の名前をオープンレターに使われているのを見つけても「呉座にならないように」と自分に言い聞かせて口をつぐむだけである。
まずイデオロギー論争に入れられたくないので,当方30代後半男性,新型コロナワクチン2回接種済み.
事実と科学的な視点で医者に質問がしたい.(ワクチン推進・反対というどちらかに誘導したいわけではない)
まず最初に言いたいこと.コロナは風邪だとか,反ワクチン,反マスクだとかいうつもりはありません.
手洗い,マスク,ソーシャルディスタンスなどの感染予防策を今後も続けていくべきだというのが私の基本スタンスです.
工学の人間は黙ってろ,医者しか判断できん!という方は,こちらが判断できるよう下記の論文についての解釈をしていただけると嬉しい.
1. NEJMの論文について
Mevorach, Dror, et al. "Myocarditis after BNT162b2 mRNA vaccine against Covid-19 in Israel." New England Journal of Medicine 385.23 (2021): 2140-2149.
https://www.nejm.org/doi/10.1056/NEJMoa2109730
この論文ではイスラエルにてワクチン2回接種後,16~19歳の男性は6637人に1人の割合で心筋炎の発生リスクがあると書かれています.このリスクは低くないものだと思います.
2. medRxivの論文について
Sharff, Katie, et al. "Risk of Myopericarditis following COVID-19 mRNA vaccination in a Large Integrated Health System: A Comparison of Completeness and Timeliness of Two Methods." medRxiv (2021).
https://www.medrxiv.org/content/10.1101/2021.12.21.21268209v1
medRxivではありますが,米国12〜17歳男子の接種者2650人に対して1人, 18〜24歳男性の接種者1860人に対して1人の割合で心筋炎の発生リスクがあると書かれています.
1, 2を見る限り(他の国の論文もあり,大体同程度のオーダーです)若者のワクチン接種による心筋炎リスクはどうやらありそうだと思います.これは事実だと思っています.
でも,(A)ワクチンには重症化予防効果があったり,(B)若い人が周囲にうつさないようにする感染予防効果があるので,
トータルとしてみて,接種した方がいい,というのが現在の医学的な流れだと思います.
3. ワクチン接種率100%,ブースター接種率も81%のジブラルタルで感染爆発が起きています.
ジブラルタルの新規感染者数:https://ourworldindata.org/explorers/coronavirus-data-explorer?time=2021-02-01..latest&facet=none&Metric=Confirmed+cases&Interval=7-day+rolling+average&Relative+to+Population=true&Color+by+test+positivity=false&country=~GIB
ジブラルタルのワクチン接種率:https://ourworldindata.org/explorers/coronavirus-data-explorer?time=2021-02-01..latest&facet=none&Metric=People+fully+vaccinated&Interval=7-day+rolling+average&Relative+to+Population=true&Color+by+test+positivity=false&country=~GIB
この事実から,このワクチンは感染予防効果がないということが示されると思います.
つまり,若者が接種することで高齢者にうつさないという当初の目論見は達成できないということです(大変残念な結果ですが)
そして文献を挙げるまでもないことですが,若者はそもそも重症化リスクが低いですので,
(A)ワクチンの重症化予防効果から得られるメリットはありません.
すると,現在までの知見を総合すると,高齢者や基礎疾患などのリスクがある人に向けて引き続き新型コロナワクチンの接種を推奨し,
若者や子どもはこれまで通り普通に暮らす(手洗い,マスク,ソーシャルディスタンスなどの感染予防策を続ける)で良いのではないかと思うのです.
なぜこの結論にならないのかというと「若い人たちが打たないような危険なものであれば,私たちも打ちたくないわ〜」と高齢者や基礎疾患などのリスクがある人たちが
言いづらくするために全員に打たせているようにしか思えないのです.
それは社会運動のやり方として正しいのかもしれませんが,科学的な態度としてはどうなのでしょうか?
新型コロナワクチンが必要であるが不安な人たちに接種を推進するために,若者に文字通り体を張ってリスクをとってもらって,安心を与えなきゃいけないものなのでしょうか?
上記の考えの間違いを教えていただければ上記の考えを100%撤回し,今後も若者にワクチン接種を推奨していきたいと思います.
意味がわからないのだが、なぜお前は俺と元増田が同一人物だと思い込んでいるんだ?
❶ 「唾液がなみなみ入った」は唾液が入った水がなみなみ入ったコップを意味すると解釈した。
❷ 字義通りの嫌いだったなら、なるべく関わないように退けるだろう。元増田が受けていたような虐待は、むしろ愛や憎しみに属する。支援しつつ嗜虐するのは DV のよくある形態だ。想像力に欠けると読解もできなくなる。
だけどちゃんと論理を扱えるなら、それでも筋の通った結論にたどり着くことはできる。
ねえ。
なぜこの後に及んでまだ、矛盾を取り除く注意を払わないの?
理屈の合わない異常な文章などと宣ったと同時に、理屈の合わない異常な文章を提出するのはなぜ?
自分は狂っています、って表現するのには、たった 11文字で十分だろう。
自虐で病気をネタにされても、憐れみしかでない。とても笑えねーよ。
匿名のインターネットで「こいつとこいつは同一人物なのでは?」と疑うのはやめておけ。
「同一人物だ」は証明できるが、「同一人物ではない」は証明できない。
証明できないことを勘ぐって執着するのは、狂人への階段に踏み出している。実際、同一人物だと思い込む妄想は統合失調症の認知機能障害によくある。
旧来のジェンダー観ってなに?そして男性はみんなそれに染まってるの?若年男性は辛うじて「染まりきってない」やつもどこかにはいる、とかなの?なんなのその男性観。人の偏見には意識高いのに自分の偏見感知するアンテナは死んでんな。
その男性観が間違っている理由を一切言ってない。旧来のジェンダー観とは何か、発言者に聞いてないし調べようともしてないよね。偏見を喝破しようとするのに言ってる自身は無根拠に自分の考えを信じ込んでいる。
依存心強いタイプの女が欲しがってるシーンを見たことがあるの? ワンストライク。
そんなんホストか、詐欺師か、媚びまくることでコミュニティに居場所を作ろうというスタンスの精神的に歪んだやつで、どれであっても健全な存在じゃない。
ホストは健全な存在じゃない。それ、実名のアカウントで言ってみろよ。ツーストライク。
だいたい描いてるのが若くも男性でもない人で、
若い男性じゃなかったら、リアルな若い男性を書かないなんてそんな馬鹿げた話はない。作者の性別年齢は創作キャラクターの実在性を論ずる際になんの説得力も持たない。すべての創作は現実世界を観察して、空想の中で作られるもの。スリーストライク、バッターアウト。偏見にまみれながら偏見を指摘する死んだアンテナ持ちはバッターボックスから退場してください。ちょっとは反転して考えるってできないの、とは誰の言葉だったかしら。
読者をどうしたいか、って狙いは作家の多くにあると思うけどさ。それをイチイチ、ずるさだのとあげつらうのも歪んでると思うよ。逆に、ずるくない作家って一体誰だよ。
迎合的なへつらいに満ち溢れたサービス精神で生み出された理想像だとしてさ、発言者はそこに「旧来のジェンダー観に染まりきってなさ」を見出して、そういう男性はいるかもしれないって希望を言ってるんでしょう。整くんそのものな人がいる、とは言ってない。
彼本人の設定上の下心の有無も、作者の意図も関係なく、理想の限定的な一部分をピックアップしている。オタクの熱弁だって同じことだ。主張が乱心なのかは「こういう子」がどこまでを拾っているかによる。
フィクションの感想を全面的に現実と混同していると拡大解釈して、勝手に恐怖する。そういうこと言い出すやつがいるからキショ怖いんだよなあ。
>もし現実で整くんみたいな言動する若い男がいたら逃げた方がいいよ。そんなんホストか、詐欺師か、媚びまくることでコミュニティに居場所を作ろうというスタンスの精神的に歪んだやつで、どれであっても健全な存在じゃない。
旧来のジェンダー観に染まりきっていない若年男性、いると思うけどなぁ。『おかえりアリス』の慧くんの『女性になりたいわけではなく男性を降りた』というセリフを思い出す。
2022/01/14
こういうこと言い出すひといるから怖いんだよなあ。
「旧来のジェンダー観に染まりきっていない若年男性」とかいう言い方がもう何重にも偏見バリバリなのを自覚してほしいわけ。
旧来のジェンダー観ってなに?そして男性はみんなそれに染まってるの?若年男性は辛うじて「染まりきってない」やつもどこかにはいる、とかなの?なんなのその男性観。人の偏見には意識高いのに自分の偏見感知するアンテナは不調やな。
この人の偏見とは無関係に、いまの若い男性は中年世代とは感覚が違うのはその通りだよ。
けどさ、ポリコレアフロの整くんの言動はそういう「現代の若い男性のフラットなリアル」なんかとはかけはなれてるでしょ。
常に女の立場で、依存心強いタイプの人が欲しがってそうな言葉を言いまくってるわけじゃん。すんごいケアラーが常に発動するわけじゃん。
こんなんリアルじゃないし堅気でもないでしょ。嫌な言い方をすればこれポリコレポルノじゃん。
いやコンテンツとしてそういうのがあるのは全然いいしいやしむつもりもないんだけど、こんなのが現実にいるって言い出すのはキモオタが萌え漫画のやたら都合のいい女の子見て「こういう子リアルにいると思うけどな!」って熱弁し出すのと同レベルのご乱心じゃん。
もし現実で整くんみたいな言動する若い男がいたら逃げた方がいいよ。そんなんホストか、詐欺師か、媚びまくることでコミュニティに居場所を作ろうというスタンスの精神的に歪んだやつで、どれであっても不用意に付き合える存在じゃない。
萌え漫画の女の子みたいな言動の女が実在したら、お水か、いただき女子か、オタサーの姫狙いの痛いメンヘラかだと思うでしょ?それとおんなじよ。ちょっと反転して考えるって出来ないのか?
整くんの言動はフラットとか偏見がないとかそんなんじゃない、サービス満点の迎合的なへつらいに満ちてることを理解してほしい。
そういうへつらいなのにへつらいとしては言わせておらず、ボケた人格や遠い目によってへつらい性を誤魔化してるんだよね。そこが人によって激しく嫌悪感を感じるとこなんだよ。
だいたい描いてるのが若くも男性でもない人で、その人の欲望で描かれてる(それはよいこと)んだからさ。そんなもん読んで「こういう若い男性いると思うけどなあ」とか寝言こく読者だけが悪い。萌え漫画で女を語る童貞オタク並みなんだよ。
整くんがもっとあからさまにイケメンで王子様キャラや俺様キャラでわかりやすく女の味方しまくるやつにしたら、いまのポリコレアフロアンチのかなりの部分は消滅すると思う。それなら潔いからね。
ただそうするとフィクションによる接待があからさまになるので、「こういう若い子ほんとにいると思う!」とか寝言こく系は釣れないし、自分が接待フィクションを読んで楽しんでることに開き直れない半端者も気持ちよくなれないので、パイは狭まってしまう。この潔くない誤魔化しも読者のためのサービスなんだよね。
ポリコレアフロはつまんなくはないけど、そういう熟練のベテランおばさん作家のずるさがはっきりと目に見えてはいて、頭悪いファンや潔くないファンがそれに乗っかり転がされてる構図はある。
異性に都合のいいキャラってどうしても同性から見たら違和感あって鼻に付くんだろうね。男性だとこういうこと言っても不細工やジジイの嫉妬だと叩かれないのは羨ましいね。
2022/01/17
相当何度も言ってるけど俺は整くんもポリコレアフロという作品もアリだと思ってるし嫌いじゃない。まだ途中だけど一冊ずつ楽しく読んでる。
都合のいいキャラが鼻につくんじゃなくて都合のいいキャラと現実を混同したがる一部の消費者にそれはやめんさいと言っている。
あくまでフィクションとして楽しんで整くんの言動でちょっと楽しかったとか元気出たみたいな人にはその楽しみに水さすようなことはいいたくないしすぐポルノとか言い出すのだってほんとは強すぎる言葉で嫌だなと思う。
ポリコレアフロは現実の問題に絡めて異性(男性)を否定したり説教したりしていく展開が結構あるのでただのイケメン王子様コンテンツよりは消費のしかたが難しいけれども現代日本のコンテンツ消費者はこれくらいうまく消化しなけりゃいけないと思うよ。
そこで分断が起きるのは社会思想全般とある種の障害で、どちらもフィクションと現実の区別をうまくつけていくことを困難にする。
たとえば現実とは切り離してただ「尊い」と拝む消費のしかたはとても練られたもので、そこまでいけてない人がフィクションを読んで楽しいなではなく現実への不満や憎悪を育ててしまう。
あんたがいまの俺と似たシチュエーションで不細工とかババアとか言われたことがあるらしきことについて、
誰かがフィクションをフィクションとして楽しんでるところにあなたが「こんなのいるわけないでしょ」とお節介やきに入ったんなら
それはまあ罵倒で返されても仕方ないと思う。
そうではなく現実との混同について異議申し立てして罵倒で返される話であれば、
いま俺も罵倒されてるし、女の場合はバカからブスとかババア言われるだろうし
男の場合はミソジニーとかネトウヨとか童貞とか「こいつは読んでない!」とか言われる。
俺がそういう遠吠えをどれほど聞いてきたか。でもなんとも思わねえ。
具体性のない反論やキャンキャンキャン!みたいなの心底どうでもいい。バカな声百対俺一でも俺が正しいのだから。
俺はネットの議論においてそういうのは対等扱いしてないのであんたもそうするといい。
現代日本のフェミニズムは、傷ついた人間が慰め合うセラピーの看板のような機能を持っていると言える。
エンパワメントとかシスターフッドという言葉が好まれるのもその一環と考えらえるし、そんな前向きな所まで至らない、まず苦しみや怒りを吐き出させてくれという層もいるだろう。
弱者にとって慰め合う場があるのは良いことなのだが、セラピーとしてのフェミニズムと、学問や言論としてのフェミニズムが分離されていないために、言論としての信頼度は弱まってしまう。
それが、フェミニストはメンヘラだとか他人の幸せを許せないだとかミサンドリストでセックスヘイターだとかの批判に繋がってしまっているのだろう。
私自身も精神疾患持ちなので、精神が弱っていること自体を批判する気はないのだが、セラピー的な語り合いと、学問的討論がごっちゃになっている状況は大いに問題視している。
冷静な研究者と、傷ついている当事者は、兼任しようとすると問題が生まれやすいのでどちらか片方だけの立場に立つべきなのだ。
〇 冷静なフェミニズム研究者が、「困った女性のための駆け込み寺やセラピーの場や、肯定しあえる関係は必要だよね」という学問的理論を組み立てるのはOK
〇 セラピーに集まる傷ついた人たちが、フェミニズムの用語で理論武装することも、武装しつつ過激な主張をするのもOK。(セラピー的な場の発言は、過激なことや邪悪なことも原則許されるべきである。その反面、そのまま社会への要求として世の中に伝えるべきではない)
× 自分に傷が深く残っていて冷静な振る舞いができない人間が、研究者としての発言力を得て、セラピーで患者としてするべきな過激主張を研究者の立場でしたり、他のセラピー患者の内面吐露をちゃんと検討せず世の中にぶつけたり、学者同士でも肯定しあう関係じゃないと耐えられなかったり、そういうのはNG
フェミニズムという看板のもとに、傷ついた人々が集い、辛さや怒りを語り合い共感しあい心を癒そうとする様子は、当事者会に近い。
当事者会自体は、様々な依存症や障害、事故被害者などについて行われており、有用なセラピーと言っていい。
だが「セラピーとしてのフェミニズム」の問題は、当事者会で癒される患者と、当事者会を監督したり理論を語る研究者がかなり重なってしまってるということだ。
要するに、患者がセラピストもやってしまっているという問題が、「セラピーとしてのフェミニズム」にはある。
全てのフェミニストが病んでいると言っているわけではない。
だが、SNSのそこら中で行われている「セラピーとしてのフェミニズム」当事者会の多さに比べて、監督できる冷静な研究者は全く足りていない。
普通の当事者会やセラピーは、福祉や医療や臨床心理士といった専門家によって研究と理論化がされ、社会に対して有用性が主張され、会の時にはその場にいて見守ったりもするはずだ。
傷ついた当事者たちの語りは、しばしば自己中心的だったり理屈が通ってなかったり乱暴だったりするが、それは回復に必要な心の解放だ。
それがそのまま社会への要求として世の中に出されたりはしないので、当事者会で語ったことが間違ってるなんて責任を問われることもない。
客観的な専門家が当事者たちの感情吐露を分析して理論化した上で、必要な部分は社会に訴えるようになっている。
だから、傷ついている当事者が冷静さを求められたりはしないし、当事者がヤバいことを主張していても研究者や研究分野の評価が下がることもない。研究者が監督しているから当事者同士の会話が過激化するエコーチェンバーも防げる。外部の一般人が当事者の無茶な話を直に聞かされて、振り回されて悪感情を持つこともない。
これらの全てが完全に徹底されてはいないが、それでも、当事者会セラピーで語り合う患者とそれを監督する研究者の間に線が引かれていることで、様々な弊害の抑制はできている。
しかし、「セラピーとしてのフェミニズム」では、患者、監督者、研究者、全てが一体になりやすいので、普通の当事者会セラピーでは減らせる弊害がモロに発生しているのだろう。
たとえばフェミニストが「トーンポリシングはやめろ」と主張し、議論や説得において言い方ってのは大事だろと反論されるのをよく見るが、あれも、セラピー的な場と議論の場がごちゃまぜになっているせいだ。
私はいま苦しすぎて言葉を選んでいられないのでセラピー患者として気持ちをぶちまけてるんだからトーンポリシングするな、というなら真っ当である。
言い方や内容にしっかり気を使うから議論として発言を真面目に聞いてくれ、というのも真っ当である。
だがそれを同時にやらせてくれ、自分はセラピー的にぶちまけるが聴衆は真面目に聞いてくれというのは無法な要求だ。
せめて、セラピーを監督する冷静な研究者に向かってぶちまけて、その研究者が理屈の通らないところを補助し冷静な言い方に直して議論の場に持っていくという形にしなければいけない。
なのにフェミニズム議論では、何もかも一緒くたになりがちである。
臨床心理士やカウンセラーになりたがる若者はしばしば自分が精神不安定を抱えているというのは、統計はないが実体験としてはよく聞く話である。
博物学系でも、たとえば動物学者はだいたい動物好きで、心情的には動物を保護したがるだろう。
だが、そこは資格団体ががんばってたり教育だったりで、臨床心理士や精神保健福祉士はある程度の信用をしてもいいだろうとなっているし、動物学者も後先考えない動物愛護活動をする人は目立ってないわけだ。
むしろ、愛後派の過激な主張の角を取って一般社会的に妥当で持続性のある動物保護のやり方を訴えたりしていて、それはまさに、感情的になりがちな当事者の語りを、研究者が自分のところで一度止めて丸めて社会に伝える、当事者会に対する医療や福祉関係者の立場と近い。
だから、臨床心理士や動物学者などの学問的信用はまあ保たれている。
ところがフェミニズムや一部社会学は、理論家や研究者が、傷ついた患者や当事者と近かったり同一人物だったりして、監督者のいないまま野良セラピー的な語り合いをし続け、当事者の悲痛な心情吐露ではあるが社会的妥当性の薄い発言みたいなものが研究者の学問的立場から主張されてしまっている。
フェミニストはメンヘラだとか他人の幸せを許せないだとかミサンドリストでセックスヘイターだとか言われるのはそのせいだ。
ここで断言しておくが、メンヘラも、他人の幸せを許せない人も、ミサンドリストも、セックスヘイターも、楽しく生きてよいし好きに発言してよい。当事者会で同病相憐れむのだって、傷ついた人間には大切だと思う。
過激な思想やトラウマは緩んだ方がいいとは思うが、それもあまりに大きな加害に繋がらないのであれば自由だ。
ただし、その発言はあくまで傷つき冷静さを欠いた人の発言として生暖かく見られている方が、周囲にとっても当人にとってもよいはずだ。弱者の声は社会から無視されるべきではないが、そのままでは妥当性が低いので、客観的な研究者が集積して適度に理論化と穏健化した上で世の中に訴えるべきだろう。
フェミニズムが、弱者に肩入れしようとするあまり病んだ発言をそのまま重用したり、著名な研究者が自分の当事者性を切り離して冷静さを保つ努力をおろそかにしているのは、誰にとっても不幸である。
一つ、わかりやすい事例を挙げる。
私がフェミニズムやジェンダー学のセラピー的機能と、学問・言論的機能の混在の弊害をわかりやすく感じたのは、朝日新聞運営の『かがみよかがみ』である。
「私のコンプレックスを私のアドバンテージにする」とか「私は変わらない、社会を変える」とかをコンセプトにして、女性の自己肯定感の爆上げを目指すメディアであることを謳い続けているサイトだ。
18~29歳の女性からのエッセイを募集して、編集部がチェックして載せている。著名人や契約コラムニストの連載もある。
そして投稿者を「かがみすと」と呼び運営ボランティアを「ミラリスト」と呼んで連帯感を出し、若い女性同士で肯定しあえるコミュニティを作ることも意図しているようである。(かがみすとは今もしっかり使われているが、ミラリストはTwitterで検索してもほぼ出てこないので今も使われてるかは外部からは謎)
二年くらい前に数回燃えたが、扱っている内容の割に回数は少ない気がする。特にはてなとは読者層が違うのだろう。
上野千鶴子さんに質問「ベッドの上では男が求める女を演じてしまう」 | かがみよかがみ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mirror.asahi.com/article/12881008
フェミニストでも、守られたい。フェミニストだから、守りたい | かがみよかがみ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mirror.asahi.com/article/13432941
これの上の方に関わっていたコラムニスト(かがみすと)が、謝罪をしつつかがみよかがみを批判したnoteを全三回書いていたのだが、その第三回と、ここから辿れる記事類を読み、フェミニズムがセラピーと言論を区切らずやっている弊害はあるな、と強く感じた。
『かがみよかがみ』が目指すのは、あくまで女性の自己肯定感の爆上げである。正しさではなく、自己肯定感である。
それも、明言はしていないが18~29歳の女性だけを狙っているだろう。
若い女性たちがエッセイで悩みを語り合い、書き手同士のスラックか何かでも褒め合い、お互いが何を言っても原則として批判しないし自虐もしない。まさに当事者会でありセラピーのやり方である。
フェミニズムやジェンダーなどの内容が多く扱われているが、それはあくまで自己肯定感爆上げの道具なので、理論的な正しさを保とうとして心が苦しくなってしまうようなら、正しさを追求しなくてよい。
エッセイ投稿の年齢制限も無い方が「正しい」のはわかってるだろうが、年上の説教エッセイや愚痴エッセイが載ってるサイトは鬱陶しくて気持ちよくなれないという若者の本音を慮って、微妙な理屈をつけて年齢制限をかけていると思われる。
投稿者をかがみすとと呼んで内輪感を作るのも、その繋がりで孤独が癒える人がいるからである。そういう内輪感にウエッとなる人もいるだろうが、そう言う人は他のどこかで癒されればよいというスタンスだろう。
編集長の伊藤あかりさんのツイッターbioには"「全ての人を満足させようと思ったら、一人も熱狂させられない」という感じ。"と書かれているのだから。
この世に、傷ついた若い女性のための当事者会セラピーの場があること自体は、良いと思う。
だがそれが、朝日新聞運営メディアとして広くネットで広告され、上野千鶴子や石川優実を企画に呼び、ヒコロヒーなどの連載があり、エッセイ投稿者もジェンダー学やフェミニズムで多少の理論武装をして識者っぽい人もたまに言及するとなれば、そこはもう言論の場となってしまう。苦しい内面を安心して吐き出せる、責任を負わなくていいし怒られもしないセラピーの場としては相応しくない。
なのに、そこが曖昧に混ざった立場で文章が発表され続けている。
そして、これは、インターネットにおける様々なフェミニズム活動についても近いことが言える。
最後にもう一度まとめる。
傷ついた当事者同士が慰め合うセラピーの看板としてのフェミニズムと、冷静さと客観性を保つ学問や研究としてのフェミニズムは、分割しておく必要がある。
現在の日本では、セラピーの場としてのフェミニズムと、学問としてのフェミニズムが、ごちゃごちゃ混ざっている。
心が乱れてフェミニズムセラピーを求める患者と、冷静であるべきフェミニズム研究者も、ある程度重なってしまっている。
この状況を解消しないと、世の中の幸せにはつながらないだろう。
元増田(anond:20210803132353)みたいな日本語先生は日本だけじゃなくて世界中でバカ扱いだから安心して良いよ
Grammar police(文法警察)もしくは Grammar Nazi(文法ナチス) 、あるいは単に 空気の読めないバカ って呼ばれるし、
ワイみたいに遠慮のない人物からは、発達障害あのさぁ・・・😔って言われる
発達障害アピールしても 空気が悪くなるだけ・非ネイティブでも通じるのにコイツおつむ足りないの? って思われるだけで
誰も幸せにならんぞ
I think most grammar Nazis are foolish who are desperately trying to make themselves look more intelligent.
(文法ナチスの多くは、自分をより知的に見せようと必死になっている愚か者だと思います。)
It's pretty universal knowledge that correcting other people's grammatical mistakes online really isn't going to win you any fans - which, as it happens, is also a stance shared by science.
(文法の間違いを指摘する人は「好感度が低い」という研究結果が出ました。オンラインで他人の文法の間違いを指摘しても、ファンを獲得することはできないというのは、世界共通の認識ですが、これは科学的にも同じスタンスです。)
[PLOS ONe] If You’re House Is Still Available, Send Me an Email: Personality Influences Reactions to Written Errors in Email Messages
https://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0149885
正直なところ、興味関心を持つ事柄とIQには多少関連性はあるなって思ってるけど
コミュニケーションが取れないのは高IQを自称しているヤツが単に頭が悪いからだぜ
ホーキング博士は「自分のIQの高さを誇示する人は敗者だ」って言ってたけど
そのお手本例みたいな生き方はやめような
ワイもそこそこIQ高くて悪い気がしなかったけどこういうの見てると本当に意味無いんだなって
現実を突きつけられて気分が悪い
ちなみになんだけどワイの言語IQ120超えてるんだけどどうですか?高IQでシビれちゃう文章でした?
どうしようもなさを突きつけて誰かの夢を壊すのはやめような
割と批判が多い感じだけど、まさにそういう人間だからそうだよなぁとしか思えなかった。
コメントであるのが金払ってるのにそんなのいるのか?が多いように思うが、
1)ある程度相談所の顧客として欲しい層は入会費無かったり(海外院卒だけど無料だった)
2)月額も2万くらいで2-4人と会うと考えると、消極的な層としてはマッチングアプリのような自分でいいねしてメッセージ送ってダメなこともあってみたいな煩わしいことを考えると割り切れる
30前半とかでまぁ700万くらいはあったりで一応の暮らしに苦労はあまりないって人間だと別に結婚しなくてもという想いは正直あって、
一緒にいて居心地がいいだろうなって人間をガチャで回す感覚だからそうなるんだと思う。
1)共働きで相手を養ってあげるって感覚にならない稼ぎが相手にもある
2)普通にしてて居心地が良い(趣味があったりしたらなおよし)
こんなのが条件になるけど、特に下がふわっとしてるから短時間で見極められないのよね。
しかも自分のケースでは相手の年収も見えなかったからとりあえず全員会ってみるしかないし、なんで会ったのと言われてもガチャから出てきたからとしか言えない。
一応結婚を急ぐ人には悪いと思ってるから、プロフィールに結婚しなくても良い世の中でそれでもしたい人がいたらいいと思いみたいに書いて見極めてくれるように願ってるし
こちらへの紹介でもすぐに結婚したいですって人はお断りしてるから双方ともに自分のスタンスと合う人と会えるようなプロフィールを書いてあげるのも優しさかなと。
面白くないって書いたのがわかりにくかったな、ごめん
不快なだけなんだわ
しかも、たまに面白くない不快なときもある、ではなくて、常に不快
もちろん人によって感じ方が違うのであくまでこちらの意見でしかないけど、「滑るときもあるけど、基本面白いってみんな思ってんだよ」というスタンスで来られたので明言させてもらうわ
横だけど、一時期そっち系にハマりかけてたので書きたくなった
私は、そういうシチュエーションを貫く系が好きだったが非常にレアだ
不条理じゃないやつとかでも、一貫して貫いて欲しい設定とかがある
タオル一枚で男湯に入って出てくるんならタオル一枚で男湯に入って最低限のミッションをこなして帰ってくればよい
ノーブラ浴衣でツイスターするのならノーブラ浴衣でツイスターするだけでよい
へんな絡みとか、農耕おせっせは要らない
というスタンス
だけど、商業作品のほとんどはそういう面白シチュエーションは所謂キャッチで、後半とかにごく普通のAVになって行ってしまうことが多い
単体ものでインタビュー飛ばすように、多くの視聴者にとっては抜きどころは後半の絡みなのかもしれない
だけど、後半興味なくて前半が好きっていう人もいる