はてなキーワード: ゲームオーバーとは
・清潔感のある他人が撮影したなんとなく楽しそうな雰囲気で撮った写真
・フェス会場とかで撮ったちょっと趣味性をアピールできそうな写真
まずはこれを用意して、嫌味のない文章を書く。
けどとっつきにくいものはダメで、カフェ巡りとか古着が好きとか当たり障りないことが大事。
入るコミュニティも厳選して、真剣にパートナー探してます的な堅いやつを選ぶ。
ちょっと遊び心を見せて、邦ロック聴きますみたいなのもいいよね。
あとはひたすらイイネをしてってマッチングした中からメッセする人を厳選。
会話はもちろん、途切れないように適度に質問とかを入れておけば◎
で、はじめましてはカジュアルだけどちょっと落ち着ける雰囲気の店で食事。
サラダとかちょっと健康に気を使ってますみたいなものを頼んで、食事のペースも合わせる。
会話も相手のことを聞くのがメインで、その中で特に相手が好きなものを探る。
まぁなんかそんな感じのやり方でやってると、正直相手に興味があってやってるっていうか、もうゲームだよね。
好きなものだけ紹介しあって、正解だけを積んでいくんだから効率的な恋愛ができるわ。
けど、付き合いが長くなって一度だって不正解が出るともうそこで終了。
「そんな人だと思わなかった」「やっぱり私達は合わない」そんなことを言われて終わり。お前はカラオケの精密採点か。
相性100%なんてないんだからさ、ちょっとのすれ違いぐらい一緒にすり合わせていこうよ。
先に言っておくとこれは単なる駄々で、現実逃避で、どうしようもなくありふれた、どこにでもある話だ。
まあ簡単に言うなら勉強したくないし働きたくないというだけの話。
先人の怠け者たちはその切実なる願いにどうにか折り合いをつけた、もしくは何もわからないまま進学か就職かをしたのだろうが。
このままでは後者になるなと身で感じながらも、何か行動を起こす気になれない。
もとより自分が思う「ギリギリ」になってからしか動いてこなかったし、それは既に「ギリギリ」を過ぎていてゲームオーバーだったことも何回もある。徹夜でレポートを書いたし落単はしたしインターンの参加締め切りは過ぎていた。それでも今、現状を直視したくなくて引き延ばしている。いつものこと。今回は本当にまずいというのはわかる。自分の人生そのものに大きく関わる。けれどそれすらもどうにかなる気がしてしまっている。どうにかなった人には生存バイアスがかかっているだけで、実際は自分がどうにかしないとどうにもならないのに。
昔は、自分は多少人より賢いのではないかと思っていた。田舎によくある話で、勉強せずに「テスト」ができただけだった。
そして生まれたのが勉強の仕方がわからないわからないとオウムのように言い続ける、まだ自分が人に対してなんらかの優位性を保持していると思い込んでる単なるバカだった。わかろうとしなかったからテストもできない。他人に劣っているという明確な"数字"が出ていても現実を直視しないで、次は頑張るとのらりくらりと言い続け、ほぼ同じ成績をとり続けてきた。
結局努力しない人間が努力する人間に勝てるわけがなく、それを見る意味で定期テストというシステムは有用だと思う。人の価値は数字だけで決まらないなんて戯言はやめろ。それなりの数字すら出せない、そしてその現状を変える気が無い人間を信用できるか?私にはできない。私は自分を信用できないし、信用しても必ず裏切られることを文字通り身を以て知っている。
まあここで同じように勉強してもとれる数字が全く違うような異次元人間や何もしていないように見えて全部理解してる怪物がいたりするが、自分がそうでないことは火をみるより明らかだった。明らかだったのに努力できなかったのは自分が単なる怠け者だからだ。自分が怠け者だということだってそうだ、働き者と怠け者なら働き者が勝つのだ。散々言われていることで、努力したからといって成果が出るとは限らないが成功者は皆努力しているというやつ。
"頭がいい"人間になりたかったが、心の中で他人をどこか見下している雑魚キャラが一匹生まれただけだ。お話にならない。
ほどほどの努力でほどほどの成果が出せればマシだった。自分はほどほどの努力すらできていない、中途半端のカスだ。学生時代本気で打ち込んだことなんて妄想ぐらいだ気持ち悪い。何もしていない人間が何者かになんてなれるわけない。
結局今もそうだが辛いことから逃げているだけで、そのツケを払う時期が来てしまっただけなのだということは知っている。だが理解していない、したくない、自分はこんなもんじゃない、まだ本気出してないだけと言い訳を繰り返している。本気出してない人間の本気は永久に出ない。大人ならだれでも知っている御伽噺だ。
働くのも勉強するのも自分にとって面倒で辛いからどちらも選ぼうとしないだけ。必ず選ばないといけないし、特に後者は早ければ早い方がいいと散々言われているがそれも知らぬふりをしている。周りの人間は目的目標をもって毎日努力している。ほんとうに偉いと思う。そして自分とは地頭の出来が違うと言い訳をしてしまう。例え本当に地頭の出来が違っていたとしても、彼らが努力していた間私が何もしていなかった言い訳にはならないことは当たり前なのに。
最悪なのが、もし記憶を残したままN年前に戻れたとしても、結局何もせず同じ後悔を抱えながらこうやってパソコンに向かっているということがはっきりしていることだ。後悔しても反省しない。同じ失敗を繰り返す。人間として最悪の部類である。人間なんてどいつもこいつも最悪なのだが、社会活動をするにおいて特に無能な人材だ。
そしてそんな自分が自分は大好きで、まあそれでもいいかと思ってしまっている。多分これが最も重要な部分なのだろう。いくら自分はカスだゴミだといったところでカスでもゴミでもいいかと開き直る。そういうメンタルが求められる場もあるだろうが今はそうじゃないだろう。自問自答しているうちに他人は着実に自分の将来を手繰り寄せている。それが全くもって正しい時間の使い方だ。頑張ってほしい。
自分の未来すらどうでもいいとは言わないが、考えるのが面倒だ。また"面倒"になっている。面倒という感情は私のような人間には本当に効く。自分のやりたいことですら9割程度の確率で面倒になる。もう一生寝ていたいと思う時でさえある。情報を摂取するのが面倒だからだ。人と関わるのも非常に面倒だ。人と関わらないと"頭のいい"人間になれないのはいまさら感じているが、面倒なことをやる気力がない。(なぜなら面倒だから。) 人と話すのが好きなどという人間が心底羨ましいし、好きでなくても話そうと努力する人間は本当に凄い。
言い訳と承知で、努力することは才能だと思う。何に対してもで、将来のためでなくてもいい。趣味でもなんでもいいが、"のめり込む"ではなく"できなかったことができるようがんばる"才能だ。世の中の人間の大半は何かにのめり込んでいるだけでその道の天才になっているような一握りではないので好きでも嫌いでも努力が必要になる。そこで割り切って努力できるのは確実に才能だと思うのだ。自分自身の努力を才能と言われる相手方からすると噴飯この上ない言い分だが。(ゲシュタルトが崩壊しそうだ)
とにかく生命活動を行うのが面倒。死ぬ気はさらさらないが生きるのもなんだか面倒になってきている。これに社会人になって日常が辛い、環境改善の兆しがない、心の支えがない、金銭的な不足、将来への不安等々が重なると自殺したくなるのだろう。気持ちはわからんでもない。なんだかわからんが弟が自殺しているので親が存命の内は死んでも生き残ろうと決めてはいるが、上述の通り自分を信頼できないためある日衝動で死んだりしてるかもしれない。でも死ぬのは痛そうなのでやっぱり死なないかも。何もわからない。
まずは良い問いかけをありがとうございます。
投稿のおかげで自分がどうしてゲームが好きなのかをちゃんと考える機会を得ました。
その過程で「ハマる理由(=ゲームの魅力)」についての自分なりの結論が出ましたので、
私が思う「ハマる理由」をお伝えしたあと、(1)~(4)への私見を述べます。
大切なことは世の中のゲームはそのプレイ目的から大きく2つに分けられる
(もちろん白黒の2色なのではなくグラデーションがある)ということです。
その2つとは
1.スポーツ型
2.ロールプレイ型
です。このように分類することでより正確に「ハマる理由」を考えることができます。
1.スポーツ型:
プレイ目的:対戦で相手を負かしたり、練習によってうまくなったりすること
最近e-sportsと呼ばれたりするのはこのタイプのゲームです。
練習するほどにゲームがうまくなり、ときに他者と、ときに自分自身と競い合う。
なのでこのタイプは本当にスポーツで、プレイヤーのモチベーションはアスリートたちと
本質的には一緒です。
つまりスポーツ型に「ハマる理由」はざっくりといえば「研鑽の先にある達成感」だと言えます。
次に説明が難しい2の方へ。
2.ロールプレイ型:
代表例:ドラクエ、FF、スーパーマリオブラザーズ(以下マリオ)など
ドラクエやFFは例としてはわかりやすいですね。ではなぜマリオもロールプレイ型でしょうか?
それに答えを出すためにプレイ目的である疑似体験について考えます。
ここで言う疑似体験とはプレイヤーが主体となって話を進める事です。
例えば、
右に進みますか?
左に進みますか?』
というテキストに対し、
右に進むと選択した場合には『DEAD』というテキストが表示され、
(もちろん左右の選択後にどうなるかをプレイヤーは知らされていない)。
このときゲームの結末を変えるのは確かにプレイヤーの選択であり、
よってマリオの場合で考えるならば、与えられた選択肢はステージをクリアするかどうかであり、
用意された結末はゲームオーバー or ピーチ姫の救出なのです。
ドラクエやFFの場合も同様で、プレイヤーの選択によってエンディング(にたどり着けるかどうか)が
変わります。
なにせ自分の選択によって世界を救えたり、ヒロインの女の子を救い出せたりするのです。
つまりロールプレイ型に「ハマる理由」は「貴重で刺激的な(疑似)体験を通じた深い感動」でしょう
(ただしマリオは選択肢が非常にシンプルなので感動というより達成感でありスポーツ型に近い)。
でした。
これを踏まえて(1)~(2)に答えて行きたいと思います。
(1)について
値段については私も(懐具合的に)高いと感じることはありますが、
贔屓にしているブランドがあるから多少高くてもそのブランドの新作を買うことと同じですね。
一方、映画のレンタル価格とゲームの新作価格を比べるのはフェアではないですね。
ゲームにも中古や過去作を安価にオンライン配信するサービスがありますから値段は理由にならないと思います。
(2)について
(1)から続く映画との対比が意味をなさないことを主張します。
先にふれたように、ゲームにはスポーツ型とロールプレイ型があります。
ここで投稿者様が想定されているのは、「プレイ時間が長い」という観点てんからも、
このロールプレイ型ゲームと映画には決定的な差があります。それこそ先に述べた「疑似体験」の有無です。
映画の結末に対し観客は本質的に無力なのであって、感情移入の大きさによらず、真に主体となることはできません。
結局は出歯亀です。一方ロールプレイ型ゲームではプレイヤーこそが主体なのであり結末もプレイヤーに委ねられています。
プレイヤーにとっての「20時間」は傍観者としての「20時間」なのではなく、主体としての「20時間」なのであり、
なので、私は映画も好きでよく映画館に足を運びますが、その2時間でゲームをすればいいということにもなりません。
(3)について
これについては少し同意ができます。感動したものは他者と分かち合えると何倍にも感動が大きくなりますよね。
今の時代ネットがあると言っても気の知れた友達と語り合えない寂しさは拭えませんよね。。。。
まあ、だからといって私がゲームをやめることにはなりませんが。
ちらほら文章から伺えるのですが投稿者様は社交的で人付き合いがお好きなんですね。羨ましい限りです。
(4)について
最後に、私はこの投稿で投稿主様の考え方を変えてやろうとか、人格を否定しようとかは全く思ってません。
この文を書いた(めっちゃ時間かかった)のは単にゲームにはハマるだけの理由がちゃんとあるということが伝えたかったのです。
乱文長文失礼しました。
最後までお読みいただきありがとうございます。
最近、口コミで人気が出てきて品薄状態になっているリングフィットアドベンチャー。発売日に手に入れて、頑張ってやってます。
このゲームを買った目的は、もちろん運動不足の解消とダイエット。
なんだけど、もうひとつの目的は、奥さんと一緒にゲームできたらいいなと思ったのもある。
うちは夫婦仲はいいんだけど趣味が全然合わなくて、自分はゲーム好きでインドア派、奥さんは外でジム通いという感じ。
普段はそれぞれ好きなことをやっていて、休みの日は一緒に出掛けたりするんだけど、たまには平日の家でも何かできたらいいなと思い、
このゲームはうってつけだと思って購入。
ゲームは予想通りとても面白く、楽しみながら体を動かせるようにとてもよく考えられていて、さすが任天堂という感じ。
ところが、奥さんにやらせてみるとあんまり楽しそうじゃない。特にアドベンチャーが楽しくなさそう。
え~、それ一番メインのとこでしょ!と思うのだけど、ステージ1の最初のドラゴ戦でゲームオーバーになると、もうあんまりやる気なさそうな感じ。
このゲーム、負荷設定をミスって体力不足でクリアできないというのはあるけど、ステージ1なんてほぼチュートリアルだし普通は死なないと思う。
最初の負荷設定はちょっと高めではあったが、奥さんは体を動かすのが好きで自分より体力もあるし。
どうもプレイ中の様子を見ていると、画面上の情報をほとんど意識していないようにも見える。技を出す時は画面の指示通りにやってるんだけど、
上げ下げのタイミングとか、画面上で親切なぐらい指示が出てるけどその通りにやってない感じだし、敵へのダメージが弱くてもお構いなし。
どうやらゲーム下手の原因はテクニックや体力以前のところにあるようだ。
普段の奥さんは多少天然ボケではあるけど、会社では仕事もできるようだし、コミュ力も高く、人のことをよく見ていて空気を読むのもうまいと思う。
それが子供でもできるようなゲームをうまくできないというのは、ゲームに対しての感受性というか、感覚自体が不足しているのではないか。
奥さんは子供の頃TVゲームを全くやったことがなく、まずゲームのお約束というものが理解できていない。
普通にゲームを少しでもやっていたらターン制バトルとか、ハートが自キャラのライフを表してるとか、敵キャラの上に出てる数字がダメージだとか、
そういうのは説明書を見なくても理解できるはずなんだけど、そのあたりから全然だめ。
それでも子供だったらゲーム自体が初めてでもすぐに覚えてできるんだけど、大人になるとその辺の感覚も鈍くなって、興味もないから覚えようとしない。
言わば、非ゲーム脳になってしまっているのではないか。そう考えると、TVゲームが身近にあった世代と、そうでない親世代で断絶があるのも当然ではある。
最近は親もゲーム世代なのでそういったことは少ないだろうと思うけど、そのようなジェネレーションギャップに近い感覚を同世代のパートナーに感じるのは、
PS4のDQ11はしばりプレイも含めてプレイ済みで、DQ11Sの体験版を最後までやりました。
しばりプレイ設定は、「防具なし」以外全部にしました。防具なししばりは、防具装備が必要なクエストがクリアできなくなるため、やりこみスタイルと反するので最初から外してます。
はずかしい呪いしばりにくわえての、レベル上限しばりと敵が強いしばりは、ゲームの性質が少し変わりました
体験版で出会ったバグは、ホムスビ山地でジャンプしながら先制アタックしてたら、先制アタックのカーソルが一切出なくなったこと。一度冒険の書に戻っても同じままで、一度ゲームを終了させたらもとに戻った。
それはつまり
という話でしょうか
うーん?
いや、俺の言ったことそのまま受け取ってよ
ゆがめてまとめず
マミー本人は露悪的な釣り師だったと思うけど受け手の大部分は本気で気分悪くなってた(俺含め)
(彼の手法は薄く広く広まって陳腐化したけど、技術自体は今の基準で見ても高かったと思ってる
マミーはひたすら醜い悪として自己表現してたし、受け取る側もそうだったの
強いとかかっこいいサグという消費なんかなかった
「マミーの影響で高卒差別はかっこいいといいだす奴」なんていないの
ドキュンという言葉自体も(マミーの高い言語センスのゆえに)広まったけどぜんぜん違う意味になってるでしょ?
悪人のことを罵る、これは共感されやすいことであってマミーではない
マミーはむしろ「まじめに生きてるけど高卒なので浮かばれない人」という憐れというべき人物像をドキュンとしていた
明かにかわいそうな同情されそうな人をおまえが高卒だからそうなるんだ高卒なのが悪いといっていじめる、それがマミーの芸風
荒らしや釣りにおいてはここの差を理解して注目できる程度の頭脳は必要
要するにマミーは高い釣り力という力の跡だけは残したけど理念的には全然フォローされてない
それ以前に理解もされてない
俺みたいにマミーに私淑した人間だけがマミーを理解して今に至るまで覚えてる
きみはマミーを全然理解しなかったので記憶も自分の今の理論に都合いいように変質してしまってる
(というかほんとにマミーを見たことあるの?というとこから俺は疑ってるのだけど)
繰り返し言うけどマミーはいいとこの大学生でも気分が悪くなるつくりになってた
ツッコミどころの多いプロフィールとか全然かっこよくない顔写真とか、
マミーの釣りの全ては自身をみっともないむかつくやつとして憎ませようとしてたのであって、
ダークヒーローになんかなろうともしてなかった
マミーの差別を見て「差別はかっこいい」なんていう人間はいなかった
マミーのメソッドをきちんと真似して吸収できるのは俺のような自覚的な掲示板荒らし志向者だけなので
有象無象には無理だし、現にメタ観測者気取りのきみですら無理だろ?
そして嫌韓厨は当初から「不謹慎ネタ」とか「やばいこと言っちゃう俺等かっこいい」とかいう自意識など持ってない
彼等についてはそれこそ「ネットde真実」という揶揄のほうがきみの頓珍漢な理解よりはよっぽど事実に近い
嫌韓厨は韓国人のことをシリアスな脅威と感じていて、戦わなければいけない、知らせなければならない、と使命感持ってた
彼等は真剣だったし韓国人を無力で可哀想な存在などと定義してもいなかった
バカじゃなければ誤解するわけもないことを念の為に言っておくが
何を「自分も覚えてる」みたいに話を合わせてるんだ
俺はきみのことを最初から疑ってたのでマミーの自称にフェイクを混ぜたがきみは突っ込めずに引用した
きみはマミーをリアルタイムで見ていないし空気を感じてもいない
それどころか、そもそもきみはマミーのサイトを隅々まで読んですらいないだろう
きみのネット史理解は滅茶苦茶であり、マミーについての記述はデタラメの極みだ
ゲームにおける「死」は、
が組み合わさったものだと思う。
例えばドラゴンクエストであれば、ダンジョンの奥から王様の前までワープすることと、「あなたは死にました」というメッセージが出ること。
そのどちらが欠けても、そのイベントが「死」であるという性質を満たせなくなる。
前者が欠けると死がゲーム「オーバー」として機能しなくなるし、後者が欠けるとワープとしてしか認識されなくなる。
(C)リソースを失う
ということも死に付随するメジャーな効果だがこれは必須ではないと思う。
全滅したとき、別に半分お金を失わなくても死は死として成立する。
この例はゲームではないがエルシャダイのデモは、(A)の「非シームレスな移動」を取り払うことで "死" が "まだ死ぬときではない" に変更される。
ビットトリップランナーなんかは実際これをゲーム機能として実装している。
(B)についてはそれを取り除くと、死のイベントがただのワープになる。実際にはゲームオーバー宣言をしているが、チェックポイントを細かい間隔にしたアイワナなんかはこれに近い。
テトリス99が配信されてしばらく経つ。ルールは簡単だ。生き残ったやつが勝ち。シンプルだ。
遊んでみるとわかるが、大変に楽しい。消すことで対戦相手を攻撃したり、逆に攻撃されたりする。その攻防を掻い潜って勝利できたときの達成感はなかなかのものだ。
もちろん、勝つことだけが目的ではない。ゲームオーバーになってしまった場合も、その時点での順位がわかる。この順位を少しでも上げるというのを目標にして遊ぶことも可能だ。
しかし、皆こう思う。勝ちたい。1位になりたい。ドン勝をしたい。それは正常な欲求だ。けれども、元々テトリスがべらぼうにうまい人間以外はこうも思う。1位になるのは簡単なことではない、と。
そうして、どうすれば勝てるのかと思い調査をする。すると、ガチガチのロジックを解説するページなどに行き当たり、頭を抱えるのだ。違う。僕は、私は、俺は、そんなロジックを理解することも、実際にゲーム内で実践することも難しい。不可能だ。だって僕らは脳筋。テトリスを理論的に遊ぶなんて、そんなことはできない。
この記事は、そんな脳筋に少しでもテトリス99で勝ってほしくて書いている。T-spinがわからなくても問題ない。書いている人間も間違いなく脳筋で、できることはテトリミノ(上から落ちてくるいろんな形をしたやつ)を積み上げて、消すこと。それだけだ。それでもドン勝することはできる。脳筋たちに希望を与えたいのだ。皆にあの達成感を味わって欲しい。そして、ロジック共が跋扈するテトリス界にひとつの爪痕を残して欲しいと思っている。
一応記しておくが、なにも理論的に遊ぶことを否定する記事ではない。それもひとつの楽しみ方で、勝つために非常に有効な方法だ。ここでは、そういった遊び方ができない人間が、強いプレイヤーに立ち向かっていくためのマインドをメモしている。なお、基本的な動作や操作方法については割愛している。
ゲームが始まるとどんどんテトリミノが落ちてくる。それを積み上げて消していくのが基本的なルールだ。うまいプレイヤーはこの段階で高得点を出せる形式に積み上げていくことができるが、脳筋は出来ない。何手も先のことを考えながらプレイすることは非常に難しいからだ。また、対戦という要素も加わり、いつ敵から攻撃を受けるかはわからない。そこで脳筋にできることはひとつ。
とにかく消すのだ。一列揃えて消す。すると、そのパワーが敵への攻撃となる。1列や2列消したくらいでは、序盤は大した攻撃力にはならないというのもわかる。しかし、我々には消すしか出来ないのだ。それを怠っては勝てない。欲張ってたくさん積み上げ一気に大量消去を狙ったとしても、それも長くは続かない上、いつ攻撃を受けるかわからない環境では非常にリスキーだ。ツモにも左右されやすい。
とにかく消すのだ。1列ずつで構わない。微弱なジャブでも連続すればある程度のダメージにはなる。攻撃は最大の防御。とにかく消すのだ。
脳筋でも几帳面な人間はいる。隙間のないように積み上げたい心理もわかるし、事実可能な限りはそうしたほうが有利な状況を作ることができる。しかし、それにばかり固執しているといつのまにか棒状のテトリミノを待つばかりの地形が出来上がってしまい、ツモが悪ければそこで攻撃を食らってゲームオーバーだ。それは避ける必要がある。
どうしても隙間ができてしまう状況というのは起こる。そのときは潔く、隙間を作ってしまおう。そしてまたその上に積み上げて、同じように少しづつ消していけばいい。そのうちに作ってしまった隙間がまた顔を出し、それを埋めて消せるタイミングがやってくる。
テトリスをプレイしていると、特に中盤から終盤にかけて、こうした状況が逆に良い方向へ働くことがある。隙間を埋めていくと新たな隙間が出てきて、それによって連続して消すことができ、いつのまにか相手に大量攻撃できているというパターンだ。これを脳筋が意図的に行うことは難しいが、偶然できる可能性は誰にでもある。あえて隙間を作ることは決して悪いことではない。それよりも、どんどん積み上げて少しずつでも消していくほうが重要だ。
テトリスにはホールドという機能がある。落ちてきたテトリミノを一時保管できる場所だ。欲張りな脳筋は大量得点を狙ってここへ棒をとっておく傾向にある。私もそうだった。適切なタイミングでそれを使うことができればいいのだが、なかなかタイミングがなく腐らせてしまうこともあるだろう。それはもったいない。もし棒をちょうど入れられるスペースがなくとも、今落ちてきているテトリミノと棒とを天秤にかけて、棒のほうがまだマシな地形を作れると判断できたら迷わず棒を呼び出すのだ。もちろん、今は例え話で棒を挙げたが、他のテトリミノでも同様だ。テトリミノAとテトリミノB、どちらのほうが現在の状況でマシなのかといったレベルの判断であれば脳筋でも可能な範囲だ。できることをやる。それが勝利へ近づく確かな一歩である。
敵から大量の攻撃を受けたり、何らかのミスで大量に積み上がって、テトリミノを詰めるスペースが1列から3列くらいのわずかなスペースになってくると、どうしても諦めてしまいそうになる。特に終盤、テトリミノの落下速度が早くなってくるとてんてこまいになってしまう。そんなときも、最期まであきらめないことが重要になってくる。何も精神論の話というだけではない。大量の隙間や攻撃によって送られてきた灰色のブロックがあるということは、裏を返せばその地点まで到達できれば逆転ができるということだ。諦めることなく地道に消していけば、そんな大逆転も決して夢物語ではない。
そうは言ってもテトリミノを適切な位置に落とすのが難しい状況だから、とてもじゃないが厳しいという人間もいるかもしれない。しかし、脳筋でもできることはある。以下に2つ記す。
テトリミノを回すと時間が稼げ、落下位置の微調整も少しは楽になる。とにかく連打をするのだ。多くの人はこのボタンに親指をあてがっているだろうから、恐らくスプラトゥーンでパブロを振るよりは楽だろう。
早い展開になってくると、これをするのとしないのとでは雲泥の差になる。大きな眼球運動は必要ではないし、何手も先のテトリミノまで確認できなくてもいい。次のテトリミノを確認し、どこに落とせばよいかを考えて実行する。それを繰り返す。するとある時、道が開ける感覚になることがあるだろう。そこへ到達したらもう脳筋はゾーンに入っている。ゾーンの脳筋は強い。ほぼ直感的に操作できるだろう。これは決して怪しい話ではない。脳筋にも集中力はあるし、それを全てテトリスに向けることができれば仮にその試合で負けたとしても爽やかな気持ちで次の試合に望むことができるだろう。
テトリスは楽しいゲームだ。楽しく遊ぼう。もし心が荒んできたら別のゲームをしたり、一度休憩したりするのが望ましい。スプラトゥーンとか楽しいよ。
おおよそ言いたいことは以上なので、あとはなんかチラシの裏とかにメモしたようなことを書く。
自分を狙っている相手から線が伸びている状態で攻撃をすると、それがなんかものすごい光ってブワーッとその敵に伸びていくことがある。この仕様が結構厄介で、その間眩しくて自分の操作画面を注視しにくくなってしまう。より一層落ち着いて積み上げ、消すことが求められる。この状況だと比較的自分は優位なので、焦ることなく対応したい。
すばやく積み上げるには必要不可欠な機能だが、脳筋故にうっかり思ってた場所と違うところに落としてしまうこともある。よく確認したい。
なんかいろいろ選べるけどカウンターにしておけば安定みたいなところはある。
めちゃめちゃに早いときの速度は誰もがビビってしまうが、何度か経験すると慣れることができる。怖いときは回そう。
あまりキルに慣れていないと、その効果音にビビってしまうことがある。バッジが集まる音も怖い。もしドン勝できるようになってきたら、この音が楽しくなってくるので聞こえたらウキウキになろう。
脳筋プレイに飽きてきたら、もっと技術を高めたいと思うかもしれない。そう考えるのも自然なことだ。その場合は、他に頭の良い記事がたくさんあるので、それを見て勉強したり練習したりしよう。おめでとう。脳筋卒業だ。
業界の傾向なのかそれとも類が友を読んでいるだけなのか、
私の身の回りにいる人間たちはどいつもこいつもあって遅刻癖なくて遅刻癖の持ち主であり
まあまず時間どおりに来るやつなどおらぬ、おらぬのだな
全盛期には参加者全員が遅刻したため事実上誰も遅刻してないっぽい雰囲気になったことも
ある種の障害持ちなのかもしれない
他のやつらを低く見ているのかもしれない
チクタクマンのように時間という観念がそもそも欠落しているのかもしれない
そもそも何らかのシステムで遅刻という概念を制御したほうが早い
「待ち合わせの集合時間を通常よりも早めに設定しておく(いわゆる遅刻マンズ締切)」がある。
これはまあそこそこ上手く機能する
ふだん十五分遅れてくるやつに対して十五分早めの集合時刻を伝えておくと実験マウスのようにピッタリ現れる(遅刻マンの平均知能は低い)のは当然として、
遅刻マンズ締切をすっ飛ばし、本来想定の締切すら吹っ飛ばすやつはそもそも集まりごとバックレる気分である可能性が高いため
結局の所「集合時刻通りに来るやつが待つことになる」のは変わらないのだ。
遅刻マンズ締切は遅刻マンが大量に棲息する地域のみで可能なのであって、
普通の時間の感覚を持つ人間たちが大半を占める場所、たとえばNHKの社内やJRの駅構内や郵便局の受付窓口などではイライラする人を増やすのみである。
いや集合すらするな。
入れ。
そこがおしゃれなカフェだろうがオタクどもが波濤となり押し寄せてくるコンサート会場だろうが脱出ゲームのハコだろうが、さっさと遅刻者などおいていけ。
設定時間を過ぎたらゲームオーバーなイベントの場合、遅れたやつは不参加しかない
設定時間を過ぎても一応参加できる系のイベント(お茶会とか)の場合、遅れたやつも一応グループに加われる。そこで自分の知らない流れになっていても自己責任だ。
知るか。グーグルマップを使えないなら今すぐ老人ホームに入ってそこで余生を送れ
現地に行く前にみんなでキャピキャピする時間を大切にしたい?
どうでもいい。心底どうでもいい。そんなに人生のローディング画面を大事にしたいんならイヌでも飼って人とは付き合うな。
そもそも「集合する」という行為自体が時代から遅れているのだ。